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真・恋姫無双外史 ~昇龍伝、人(ジン)~ 第十章 兗州混沌、泥に塗れた願いの先に

テスさん

この作品は、真・恋姫†無双のSSです。

○前回までのあらすじ
 曹操に使いを頼まれ、洛陽にいる袁紹の元へ赴いた北郷一刀(女装)。袁紹に十常侍絡みの手紙を手渡すと、文醜に仕事を任せて全力でその場を後にしてしまう。困った文醜は皆に助けを求めたが、袁家当主の仕事にもし落ち度があったらと、誰もが嫌がって逃げて行く。そんな目を覆いたくなるような状況を前に、文醜と彼女の親友である顔良に懇願された一刀は、断り切れず彼女の手伝いをする事に……。

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2010-02-17 23:20:02 投稿 / 全19ページ    総閲覧数:27534   閲覧ユーザー数:19840

真・恋姫無双外史 ~昇龍伝、人(ジン)~

 

第十章 兗州混沌、泥に塗れた願いの先に

 

(一)

 

袁紹さん不在の間、文醜が責任を持って任を成すことが決まり、その手伝いをすることになった俺。

 

無駄に広い部屋の中に、乱雑に積まれた竹簡や書簡。この中から急を要する物を探し出して行く。

 

「アニキ、何やってんの?」

 

「へ、何って……」

 

俺が竹簡を遠くに投げ捨てると、文醜はそれを目で追いかける。

 

「近くにあるやつから片付ければ良いじゃんよ?」

 

やっぱり生粋の武官に文官の仕事させちゃまずいよな。

 

「物事には優先順位ってのがあるんだよ。どうでも良い案件なんて、袁紹さんが帰って来てからやらせれば良いんだよ」

 

「え? でも姫が何とかしろって言ってたじゃんか。姫に投げちゃって良いの?」

 

――!?

 

「いやいや、もともと袁紹さんの仕事だから」

 

文醜は手に持っていた竹簡をしばらく眺め、首を傾げながら遠くに竹簡を放り捨てた。

 

 

 

 

二人で黙々と仕分け作業を行っていると、扉が控えめに開かれる。部屋に入って来たのは、黄色の鎧を所々に身に付けた女の子達。出で立ちからして袁家の武官なのだろう。

 

青ざめた顔で文醜に問いかける。

 

「あの……、文醜先輩が袁紹様の代わりだって聞いたんですけど、袁紹様の仕事の時間――」

 

「あたいは姫の仕事投げられて忙しいんだって!」

 

竹簡の山の麓から顔を出した文醜が、言葉を遮る様に大声で怒鳴る。

 

「でも、そのですね……」

 

「うぅー、わん!わん!」

 

文醜が唸りながら吠えてその言葉を封じると、今度はこちらに振り向く。

 

こっち振り向かれてもな……。何もしてやれない俺は首を横に振る。

 

彼女達が慌てて戻って行くと、今度は厳つい先輩武将の背中を押しながらやって来た。

 

「おい、文醜!可愛い新人苛めてんじゃねぇよ! 袁紹様自慢の仕事、お偉いさんのお偉いさんによるお偉いさんの為の護衛!サボったら、この仕事に関わる武官全員の首が軽く飛んじまうぞ!」

 

護衛の言葉に反応した文醜が勢い良く手を上げる。竹簡の山が崩れて、音と共に貴重な足場が一つ喪失する。

 

「はいはーい!日頃から姫の護衛してるアタイの専売特許じゃん!行く行く!」

 

その一言に彼等は安堵する。けど俺としては焦りを感じずには居られない。

 

――もしかして、一人でやれって?

 

「アニキ、後は任せた!」

 

「ちょっと待った。俺が袁家の人間じゃないってこと、分かってる?」

 

「大丈夫だって!アタイが許す。てか、誰にも文句は言わせねぇ!」

 

その意見に、周りに居た人達も同意する。

 

「そうですよー。文句なんか言ったら、それこそ袁紹様の仕事が回ってきちゃうじゃないですかー」

 

「だな!文句言う馬鹿なんていねーよ!」

 

そんな奴は大馬鹿者だと皆が声を上げて笑い出す。

 

――もしかして俺、馬鹿な奴って思われてないか?

 

そんな中、若い将の一人が文醜の姿を見て申し訳なさそうに告げる。

 

「あのー、文醜先輩?その恰好じゃ、少しまずいんですけど……」

 

その一言に周りの女の子達も頷くと、気分を悪くした文醜が彼女達を睨みつける。

 

「なんだぁ~?あたいの恰好にケチつけようなんて、良い度胸してるじゃねーか」

 

睨まれて肩を縮こまらせた女の子達が、先輩武将を見る。

 

「んぁ?別に構わないんじゃねーか?」

 

その一言は彼女達の求めていた答えとは違ったようだ。今度は俺の方を向いて助けを求めて来る。

 

ここで首を横に振ると、一体どうなるか見てみたい気もするけど――

 

「主人が護衛している人の前で、失礼な恰好なんてできないだろ? 構わないから彼女の身なりを整えてやってくれ!」

 

「ちょっ!アニキの裏切り者!」

 

俺の一言で大義名分を得た彼女達は、勢い良く文醜を持ち上げて運び去って行く。

 

彼女達が去った後、竹簡の山がまた一つガラガラと音を立てて崩れ落ちる。それを目撃した先輩武将は、気まずそうに手を上げて出て行った。

 

幾つもの竹簡が連なり合い、山脈と化した竹簡の山々を眺めて、俺はうんざりしながら再び手を動かし始めた。

 

 

(二)

 

この忙しい時に、文官が泣きながらやって押し掛けて来た……。集団で。

 

「大切な案件なのに、遅れているのです!」

 

って言われてもなぁ。何とかしてやりたいけど、この山を見るとさすがに断るしか……。

 

「手伝って貰えるなら、その案件を優先的にやらせて貰いますけど?」

 

余所者の俺が手伝っているのだから、彼等に手伝って貰ってもきっと大丈夫な筈だ。

 

俺は彼らの足元を見つつ捲き込んでいく事にした。するといつの間にか、何やら仕事を手伝えば優先的に案件を受け付けてくれると、噂を聞きつけた文官達が挙って仕事を手伝いに来てくれた。

 

彼らのお陰で何とか仕事が片付いた後、俺は認可が欲しいという書類を簡単に説明して貰いながら、袁紹代理印と文醜の印を押していく。

 

「ほ、本当に助かりました」

 

「いやはや……、やっと認可が居りた。こちらこそ感謝致しますぞ」

 

「ですな。これで遅れていた案件も次に進む事が出来ます」

 

失礼しますと従者が茶器を持ってやって来ると、俺達に淹れ立てのお茶を出してくれる。それを片手に俺は残った文官達と一息ついていた。

 

「北郷殿。袁紹様はある意味凄いですぞ。重要な案件が放り投げられ、袁紹様に都合の良い物が重要視されるのです」

 

「ちょっ!まるっきり駄目じゃないか!」

 

考え方を変えれば、重要な案件を放り投げても出世して行く袁紹さん。……確かに凄いけど、それってどうなんだろうと思っていると、彼等は此処からが凄いのだと話を進める。

 

「実はですね。その袁紹様の重要だと見た物の中から、何だか面倒臭そうと言って、放り投げるものがありましてですね……」

 

「袁紹さんって気分屋なのか?」

 

まあまあと文官達が俺を宥め、信じられない事を言う。

 

「これがまた九割九分の確率で袁紹様を罠に嵌めようとする物だったり、利用しようとする物だったりするのです」

 

「な、何だそれ!あり得ない!」

 

いったいどんな確立だよ!?

 

「事実でございます。そう、袁紹様は不思議な力で危険を回避し、遠くに放り投げる物こそ重要な案件なのです!」

 

驚くべき袁紹さんの有効活用。つまりそれを拾って処理すれば、すべてが十中八九上手く行くというのか!?

