No.129332

真・恋姫†無双~三国統一☆ハーレム√演義~ #23-2 一刀の見る夢|初めての… ~夏~

四方多撲さん

第23話(2/4)を投稿です。
今回、作中で詠が少々汚い言葉遣いをしますが、是非脳内で彼女の「声」を再生してお読み下さい。
あら不思議、何故か萌えますww え、お前だけ? いや、そんなことはない! きっと同志は多い……よね?^^;
あと、『桃園結義の三公主』は子供設定の初期に考えたネタです。妊娠時期でさっくりバレてましたけどねw
続いて次に控えしは、TINAMIに育ってその名せえ。蜀END分岐アフター、二十三が『夏』!

2010-03-11 00:08:09 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:32305   閲覧ユーザー数:23140

『喝ァァァァァ!!』

「っと!」

 

背後からの孫十郎の一喝に、多少肩をびくりとさせつつも、一刀は転ぶことなく、バランスを崩しもしなかった。

既に何度か一喝されているが、全て耐え切っていた。

 

「ふぅむ……よし、いいだろう。合格だ」

「マジ!? ふぃ~~、ようやくかよ……」

『(と油断させて……) 喝ァァァァァ!!』

「どわっ!?」

 

驚きでやはり肩が思わず上がってしまった一刀だが、身体のバランス自体は崩さなかった。

 

「おおー、やるじゃねえの」

「あー吃驚した……。ガキか、アンタは……」

「馬鹿言え。『残心(攻撃後に隙を見せないこと)』は武術の基本だろが。合格直後の油断を突いただけだ。がっはっはっは!」

 

一刀の嫌味混じりの突っ込みに、まさしくガキっぽく笑ってみせる孫十郎である。

 

「さぁて、これで北郷流の“立ち方”は一応合格だ」

「一応なの?」

「当たりめえだ。修行に終わりなんてモンはねえ。そもそも“立ち方”は『正中線』に通じる基本だ。オメエも剣道やってたんなら、『正中線』くらい知ってんだろ?」

「まあそのくらいは」

 

『正中線』とは、左右対称な生物の前面・背面の中央を頭から縦にまっすぐ通る線のことだ。しかし、武術的にはそれに加えて『頭頂から垂直に真下に貫き、常に重力の方向である垂直線と一致する、体内の中心線』も指す。

つまり、『正中線』を身につけるということは、如何なる体勢においても中心線、即ちバランスを崩さない感覚を身につけるということだ。

 

「武術においては『正中線』は命とも言えるもんだ。死合いじゃあ体を崩した方が負けるんだからな」

「……基礎にして奥義って奴?」

「ちっと違うがそんなとこだ。自身の重心――『正中心』を得るのにも必要だしな。まァこっちは気にすんな。追々、身体が勝手に覚えるもんだ」

「オス。肝に銘じときます」

「んじゃ、次いくか。次は“歩き方”だ」

「今度は歩くのか……まあ順当っちゃ順当か」

「完璧な運足(うんそく。足運びのこと)を身につけるには、重要なんだよ。いいか、耳の穴かっぽじってよぉく聞きやがれ」

「オッス」

 

孫十郎は右手でピースサインを作る。

 

「基本は二つだ。ひとつは『足の裏を水平に保ったままで上げ下げすること』。もうひとつは『足で地面を蹴るのではなく、重心移動によって前に進むこと』だ」

「ひとつ目は分かったけど……。二つ目がよく分からないな……?」

「まァ、ひとっつずつやってこうや。ひとつ目は分かったんだろ? こいつぁ、かの剣豪・宮本武蔵も言ってることに通じてんだぜ?」

「マジっすか」

「おーおー、大マジよ。曰く『足運びは、つま先を少し浮かせて踵を強く踏むべし』ってな」

「へぇ~……確かに剣道とは真逆だな。踵か……それで足の裏を水平に、なのか」

「そういうこった。おら、とにかく実践よ」

「うっす。水平、水平……」

 

半ば恐る恐ると言った感じで一刀が歩いてみせる。が、一刀が履いている天狗下駄は歯が一本しかなく、しかも二倍以上も高いという不安定な代物。すぐにバランスを崩して転んでしまった。

 

「……よく考えたら、立つ練習しかしてないんだ。いきなり足の動きまで意識して歩ける訳ないじゃん……」

「がっはっはっは! 頭を働かさねえ奴は戦場じゃあ生き残れねえのさ!」

「このジジイ……」

 

気を取り直して、まずは普通に歩いてみる。

 

「うん、立ち方が分かってるから、運足を意識しなければ歩くのは出来るな」

「歩き方は全然なっちゃねえけどな」

「それはこれからだろ。とにかく慣れだよ、慣れ」

 

一刀は道場内から出て、庭をぐるぐると歩く。

 

「よし、んじゃやってみる」

「おう」

 

(水平に上げて、水平に下ろす……)

 

「へっぴり腰になってんぞ! “立ち方”と『正中線』を忘れんな!」

「オス!」

「踵を意識しろ。足の裏全体で地面を捉えるイメージだ。それが出来りゃ、天狗下駄でもバランスを崩すことはなくなる」

 

(足の裏全体……成る程、摺足(すりあし)のイメージか。それで足を上下させる……)

 

「ほっ、大体そんな感じだ。意外にイケるじゃねえか」

「なんとかね。摺足なら剣道でもやってたからな」

「おっし。じゃあその運足で裏山を降りて水汲んで来い」

「はい!?」

「最初の内は俺も一緒に行ってチェックしてやらぁ。おら、さっさと行くぞ。木桶やらの場所は知ってんだろ?」

「うぃーす……」

「しゃきっとしねえか! これも立派な修行だ! 左右で木桶一本ずつな!」

「オス!」

 

と、張り切って歩き出したは良いものの。

今度は水平な地面ではなく、裏山の坂道である。しかも裏山は整備されている訳でもなく、半ば獣道のようなものだ。

またもや幾度と無く転ぶ。下手をすれば転がり落ちる。

 

延々と転んでは立ち、歩き出すという「歩」・「転」・「立」の三拍子を続ける。

その間にも、孫十郎から厳しい指導が入る。

 

 

 

山の三合目辺りまで下り、湧き水の源泉がある水汲み場までようやっと到着した二人。

 

「ふーむ、三時間ちょっと、ってトコか。いやいや、見事なこけっぷり。たっぷり笑わせて貰ったぜ♪」

「ぜぇぜぇ……うるせー!」

 

“歩き方”の訓練を開始したのが昼過ぎ。そろそろ日が暮れ始めている。

 

(しっかし、立って歩くだけなのに、散々怪我してるなー……)

 

今回は両手に木桶を持っている為に受身を取れず、一刀は膝だけでなく肘やら肩やら体中が擦り傷・打ち身だらけだった。

只でさえ“歩き方”に気を取られている為に、余計に転び易くなってしまっているとも言えた。

 

(……空桶持って下って来ただけでコレか。水を汲んで、今度は山を上る訳で……いや待てよ?)

 

「なあ爺ちゃん。上りで転んで水を零したら……やり直しって言うか、汲み直しってこと?」

「当たりめぇだろうが。空桶を運んだだけじゃ意味ねーっつの。生活用水を運ぶのが目的なんだからよ」

「おい待てこら! 目的は俺の“歩き方”の稽古だろ!?」

「ついでだよ、ついで。固えこと抜かすな」

「このジジイめ……!」

 

(くそっ、とやかく言ってても始まらない! いっちょやってみるか!)

