「人の考えていることが解ったらいいね」 — HANAKO『CHI・GU・HA・GU』
プロローグ『宇宙移民開始』
宇宙世紀六十八年。
地球の主要国が地球連邦宣言をし、スペースコロニーとよぶ管型宇宙ステーションへの移住法を制定してから半世紀を越えていた。五十億とも言われる人類の移民は急速に行われ、かつて地球に住んだことのある世代は少数になり、人間がかつては地球に住んでいたということは、単なる昔話から歴史の領域に入りつつあった。
人々は、巨大な円筒の内壁を大地とし、それが回転することで生まれる遠心力を重力として生活することになったのだ。
スペースコロニーで生命が生まれるのはごく自然なことであったし、ここで死んでいくのだということになんの疑いももたない者が大半を占めはじめていた。スペースコロニーは、政治的にはともかく精神的に運命共同体としての役割を果たしていた。
一方で、地球に利権を持つ資産家や政治家は、地球から離れたがらなかった。
スペースコロニーに移民することで、地位や財産が脅かされるのを彼らが懸念するのは当然のことである。むしろ、大半の人間が移民するのに乗じて地球上での権限を拡大した者までいるのだ。その利潤は馬鹿にできるものではなく、地球永住権を政府高官への賄賂で買うという違法行為までが水面下で行われるようにもなる。
やがて、地球に住んでいる人間という意味のアースノイドとスペースコロニーの人間であるという意味のスペースノイドという呼称は、ブルジョアとプロレタリアという言葉の代名詞ともなってしまった。その意識は、お互いの関係が宗主国と植民地国であるというゆがんだ意識にまでなった。
さらに、地球の政治家は地球に残った企業の保護を目的にスペースコロニー側企業の経営に制約や圧力を加える必要もあった。地球の生産物、とくに野菜や畜産物などは良品ではあるが生産能力はコロニーに遠く及ばないのだ。そこにもってきて、宇宙に地球の地下資源に相当するものが予想ほどに期待できないと判明し、それらが高く売れたのである。生活水準の格差は開くばかりになり、スペースコロニー側の不満はたまっていくこととなる。
地球から加えられる制約に加え、コロニーに連邦政府の宇宙軍が駐留しているのがさらにスペースノイドの神経を刺激した。政治的不満の解決をしようという運動も宇宙世紀三十年から四十年頃にかけてから盛んになりはじめたが、それをコロニー駐留軍が鎮圧するという事件が多発し、まさにスペースコロニーは地球の植民地と化していた。
チャプター1『ティターンズ』
宇宙世紀八十七年。
このところ、ティターンズの周辺がキナ臭い。
兵器開発のために民間企業に出向していても、そんな話が耳に飛び込んでくることもある。
報道管制で一般のメディアにはのらないようなことでもある。
「報道管制なら、緘口令なんだろうけど」
プロトタイプモビルスーツ《ゼータ》のコックピットで、カミーユ・ビダン少尉は苦笑した。
このことで正式に緘口令はしかれていないが、吹聴して回れば何かしらの理由をつけられて軍法会議にかけられるのかな。と、くだらない脳内シミュレートをしたのである。さらに失笑したくもなるのは、このことを同僚の軍人からではなく、民間企業の人間から聞いたからだった。軍事企業でもあるアナハイム・エレクトロニクス社の研究開発員のひとり、ファ・ユイリィ女史からである。
二年も前のことになるが、サイド1の三十バンチコロニーの住民がおこした反地球連邦政府デモの鎮圧に、ティターンズが毒ガスを使ったというのだ。千五百万人もの住民が死んだらしい。
密閉されたコロニーに毒ガスを注入するというのは、宇宙世紀だからこそ実現可能な大量虐殺方法で非常に効率がよい。熱帯魚の水槽にスポイトで毒液を落とすようなものである。兵士を街に放つことと比べれば安価だ。七年前、一年戦争のその初期に行われたのが最初で、その後に結ばれた南極条約、また更に後に制定された国際法でも禁止されていたはずだった。しかし、連邦軍内で発言力を増しているティターンズの作戦立案者や実行者を軍事法廷に引き出すことはできまい。をやられた側は非道を叫ぶことしかできず、けっきょくは泣き寝入りになってしまうだろう。
これをきっかけに戦争が始まるかも知れないと、カミーユは思った。
士官学校に入学する前の自分なら、こんな思惟を不謹慎だと自戒しただろうが、正式に軍人になると、それを甘い思想だと逆になじるようになっていた。もしかしたら、軍人であるとか両親は軍属であるとかいうことではなく、国際的な処世術としての戦争の意味合いを理解できるようになったというだけなのかも知れない。
*
「新しくできてきたムーバブルフレームの強度計算用のデータ取りだから。飛行しながらの可変チェックになります。ビダン少尉、よろしいですね?」
パイロットスーツのヘルメットスピーカから、インフォメーションガールのようなファ・ユイリィの声が聞こえた。
その口調に思わず吹き出しそうになるカミーユ。
管制室の他の人間はどんなリアクションをしているのか、少し興味がわいた。
「スシをおごるからさ、こんばん食事でもしようよ」
そして、カミーユは返事を待たないでロケットノズルをあけた。
返事を待っていなかったのは、半ばは社交辞令だからだ。彼女の低くても筋のとおった鼻梁と吸い込まれそうなほどに黒い瞳は好みだったのだが、もう既にふられている。ここに出向しはじめた三年程前のことである。年齢はいっしょなのだが、彼女にしてみれば自分はお子様で物足りないということなのだろうなと洞察していた。
カミーユの操る楔型の平たい戦闘機は宇宙空間に飛び出した。この戦闘機の形態は、ウェーブライダーとよばれる。超音速飛行時に発生するショック・ウェーブを機体下面に集中させ、これに乗るように飛行するためこういったネーミングをされた。
この新型コックピットシステムにも知らないあいだに慣れていたなと妙な感慨があった。前にいた部隊のモビルスーツである《ジムβ》のコックピットとはまるで違うのだ。これまでの、全面と側面にのみ配置されたスクリーンと違い全方向マルチスクリーンというのは、戦闘機の外の風景を球体の内側に映し出すというシステムなのである。その中心に座席がまるで浮いているように設置されているために、視界は良好なのだがテーマパークのジェットコースターのような錯覚に陥りやすい。その錯覚の軽減を目的にスクリーンに映し出されるのはテレビゲームのようにされてはいるのだが、これになれるのに一ヶ月近くはかかったような気がする。旧世紀の戦闘機において、コックピット体積と視覚確保はパイロットが尤も関心を持っていたことだったと言うが、今としては皮肉なモノである。
