No.1148095

とある山の怪(日本Ω鬼子シリーズ)

九州外伝さん

2022年にPixiv小説に投稿した短編です(タイトルのみ改題)。

※誤字あるいは書式・表現上の問題等の改善のため、内容が現時点のものから修正・加筆等される場合がありますので何卒ご了承下さい。

《この物語はフィクションです》

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2024-07-14 10:15:40 投稿 / 全11ページ    総閲覧数:79   閲覧ユーザー数:79

 山道を二人の少女が歩いている。

 歳の頃は…と言っても、今時パッと見で女性の年頃を判別するというのも難しいわけだが…印象としては若く、中学生か高校のように見受けられた。身に着けている登山服が真新しいせいもあるのだろう。若いなりに年季の入った登山者、という雰囲気ではなく、近年流行りの「山ガール」とやらに触発されて日帰りで散策に来たような、そんな感じに見える。

 もっとも、今この山は素人がピクニック気分で入るには、些か手頃とは言えない状況にあった。

 そもそも何年もまともに人の踏み入っていない山道は背の低い草に侵食されており、辛うじて以前は道であったという体裁を成しているに過ぎないのだが、その心許ない山道の入り口は今、警察によって規制線が張られ立ち入りが禁止されている。

 

 事の起こりは一週間前。県外から来た若者二人が山中で行方不明になった。

 そこそこの過疎村であったため近隣の町から消防団や警察が派遣されて捜索が行われたのだが、その捜索の最中に更に一人、そして二日前にまた一人が消息を断ったのである。

 それほど広大な山ではないし、捜索範囲もたかが知れている中で、ごく短期間に4人もの「神隠し」が発生したわけだ。

 実のところ、元々麓の村では20~30年に一件くらいのペースで神隠し事件が起きていた。

 直近では22年前、帰省中の大学生が山に入ったきり戻って来ておらず、今も消息が不明である。

「地形か何か、人が迷い込んだり滑落して戻ってこれなくなるような、特殊な条件があるのではないか」

 警察はそう判断し、より慎重に捜索するべく日をおいて準備を進める事になった。

 

 その準備のため、一時的に人のいなくなった山に入り込んでいるのが、先の二人の少女である。

 しかし、彼女達は無断で入山しているわけではない。いや、捜査関係者のほとんどは彼女達について何も知らされていないのだが、とある特殊な方面から「派遣」されて彼女達はここに居る。

「それにしても」

 先を歩くやや小柄な少女が唐突に口を開いた。濃いピンクの派手なマウンテンパーカーを羽織り、ベージュのショートパンツに厚手のタイツ、頭巾のような妙な形の帽子を被っている。リュックは、街中でも歩くような小さなもので、弁当と500mlのペットボトルくらいしか入っていなさそうだ。おおよそ山歩きに来たようには見えない。

 ただ、その足取りは道なき道を迷い無くスイスイと進んでいく。歩きにくそうでもなければ足を取られるような様子もない。

「お前が前に言ってた事と違うくないか?『財団』とやらは」

「何がですか?」

 話しかけられて応えたのは、やや後ろに着けて歩いているもう一人の少女だ。

 黒の長袖シャツに明るいグレーのベスト、綿のボトムスと、連れに比べてシックなコーディネートではあるが、リュックとサファリハットはよく目立つオレンジ色のものを着用している。そしてリュックサックはやはり小さい。

 長い黒髪を髪留めで束ね、飾り気のない長い木の杖を持っているぶん、連れよりは登山者らしく見えなくもない。

「慢性的な人手不足だと言ってたじゃないか、お前の就職先」

「別に就職したわけじゃありませんよ」

 頭巾の少女の言い草に、呆れたような諦めたような口調で杖の少女は返す。

「人手不足なのは本当ですが。

 未知の部分が多い、危険なものを管理・研究しているわけですからね。長年の研究からフィードバックされた技術で、近年は事故も減ってきていると聞いていますが、それでも『人の手に余るもの』を扱っている以上リスクは避けられません。

 肉体的、精神的に負傷して一時的に現場を離れる職員は多いですし、亡くなられる方や『失踪』してしまう方も、毎年出ていると聞いています」

「そうだとして、だ」

 頭巾の少女が訝しげに言う。話している間も歩は止めない。ただひたすら直進を続けて、今彼女達が歩いているのは獣道ですらない、深い草むらの中である。

「そんな人員不足の折に、なんでお前みたいな『異能要員』を、こんなクッソつまらん案件に回す余裕があんだよ?しつこいようだが、『財団』の食指が動くような愉快なサムシングなんか出てこないぞ、この件は」

「趣味や娯楽で動いてる人達と、『財団』を一緒にしないで下さい!」

 少しだけ怒ったような口調で杖の少女は抗議した。

「現世に未知で危険なものが存在している、それを確保して管理・研究し、現世の安定を保つための技術を確立させるのが、私達の目的です。みんな真剣に、命がけで取り組んでるんですよ」

「だからさ」対して頭巾の少女は冷めた口調である。どこか面倒臭そうにも聞こえる、不敵な態度だ。

「今回の件は、そんな御大層なもんじゃないだろう、って言ってんのよ。

 確かに人間の常識からは外れてるし、実害も出てる。だが、私達からすれば簡単に原因を元から断ち切ってしまえるし、そうしてしまえば二度と異変なんか起こりっこない。

 状況からして、怪異としては極々ありきたりの事象だから、今更調査や研究をしたところで新しい発見も何もない、という事は保障してもいい。

 ハッキリ言って、私一人で移動その他諸々込みでも半日で一切合財始末のつく程度の案件に、仮にも『財団』の切り札の一枚であるお前を随伴させる意味がわからん」

 ずいぶんと尊大な言い草である。だが、その口ぶりから彼女達が『なんらかの強大な力を有する何者か』である事がわかるだろう。

「うーん…」少しためらうような声を漏らした後、「まあ、もう明かしてしまってもいいでしょう。実のところ、私達の関心の対象は『今回の事件そのもの』ではないんです」と杖の少女は言った。