 

 

しかし、転んでは水を汲み直しに戻り、を何度も何度も繰り返し。

結局日が暮れるまでに上りきることは出来なかった。

 

「これ以上暗くなっちゃ、足の運びが見えねえや。ここまでだな」

「おーっす……」

 

満身創痍、心も折れかけの一刀だったが、まだこれからネットでの調査・勉強も控えている。

 

(あ゛~……もう限界……。婆ちゃんの晩飯で気力を取り戻さなくちゃ……)

 

そんなことを考えつつ、一刀は孫十郎と共に山道を上って行った。

 

六月初旬。

国内はとある一件の話題で持ちきりであった。

 

『桃園の誓い』の義姉妹である桃香、愛紗、鈴々の三人が、全く同じ日に出産したのである。

 

かつて彼女達が桃園で『同年同月同日に生まれることを得ずとも、願わくは同年同月同日に死せん事を』と誓い合ったことは、国内では歌曲や戯曲となって有名であった。その為、その子らが同年同月同日に生まれたことは、懐妊時を更に上回る勢いで国内外へと話し伝えられたのだ。

 

かくして、劉禅(ぜん)・関平(ぺい)・張苞(ほう)と名付けられた三姉妹は『桃園結義の三公主』と謳われ、持て囃されたのだった(“公主”とは皇帝の娘、即ち皇女の意)。

 

 

「はぅ~……子供を産むのって、本当に大変なんだねぇ……」

「……全く同意です……」

「二人とも情けないのだ。鈴々はよゆーだったもんねー!」

 

桃香、愛紗、鈴々の三人は大きな寝台に仲良く寝そべっている。勿論、その腕に我が子を抱いて。

 

「ああ、もう。落ち着けよ、鈴々」

「大変だったでしょう? 今はゆっくり休んで」

「三人とも、本当にお疲れ様。無事で、良かった……」

 

大仕事を果たした三人を見舞うのは一刀、翠、蓮華。

 

この時代の出産は文字通りの命懸けだ。一刀の現代知識の浸透もあって、清潔性など向上した部分もあるが、やはり母体・胎児共に掛かる負担は現代とは比べ物にならない。

ただ心配するしかないという状況は、一刀の性質からして非常な苦痛であった。

 

「……やっぱ大変そうだよな~……」

 

自身の腹部を撫でながら、翠が零す。

彼女も先月に懐妊が認められ、既に将軍職を休職中だ。

 

「へっへ~んだ! 翠なんかぴぃぴぃ泣くに決まってるのだ!」

「うっ、怖くなるから止めろよ~……って、待てよ? つまり、鈴々も泣きたいくらいだったと(にやり)」

「はう!?」

 

翠の逆襲に図星を突かれた鈴々であるが、そんな彼女の頭を蓮華が撫でた。

 

「でも頑張ったのだもの。偉いわ、鈴々」

「にゃはは~♪ 赤ちゃんはお兄ちゃんから貰った大事なモノだから、頑張れたのだ!」

「そう、そうよね。私もそう思うわ……本当に鈴々は物事の本質を理解しているのね」

「???」

「蓮華、鈴々にそのような小難しい言い方をしても伝わらんぞ?」

「ふふっ、そうみたいね」

「むー、そんなことないのだ!」

「そうなのか? 明らかに分かってない顔だったけど」

「お兄ちゃんまで鈴々を馬鹿にするのかー!? ええっと、蓮華お姉ちゃんが言いたいのは、つまり……」

 

鈴々はビシッと蓮華を指差し。

 

「お兄ちゃんに赤ちゃんを貰えたのが、泣いちゃうくらい嬉しかったから、痛くても頑張れるってことなのだ!」

「ええっ!? ど、どうしてそのことを知っているの!?////」

 

蓮華は先々月、四月に懐妊したことが分かり、そのことを華佗から伝えられた際、喜びの余り泣いてしまったのだ。

このことを知るのは、その場にいた華佗、一刀、思春の三人だけの筈だった。

 

「あー……ごめん。口止めされてた訳じゃなかったから、何人かに言っちゃった」

「か、一刀ぉ~~~! もう、馬鹿っ! 馬鹿ぁっ!////」

 

一刀の胸を両拳で叩く蓮華だが、可愛らしいだけでちっとも怖くない。

 

「あはは……ごめんな、蓮華」

「蓮華ちゃん、可愛い~♪」

 

故に一刀も苦笑気味に謝るに留まったし、桃香は微笑ましく見ていた。

のだが。

 

「ご主人様。何をへらへらとお笑いになっているのですか?#」

「そうだそうだ。鼻の下伸びてんぞ、このエロ魔神!#」

「……ス、スイマセン……」

「っ!////」

 

愛紗と翠には少々心穏やかでいられない情景であったようだ。

二人のプレッシャーに、途端に一刀は顔を青ざめさせ、蓮華は更に恥ずかしげにさっと一刀から離れた。

 

「もー、愛紗ちゃんも翠ちゃんもそんなヤキモチ焼かなくても……」

「お姉ちゃんの言う通りなのだ。嫉妬は醜いのだ、愛紗、翠」

「と、桃香様に鈴々までっ! 別にそう言う訳では……」

「そそそそうだよっ! ヤキモチだなんて……」

 

桃香と鈴々のツッコミにすぐにうろたえてしまう二人。

そんな様子を見て、蓮華も冷静さを取り戻したようだった。

 

「はぁ……。私も傍から見たら、こんな感じなのかしら……?」

「うーん。お兄ちゃんを挟んで小蓮と口喧嘩してるときは、蓮華お姉ちゃんもこんなもんなのだ」

「……やっぱりそうなのね……。うぅ、恥ずかしい……」

「気にしないでいいと思うよ、蓮華ちゃん。姉妹仲が良いのって、とってもステキだと思うな♪」

「……そうね。ありがとう、桃香。私達の子らは……全員が“兄弟姉妹”になるのよね。どんな関係になるのかしら? ふふふっ」

「あははっ、楽しみだね♪ でも、まずは元気に育てなくちゃ。これから大変だもん。母親として、気合を入れ直さないと!」

 

胸の前で両手を握り、宣言通り気合を入れるポーズの桃香に、愛紗が笑いを零した。

 

「くすっ……そう、そうでした。月ですらあれだけ苦労しているのです。とても鈴々にまともに母親が務まるとは思えませんね。まったく、今から心配になってしまいます」

「にゃにおー!」

「愛紗も変なところで反撃しないの。大丈夫さ、此処には助けてくれる『仲間』がたくさんいるんだから」

「うんうん、お兄ちゃんの言う通りなのだ!」

「そこで人に任せ切りにするなどということのないかが心配なのだ!」

「愛紗ちゃんったら心配し過ぎだよ。この子たちは……『平和の申し子』で、私達とご主人様との“絆”そのものなんだもん。何があったって、守って見せるよ。ね、鈴々ちゃん」

「応! なのだ~。へへへ~」

 

鈴々が愛娘を見て相好を崩す。

その笑顔に、その場の誰もがまた微笑んだ。

 

「……ふふっ、確かに。鈴々がそんな顔を見せる程ですからね。どうやら私の心配し過ぎだったようです」

「にゃにゃっ!?////」

「そうだよな。あたしたちの子供は、みんな『平和の申し子』なんだよな……」

 

翠がどこか遠い目をする。その目が見るのは、遠き故郷の風景か。

 

「そう、だな……」

 

それを察して、一刀が翠の頭を引き寄せた。

 

「うわっ、な、何するんだよ!? 恥ずかしいって、ご主人様!////」

「出産は、俺に出来ることが何もなくて歯痒いけど……頑張って」

「あ……。ああ、勿論。……あたし、最近さ」

「うん」

「あたしの子と、華琳の子がさ。仲良くじゃれあう夢を見ることがあって……。それって、凄い幸せな光景だよな」

「……ああ、そりゃあ最高の未来図だな」

「うん、そうだね! その為にも、翠ちゃんも頑張って!」

「ああ。ありがとう、桃香様」

 

礼を言って翠は笑顔を見せる。

その姿に一刀は改めて彼女の強さを見た気がした。同時に、彼女に相応しくあろうと決意したいつかの日を思い出していた。

 

「――それを実現する為にも。俺もしっかり仕事に取り組まなきゃな」

「ご、ご主人様は十分、仕事をこなしてると思うぜ?」

「そうね。私もそう思うけれど……」

「まだまだ。やらなきゃならないことは幾らでもあるさ」

「あ……私もすぐに大将軍に復帰しますから」

「慌てちゃ駄目よ、愛紗。最低でも一ヶ月、まだ休養しなくては」

「そうそう。今の三人は休むのが仕事だろ?」

 

仕事と聞いて、責任感の“ムシ”が騒いだか。愛紗が復帰を宣言するも、すぐさま蓮華と翠に諌められた。

 

「二人の言う通りだよ、愛紗。これは命令してでも守ってもらうからなー?」

「は、はい……。でも、早くご主人様のお力になりたくて……」

「気持ちはありがたく戴くよ。だから、今は自分の身体と、この子らのことだけ考えていて。なぁに、俺には頼りになる『仲間』がいるんだ。心配無用!」

「……そうでした。今暫くは休ませて戴きます」

「もうちょっとで私達も復帰するから。それまで頑張ってね、ご主人様♪」

「お兄ちゃん、頑張るのだ~!」

「おうよ!」

 

「だぁ~~! 上りきったぁ~~~~!!」

 

一刀が肩で息をしながら、水が汲まれた木桶を地面に置く。

 

「ようやく一巡出来るようになったか。つっても正しい歩き方でなきゃあ意味ねえかんな。ほれ、ちょいと歩いて見せろ」

「はぁ、はぁ、はぁ……オス」

 

脚の上下には常に水平を意識し、歩いてみせる。

 