『こんなモノが、現実にできるようになるとはね』
コードネームを《ゼータ》と名づけられたウェーブライダーのコックピットで、カミーユは感嘆していた。
宇宙で運用される戦闘機に翼は必要ない。月面において、いくら音速に達する飛行速度だといっても流線型でなければならないという必要はない。漆黒の空間をバックに飛翔する飛行兵器に、地球上での兵器の形態の概念はおおよそ通用しない。
それでも、月面を飛ぶこの戦闘機がそうであるのは、オールラウンドに運用できる兵器の開発を目指しているからに相違なかった。
空間に散布されたミノフスキー粒子は、電磁波、赤外線、一部の可視光線に著しい干渉をする。半ば無線を無効化された状態で四肢をもつモビルスーツという人型兵器が考案され、有用とされた。現に先の一年戦争から大量導入され、戦場の主役となっていた。特に宇宙空間での活躍は目覚ましく、一般の宇宙服をノーマルスーツと改名させてしまうほどのものだった。宇宙空間、月面、地球大気圏内の陸海空、と、ありとあらゆる場所での運用がなされたが、局地に特化する機体はあってもオールラウンドに稼働できる機体はついに開発されなかった。
《ゼータ》は、軍の要請があってオールラウンドに稼働できる兵器の開発研究のために造られたのである。
ここに赴任してきたばかりの時のカミーユは、オールラウンド稼働兵器をリクエストする軍もたいがい素人だと思ったが、それを実現できるのではないかと信じているアナハイム研究者の頭の中を疑っていた。しかし、今になるとそれも自分の認識の方こそが甘かったのだと知らされている。過去には空中分解するようなおそろしい機体に乗せられたことも多々あったが、程なく機体としては完成するだろう。
「もっとも、兵器として完成するか否かは別問題だがな」
“なんか言った?”
カミーユが呟いたのを、無線の向こうのファ・ユイリィが聞き取れなかったというので、ひとりごとだと言った。
「誘いにはのってきたことがないくせに、独り言には興味があるのか?」
“機体に何かあったかと思えば、訊き返しもするでしょう。くだらないひとりごとなら、聞こえないように言いなさいな!”
カミーユのおふざけをぴしゃりと一蹴し、予定どおりの可変プログラムを始めろと続けて指示をしてきた。
嘆息し、右手前方にある可変レバーをカミーユは引く。
次の瞬間、楔形のウェーブライダーは人型のモビルスーツ形態になった。
顔に相当するところについているモノアイと呼ばれるひとつ目カメラが、深呼吸をするように強く緑色に発光した。
カミーユは、《ゼータ》の思いのほかの挙動に口笛を吹いていた。
*
どのような組織でも、巨大化してくるとその中に派閥を抱え込むことになる。
今日の地球連邦軍にとっては、法規的に発生したティターンズや非公式のエゥーゴがそれだ。
一年戦争の終了は、戦闘の終了とはならなかった。
地球連邦政府の戦後処理は、サイド3の限定つき自治を共和国というかたちで承認するだけで精一杯だった。そして、ジオン軍の完全武装解除には失敗してしまった。
ジオン共和国に不満を抱くジオン公国軍残党による地球圏各地での跳梁を招くこととなる。
その残党の掃討を口実にティターンズを結成したのは、ジャミトフ・ハイマン大将と腹心のバスク・オム大佐である。
それまでは一地方軍ごと、または事変ごとに結成されていた掃討部隊を、連邦軍下の正式いち組織として体系化したのである。
連邦政府にとってジオン軍残党の活動は非常に脅威なようで、ティターンズの権限は爆発的に拡大していった。
最近、噂にだけ聞くのはエゥーゴ(反地球連邦政府組織)である。
エゥーゴはスペースノイドの反政府運動を画策先導し、ティターンズを牽制する動きを見せていた。彼らは連邦軍内のジオンシンパサイザー、連邦軍内のジオン残党とまで目され、まさにティターンズに敵視されていくことになる。
*
「ガンマの性能ってだけじゃないんでしょうけど、これで一段落ついたんじゃないですか?」
社員食堂で、カミーユはクワトロ・バジーナ大尉という士官と会っていた。
「ああいった可変というのは、やはり難しい注文だったのかも知れんな。宇宙空間で運用するぶんにはロケットノズルの角度を変えるだけでいいが、大気圏内だと空力のことがでてくるからな」
クワトロ・バジーナ大尉。今度の《ゼータ》の発注責任者で、装甲材ガンダリウムγの技術提供者でもある。
今日は、別に開発を進めていた《リック・ディアス》の受領に来たのだという。
初めて会ったのは三年以上前になるが、その時はしょうしょう面食らったものだ。宇宙軍の士官がサングラスをかけているのを今まで見たことがなかったからである。まるで甲板の海軍士官のように、である。ノーマルスーツと呼称される宇宙服のヘルメットシールドは基本的に防眩機能が備わっているし、室内で明るすぎる照明が使われていることなどありえないからだ。しょうしょうクセがついてはいるのだが、ブロンドも軍人にしては綺麗すぎると思っていた。不審だと思えるのは彼が技術士官ではないということである。モビルスーツのパイロットだというのだ。出向でアナハイム・エレクトロニクス社の開発に入り浸っている自分でも相当勉強はしたつもりだが、自分よりは知識だけでなく経験がありそうな雰囲気なのである。そのくせ、自分のようにテストパイロットというわけでもないのだ。確かに、年上ではあるから様々な経歴があるのだろう。現在パイロットであるだけで、かつては技術士官だったかも知れないしテストパイロットだったこともあるかも知れないのだ。
「面白い技術です。どういったルートで入手されたんですか?」
「私も詳しくは知らんのだ。どうも、ジオン側かららしいのだが」
クワトロは言葉を濁した。反連邦政府運動が活発になってきた昨今では、ジオンという言葉は口にしにくいものだ。ひとくちにジオンと言っても大小様々な残党勢力が存在するが、程度の差はあれ反地球連邦というイメージがつきまとっているからだ。一年戦争の講和にも応じた最大派閥であるサイド3のジオン共和国があまりに連邦寄りになりすぎたために求心力を失ってしまい、運動が活発になってきたというのはあまりに皮肉なことである。
