No.1162841

芦ノ湖の海賊船と九頭龍神社

新人さん

箱根用水は 芦ノ湖の水を、静岡県側で利用するため 湖尻峠の下にトンネルを掘って作った水路である。小田原藩が、江戸の商人・友野与右衛門らに工事を委託し、1666年に着工し1670年"2月25日"に完成した。全長1280mに及ぶ手堀りのトンネルは、精度が高く用水は現在でも農業・発電などに使われているそうだ。農林水産省の疏水百選に選定され、2014年には国際かんがい施設遺産にも登録されている。 芦ノ湖は神奈川県に位置し、標高724m、周囲19km、面積6.9㎢、最深部は43.5mもあるカルデラ湖だ。今から約3100年前に起きた大涌谷付近の噴火による土砂に、仙石原の川の流れがせき止められて、上流に芦ノ湖ができたそうだ。そのカルデラ湖に注ぎ込む水は、箱根山から流れてくる。箱根山とは、神奈川県足柄下郡箱根町を中心に、神奈川県と静岡県にまたがる火山の総称である。箱根外輪山からの水が芦ノ湖に集まり、芦ノ湖北端の湖尻から流下する川が本流の早川と呼ばれる。しかし、芦ノ湖の水利権は大正時代の裁判で静岡県側に確定してしまい、芦ノ湖の排水は非常時を除いて湖尻水門からは行われていないそうだ。このため現在は、早川の水源は芦ノ湖ではなく芦ノ湖に流れ込まなかった箱根山の水が集まり早川となっているらしい。日本制度のややこしいところは、水利権は、河川の流水を直接支配できる権利で、河川管理者に対する債権ではないということだ。つまり土地を持っていても、そこを流れる川の権利は別になるのだ。 江戸時代に箱根用水を作り静岡県の裾野市方面へ芦ノ湖の水を流した。江戸時代はこの一帯がすべて”小田原藩”であり、芦ノ湖の用水路である深良水門も当然 小田原藩が統治していた。なので河川管理者と水利権者が同一だから何も問題はなかった。しかし、明治時代に行なわれた廃藩置県により、深良は静岡県で箱根は神奈川県となり、管理者が分割されてしまった。それで両県の間で芦ノ湖の水利権をめぐり揉めたため、裁判が行われた。その結果大正時代になり、水門のある静岡県に水利権が認められて今に至っているそうだ。 この用水は、初めは灌漑用水として使われていたが、今は用水路に設けられた三ヵ所で、水力発電所の発電に用いられているそうだ。最大水使用量は毎秒1.6㎥で、一年間に平均して約4300万㎥の水が流れ出ていると推定されている。用水路の水は静岡県に譲っても 芦ノ湖と早川は神奈川県の物なのだ。神奈川県民の僕としては、何か釈然としない気がするが、勘弁してあげよう。

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