No.1149569

「くだんのはは」(10/11)~鬼子神社事件始末~

九州外伝さん

☆目次→https://www.tinami.com/view/1149571
【ご注意】
この物語はフィクションです。実在または歴史上・の人物、実在の団体や地名、事件等とは一切関係ありませんのでご了承下さい。
●作中に 小松左京・著「くだんのはは」のネタバレおよび独自の考察が含まれます。ご都合が合わない方の閲覧はご遠慮下さい。
●日本の歴史、主に太平洋戦争について、やや偏見に伴う批判的・侮辱的な描写がございます。苦手な方は閲覧を控えて下さい。

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2024-08-07 06:08:41 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:43   閲覧ユーザー数:43

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 雨は止んでいたが、まだ厚く黒い雲が街を覆っていた。

 その濡れた、水溜りだらけのアスファルトの道を、同じくらい ずぶ濡れになった少女が力なく歩いている。両腕で何かを大切そうに抱いている。

 見回す限り、他に人影は無い。

 少女は、先日までの雨で水かさが増し ごうごうと音を立てて流れる狭い川の、その上に架かる小さな橋を渡ろうとした。何故そうしたのかは自分でも分からない。帰る家も、行く場所もなく、ただ街を目的もなく彷徨っていただけだ。

 

 橋の上には、4人の人影があった。

 ずっと目を伏せて歩いていて気付かなかった。いや、ここに少女以外の人間が居たとしても、その4人の姿を目に留める事は出来なかっただろう。

 その人影に気付いた時、少女は驚きで身を硬くした。咄嗟に逃げるだけの気力は、彼女から失われていた。

「じゃから言ったのじゃ、『そのままでは太郎はもたぬ』と」

 先頭の一際小さな人影…巫女さんか、山車行列の神子のような服装をしている…が、にらむような視線を少女に向けて言った。しかし その表情に『怒り』の色は見えない。何か困ったような、安堵したような、それでいて諦めたような、複雑な表情である。

「じゃが、まだ辛うじて息はあるな?今ならまだ、ギリギリで間に合うかも知れん…それも お主次第じゃが」

力なく後ずさりする少女。

「待って」

 人影の一人…レイコが、彼女にしては努めて優しく声をかけた。小さな人影…鬼子とは対照的に、いつもの頭巾に赤ワンピース姿である。

「あなたを迎えにきたの、ハラさんに…《太郎ちゃん》」

「迎えに…?」

 疲れきった少女の顔に、わずかに怯えの影が見える。

「私は、どこも行かない。私にはもう、お家も家族もないの」

「そうね…あなたのパパも、死んでしまったしね」

「死んだ…?」

 その言葉に少女は、力なくも驚いた表情を見せた。

「太郎ちゃんは何も…」

「そうね。太郎ちゃんは言わなかったかも知れないわね。知っていて言わなかったのか、それとも、太郎ちゃんでも知らなかったのか…。

 でも、この世界には太郎ちゃんの言わない『ほんとうの事』は、いくらでもあるのよ?

それは分かっているでしょう?」

 少女はコクリと頷いた。

「だから、パパが死んだのは本当。もう、太郎ちゃんを殺そうとする人は居なくなったの。だから、おしまい」

「おしまい…?」

「そう。もう あなたは逃げなくていいの。あなた一人で太郎ちゃんを守らなくていいの。

 あなたには、あなたを本当に守ってくれる『新しい お家』が必要なの。それは、太郎ちゃんにも…。

 私達は そこへ、あなたを迎えに来た」

「新しい お家…」

 少女は繰り返して呟き、聞いた。

「わたし、そこに行ってもいいの?わたし、そこに帰れるの?太郎ちゃんと一緒に…」

「残念じゃが」鬼子が答えた。「『一緒に』は無理じゃ。この世界では、どのみち太郎は長くは生きられぬ。この世は『物質』、『生身の体』が主体の世界じゃ。太郎は霊的には強いものを持ってはいるが、その『生身の体』を生かす手段が無い…ヒトの医学も、我等の霊術にもな」

「《太郎ちゃん》を生かせるとすれば、それは『神の奇跡』くらいですが…」

 鬼子の後ろから僧衣の青年が言った。孔郎だ。彼もまた、いち僧侶として この『顛末』を見届けるために一行に加わった。

「けれども、『奇跡』は神様が気まぐれに起こすもの…ヒトの都合で引き起こしてしまった途端、それは邪な妖術と同じになって、世界の摂理を捻じ曲げてしまう。だから、神様もヒトが『奇跡』を起こすのを許さない…」

「太郎ちゃんだって神様だよ!」

 少女が搾り出すように叫ぶ。

「きっと奇跡くらい起こせる!!」

「それが出来んから、お前達は そんな有様になっとるんじゃろうが!!」

 鬼子の一喝に、少女は縮み上がる。

 まだ言いたそうにしている鬼子の前に片手を出して制止すると、レイコは再び柔らかい口調で少女を説得しようとする。

「『神様』は、『神様の世界』で生きるのが、一番いいの。そこなら太郎ちゃんも、ずっと元気に暮らせるのよ。体だって、もっと大きく、もっと丈夫に、もっと強くなって、色んな事が出来るようになるわ。そうしたら、また あなたに会いに来れるようになるかも知れない。

