No.162416

恋姫無双SS 『単福の乱』 第六回

竹屋さん

 萌将伝 語りパート2

 絵はないのですが、恋姫世界に馬良と馬謖と法正とたぶん張任がいるらしいとわかりました。ということは、どっかに『彼女』だっているかもしれませんっ!
 レッドクリフで全世界的に無視されましたが、それでも私は信じているっ
 ……あーあーあー(耳をふさぐ)何も言わないで。お願いだから信じさせて、萌将を全部クリアし終えるその時まで。

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2010-08-01 14:59:19 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:2863   閲覧ユーザー数:2546

 恋姫無双SS『単福の乱』第六回   第一部 エピローグ 『待春小景』

 

 

 

 

「……ほへー、一段落―」

 商業許可を求める列がやっと途絶えた昼下がり。

 窓口当番の麋竺はくてっと受付《かうんたー》に突っ伏した。彼女は接客が苦手である。

 その様子をみて妹の麋芳が大股に歩み寄る。

「ちょっと姉っ。んな目立つところでだらけんなっ 臨時雇用《あるばいと》の子たちだっているんだから!」

「うにー ほーちゃんうるさいー」

「ああもうっ」

 麋芳は姉を椅子ごと抱え上げると、休憩室に向かって引きずり始めた。(実はけっこう武術もできたりする彼女なのだ)そのまま、ずるずる引きずっていくと、先に休憩室に入っていた簡雍が

「おーおつかれー」

などと気楽に手を振っていた。見事にだらけている。

「憲和さんまで……市場の巡回は終わったんですか」

「終わったともさ。もうすぐ馬市も終わりだし。買い手は近隣のお百姓さんばっかりだもの。平和なもんさね」

 大騒ぎだった馬市期間もすでに終盤。売り手買い手ともに、大きな商人はすでに啄県にいない。少し値上がりしたお茶の価格も落ち着いている。なべて世はこともなし。平穏万歳。

「あるばいとの子たちも、修羅場を越えて頼もしくなったし、これでちっとは楽になるかねえ」

 役所の窓口では馬市に合わせて臨時雇用をすすめ、大幅に人員を増強している。有能な人材は人事係に推薦することになっているので、何人かは試験を経て本採用になるはず。経験者を採用できるわけだから、ここの勤務態勢も少しはましになるだろう――と簡雍はいいたいわけなのだが、アルバイトの指導指揮に当たっていた麋芳は、満足していないらしかった。

「まだまだですよ。自覚も根性も体力も、全く足りてません。小夜里先生みたいな実学実践派が来てくれるならいざ知らず」

「小夜里さんか。来てくれたら色々おもしろそうだけどなあ」

「ええ。そりゃもう憲和さんの百万倍頼りになりそうですもん。お茶の件ではあんなに積極的に手伝ってくれたんですから、仕事に興味がないってこともないでしょうし」

 例の『報告書』は県令殿の元に届いているはず。

 彼らが見るに小夜里は人格人品学識才覚全てにわたって問題なしで死角なし。

 文句なしに最高の人材である。

 先生には是非とも啄県政庁に来て欲しいっ――と、麋芳は両手を握り合わせて窓際に立つ。

「小夜里さん。出仕してくれないかな。任官してくれないかな。いっしょに仕事してくれないかな。――そうすれば」

 彼女は星に祈る――昼だけど。

(そうすれば、少なくとも、自分ひとりで全員のボケに突っ込まなくてはならない悪夢のような現状から解放される、はず)