「……思ったよりは出来てやがんな」

「摺足は剣道でも習うからね……応用すれば何とか」

 

摺足も足の裏を水平に保って上下させる歩法のひとつだ。

足の裏を水平に保って上下させると、脚の筋肉だけでなく、腰周辺から全体の筋肉を使うことになる。それにより安定した姿勢を保てるようになるのだ。

 

「まァいいだろう。次の基本に行くぜ?」

「おう! ……と言いたいとこだけど、以前の説明だと正直よく分からなかったんだよね」

「仕方ねえな。もう一遍説明してやらぁ。いいか? 『足で地面を蹴るのではなく、重心によって前に進むこと』だ」

「地面を蹴らないで、どうやって進むの?」

「一刀、オメエ空手の経験は?」

「ない」

「ちっ、使えねえな」

「どんな基準だよ!?」

「うっせえ、細けえこと言うな。いいか、重心によって進むってのはな。空手で言う『追い突き』の理屈だ。つまり、右手の拳と右足を同時に前に出す奴だな。まァ近年の空手だと軸足の拇指球で地面蹴るから、話が違っちまうんだが」

「あ~、聞いたことあるぞ。同じ方向の手足を出す歩き方か。確か……『ナンバ歩き』とか言うんだっけ?」

「おーおー、正にそれよ。よく知ってんな。だが、重要なのは“同じ方向の手足を出す”ことじゃねえ。身体や腰を捻らず、肩と腰から重心を先に送り、それに脚がくっ付いていくイメージだ。軸足は体重を支えるだけで、地面を蹴らねえってとこがミソだ」

 

物凄く極端に言えば、前へ前へ転びそうになりながら、脚を前に出す歩き方、ということになる。

 

「……肩と腰を先に出して……身体を捻らないで……軸足で蹴らない……。難しいなぁ」

「最初は手を先に出していけ。慣れてきたら肩から。ある程度修めりゃ僅かな動作で重心を前に出せるようになる」

「まずは本当に『ナンバ歩き』しろってことか。よし……」

 

なんだか、緊張した時の朱里や雛里を思い出してしまった一刀であったが、ともかく実践してみる。

しかし、変に意識しているせいか、肩に力が入ってしまっていた。

 

「もちっと力抜け。歩くのに肩に力籠める奴ぁいねえだろうが」

「うーむ。こんな感じか?」

「バァカ! 『正中線』が崩れてんぞ!」

「おっと、基本が乱れちゃ意味ないな……」

 

試行錯誤が続いたが、一時間程続けると、ようやく形にはなった。

 

「こりゃ、相当慣れが必要だなぁ……」

「その為の修行だろうが。いいか。脚の水平上下と、重心による前進。これを念頭に入れて……水を汲んで来い」

「また!?」

「まずはゆっくりでいい。正しい歩法を身につけろ。一日のノルマは……」

 

と、孫十郎は母屋の隣においてあった、孫十郎が直立したまま入ると頭だけ出る程の大きさの大瓶(おおがめ)を指差す(因みに、底の方に蛇口が取り付けられており、そこから水を汲むのだろう)。

 

「こいつが一杯になるまでだ」

「…………」

「あぁ? 返事はどうした」

「……オッス!」

 

半ばやけっぱちに返すしかない一刀であった。

 

六月中旬、ある日の夕方。

一刀は後宮の庭園の一角で自己鍛錬中だった。

今日は凪が指導役の筈だったのだが、一向に姿を現さない為、一刀は先に『錬功』を始めることにしたのだ。

 

(体内を“龍”が巡るイメージ……!)

 

この頃において、一刀の『錬功』の成果はというと……相変わらずであった。

 

(その“龍”を掌に集中……!)

 

最早その『氣』の強さ、『内息』の強大さは古強者である祭すらも大幅に上回る。しかし、体内を巡らせることは出来ても、外に出すことはおろか、体内で集中させることさえ出来ない。

とは言え、『内功』によって強化された肉体の強靭さ(打たれ強さ、耐久力、持久力など)は三国志の武将らをして感嘆せしむるものとなっていた。

 

暫く意識を集中していた一刀だが、やはり成果は出ず。

 

「……ぷはぁ~……駄目だぁ~。今のままでも、それなりに恩恵はあるけどなぁ……」

 

実際、集中させることこそ出来ないが、『内息』を強めるだけである程度の怪我や体内の不調を取り除くことが可能になっていた。

集中もさせずこれだけの効果が現れるということからも、一刀の『氣』の量が常識外のレベルであることの証明と言える。

また、この半年の『錬功』の成果で、身体を動かしながらでも『氣』を発することが可能になりつつあった。

 

(怪我はすぐに治せるし、ある程度は毒を盛られても平気らしいし、色々ありがたくはあるんだけど……やっぱり元・現代っ子としては“波●拳”とか“か●は●波”とか撃ってみたいよな~)

 

毒が平気になったといっても、薬物の致死量が常人より多いというだけ。怪我の治癒は確かに便利だが、防御力が高まっている訳ではないし、欠損部位が再生するわけではない為、四肢を切り落とされたり、目を潰されたりすればどうしようもない。

切り口が綺麗ならば斬り落とされた四肢を固定することで接合出来るかもしれないが、わざわざ試そうとは思うまい。

結局のところ、中途半端な能力であることに変わりないのだった。

 

一刀は一旦休憩とばかりに、地面に大の字に寝転がった。

 

(はぁ~、何がいけないんだろうなぁ。……それにしても凪の奴、遅いな……!?)

 

そのとき、確かに一刀の耳は生物の呼気を捉えた。

 

(誰かいるのか? サボりの禁兵……いや、最悪“刺客”ってことも有り得るな。俺程度に気配を察することが出来たのなら、大した使い手じゃない。となると相手を確認した上で逃げの一手かな……)

 

今の一刀ならば、ただ走るだけなら発氣も同時に出来る。障害物がなければ、全力疾走を1キロ続けることすら可能だった。

 

(さぁて、自然さを装わないとな……)

 

一刀は『錬功』を再開する振りをして、立ち上がる。

そして、気配のした方向。草むらをこっそりと覗き込む。そこにいたのは――

 

「……くぅ……すぅ……」

「…………凪?」

 

まるで恋のように、身体を丸めて草むらで眠る凪だった。

 

「おーい、凪?」

「……むにゃ?」

 

(おおっ、寝ぼけ眼の凪というのも、中々レアで可愛いぞ♪)

 

「――はっ!? た、隊長! こ、これは、ですね……」

「ははっ、まあまあ。いいじゃないか。俺より先に来てたんだな。待ってるうちに寝ちゃってたのか。気付かなかったよ」

「ううぅ……やはりばつが悪いと申しますか……い、いつの間にか寝てしまったようで……」

「屋外で昼寝ってのは確かに余り凪っぽくはないけど……」

「はぁ……どうにも最近、眠くて仕方ないんです。夜は夜でしっかり寝ているのですが」

「ふ~ん……あー、なんか聞いたことあるな。確か『無呼吸症候群』だったか?」

「無呼吸、ですか?」

「うん。寝ているとき、ちゃんと呼吸が出来てなくて、睡眠不足の状態が続いちゃう病気だったかな? でも、これって凄いいびきが症状として出るって聞いた気がするんだよなぁ。凪は寝てるとき静かだし……違うのかなぁ」

「うっ……////」

 

寝ている自分を知られているということ、それが“どんな夜だったか”を考えたか、凪が顔を赤らめた。

 

「どうあれ、仕事に差し障りがある程に眠いなら、なにかしら原因があると思うんだ。一回、ちゃんと華佗に診てもらった方がいいね」

「やはりそうでしょうか……人手不足の今、警備隊の筆頭組長としては休むのも、と……」

「それで本格的に体調崩したり、仕事が疎かになったら本末転倒でしょ。思い立ったが吉日、今から診療所行こうぜ?」

「い、今からですか!?」

「そうそう。こういうのは後回しにすると、どんどん面倒になっちゃうからね」

「は、はい……」

 

 

 

ということで華佗の診察を受けた結果。

 

「……ふむ。これは御子を身籠ってるな」

「「は!?」」

「懐妊おめでとう、楽進」

「「ええーーーーっ!?」」

「あうあう。た、た、隊長……」

「意外な結果だったんで驚いちゃったけど……あはははっ! やった! ありがとう、凪!」

「あ……はい! 私も……私も、嬉しいです……!」

 

言葉にしてようやっと実感が出たか、凪は涙を零し。一刀はそんな凪を優しく抱き締めたのだった。

 

余談であるが。

旧・曹魏三羽烏で一人先んじて懐妊することとなった凪は、沙和と真桜が懐妊するまでのかなりの間、延々弄られ、からかわれることになったのだった。

 