「エゥーゴ。武装しはじめたっていう噂は本当なんでしょうかね」
すかさず話題をそらしたつもりだったが、これもけして明るいところでできる話でもない。時間の所為か、食堂に二人だけというのがせめてもの救いだ。
情報士官ではないし本当に知っていればペラペラとは喋らんだろうな、と言ってからのクワトロの口調は、しかし、スムーズだった。
「そもそもエゥーゴなんて組織が本当に存在しているのかということでもあるが、サイド1の三十バンチでおこったデモの鎮圧で噂どおりに毒ガスであるG3が使われたなら、心情的にあり得るな」
「一年戦争って半分はジオンが勝ったようなもんでしょう。いちばんの目標である独立にこそ失敗しましたが、サイドが連邦政府に対してモノを言っていいというか、刃向かってもいい、勝てるかも知れないという雰囲気を作り上げてしまいましたよね」
そういう見方も正解だなとクワトロは笑った。
「あの戦争は、たいていの歴史教科書では“一年戦争”となったが、“ジオン独立戦争”いや“ジオン防衛戦争”とすべきだと一部のサイドでは言われているらしいからな」
ザビ公爵家がサイド3で軍事クーデターをおこし、独裁政権を打ち立て、あわよくば連邦に取って代わろうとしたとジュニア向けの歴史教科書には書かれて終わりだろう。それは事実ではあるが、ものごとは一面だけで語れるものでもない。また、語るべきではない。
開戦前夜のサイド3の経済力は、各サイド中トップクラスだった。特に重工業は目覚ましいものがあり、他のサイドに依存することなくやっていけるものであった。半世紀をして、もはや連邦に組みする必要などどこにもなかったのだ。その自信が、政治家にして思想家でもあるジオン・ズム・ダイクンの後押しをした。後にジオニズムとよばれる思想は一冊の本にもなる。それが大きな政治運動になると、連邦政府はサイド3に経済制裁を加えたのだ。サイド3企業の鉱山小惑星への立ち入りを制限し、輸出入に大きく規制をかけたのである。
「連邦としては、独立を簡単に容認できはしないですからね。地球圏秩序が崩壊することにもなりかねない?」
「連邦軍士官としては優秀なお返事だ。それでもジオン・ダイクンはそういった気運が広がることでサイド3だけでなく総てのサイドが独立していけるものだと信じていた。とはいえ、あのまま制裁が緩和されなかったら、サイド3では餓死者がでていただろうな」
スペースノイドに対して嵩にかかった態度をとる連邦政府に対抗するには、軍事力に訴えなければならないと判断したのがザビ家一党だということだ。開戦当初、ジオン軍が月面都市グラナダ市を電光石火で制圧し、そこに拠点のあったアナハイム・エレクトロニクス社を接収した。それは終戦協定のカードにグラナダ市を利用する算段もあったのだが、とりあえずの活路を開くのが目的だったのである。
「ニュータイプって、そうなれば戦争がなくなるんですよね」
「ジオニズムのとおりならそうなんだろうな。私は、そういった哲学のほうは解らんよ」
最後のウインナーを口の中に押し込むと、クワトロは立ち上がった。
「でも、ニュータイプがパイロットとして戦場にいたって、ジオニズムの否定材料にはなりませんよね」
「ティターンズは専用の制服の着用が義務づけられていても、お互いにティターンズではないと証明しあえないな」
クワトロは小さく嘆息する。ニュータイプという言葉は、スペースノイドのあいだでは希望の対象だった。いつかは現れてスペースノイドを救ってくれるのではないかと、旧世紀のキリストやムハンマドのようにも受け止められていた。そして、反地球連邦運動の象徴という意味も内包していた。存在も定かではないエゥーゴの思想が詳らかであるはずもないのだが、反政府運動であるいじょうはニュータイプという言葉が旗手なのではないかというイメージは誰にも共通の認識だった。そんななか、ここが民間企業とはいえどこにティターンズがいるのか、カミーユ少尉がティターンズでないという保証はどこにもない。お互いにエゥーゴだと勘ぐられるのは面白くないだろう、ということだ。
カミーユは、理由もなくクワトロに縋りたい気分になっていた。知り合って三年になる。二ヶ月に三回は顔を合わせて会話をしていれば、それが取り留めのないものでも本人の組織的背景はともかくひととなりは解ってくるというものだ。
『小規模かも知れないが、戦争が近い?』
戦争の意味を肯定的に理解する度量をもちまえているつもりだったが、カミーユは戦争に怯えていた。
「どうにか《リック・ディアス》は間に合った。量産は進めるが、《ゼータ》も将来的には量産にこぎつけたいと考えている。カミーユ少尉、頑張ってくれ」
クワトロは軽く敬礼をした。
*
よもやクワトロ・バジーナ大尉がティターンズであったとは思えないと、カミーユは取調室で俯いていた。
午前のミーティング中、《ゼータ》研究開発部室はティターンズの憲兵に押し入られた。
動揺。
ファ・ユイリィ女史の悲鳴。
テーブルに押さえつけられるスタッフ。
僅かに抵抗したカミーユは、顔面に蹴りを入れられていた。
「エゥーゴなんてものはジオンの残党にすぎんのだ。それが連邦の士官とはな!」
パイプ椅子に腰掛けたカミーユは俯いてはいたが、目の前の憲兵がやたら右拳を振り回すのが目について気に入らなかった。
本来、連邦軍の一部隊にすぎないティターンズに憲兵という兵種は必要ないはずだった。それを持っているというのは、権力の拡大を示すものだった。このティターンズ憲兵の権限の拡大に伴い、連邦各軍の憲兵は完全に形骸化してしまっていた。そして、彼らが軍内の治安維持いじょうに秘密警察のような活動をしはじめたことは、ティターンズによる軍の私物化が始まっている証拠とも言えた。
「捜査令状はあるんですか。押収したエゥーゴの名簿に僕の名前があったわけでもないでしょうに」
「そういう態度が取り調べを混乱させると思うな。貴様等が開発しているモビルスーツが、エゥーゴ用のものだというのは調べがついているんだぞ」
エゥーゴは荒唐無稽な架空の組織ではなく、そしてまさに自分がその片棒を担いでいることでオリジナルの兵器を開発するまでに武装を始めているようだとカミーユは洞察した。
