No.1166384

袋があったら入りたい - 引きこもり天国

新人さん

1767年に5年にわたる測量によって、ニューファンドランド島(カナダの東海岸に位置する島)海域の正確な海図を初めて作成した39才のイギリス海軍ジェームズ・クックは、「これまでの誰よりも遠くへ、それどころか、人間が行ける果てまで私は行きたい」と書しているらしい。クックは1769年にヨーロッパ人としては 1642年のタスマン氏以来 2番目でニュージーランドに到達し、ニュージーランドの海岸線のほぼ完全な地図を作製し、クック海峡を発見している。続いて伝説の大陸を目指して進むエンデバー号は暴風で北寄りに流され、1770年4月20日にヒックス岬と命名した陸地を目撃するまで そのまま航行したそうだ。計算によればタスマニア島はそこより南に位置しているはずだったが、南西に伸びる海岸線が目撃されて、そこがタスマニア島に繋がっているのではないかと考えたらしい。しかしこの岬はオーストラリア大陸の南東海岸に位置していたのだ。結果としてクック探検隊が史上初のオーストラリア大陸の東海岸に到達したヨーロッパ人となった。クックが発見した陸標は、ビクトリア州南東岸のオーボストとマラクータのほぼ中間の岬であるとされるが、1843年に行われた調査で、クックの命名が無視されたか見過ごされたため、岬には別の名前が命名されてしまったそうだ。その後のオーストラリア発見200年記念祭(1988年1月26日の建国記念日)で、ヒックス岬という名称を回復されたという。 クック達のエンデバー号は海岸線に沿って北上を続け、測量と陸標の命名を次々に行ったそうだ。1週間余り過ぎた4月29日、一行は大きな浅い入り江に入り、砂丘に覆われた低い岬の沖に停泊してオーストラリア大陸に初めて上陸した。最初の上陸の際に、クック一行はオーストラリア先住民のアボリジニと接触しているそうだ。海岸線を測量しながら北へ船を進めていた1770年6月、エンデバー号がグレートバリアリーフの浅瀬に乗り上げ大破したため、エンデバー川と名付けたクックタウン船着き場付近河口の砂浜で修理が行われた。当地のアボリジニの人々との遭遇はおおむね平和的であったらしく、当地のアボリジニが話したグーグ・イミディル語でオオカンガルーを指す "gangurru" から、「カンガルー」が英語の仲間入りをしたそうだ。 そう、1770年4月29日にクックはオーストリアに初上陸し、6月にカンガルーという言葉が英語に加わったのだ。

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