これで何度目の夢だろう。今日もまた一刀は夢の中で延々と水を汲む。

朝、虐めかというほどの孫十郎による強制柔軟に始まり、“立ち方”のチェックを経て、その後一日の殆ど全てを“歩き方”の修行に費やしている。

 

(水平、水平。重心から前に。身体を捻らない……)

 

一刀は幼少より武道を習った経験者である。だからこそ、基礎というものは、慌てて習得しようとしても何の意味も無く、正しい反復練習のみが技術を身につける最短の道であることを熟知していた。故に彼は愚直なまでに、師たる祖父の言ったことを内心で繰り返し、一歩ずつ歩を進めていく。

バランスを崩したり、動作がおかしければ孫十郎から容赦ない指導が入る。

 

最初は一日で一往復がやっとだった一刀だが。

 

「よっしゃぁぁぁぁぁ! これで満杯だ!!」

 

幾度となく繰り返し、とうとう陽が暮れる前に大瓶を満杯にすることに成功したのだった。

 

 

「ほっほぉ~、なかなか習熟が早いな。勉強はてんで駄目な癖に、運動に限って地道な反復は苦にならねえ性分は変わらねえようだな。がっはっはっは!」

「ぜぃぜぃぜぃ……ほっとけ!」

「さあ、こっからが“技”の練習だぜ!」

「……マジで!? ようやく剣を握れるのかよ~……」

 

孫十郎が放った木刀を受け取る一刀。

 

「まずは手本だ。いいか、今オメエが練習してる運足は、北郷流『伏虎』って歩法だ」

「『伏虎』……」

「ま、名前はともかく。極めるとこんなことも出来るようになる――」

「え? うわっ!?」

 

確かにさっきまで数メートル離れていたはずの孫十郎は、一刀が気付かぬうちに目の前まで迫っていた。

そして。

 

「ほれ――」

「!?」

 

一刀の目の前を掠めるように木刀を振ったかと思うと……その姿は一刀の視界から消え失せる。

 

(嘘ぉ!? これって明命が見せてくれたのと同じ!?)

 

左右を見ても、背後を見ても。祖父の姿は見当たらない。

 

「……てなもんよ」

 

声が掛かったのは、一度は確認した筈の背後から。

 

「はぁー……爺ちゃん、ホントに達人だったんだな……」

「あのな、今更かよ。どうだ、今のが歩法『伏虎』を基本にした、ちょっとした奥義だ」

「奥義がちょっとしてどうすんだよ」

「うるせえなぁ。ともかく『伏虎』ってのは、足の水平上下を基本として、地面を蹴らないことで動きを読み難くする歩法だ。相手からすりゃ、気が付くと間合いを詰められているって寸法よ。示現流より受け継いだ『二の太刀要らず』の袈裟切りとも相性抜群だぜ!」

 

にかりと豪快な笑みを浮かべる孫十郎。

示現流の先手袈裟切り――所謂『雲耀(うんよう)』の一撃――は、たとえ受け止められたとしても勢いで以ってそのまま押し込み、相手の首を斬ったという。正に剛剣中の剛剣である。

しかし北郷流の宗家・孫十郎は、相手を力で捻じ伏せるだけの身体能力に恵まれなかった。故に“防御出来ない”一撃を目指したのだろう。

 

「……北郷流は“身体能力に劣ることを前提とした技術”、って奴か」

「そういうこった」

「……うん! これこそ、俺が身に付けたい技術だ!」

 

一刀からすれば、どれ程近代トレーニングを積んだところで、“現実”での『三国志』の武将達のような身体能力は手に入らないだろう。逆に言えば、身体能力そのものを向上させる訳ではないこの技術は、その差を埋めることが可能であるかも知れないのだ。

 

「がっはっはっは! なら、水汲みの修行は毎日怠らねえこった。さて、技の修行だが……」

「おう!」

「一刀。剣術に流派は数あれど、相手を殺す為の攻撃の『型』ってのは、結局のところ大雑把には九つしかねえ。分かるか?」

「……何か、どっかの漫画で読んだような台詞だな……」

「あぁ?」

「何でもない。えっと……要は八方と突きだろ? 上下左右とその斜め方向の斬撃と、刺突」

「そうだ。切り落ろし・切り上げ・右薙ぎ・左薙ぎ・袈裟切り・逆袈裟・右切り上げ・左切り上げ・刺突の九つ。余程に特殊な変則技……“裏技”でもない限り、武器を用いた武術においては攻撃の勁法はこの九つしかねえ」

「“けいほう”って何?」

「『勁』くらい知らねえのか? 要は身体の動かし方だよ。剣を振るうのに、腕だけでやる馬鹿はいねえだろう」

「ああ、『勁』ね。てかそれって中国拳法の言葉じゃん……。つまり、足運びから膝、腰、肩、腕の動かし方ってことでいい?」

「そこは知ってんのか。まあ大体そんなモンだ。とにかく……まずはこの九つの攻撃の型を身体に覚えこませる」

「……まさかとは思うけど、その九つの攻撃を同時にしろとか言わないよね?」

 

学生だった頃に読んだ漫画にそんな必殺技があった気がして思わず聞いた一刀に、孫十郎は呆れたように言葉を返した。

 

「アホか。ンなことが出来んなら、最初っから余計な運足なんぞ要らんだろうが。そもそも『北郷流』は……」

「……基本性能に劣ることを前提にした流派、だったね」

「そうだ。分かってんなら余計な茶々入れんじゃねえっての」

 

孫十郎は改めて説明を始めた。

 

「型を覚える理由はひとつだ。相手の動きを見切るには、自身もその動きが出来ねえとならねえ。理解の出来ねえ動きは“読み”様がねえからな」

「読み?」

「『伏虎』は相手に此方の動きを見切らせない為の運足だ。だが、それだけじゃあ相手には近付けねえ。相手の動きを読む必要がある。常に相手の“虚”を取り、“意識の外”へと動くことで、相手に気取られること無く接近するのよ」

「……最初に見せてくれた奥義って奴がそれか」

「よしよし、覚えてたな。あれが『伏虎』の極みだ。そこへ至る為の下地を作るのが、この修行だ」

 

孫十郎は手にした木刀で、道場内の地面に突き立てられている細い丸太のようなもの――示現流では立木と呼ばれる――を指した。

 

「天狗下駄を脱いで素足になれ。『伏虎』で間合いを詰めて、立木を袈裟に叩っ斬る。したら『伏虎』で最初の位置まで戻る。コレを九つの型の順繰りで延々繰り返す」

「……何かガキの頃の修行を思い出すなー……」

 

北郷流は示現流の流れも汲んでいるため、その訓練法のひとつである『立木打ち』と呼ばれる修行法も一刀には経験があった。立木に向かって『猿叫(えんきょう)』と呼ばれる独特の掛け声(気合)と共に左右激しく斬撃するという、“まるで気が狂った輩の剣術だ”と評されたことさえある程の荒行である。

 

「がっはっはっは! 懐かしいだろう? おら、気を失うまで続けろ!」

「終わりは気絶かよ!?」

「『伏虎』の所作がおかしい時は、容赦なくオレが打ち込むからなー」

「チェックがきつくない!?」

「文句の多い野郎だ。さっさと始めろい!!」

「……オーッス」

 

 

「摺足がなってねえ! 水平だっつってんだろ!」 ゴスッ!

 

「筋肉じゃなく重心で移動しろ!」 ボカッ!

 

「『正中線』はどうした!」 ベシッ!

 

「斬撃に力が入ってねえ!」 ゴン!

 

「力任せに叩けとは言ってねえ! 全身の『勁』を集中しろ!」 バシーン!

 

「斬り方はガキの頃に教えただろうが!」 ゴリッ!

 

「重心移動で斬るんだよ!」 ガン!

 

ばったり。一刀は気絶した。

 

 

……

 

…………

 

 

ざばぁっ。

 

「ぶはっ!? げほっ、げほっ……」

「ったく、本当に気絶すんじゃねーっつの」

「あ゛~……いてて」

 

どうやら祖父が気絶した自分にバケツに汲んだ水を浴びせて起こしたらしい。

そのことに気付いた一刀は、違和感を覚えた。

 

(意識を失ったのに、“現実”で目を覚まさない……!?)