アステロイドの辺境守備隊から自分が呼び寄せられたのもカムフラージュだということだろう。おそらくは、開発スタッフの大半もエゥーゴのモビルスーツを開発していたのだとは知るまい。
ファ・ユイリィの顔が脳裏に浮かぶ。彼女も尋問を受けているのだろうが、ひどいメにあってはいないだろうか。
彼女にとってこそエゥーゴのことなど寝耳に水だろう。日々の仕事をこなしていてこの仕打ちならば、とんだ貧乏くじだ。他のモビルスーツの開発にまわっていればこうはならなかっただろうに。
「開発命令書を見てくださいよ。エゥーゴだなんて記述、どこにあったんですか」
非合法というか自然発生的にできあがったであろう軍内派閥の名称が明記された書類など、存在するはずもない。カミーユは、聞き知る拷問の恐ろしさを振り切るために、どうにか突破口を模索し始めた。
「エゥーゴの活動をとめられれば、他のジオン残党の動きを牽制できるはずなんだ」
「アステロイドで守備隊にいて、ジオンの残党狩りをやっていた僕がなんでエゥーゴになるんです」
出世の可能性が極端に少ない兵科にいると言いがかりをつけるのだけは得意になるのかと憎まれ口を叩きたくなるのをこらえつつ、カミーユは手錠をかけられた両の拳でテーブルを叩いた。
その刹那、グラナダ駐留軍本部ビル全体が揺れた。
アースノイドならば、地震だと思っただろう。生憎スペースノイドのカミーユには建物がゆれる理由がまったく理解できなかった。地を揺るがすというのはまさにこのことだ。
強化プラスチック建材の壁にひびがはいった。
「まさか、月で地震か?」
地球出身の憲兵は予想外の事態に動揺した。
揺れがおさまったかと思ったら、すぐに二度目が先ほどの何倍もの揺れが襲い、とうとう壁がこなごなになった。
「《ガンダム》、か?」
崩れた壁の向こうに、モビルスーツの頭部が見えた。運行中、おそらく飛行中に操作ミスかなにかでこのビルに激突したのだろう。激震の原因はこれだ。揺れが二度きたのは、突っ込んだ後にもかかわらず姿勢を立て直そうとしたということに違いあるまい。
カミーユには、そのモビルスーツのセンゴクムシャのような造形の黒い顔が《ガンダム》に見えた。七年前の戦争で、プロトタイプにもかかわらず数機導入され、有名なアムロ・レイ少尉も搭乗していたというあの《ガンダム》だ。
資料で見た《ガンダム》は、プロトタイプらしくトリコロールカラー彩色で顔は白かったが、あれの顔は黒い。
「グラナダとはいえ、なんでまた街中でモビルスーツが飛んでいるんだ」
カミーユを取り調べていた憲兵は呆れて頭をかいた。
視線が自分からそれた隙をつき、カミーユは取調室を飛び出した。憲兵は絶叫したが、もう遅い。トラブルがあったとはいえ、職務を一瞬でも忘れたみずからを呪うがいい。手錠の鍵を奪えればよかったが、それができる状態でもなかった。
憲兵が拳銃を天井に向けて撃って牽制したが、無視して走り始めた。
とにもかくにも連邦月面方面軍本部基地に逃げ込んで、弁護士もつけようとしなかったティターンズの横暴を訴えるしか逃げ切る方法はなさそうだ。それでティターンズがダメージを受けることはないだろうが、自分はエゥーゴのスタッフではないのだから誤解も解けて追求を逃れることはできるだろう。同じグラナダ市内に本部があったのは幸運だとは思っていたが、ここからどうやって行ったものか。徒歩では二時間はかかる距離だ。
必死で走ってはいたが、カミーユはげんなりもしていた。本部までの道程のことだけではない。ここから出られるか否かを心配することの方がさきなのだ。モビルスーツの事故で混乱はしているのだろうが、ここはティターンズの本部なのである。
モビルスーツの側に飛び出した方が混乱に乗じることができるかも知れないというカミーユの推測はあたっていた。崩れかかったビルにもたれ掛かったモビルスーツに人が群がっていたのだ。ティターンズの黒い制服の中でひとりだけベージュの制服を着ているのも目立ちはするが、混乱に乗じることができるかも知れない。カミーユは、手錠をしたままだがわざわざ人垣の中に分け入っていった。
《ガンダム》腹部のコックピットハッチは開いていていた。パイロットであろうノーマルスーツ姿の男がコックピット口の足場に腰掛け、ヘルメットを外したところだった。
それをすぐそこに見上げるところにまでカミーユは近付いていた。
予期しないことだったが、カミーユにさらに都合がよくなったのは、上空にもうひとつのモビルスーツ《ガンダム》が着陸態勢に入っていたことだ。
“エマ・シーン中尉です。着陸します”
ダイレクトモードで女のパイロットが着地点を確保させろとアナウンスした。
人間を吹き飛ばしそうな強風を振りまきながら、《ガンダム》が降下、着地する。
ビルに突っ込んだモビルスーツと編隊飛行していたということだろう。
着陸した黒い《ガンダム》は、跪くと腹部のコックピットハッチが開いてノーマルスーツの女性士官が顔を出した。
フルフェイスのヘルメットを外してはいないが、体型の表れるノーマルスーツだから女性だと解るのだ。
「中尉。月面でちゃんと飛ばせなければ地球出身だって馬鹿にされるでしょ。コロニーの中だったらもっと難しいのよ」
その凛とした叱咤を、墜落した《ガンダム》のパイロットは聞き流しているようだった。ここまでやってしまったら始末書ではすまされるはずもない。落下地点が民間施設でなかっただけまだマシだったという程度でしかないのだ。そのことに蒼白としているのかも知れない。
「二号機は私が引き上げます。あなたは始末書の用意でもしておきなさい」
エマ・シーンと名乗ったパイロットは、二号機のパイロットが腰掛ける狭い足場に飛び移る。モビルスーツを落下させたパイロットに上から降りるように促した。
体裁を気にしているのかパイロットがそれを否定する。エマ・シーンは操縦技術を信用できないと突っぱねた。
「今度墜落するところが、民間施設だったらどうするの」
業を煮やしたのか、エマはとうとう頭に拳銃を突きつけた。狼狽するパイロットを睨みつける。
彼女はかなり焦っているのではないか。パイロットがモビルスーツに乗って帰投することを控えさせたいのではなく、再びモビルスーツに搭乗されては困るといったところだろう。
「そこの女の人、連れて行ってくれ!」
思わずカミーユは声を上げていた。何故だか直感的に女性士官が身方なのだと思えたのである。そして、彼女もここからの脱出を考えているのではないか?