 ――などと、彼女が切実だけど、わりとどうでもいい願いに浸っていると

「まあ、仕官してくれたとしても、あの人が商業許可申請窓口《ウチ》に配属されるとは思えないけどねえ」

 簡雍が目の前の現実を告げた。

「そ……そんなことは、わかってます」

 そんな事は麋芳だってわかっている。

 小夜里は軍なら即日参軍(参謀)、文でも県令殿の秘書くらい出来そうだ。たぶん一緒に仕事なんて出来ないだろう。

 宮仕えというのは意のままにはならない。自分はもちろん、他人のことならなおさら。

 彼女自身、大金持ちの次女という立場を捨てて、この世界に身を投じたのだ。それなりに覚悟もある。

 下命を本望とし、職責に命を賭けてこその『官吏』。

 その程度のこと、彼女には重々承知のことである。

「わかってます。だからこそ、今は臨時雇用の子たちをこれからもっと鍛えて――ん。なんですか? これ?」

 そこでやっと、麋芳は卓子《てーぶる》の上の不思議な物体に気がついた。つまみ上げてみる

 それは、丁度人間の顔半分を覆えるくらいの、白くて四角い布だった。両側にわっかがついていて、耳に引っかけられるようになっている。

「こら、御利益が減るだろうっ」

と簡雍がひったくるように取り返す。

「ますく――ってな、これを顔に付けとくだけで、悪い病気にかからないという、巷で話題のありがたい『天の国の護符』だぞ」

「ああ、これが」

と麋芳も思い当たる。

 そういえば、最近町のあちこちでコレを付けて歩いている人を見かけるようになった。

 無理からんことではある。啄県はいわば「天の御遣い様ぶーむ」真っただ中。流行を当て込んだ煎餅やら月餅やら定食やら土産物やらが一杯ある。

 麋芳は「さてはまたぞろ便乗商法か」と眉をしかめた。

「憲和さん、仮にも官吏であるあなたが、こんないかがわしい護符をアテにするなんてどーゆーつもりですか。

 君子とは怪力乱神を語らぬものですよ」

 麋芳は人差し指を立てて説教を始める――が。

「妹ってさ。本当に自分がやっている仕事以外は見えなくなる性質《たち》なのな」

と、簡雍はため息をついた。

「コレを作って売ってるのは、わが啄県政庁だぞ」

 麋芳は一笑に付した。

「なにを馬鹿な。冗談にしても言っていいことと悪いことがありますよ。太平道じゃあるまいし、どこの世界にお守りを売って儲ける役所があるんですか」

「だから、試験運用だけど、県令殿の直接指示で作ってるんだってば」

「う……うそっ」

 がーんっ。と(思わず口にして)麋芳は二歩、三歩と、後ろによろめいた。そのくらい「しょっく」だった。

 あの合理的で、実力本位で、実用的で、大胆で、誰も思いつかないような斬新な政策を打ち出してきた我らが県令、北郷一刀様が、こんな……こんなモノをっ。こんな神がかったものをっ。

「知り合いのばあちゃんに頼まれてさ。あっちこち手を回してやっと家族分確保したんだよ。

 今担当しているヤツが要領悪いもんだから何処でも品薄で、突貫工事で立ち上げたらしいけど、どんなに急いでも欲しい人間のところにとどいてないんじゃ、急いだ意味もない……て、どうした? 妹?」

「……わたし、止める」

「は?」

「わたし、とめるっ こんなこと北郷様が思いつくわけ無いわっ。きっと関将軍あたりが怪しい方士か何かに騙されたのよっ。そうでなければ、こんな太平道まがいのことをっ」

「お前なあ……」

「こんなのが啄県中に広まって『白面党』とか言われるようになったらどうすんのよっ」

 うがあああっ。と両手で頭を掻きむしって妹は咆吼する。

「上申書っ上奏文っ――いや、こうなったら、直訴して――」

「やめとけって。関将軍に真っ二つにされるぞ」

「それがなによっ? 将軍が怖くて平官吏ができるかっ 」

「仮にも上司だ! 普通に怖がれよっー」

 ごんごりーごんごりーと、鬼気迫る表情で墨をすり始める麋芳を、柄にもなく羽交い締めする簡雍――と、そこへ。

「窓口をあるばいとの人に任せて、何を騒いでいるんですか」

と呼び出しを受けて彼女たちの上司のところへ行っていた孫乾が帰ってきた。

「ま、元気は無いより有った方がよいですが」

と、もみ合う二人とへたり込んだままの麋竺を見比べる。

「しばらくしたら、騒ぐ元気もなくなるでしょうから」

 孫乾のその言葉に、麋芳は、背筋に氷のような緊張感が走るのを覚えた。

「異動の辞令です。我ら四人、十日間の引継ぎ期間を経て新部署へ異動するよう命じられました」

 異動――商業許可申請窓口からの異動。

 それが一体何を意味するのか。ここにいる面子は全員わかっているはずだ。

 文武両道に通じ弁舌に秀で、武官での採用の話もあった孫乾。

 世情に通じ誰の懐にもするりと入り込む啄県出身の簡雍は実は交渉事に異常なほど強い。気がつけば相手が山賊だろうと意気投合してしまえそうなのは、もやは技能とか才能とかの域を超えている。