 

「何を呆けてやがる。おらおら、続きだ、続き!」

「だぁぁ! 分かってるから、木刀を振り回すなよ!? それでまた気絶したら本末転倒だろ!?」

「このオレがそんな凡ミスするかっての。おらぁ、始めろ!」

「くそ~、たった今気絶してたっつーの! ……オス!」

 

(夢を見始めてもう半年……もしかしたら夢のルールが変わったのかも知れないな……)

 

いくら考えても今すぐ確認することなど出来はしない。一先ず一刀は意識を稽古に集中することにした。

 

 

その日の修行を終え、いつも通りにネットでの勉強ののちに就寝した一刀は、“現代の夢”から覚めることなく、次の朝を迎えたのだった。

 

六月も下旬に入ったとある夜――というか明け方。

今日も今日とて七人もの女性の相手を務め上げた一刀(妊娠中の正室は基本的には夜伽に参加しないこととした為、その分人数が減っている)。

普段と多少違ったのは、最後のお相手が月のみで珍しく詠が一緒でなかったことと、伽の場所が一刀の自室だったことであった。

 

(むにゅ……朝……そろそろ起きなきゃ)

 

後宮の諸事を担う侍従の一人である月の朝は早い。政務の為に、相当早起きになった一刀と比べても更に早い。

一刀は本日が久々の休日である為、ゆっくりと眠っている。

 

「(ふわぁ……。おはようございます、ご主人様。――ちゅっ。……えへへ♪)」

 

隣で眠る愛しい人の頬に軽く口付け、微笑む。

月は極力音を立てないように、一刀の私室を退出する。一旦自室に戻り、諸々の支度をする為である。

しかし、扉を開けて廊下へ出た彼女が見たのは。

 

「「「…………」」」

 

廊下で牽制し合う、紫苑・桔梗・祭の三人だった。

 

「……えっと。お、おはようございます」

「……おはよう、月ちゃん♪」

「うむ、おはよう」

「おはよう。奇遇じゃの」

 

月は“どんな奇遇だ”と突っ込むようなことはせず。

 

「え、ええっと。ご主人様もお疲れですし、お手柔らかにお願いします……////」

「「「……はい」」」

 

顔を赤らめながらも、年長者である三人へ一言そう申し立てて一礼し、月は自室へと帰って行った。

 

「うーむ。月も強くなったものじゃのう……」

「然り。本来ならば月こそが『皇后』であった訳であるし、また“母親”としての自覚がより芯を強くしたのでしょうな」

「きっとそうね。……で、どうしましょう?」

 

三人がこんな朝早くから一刀の私室を訪れた目的は唯一つ。

ぶっちゃけ、“朝駆け”である。

 

「最近はお館様も随分、多人数のお相手にもこなれたようであるしな。くっくっくっ……」

「うむ。牽制し合っておっても仕方ない。ここは協力して、北郷の“限界”を見極めてみようではないか」

「うふふふ……それも面白いですわね。仕事が一段落して、今日明日とご主人様は休暇を取られるそうですし……♪」

「白々しい。おぬし等もそれを知っておるからこそ、“朝駆け”に来たのじゃろう?」

「はっはっは、まさしくその通り」

「では……ここは共闘、ということで」

「うむ。たっぷりと搾り取ってくれよう♪」

 

 

……

 

…………

 

 

(ん~……何だ? なんか、下半身が……)

 

もぞもぞ。

 

(うぅ~ん……なんか……随分前にも、こんなことがあったような……はっ!)

 

がばっ!

 

「――“朝駆け”だなッ! 紫苑か、桔梗か!?」

 

掛け布団を跳ね除けると、目の前には三人の熟女と言うと失礼かつ言った人間が行方知れずになるという不思議な現象を引き起こすデリケートな年齢の女性たち。

 

「……祭まで加わって三人ときたか……」

「おはようございます、ご主人様♪」

「お館様ならば、三人など物の数ではありますまい?」

「何より、おぬしは今日明日と休暇だそうではないか」

「あのね。俺は今日の昼から視察も兼ねて一泊のお出掛けなの。遠出する前から疲れてどうするのさ」

「うふふふ……でも、コチラはそうは仰ってないご様子♪」

 

さわさわ。

 

「こ、こら! それは朝だからであってだな……」

「ええい、ごちゃごちゃと煩いわい! こうして忍んで来た女に恥をかかせる気か!」

「……まー、そう言われるだろうとは思ったよ……」

「勿論、此方にも根拠はございますぞ?」

「……どゆこと?」

「最近のお館様は、夜伽に余裕が出来始めておると。我等三人、全く同じ所感なれば」

「ええ。そろそろ“夜討ち”や“朝駆け”でもお相手戴けると思ったのですわ」

「おぬしの『内気功』は『氣』の操作こそ出来ぬが相当なものじゃ。となればその臓腑の強靭さは常人などとは比べ物にならぬ。そして……それは取りも直さず、おぬしの“精力”をも増強しておる筈じゃ」

「……ま、まあ確かに最近は余裕が出てきたかも知れないな。……技術云々じゃなく『気功』のお陰だったのか。それはそれで悔しいような……」

「何を仰るか。無論、房内術も向上しておられますとも」

「ありがと、桔梗……って、いやいやちょっと待て! 出来た余裕の分を“夜討ち”やら“朝駆け”やらで搾り取られたんじゃ、完全に堂々巡りじゃん!」

 

「うふふふふ……♪」

「ふっふっふ……♪」

「はっはっは……♪」

 

一刀の突っ込みに、ただ怪しい笑みを返す三人の熟女と言うと以下略な三人。

その笑顔は一刀に逃亡が不可能であることを悟らせるに十分な迫力(?)を醸し出していた。

 

(……駄目だ、これは逃げられない……。あれ? 『気功』で精力が増強出来るなら、やばくなったら『氣』を充填させればいいんじゃ……。軽い怪我なら一分足らずで治癒出来るんだ。上手くすれば、この三人相手でもなんとかなるんじゃないか?)

 

そう思い至った一刀は、ことの成否はともかく覚悟を決めた。

 

「――喜んでお相手させて戴きます」

 

「ふんふんふん~♪」

 

日が中天を過ぎた頃。

月は掃除用具一式を両手で抱え、機嫌良く鼻歌を歌いながら、後宮は皇帝・北郷一刀の私室を目指していた。

目的は当然掃除である。本来なら、伽の後始末を含め午前中に行うのだが、早朝に例の三人と遭遇していた為、侍従たちにも口止めし、掃除役を引き受けた上で清掃の時間をここまで遅らせたのだ。

 

「お邪魔致します♪」

 

既に昼も回っている。室内には誰もいないだろうと考えた月は、それでも一声掛けて一刀の私室の扉を開く。

 

「――へぅぅ~~!?」

 

入室した彼女がまず感じたのは、室内に残る情交特有の匂い。

そして寝台でぐったり(“ぐっすり”ではない)と伏せたままぴくりともしない、紫苑・桔梗・祭の三人の姿だった。

 

(い、一体何が起きたのですか~~!?)

 

廊下と反対側の窓は開放されており、彼女らの服装は一応の体裁を整えられていた。また、寝台周りもざっと清掃されているようだった。

 

(ご主人様が退室なさるときに簡単に後始末なさったのでしょうか……?)

 

ともかく、このままでは掃除も出来ないし、三人も風呂に入るなりしてちゃんと“後始末”した方が良いだろうと判断した月は、まずは紫苑の身体を揺さぶった。

 

「し、紫苑さぁ~ん! 起きて下さい~」

「…………ぁ~…………」

「へぅぅ~、大丈夫ですか?」

「……み、水を……」

「は、はい。ちょっと待って下さいね!」

 

流石に掃除用具に飲み水は含まれない。

月が室内を見回すと、水差しが寝台の枕元に置かれていた。中身もしっかりと水が入っているところを見ると、これも一刀が三人の為に用意していったのだろう。

月は水差しから椀に水を注いで紫苑に手渡した。紫苑はそれをぐいっと飲み干し、ようやっと一息ついたようだ。

 

「……はぁ。まだ頭がぼうっとするわ~……」

「な、何があったんですか?」

「何と聞かれても、ナニとしか返せないわねぇ」

「へ、へぅ~////」

「……身体を拭いてくれたのは月ちゃん?」

「い、いえ。私が此処に来たときには皆さん、服を着ておられる状態でしたから。多分ご主人様だと思います」

「そうなのね。とにかく桔梗と祭さんも起こしましょう」

「は、はい」

 

 

 

