第二章『イデア』
適当に散らかった女らしくない部屋。一人暮らしのイメージにピッタリな小型テレビ。1ヶ月は干していない皺だらけの布団。
そして、
「ねえ、コーラあるかな?」
その私の部屋に、あどけない少年。ショウがいる。
「・・・・・・。」
亜麻は無言で立ち上がると、冷蔵庫に行ってビールを2本取り出した。部屋に戻り、物欲しそうにしているショウに向け、そのうちの一本を投げる。
「ビール・・・・・・・。ねえ、仮にも僕、未成年だよ。」
こんな状況で、法律。正直笑いがこみ上げてくる。
今、亜麻は冷静を装っているが、あんな現象を目の当たりにした後だ。よもやこんな些細なことを口にするはずがなかろう。
ショウは蓋を開けると、喉を鳴らして黄色い炭酸を飲み始める。中学生が見栄を張ってビールを煽る。キツイ炭酸に顔を歪ませながら飲むあどけない姿は一般的に可愛いのだろうが、そこに焦点は無い。
すべては、創られている偽者であるのだから。
「・・・・・・っぷわーーーーっ!ビールなんて一日ぶりに飲んだ!」
「・・・・・・。」
とりあえず、亜麻もビールを喉に通す。
いつもと同じ。決しておいしくはない。ただアルコールに身をゆだねるだけ。それは亜麻がこの世界で生きていく唯一の手段といっても過言ではない。
「・・・・・・何も聞かないの?」
亜麻の態度を不信に思ったか、ショウが声をかけてきた。その問いに、亜麻はゆっくりと目を瞑る。
「ええ。」
どさっ。ベットに仰向けになり、再び天井を見る。そして、亜麻は口を開いた。
それが再びなのかは定かではないが。
「・・・・・・この世界は、堕落している。」
誰とも共感を得ようとしなかった。
誰もが知っていることだと思った。
それを、亜麻は初めて他人に打ち明けたのだ。
「自暴自棄と捉えてもいい?」
「ええ。」
また一口、アルコールを口にして続ける。
「それに理解しただけで、十分よ」
案外、その考えは的を射てるかもしれない。
「なら、僕が一方的に喋ってもいい?」
亜麻はその権利を剥奪する立場でもない。小さく頷くと、ショウは微笑みながら話を始めた。
「この世界。なんで在るのか考えたことはある?」
「・・・・・・。」
その質問に答えず、亜麻はふと携帯電話を開き日付を確認した。
[10月6日]
それは亜麻が初めてショウと出会った日と同じ日時だった。
「・・・・・・ビックバン。」
その反応に、ショウがクスりと笑った。
嘲笑。
それにはあえて何も反発しなかったが。が、しかし。その微笑んだ対象が亜麻ではなくショウ自身に向けられていることを、亜麻は知らない。
「面白いけど、不正解。答えは簡単さ。亜麻さんが言うこの堕落した世界は、ある人が用意したものなんだ。」
亜麻は次に来る言葉を、予測していたのかもしれない。
「この世界は、僕と亜麻さんのためだけに創られたんだよ。」
「・・・・・・。」
私に、それだけの価値があるのだろうか?
様々な疑問はある。
誰が世界を作ったのか?
その意図は果たしてなんなのか?
世界は幾つ創られたのか?
それらの質問よりも真っ先に浮かんだ、最も大事な疑問。
私に、どれだけの価値がある?
亜麻にとって、それが最大の疑問であった。
「・・・・・・なんで私なの?」
無気力な、それでいて透明な疑問をぶつける。
「運命さ。」
間を置かず、すぐに答えを出す。まるでそれは、決められた台本の台詞のように。
「・・・・・・。」
2,3秒呆けると、亜麻はビールを喉に流し込んだ。缶が亜麻の口から離れると同時に、大量の吐息を吐く。
「飲みすぎたらダメだよ。社会人だからって。」
「・・・・・・。」
クシャ。無言で缶を握り潰す。ボコボコにへこんだ空き缶は、もうただのゴミになった。「わかった。じゃあ次で最後にしよう。」
そう言い残し、ショウは立ち上がって部屋から去っていった。亜麻は握りつぶした缶を、ただボーっと眺めていた。
形のあるものは、すべて壊れる。
それは何にでも当てはまる。
人や生物は殆どが100年も生きれず、物は時間と共に原型を失い、いつかは機能しなくなる。地球だってそう。温暖化。オゾン層の破壊。目には見えないが、確実に地球は蝕まれている。
そうでなくても元々、惑星にも寿命というものはあるらしい。
「・・・・・・。」
完璧なる存在。永遠の美。それが存在するという場所を聞いたことがある。
イデア界。
全ての物質は朽ち果て、変化し、堕落する。完璧な正三角形を描いても、原子レベルで分析すればズレが生じる。それらのズレもなく、完璧で永遠の存在。その世界をイデア界と呼ぶと、亜麻は昔し本で読んだことがあった。
(・・・・・・確か、ソクラテスの弟子であるプラトンという哲学者が言ったわ。)
それも、皮肉なものであった。それは神という不透明な存在を信じるように、幻想的であると全ての人間は嘲笑う。それでもこうして現在まで伝えられた時点で、どこかに希望はあると信じていたのだろう。
それは亜麻と同じ。この腐敗した世界に失望した者の思考。だが、プラトンは何処かに堕落していない完璧な世界があると説いたのだ。元々、哲学という学問自体が考え方を広げるに過ぎない。その中で、何が本物であるか?それを大衆が選ぶのだ。
・・・・・・本当に皮肉なものだ。
そのイデア界は、まさしくここなのだから。
「はい。ビール持ってきたよ。昼間からあんまり飲みすぎたら駄目だよ。」
(なんでここにビールがある?)
ビールを買いにコンビニに行き、ショウと出会った。そして今がその日付なら、この家にビールは存在しないことになる。
当然、これは大きな矛盾である。
鳥は産まれてくるとき、卵が先か鳥が先か?という答えのない問題がある。しかし、この世界での答えは単純明解。
世界に同時に現れた。
さまざまな議論や例、法則をすべて吹き飛ばすこの現象。
完璧。
・・・・・・完璧である。
死という要素が存在せず、無いはずの物がある。嫌なことが無くなり、望んだことが起きる。まさにイデア界と呼ぶに相応しいぐらい完璧だった。
「―――反吐が出る。」
当然、そんな世界を望む人間など、いるわけがない。
普通は望むと思われがちだが、事実、そこには絶望しかない。日常生活には、上る・下るというプラスとマイナスの要素を行き来して理想を描く。
それがお金であったり、幸福感であったりとは人それぞれだが、その『変動』という要素があるからこそ人は野心を抱いたり、絶望したりと人が人でいられる。
しかし、ここではそれが許されない。
強制的に自分の『ご都合主義』に当てはめられるのだ。
「ああ。・・・・・・亜麻さんなら、そういうと思った。」
ならば、他の人間はそれを受け入れるのだろうか? 永遠に変化の無い、全知全能という監獄に叩き込まれることを。
「じゃあ、質問。この堕落した世界で亜麻さんは何がしたい?」
今まで亜麻が住んでいた世界は、堕落していた。だが、これは違う。
――――――墜ちることさえ許されない。
ショウから受け取った缶ビールを開けると、その魅惑的な液体をジッと見つめた。
そして、はっきりと今の自分が望むモノを要求する。
「死にたい。」
生きているかも分からないぐらい希薄は言葉は、亜麻が初めて心の底から願うことであった。
「・・・・・・うん。そうだよね。」
そして、二人はそれから無言でアルコールを貪った。
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堕ちることすら許されない
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