 そして富豪で名高い麋家の双子は当人たちの行政処理能力は勿論、実家の富と名声を背景とし、農工商のあらゆる階層に働きかけて、啄県の経済を統御することすら可能である。

 敗戦から二ヶ月後の今、その彼女らに異動辞令が下ったとなれば、その意味するところは一つ。

 ついに再起の時が……

「ああ、妹。盛り上がっているところすみませんが、それ、違いますから」

 孫乾はひらひらと手をふった。

 その声色に、麋芳はやや不穏なモノ――というか、とてもいやな予感がした。

「私たちの新しい仕事は『ソレ』です」

 孫乾の指さした先にあったのは卓子――ではなく、その上にある

「……?」

 人の顔が半分隠れるほどの大きさの四角い布の両側に耳に引っかけるための紐をがついている……怪しい護符

「ま、ま、ま」

 まさか、と言いたかったのか。

 ますく、と確認したかったのか。

 言葉の途中で、「ふりーず」している麋芳を見ながら、孫乾は気楽に笑った。

「いやー。なんでも今の担当者が要領の悪い人で。県令殿のお声掛かりで始めたものの、すぐに品薄になって、欲しい人の手元にとどかない状態に……」

 説明は耳に入ってこなかった。……が、わかっている。

 命じられた事を本望とし、与えられた職に命を賭けてこそ官吏。

 そんな事は麋芳だってわかっている。

 わかっているのだ。

「……うっそおおおおおおおおおっ」

 宮仕えというのはけっして意のままにならないものだ、と。

 

 彼らは啄県政庁が誇る期待の新人官僚たちである。

「ややこしい仕事でも、あいつらなら何とかするだろう」

などと思われるくらいには、「それなり」に期待されているようであった。

 

◆ ◇ ◆ ◇

 

「愛紗!」

 強く大地を蹴立てて鈴々の乗馬が急停止する。

 演習は最終段階に入っている。

 今日は隊を紅白二つに分けての模擬戦。それも、そろそろ終了時間が来る。だから――

「勝負なのだっ!」

「応! こいっ鈴々!」

 鈴々が振り下ろす蛇矛を、愛紗の青龍刀が弾き上げる。

 両者とも互いの力量を知っている。

 その武に信を置いている。 

 だからこその『本気』で、愛紗は鈴々に殴りかかった。

 

 ――八門金鎖の対策を練りたかった。

 それが愛紗の本音である。

 だが、もともと八門金鎖は運用の難しい陣形だ。

 柵を動かす、旗を動かす、陣形を操って、門から侵入する敵を絡め取る。

 まるで一個の生物のように軍を操らねばならない。

 それを習得し、実戦に十分な程に磨き上げ、それを仮想的として、戦術を練る――その方法を考えなかったわけではない。

 だが、時間が惜しかった。

 そもそも、全ての食料と武器を失った啄県守備隊には「回復する時間」が必要だった。

 あの戦い以降、黄巾残党の動きは異常なほど、鈍い。恐らくこちらの退却が速やかだったこと で、啄県守備隊の力が落ちていないと考えたのだろう。

 だが、その様子見もいつかは終わる。

 啄県そして啄郡自体は至って静かだったが、その勢力範囲の外側ではむしろ黄巾の活動は活発化している。

 そこで奪われた略奪品が本隊の兵糧を構築しているのなら――向こうは向こうで、戦力回復に努めているということになる。

 だから急がねばならない。

 ここで北郷一刀以下の啄県守備隊首脳部は決断する。

「車掛かり」の規模と練度を限られた時間で出来る限り……いや、限界点まで引き上げる、と。

 車掛かりは啄県守備隊が、結成当初から得意としてきた戦法である。

 一刀は「慣れている」と言ったが、愛紗にすればそれはちがう。愛紗はこの車掛かりで啄県守備隊を鍛え上げてきたのだ。

 北郷一刀が、愛紗と啄県守備隊に伝えた天の国の陣形『車掛かり』――一刀が尊敬しているという「上杉謙信」なる名将の名を愛紗は知らなかった。だが乱世にあって無益な侵略をよしとせず、敵国の領民を思いやって塩を送った話などには共感するところがあり、一刀が尊敬するのも当たり前と大いに同意したものである。