「んぐっんぐっ……ぷはぁ……」

「いやはや、全く。三人揃って、こてんぱんにしてやられるとはのう……」

「思い出しただけでも“熱”が戻りそうですわね♪」

「へぅぅ……や、やっぱりそういうことなんですか?////」

「うむ。“朝駆け”したものの、見事返り討ち、と言ったところじゃな」

「奴めの“限界”を見極めようなどと嘯いておったが……その前に此方が参ってしまうとは」

「はっはっは! 全く、お館様には驚かされてばかりじゃ!」

「本当ねぇ。わたくしたち三人を一度にお相手して戴いたのに、まさか“負け戦”になるなんて」

「…………」

「うぅ~む。北郷め、何かコツを掴んだようじゃな。途中、発氣しておったようじゃしの」

「傷を癒す要領で、精力を回復することが出来るようになられた、ということかしら?」

「恐らくな」

「ほほぅ。それが本当ならば最早夜伽の当番に“子種の権利”など不要になりますな」

「あらあら、それは嬉しいわねぇ♪」

「…………」

「む? どうしたのだ、月よ。微妙な表情だのう」

 

月の表情は、困ったような、“してやったり”といったような。

 

「……今日、ご主人様は詠ちゃんと一緒に視察に出てらっしゃるんですけど」

「ああ、そのようなことを言うておったな。詠が供なのか」

「じ、実は……視察は名目で、詠ちゃんを焚き付けて計画させた、小旅行なんです……」

「「「……(意外に策士な……)」」」

 

そんな月の告白に、紫苑・桔梗・祭の三人は静かに瞑目し、詠の無事を祈ったのだった。

 

 

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此処は洛陽から少し離れた山中。

疲労回復に効果があると評判の温泉宿である。

 

年長三人組が朝駆けを返り討ちにされた、その翌日。

もう夕方になろうかという時刻、その宿の最高級の一室には二人の男女が奇妙な角度で向かい合っていた。

 

女は寝台に寝転がったまま、右手にハリセン(これまた天界縁の道具だ)を持ち、怒気を隠そうともせず男を睨んでいる。

男は寝台のすぐ横、木の床に直接正座させられ、愛想笑いを浮かべつつも縮こまっている。

 

言わずもがな、女とは賈駆こと詠。男とは『天の御遣い』こと北郷一刀である。

 

「……ねえ」

「……ハイ」

「本当なら、今日の昼には此処を出立する予定だったのよねぇ」

「……ソウデスネ」

「なのにさぁ。ボク……今、自力で立つ事も出来ないんだよねぇ。これって誰のせいかなぁ?」

「……わ、ワタクシめのせいでございます……」

 

ブチッ!

 

「ンなことは分かってんのよ!」

 

応答だけ聞くと逆ギレっぽいキレ方をした詠が、バシバシとハリセンで一刀の頭を叩きだした。

因みにこのハリセンは詠が特注した、極薄の板を挟み込んで強度を増した、軽量かつ威力の高い逸品である。

 

「アンタ、昨晩ボクが『もう無理』って言ってから、一体“何発”やらかしてくれちゃったのかなぁ!?」

「(痛たたた!) え、ええっとぉ~……多分、三十回ちょっと……くらい?」

「しれっと言ってんじゃないわよ! このち●この遣い! ち●こ男! ち●こ野郎! ち●こ外道! ち●こ脳!  こぉの……全身ち●こ野郎がぁぁぁぁぁ!」

「痛い! ハリセンを縦にして叩くのは止めて!?」

「うっさい! アンタ、昨日どれだけ『やめて』って言っても止めなかったじゃない! 見損なったわよ、このヘンタイ!」

「だ、だって!」

「口答えするんじゃねえ、ち●こ生命体!!」

 

ガシッ! ガシッ! ガシッ! ガシッ!

 

「詠さん! 言葉遣いがヤバイッス! ついでにホント、縦ハリセンで往復ビンタとか止めて下さい!?」

「やかましい! くのっ! くのっ!」

「言い訳させて! お願い!」

「あぁ!? 言い訳だぁ!?」

「そ、そう! 確かに止まれなかった俺が悪いんだけど! 原因というなら、詠にもあるんだから!」

「ボクが一体何をしたって言うのさ!」

「いつも強気な詠が、目を潤ませて『もうだめぇ』とか『お願い、許してぇ』なんて言うから! 男はね、好きな娘にそんなこと言われたら……尚更欲望を止められなくなるんだよ!」

「~~~~ッ! 完全に男の理屈じゃない! ――判決、死刑!!」

「その縄は何ですか!?」

「そっ首差し出しやがれ!」

「絞首刑!? お許しを~~~~!!」

「許すかぁぁぁぁぁ!!」

 

きゅっ、ぎゅう~~~~~~!

 

「じぬ゛っ! マジで死ぬ!!」

「殺されたくなきゃ、今すぐお風呂の準備して来なさい!」

「ハイッ! 只今~!」

 

一刀は文字通り逃げるように部屋を出て行った。

 

「ふん! 何が“好きな娘”よ、調子のいいこと言って……!」

 

一刀が退室したことを確認した詠は、寝台の枕に顔を埋めるように寝転がる。

この場に誰かがいれば、顔こそ見えないが、彼女の耳が真っ赤に染まっていることにすぐ気付いただろう。

 

 

「ボク、今は危険日なんだからね……ばーか////」

 

 

ついでに。

 

立つことも出来ない以上、風呂に入るには誰かに介助して貰わねばならないことに、彼女は気付いておらず。

結局、その後一刀と共に入浴することになった詠であった。

 

「おらぁーー! 水汲み終わり!」

「おう、気合入ってんな。んじゃ、『伏虎』からの立木打ち込み、九百本な」

 

更に夢は続いている。

もうこの“現代の夢”で合わせて何日を過ごしたのか分からない程だ。

 

最近は、夢の中で数日が過ぎることが増えていた。つまり、一晩の夢で数日間修行していることになる。

夢の中で翌日になっても、日付は進まないらしい。祖父も祖母も、同じ日が繰り返されていることに気付いておらず、日付表示のある時計やネットを見ても日付が変わらない。

具体的に言えば、七月一日の夜に見た夢で何日過ごそうと、夢の中では七月一日のままなのだ。

 

祖父宅は最低限の電気製品しかなかった。テレビどころかラジオもない。あるのは幾つかの電球と冷蔵庫、そしてパソコンのみ。

故にそれ以外は何から何まで人力でやらねばならない。

農作業と料理、掃除などは祖母・淑子がやってくれているが、水汲み、薪割り、炊飯、風呂焚きは一刀の仕事であり、その作業中はずっと天狗下駄を履いてのバランス感覚の修行でもあった。

食事、勉強、作業、睡眠以外の時間は全てが修行に充てられていた。

 

 

「ィィィィィィィィエェェェェェェェェェィ!!」

 

ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン!

 

 

現在一刀の修行は、柔軟→水汲み→歩法『伏虎』からの打ち込み九百本(型ひとつにつき百本)→軽く孫十郎と立会い稽古(実戦形式で型に崩れがないかチェックするのが主目的)となっていた。

 

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」

「おーおー、中々頑張りやがる。そろそろ次の段階に行くとすっか」

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……よ、よっし。何でも来い!」

「一刀よ。オメエはまだ不完全ながら、『伏虎』を習得したと言っていいだろう。少なくとも、その辺の格闘やら武術を齧ったような連中相手なら十分通用するレベルだ」

「そ、そうなの? 爺ちゃんしか相手がいないから、自分の実力が分からないんだよな……」

「うるせえな。門下生がいなくて悪うござんした。……でだ。『伏虎』ってのは気配・力感を誤魔化す運足と言えるが、それだけだとタネがバレた時、単純な反射神経で対応されちまう」

「そうだね。『伏虎』って地面蹴らない分、あんまりスピード出ないからなぁ」

「正にその通り。そこで、もうひとつの歩法を組み合わせる――『跳虎』だ」

「成る程、こっちは地面を蹴る運足ってことだな?」

「おうおう、察しがいいじゃねえか。だが、ただ蹴る訳じゃねえ。基本的な歩法は『伏虎』と同じ。但し、軸足の使い方が違う。足の裏全体を使い、大腿筋をメインに跳躍するように進む」

 

孫十郎は、一刀の目の前で“体を横に向けて”実演して見せた。

大まかには、空手の追い突きに近かった。軸足の使い方が少々違うくらいだ。

 

「形はほぼ一緒だけど、速度が違う訳ね……でも軸足の力感で結構バレバレじゃないか?」

「言ってくれるじゃねえの。完全に相手の死角に入ったときに使えりゃベストだが、現実問題そうも言ってられねえ。そこでもうひと工夫だ。『陰足』ってんだがな。こいつは実際に相対してみねえと分からねえだろう。――構えな」

 

一刀は促された通りに木刀を正眼をやや下げ目に構えた。相手の様子を見る構えである。

 

「今回は『伏虎』を手加減してやるから、なんとか追えるだろうよ。確と見とけ」

「おう!」

 

孫十郎が『伏虎』を用いて、横へ移動する。

一刀もそれを追って、祖父を正面に捉えるように構える。が……

 