 あなたも、あなたの暮らすべき世界…『人間の世界』で大きくなるの。大人になって、幸せになるの。自分を幸せに出来るようになったら、太郎ちゃんを幸せに出来るようにもなるわ。

 だから、今は寂しいかも知れないけど…あなたは太郎ちゃんとは別な世界で、たくさん勉強して、本当に『太郎ちゃんのママ』になれるように…」

「今でも『本当のママ』だよ!!」

 悲しいかな、レイコの説得は逆に少女の地雷を踏んでしまったようだ。鬼子は(何度目になるか分からないが)『こいつにはもう何もしゃべらせん方がいい』と思った。

「太郎ちゃんを産んだ時から、私だけが本当のママなんだ!!

 自分を幸せにする?幸せになる?太郎ちゃんと離れ離れになって、どうやって幸せになるの!!?

 太郎ちゃんは誰にも渡さない!!『私』も誰にも渡さない!!

 わたしは どこにも行くもんか!!ずっと、ずーっと、太郎ちゃんと一緒にいるんだ!!」

 そう叫びながら《太郎》を強く抱きしめる少女の姿を見て、鬼子の顔に諦めのような、決意のような表情が浮かんだ。その足を一歩踏み出す。レイコが、その肩を掴んだ。

「何じゃ、ミタマモリ」

彼女にしては殊更低い声(ドスが効いてる、とも言う)で、鬼子は言った。

「よもや止める気ではあるまいな?貴様の常套文句じゃろうが。

 『何にでも《手遅れ》というものはある』」

「チッ」

 舌打ちをして いつもの粗野な顔つきに戻ったレイコは『勝手にしろ』と言わんばかりの態度でソッポを向いてしまう。

 

「イヤ!来ないで!」

 歩み寄る鬼子に、しかし少女は小さく後ずさりするだけだ。本能が、『逃げられない』と悟っている。

「『ママ…』」

 その時、死んだようになっていた《太郎》が、小さく呟いた。

「よせ!!」

 叫んで、鬼子は強く地面を蹴る。孔郎と、その隣の菊一も思わず駆け出す。

 だが、『予言』は下された。

「『ボクはママと、ずっと一緒』」

 それを聞いた少女は一瞬ハッとした表情をするも、次の瞬間には…何かを祈るような、強く願うような顔で…橋の欄干(らんかん)を一飛びに飛び越えた。少女の脚力では有り得なかった。

「あっ!!」

 菊一がそう叫び、レイコ以外の3人は橋の欄干に駆け寄る。

 そこで、菊一は見た。欄干を飛び越えた少女の体が、途切れるようにプッツリと消えてしまったのを。おそらく、孔郎も、鬼子も見たであろう。

 川を流れる濁流に落ちた音もしなければ、水面に水しぶきも起きない。

「え…?」

 一瞬狼狽した菊一だったが、すぐさま後ろを振り向いてレイコに叫んだ。

「み、ミタマモリ様!!」

「何すか?」

「助けて下さい!!貴女の お力なら、この流れの中からでも…」

「無理っすね」素っ気無く彼女は答えた。「見たでしょ?川になんか、落ちてませんよ」

 そう言うとレイコは、ポケットから吸い口の付いた四角い小箱を取り出した。彼女が愛用しているVAPE(電子タバコの一種)だ。リキッドは 一般的なフルーツ系の香料ではなく、白檀の成分を溶かし込んだ彼女のオリジナルブレンドである。

「じゃあ、何処に…」

「ココではない何処かじゃろ」

 戻ってきた鬼子が不機嫌そうな顔で言った。

「この世界では、『予言』が叶えられないと悟ったんじゃろ」

「『予言』…?」

「ボクとママは、ずっと一緒…」

 《真言》で下された『予言』を、孔郎が意訳して つぶやく。

「どんな世界で、どんな形で叶えたのかは、ワシの知った事っちゃないがな」

 そう吐き捨てると、鬼子は3人を置き去りにしてスタスタと帰っていってしまう。

「あの親子の行った先に、神や御仏が いらっしゃるかも分かりませんが…」

 そう言って孔郎は数珠を手に合掌した。

「願わくば、その魂に永久の安らぎの訪れん事を…」

 孔郎の唱える鬼子母神の経文が、どうどうと流れる川音の中で響く。

 菊一は、呆けたように川の流れの先を見つめている。

 フーーーッ、とレイコが吐き出した煙が強い線香の香りを漂わせたが、それはすぐに、風に かき消されて霧散してしまった。

 

~~~◆~~~ ■■■(九の段終わり)■■■


 
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