このまま雑踏にまぎれて脱出し、月面軍本部に逃げ込むのが得策のはずなのだと今でも解っている。こうしてしまったことで誤解が解けることもなくなってしまっただろう。
エマ・シーンは二号機のパイロットを蹴落とすと、
「あなた、ティターンズではなさそうだけど?」
「この事故でMPの処から逃げてきたんです。モビルスーツなら扱えます」
エマはまるで躊躇なく掌をさしだした。危害を及ばさないか彼女が疑わないことに、カミーユは驚愕するよりも呆れた。そして何よりも感謝した。
拳銃で手錠のチェーンを切ってもらうと《ガンダム》の二号機に乗り込む。
これまでのやりとりで、エマ・シーン中尉がこのモビルスーツを強奪しようというのは明白だった。ティターンズ内の反乱なのかまったく別の組織の差し金か、彼女の独断なのか判りはしないがティターンズに反目しようというのだろう。
インターフェイスは《ゼータ》とまったく同じだった。操作感が変わることは、当前ながらモビルスーツの挙動に影響がある。搭乗経験のないモビルスーツでも、操縦系統は同じだというのはパイロットにとって重要なことだった。
“あなたを信じ切ってはいないけど、大丈夫ね? 二号機には武装はないけど、グラナダから脱出します”
カミーユはそれに返事をしながらモビルスーツを立ち上がらせ、辺りを見回した。ファ・ユイリィを捜したのだ。モビルスーツのマニピュレータでビルを少し崩してみるが見つからなかった。彼女こそ、アナハイムからの圧力で冤罪が晴らされるだろうと思うことにした。力関係でいけば、まだ連邦軍よりはアナハイムのほうがティターンズに圧力をかけられるだろう。まさに《ゼータ》がエゥーゴのものでも、開発の中止はされようとも、程なく自由になれるだろうと思えた。
“このモビルスーツ。《ガンダムマーク2》は我々エゥーゴが受領する。ティターンズなら抵抗するな。これいじょう危害を加えるものではない”
「!」
足下の雑踏もだが、カミーユも驚愕した。まさかエゥーゴの実働と遭遇するとは思わなかったからだ。
経緯はどうあれ、エマ・シーン中尉はエゥーゴのメンバーだったのだ。
“予定どおりの行動にならなかったな、エマ中尉”
“すみません。二号機は武装していませんが、協力者が搭乗しています”
カミーユには、エマと話している無線の声がクワトロ・バジーナ大尉のそれに聞こえた。
レーダーに他のモビルスーツの影が映った。上だ!
顔を上げると、そこに三機の《リック・ディアス》が降下してきていた。一機は紅く、随行する残りの二機は紺色に塗装されていた。
旧世紀のアジア人の衣服であるハカマを穿いたようなシルエットのモビルスーツ。頭部は、《ゼータ》のようにモノアイが輝いていた。
「クワトロ大尉ですか。私は、カミーユ・ビダン少尉です」
カミーユが無線で訴えると、《リック・ディアス》にはやはりクワトロ・バジーナ大尉が乗っていた。意外な知り合いとの意外なところでの再会で驚いているようだった。
“港に母艦が来ている。いいんだな?”
「ティターンズは嫌いです。軍が言いなりなら、エゥーゴ、興味があります」
クワトロの問いかけに対しても躊躇逡巡はおこらなかった。
“ウム。エマ中尉、この少年は信用してもいいな。私が保証する”
“知り合いなのですか?”
“そんなところだ。いくぞ”
*
信用はしきれないとは思っていても、エマ中尉がカミーユの進言を容認したのは、モビルスーツの運送を容易にするためである。ティターンズではないようだというだけの理由ではいささか迂闊だが、燃料があるのならばそのモビルスーツは自力で飛行させた方がいいという判断だ。予定ならばクワトロの部隊の《リック・ディアス》で運ぶ予定だった。不安要素は少ない方がいいにきまっていて、カミーユと自力飛行しない《ガンダムマーク2》を天秤にかけたということである。士官ひとりならば、母艦の《アーガマ》にいついてからでも営倉に押し込んでしまえばすむことだと判断したのである。
そして、エマのその判断は正解だった。
モビルスーツのレーダーが敵機影を捕らえた途端、その方角から火線が走ったのだ。
大きくそれていってくれたから、回避運動をとる必要はなかったが、
「メガ砲!」
実戦の経験のあるカミーユでもパイロットスーツの排泄タンクが気になった。
メガ粒子砲は、今や珍しい兵器ではない。カミーユが驚愕したのは、その大出力である。これだけのモノとなると揚陸艇以上のクラスでないと搭載できないはずだ。月面都市に軍艦が進入するのというのは軍法はおろか国際法違反のはずなのだが、特に軍事がらみの法律など、状況次第、やぶり方次第なのである。ルール違反だと叫んだところで、撃墜されてしまえばそれまでだ。死んだ後で罪人が裁かれたとしても生き返ることなどできない。
“モビルアーマーだな。ティターンズは、ここが地球と地続きだと勘違いしているんだ!”