「川中島の合戦」については、すでに愛紗自身が絵図をかいて戦況説明できる程だ。

 そして常日頃から「自分たちも強きを挫き弱気を助ける義の軍でありたいものだ」と、守備隊の幹部達と語り合っていた。

 もはや彼女自身と啄県守備隊にとって、車掛かりは只の一戦法ではない。これ自体が啄県守備隊にとっての理想の具現であり、背骨であり、魂なのだ。

 故に「負けたまま」では終われない。「通用しない」ではすまされない。

 啄県守備隊は「車掛かりで勝たねばならない」のだ。

 ――だから、今度こそ。

「でえええやあああああっ」 

 ――今度こそ、この陣で単福の八門金鎖を突破してみせる!

 があああん――気合いとともに放った豪撃で、愛紗は鈴々を人馬もろともにはじき飛ばす。

さすがに鈴々も後退した。

「今だ――押し切れーいっ」

 奔馬の群れが、褐色の怒濤となって前進する。

 その一撃で、愛紗の隊が鈴々の隊を押し切った。

 と同時に、刻限の太鼓が夕暮れ迫る演習場に響く。演習終了の合図だ。

 

 愛紗は鞍上にやや寛いで、啄県郊外の平原を見回した。

 夕焼けにけぶる風景の中で、紅白両軍の兵士が、笑いながら「握手」を交わしている。

「握手」を兵達に教えたのは勿論一刀だった。天の国には、真剣勝負が終わった後、戦った者同士が互いを讃え合う習わしがあるそうで、同時に「のーさいど」なる言葉も教えてもらった。

 以前愛紗と鈴々が勝負に熱中し過ぎた挙げ句、勝敗をめぐって殺気だった時、仲裁に入った一刀が二人に「握手」を命じたのがその切っ掛けである。

 その結果、啄県守備隊には「演習の終わりに握手を交わして健闘をたたえ合う」という奇妙な伝統ができあがっていた。

 中には自分の武器や鎧兜を相手と交換している者までいる。武器や防具は使い慣れたものが一番だから、止めた方がいいかとも思うのだが、愛紗はそんな兵達に注意する気になれないでいる。