 

「……ち、違う意味で凄げぇ」

 

「おーほっほっほ!」

 

皆が顔に手を当て、袁紹さんの真似をして高笑いする。

 

主人の笑い方すらネタにしてしまうこの強かさ。こうでなければ袁家の文官は務まらないのだろう。

 

「袁紹様が弾き出したど~でも良い物と、何だか嫌という理由で弾かれた物。この二つを我々は日々片付けているのです。難問も豊富な資金力ですべて解決。此処だけの話、袁家の文官は他よりも楽ですぞ?」

 

なんて話しで盛り上がっていると……

 

大きな足音が此方へと近付いて来る。どうやら文醜が帰って来たようだ。

 

「あ、アニキ……ごめん!」

 

勢い良く扉が開かれ、息を切らした文醜に目を奪われる。

 

「お、おかえり……。その、見違えたね――」

 

ぼさぼさ頭の跳ねっ毛が無くなるだけでも随分と印象が変わる上に、アイシャドーを入れ、幼さを残しながらも大人びた文醜の白い頬が赤く染まると、尚その可愛さを増す。

 

――うん、眼福眼福。

 

「ア、アニキにそう言って貰えると何だかって、そ、それ処じゃないんだって!」

 

慌てて手を振りながら、こちらに近付いて来る。

 

「ん?何かあったのか?」

 

そして文醜の口から、恐るべき出来事が告げられる……

 

「十常侍、殴っちゃった……」

 

「……はい?」

 

俺は周りの文官を見渡す。文醜、十常侍殴ったんだって。何やってんだよ~って、

 

「えぇーーーっ!?」

 

その事実を聞いて一斉に声を上げた文官達がパタリ、パタリと倒れて行く中、俺はかろうじて意識を保つ。

 

「う、嘘だろ!?」

 

「……あ、アニキ何とかして!」

 

「な、何とかしてって、何とかなるかーっ!」

 

必死に俺にぶら下がる文醜の向う側、開いたままの扉の先に……。

 

「責任者は……、何方?」

 

細い眉を吊り上げ、顔を腫らした綺麗なお姉さんがいらっしゃいました。

 

 

(三)

 

「――不在です!」

 

「どう考えても貴女でしょう!」

 

扉を強く叩き、睨みながらこちらに近付いて来る。

 

――くそっ、やっぱり逃げられないか!

 

「私の、私の顔を殴るなんてっ!陛下に、陛下に嫌われちゃったら!……どぉぉぉしてくれんだよ!!?許さないんだからねぇぇぇぇ!」

 

さっきまで女性の声だったのに、突然男の声に……。こ、これが十常侍!

 

……オネエ様だ!美しいを通り越して怖いぐらい。てか、完璧に女性にしか見えない。

 

「あ、えーと、ていうか、文醜!なんでこの綺麗なオネエさんを殴った!」

 

俺が指差すと、それを掃う様に手に持っていた短刀を振るう。

 

「あ、危ねぇ!」

 

「指差すんじゃないわよっ!」

 

「す、すいません!」

 

「――だって!」

 

今度は文醜が目の前の十常侍を指差して大声で叫ぶ。勿論その指を斬り落とそうと短刀を振るうも、文醜は器用にそれを交わして指を差したまま叫ぶ。

 

「コイツ、アタイ見た途端、殺してやるって!小刀持って、アタイを刺しに来たんだぜ!?殴らなきゃ、アタイ刺されて死んでたって!」

 

――思いっきり、正当防衛じゃないか!

 

「……あの」

 

「何!」

 

「如何して、文醜を刺そうと……」

 

「決まってるじゃない! あんなだっさい巻髪娘の名代って言うから安心してたら、こんな可愛い子が来るなんて聞いて無いわよ!……嫌がらせか?なぁ、嫌がらせなんだろぉぉぉ!」

 

オネエ様が怒りに任せて机を揺すると、折角整理して置いてあった竹簡の山が音を立てて崩れ落ちる。

 

――ちょっ、何てことを!

 

「こんなの、十常侍に対しての冒涜意外の何だって言うのよ!在りえないわ!……だから殺してやるのよっ! 邪魔するって言うなら、二人仲良くあの世へ行こうか、なぁ!?」

 

手に持った短刀の刃先が俺達に向けられ、それを机の上に振り下ろすと、その先端が見事に机に突き刺さる。

 

……や、やっぱり、本物か!

 

助けを求めようと辺りを見渡すと、倒れていた文官の一人と目が合った。だがその瞬間、目を閉じてピクリとも動かなくなってしまった。

 

――こ、この状況を死んだ振りで切り抜ける気か!?

 

あの一瞬で、関わらない方が吉と判断した袁家の文官は流石である。驚くほど処世術に長けている。

 

だが俺も華琳の元で日々死と隣合わせだ。曹孟徳の配下として、必ず乗り切って見せよう!

 

俺は怒り狂う十常侍に、あの空に輝く一番星に向かって叫ぶように、言い放つ。

 

「……陛下は、陛下はそんな小さな男か? 違うだろっ!……それは君達が一番良く知っているじゃないか!」

 

熱く語る!……全力で話を掏りかえるために!

 

「あ、アニキが燃えている!?」

 

あぁ、燃えているさと、俺は話を合わせろと彼女に合図を送る。

 

「確かに男として生を受けた。だが陛下を愛する気持ちは誰にも負けない!――そうだろ!?」

 

「そうよ!」

 

机の上に置いていた竹簡の山は総崩れだ。失う物は何も無いと、力強く机の上を叩いて立ち上がる。

 

「ここだけの話し、帝と結ばれることだってあるかもしれない」

 

「アニキ!?どう考えても無茶!有り得ないって!」

 

「娘。黙りなさい!……詳しく聞かせて頂けるかしら」

 

――よし、喰い付いた!

 

「世界を見た事はあるか?広大で、常に大きく前に一歩進んでいるんだ!……同性の結婚が認められている国だってあるんだ!」

 

「そ、それは本当なのっ!」

 

「あぁ、愛は国境を越え!今や性別も超えた。後は君次第だ……」

 

「わ、私と陛下が……い、いけません、陛下!お戯れを、ぁぁっ!」

 

頼むから……、頼むから外でやってくれ!

 

舞う様に円を描くと、その長い黒髪は風に乗り、鮮やかな服が弧を描きながら靡く。儚き女を演じながら力尽きるように倒れると、其処に置いてあった竹簡の山が向こう側に崩壊し、倒れていた文官の一人が飲み込まれる。

 

――た、頼むから、これ以上、その山を崩さないでくれ!

 

「なぁ、アニキ!アタイも斗詩と結婚できるかもしれないってこと?」

 

――こっちも喰いついた!?

 

だが此処で否定する訳にも行かず、素直に肯定すると文醜は天高く拳を突き上げる。

 

「アタイ、アンタの気持ち、よーく分かる!如何してアタイは男じゃなかったんだって、思う事あるしさ!」

 

「よねっ!よねっ!如何して、私は女として性を受けなかったの!」

 

復活した十常侍と、文醜が近付いて行く。

 

「アタイも、アンタも、相手を想うこの気持ちは本物。性別なんて関係ねぇ!……人生にも、この世の中にも、ガツンと一発、一華咲かせようぜ!」

 

殺されかけた事も、顔を殴られた事もすっかり忘れて、二人はがっちりと握手を交わし合う。そして十常侍は微風の様な優しい笑顔で、胸の前で手を軽く振りながら帰って行った。

 

「……終わった」

 

俺は燃え尽きた様に椅子にへたり込み、バタリと机の上にうつ伏せになると、死んだ振りをしていた文官達がむくりと起き上がり、俺に音の無い拍手を送っていた。

 

 

(四)

 

そんなこんなで、仕事も慣れ始めたある日の午後、

 

「ぶ、文ちゃんが、お化粧してる!?」

 

「斗詩?……斗詩ぃ~!」

 

一目散に走って、顔良に抱きつく。

 

「も、もう!?文ちゃん!北郷さんの前だよぅ!?」

 

顔良のその豊満な胸の中に顔を埋める。

 

「もぅ、しょうが無いな~」

 

嬉しそうに文醜の髪を撫でる。別に羨ましい訳じゃ……

 

「ハッ!……ってことは、袁紹さん帰って来るんだ!乗り切ったんだな、猪々子!」

 

「アニキー!」

 

俺と猪々子は手を取り合って喜ぶ。

 

あの十常侍との事件から和解して一週間、実はあの後、他の十常侍が数人押し掛けて来て大変だったのだ。仲間の一人が妄言を語り始めたと……。仲間に一体何をしたと彼等と揉めて、生き残れたのが奇跡に近い。

 

「文ちゃんが心配だったから、私だけ一足先に帰って来たんですけど……。麗羽様はもう少しかかりそうです。それより文ちゃん、北郷さんに真名預けたんだ~」

 

「まぁね。アニキには世話になってるし!」

 

「何だかんだで、手の掛る妹が出来たみたいだよ……」

 

「いいなぁ~。お兄さんか~」

 

「あー、麗羽様帰って来るんだったら、これからアニキのこと、アネキって呼ばなきゃ」

 

「……なんで?」

 

「だって、麗羽様にバレたら面倒だしさ~」

 

ばれても大丈夫なんじゃないかなと、思うんですけど……。それよりもバレて何かまずい事ってあったっけ?