「今回私が調査するのは大宰府天満宮の非公開部署『文書館第二分室』の活動内容で、その中でも特例対応係員である貴女についてなのですよ、かっしーさん」

 杖の少女は頭巾の少女を『かっしー』と呼んだ。

「そっちかよ」迷惑そうな表情を隠そうともせず『かっしー』は愚痴る。「だが、気まぐれにこの世界を訪れているに過ぎない私について、ちょっとくらい調べたところで目ぼしい事は解るまいよ。本命はウチの部署の方だろう?」

「ええ」杖の少女はあっさりと認めた。

「実のところ、『財団』は宗教関係の組織とは折り合いが良くないんです」

「当たり前だ」

 寺社仏閣からすれば、何らかの災厄から人を救ったり、奇跡で人を助けたりするのは『神の思し召し、仏の功徳』という事にしておきたい。客観的に観察され、人間の理解の及ぶ範疇で法則性なり何なりを見出されて『科学的な根拠』を後付けされても迷惑である。

「でも、宗教関係の非公開部分…まあ、俗っぽく言えば『裏』と呼ばれたりする秘伝の術や儀式には『SCP』の対象となるであろうものが沢山あるんです。

 もちろん、それらは原則的に外部には秘密のものですし、私達も多くは知りませんから、実際にどれとどれがSCP対象に該当するか、までは把握していませんが。

 とはいえ、あくまで独自調査による暫定的な結論とは言えども、『現世、特に人間社会において重大な事態を引き起こす可能性が極めて高い』と判断せざるを得ないようなものも、中には存在しているわけです。

 可能ならばそれらについて調査研究を行い…希望的には『それらを有する団体は対象を完全にコントロール出来ており、危険性は無い』と安心したいわけです。『財団』の目的は、別に超常的な力の独占ではないですから」

「まあ、人間の心理としてはそうだろうな。何であれ、未知は不安や恐怖の根源なわけだし、知的追求を目的とした組織にとっちゃ"そこに在る事が分かっているのに、それについて知る事が出来ない"のは、かなりキツイだろう」

「そうなんです。かといって、『財団』としても他所の団体の領域に土足で上がりこむわけにいきませんから、地道に説得したり、信頼関係を築いて協力を仰いだりしてるわけですが、精神分野の世界と科学分野の世界では、まだまだ溝は深いですからね。かなりの苦労を重ねてはいますが、進展は芳しくないと聞いています」

「じゃあ、今回のはようやく努力が実を結んだ、千載一隅の機会というわけか。まあ、考えてみれば大宰府殿(菅原道真公)は学問の神であらせられる故、他所の社に比べれば『財団』への理解や協力も、やぶさかではなかったのかも知れんな」

「いえ、今回の場合は、かっしーさんの任務に私だけが随伴するという事で、ようやく許可が下りまして」

「あ?」自分の想像を即座に否定されて、かっしーは眉をしかめる。

 

「実は、私が財団に入った時、私自身がSCPにも認定されたんです」

「まあ、それはそうだろうな。『日本鬼子(ひのもと おにこ)』は超常的存在以外の何者でもないわけだし」

『日本鬼子』。それが杖の少女を指す名前である。もっとも、かっしーは彼女をアダ名で『ヒノ』と呼んでいるが。

「で、せっかくなのでかっしーさんもSCPに推薦しておいたんですが」

「いや、何してくれてんだお前!!?」

 流石にツッコまずにはいられなかった。彼女は、名目上は現在『天神・菅原道真』の被監察下にあるものの、その実ほぼ勝手気ままにフラフラしてるだけである。『財団』が興味を示し、研究対象として付きまとわれでもしたら迷惑というものだ。

「その裏取り調査の過程で、かっしーさんが大宰府神社の非公開部署のメンバーだと分かりまして。というか、文書館第二分室という部署がある事も、その時点で判明したのですが。

 太宰府天満宮といえば大手も大手ですから、『財団』もどこか遠慮というか、腰が引けていたところがあったらしいんですけど、私とかっしーさんという"接点"が出来たわけです。これはアプローチをするべきだろう、という事で話がトントンと進みまして」

「うわっちゃ~」

 鬼子…『ヒノ』が財団に加入するのは予期できない事だったとはいえ、彼女と関わっていたせいで結果的に自分の所属先に余計な迷惑をかけてしまった事に、かっしーは頭を抱えた。

「最初は神社側も知らぬ存ぜぬという感じだったんですが、私とかっしーさんの関係が平行世界における同位体だという事を説明したら、幸運にも道真様に取り次いでもらえまして。

 同一人物みたいなものであれば頑なに拒否し続けるのも筋が通らない、同行するくらいなら差し支えなかろうと、今回の話をまとめていただけたのです」

「あの堅物め…それっぽい理屈でお茶を濁すという事が、まるっきり出来ゃしない」上司に向かって思わず毒づくかっしー。

「いや待て、私は今回の件、本社(太宰府天満宮の"表側")の関わった事件に関して、お前から多大な協力があったという事で、今後また頼る機会もあるだろうからウチの部署の仕事を見学してもらえ、みたいな話で聞いてたんだが?」

「はい、それはそれで事実ですよ」悪びれた風もなくヒノが言う。「『鬼子』の方に持ち込まれた事件が、たまたま大宰府さんの事件とも繋がってて。怪異を"祓"って…実質"消滅"させてしまうのは財団の趣旨から外れていますから、一応室長に相談したら、大宰府への働きかけがしやすくなるから是非協力するように、と」

「姑息な入れ知恵を…」ふはー…、と、かっしーは深い溜息をついた。

「まあいいさ。ウチの仕事や私の任務が大したもんじゃないと分かれば、財団とやらも納得して、首を突っ込んでくる事もなくなるだろう」

「どうでしょうねぇ」かっしーの投げやりな考えに、ヒノは疑問を口にする。

「私たちにとっては『大した事なく』ても、人間にとってはそうではないんですよ?

