第一章『世界の仕組み』
その日は何もする気が起きず、すぐに就寝した。
夢は見なかった。
翌日。亜麻は目覚まし時計の音で朝を迎えた。
「・・・・・・。」
ボーーっと、天井を眺める。それは寝ぼけているからではない。元々、今日は眠った気がしなかった。
白く、染み一つない清潔な天井。白は、何色にも染められる色。
(・・・・・・なら、私は純白か。)
ただ、白の概念は大きく異なる。何色にも染められる白ではなく、何物にも染められない白。
それが幸田亜麻であった。
「・・・・・・ぅん。」
自分の疑問に一つ頷くと、亜麻は毛布から出てシャワーを浴びる。その流れで床に転がっているスーツを拾うと、それをそのまま着ける。皺(しわ)にはなっているが、匂いは臭くない。
亜麻は家を出たが、駅には向かわず近くの公園に足を運んだ。目に留まったベンチに腰掛けると、砂場で遊ぶ子供に目をやった。携帯電話は家に置いてきたので、会社から連絡が来ることはない。属に言う無断欠勤だが、そんなことどうでもよかった。
ならば、会社を犠牲にしてまで亜麻はここで何をやっているのか? それは亜麻にも判らなかった。
(・・・・・・。)
ただ、ここにいなければならない。誰が示しているのか、何を示しているのかは全く理解できない。だが、これは確かなる予感であった。
「やあ。」
そして、その予感はピンポイントで的中する――――――!
亜麻は、その呼びかけに応え、顔をあげた。
もしこれがただのナンパやセールスなら、亜麻は再びこの腐敗した世界を生きるだろう。当然、その可能性は、
「やっぱり来たね」
0である。
「ショウ君。」
小柄な体格に、親近感を抱かせる不思議な気配。何者にも読み取れない表情は、亜麻が見ても不信感しか抱かないものであった。
「隣、いい?」
「ええ。」
(・・・・・・。)
分からなかった。
会社を休み、自分の時間を犠牲にしてまでこの少年に会う意味。だが、理屈ではない。ここで、このタイミングでショウ君に会わなければいけない。
そう。会わなければいけないのだ。
当然、その意図は分からないが。
「そういえば、昨日の女の人、どうなったか知ってる?」
ショウは人が目の前で刺されたことを、亜麻の隣で世間話でもするように平然に口を開く。
「・・・・・・知らない。」
「だよね。僕も知らない。」
本当に興味を示さないよう、あっけらかんと言い払う。
これは共感を求めたいという合図なのだろうか? それとも、今から始める本題の前振り?
どちらにせよ、ショウの出方を伺うしかない。
「そう。僕も・・・・・・知らない。」
目を伏せて力なく呟くショウ。それは出会ってから初めて見たこの少年の人間らしい部分であった。
ただ、この言葉が何を指しているのか?それは推測できない。一つだけ分かるのは、昨日死んだ女性のことなど、蚊が潰れた程度にしか考えていないのだろう。
「・・・・・・。」
(なら、その思考は私と同じか・・・・・・。)
親近感を覚える理由の一つを、理解した気がした。
「ほら、ね。アナタは、知っているんだ」
「・・・・・・?」
「昨日の女性が亡くなったことを」
―――あ!
パニックなろうとした亜麻だったが、ショウは顔を上げると優しく亜麻の肩を抱いた。
突然の言動に謎の行動。亜麻は訝しげに見つめる。
「おめでとう。」
言葉の意味が、何もかもが分からない。
「鈍いんだね。」
その言葉と同時に、
「っ・・・・・・!」
亜麻は、
―――胸を刳り貫かれた。
それは、まるで昨日の被害者と同じ姿であった。
だが、亜麻はそれでも目の前の少年を見つめ続ける。それが何故かは判らない。もう分からないだらけだ。
しかし、そんな亜麻でも一つだけ分かることがあった。
私の死。それは、これから始まる『何か』の布石に過ぎない。
「・・・・・・っつぶ・・・・・・。」
口から黒い血を流すが、痛みは感じなかった。それに、痛みという要素に意味はない。
意味。
それは、亜麻の目の前にいる、この少年だけであろう。
やがて視界が霞み、意識を失う手前、ショウは自分の肩を抱きながら小声で呟く。
「あと、何度味わえばいんだろう・・・・・・!」
その小さな叫びは、
亜麻がこの世界で始めて聞く言葉であった。
手を伸ばした。
何かに掴まろうとしたのか、この世界に留まりたいのか?それは亜麻自身にも判らない。
ただの条件反射か、はたまた死に対する恐怖感か。
どういう理由があるにせよ、亜麻は手を伸ばしたのだ。
心臓を刳り貫かれ、これほどの液体が体内に流れていたのかと思わせるぐらいに血液が地面に流れ、それでも顔を伏せない亜麻の口元からは多大な紅いスープが十二分に迸る。
それでも亜麻は、手を伸ばし続けた。
そもそも堕落している心の底から嫌悪しているこの腐敗しきったこの世界。
そこで亜麻は何を望んでいるのだろうか?
いや、いたんだろうか。
だが、それでも亜麻は手を伸ばす。
それだけは間違ってないと、心の底でもう一人の自分が言っている。
ともあれ、これだけの出血。もはや生存できる可能性は皆無である。
ゆっくりと身体の力が抜けていき、瞼が下がる。
必死に、必死に手を伸ばすが、その想いは絶対に届かない。
そして、
亜麻は意識と、
命を失った―――――――――・・・・・・・・・・・・・・・!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
―――
――
・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
布団を抱きながら、亜麻はゆっくりと目を開ける。
場所は・・・・・・自室。柔らかい枕に頭を埋め、ふわふわの布団を抱きしめながら、ゆっくりと意識が覚醒していく。
「・・・・・・。」
目覚ましに、手が伸びる。いつもの習慣だ。
しかし、
「おはよう。」
その声に、亜麻は静止しざる終えない。
「・・・・・・。」
寝返りをうつように、亜麻はベットの上で反転する。
そこには、
「残念。」
私を刺したナイフを持ったショウが、椅子に座りながらこちらを眺めていた。
「気づいちゃったね。」
殺された私。死んだはずの亜麻。それが、こうやって何一つ変化の無い日常に存在している。
「この世界の仕組みに。」
(・・・・・・嗚呼。)
時間がかかった。
一体、どれくらいの時間、私は騙されていたのだろう。
この世界は、
堕落している――――――。
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