 

愛する二人が感動の再会を果たした後、顔良が手伝いを申し出てくれ、俺達三人で袁紹さんの仕事を片付けていると、

 

……何やら外が騒がしい。俺達は顔を見合せた瞬間、力強く部屋の扉が開かれる。

 

「北郷一刀はいる!?」

 

「華琳!?」

 

十常侍の時の様に眉を吊り上げ、華琳が乗り込んで来たのである。

 

「一刀……、麗羽の所で、一体何時まで油を売っているのかしら!?」

 

「いや、なんか成り行きで手伝うことに――んんっ!」

 

「ほ、北郷さんは渡しません!」

 

「そうだ!アニキはアタイ達のアニキだぞ!」

 

横にやって来た二人に抱きかかえられる。

 

嬉しい気持ちも華琳を見て俺はハッ!っとなる。彼女の瞳が閉じられ、握り締めた拳がぷるぷると震えている。

 

「……雑魚は、引っ込んでなさいな!」

 

「っ!」

 

「ひぃ!」

 

彼女の前に立ち塞がった二人が、真っ直ぐ歩いて来る華琳を避ける様に俺から離れる。

 

二人の壁を軽く乗り越えた華琳が、机の向こう側から腕を伸ばし俺の耳を掴む。

 

「痛っ!華琳さん、ストップ!み、耳が千切れる!」

 

俺は机の上を滑る様に乗り越え、華琳に引っ張られて行く。

 

「何かあったのかと心配していたら、こんな詰らない手紙一枚私に寄こして。ふざけるのもいい加減にして頂戴!」

 

「――お待ちなさいなさいな!」

 

その声を聞いて華琳が舌打ちをする。振り向いたその先には――。

 

「麗羽様!」

 

この状況を打開できる救世主がやって来たと、二人が期待を込めて己の主人の真名を呼ぶ。

 

「あら、誰かと思えば……麗羽じゃないの。ごきげんよう。ではさようなら――」

 

華琳が彼女の横を通り抜けようとするも、そうはいかないと華琳の邪魔をするように袁紹さんが立ち塞がる。

 

「そうはいきませんわ!……人の庭に土足で踏み込んで来たと思えば、さらには私の家臣を攫っていこうなどと、好き勝手やってくれるじゃありませんの!?」

 

「一刀は袁本初の家臣ではなく、この曹孟徳の家臣。何を勘違いしているのかしら?」

 

「貴女って人は、私が目を付けた女性に片っ端から手を付けて行くその悪い癖、やめて下さいません?不愉快ですわっ」

 

「あ~らっ!それは貴女の魅力が大したこと無いからではなくて?」

 

「何ですって!」

 

「何よ!」

 

二人の間に火花が散る。

 

――百合ばっかりだ~

 

袁紹さんは二人の元へ走って行くと、やれと言わんばかりに、勢い良く腕を払う様にして突き出す。

 

「猪々子さん!」

 

「え!?姫~、無理っすよ!アニッ、アネキ~、助けて!」

 

「斗詩さん!」

 

「わ、私に振らないでください!北郷さ~ん、二人を止めてくださ~い!」

 

って、言われても!

 

「キーッ!誰でもいいですわ!やっておしまいなさい!」

 

袁紹さんは叫ぶが、扉付近にいる兵士達も動こうとしない。皆、俺が袁家の人間じゃないって知っているからな。

 

「……仕方無いわね。最終手段よ。麗羽、少しこっちに来なさいな」

 

「な、なんですの!?」

 

華琳が手招きすると、素直に袁紹さんが近付いて来る。何かに気付いた二人が声を上げる。

 

「曹操、いや曹操様!それだけはどうかご勘弁を!」

 

「曹操さん、どうか御慈悲をっ!」

 

「袁家の二枚看板は随分と一刀を買ってくれているのね。でも主人に嘘はいけないと思うの。ねぇ、麗羽?」

 

「あったり前ですわ!」

 

主人にそう言われてしまい、非のある二人はぐうの音も出ない様だ。

 

「そう。だから貴女に、真実を教えてあげる」

 

ぐぃっと、袁紹さんの手を引っ張った華琳が、そのまま俺の穿いているスカートの中へと潜り込ませる。

 

「ちょっ!」

 

防衛本能から体は自然と前屈みになり、突然の出来事に俺は目を白黒させる。

 

「……な、何ですの?これ?」

 

「痛ぃぃ、強く握っ○△□※×!」

 

「い、一体何を入れてるんですの?……ん?何やら大きくて固――」

 

「っ!……か~ずぅぅ、とぉぉぉ!!!」

 

「待て、濡れ衣だ!これは俺の――」

 

これは俺の手で、――違う!断じて違う!

 

……俺は最後まで言えず、非の打ち所の無いフックが俺の顔面を捕えた。

 

 

 

 

 

「ほ、北郷さん!?」

 

「あ、アニキ!?」

 

「手間かけさせるんじゃないの!……まったく!」

 

彼の襟ぐりを後ろから掴んで、私は春蘭と秋蘭が待つ出口へと歩いて行く。

 

後ろから麗羽の所の二人が必死になって声を上げていた。

 

「アニキー!アタイ達を見捨てないでくれー!」

 

「北郷さん!お願いですから、戻ってきてくださ~い!私達には貴方が必要なんです!」

 

「……何だったのかしら?あの感触」

 

どうやら一刀に女装させたのはあの二人ね。中々面白い事を考え付いたわね。

 

「麗羽様!アニキ取り戻してくださいよっ!」

 

「それよりも!貴女達、この私に一体何を隠しているんですの!」

 

「そ、それ所じゃないのにー!」

 

あそこまで必死に声を上げられると、まるで私が悪者みたいじゃないの……全く。

 

でも北郷一刀は返して貰う――。この時代に覇を唱えるために、彼には旗揚げの一員となって走り回って貰わなければならないのだから。

 

 

(五)

 

鳥の鳴き声で目覚める。……あれ?俺の部屋?

 

見覚えのある天井。いつの間にか俺は華琳の元へと戻って来たようだった。顔を洗おうと外に出て、欠伸をしながら長い廊下を歩いて行く。

 

大きな水瓶の前に立ち、張った水を両手で掬って勢い良く顔に叩きつける。冷たい水が肌を刺し一瞬で眼が覚める。

 

「華琳の奴、思いっきり殴ったな……」

 

それと同時に頬に痛みが走り始める。頬を擦りながら中庭を歩いていると突然声を掛けられた。

 

「おぉ、北郷か。やっと起きたか」

 

「ん、夏侯惇か!何だか久しぶりだな!」

 

俺の身長と同じくらいある巨大な剣を肩手で持ち、額の汗を布で拭きながら上機嫌で此方へと近付いて来る。

 

「どうしたんだ?朝早くから上機嫌じゃないか」

 

「当り前だ!華琳様の働きが朝廷に認められたのだぞ?喜ばん奴は私が叩き斬ってくれる!」

 

怒りながら喜ぶ夏侯惇に、どっちかにしろと言ってやりたい処だが、矛先が此方に向いては困るので、ここは取り敢えず俺も喜んでおく。

 

「そっか~、華琳の働きが認められたんだ……。良かったな~」

 

「――春蘭や秋蘭の様に、心の底からそう思ってくれているのなら……、嬉しいのだけれど?」

 

後ろから声が掛けられる。俺が適当にした返事をからかうように。……噂をすればなんとやら。夏侯淵を連れた華琳が俺の真後ろに立っていた。

 

「おはようございます!華琳様!」

 

俺も二人に挨拶すると、華琳が俺の顔を見て軽い笑みを浮かべる。

 

「おはよう。春蘭、一刀。――別れの時が近付いたのだと考えれば、ふむ。……素直には喜べないか」

 

嬉しそうにも、残念そうにも取れる言い方をして、ふと思い出したかのように殴った俺の頬を軽く撫でる。

 

「これから忙しくなるわ。三人とも頼りにしているわよ」

 

「華琳様。北郷殿はまだ」

 

あぁ、そう言えばそうねと、夏侯淵に向けていた顔をこちらに向ける。

 

「新任の太守、引きずり下ろしてやったわ!」

 

してやったりと華琳が胸を張ると、夏侯淵が嬉しそうに事の経緯を説明をしてくれる。

 

「密書に書かれていた左豊という人物だが、この件に関して白を切り続けたそうだ。つまりは後ろ盾を失った者の末路と言う訳だな」

 

だが夏侯惇は腑に落ちない表情をしながら口を開く。

 

「むぅ。だが太守は一生遊んで暮らせるお金を握りしめて、故郷へと帰ったらしいではないか」

 

全くけしからん事だと付け加えるように呟いた。

 

 

(六)

 

華琳が県令を務めている街は活気に溢れていた。

 

彼女が無実であり、さらには亡き太守の無念を晴らしたのだと自慢げに語り、ちょっとしたお祭り騒ぎである。

 

「おっちゃん、久しぶり」

 

「おぉ!嬢ちゃん。しばらく振りじゃねーか!曹操様の調子はどうだい?」

 

「んー、今日は朝廷の使者が来るって、朝からピリピリしてたよ」

 

何気ない世間話をしていた中、凄い勢いで馬車が道の真ん中を駆け抜けて行く。誰もが目を奪われるほどの華やかな装飾で、乗っている者の身分が伺える。

 

「きっとあれに違いないな。あ~あ、良い御身分なこったな~」

 

酒屋のおっちゃんは詰らなさそうに仕事に戻って行く。

 

どうやら朝廷からの使者がやって来たようだ。俺も城へ戻ることにした。皆が苦しんでいる時代に、贅を凝らした馬車を走らせる者の顔を一目見るために。

 

 

 

 

「華琳様、朝廷の使者が参りました」

 

「そう、意外に早かったわね。ここに通して頂戴」

 

「十常侍様の御成~!」

 

なっ!……十常侍直々ですって?