 逞しく日焼けした顔を、砂塵でさらに真っ黒にした兵達が、真っ白い歯を見せ合って笑っていると、どうでも良いことに思えてくるのだ。

「……」

 啄県守備隊は民兵組織だ。

 はじめはみな武器を持つことにすら慣れていなかった。

 ただ生まれ故郷を守りたい一心で武器を取った素人ばかり。馬に乗れない者もいた。剣を振るだけで転んだ。

 泣けるほどに本当に弱々しい軍隊だった。勝てる相手を探さなくてはいけないほどに。

 それでも守りたいと思えばこそ、彼らは立ったのだ。蹂躙されるだけはないのだと歯を食いしばって立ったのだ。

 愛紗は苦しい訓練に耐える彼らの間近にいた。疲れ果てた時こそ、さらに辛い鍛錬を課してきた。

 一敗地にまみれ、命が助かったと安堵するより、悔しさに涙する彼らを見てきた。

 彼らが彼ら自身の力で矜持と誇りと勇気を手に入れて、一人前の軍隊になってゆく階梯を、彼女も一緒に上ってきた。

 そんな啄県守備隊の将兵たちは、愛紗にとってもかけがえのない存在だ。

 あの敗北の日。集合場所に北郷一刀と鈴々が見あたらないことに気づいた兵達は、愛紗の口から「退路を守るために殿に残った」と聞かされ、次の瞬間――激高した。

 満足な武器もなく疲れ切っていたはずの彼らが、「引き返すべし!」と愛紗に食ってかかったのだ。

「県令殿と張将軍を見捨てておめおめ県城の門は潜れない」

と、そう言った彼らの……言ってくれた彼らの顔を、愛紗は一生忘れない。

 一刀が常に口にする『仲間』という言葉が、あの時程身にしみたことはなかった。

 いや、あの日、死にものぐるいで追撃を振り切って、力尽きてへたり込みそうになった時、愛紗は初めて、彼らを仲間と……『戦友』なのだと悟ったのかもしれない。

 だから、此処に誓う。自分は二度と逃げない。

 彼らのその信念を、誓いを曲げたりさせたりしない。

 啄県守備隊の兵達の矜持を折らせはしない。

 その草莽の誇りを、勇気を、けっして汚さない。

 故に愛紗は深く深く心の奥で、正体すら定かならぬ仇敵に告げる。

「単福よ。関雲長に二度目の退却はないと心得よ」

 弱小民兵組織・啄県守備隊の意地、見せてやろうではないか。

 

 啄県守備隊が、再び――否。前回に数倍する黄巾党と激突するその日は、目前に迫っていた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 夜明け前に雨が降った。

 

 今は、低く立ちこめていた靄《もや》も消え、空気は静かに澄んでいる。

 政庁のとなりにある木立。小さな東屋の側。

 練習用の剣を携えた北郷一刀は、ある人物の訪れを待っていた。

 

 ややあって。 

 朝露に淡く潤む下生えの緑を踏んで、木立の中から人影が現れる。

 麻の単衣《ひとえ》、黒い帯――黒紗の上着があるか無きか風に揺れ、肩に届くかどうかの長さで 潔く断たれた癖のある黒髪が、黒檀の木彫のように白い顔《かんばぜ》を縁取っている。

 一刀の待ち人は他ならぬ彼女、小夜里である。

 

 互いに「おはようございます」と一礼してから、

「雨、あがりましたね」

 小夜里は夜明けの空を見上げた。一刀は

「先生がいると、不思議と雨が止むんですよ」

と笑った。

 小夜里はきょとんとした顔をして、

「そんな風に言われたのは初めてです」

と、目を瞬かせた。

「天気を言い当てると、たいていの場合『なんでこいつは天気を操れるのだろう?』と怪しまれたものです」

「操れるんですか?」

「まさか」

と小夜里は空、森、草などを指し示した。

「雲、風、地勢、季節特有の変化、ツバメや虫などの小動物の動向、地元のお年寄りの智慧……複数の情報源を正しく取捨選択していけば、おのずと予測の確度はあがります」

「……妖術を使っている、と言われた方がまだしもわかりやすい気がするのは、俺だけなんですかね?」

 冷や汗を額に浮かべながら一刀がいうと、小夜里はほほに手を当ててため息をついた。

「そうなのです。私が説明すればするほど、話す相手が不思議そうにするのです。何故なのでしょうか?」

 妖術ではなく智恵でわかる範疇。正しい知識があれば誰にでも可能。小夜里は当たり前の事のようにいうが、天気予報官でもない一刀にとってはどちらも大してかわらない。

 たぶん、世の中の大部分の人にとっても同じなのだ。

 緻密かつ正確。それを追求して、膨大な分量の情報を収集し、記憶し、整理し、分析しつづける。

 小夜里という人は呼吸するようにそれをずっと続けている人間なのだろう。

「ですから」と、改めて小夜里は言い直した。

「自分がいるから雨が上がるだなんて、今まで考えたこともありませんでした」

 しみじみとそういって、それから

「なんだか、予報が当たるよりもうれしいような気がします」

かすかに笑った。

 その控えめな微笑みを見やって、一刀は思う。

 こうしている小夜里はどこまでも文の人、頭が良く、礼儀に詳しく、知識豊富。どこまでもやさしい子供たちの先生である。

 だが彼は確信していた。

 何の故か、未だに名乗ろうとしない彼女の本当の『名前』を。

 彼女が義侠を是とする剣士であるということを。

 一刀とて剣士の端くれである。勝れた技への憧憬はある。

 史書に「名手」と記されたその技。その一端を垣間見ることができると思っただけで、一刀の胸は高鳴った。

 そう。ついに。

 二人は城壁の上での約束のとおり、朝の稽古をするために、ここで落ち合ったのだ。

 