 かっしーさんの過去の案件をいくつか読ませてもらいましたが、7家族を5世代にわたって縛っていた呪詛を、たった15分で解呪してしまうとか、ハッキリ言って引きましたよ、私。よく依頼者が納得しましたね」

「納得させるのは本社の仕事さ」投げやりな口調のまま、かっしーが応える。

「素人が偶然成立させた呪いなんて、接触不良みたいなもんだ。ソレ自体が強い力を持ってるわけじゃない。

 あーいうのは、一見『呪われている側』の人間が自分から『歪み』に寄っていくように仕向けられているのが厄介なんだ。

 『呪いから逃げたい』と思う焦りや、『呪いから逃げられない』といった絶望感なんかが、巧妙に被害者を『歪み』に誘導し悪循環に陥れて、がんじがらめにしてしまうんだ。

 その悪循環を打破するために指導やカウンセリングを行うのが本社の仕事で、大半はそれで解決する。私なんかよりよっぽど優秀だよ。

 私のする事といえば、現場に行ってちっぽけな『この世の綻び』を見つけ、『歪み』を潰して絶縁を噛ます、そんだけだ。15分あれば充分じゃないか」

「そんな電気屋さんみたいにいくもんですか」

 ヒノは呆れと諦めの混じった溜息をついた。かっしーに会う度に、毎回恒例になっているとはいえ、よくもまあこれだけ人を呆れさせるネタが続くものだと、ヒノは思う。

 元々、平行世界を行ったり来たりしている『怪物』なのだから、自分達とは常識も価値基準も違うのだ、と、頭では分かっているのだが、いざこうして噛み合わない話をしていると結構疲れるものだ。

 

「たとえば、さっきからチラチラ見えてる人影なんかもそうです」

 話している間にも、二人は道なき道をひたすらに直進していた。背丈ほどもある草も、行く手を塞ぐように配置されている倒木や枯れ枝も意に介さず、"目的地"までの最短ルートを一歩も外れない。

「普通は人影が見えたら、遭難者の誰かだと思って側に行こうとしますよ?それが『道に迷わせるために誰かが差し向けた罠』だなんて思わないでしょう」

 二人がまだ荒れた山道を歩いていた時分から、視界の端々にソレは見え隠れしていた。場合によってはほぼ真正面に現れる事もあったが、二人とも完全にソレを無視している。

 何故かといえば、ネタが割れているからである。

 "目的地"まで最短ルートを突っ切ろうが、人影を追って山中を右往左往しようが、最終的に到着する場所は同じなのだ。ただ、仮に彼女達が人間だった場合、人影を追っているうちに方向感覚が失われ、疲労で思考能力や判断力が低下するのは避けられない。それがこの『罠』を仕掛けた者の目論見だろう。

 そうと分かっているのであれば、こんな茶番に付き合って無駄足を踏む義理は彼女達にはない。徹底的にガン無視を決め込む。

 何度無視されても健気に出没する人影には同情したくなるほどだ。

「まあ、今まではそれで上手くいったんだろうしな」そう言いつつも彼女にとってはあくまで他人事である。

「逆に、これで引っかからない相手にはもっと巧妙な手を、っていう知性が無いって事でもある。この山じゃ、神隠しは20~30年に一人程度って話だが、結局地元の人間も警戒して、山に深入りもしなくなってるわけだろう?理屈は分からなくても、感覚的に"ここに罠がある"っていう意識は働いていたんじゃないかな?私達みたいに最初からアレコレ見通す事は出来なくとも、経験と知識でソレを身につけて、伝承する事で"罠"を回避する事には成功してる、と私は思いたいね。

 そして、そうやって警戒されても尚、より巧妙に人を誘き寄せる手段を用意出来なかった時点で、この山の『怪異』は人智に敗北してるようなもんだろう。

 確かに時間はかかるし、犠牲者も出たかも知れんが、私達のような『異能』が手を貸さずとも、人間の世界は人間の力で巧くやりくり出来るもんなんだよ。

 それこそ、『財団』なんかはいい例じゃないか」

 まるで、人間に対する自分達の存在価値を否定するかのような言い草にも聞こえる。

 実際そう思っているのかも知れない。

 彼女もヒノも、SCP…『人智の及ばない、危険をはらんだ何者か』である事には変わりないのだ。

 『財団』がSCPをそうしているように、彼女達も人の世から隔離され、関わり合わず人々に認識されずにいるに越した事はないのかも知れない。

 ただ、ヒトに近い『心』を持つヒノにとっては、それはひどく孤独で恐い事のように思える。

「しゃべってる間に着いたな」

 そこは少々不思議な場所だった。

 日の光も差さぬうっそうとした森が突然、奥行き20~30mほどの幅だけ途切れて、短い草や小さな花だけがある『中庭』のような場所に、二人は出くわしたのである。

 『中庭』を挟んで向こう側は、やはり木々がそびえ立つ暗い森。二人から見て左右、『中庭』の両端はそれぞれ14~15m先で唐突に途切れており、その先は深く落ち込んでいるようだった。『中庭』が、まるで橋のように手前と奥の森を繋げているようにも見える。