クワトロの舌打ちが無線越しに聞こえてきた。
市街地に武装したモビルスーツを入れているエゥーゴだって大差はないだろうと思いながらも、応戦体制をとりたいが、カミーユの搭乗している《ガンダムマーク2》はいっさいの武装をしていない。モビルスーツ戦においては、攻撃をしながら回避運動をおこなうから被弾率を格段に減らすことができるのである。武装をしていないモビルスーツは、戦場において巨人のカタチをした棺桶のようなものだ。
「大尉。僕のモビルスーツは武装してないんです!」
カミーユは、蒼白、絶叫した。
“ここでふた手に分かれる。カミーユ君は私と来い。エマ中尉はロベルト、アポリーと。《アーガマ》でおちあうぞ”
と、クワトロは《リック・ディアス》が装備している予備のライフルを差し出し《ガンダムマーク2》を使いこなしてみせろと鼓舞した。
コックピットインターフェイスは確かに《ゼータ》と同じだが、どこまで使えるものかわかったものではない。とはいえここで撃墜されるわけにもいかず、唯一の武装となるライフルを意識した。その形状からライフルという呼称ではあるが、ようはこれもメガ粒子砲である。モビルスーツクラスでも扱えるように小型化されているので出力は下がるが、搭乗者ひとりの起動兵器には充分な火力だ。急所を見極めれば、巡洋艦クラスでも一射で撃沈はともかく沈黙させることは可能という代物なのである。もっとも、敵軍艦にそこまで接近できないというのも戦場だ。モビルスーツは、軍のプロパガンダでいうほどに万能兵器ではないのである。
モビルアーマーなどという、モビルスーツなみの機動性と軍艦クラスの火力と航続距離を併せ持った兵器のほうが特別すぎるのだ。
そのモビルアーマーらしき敵機からの二射目を回避し、一射目より正確になってきている射撃に距離が縮まったことを知った。そして、敵機が未だにこちらの射程内に入っていないことに焦燥を感じていた。
モビルスーツを二十メートル前後の巨人だと比喩すると、モビルアーマーというのは、その倍近くはある怪鳥というべきだろう。カミーユたちの前方にいる《メッサーラ》は、まさにそのモビルアーマーの部類に属する。ミノフスキークラフトという飛行装置を内蔵し、そこに軍艦なみの推進装置も装備している。ピラミッド型の推進エンジンを背中に二機も乗せた巨大戦闘機は、まさにグリフォンといった風体だった。
「《マーク2》を二手に分け、どちらかだけでも本体に合流させようという作戦か」
パプテマス・シロッコ大尉は《メッサーラ》のコックピットで、その狐のような容貌に似合いすぎる失笑をした。
敵の采配はいかにも妥当だが、不確定要素でもないかぎりたった五機のモビルスーツが二機ものモビルアーマーの追撃から逃げられるはずはないという余裕からだ。ふた手に分かれたところで、こちらの手駒も二つなのである。
“パプテマス大尉、三機のほうは私に!”
自分に随伴する《メッサーラ》パイロットのサラ・ザビアロフ曹長のいかにも少女といった声に聞き惚れつつ、シロッコはその判断を正しいと誉めた。同時に、自分の目標を鮮紅のモビルスーツに定める。《ガンダムマーク2》の動きは、シロッコにとってみればずいぶん稚拙に見えたからだ。紅いのさえ抑さえてしまえば、あとはいかようにもできるという判断をしたのである。
まさかエゥーゴとはいえ、紅い彗星などということはないだろうと思った。一年戦争のおり、多くのカリスマモビルスーツパイロットが生まれた。国内、国軍の戦意昂揚のためにジオン公国軍が流布させた武勇伝のうちのひとつである。シャア・アズナブルという男は編隊を組むことなく、たった一回の作戦で五隻の戦艦を撃沈させた。モビルスーツの連続稼働時間を考えればいささか眉唾の戦績ではあるが、言わば伝説化していることだけは確かだった。
「サラ、あまり無茶をするな。この件はバスクの失態にすぎんうえに、こちらはぎりぎりだ。このような出撃で、軍法会議にかけられても面白くはないからな」
“了解です”
と、サラ・ザビアロフ曹長の若草色の《メッサーラ》が三機の方に向かって驀進するのを見送り、自分は紅いモビルスーツに機首を向けた。
敵モビルアーマーの動きに、クワトロは逃げ切れるのではないかと直感した。
実際、モビルアーマーとモビルスーツでは真っ当な戦闘にはならない。モビルアーマーの射程距離の方が圧倒的に長いのだから、遠巻きにモビルスーツを追い込めばいいのだ。にもかかわらず、《リック・ディアス》のわきをかすめて後方に突き抜けたから、こちらにも運が向いてきていると思うのだ。このまま素直に見逃してもらえるとも思えないが、モビルアーマーを任される割にはずぶの素人なのか、その気がないということなのではないか。今、その気になられていたら、自機かカミーユの《ガンダムマーク2》は被弾していただろう。
「カミーユ君、逃げるしかないな。さしもの《ガンダム》といえど、君はアムロ・レイではないのだからな」
一年戦争の英雄パイロットの名前を出すことは現役のパイロットを侮辱することになるのかとも思ったが、対モビルアーマー戦の経験が無いであろうパイロットを納得させられる方法をクワトロは他に思いつかなかった。たとえモビルアーマーといえど、ひとりでなら余裕で逃げ切れる自信はあった。一対一という状況で、敵のメガ粒子砲を躱しきれる自信ならある。しかし、庇わなければいけないモビルスーツが他にいたら話は別だ。カミーユの力量が自分と同等以上であれば問題はないが、それを期待することは、キャリアを考えれば酷というものだ。
とにもかくにも《ガンダムマーク2》を持ち帰ることは、これからのエゥーゴの士気を考えても重要なことだった。ティターンズ工廠の新技術を入手できるかも知れないという期待いじょうに、エゥーゴを世に正式に認知させ、かつその力を示すには最高のパフォーマンスになるからである。
アムロ・レイの名前を持ち出されても、カミーユに特別な感慨はない。この状況下においては逃げ切ることの方が先決だということしか考えられなかった。大編隊を組んでいなければモビルアーマーからは逃げるものだと士官学校では教えられたし、実際に初めて相手にしてみて教官の言葉は正しかったのだとわかる。今の敵が発砲を躊躇しているのはここがグラナダ市内だからで、街の損壊や軍法をおそれているからに違いない。このまま、更に発砲しにくくなる港にまでいかに逃げ切るかということを考えるべきだ。クワトロ大尉の判断は至極真っ当だ。