 そんなわけで、早速、準備しようとした-一刀だったが、小夜里はこれを制止し、

「これを」

と、手にしたものを差し出した。

 差し出された「それ」をみて、一刀は思わず瞠目した。

 それは木刀だった。

 わずかにそりのある三尺前後。それは一刀にとってありふれたものであるが、それこそが「異常」であるともいえる。

 考えられないことに、その木刀は、一刀が現実世界でいつも振っていた素振り用の木刀と長さも形も、非常に良く似ていたのだ。

 造作も仕上げも剣道用具店に並んでいても遜色ないほどの完成度。

 ……ほとんどオーパーツの域である。

 惚けたように一刀は両手で受け取った。

「材質は樫です」

 小夜里が説明を続ける。

「両刃ではなく片刃、直刀ではなく曲刀でもない適度なそり。

 先日ここで見せて頂いた素振りを参考にして、長さ、重さを含めて、私なりに一番適した形を想定して、削り出しました」

 小夜里の説明を呆然と聞き流しながら、一刀は試しに一振りしてみた。

 ひゅん、と軽やか且つ鋭い風切り音がした。

「……」

 吸い付くような握り心地。重心も決まっている。形もいい。自然に構えても、相手ののど元へぴったり剣先が決まる。

 文句なし――いや、こんな木刀、故郷《いなか》の道場でも見たことない。しかし

「……」

 これを、削った? 

 見本もなしに、説明すらなしに、俺の素振りを見ただけで?

 ……俺に一番適した形を想定して?

 うわあ。と、一刀は心の中でうめいた。正直、ぞっとした。

「……」

 冷たい汗が背中を流れ落ちていく。

 この『世界』には想像を絶する人間がいると、愛紗や鈴々を見て思っていたが。

(こーゆー種類の『怪物』までいるのか)

 そんな一刀の内心を知ってか知らずか。

 小夜里はあくまでにこやかに――そして少し心配そうに話しかける。

「いかがですか? その木刀で不自由はありませんか?」

「いや、もの凄くいい木刀だ。完璧です」

 三顧の礼と違って、完璧の故事はこの時代でも通じるはず、と一刀が思っていると、

「よかった!」

 ぱあっと花が咲くように小夜里が笑った。

 それはもう、見ている人間が安心の余り腰砕けになるような包容力に富んだ笑顔である。

 ――が、その笑顔を向けられた方は、戦慄の雨と安堵の波に交互にさらされて、嵐の海に放り出されたような気分になった。

そんな彼に対して。

「では、とりあえず」

 小夜里はもう一本同じような木刀を取り出すと

「この木刀で、私に『剣道』を教えて下さい」

と自らも正眼に構えた。

「は?」

 彼の口から漏れた声は、これ以上ない程に間が抜けていた。

 ……数瞬、小夜里の言葉を反芻し、反芻し……

「はあああっ!?」

 一刀は、あらためて驚きの声を上げた。

 次いで拒否とか一寸待っての意味で「わたわた」と両手を振る。何故かもの凄くやる気になっていた小夜里は、残念そうに木刀を下ろした。

 だが一刀にすれば、それどころの話ではない。

「なんですかそれは! 

 俺が先生に何か教えるなんて、そんなのできるわけないでしょう!」

 実力差とか経験とか才能とか――いや、それよりなにより。

「というか、なんですか『剣道』って。どこでそんな言葉を……」

 口にしてから「あ。」と一刀は思い当たった。

 そういえば、子供達と遊んだ時に、そんな話をしたような。

 いや、それ以前の問題だ。

 この人は勘違いをしている。剣道と剣術は違う。

 自分が――北郷一刀がやっていた剣道は競技であって、古武術などとは目指すところが違っていて……

「……学んだ『剣』と、これまで積み重ねてきた『修練』」

 そんな一刀を真っ直ぐに見やって、小夜里が問いかける。

「貴方の『それ』は『人に語る価値のないもの』なのですか?」

 