 神隠し事件などなければ、唐突に現れた絵本のような光景に、しばし見入ってしまうかも知れない。

 だがしかし、人外である二人には当然、そこがファンシーな見た目とはかけ離れた場所だという事が肌で感じ取れていた。

「…おお…い… …おお~い…」

 奥の森の、更に向こうから人の声のようなものが聞こえてきた。

「…だれか~… …だれか~…いないか~… …こっちだ~…」

「この向こうですね」

「いや、下だ」

 杖を片手で一振りして構えなおし進もうとするヒノを、軽く制止してかっしーはその場に屈みこんだ。

「下?」

 不思議そうにヒノがかっしーに目をやると、彼女は右手の五指を立てて地面にめり込ませている。

『~~~~ヒョーゥ~~~~』

 何とも言えない済んだ音がして空気が震えたかと思うと、かっしーの右手がサッと持ち上がり、それと連動して、地面がシーツのように捲れ上がった。

「うわっ!」

流石にヒノも驚く。『中庭』の大部分、20m四方ほどが、大量のマジックテープが剥がれるようなバリバリ音と共に宙に舞い上がり、バラバラに四散して何処かへ飛んでいく。

 もちろん、単純な腕力でそんな事が出来るわけもなく、かっしーの用いる術、彼女の言うところの『神通力』の成せる業である。

「危ないじゃないですか!」

 一瞬驚いたものの、この程度の術は見慣れたものである。ヒノは単なる抗議の声を上げる。

「あのまま歩いてった方が危なかったぜ?」

 かっしーはニヤニヤ笑いながら親指を『中庭』だった場所に向けた。

「これは…」

 剥がれた地面の下には、太さも長さも不均一な蔦や根が不規則に絡み合って出来た、巨大で歪な網が張り巡らされていた。

 その更に下は深く切り立っていて、『中庭』の左右と繋げてみると、そこが長く続いている深い『沢』の一部だった事が分かる。

「これも、今回の『元凶』が用意した罠、って事ですか?」

「うんにゃ、これは完全に天然自然の産物だよ」

 ヒノの疑問に、軽い口調でかっしーが答える。

「沢の下まで垂れ下がった長い蔓が…強風で巻き上げられでもして反対の岸に届いて引っかかった。そこに両側から新しい蔓が這って、その蔓同士も絡み合ってハンモックみたいになったんだろうな。次いで、飛ばされてきた木の枝やら何やらが引っかかって網の目を塞ぎ、更に枯葉なんかが重なりあって下地ができ…砂や土ぼこりが積もって土壌になったところに草の種が落ちて、その根っこが互いに絡み合い支えあいした結果、分厚い草の絨毯のようになった。

 理屈としては成立するが、それが自然の成り行きで勝手に出来たものとなると、人間だったら実物を目にしてなお『現実的に有り得ない』と感じるだろうな。

 ましてや、そんなものがあるなんて事前に想定なんか出来やしない。そのへん、見てみ」

かっしーが指さしたあたり、こちら側の岸周辺には、大き目の隙間が複数存在していた。

「さっきまでは地面にしか見えなかったが、人や獣の体重がかかれば抜けてしまうような箇所が結構あるじゃないか。自然の作り上げた、見事な落とし穴だ」

「うーん…」ヒノが唸った。「これが誰の意図によるものでもなく自然の産物というのは、確かに信じられません。まあ、仮にも神様のかっしーさんが言うのであれば納得せざるを得ませんが…」

「仮にもとか言うな」

「でも、この…『天然の罠』は、今回の事件と無関係ではないですよね?」

「ああ」かっしーが獣じみた薄ら笑みを浮かべる。「それどころか、おそらくこの『何者の意志も、一片の悪意もない罠』が全ての発端だろう。

 降りるぞ。『元凶』…いや、潰すべき『歪み』と、やっとこさご対面だ」

 

 十数メートルの高さを難なく飛び降り、底に降り立つよりも早くソレは二人の目に入ってきた。

 かなり昔に枯れ果てたであろう深い沢の底は、『天然の罠』が蓋になり日の光が差さなかったせいでジットリと空気が淀んでいる。そして霊気の流れもまた淀んでおり、方向性を失った霊力がかなりの量で吹き溜まっていて、空間自体がブレを生じていた。非常態的な何かが起こって当然、といった状況である。

 しかし『悪意』や『邪念』は感じられない。状況が危険な事に変わりはないのだが、それが悪意で引き起こされたものではない事が分かって、ヒノは少し気が沈んだ。対象が"悪"や"憎悪"ならば気兼ねなくそれを祓えるが、害意なく発生する災厄に対して力を振るう事は果たして正義なのか?そう密かに悩むくらいには、彼女の心は人間に近い。

 枯れた沢の底から数メートルほどの高さには、人面の岩が張り出していた。岩と言っても表面は苔と霊障でヌルリとした光沢を持っており、生き物のように微かに蠢いている。人面岩と言うより『生の鬼の顔が岩肌にへばり付いている』と言った風体である。

 更に異様なのは、その顔の下の岩壁に十数人分の人骨と数体分の獣の骨が、レリーフのように張り付いている事だった。半数以上の人骨は時代時代の衣服が残っており、それほど古いものには見えない。

 それに加えて4人、白骨化していない真新しい遺体がある。服装から見ても今回の事件で神隠しに遭った犠牲者に間違いない。

 どことなく、人面岩が"体"の部分を形成しようとしているようにも見える。

「南無阿弥陀仏」ヒノが合掌した。「あの方々がお気の毒です。早く開放して差し上げましょう」

「だね」

 二人が準備に取り掛かろうとした時、人面岩が唸った。

「ベニゲ」

 直後、岩肌の隙間の影が蠢いたかと思うと、それは黒い蔦となり、2、30本ほどの触手となって二人に向かって緩慢に襲い掛かってきた。

 もっとも、それで動じる二人ではない。ヒノが無言で杖を振るうと、黒い蔦はたちまち千切れて地面に落ち、影に溶け込む。

「ゴマバ ベニゲ バガボ」

 また人面岩が呟くと、今度は地面から多数の小石が浮き上がり、それが二人めがけて次々と飛んで来る。

 こちらは少々厄介だった。早さも威力も二人にとっては何という事はないが、沢の底はそれほど広くない。至近距離からランダムに飛んでくる小石を杖で叩き落とすだけでは間に合わず、少しやりずらそうにヒノは身をかわす。