 

見事なまでの装飾に、女性らしさを前面に押し出した、女にしか見えない男が入って来る。

 

明らかに異質な空気を辺りに漂わせる十常侍は、何やら辺りを見渡して溜息を吐きながら第一声を発する。

 

「貴女の周りには……男、居ないのかしら?」

 

「はっ……。残念ながら、優秀な部下は皆女性ばかりでありまして」

 

「そうだ!ねんねん、北郷一刀は?」

 

「……ほ、北郷一刀は曹孟徳の客将という立場故、この場には出席させておりません」

 

「何よ。せっかく見れると思ったのに。これじゃ無駄足じゃないの」

 

まさか一刀を一目見るためだけに十常侍自ら足を運んだ、なんて訳じゃないでしょうね……。

 

「つまらないわねぇ……もっと空気読みなさいよ。北郷一刀が居ないならこんな所に用は――」

 

突然、後ろを振り向いた十常侍が、鼻をひくひくと動かしながら、信じられない一言を発する。

 

「あら、良いオノコの香り♪……こちらに近付いて来るわ!……しかも上玉な予感」

 

「秋蘭、――匂うか?」

 

「いいや、全く」

 

もしそれが本当だったなら、……バケモノね。

 

「しっかり居るじゃないの!出し惜しみしちゃダ・メ♪ そう言う訳だから、私行きますわね。えっと……、はいこれ。曹孟徳を陳留の刺史に任命する。以上!終わり!じゃーね!」

 

「はっ、謹ん……」

 

私の言葉など聞く耳も持たず、十常侍は背を向けてパタパタと走って行ってしまった。私の中で黒い霧の様な物がムカムカと蠢いている。

 

「……うむぅ」

 

「……ふむぅ」

 

――耐えてみせる。この私を侮辱した事、何時の日か後悔させてやる為に!

 

 

(七)

 

俺は謁見の間に向かう途中に声を掛けられる。

 

「第一オノコ発見!……って思ったら、女?」

 

――その一言で、すでに嫌な予感しかしねぇ!

 

美しい花には棘がある。この前の十常侍の様な、綺麗なオネエ様が嬉しそうに近付いて来る。

 

「ねぇ、北郷一刀を知らない?」

 

「む、向こうで見ましたよ!」

 

俺はあっちの方角へと指差して関わらない様にする。だがオネエ様が突然躓いて、俺に飛び込んで来る。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

「は、はい……余りにも良い香りに、少し目眩が」

 

彼女の白い顔が朱に染まり、恥しそうに俯き俺の胸に凭れ掛る。

 

――!?

 

さり気無く俺の胸を擦り、やっぱりと笑みを浮かべる。

 

男だってバレた。流石にこのままじゃ……まずいか。何とかして誤魔化そうと言葉を紡ぐ。

 

「……そ、曹孟徳殿には内密に、お願い致します」

 

「あら?密偵だったの?……どうしよっかな。お姉さんと一緒に熱い一時を過ごしてくれるなら、考えてもあげても良いかなぁ~なんて!」

 

――やばっ、裏目った!

 

「困った顔も可愛いわねぇ。ハァハァ、何だか滾って来ちゃった……」

 

肩からなぞる様にゆっくりと両手を滑らせ、腕をがっちりと掴んだ指が、まるで別の生き物のように生々しく動く。

 

「ちょっ、困ります!」

 

「ハッ!こ、これが陛下を慕う気持ちとは裏腹に、体が反応しちゃうってやつね!?きゃー!」

 

突然、あちらの世界に飛んで行く。この人絶対十常侍に違いない!

 

「……だっせぃ!」

 

――なっ!

 

突然男の声を出したと思えば足払いされ、俺の体が一瞬宙に浮く。地面にそのまま落下する前に、俺は手を突き出すと、恐るべき動きで落下地点に割り込んだオネエ様が目の前に現れる!

 

「――くっ!……セーフ!」

 

「あん!押し倒すなんて……大胆♪」

 

「押し倒してない!」

 

――しかも頬を染めて俺の下で体をくねらせる。なんか動き怖ええええ!

 

「ちょっ!――何してるんですか!?」

 

俺は飛び跳ねる様に起き上がる。

 

――な、何だ?あの獣のような俊敏な動きはっ!

 

その人が手を差し出したので、恐る恐るその手を取って起き上がるのを手伝う。

 

「うふふふっ!あんまり苛めちゃ他のお姉様達に怒られちゃうわね!北郷一刀。お姉さま達が一度遊びにいらしてって!」

 

「はぁ……」

 

「それでは、ごきげんよう」

 

目配せされ、服を叩きながらオネエ様は歩いて行ってしまった。……あれ?もしかし袁紹さんの所でバレてたのか?

 

 

 

 

ただ茫然とオネエ様を見送った後、華琳の様子を見に行く。

 

部屋の扉をゆっくりと開けた瞬間、扉に近い文官や武官達から順番に気付いて振り向いて行く。その蕾の様な硬い表情が、暖かな春の日差しを受けた様に次々と花開いて行く。

 

奥にいる夏侯姉妹が、にへらと微笑みを浮かべ、――華琳さん!?

 

入って来た俺に華琳さんがギロリと目を光らせていた。

 

夏侯姉妹や他の者までも彼女に話しかけろと合図してくる。俺に生贄になれと!?――そう仰るか!?

 

さり気無く……この場から立ち去ろう。俺は出直すことにする。

 

だけど、このまま逃がしてくれる華琳さんじゃありませんでした。

 

「良い所に来てくれたわね。……協力してくれるわよね?店主にしか頼めないの」

 

吐きだす様に低く呟くと、この空間が恐怖一色に染まる。

 

「――しょ、承知致しました」

 

悔しがる夏侯惇を横目に通り過ぎ、華琳の前で一礼する。彼女の耳元で準備が出来次第お迎えに参りますと伝え、深々と頭を下げる。

 

「――解散!」

 

皆が一礼してこの場から足早に去って行く。

 

「やれやれ……」

 

夏侯淵が呟いたその一言に、一体どれだけの感情が込められていたのだろうか。

 

――そして、俺は華琳に浴びせられるように酒を飲まされ……、その後の記憶は覚えていない。思い出せないのか、それとも思い出さない様にしているのか。華琳もまた青ざめた顔で覚えていないの一点張り。

 

恐ろしくなった俺達は、この出来事を闇に葬ることにした。

 

 

(八)

 

華琳が陳留の刺史に任命され、街ではお祭り騒ぎに拍車が掛る。送別会や祝宴に出席したりと華琳は大忙しである。

 

そんな中、俺達は久しぶりに昼食を共にしていた。

 

「街の人に聞いたんだけど、陳留の周辺では賊が横行しているらしい。官軍も何度か敗走している噂で、治安もあまり良くないらしい」

 

街の声を華琳達に伝える。

 

「噂には聞いていたが……、かなり厄介な場所を押しつけられたようですね」

 

背凭れに凭れ掛った華琳が空を見上げて掌を掲げる。

 

「そうね。でも陳留で足止めされる訳にもいかない。必ずこの手中に収めてみせましょう」

 

華琳は空を掴み取った瞬間、夏侯姉妹が顔を見合せて頷く。座っていた椅子から離れ、華琳に向かって跪く。

 

「我等姉妹、曹の御旗と共に!――我等姉妹、華琳様と命尽きるまで!」

 

華琳は一瞬驚くも、嬉しそうに微笑む。

 

「えぇ。共に歩み、そして私の命が尽きるまで、ずっと傍で支えて頂戴」

 

「はっ!」

 

彼女達をじっと見詰めていると、突然夏侯惇が俺に向かって質問を投げかける。

 

「で、北郷!――勿論、我等と共に行くのであろう!?」

 

「そう言えば、旗揚げまでという約束だったか……」

 

「一刀、まさか!――」

 

片手で頭を抱えながら有り得ないと首を横に振る。悲劇的な含みを持たせた言葉とは裏腹に、彼女の唇はその間ずっと釣り上がっていた。

 

「目の前で苦しんでいる人達を見捨てたりは……しないわよね?」

 

「……そ、そう来たか」

 

逃げ道を塞がれた俺は天を仰ぐ。

 

「ふふっ、この曹孟徳の元に飛び込んできて、そう簡単に旅に出られると思ったら大間違いよ。一刀には陳留の街の治安対策をお願いするから、その心算でいて頂戴」

 

「いきなり大役だな……」

 

「そうと決まれば、急いだ方が良さそうね」

 

椅子から立ち上がった華琳は俺達に告げる。

 

「陳留から兗州全域に、この曹孟徳の名を知らしめる!」

 

そして俺達は陳留へと拠点を移すことになる。

 

 

 

 

夏侯姉妹が疾風のように走り去り、俺達も準備に取りかかる為に移動する。

 

「そういえば一刀はいつまで女装しているのかしら? それに春蘭や秋蘭にまで女で通しているのは一体何故なの?」

 

そうだ!この状況が日常になってしまって、とても大切な事を忘れていた!

