No.177688

ひかり

向坂さん

二次創作デビュー作です。
ここからしばらく、「謎の第三者に語らせる」作風の者だと認識されていました(笑)。

2010-10-11 22:26:24 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:631   閲覧ユーザー数:628

  僕は孤立していた。少なくともそう思っていた。大概の若者はそう思って生きているだろうから、それは珍しいことじゃない。一応高校生だったが、学校にも行かずに好きな美術史の本を読んでいたなんていうのもナイーブを装う子供のやりそうなことだ。ただ僕の好みの読書スポットが家でも図書館でもなく、読書向きとは思えない児童公園のベンチなことだけがちょっとした個性と言えなくもなかった。

「ず、ずいません……」

「はい?」

 声をかけられ、僕は反射的に本から目を上げて返事をした。そしてしまった、と思った。目の前にいたのは十歳になるかどうかくらいの女の子。髪が長くて、左の目の下に泣きぼくろのある、美人になる素質十分の子だった。問題はその両目が決壊寸前の堤防のように水をたたえていたことだ。

「ど、どうしたの?」

 ことわざを持ち出すまでもなく、泣く子供には勝てない。事情を知らない人が見たら、僕が彼女を泣かせたとしか思えないだろう。悪くすれば変質者扱いされるかもしれない。僕は彼女を懸命になだめにかかった。

「ね、泣いてちゃわかんないよ?」

「な、泣いてなんかないよ!」

 逆効果、という言葉の本当の意味を知った。

「ご、ごめん。それで、その……」

「ぐしゅ、お、男の子見ませんでしたか……」

 無茶な質問だった。特徴もなにも言わないんじゃどうしようもない。僕だってまだ男の子と言えなくもない歳だけど違う? などという投げやりな答えが頭をよぎる。

「え、ええと、あのさ、その男の子って……待てよ」

 彼女はついていた。僕は唐突におそらく彼女の探しているであろう少年の姿を思い出したのだ。そう、彼女はいつも同じ少年と毎日のように公園に来ていた。公園の子供たちはたいてい男の子どうし、女の子どうしでかたまって遊んでいるのに、二人だけは男女ペアだった。それを見て、あんな歳でもう恋人どうしなのか、なんて親父くさいことを思ったりしていたんだった。しかし、彼女の幸運はそこまでだった。

「あの、いつも一緒に来ている子?」

「……うん」

「いや、今日は見てないけど」

「そ、そうですか……ぐしゅっ」

 女の子は必死に涙が落ちるのを止めながら、こちらに背を向けて公園の出口へ向かって歩き出した。僕は本に目を戻そうとしたが、彼女の様子が気にかかり、思わず声をかけてしまった。

「ちょっと待って」

「……ひゃい」

 僕に見られなくなった途端に我慢の限界が来たらしく、振り向いた彼女の顔には涙の線が何本か流れていた。

「おせっかいかもしれないけど、動かない方がいいかも」

「……え?」

「あの子も君のことを探してここに来るかもしれない。待っててみたら」

 彼女はほんの一瞬だけ考えるそぶりを見せ、すぐにうなずいてこちらに戻ってきた。少し間を開けて僕の隣りに座る。どういうわけかごく自然に、僕は彼女にハンカチを差し出していた。

「……ありがと」

 彼女は目頭というより顔全体を押さえた。当然の結果として僕のハンカチには涙以外の分泌物もくっついてしまった。

「あ……」

「ああ、いいよいいよ。それはあげる」

 彼女は小さくうなずき、ハンカチを握り締めたまま、公園の出口をじっと見つめた。僕は本に戻ろうとしたが、もうそんな集中力はなかった。

 彼女はしばらくじっと待っていたが、そのうちに退屈したのか、あたりをうろうろし始めた。砂場の方へ行ってみたり、茂みのところでかがみこんだりしている。そして僕の前に戻ってくると突然手を差し出した。

「一個あげる。どれがいい?」

 見ると彼女の小さい手のひらの上には丸い、凹凸の少ない石が三つ乗っていた。こういうときはどう答えればいいのだろう? 僕が当惑していると、彼女は勝手に結論を出した。

「これ。んじゃ、あげる」

 僕が手を出しかけると、彼女は唐突に方針を変えた。

「やっぱりやめた。この石、どれも洗ったらきれいになるもん」

 僕は苦笑いを浮かべた。子供の思考の展開にはついていけない。彼女は得意げに続けた。

「きっと、ガラスみたいにきれいになるよ」

 きれいなものの代名詞がガラスというのもなかなかユニークだ。僕は口をはさんだ。

「ガラスが好きなの?」

「うん。ぴかぴかしてるもん」

 彼女は初めて笑顔を見せた。それこそ光っているみたいだった。

「光るものがいいの?」

「うん! だって、わたし、『ひかり』だもん!」

 彼女の名前なのか、それともなにか空想の話なのか。僕がそれを聞こうと思ったそのとき、彼女は弾かれたように公園の出口に向かって駆け出した。

「あ、あれ、ちょっと……」

 公園の出口には彼女と同じ年恰好の少年が立っていた。僕は記憶をたぐりよせ、それが彼女の相棒であることを確認した。

「もーーーうう! どこ行ってたのお!」

 彼女はすでに僕のことなどきれいに忘れ、少年に食ってかかっていた。その表情は怒りながらもどこか楽しそうだ。僕はなにも言わずにベンチから立ち上がった。明日、久しぶりに学校に行ってみようなどと思いつつ。

 

 

 あれからもう数年が経った。僕は市外の大学を出てから今年ここに戻ってきた。市が美術館を新たに設立し、そこの職員になったのだ。結局美術史好きを貫いたのかもしれない。

美術館のオープンを記念して催されたのはガラス工芸展。僕の記憶を刺激しないでもない企画だったが、日々の忙しさの方が大きかった。そんな苦労のかいあってか、工芸展の評価は上々だった。

「本当きれいでため息出るよ……」

 あれ。いま展示会場で、聞き覚えのある声がしたような。

「こういうのって、宝石よりきれいだと思うな」

 なかなかわかってる、などとも思ったが内容より声の方が気になる。僕は裏方を放棄して声の方に行ってみた。そして懐かしい顔に出会った。

 髪こそ短くしているものの、左目の泣きぼくろは間違えようもない。なによりその笑顔。公園の女の子に違いなかった。あの頃の僕くらいに成長した彼女は、予想どおり、いやそれ以上に美しくなっていた。

その隣りには、同じくらいの歳の、ちょっと冴えないが穏やかそうな少年がいた。もしかしてこいつは。

「俺さ、実はダイヤとガラス玉の区別つかないんだ」

「ぷっ。あははは、そ、そんな真顔で言わないで」

 僕は確信した。あのときの少年だ。二人の空気でわかる。僕は思わず顔をほころばせていた。二人は次の展示物の前に立ち止まると、そろって首をひねった。

「これ、なに? なにに使うものなのかな?」

 思わず僕は即席の解説をしてあげたくなった。しかし、できなかった。

「さあ……やかん、とか?」

「そんなわけないよ~」

 あの日、僕のことなどすっかり忘れて彼女は彼に駆け寄ったのだ。二人の間に入ることなんてできっこない。彼女が僕のハンカチとあの『きれいな』石を捨てていないことを願いつつ、僕はその場を立ち去った。

 さよなら、『ひかり』ちゃん。

 


 
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