「!?」

 

先程までと同様に動いていた孫十郎が、一瞬で視界の端ぎりぎりまで移動していた。

慌てて体を切り返す一刀。

しかし、その時には既に孫十郎は一刀との間合いを詰め切り、竹刀を首に当てていた。

 

「……てなもんよ」

「凄い緩急だな……しかも後ろ足が見えなかった」

「それが『陰足』よ。元は『骨法』の技術なんだがな。柔軟な足首・膝・腰関節による“膝に力を込めず、柔らかく保つ”姿勢で、前足を遮蔽に後ろ足を相手の視界から隠す技法だ。袴とか履いてりゃあ、より効果的だな」

「ホント、あっちこっちから技術を盗んでるんだな……。これは基本的にフェイントか」

「そうだ。基本の歩法は『伏虎』だ。だが、単一の技ってのは見切られ易い。そこで『跳虎』と『陰足』で速度自体に緩急をつける。『伏虎』と『跳虎』、そして徹底して“虚”を取る戦術。これぞ北郷流歩法の極み――『虎歩』だ」

 

獲物を狙う虎の如く。気配を隠して接近し、予期させぬ初動で武器――牙を突き立てる。まさしく虎の歩みという訳だ。

しかし、一刀はこの歩法に違う側面を見出した。

 

「……これって防御っていうか、回避にも使えるよね?」

「お、いいとこに気付いたな。北郷流の一撃は、示現流より伝わった袈裟切りによる先手こそが奥義だ。だが、上段に構える『蜻蛉』は当然防御に向かねえ。つーか、日本刀ってのはそもそも防御に向いてねえんだ」

「そうなの? 硬くて柔軟性もある優秀な武器って聞いたことあるけど」

「相手も同じ重量の武器なら、世界有数の刃物だろうな。だが重ーい鈍器や金属製の長物の攻撃を受け止めてみろ。余程上手く受けねえと曲がっちまうし、安物の刀だと折れちまう。おまけに刃筋が曲がってると、斬撃時に途中で勝手に刀が進行方向を変えちまって、自分の追い足を斬っちまうことだって有り得るんだ」

「つまり、爺ちゃんはそもそも“受け止める”ことをしないで、“歩法で躱す”ことを選んだってこと?」

「YES! いい理解力だぜ、一刀」

 

(うん、それならどれだけ腕力差があっても関係ないもんな。これも俺にぴったりかも)

 

「あと、示現流は有名になり過ぎて型を見られただけで対処されちまう。只でさえ『蜻蛉』からは攻撃の型が限られるんだ。身体がでかけりゃ、受け止めさせて押し込めるが、それは『北郷流』の流儀じゃねえだろう?」

「そうだね。同じ先手でも、受け止めさせず、意識させず、か」

「オレなりに新陰流の『転(まろばし)』や、タイ捨流の流儀、示現流の一撃を昇華させた結果って訳だ。つーわけで……早速『跳虎』一千回な」

 

これでまたひとつ、修行のノルマが追加されたわけで。

 

「……いえっさー」

 

新技を習得させて貰えるのは嬉しいが、ノルマは増える一方。どこか諦めを含んだ複雑な心境の返事だった。

 

 

……

 

…………

 

 

一刀は後宮の自室で目を覚ました。

 

(……今回は三日で帰ってきたか……。夢の記憶も、随分はっきり思い出せるようになった気がする……)

 

一刀はのそのそと身体を起こし、枕元のメモセットを手元に引き寄せ、墨を磨り始めた。

最近は慌てずともリラックスすれば思い出せるようになっている。問題点があるとすれば、一刀自身の暗記の限界量がそう多くはないことくらいだ。

 

(色々調べてるけど、先進的過ぎてもこんな古代じゃ役に立たないし。難しいとこだよな~……さて、起きるか)

 

朝餉の為に自室を出て、廊下を歩き出した一刀は、前方から祭が歩いてくることに気付き、挨拶を交わす。

 

「おはよう、祭」

「おう、北郷。おはよう」

 

祭とすれ違い、何気なく通り過ぎようとした一刀は、視界から消える直前、祭の身体から発せられた“気配”を察知し、咄嗟に身を屈めながら振り向いた。

そうして目に入ったのは、鉄鞭を握る祭。彼女の振るった鉄の棒が、一刀の頭上すれすれを通過していた。

 

「「…………」」

 

見詰め合う二人。

不敵な笑みを浮かべる祭と、訳が分からず冷や汗を掻く一刀。

そのまま見詰め合っていても埒が明かないと、一刀は微かに非難を籠めて祭に問うた。

 

「えっと。これはどういうこと?」

「うむ。ここ最近、おぬしの所作に思うところがあってな」

「はぁ」

「『錬功』を始めて半年以上。故におぬしの『内功』が高まっておるのは分かる。しかし……」

 

祭は一拍おいて、目を鋭く細めて一刀を見据える。

 

「この数ヶ月で、おぬしの“気配”が洗練されてきた、と思うてな」

「気配が?」

「うむ。姿勢、立ち居振る舞い、一挙手一投足が非常に安定しておる。まさしく鍛えられた武人の所作じゃ」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど……だからって不意打ちは酷いよ!?」

「ちょいとした試験じゃ。くっくっく……今の一撃を容易く躱すとは、期待以上じゃ」

 

にやりと、祭が更に笑みを深める。その笑顔に一刀は何か薄ら寒いものを感じた。

 

「……何を、考えてる?」

「んん? まあよいではないか。後の楽しみに取って置け♪」

「それ、楽しいのは祭だけだよな!?」

「はっはっはっは! いや、楽しみじゃ♪」

 

祭はそう言い残し、鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌に去って行った。

残されたのは、回避行動後の膝立ちのまま、真っ青な顔をした一刀だけ。

 

「……嫌な予感しかしない……」

 

「ィェアァァァァァァァァァッ!」

 

ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン!

 

山に木と木が打ちつけられる音が響く。

一刀の修行は順調に進んでいる、とは師である孫十郎の言だ。

 

ここ最近の一刀の一日は以下のような流れになっていた。

 

 

朝は水汲みで山の獣道を幾度も往復。

夜には握力が無くなる為、朝の内に薪割り。

朝食の為に薪を燃やし、炊飯。

準備運動を兼ねた関節技かと思う程の柔軟体操。

木刀による、北郷流の歩法で間合いを詰めての『立木打ち』。

昼食の為に薪を燃やし、炊飯。

木刀による、北郷流の歩法で間合いを詰めての『立木打ち』。

祖父・孫十郎と立会い稽古(寸止め“ではない”)。竹刀でボコボコにされる。

夕食の為に薪を燃やし、炊飯。

薪を燃やしての風呂焚き。一番風呂はせめてもの褒美か。

そして、就寝前にネットで勉強。

 

 

このスケジュールをこなすスタミナは、“現実”での『錬功』の成果だろう。

勿論、木刀を握っていない時間の作業などは全て天狗下駄によるバランス修行を兼ねている。

 

立会い稽古では、実際に孫十郎と打ち合う。

一刀が木刀であるのに対し、孫十郎は竹刀である。しかし、一刀はこれまで一本も孫十郎から取れていない。それどころか、孫十郎の得物が木刀から竹刀になることで、寸止めではなく打ち込まれるようになり、一刀も防具を付けていない為、日が暮れる頃には文字通りのボコボコである。アレな言い方をすればフルボッコと言っていい有様であった。

この立会い稽古の目的は、相手の初動を読み、『虎歩』で回避および死角へ移動する“虚”を取る為の“眼”を養うことであった。

 

 

「チェェェェェェェイ!」

「……見切りが甘えっつってんだろ」

 

一刀の一撃は、いとも容易く躱され空を切る。

外した、と一刀が意識したときには、孫十郎の竹刀がバシバシと身体を打ち据える。

 

「くっ、こなくそっ!」

 

しかし一刀も痛みを必死に耐え、距離を取って構え直す。

数秒、空気が張り詰める。

 

「……(ふぅむ……)」

 

すっ――

 

「!!」

 

孫十郎が“わざと大仰に”攻撃する気配、勁を見せると、一刀は静かにその間合いから逃げる。

そこから、直進すると見せて左へと体を滑り込ませ、孫十郎の死角を目指す。

 

「ィヤァァァァァァァッ!」

「……まだまだだな」

 

すかっ。

ビシバシビシバシビシバシビシバシ!