「やっぱり抵抗はするんですね…って」

 言いつつかっしーに目をやったヒノは、あやうく石をかわし損ねそうになった。

 かっしーは微動だにしていない。飛んで来る石は彼女の体に当らず、そのまますり抜けてしまっている。

「ずるい…」

「何がだよ」

 忙しく石をかわしていたヒノが思わずツッコむ。対するかっしーは憮然としている。

「大風(おおやじ/非常に強い風)もないのに石が宙を舞うものか。『こちら側』から見れば何も起こっちゃいないんだ。『あると思えばある、無いと思えば無い』程度の茶番に素直に付き合うなよ、お前も」

「無茶言わないで下さいよ、このチート持ち!」

 

 かっしーが『こちら側』と言うのは、ザックリいうと『現実の世界』、完全な物質世界側の事である。

 怪異というのは、だいたいが現実世界と霊的世界の『狭間』『境界』で起こっている。霊的世界と強い『縁(因縁)』がある場合、人でも物でもその影響を強く受けてしまう。

 それが現実では有り得ない現象であっても…例えば"突然空中に出刃包丁が現れ、それに切りつけられる"といった突拍子もない幻でも、霊的因縁の強さによってはソレによって現実の肉体が大怪我を負ったりし得るのだ。

 逆に、因縁が皆無であれば、そもそも霊的現象も『狭間』の出来事も"認知できない"。どれだけ強大な怨霊であったとしても、霊的エネルギーを物質的エネルギーに変換できない限りは、現実世界の『完全に無縁』の人や物に影響を及ぼす事は不可能と言っていい。

 『元凶』からの攻撃は霊的な力によって『狭間』の空間で発生している。自身の存在を『現実の世界』に置いてしまえば、理屈の上ではあらゆる攻撃をほぼ無視・無効化できる。

 とは言うものの、ヒノはその存在自体が『狭間』の者であるし、かっしーに至っては完全に『アッチ側』の存在である。本来ならガチで影響を受けずにはおられないはずなのだ。

 かっしーが影響を無視できているのは、ひとえに彼女が「ヒョイヒョイ次元を行き来できるようなバケモノ」だからであって、そんなものと同じ芸当を求められても、ヒノだって困る。

 

 飛んでくる石をかわし、宙を這う蔦を払いながら、ヒノはベルトの留め具を外してなんとかリュックに手を突っ込んだ。引き抜かれたその手には、何かの計測器のような道具が握られてい.る。その先端のセンサー部を自分に押し付け、親指でダイヤルを回す。

「capture」

機会音声が告げるが早いか、ヒノはトリガーを引いた。ガクン、という衝撃が走り、一瞬視界が強烈にブレる。

『財団』から支給された『存在の正常現実性を補強する器具』だ。

携帯用で出力こそ弱いが、補足対象の亜空間への逃亡を阻止したり、『狭間』に引き込まれた保護対象(人間など)を救助する等の柔軟な使い方が出来る。

本来、使った対象へのダメージを発生させるものではないのだが、体質のせいなのか使い方のせいなのか、全身を軽く殴打したような痛みをヒノは感じた。少し頭がクラっとする。

だが、それによってヒノの『本体』は『狭間』から『現実世界』へと移行した。もう石ころは飛んでおらず、彩度のない蔓は岩壁に張り付いているだけだ。

 改めて辺りを見回してみると、そこはごく普通の崖下でしかなかった。

 先程まで目を引いていた『人面岩』も実際にはさほど人の顔にも見えない単なる岩の出っ張りに過ぎないし、幾つもの死体も岩壁に張り付いてなどおらず落下した時のまま地面に転がっているだけである。

 "幽霊の 正体見たり 枯れ尾花"という諺を目の当たりにしたかのような感覚を、ヒノは覚えた。

「それはそうと、思ってたよりも面倒くさそうだな、これは」本当に面倒そうに、かっしーが呟く。

「かなりの霊力が溜まりこんでいたとみえる。ちょいと流れを読んでみたんだが、その霊力が『元凶』の"意識"によって動かされて分散し、山の彼方此方(あちこち)に張り巡らされてる感じだ。まあ、全部掃除する必要もないか」

 勝手にぞんざいなプランを立てて済まそうとしている。清掃業者だったら客に怒鳴られるだろう。

 

「バゲ」

 『現実世界』に、先程と同じ声が響いた。

「?」「あん?」

 二人の『現実世界の耳』にも聞こえている。実際に空気が振動しているのだ。"空気"という"物質"が、動かされているのだ。

 それは、『元凶』を形作っている"意識"が、霊力を現実のエネルギーに変換し始めたという事を意味している。

「バレ ゴギャ ブ…ゴマバ ベニゲ バガボ…バレ ビ ガイゲ」

「は」

憎々しさを含んだ『元凶』の"声"に対して、短く鼻で笑ったかっしーは奇妙な言葉で叫んだ。

「《笑わせるな、マヌケな"拾い食い"の分際で!》」

 その言葉自体は分からない。しかし意味は通じる。相手の言語能力に関わらず自らの"意図"を伝える、古代サンスクリット語に類似した特殊言語術…『真言』である。

「分かるんですか、今の言葉が?」

 かっしーの口ぶりからは、それが『元凶』の声に返したものだとわかる。だとすれば、彼女は『元凶』の声の意図を理解してしるわけで、当然その"言葉"の意味を解読したものとヒノは思った。が、