 

「彼女達と出会った時にさ、華琳の真名を呼んだ途端、不届き者扱いされて殺されかけて……。ちなみに、男なら即刻首を刎ねていたらしい」

 

「お、男ならって、……男じゃないの。確か二人には伝えておいた筈なんだけど?」

 

「それが信じて貰えなくってさ。で、その誤解は解けたんだけど、今度は新たな問題が……」

 

「新たな問題?」

 

蟠りを残していてはいけないと、華琳が心配そうにそれは何だと問いかけて来る。

 

「俺が男だって言った瞬間に、騙したな!って首を刎ねられそうでさ……、何とかならないかな?」

 

「ぷっ――、あはははっ!そのままで良いんじゃないかしら? 一刀が男の恰好をしていても、私は面白くもなんとも無いし」

 

「いやいやいや、こっちは真剣なんだよ!人の不幸を笑う奴が何処に居るよ!――面白いとか!」

 

「ふむ、女の子なのに一着しか服が無いのは考えものね。……衣装でも拵えさせましょうか。後で部屋に届けさせるわ♪」

 

そう言って、彼女は鼻歌を歌いながら歩いて行く。――あれ?

 

「……嘘だろ?」

 

俺は立ち止まる。女の子なのにって、何?

 

「おーい。華琳さーん……華琳さま~!」

 

やばいな。ここで流されると本気で女性用の衣装が届きかねん。あれは絶対にやる気だ。

 

――!? ほら、一瞬跳ねた!――華琳がスキップした!

 

くそっ!振り向かせるにはどうすれば良い!?――ハッ!

 

「……其処の頭が良くて、頼りになって、ちょっと悩みもあるけど、でもそこがとっても可愛い――」

 

「――黙りなさいっ!」

 

おぉ、反応した!華琳っておっかないけど、可愛いかも。って、――俺の服ぅぅぅ!!!

 

 

(九)

 

華琳が陳留に拠点を移した。

 

最初は華琳の様子を見ていた者たちが、早くも水面下で動き始める。

 

賄賂で地位を勝ち取って来た者では手に余ると見て、実力派である華琳を送り込んだだけの事はある。

 

一部の官人と商人が癒着し、利益を少なく見積もって脱税したり、故意に計算を違えて税を少なく申告したりするのだ。また役人が集めた税を恣意に流用し、帳簿に嘘の記載をする。

 

そんな分厚くて、分かりにくい帳簿を虱潰しに洗い出す毎日が続く。そしてそんな俺達に近付いて来るのだ。何も考えるな。欲のままに生き、楽をすれば良い。お前たちもこちらの世界に来いと。

 

拍車を掛けて、新たに送り込まれる太守は、手のつけられない程の暗愚ばかり。賊に返り討ちにされ太守が落ち伸びる。そして新たな太守がやって来てはまた賄賂が贈られる。

 

俺達の精神が徐々に、徐々に削られて行く。正直に言う。俺達の頑張りも虚しく、官に対する陳留の民の信頼は皆無であった。

 

さらに賊の動きも徐々に活発になり始めていた。最近では義賊まで出始め、賊を襲い、さらに官軍も襲っては民の支持を得る者まで現れたそうだ。

 

だがそれでも華琳は弱音を吐く事はない。

 

「はぁ……嫌がらせかしら。軍権も無いというのに、賊退治を手伝えですって。でも力を示す良い機会か……。民の心が得られなければ行く行くは転がり落ちてしまう。何とかしたい所だわ」

 

「厳しいな……。資金も兵士も全てが足りないのに」

 

「……兵に関しては、私兵を投入すればまだ何とかなるでしょう。太守に手伝ってやるから兵を寄こせとは言ったけど、果してどれ程の兵士が送られてくるか」

 

俺を見て溜息を一つ吐く。

 

「それでも圧倒的に数が不足する分では、策で乗り切るしかないわね。そのためにもこの辺りの地図を完璧に頭に放り込む必要があるわ」

 

この周辺が描かれた地図を俺に押しつけて来る。

 

「地図は覚えた。次はこの目で確認して細部を詰める。準備が整い次第、県境まで遠出するからその心算で居て頂戴」

 

 

 

 

華琳と別れ、俺は街を歩くことにした。

 

民の笑顔は少なく、無気力な感じがするこの街で珍しく声を掛けられる。辺りを見渡すと屋台の店主が俺を見て手招きしている。

 

「おぃ、嬢ちゃん。確か新しく来た刺史の曹操っての部下だろう?」

 

素直に肯定すると、その中年のおじさんは難しい顔をして問いかけて来る。

 

「あの人が来て、良くもならんが、悪くもならん。一体、何をしているんだ。何か変わったんだ?」

 

俺は彼女の仕事を簡単に説明する。

 

「皆に治めて貰ってた税を、役人が不正に流用していないか。そういうのを調べて逮捕している段階なんだ。そこからしないと、街の政策処じゃないってさ」

 

「ふむ、最近連日の様に見せしめにされている、あれか?」

 

俺は頷く。

 

「あとこの街の警備も担当しているんだ」

 

そう言って、俺がこの街の治安を任されている担当者だと言って自分を指差す。

 

「ぱっとしない嬢ちゃんが担当者だったのか!人は見かけに寄らないな! 何となくだが警備している兵士を良く見かけるようにはなったが、こちらも前と対して変わっちゃ居ない気がするな」

 

「うーん、予算が……、お金が無くて、そんなに沢山警備兵を雇えないんだ。自警団を組織して、少しでも連携が取れれば良いんだけれど……」

 

何やら感慨深いものがあったらしく、おじさんは顎に手を当てて考え始める。

 

「そうか……。俺達の知らない所で頑張ってくれているんだな」

 

そう言いながら手を動かし、蒸し上がった肉まんを袋に詰めてくれる。

 

「今回はいつまでもつかと思っていたが……。刺史様に期待しないで待っていると伝えておいてくれ」

 

ほらよっと、俺に出来立ての肉まんを手渡してくれる。

 

「ありがとうございます!」

 

この肉まんに、どれだけの期待が込められいるのか。おじさんの輝く目を見れば理解できる。

 

そんなおじさんがそっと俺に手を指し出す。

 

「……うちも大変なんだよ」

 

――奢りじゃないのか!?

 

がっくししながらお金を手渡すと、おじさんが嬉しそうに微笑む。まぁ、唯で貰うと色んな意味でややこしいからなぁ。

 

俺は華琳の元へと向かう。この悲しくも素晴らしい出来事を報告する為に。

 

 

(十)

 

「華琳、お疲れ様。少し良いかな?」

 

執務室で竹簡の山に埋もれた華琳が顔を上げる。

 

「……どうしたの?一刀が足を運ぶなんて、珍しいじゃない」

 

俺は肉まんが入った包みを軽く持ち上げる。

 

「……あら、どういう風の吹きまわしかしら?」

 

「それは少し酷いな。屋台のおじさんが華琳にって。期待しないで待っているってさ」

 

「……そう。丁度お腹も空いて来た所だし、一息入れましょうか」

 

従者を呼び、お茶の準備をさせると俺達は席に着く。

 

手拭いを置いた華琳が嬉しそうな表情で肉まんを一つ取り、それを半分に割って俺の口元へと運ぶ。

 

「なっ!どうしたんだよ!突然」

 

「私にこうやって食べさせて貰えるのだから、もっと喜びなさいよ」

 

肉まんで俺の唇に軽く触れて、早く口を開けろと急かす。

 

「はい、あーん」

 

――くっ、その台詞は俺を恥しめる心算か!?

 

俺は大きく口をあけて、彼女の手から肉まんを頬張る。……何故だろう。彼女の場合だと、なんだか餌付けされている気分だ。

 

「……美味いな」

 

「そう……。で?」

 

「で?とは?」

 

「変な所は無いかって聞いているのよ」

 

――毒味役かよっ!