 静かな声だった。

 しかし内容を理解した時、胸を突かれたような衝撃があった。

 

「私がその木刀を削り得たのは、貴方の素振りに明確な『形』――つまり、理論と修練と目的意識を見いだせたからです。それも、貴方が稽古に使っていた武器が推定出来るほど鮮明に。

 貴方の鍛錬が剣理に背き、無目的な惰性であったのなら、それはこれほど明確な形にはなりません」

 小夜里は蒼い瞳をまっすぐに一刀に向けた。

「貴方の中には貴方自身の『剣』が刻み込まれている。

 私は私自身の経験が及ぶ限りで、それを再現しただけです」

 そこまで聴いて一刀にも、「衝撃」の正体がようやくわかった。

 彼女が問題にしているのは剣道と剣術の違いでもなければ、剣道がこの時代において有用か無用かの判定でもない。

「逆に言えば、ソレが可能な程の功夫を貴方は積み上げてきたということでしょう? 

真摯に取り組み、稽古に意味を見いだせばこそ、貴方はそこまでたどり着いた」

 彼女の問いかけとはただ一つ。

『北郷一刀自身が剣道に価値を見いだしているか否か』

 だからこそ、その言葉は一刀の肺腑を突いた。

 彼女は言っているのだ。

 

 ――お前の学んだ『剣』とは、その程度のものなのか、と。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 反論しかねて立ち尽くす一刀に、小夜里はさらに言葉を重ねた。

「剣士にとって、『剣』とは単なる技術ではありません」

 それはそれまで過ごしてきた人生そのものであり、これから歩まんとする生き様そのもの。

「貴方も、その為にこそ、剣を握ったのではありませんか?」

 彼女は貴方も、と言った。

 それはとりもなおさず、彼女自身の剣との出会いもまた、そうだったということだろう。

「たしかに、私たちはあまりにお互いを知らず、また、幾百、幾万言葉を交わしても、人が人とわかり合うのはたやすいことではありません」

 だが、たった一つでいい。同じ何かを大切に思えるなら、それが理解しあう手がかりになるのではないか?

「だから、私は貴方の剣が知りたい。貴方が何を志し、何を託して剣に取り組み、その剣で如何に貴方自身を鍛え上げてきたのか。だから」

 そこからは言葉にせず、小夜里は一刀の顔をじっと見つめた。

 言葉にしなくても彼女の考えはわかる。

 それがお互いについて何もしらない自分たちが、わかり合うための一番の近道なのだ、と。

 いわんとするところはわかる。

 自らも剣士である小夜里は、北郷一刀という人間を『理解』する手がかりとして「剣」を選び、 そのために一刀から剣道を学ぼうと考えたのであろう。

 それは、わかる。わかるけれど。

 一刀としては、やはり、この三国乱世寸前の動乱の時代に、現代剣道の技術と理念が有効であるとは思えないし、現実問題として小夜里みたいな人に稽古相手を引き受けて貰えたのに「切り返し」しかできないなんて事になっては困る。

 それはとても困る。

 彼女の意志に反して無理を強いるつもりもないが、一刀自身、強くなりたいという目標も捨てていないし、繰り返しになるが、剣士の端くれとして、歴史書にまで「名手」と謳われる彼女の「撃剣」を少しでいいから見てみたいという欲だってある。

 

 さわり。と朝の風が林間の草原を通り過ぎる。

 一刀も小夜里も、口を開かなかった。

 しかし、雰囲気の膠着を嫌うかのように。

「こほん。」と小夜里は空咳をして、口を開いた。

「私は私の剣術を貴方に教えるつもりはないと申し上げました」

 例の『城壁の上の約束』だった。

「『無理強いしない』とのお許しも頂きました」

 たしかに、それが彼女と握手を交わした時の会話。

 対等の『友人』として交わした約束である。

(やべえ)