「分かるわけねーだろ、『言語』じゃないんだから」

 かっしーの答えはその予想をすげなく否定した。

「相手との意思疎通を目的としてない、ただ自分の吐き出したい音で唸り立ててるだけの雑音に、意味なんてあるものか。

 霊力の流れを読んだ時に、そこに含まれてた残留思念やら記憶の断片を"見た"から、そっから適当に見つくろって言ってやっただけだ。

 だが、こっちの挑発に怒るくらいの、感情らしきモノは持ち合わせているようだな」

 向こうからの"言葉"は通じないが、かっしーの『真言』は相手の使用言語や知能に関係なくこちらの意図を伝達する。

 かっしーの"言葉"によって、どうやら『元凶』は逆上してしまったらしい。

 周囲の霊圧が急速に上昇し、それが強引に物理エネルギーに変換されて空気を震わせ、怒気を含んだような唸りが渦を巻く。

 更には、地に伏していた遺体が、白骨死体が、不安定な動きで起き上がろうとする。が、その動きは極端におぼつかなく、なかなか立ち上がる事さえ出来ない。

「あー…これ、詰んだやつですよね」

 見ていられない、といった口調でヒノは呟いた。変換効率がすこぶる悪い。能力を持ち合わせないモノが無理矢理エネルギーを変質させようとすると大抵こうなる。あまり知性のない悪霊の類が、自らの霊力を浪費しまくっている事に気付かず、文字通り"自滅"してしまった例も少なくない。そしてこの『元凶』も、そうなる事はほぼ確定とみて良いだろう。

「正直助かる」不謹慎にも微笑さえ浮かべながら、かっしーは言った。

「山全体に拡散していたコイツの霊力が急速に引き揚げられてる。私達の事が相当気に食わなかったらしいな。おかげで一網打尽に出来るというものだ」

 ようやく立ち上がった白骨死体たちが、今にも崩れ落ちそうな動きでカタカタ震えながら二人に近づいてくる。ゾンビ映画のモブゾンビの方が100倍強そうだ。こけ脅しにもならない。

「これだけ集束すれば充分でしょう」

「だな。ちゃっちゃと終わらせるか」

 放っておいても力を使い果たして消滅するだろうが、綻んで分散した霊気が残留してしまう可能性がある。せっかく一箇所に集まってくれたのだから、まとめて浄化し、昇華させてしまった方が後腐れがなくて良い。

 

 ヒノが、髪留めに手をかけた。

 かっしーが頭巾を引き剥がす。

 一瞬、白い光と赤い紅葉形の光が二人を中心に閃き…

 再び二人の姿が現れた時、それは二体の『鬼』の娘となっていた。

 赤い、紅葉柄の、袖は無く腰から下が深いスリットで分割された着物のような服に身を包んで、顔の左側には仮面、額から細い一対の角を生やした姿の『日本鬼子(ひのもと おにこ)』。

 対照的に、白いセーラー服に着物の袖を付けたような服と、後頭部から牛のような太めの角を生やしている『火島霊護(ひのしまの みたまもり)』。

「《さて、名も無き災厄よ》」かっしーが『真言』で宣告する。

「《そもそも貴様など"存在していない"のだという事を、思い出させてやろうぞ》」

 

・・・◆◆◆・・・◆◆◆・・・◆◆◆・・・

・・・◆◆◆・・・◆◆◆・・・◆◆◆・・・

 

「お二方とも、お疲れ様でした」

 ヒノとかっしーに労いの言葉をかけながら、"第二分室"の職員である彼はゆっくりと車を発進させた。

 周囲にはパトカーや警察関係の車、残念ながら役目のなかった救急車などが乱雑に停車しており、気をつけないと接触してしまいそうだ。

 

 ヒノとかっしーが『元凶』を祓う事に成功し、下山して警察に連絡(実際に連絡したのは分室職員の彼だが)してから2時間とかからずに、"現場"には大量の捜査員やら鑑識やらが送り込まれ、一連の遭難事件は"行方不明者の遺体発見のみならず十数人ぶんの白骨死体が発見される"超展開で幕を閉じる事となった。

 突如としてその存在が明らかになった現場について、村人の誰もが口を揃えて「そんな場所があるなんて知らなかったし、聞いた事もない」と話したのは至極当然だったのだが、なにぶん戦後以降めったに人が足を踏み入れない山だっただけに、それは別に不思議でも何でもない事として処理された。

 元々上層部とは話がついていたため、二人は簡単な事情聴取(口裏合せの確認、とも言う)を済ませただけで早々に解放され、現在は大宰府神社の用意した車中の人である。

 

「でも、ちょっと勿体無かった気もしますね」

「何が?」

「あの『天然の罠』ですよ。そのまま残しておけたら、天然記念物として保護対象になるくらいの価値はあったんじゃないですか?」

 『元凶』を祓った後、かっしーは部分的に残っていた『天然の罠』を全て取り除き、両岸を繋いでいた蔦や蔓も全て焼き払ってしまっていた。

「冗談いうな」ウンザリした顔でかっしーがグダる。

「あんなもんに価値を見出すのは人間だけだ。自然界にとっちゃ、あっても無くても何の意味も成さないんだよ。

 だが、人間はあーゆーモノを有難がって、何やかんやと『意味』を後付けしようとする。人間の"意志"を介入させようとするんだ。それが原因になって、また"奇妙な事"が起こったりする。

 あそこに吹き溜まってた霊力だって、人間が入り込まなけりゃ何の霊障も起こさなかったんだからな」

「やっぱり、"ヒト"が原因だったんですか?」

 運転手の男性が聞いた。彼も事情を知る第二分室の職員である。後々報告書に目を通す機会もあろうが、『わずか半日で難しい除霊を成功させてしまった』二人への関心もあって、つい興味を引かれる。

 

「最初のキッカケになったのは、170年前の神隠しの被害者ですね」

 ヒノには人を食ったような口調で接するかっしーだが、一般の社会人に対しては割と常識的な言葉遣いをする。まあ、運転手の彼は神職に携わる霊能者で厳密には一般人とは言えないのだが、組織の人間として"常識的な社会人"ではあるので、かっしーにとっては同様の扱いなのだろう。

 かっしーは『天然の罠』についてかいつまんで説明すると、『元凶』の記憶として見たものを元に説明を始めた。

「沢の底に落下して致命傷を負いながら、1~2分は意識があったようです。自分の身に何が起こったのかもよく分からず、ほとんど光も差さない暗闇の中で、自らの死を感じながら彼は思ったようです。