「大尉、燃料はまだもちます。ティターンズの《ガンダム》だって、ヤワじゃないでしょう」
そう言った刹那、《ガンダムマーク2》は高度を落としはじめた。長大な跳躍はできても、飛翔するまではできないのが通常のモビルスーツだ。先日まで、カミーユがテストしていた《ゼータ》のようにはいかない。
まだ余力のある《リック・ディアス》のクワトロは、《ガンダムマーク2》の着地地点を見越してモビルアーマーを牽制する。跳躍を繰り返す場合、着地をしたときが尤も無防備になるからだ。もっとも、着地地点を予測させないように跳躍を繰り返すのがエキスパートというものである。
「カミーユ君は、とにかく港に急ぎたまえ。エゥーゴに興味があるのならば、初仕事だと思えよ」
クワトロはそう言いながら、転進して背後から猪突してきたモビルアーマーの腹側にしがみついた。
その加速からくる強烈な加重に気絶しそうになるも、どうにか振り落とされない体制にした。驚異的な操縦技術である。
大型のモビルアーマーではモビルスーツほどに低空を飛ぶことはできない。モビルスーツの方が足は遅いが、逃げ切れる可能性はそこにあるのだ。
モビルスーツの主武装であるビームライフルでは、巨大クレーターの中にある“月面都市の蓋”を傷つけることはほとんどない。しかし、街そのものに対してはそうはいかない。軍艦やモビルアーマークラスのメガ粒子砲となると“都市の蓋”を傷つける可能性が高いために、その使用にモビルスーツのそれ以上に制限が加えられている。カミーユの《ガンダムマーク2》はこの大型のモビルアーマーからは見おろすかたちになり、街への流れ弾を考えれば容易には攻撃はできないはずだ。追尾することはできても、足止めをすることまではできるものではない。
“大尉、一機でモビルアーマーを相手にするんですか”
「私とて、前線でジオン独立戦争を生き延びたパイロットだよ」
無線から聞こえてきたカミーユの声は、踵を返しそうな雰囲気だったのでぴしゃりと言い放った。戦闘経験の少ない若いパイロットには反感を買ってしまう言い回しかもしれないが、他に言葉を思いつかなかったのである。
無論、クワトロとてモビルアーマーに勝てるはずがないということくらいは解っている。しかし、兵器の性能差が勝敗を分ける決定的要素ではないというのはクワトロの哲学でもある。一機が二機になったところでどうにかなるという性能差でもないということでもあった。また、敵の目的が《ガンダムマーク2》にあるのならば、この状況でならクワトロは単純にひとりで戦闘をしているということにはならないのだ。
“紅いモビルスーツのパイロット、聞こえているな。奪ったモビルスーツをおとなしく返せ。投降までは強要しない。君たちがエゥーゴでも、不問にする”
戦闘機同士が接触することで開かれる接触回線から聞こえた声に些細な驚愕をした。こちらが新兵器を強奪するという蛮行に及んでいるというのに、実に紳士的な申し出である。とはいえ、感嘆しつつもクワトロはモビルアーマーの巨大なエンジンを半壊させることを考えた。追撃を避けるためならば破壊、撃墜のほうが正解だが、あいにく下にはグラナダの市街地が広がっている。そして、モビルアーマーのパイロットの紳士的な発言に対する負い目でもある。
「私はエゥーゴのクワトロ・バジーナ大尉だ。貴様は信用できても、上官があのバスク・オムではな!」
三十バンチ事件の主謀者など信用できるわけがない。バスク・オムの部下であればクワトロの言葉の意味は理解できるだろう。
“私は、パプテマス・シロッコ大尉だ。残念だな!”
モビルアーマーは錐揉み運動をはじめ、クワトロの《リック・ディアス》を振り落としにかかった。
倍以上の質量が生み出す旋回運動に、さしもの《リック・ディアス》も振り落とされた。
はじき飛ばされた《リック・ディアス》は舞い上がってしまい、モビルアーマーが市街地を背中にしてしまったので、今度はクワトロの方が攻撃できなくなってしまった。攻撃できなくなってしまったのは、はじき飛ばされたときの加重に目眩をおこしかけていたからだということもある。シートのショックアブゾーバが最新型のものでなかったら、気絶していたかも知れなかった。
「大型だとはいえ、パプテマスという男は何なのだ!」
クワトロは、モビルアーマーの挙動に舌を巻いた。モビルアーマーの方がパイロットにかかる負担は少ないものの、あの速度であのような操縦をするのは相当の技術や胆力、体力を必要とするはずだった。侮れないということだなと口の中で言うと、《リック・ディアス》をめがけて上昇してくるモビルアーマーへむけて急降下をした。ビームライフルを使える状況にするために、一秒でも早く敵の下側に回り込まなくてはならない。月面都市における戦闘で敵があれだけ大型ならば、再びしがみ付く方が技術を要することだとしても有利ではある。しかし、パプテマス・シロッコという男を相手にとりつくのはむしろ危険すぎると判断した。
モビルアーマーもとうとう背面に装備されたメガ粒子砲を使い始めたが、クワトロはそれを躱しながらモビルアーマーのわきをすり抜けようとする。
が、
モビルアーマーの右翼から巨大なマニピュレータが飛び出し、《リック・ディアス》の脹脛を捕らえた。
先ほどいじょうに脳味噌を掻き回すような衝撃の所為で胃液を少し戻してしまう。
“貴公を紅い彗星のようだとみとめてもやるが、相手が悪かったな”
再び接触回線が開き、シロッコの哄笑が聞こえた。
「紅い彗星とは、ずいぶん侮られたものだ」
クワトロはため息のような声しか発すことができなかったが、奮える掌で操縦桿を操り、ビームライフルで巨大なマニピュレータを攻撃する。破壊することはできなかったが、振り解くことには成功した。頭蓋の中で豆腐のように脳が揺れている常態だというのに、まだモビルスーツを操縦できるというクワトロもただ者ではない。
とはいえ、クワトロは遁走を考えはじめていた。戦闘に著しい制限を加えられる月面都市でモビルアーマーの相手をするのはやはり無理があったようだ。
シロッコは、鮮紅のモビルスーツに半ば恐怖していた。
秋霜烈日とばかりの追及でもまだ稼働しているモビルスーツなどこの地球圏にあるものだろうか。一年戦争の頃は木星圏にいたからまさに噂にしか知らないが、奴は本当に“紅い彗星”なのではないだろうか。今の旗色でこちらが負けることこそないだろうが、動きに制限が加えられた今の常態で撃墜できるとは思えなくなっていた。そして、その紅い彗星に護られている《ガンダムマーク2》を捕獲することなど夢想にすぎまい。