 

「まぁ、その調子なら大丈夫そうね」

 

華琳は肉まんを口に運ぶ。

 

「これは、中々の物ね」

 

……勿論このまま、やられっ放しの俺じゃない! この恥しさを華琳にも教えるべく俺は反撃にでる事にする。

 

俺は半分に割った肉まんを先に頬張り、その残りを華琳の口元へと運ぶ。

 

「なっ!一刀、一体何の心算かしら?」

 

「何って、華琳がやってくれたことじゃないか。……これがどれだけ恥しい行為なのか、身を持って知ってくれ」

 

手元にある肉まんと俺の顔を見比べながら、彼女はその恥しさに気付いたのか頬を朱に染めて、小さな口を開ける。

 

「――華琳様!」

 

扉が勢い良く開かれると同時に、俺は驚いて手元を動かしてしまう。はぐっと彼女の可愛い口が空を切る。

 

……あっ。

 

華琳は顔を真っ赤にして俯くと、わなわなと震え始める。

 

「っ!……か~ずぅぅ、とぉぉぉ!!!」

 

「待て!今のは夏侯惇が急に入ってきて驚いて、そういう悪戯してやろうなんて気持ちは!」

 

華琳は何処から持って来たのか、彼女の武器である大鎌を手にしていた。

 

「問答……」

 

突然やって来た訪問者の夏侯惇は、その瞬間を目撃した模様で心は此処に非ず。扉の前で立ち尽くし、現在お花畑で走り回っている真っ最中。

 

――よって、逃げ道は窓しかない!

 

「無用!!!」

 

その掛け声とともに俺は身を屈める。予想通り俺の首を刈り取ろうと、俺の真上で空を斬り裂く音がする。その瞬間俺はこの部屋の窓から一目散に走り出す。

 

「一刀!――待ちなさい!」

 

――待ったら死んでしまう!

 

だが華琳は絶を振り回しながら、俺を追いかけて来る!

 

「ひぃぃ!――助けてくれ!」

 

鬼ごっこは夕暮れまで続き、最後は華琳に土下座して、何とか俺は命を繋いだ。

 

 

(十一)

 

昨日、華琳の部屋を訪れた夏侯惇は、準備が出来たことを華琳に報告しに来たらしい。その為、急遽県境まで遠出することが朝議で決まった。

 

……俺の周りには歴戦の武将っぽい人達ばかり。彼等に混じって整列して待っていると、鎧を身に付けた華琳がやって来る。

 

「賊の動きが活発になりつつある今、この陳留周辺でもその戦いの激しさは増す事になるでしょう! 我等にも十分な備えが必要である!……攻めるも守るも地の利を生かす事が、戦場に置いて必要不可欠であることは言うまでも無い――。お前達も、この周辺の地形をしっかりとその頭に叩き込め!――総員速やかに、騎乗!」

 

その号令で三秒もかからず馬の上に飛び乗る。

 

「お気をつけて、華琳様!」

 

「えぇ、すぐに戻るわ!――出撃!」

 

 

 

 

華琳を先頭に俺達は三十名程で県境までやって来た。

 

そこでばったり、賊の先頭集団と出くわしてしまう。

 

「なっ!――賊がこんな所にまで!」

 

「げっ、官軍!」

 

相手が抜刀したために、こちらも抜刀せざるを得なかった。

 

その一瞬で白兵戦が始まる。

 

「一刀は、私の後ろにいなさい!」

 

華琳の合図一つで、バラバラだった兵士達が一瞬にして隊列を立て直す。こちらに向かってくる数人の賊を、その大鎌で一瞬に斬り捨てて賊の勢いを殺すと、両側から展開した武将達が取り囲む様に斬り込んで行く。

 

ほぼ同数の戦いは一瞬で俺達に軍配が上がる。だがすでに勝敗は付いていた。向こう側から賊の本隊が巨大な波の様に押し寄せて来る。

 

この人数じゃすぐに飲み込まれる。華琳はと思えば絶を持って未だ前線に張り付いているではないか。

 

「華琳、何をしているんだ!? 早く撤退を!」

 

何を血迷ったのか、その声がハッキリと聞こえる。

 

「我が名は曹孟徳!陳留の誇り高き刺史なり!各人、獅子奮迅せよ!賊に背を――」

 

「駄目だ!華琳は早く安全な所へ!」

 

「賊に背を向けろと言うの!……この曹孟徳に他の太守と同じ様に、落ち伸びろと言うのか!?」

 

――さっきの戦いで興奮している。……いつもの冷静な華琳じゃ無い。

 

「この戦いに何の意味がある!無意味な戦いで君を失うわけにはいかない!――誰でも良い!早く、華琳を連れて撤退してくれ!」

 

俺と同じ考えに至った兵士達が、暴れる華琳を押さえつけて行く。驚くべき力で何人もの兵士を吹き飛ばすも、沢山の兵士達が彼女を押さえつける。

 

「くっ!――貴方達!放しなさい!」

 

「華琳、この腐りきった国を変えるんだろ!?」

 

「っ!」

 

ならこんな所で死ねないよなと彼女に問いかける。沈黙は肯定なり。力が抜け、抵抗の意思を失った華琳から、兵士達が離れて行く。

 

「この曹孟徳の元へ必ず、……必ず、帰ってきなさい」

 

辛そうに、今にも消えてしまいそうな声で呟く。

 

この場からの撤退を宣言すると、部隊の半数以上が転進し街へと戻る為に行軍を始める。

 

勿論、俺はこの場に残って殿を務める。逃げずに残った人達が俺に近付いて来る。

 

「北郷殿は、ごくたまに大ポカをする姫に、間違いを正す事の出来る数少ない御人よ。良い関係を築かれましたな。……だが姫に取っては大きな痛手となりましょう」

 

……華琳を子供の頃から見守って来た、曹家に仕える古参兵達だ。彼等も今回の殿の意味を理解していた。

 

「姫は何時でも無理難題を言って我々を困らせる。だが今回ばかりの命令は守れぬわな。たが――我らは全力を尽くすのみよ」

 

残った兵士達が頷く。死地へ赴こうと俺を見据える。

 

「ふぉっふぉっふぉ。では、姫様の盟友で在られます、北郷殿よ。儂らに一つ檄をお願いしますかの」

 

若造が何と檄を飛ばすかと見詰める者、暖かな目で俺を見守る者、また期待に満ちた眼差しを送る者。俺は、彼らに心の底から溢れ出る想いを言葉に乗せる。

 

「――曹孟徳は偉大なる蒼天へと、流れ行く河へと辿りつく! 腐りきったこの国が滅び、覇権を賭けて争う群雄共を静めんと、彼女もまた天高く覇を唱える!」

 

賊の声が徐々に大きく、向こう側から押し寄せて来る。でも誰も逃げ出さずに俺の話に耳を傾けていた。

 

「曹孟徳をこんな所で失う訳にはいかない!……だから彼女が安全な場所に辿りつくまで時間を稼ぐ。そして……」

 

――この戦線を離脱し華琳と共に歩んでほしい。

 

だが言え無かった。生き残れる可能性など、限り無くゼロに近いのだから。

 

「――我等!最後は誇りと共に!」

 

皆が剣を引き抜き、己の前に剣を掲げ哮る。

 

「北郷殿はお優しい!言いたいことなど手に取る様に分かる!だが曹家に仕える我等古参の兵に、そのような戯言など皆無じゃ!――我等を甘く見ること無かれっ!」

 

――そう、彼等は曹孟徳の忠臣なのだ。

 

生き延びる気などさらさらなく、誇り高き死を選ぶのだ。だからこそ、華琳を心から愛するこの人達にっ!

 

――俺は、俺は曹孟徳の一将として全滅だけは避ける!

 

考えろ!生き恥を晒してでも、彼等が生き残れる策を! この十倍以上という人数差を……覆すための策を!

 

 

……そうだ。最後まで諦めてなるものか。

 

――必ず生き残ってやる!

 

「俺に……、俺に一か八かの、下策ありっ!」

 

 

「――北郷殿、それは策では無く賭け事である」

 

周りの皆が頷く。まぁ、つまりはそう言うことなのだ。一応これでも将という立場、策なら致し方ないと古参兵達も納得してくれた。

 

武人としての生き様を飾れないかもしれない。だけど……

 

「お前、娘がまだ小さかったじゃろ!――そんな奴は死地に無用じゃ。要らぬからさっさと姫と合流せぃ!」

 

「なにぃ!姫より儂の娘のほうが立派じゃい!」

 

――誰一人

 

「全く……。儂もこのからくり夏侯惇将軍を完成させねばならんというのに!」

 

「ふん!そんな可愛げの無い玩具など、誰も見向きもせんわ!」

 

「分かる奴には分かるんじゃい!」

 

――逃げること無く

 

「ふぉっふぉっふぉ!――わしぁ~、秋嬢ちゃんの為に一肌脱ぐとしようかのぉ」

 

「ふぉっふぉっふぉ!」

 

「ふぉっふぉっふぉ!」

 

――付いてきてくれる

 

彼等は俺と死地へと向かってくれる。本物の華琳の精兵達だ。

 

 

(十二)

 

「聞け!この苦しい時代に生きる同胞達よ!」

 