 『なぜ、自分だけがこんな目に遭わなければならないのか』、と」

「まあ、誰でもそう思うでしょうね。意識があったのなら」

「人間ですから、自分の死に意味を持たせたくなるのは仕方無いですよね。

 あの『罠』は自然に出来たものだし、そこにハマって墜落死した事に"意味"なんてありません。単なる不運による事故です。

 それでも、唐突に訪れた理不尽な"死"に際して、どうしても"なぜ"は考えてしまう。"純然たるただの偶然"で死ななければならない、なんて、納得できる話じゃないですからね。

 そうして意識が途切れる直前、彼は見たんです。

 岩肌に突き出した、巨大な『顔』を」

 あの人面岩だ。実際にはソレほど"人面"に見えるものでもなかったが、混濁しかけた意識で目にすれば実際よりも"顔"に思えるかも知れない。あるいは、死の淵にあった彼は半分『狭間』に入り込んでいたのかも知れない。

「一瞬、彼の頭の中で知識が繋がって、ひとつの『物語』が生まれました。

 『あれはこの山の主なのだ。自分は山の主に生贄として囚われたのだ』と。

 そして、彼はその『物語』と現実の区別がつかないまま事切れました。

 理不尽な死を呪う気持ちと、『物語』は渾然一体となって、あの場所に吹き溜まっていた霊力に溶け込んだようです」

「それが、あの『元凶』になって、犠牲者を引き寄せていったんですか?」ヒノが聞いた。

「いいや、たかが一人の人間の思念では、あれだけの霊力を動かすには全然足らんよ。その時点では、単に霊力に『物語』が融けて混じった程度だったんだ。

 その比重が増すようになったのは、あの『罠』にかかる人間が、数年おきに発生していたせいなんだ」

「数年おき?」ヒノが小首を傾げた。

「住人の話では、神隠しは20~30年に一人だと…」運転手の男性もその辺の情報は知らされている。

「村人が把握していない犠牲者がいたのか、あるいは近年の事件の発生スパンを元にした証言だったのかも知れません。

 とにかく、昔は割と頻繁に神隠しはあったんです。そうでなければ"170年"という期間と"十数名"という人数が矛盾しますから。

 …それで、穴に落ちた犠牲者は絶命する直前、そこに溜まっていた霊力に触れた。同時に、その霊力に融け込んでいた『物語』に触れたんです。

 結果、犠牲者は皆、『自分は山の主の生贄として殺された』と思いながら死んでいったんです」

「それが、蓄積されて…」

「ああ」ヒノの言葉に相槌をうって、かっしーが眉をひそめた。

「それが"生きている人間"の間で起こった事なら、単に迷信がひとつ生まれただけで済んだでしょう。

 ですが、ご存知のように、死んだ人間の意識というのは極一部の例外を除いて基本的に"考える"事も"知識を得る"事も出来なくなりますからね。『山の主』を信じて死んだ以上、その残留思念にとって『山の主』の存在は事実なのと同然です。

 そして、厄介な事にあの場所には、居もしない『山の主』を霊的に再現し得るだけの霊力が溜まっていた。

 蓄積された"山の主の犠牲者"の意識は、『山の主は生贄を欲する』という『物語』を再現するべく、生贄を引き付けるために霊的エネルギーを使うようになっていったんです」

「ミイラ取りがミイラ、ならぬ、『山の主』の犠牲者が『山の主』そのものになっていったわけですね」

 運転手は軽く唸った。もっとも、そのような事例は彼のような職業の人間にとって、別段珍しい話ではない。だから、彼はこう付け加えた。

「そっちのケースの事案でしたか」

「ええ、こう言っては難ですが、割とありきたりのロジックで成立したものです。それに、本来なら私達が動くまでもなかったはずなんです」

「と、言うと?」

「あの山は『神隠し』の山になってしまったんですよ」かっしーが説明を続ける。

「数年おきに人が消える山に、ノコノコ入っていく人もいないでしょう。

 さっきヒノにも話しましたが、麓の人達も、原因までは分からなくとも単純な事実として"あの山は危険だ"と学習して、立ち入るのを控えたり、どうしても山に用がある時は充分すぎるほどの注意をはらって入山するようになっていったんです。

 数年に一人だった『生贄』が10年に一人になり、戦後過疎化が進んだ事で、更にそれが20年に一人になり…いずれは何十年待っても『生贄』がやってこなくなっていたでしょう。そうなれば『山の主』のアイデンティティが成立しなくなります。まあ、"考える"事の出来ない霊ですから、自然に『山の主』としての自己が消えるまでは、かなりの時間を要するでしょうが…とにかく、そのまま放っておく事が出来ていたら、いずれは『山の主』は消滅していたはずなんです」

「たしかに、SCPにもそういう事例がありますね。"ヒト"に由来する事象で、完全に"ヒト"から隔離・遮断されて、観察と記録も放棄して封印されていたSCPが、数十年後に封を開けたら完全消滅してた、っていう」

以前見たファイルの類似例を思い出して、ヒノがかっしーの推測を補強する。

「そうなってくれれば有難かったんだけどな。ハッキリ言って、あの山で起こる怪異なんて誰も興味も関心も持ってなかったわけだし。

 ところが一週間前、私達はもちろん『山の神』にとっても不測の事態が起こった」

「一度に二人の神隠し、ですか」

「ええ。しかも、"二人同時に"あの場所に落下したんです」

「20年ぶりの生贄、しかも二人同時にだったら、『山の神』もさぞ嬉しかったでしょうね…」

「ところが、そうじゃないんだ。『山の神』は"どうしていいかわからなく"なってしまった」

「えっ?」

意外な話に、ヒノが怪訝な声を出す。

「さっき霊護(ミタマモリ/かっしーの敬称)様もおっしゃっていましたが、死者の残留思念は"思考"というのが苦手なんです」

かっしーの代わりに運転手が説明を始めた。

「170年の間ずっと"生贄は一人"というケースしかなければ、それは当事者にとって確定事項になってしまうんです。だから、それと少しでも違う事が起こった場合は対処が出来ない。生きている人間なら"どうすれいいだろう"と考えて、簡単に答えが出せるような小さな問題でも、思考する事自体が困難な残留思念にとっては解決不可能な絶望的事態と同然だったりするんです」