深呼吸をしてどうにか落ち着こうとしていると、前方から高出力のメガ粒子砲の火線がはしり、かろうじてシロッコはそれを躱した。深追いしすぎたようだ。
見ると、空母を二隻並べたような風体の、見たことのない軍艦が前方にあった。
「エゥーゴめ、あんなものまで造っていたのか」
この軍艦のこともだが、失笑されようとも報告書には紅い彗星の事を書かねばなるまい。たったひとりのパイロットで戦局が変わることなどはない。しかし、紅い彗星はシャア・アズナブルなのだ。本名はキャスバル・レム・ダイクンであり、ジオン・ズム・ダイクンの息子でニュータイプとも噂されていたという男である。その名前は、地球連邦政府だけでなくスペースノイドにこそ特別な意味があるのだ。
《ガンダムマーク2》を奪還できなかったことなどバスク・オム大佐の失態でしかない。これいじょうこだわって《メッサーラ》を傷つけられるのは御免こうむりたいとも思うから、シロッコはサラ・ザビアロフ曹長に撤退命令を発した。
反地球連邦組織にシャアがいるのは、できすぎた話なだけに気に入らないとひとりごちた。
*
グラナダ市ティターンズ本部で、パプテマス・シロッコ大尉とサラ・ザビアロフ曹長はノーマルスーツのまま華麗な敬礼をした。
目の前では、巨漢のティターンズ司令官バスク・オム大佐が苦虫をかみ潰したような顔をしていた。
とは言っても、バスクは丸いサングラスをかけており、表情を正確に読み取ることなどできはしないのだが、この男が顔を明らかにしていたとしても好きになれそうにはないと、シロッコもサラも思っていた。
「この件でエゥーゴの実在が判明したな。正式に宣戦布告もあった。その様な時に紅い彗星の名前を出せば、自分の失態をごまかせると思ったか?」
「今度の件が私の失敗だなどと、ご冗談はやめてください。《ガンダムマーク2》もエマ・シーン中尉も私の管理下ではありませんでしょう」
その飄々と追及を躱そうとするシロッコの態度がバスクには気に入らない。
「屁理屈を並べるな。《マーク2》の強奪そのものの責任は貴様にないとしても、ティターンズのメンバーとして奪還の責務はあったはずだ」
「大佐こそ開き直りが得意であらせられる。私はまだティターンズに配属されたばかりで、部下もこのサラ・ザビアロフ曹長しかおりません。自由にできる戦力も、自前で用意した《メッサーラ》しかなければ無理というものです。まして、十一メガワットものメガ粒子砲をサラ曹長のような下士官に扱わせるわけにはいきません」
事実そうだった。サラ曹長は今回の出撃でメガ粒子砲を一度も使用してはいない。《ガンダムマーク2》奪還作戦をシロッコに任されたこととて、半ばは嫌がらせのようなものだった。《ガンダムマーク2》がシロッコの管理下にあったわけでもない。今回の事件でも、バスクはシロッコ以外の部隊をモビルスーツで処理することもできたはずなのだ。それを、わざわざ月面都市では運用のむかないモビルアーマーという戦力しか持っていないシロッコを指名したのである。
バスクは、シロッコのことが単純に気に入らなかった。
ティターンズ入りしたのが半年前なのだが、今やティターンズをひとりで取り仕切っている自分への牽制のためにジャミトフ大将が抱え込んだというのは明白だった。
「もうよい。報告書は明日中に提出しておけよ。紅い彗星でもなんでも構わん」
シロッコの言うことはいちいち正論だった。口論をはじめてしまったら他の部下にいらぬ恥をさらすことになるとふんで、バスクは生意気な部下を下げさせた。皮肉のひとつも用意できてはいたが、それもどの様に上げ足をとられるのか解ったものではないとやめておいた。
「《メッサーラ》への補給はさせていただきます。早速の転属命令がでていますから」
シロッコとサラは、もう一度華麗な敬礼をして踵を反した。
バスクは、その背中に唾を吐きかけたい衝動を抑さえるのに必死だった。三日先にシロッコに転属の伝令があった。その内容をバスクは知らず、ジャミトフ・ハイマン大将から直接の命令だというのである。バスクとて穏やかでいられるはずがない。
『サイド7のグリプスを完成させれば、閣下は認めてくれる』
現在、グリプスという作戦をバスク主導ですすめている。サイド7にある二バンチコロニーであるグリーンノア2の基地化が目的で、宇宙においてティターンズがスペースノイドに睨みをきかす橋頭堡にするつもりだ。
先の大戦にもその後のジオン残党との数々の小競り合いのひとつにも、宇宙の果てにいて参加していないシロッコになどにバスクが親近感など持てるはずもなかった。旧ジオンのニュータイプ研究機関所属の研究員の息子だというのも気に入らなかった。ティターンズの根底にあるジオンへの敵愾心から考えれば、シロッコの入隊など矛盾でしかないと思える。互いに協力してティターンズを設立したジャミトフとてその気持ちは同じはずだ、というのが自分の甘えだとは思いたくはなかった。
*
「私、大佐は嫌いです」
《メッサーラ》のあるドックに向かう途中、サラはシロッコを呼び止めず口の中の余憤をもらした。
結っていた栗毛色のショートカットをほどきつつ、ため息をついた。
シロッコは振り返らずに、ティターンズ創立の功労者を侮るものではないとたしなめつつも、
「サラ曹長のそういう感じ方はすばらしいな。君のことを閣下が私に託した意味も解るというものだ」
シロッコの顔が見えないままだが、サラは微かに紅潮した。彼が、自分を認めてくれているというのは気持ちのいいことだ。
「大尉のために頑張りたいのです」
その決意を聞いたシロッコは、聞き流せないとばかりに立ち止まり、振り返った。サラの細い両肩に掌をおくとグリーンのまるい瞳を覗き込むようにしながら、
「嬉しいが、そういうのは命を縮めるな。家族のことを考えるべきだ」
これは、優しさではなく経験だと続けた。献身は身内にだけ向けられればよい。戦場での思いやりは自滅を招くと。
シロッコの淋しい瞳の光の理由を僅かに感じたサラは、無言で肯きつつ、身震いをしていた。
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機動戦士Zガンダムを小説としてまとめてみる。