たった八人で百以上の賊を前にする。失敗は許されない重圧が俺に圧し掛かる。震える足で大地を踏みしめ、硬直した体が前屈みにならぬよう目一杯に後ろに逸らし、鞘の先端である鐺を地面に突き刺して、胡蝶ノ舞でちっぽけな俺の体を支える。

 

「我が主、曹孟徳の名の元に告げる!この時代が嫌か?苦しいかっ!……ならば、その命、曹孟徳に預けよ!彼女なら、間違いなく貴方達に安寧を齎してくれる!」

 

「ならば、証明せよ!今すぐ我等に安寧を!……出来る筈がない!」

 

「人を捨て、獣として生き続けるというのか!?――このまま罪を犯し続ければ、誰一人生き残れないぞ!」

 

「戯け小僧!――貴様等に何が分かる!――腹を空かせた子供に何もしてやれないこの気持ちを!――愛する者の死を見届けてやれぬこの悲しさ!――守りたい者を守ってやれないこの無力さを!」

 

「なら尚更、曹孟徳が目の前にいるという事実を認識するべきだ!……彼女の元で今すぐ罪を贖い、もう一度人としてやり直すんだ!……貴方達なら、彼女がその機会を与えてくれる筈だ!」

 

目の前の賊達が相談を始める。本当にもう一度、真っ当な生活ができるのかと。

 

「……黙れ!官軍の言葉なんて信じられるかっ!」

 

「官!?……そうだ!そうだ!甘い言葉に騙されるな!俺達を裏切るに決まっている!」

 

野次を飛ばし、こちらに向かって石を投げつけて来る。

 

「北郷殿……もやはこれまでじゃ」

 

「……諦めるつもりはありません。悪足掻き――させてください。俺、死ねないんです」

 

好きになされよと離れて行く。その目はすでに死地に赴く武人の目だ。

 

「頼む!聞いてくれ!――何故俺達が此処に居る理由を知っているか?君達に州を上げて討伐命令が下ったからだ!」

 

「討伐だと!?」

 

「官の奴等!俺達を追い込んだ挙句、最後は討伐だと!?――ふざけるな!」

 

絶望に暮れる者や、俺達八人に罵声を浴びせる者。だが俺達に怒りをぶつけても何の解決にもならない。

 

「敵は曹孟徳だけではない事を認識するんだ!……手柄を立てようと、出世の材料として見られた貴方達は、虫けら当然の様に殺されてしまう!」

 

ふと俺の横に並んだ一人が、辛そうに口を開く。

 

「其処には、慈悲も何もない……。虐げられてきたうぬ等なら、分かるであろう?」

 

俺は頷く。

 

「今ならまだ間に合う!ここに残っている兵士達を彼女の元へ送り返して誠意を見せるんだ。そして話し合いの場を掴み取るんだ。曹孟徳という人物を他の役人と一括りにしてはいけない。それこそ後悔することになる!」

 

「お、お前達が裏切らないという保証はどこにも無い!」

 

「ふぉっふぉっふぉ……、そんな心配せんでも良い。何時かは皆、皆殺しの運命じゃ。儂ら全員、生きるか死ぬかじゃ」

 

その一言に、賊達が一斉に唾を飲み込む。

 

「俺が人質……いや、梯子役に君達の間に入ろう。きっと話し合いの場に足を運んでくれる筈だ。後は君達次第だけど……どうする?やらないで後悔するくらいなら、やって後悔してみないか?」

 

ざわめいた後、この集団の長らしき人物が現れる。

 

「儂らは明日を生きるために、略奪を行って来た。罪は認識している。民として生きる場を提供してくれるなら喜んで罪を償い、真っ当に生きて行きたい。そう伝えて頂けますかな?」

 

「畏まった。儂ら曹家七家老が、責任を持って伝えよう」

 

――曹家七家老!?……初耳だ。

 

「それじゃ、華琳に言われていた警備の案件、俺の机の引き出しの中に入っているって伝えておいてください」

 

伝言を頼み彼らを見送る。俺一人が残り、貴重な華琳の兵を彼女の元へと送り返す。たとえ失敗しても、犠牲は俺一人。策としては悪くないと思う。

 

俺が残った処で彼らの恨みが晴れる筈無く、燻った遣る瀬無い気持ちが俺に向かう。官の犬という理由で、無抵抗な俺を数回殴り飛ばした男達は、俺の手足を縛り牢獄へと放り投げた。

 

 

(十三)

 

「どうかお許しくだされ。若い者が一番辛い思いをしておるのです」

 

そう言って俺の枷を外してくれた人は、先程の長らしき人物だった。

 

「いえ、気にしてません」

 

姿勢を正した俺に、その人が問い掛けて来る。

 

――貴方達の主人、曹孟徳と言う人物とは?

 

その問いに俺の知る限りの華琳を語り、そして最後にこう告げる。――王の器を持つ一人だと。

 

だから大丈夫だと。――自分にそう言い聞かせた。

 

すべては上手く行く筈。だが……

 

「申し上げます!我々を討伐しようと……攻めて来ました!」

 

「……裏切ったな!」

 

若い男が俺に掴みかかる。

 

「違う!――何かの間違いに決まっている!」

 

「現実から目を背けるなって言ったのは、お前じゃないか!」

 

別の男が拳を振るわせながら、大声で叫ぶ。

 

「俺達はこの辺りの地形を確認する為に、県境まで来ていただけなんだ。例え彼等が戻って攻めて来るにしても、もっと時間が掛る筈だ。こんなに早く来る筈がない!」

 

彼等は顔を見合わせる。

 

「そうだ……、彼女は曹旗を掲げている筈だ!曹の旗はあるか!?」

 

「――どうなんじゃ!」

 

「そ、そこまでは知らん。だがこの拠点が攻撃されているのは間違いないんだ!」

 

「頼む、俺も連れて行ってくれ!……この目で確かめたい!」

 

 

(十四)

 

まるで鮮血を吸いこんだ太陽が、目の前の世界を真っ赤に染め上げる中、俺達は森の中を全力で走る。

 

風は微かに血の匂いを運び、徐々に悲鳴や断末魔の叫びが近付いて来る。

 

――!?

 

森を抜けた途端、突風が俺の体を貫く。眼下に広がったのは攻める者と守る者が犇めき会う戦場。

 

「見ろ!遠くの方にいくつかの部隊が待機している。どうやらある一部隊だけが先行して攻撃を仕掛けてきているみたいだ」

 

逃げ遅れた人達に笑いながら剣を振り下ろす男達が、俺の目に飛び込んで来る。

 

相手も……賊なのか!

 

服装はまばらで、手には農具を持った者も見受けられる。だが唯一違うのは――大きな旗が掲げられていることだ。

 

「義と劉の牙門旗!?……ここ最近、巷で有名な義賊です!」

 

「ぐっ!もう少しの所で……!」

 

俺は胡蝶ノ舞を握り締めて戦場へと向かう。

 

「どちらへお行きなさる!?」

 

「防柵に!――華琳は官軍だ。彼女さえ到着したら彼等も迂闊に手を出せない!誰か、曹孟徳に伝令として出向いてくれ!」

 

高台から防柵へ。本陣よりもかなり突出し、防柵に張り付いている劉と書かれた牙門旗の元へと向かう。

 

 

(十五)

 

「大丈夫か!?」

 

如何してコイツがこんな所に居るんだと驚いた顔をされる。だが気にしている場合じゃない。

 

一気に攻められたら一溜まりも無い数なのだ。

 

だが理由は分からない。攻めて来ているのは目の前に居る一部隊だけ。将の旗は――。

 

「貴様が賊将だな!」

 

俺に向かって怒鳴り声が飛んで来る。其方へと視線を向けると、男が俺を睨んでいた。

 

「良い服を着ているな!沢山の村を襲っては弱き者を虐げ、さぞ美味い飯を食っているのだろう!」

 

――俺を賊将と勘違いしているのか!