 難儀な話である。

 

「じゃあ…困った『山の神』は結局どうしたんですか?解決できない難題を抱えて、例えば"どうにも出来ずに固まってしまった"とかなら、その後の事件は起こらなかったはずでは?」

「困惑し、パニック状態になって進退に窮した『山の神』は…」死んだ魚の目をしてかっしーは答えた。「とりあえず次の生贄を引きずり込む事にした」

「ハァ!!?」

 眉を吊り上げながらヒノが声を荒げる。

「何ですかそれ!?いっぺんに二人の生贄が落ちてきて困ってるのに、更に生贄を追加してどうするんですか!!?」

「私に言うなよ」

 ウンザリした顔でかっしーが応える。

「あの『山の神』のアイデンティティは、『生贄を欲する』事以外に何も無かったんだよ。170年間、"たまに生贄が一人落っこってくる"って状況だけが、ヤツの唯一の真実であり全てだったんだ。周りがどんな変化を遂げようが、自身がどんな窮状に追い詰められようが、『生贄を欲する』以外のアクションはとれないし、とろうと思う事すら無理なんだ。

 都合のいい事に、山中には捜索のために過去最高の入山者があった。手当たり次第に誘い込んで"ちゃんと一人ずつ落ちるか"を確認して安堵するには、おあつらえ向きの状況だったろうな」

「で…でも、そこまで限定的な行動しか出来ないなんて有り得るんですか!?現に、私達に対しては『敵とみなして攻撃する』という選択をしたじゃないですか!?」

「あれは『攻撃』じゃなかったんだよ」

またもや意外な事実を明かすかっしー。

「アイツは、私達を他の生贄と同じように『動かなくしたかった』だけなんだ。

 『狭間』の領域で蔦を繰り出してきたのは、過去に『蔦に絡まった生贄が落ちてきた』事があったからだ。そいつは宙吊りになってしばらくもがいた後『動かなくなった』。

 同じく、石を飛ばして来たのも、『落下して即死しなかった獣』に偶然落石が当って『動かなくなった』事があったからだ。

 それを再現しさえすれば、私たちも『動かなくなる』という認識だったんだよ」

「じゃ、じゃあ…遺体や白骨を動かしたのは!?」

「あの死体は元々『現実世界』で自分たちが自由に動かす事が出来た手足だからな。私たちが『狭間』の現象を無視したから、『現実の肉体』を使おうとしたまでだ。生前の感覚で。ソレが既に力無き白骨なのだ、とか考える頭は、奴には無いわけだし」

「!!!!!」

 ヒノは絶句して頭を抱えた。度し難い。知性のレベルの低さが、行動原理の稚拙さが、もはや理解不能な域に突入している。

 

「だから最初から何度も言ってるんだ。クッソつまらん案件だと」

 かっしーの態度も投げやりである。

「人間は時に偉大な功績を成し遂げるものだし、中には私ですら畏敬の念を抱かずにはおられない人物も10人や100人ではない。

 だが、何も無いところで余計な事をして下らん問題を発生させて、取り返しのつかん事態にまで悪化させる馬鹿がその100倍はいる。

 今回の事件だって、これで終わった訳じゃないぞ?

 多重遭難事件としてそれなりに大きなニュースになってたところに、過去170年ぶんの不明者の人骨だ。警察が撤収した後、どんだけ野次馬が集まってくるのやら。インターネットでもオカルト好きな連中の格好のネタになって、軽く15年はイジられ続けるだろうな。

 『天然の罠』を取っ払って霊力が吹き溜まるのは解消したし、怪しげな想像をかき立てる人面岩もブッ壊しはしたが、人間からの『関心』は今までの何千、何万倍も集まってくる。それが新たな怪異の種にならんという保障は、誰にも出来ないんだぜ?」

 ウンザリもするさ、と、かっしーは吐き捨てる。

「本社の方でも、出来る範囲の事はさせて頂く、と言ってましたが」申し訳なさそうに運転手が言った。「名前の知られている神社があまり大っぴらに動くと、かえって邪推を呼びそうなのが、なんとも歯がゆいです」

「まったく。つくづく因果な商売です」

 商売とか言うな、と、ヒノは心の中でツッコんだ。急に、ものすごく疲れた気がする。かっしーがいつも面倒臭そうに立ち振る舞っている、その理由が少し分かったような気がした。

「とはいえ」気を取り直したように運転手が話し出す。「あれ以上犠牲者を増やさずに済んだのですから、やはりお二人には感謝の言葉もありません。

 アレは、言ってしまえば170年かけて拗れに拗れた人間の思い込みの塊みたいなものでしょう。ヒトの力だけで何とかしようとすれば、どれだけの時間がかかったのやら…その間も被害が増えたでしょうし、鎮めようにも術者にもまた命の危険がありますから…」

 何かを言おうとして、その言葉の飲み込むように、彼は言葉を切った。

 彼も『第二分室』の職員であり、霊能者だ。たぶん、過去の職務で同僚か誰かを失っているのかも知れない。

 かっしーが、"元々の自分のいた世界線ではない"この世界で、嫌々ながらもこのような任務を引き受けているのは、そんな"同僚の不幸"を見たくない、という、単純な理由なのかも知れない。

 人間の愚かしさに時に激怒し、時に嘲笑する事をためらわない彼女だが、きっと『ヒト』に失望しきれてはいない。ヒノにはそんな気がする。

 

車に揺られてまどろみながら、ふと「コレ、財団への報告書にどう書こう…」と考え、微妙に気落ちしながらヒノは眠りについた。

 


 
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