 一刀は脂汗が吹き出てくるのを感じた。

 一刀としてはコレを持ち出されては、何とも抵抗できない。

 彼の狼狽を知って知らずか。小夜里の言葉はつづく。

 視線を上に反らし下に伏せと妙に落ち着かない様子だった。 

「先の条件で、私が鍛錬のお手伝いをするには、まず」

 ――こほん。とここでもう一度、咳をしてから、小夜里は

「か、『一刀さん』の剣道を勉強する必要があると思うのです」

といった。

 一刀は反射的に

「だからそれに一体何の意味が――」

と言いかけて、

「…………」

 思わず息を呑んだ。そして、耳を疑った。今、なんと。

「……かずと、さん?」

 無意識のうちに、耳にした言葉を反芻する。

 何しろ「一刀さん」である。

 県令殿でも北郷様でも一刀殿でもなく。

「県令様」から一足飛びに「一刀さん」。

 例えていうなら、神棚の上からいきなりちゃぶ台の向かい側へ昇格したようなものである。

 ……あれ? 降格か? 

 まあ、ともかくも、小夜里にもっとフランクな感じで名前を呼んでもらいたいというのは一刀の 念願で――それが突然叶ったのだ。

 呼び方が酷くぎこちなかったのは、おそらくはその一言が礼儀にうるさい彼女なりの、精一杯の妥協点ゆえだからだろう。ほんのり耳が赤かったりするあたり、かなり恥ずかしいのかもしれない。

 あまつさえ

「私はそもそも女子校出身で同い年位の殿方と親しく話すことなどありようはずもなくそんな私が砕けた呼び方など出来なくて当然なのです」

とかなんとか、言い訳なんだか、開き直りなんだか分からない台詞まで聞こえてくる。

 どうやら、礼儀と適度な間合いは自衛手段だったらしい。あんまり恥ずかしそうにしているので、さすがの一刀も

「そんなに恥ずかしいなら、それこそ無理強いするものでもないのではないか」

と、思わないでもないのだが――しかし、そんな風に照れている彼女は年上のくせに、妙に可愛かった。

(くそう。ここで、呼び方で妥協するとか、どんだけ計算してるんだ。剣術だけじゃなくて交渉も旨いなんて、さすがは本業が『軍師』なだけあるな。こんちくしょー)

 等と、一刀は心の中でうめいた――のではあるが。

 

 冷静に考えれば、剣術の稽古の内容ついては握手した時点で、一刀が小夜里の提示した条件を全部呑んでいる。

 ハナから交渉の余地なんて無い。

「最初から彼女の計算の内」であったとしても、それを納得したのは一刀なのだ。

 だから、これは一刀の心情を理解した上で、

「自分なりに出来る部分で、そちらの希望に対して、妥協というか歩み寄りをするので、現状に納得してもらいたい」

ということなのだろう。

 自分も彼女が見せた『誠意』に応えるべきか、と、大きく息を吸い込んで腹に力を入れる。

「――わかった」

 迷いは消えなかったが、覚悟は出来た。

「俺は剣道家としてもまったく未熟で、剣について語る言葉をそれほど持ち合わせていないけれど――」

 

 未だに自分の剣を彼女に教えることにどんな意味があるか、わからない。けれど、それでも。それが彼女とわかり合うために必要なことならば。

 

 目を閉じて一度だけ肯いて――一刀は木刀を正眼に構えた。

 

「俺の剣を『小夜里』にも知ってもらうことで、お互いをわかり合う手がかりになるのなら――俺は君に剣道を教える。それでいいんだな」

 

「はい」と答えて、小夜里も再び木刀を構えた。

 合わせ鏡のように同じ構えをとる二人の間を、朝の風が通りすぎてゆく。

 

 その風の中、彼女は晴れ晴れとした顔で

「言ったでしょう?」

と、北郷一刀に告げた。

 

「私は、一刀さんのことを知りたいのです」

 

 

 長かった冬はもうすぐ終わる。

 大陸東北部の啄県にも春の足音が近づいている。

 冷たいだけだった雨に、ほんの少し温かさが感じられ始めたそんな季節の、雨上がりの一幕であった。

 

                  単福の乱 第一部 完

 

 

 

 

 

単福の乱2 ―フィッシュ&ウォーター―

                     ――に、つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
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