 

「俺は陳留の刺史の使いの者だ!」

 

「くくっ、この状況でよくそんな嘘を抜かす。所詮は賊か!」

 

案の定信じて貰えず、賊達が俺を嘘つき呼ばわりする。

 

「――確かに此処に居る人達は罪の無い人達を襲った。それは紛れもない事実だ!居場所を奪われ、生きて行く為に仕方が無かったとしても、そんな言い訳は通用しない!」

 

「――だから罪を償わせる!一生を掛けて償わせる!」

 

一瞬、この戦場が静まり返る。

 

「何、頭逝かれた事を抜かしてやがる!……早い話がつまりだ。俺達義勇軍が殺された奴等に代わって、貴様等を討伐してやるってこった!」

 

「黙れ! お前達がこの人達の命を奪う権利なんて何処にも無い! 笑いながら剣を振り下ろすお前達に義を語る資格なんて無い!」

 

「貴様……言わせておけば!」

 

俺に向かって矢が飛んで来る。慌てて隠れると俺の事を馬鹿にし始める。

 

「ふははははっ!矢を恐れて逃げ隠れたぞ!臆病者奴!」

 

全員で俺の事を臆病者と叫ぶ中、此方側は誰もが冷静でいた。俺を賊将と勘違いして、此方側の守り手すら馬鹿にし始めた。だが皆は関係無い事なのであっけらかんとしている。

 

「お前、官軍の将の癖に……。いや、何でも無い。日が落ちるまで馬鹿にされても大丈夫な口か?」

 

「日が落ちたら何か良い事があるのか? それから、勿論馬鹿にされるのは嫌だけど、俺の目的は君達を無事に華琳に、曹孟徳に面会させることだ」

 

その一言で彼等は納得する。――本当は官軍の将とは違うのだが、説明が面倒なので黙っておく。

 

「日が暮れれば攻め手はやりにくい。無理をする理由がなければ攻撃の手を休める筈だ」

 

……今必要なのは時間か。ならば馬鹿にされ続けよう。

 

日が落ちて辺りが暗闇に包まれる。今まで俺を挑発していたが、一瞬にして不気味な静けさが広がる。そんな中から、覇気の籠った女性の声が響き渡る。

 

「おい、賊将……いるのだろう?」

 

俺は暗闇の海に顔を出し、声が聞こえる辺りを眺める。

 

「助けなど来る筈も無く、籠城の真似事をして悪足掻きか? 誇りを捨てて人を捨て、金銀財宝に目が眩み守るべきものを違えたと見える! だが潔く我らに首を垂れるなら命だけは助けてやる!」

 

「――だが臆病風に吹かれ亀の様に頭を引っ込ませ、我らに義を語るなと一笑したお前だけは助ける心算はないがな!」

 

その一言に、闇の中から歓声と幾つもの嘲笑が聞こえる。

 

「ならば、答えろ!……何故攻めた!首など幾らでも垂れてやる!何故最初から助けてやろうとしてやらなかった!」

 

「そ、それは貴様たちが罪なき者に刃を向け、弱きものを虐げる賊だからだ!」

 

「この人達は賊に攻められ、官軍にも見捨てられ、生きる場所を失った!……教えてくれ!生きる場所を奪われ、見捨てられて、追い詰められた力無き人達は、明日をどうやって生きて行けば良い!?」

 

……その問い掛けに、答えは帰ってこなかった。

 

「お前達は、この人達を助けてやれるのか!?」

 

「……弱小ながら劉殿は懐が広い。懇願すれば命だけは助けて下さるだろう。我等は義を語っているのだからな」

 

少し苦し紛れでも、自慢げに語る。

 

「なら一つ。俺は賊将じゃない。陳留の刺史の使いの者だ。縁あって俺はこの人達と行動を共にしている!」

 

「だからどうした。官だと聞けば怖気付くとでも思ったか!?――我等を愚弄して、逃げられると思うな!」

 

「愚弄!?……それはこちらの台詞だ!義を謳いながら、ただ賊が存在しているという理由で襲い、逃げ遅れた者の背中に笑いながら剣を振り下ろして、何が楽しい?そんなに人殺しが楽しいか!」

 

「……」

 

「絶対に認めない! お前達は自らの強さを示し酔いしれている、正義の味方気取りの幼稚な――!」

 

「黙れ!――黙れっ黙れっ黙れ!!! これ以上、我々を愚弄すると許さんぞ!!!」

 

「ならば!……お前達の劉の性を持つ主人が、少しでも良い!この人達の願いを汲んでやってくれ! 腹を空かせた子供達に飯を食べさせ、安心して眠れる場所を!――彼らを助けてやってくれないか!?」

 

「……」

 

それっきりその女性の気配が消え、波が引いて行くような静けさの中、俺は防壁に凭れかかり真っ暗な空を見上げた。全身が汗でびっしょりと濡れていた。

 

――これから、俺はどうすれば良い?

 

そんな俺の問いかけは、一瞬にして闇に吸いこまれて行った。

 

 

あとがき

 

 お待たせしました!昇龍伝、第十章になります。

猪々子と十常侍の話を挟みつつ、前回の章の最後、強制送還の部分を含みますので、……実は今回はかなり短いです。でもまぁ次回への繋ぎと考えれば、納得の短さです。

 

 舌戦や檄の台詞、考えるのが大変でした。上手く出来ていたでしょうか?

 今不安なのが、最後の舌戦の、「どうすれば良い!?」 との問いに、「こうしたら良いんじゃない?」との回答が、サクッと的を射て出る事です。内心びくびくしております。

 

 さてさて、一刀があっち行ったり、こっち行ったり。う―むって感じでしたが、最後は何やら熱い展開に!――面白くなって来た!いや、もう本当に自己満足です。付き合ってくださる皆様には本当に感謝です!

 

 前回のコメントを拝見させて貰いますと、一刀の活躍の場を期待していた人が多かったので少し驚いてます。でもそれは仕方の無いこと。だって華琳様なんですもの!

 でも今回は大活躍でしたね。十常侍をやり過ごし、華琳にアーンしたり、曹家に長く仕える御爺様方を救い、さらには義賊の将までも舌戦でやり過ごす。……もしかして、違う意味で無敵なのかと、少々疑問に思う所です。まぁ、主人公ってこんな感じだしね!それは一刀も例外じゃないでしょ♪

 あと、一刀が変わったと言う意見がちらほら。テスとしては太守の重責を全うし、肩の荷が下りて解放された一刀な感じです。え、弛み過ぎ?……まぁ、暖かい目で見守ってやってください。いやいや、でもメリハリって大切だと思うのですよ。

 

 何も無ければ、次で書きたかった展開の一つが書けそうです。いや本当に長かったです。皆さんの応援が無ければ、今まで更新して来れたかどうか……。本当にありがとうございます!次回も頑張りますので、ぜひぜひご期待下さい!

 

 

コメント返し

 

こちらは第九章で頂いたコメント返しになります。毎回参考にさせて頂いております。本当にありがとうございます!

 

森番長様 > うっ!曹孟徳の事件簿ですからねぇ~。でも意外や意外。一刀君に注目してる方が、沢山いらして驚いてます!

 

ジョージ様 > さすが曹孟徳、主役級です。一本持って行ってしまいました! 麗羽様は十常侍の対決で敗退した模様です。

 

自由人様 > これまた意外なのです!一刀が不憫でしたか~。今の華琳は人材不足という感じ。こき使われるのも仕方が無いかと。約束の件は大丈夫です。ちゃんと華琳宛に手紙を出しましたよ!あと、まだ女装ですwww

 

shotomain様 > 意外です。不憫でしたか!猫パンチだと思って頂ければ可愛いものかと!……ふふふっ、星が待ち遠しいですか!それはもう、御期待下さい!

 

とらいえっじ様 > でもそれがあとあと悩みの種になるのです!

 

ルーデル様 > しばらくは下っ端ですね~。上に立つ日は来るのだろうか!

 

munimuni様 > できることなら忘れていたい!それが袁紹様なのです!おーほっほっほ!

 

jackry様 > 実はこの章で新たな事実が判明!第三章の後、どうやら女性関係で二人の間で一悶着あった模様ですw

 

相駿様 > 本当は十章の華琳の強制送還で終わりでした。書いている途中で十常侍の話を思い付かなければ、実はその読みは大正解だったのです。実に良い読みをされております。特に一刀の制服に着目された辺りは凄いなと思いました。制服は彼女の手元にある。これはポイントですね。皆さんも一刀と一緒に忘れてくれてるかな~って思ってたんですけど、いやはやw

 

夜の荒鷲様 > お待たせしました!やはり星無しでは語れない昇龍伝となりつつあります。今はまだ人材が少ない華琳様。人が足りない為、無能な一刀でも使わざるを得ないのです!次回お楽しみに!

 

rikuto様 > おぉ~、脳内再生来ましたか!後はしっかりとキャラが動くようになればっ!頑張ります!

 

moki68k様 > 飽く迄サ○デーに走りますかw そんな事を言えば首を刎ねられてしまうではありませんか!w 華琳を助け出すことが一刀の目的でしたからね~。しまらないのは仕方無いかと。

 

鳳蝶様 > あれでも頑張ったんですwww 知人が増えれば、それが後々話しのネタに(ぁ

 

田仁志様 > あらま!これはまた予想外です! 一刀の雰囲気変わりましたか~。って、ですよねーw そうそう、思うこと無かれ~(ぁ

 

trust様 > こちらもまた、予想外!途中で性格が変わると言うのも、可笑しな感じでしょう。でも新しい環境で不慣れなのですw 初々しいでしょ?(ぁ

 

ブックマン様 > 残念ながら、優雅に華麗に決めたのは華琳でした。

 

リョウ流様 > 面白いと思って頂けただけで、もう嬉しい限りです。頑張ります!

 

テスより。

コメントありがとうございます!次の第十一章は佳境となる予定です!昇龍伝、人。終端の予定です!?

――黄巾の乱?はてさて、何のことやら?

 


 
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