 

結果は先程と全く同じ。

だが、それを見て孫十郎は一旦構えを解いた。休憩、説法の合図である。

 

「おうおう、中々“見えてきた”ようだな」

「いだだだ……そ、そう?」

「オレがわざとらしく隙を見せれば、それを察知することは出来てらぁ」

「……それって結局、爺ちゃんの掌の上ってことじゃん……」

「ったりめえだっつの。こんな短期間でオレと同じ境地に至れるなら、師匠なんぞ要らねえよ」

「まあ、それはそうか……」

「よし、そろそろ次の段階に行くか」

「やった!」

 

孫十郎は竹刀を壁に掛けると、一刀へと向き直る。

 

「ここからは完全に実戦を想定した稽古も始める。そいつもある程度修めりゃ、具体的にオメエの現状に合うだろう技を伝授してやらぁ」

「現状に、合う?」

「そうだ。最初に聞いた話から察するに……オメエ、闘争に巻き込まれたり、暗殺されたりする可能性があるな?」

「あー、その~……」

「がっはっはっは! 隠すな、隠すな! いやぁ、懐かしいぜ。暗殺なんて響きはよぉ」

「ホントーに物騒なジジイだな……」

「毒殺とかはどうしようもねえ。諦めろ」

「……その辺は仲間がなんとかしてくれるよ」

「ほっ、そうかい。ちっと待ってな」

 

孫十郎は肩を竦めると、道場の倉庫へと入って行き、出てきた時には、二振りの刀を携えていた。

 

「おらよ。真剣だからな、気を抜くなよ」

「……ああ」

「銘を名乗るようなモンじゃねえ。安物さ……だが、真剣でないと稽古にならねえ。見てな」

 

孫十郎は、一振りを一刀に放り投げる。

そして、残った刀を抜き放つと、九度、型を見せた。それは単純に言えば、進んで斬ることの繰り返し。だが、その型は一撃ごとに違っていた。件の八方からの斬撃と刺突である。

 

「……かの剣豪、宮本武蔵は自著で、剣術には五つの構えがあると書いている」

 

孫十郎がその言葉を諳(そら)んじる。

 

「――五つの構えは、上段・中段・下段・右の脇に構える事・左の脇に構える事、これ五方なり。構えが五つに分かれているとは言えど、全ては人を斬らん為なり。何れの構えであろうと、構えると思わず、斬る事なりと思うべし」

 

「……うん」

 

言葉自体は非常に単純で、簡単なことを指している。一刀も特に疑問は持たなかった。

 

「これは攻撃の型が大筋九つに分かれるっつー、オレの持論にも繋がってるが。ここまではいいか?」

「まあね。剣道やってりゃ大体分かることだし。……剣道で脇に構える人って殆どいないけどさ」

「そらそうだ。脇の構えってのは相手に得物の長さを悟らせない為の構えだ。竹刀は規格化されてる以上、同じ長さなんだ。それに剣を身体の後ろに隠す分、当然防御には移行し難いからな。脇構えは剣道っつー“ルール”の中では使いにくいってこった。五方だと上段に含まれちまうんだろうが、八双も似たようなもんだ」

 

脇に構えるとは、右足を引いて体を右斜めにし、武器を脇にとり剣先を後ろに下げた構え方(剣道では脇構えと呼ぶ)。八双とは上段の構えの変形で、簡単に言えば野球でのバットの構えだ(握り方は違う上に、そこまで体を横にはしないが)。

 

「……そういや昔、剣道で『蜻蛉』に構えたら後輩にも勝てなかったっけ」

「示現流の『蜻蛉』は八双の変形とも言われるが……。そもそも剣道ってのは“有効”となる部位が限られるんだ。そこさえ守ればいいなら、当然守り易い構えが広まるのは自然な話だろ。上段ですら面以外は守り難いしな。結局、中段の使い手ばかりになるってワケよ。おまけに現代剣道の重要な攻撃である“突き”が出し難い。総じて剣道にゃ向いてねえのよ」

「成る程ねー……」

「だが、脇構えや八双は、確かに防御には不向きだが、素早い攻撃で先手をとる分には有効だ。実戦じゃあ、身体の何処を傷つけたって有効なんだ。先手を取り易い八双や、リーチを悟らせない脇構えは、真剣での実戦じゃなきゃ真価を発揮出来ねえって訳だ。そう言う意味じゃ、示現流は八双による先手必勝を極めた剣術と言えるかも知れん」

「それで? 結論はそこじゃないんでしょ?」

「当然。こっからが本題だ。さて、宮本武蔵はこうも書き残している。――『動きは水の如く』あるべし。分かるか?」

「……状況によって構えを変えろってことじゃないの?」

「ブッブー。それじゃあ赤点だな。言葉の表面しか捉えてねえ。いいか、オレが思うに『水の如く』ってのは形……『定型がない』ことを指している。つまり『決まりきったことをするな』ってことさ。そして……こいつぁ、タイ捨流の流儀にも合うことだとオレは考えた」

「ええ? “型”ってのはそもそも決まりきったことじゃないの? 攻撃の型は大筋九つしかないって爺ちゃん言ったじゃん」

「それは刀剣類による攻撃において、攻撃の来る方向がそれしかねえってだけだ。よく考えろ。さっき言った宮本武蔵の言葉にもあったろう。『何れの構えであろうと、構えると思わず、斬る事なりと思うべし』」

「……成る程。爺ちゃんが言いたいのは、手段と目的を取り違えるなってことだな?」

「THAT’S RIGHT! いいぜ、その調子だ」

 

つまりそれは、“構え”とは飽く迄も手段であり、“斬る”という目的を忘れるなということだ。

 

「如何にして敵を斬り殺すか。構えってのはその為の手段だ。そして、人間ってのは常に手段……“技術”って奴を高めることでここまでの文明を築いた。武術も何ら変わらねえってことよ」

 

そして『決まりきったことをしない』。即ち、常に創意工夫を忘れないということ。

タイ捨流は剣術でありながら、刀から手を離しての突きや、時には蹴りすら放つ異色の剣術である。創意工夫という点においては、確かに流儀に合っていると言えよう。

 

「戦場(いくさば)の状況。相手の得物。自分の状況。そして目的。型と構えを覚えることだけに留まり、考えることを止めた奴は、もう武人じゃあねえってこった」

 

「…………」

 

「『体を捨て、待を捨て去れば、心は自在になる』。常に水の如き自在なる心でいろ。

 周囲の敵の一挙一動を察し、捉えろ。向かい来る敵の心とひとつになれ。全ての状況から思考を読み取れ。

 そうすりゃ、あとは相手を斬り殺すだけ。構えはもうお前の身体に染み付いている筈だ。

 そして“構え”とは即ち“斬る”こと。お前が構えた時には、もう相手は斬り殺されてるのさ。

 これぞ『無念無想』の一撃。正に示現流の理想だな」

 

「……どんな達人だよ、そりゃ……」

「当たりめえだ。人が“技術”を高めた存在を『達人』っつーんだ、当然の帰結よ。……こっからは真剣での稽古も始める。気ぃ抜くんじゃねえぞ」

「……オッス」

「おっと、ついでに居合いも仕込んどくか。ありゃ、暗殺者相手にゃ結構有効だったからな」

「実体験済みかよ!?」

「戦前生まれを舐めんなよ。がっはっはっは!」

 

 

 

かくして孫十郎との修行は、数々の極意の伝承を初め、苛烈ともいうべき段階へと移行した。

基礎訓練は今まで通り続けられているが、大きく変化したのは立会い稽古と巻き藁斬りだ。

 

巻き藁は実際に斬る感覚を身につける為の稽古であり、これも例の九つの型ごとに繰り返された。

 

刃を潰した日本刀を用いた、鎖帷子を着込んでの立会い稽古では、孫十郎も同じ得物を握っている。

師である孫十郎ほどの達人が、鉄の塊を持ち、容赦無く打ち込んでくるのは、正に“古代の現実”での武将らとの稽古そのものだった。

『氣』を発することが出来ない以上、怪我をすれば治癒など出来ないし、何より常に死の恐怖と隣り合わせ。

それでも一刀は孫十郎から技術を教わるだけでなく盗み取る為、何より現実で生き残る為、必死に戦い学んでいく。

 

 

「相手の目を見ながら、身体全体を俯瞰するように感じろ!」

 

「足、肩、腰、身体が動くときの気配……『勁』の流れを読め!」

 

「敵の意識を感じ取れ! 僅かな所作、重心の移動を見極めろ!」

 

「考えを固定するな! 思考が居付いちまったら死ぬぞ!」

 

 

時には孫十郎の痛烈な一撃を受け、倒れる。それでも。

 

「どうしたぁ!」

「ぐぅぅっ……まだ、まだぁ!」

 

夢での修行は尚続く。

 

 

 

(~秋~に続く)

 


 
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