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No.1165619
新人さん
この世では、第二次世界大戦が終わるまでは世界中の国が領土を奪いあっていた。1939年(昭和14年)8月23日に独ソ不可侵条約締結をした後で、9月1日にドイツがポーランドに侵攻し【第二次世界大戦】が勃発した。 翌1940年(昭和15年)9月27日に日独伊三国同盟が締結した。 大戦前の日本は帝国化していて朝鮮半島を支配下に置いていた。1937年から1945年の大戦中まで日本は中国と戦争をしており、その最中の1941(昭和16)年 4月13日 に【日ソ中立条約】を調印している。ソ連は当時巨大な国土を保持いる強国だった。条約は一方の国が他国と戦闘になった場合は、紛争の間の中立を約束しているから、日本は北側の安全を確保したといえる。日ソ中立条約は、『第1条:日ソ両国の友好 第2条:相互の中立義務 第3条:条約の効力は5年間。期間満了1年前までに両国のいずれかが廃棄通告しなかった場合は5年間自動延長される。 第4条:速やかな批准 ・ 声明書:大日本帝国は蒙古人民共和国(モンゴルが1924年から1992年まで使用した国号でソ連の属国だった)の領土保全及び不可侵を尊重し、ソビエト連邦は満州国(1932年に成立した日本の傀儡国家で満洲事変により日本軍が占領した満洲、内蒙古、熱河省を領土として1932いる)の領土保全及び不可侵を尊重する 』という内容だ。 さて、1939年に締結している独ソ不可侵条約は1941年の6月22日にドイツがソ連に侵攻したため、2年で失効した。そして12月8日には日本が対米英宣戦布告して、太平洋戦争が勃発する。翌1942年(昭和17年)1月1日 - 対枢軸国の連合国共同宣言にソ連が署名して、1945(昭和20)4月5日にソ連は日本がドイツと同盟を結んでいる理由で、本来は1946年まで有効な条約の破棄を日本に通告したが、日本側はこれを「不延長」と解釈していたそうだ。この1ヶ月後の5月8日にドイツは降伏し、5月9日にソ連はヨーロッパで勝利している。連合軍は7月26日 に 「日本への降伏要求の最終宣言」(ポツダム宣言)を8月8日に提示した。 ソ連はすかさず8月9日に対日宣戦布告を出して参戦し、8月15日に日本領土に攻め込み占領していった。 日本が敗戦を認めたのは8月15日だが、ポツダム宣言受諾が告示されたのは9月2日だから、世界的には戦争は9月2日まで続いていたことになる。この日本中が戦争は終わったと勘違いしていた半月ほどの間に、満州と北方四島をロシアに占領されてしまった。そして日本が降伏文書に署名して、第二次世界大戦は終わったのだ。教科書の時系列だけ並べた文章を読んだだけなら、ソ連が要領よく立ち回り、得をしたようにも感じるが、もし日ソ中立条約が無ければ、日本はもっと早く戦争に負けて、原爆を落とされることも無かったにちがいない。そして、ソ連とアメリカに大敗した日本はドイツや朝鮮半島と同様に分割されてしまっただろう。そうなった2025年はどうなっているのか?北海道は北朝鮮のようになっているのか?それとも東ドイツのように日本に返還されているのか、はたまたロシアの南としてリゾート地し、観光地化しているかも知れない。そういう未来はきっと、タラバガニやホッケは100%外国産になるね!
2025-04-13 16:53:17 投稿 / 978×734ピクセル
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この世では、第二次世界大戦が終わるまでは世界中の国が領土を奪いあっていた。1939年(昭和14年)8月23日に独ソ不可侵条約締結をした後で、9月1日にドイツがポーランドに侵攻し【第二次世界大戦】が勃発した。 翌1940年(昭和15年)9月27日に日独伊三国同盟が締結した。 大戦前の日本は帝国化していて朝鮮半島を支配下に置いていた。1937年から1945年の大戦中まで日本は中国と戦争をしており、その最中の1941(昭和16)年 4月13日 に【日ソ中立条約】を調印している。ソ連は当時巨大な国土を保持いる強国だった。条約は一方の国が他国と戦闘になった場合は、紛争の間の中立を約束しているから、日本は北側の安全を確保したといえる。日ソ中立条約は、『第1条:日ソ両国の友好 第2条:相互の中立義務 第3条:条約の効力は5年間。期間満了1年前までに両国のいずれかが廃棄通告しなかった場合は5年間自動延長される。 第4条:速やかな批准 ・ 声明書:大日本帝国は蒙古人民共和国(モンゴルが1924年から1992年まで使用した国号でソ連の属国だった)の領土保全及び不可侵を尊重し、ソビエト連邦は満州国(1932年に成立した日本の傀儡国家で満洲事変により日本軍が占領した満洲、内蒙古、熱河省を領土として1932いる)の領土保全及び不可侵を尊重する 』という内容だ。 さて、1939年に締結している独ソ不可侵条約は1941年の6月22日にドイツがソ連に侵攻したため、2年で失効した。そして12月8日には日本が対米英宣戦布告して、太平洋戦争が勃発する。翌1942年(昭和17年)1月1日 - 対枢軸国の連合国共同宣言にソ連が署名して、1945(昭和20)4月5日にソ連は日本がドイツと同盟を結んでいる理由で、本来は1946年まで有効な条約の破棄を日本に通告したが、日本側はこれを「不延長」と解釈していたそうだ。この1ヶ月後の5月8日にドイツは降伏し、5月9日にソ連はヨーロッパで勝利している。連合軍は7月26日 に 「日本への降伏要求の最終宣言」(ポツダム宣言)を8月8日に提示した。 ソ連はすかさず8月9日に対日宣戦布告を出して参戦し、8月15日に日本領土に攻め込み占領していった。 日本が敗戦を認めたのは8月15日だが、ポツダム宣言受諾が告示されたのは9月2日だから、世界的には戦争は9月2日まで続いていたことになる。この日本中が戦争は終わったと勘違いしていた半月ほどの間に、満州と北方四島をロシアに占領されてしまった。そして日本が降伏文書に署名して、第二次世界大戦は終わったのだ。教科書の時系列だけ並べた文章を読んだだけなら、ソ連が要領よく立ち回り、得をしたようにも感じるが、もし日ソ中立条約が無ければ、日本はもっと早く戦争に負けて、原爆を落とされることも無かったにちがいない。そして、ソ連とアメリカに大敗した日本はドイツや朝鮮半島と同様に分割されてしまっただろう。そうなった2025年はどうなっているのか?北海道は北朝鮮のようになっているのか?それとも東ドイツのように日本に返還されているのか、はたまたロシアの南としてリゾート地し、観光地化しているかも知れない。そういう未来はきっと、タラバガニやホッケは100%外国産になるね!