No.111938

テラス・コード 第一話

早村友裕さん

 ――生きなさい――

 それは、少女に残された唯一の言葉だった。
 太陽を忘れた街で一人生きる少女が、自らに刻まれたコードを知る。

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2009-12-13 01:37:51 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:1227   閲覧ユーザー数:1181

 

 

 

 

第一話 テラス

 

 

 

 

 

 ごく稀にだけれど、泣きながら目覚める事がある。

 そんな時はベッドから起き上がるのも億劫で、このままコンクリートむき出しの天井を見上げていたくなってしまう。

 しかし、固いマットを敷いただけの寝床はひんやりとして、みるみる眠気を奪っていった。

 

 また目が覚めてしまった。

 

 太陽を忘れたこの街において、いつ眠りいつ起きるかは自由であるし、何よりあたしの職業は、誰かに時間を左右されるというわけではないのに。

 もう少し眠ろうかと逡巡していると、目の前を大きな漆黒の翼が横切った。

 あたしは寝転がったまま、その翼に向かって手を伸ばした。

 

「おはよう、ツヌミ」

 

 伸ばした指に降りてくる艶やかな、まさに文字通り濡れ羽色の翼――いつしか共同生活を営むようになった鴉のツヌミだった。羽色と大きな眼が自慢のこの子は、あたしの唯一の味方。

 そのツヌミが何かを急かすように喉を鳴らした。

 仕方ない。

 部屋の隅から辛うじて光を供給する青白い電灯を頼りにして、ようやく寝床から起き上がり、のろのろと着替えを始めた。履き慣れたショートブーツに汚れたジャケット、そして左手首には見た目の割にずしりと重いバンドを固定した。

 色素の抜けた白髪に近いほど薄い金髪を高い位置に括り、あたしは唇を噛み締める。

 

「行きましょう、ツヌミ」

 

 額にあった暗視スコープをぐい、と顔におろして。

 

――生きなさい

 

 体中の細胞が、そう叫んでいるから。

 この街が、太陽を忘れ闇に包まれた絶望の世界だとしても、今日を生きなくちゃいけない。

 たとえそれが、何か他のモノの命を奪う行為と同等だったとしても。

 

 

 

 軋みのひどい鉄扉を押し開けて外に出ると、スコープ越しに見慣れた景色が広がっていた。

 元は建物だったはずのコンクリート塊がそこかしこに転がっている。道と呼べるモノはなく、あたしは身長近くもあるコンクリート塊の間を縫うようにして進んで行った。

 この街が太陽の光を捨てたのは、今から百年以上も前だという。

 光を通さない強固な防御壁で街を覆ったのが誰なのかは知らないが、それは外界の恐怖から身を守るために作られたものらしい。

 街の外、防御壁を隔てた向こう側には、ヒトにあらざる形をした者達が溢れ返っているという。

 『異形(オズ)』と呼ばれるソレは、時に防御壁を越えて街へと侵入してくる。そして、防御壁により辛うじて生き残った人間たちに危害を加えるようになる。

 あたしの仕事は、それを退治する事。時に人間のような形で入り込んでくる彼らを、情け容赦なく滅する事だった。

 と、その時、ほとんど視界の利かない真っ暗な街の中で、ツヌミが上空から警戒音を落とした。

 異形が近い。

 とっさに近くのコンクリートブロックに背をぴったりと寄せ、暗視スコープを付けた視界で辺りを確認しながら、あたしは左手首のバンドに手を添えた。すると、ぶぅん、と低音が響いてリストバンドから光が漏れる。

 

「どっち?」

 

 小さい声で問うと、ツヌミはあたしの元に戻ってきた。

 リストバンドに分子分解で収納されていたクロスボウを構えたあたしの肩にツヌミが舞い降り、嘴で方向を指し示す。

 

「ありがとう」

 

 静かに呟くと、あたしはその方向に駆けた。

 同じ様に異形を狩る者だった育て親は、五年前に異形との戦いの中で命を落とした。いつだって、この戦いは命がけなのだ。

 コンクリートブロックに身を隠しながら、異形の姿を探す。

 心臓の音が耳元で鳴り響いている。

 腐臭が近づいて来る。ずるる、ずるると何かを引きずる音が少しずつ大きくなってきた。

 耳元で鳴り響く心臓の音を聞きながら、番えた矢をきりり、と引き絞った。

 来た!

 その瞬間、あたしは身を隠していた場所から飛び出し、矢を放った。

 矢は異形の胸元辺りに突き刺さり、耳をつんざくような悲鳴が響き渡る。

 微かに人の形を残し、しかしもうほとんど原形の崩れてしまった、どろどろと真っ黒い何かになり下がった『異形』。その体から流れ落ちる貪欲な液体は、周囲のコンクリートを溶かしながらじわじわと広がっていた。異形が触れた部分から、白い煙が上がる。

 街に侵入した異形は、何かを求めるように両手を前にだらりと下げ、人間を求めて街を徘徊するのだった。

 ぽたり、ぽたりと異形の粘液が地面に滴り落ちていた。

 人型の異形の急所は基本的に人間と変わらない。その急所を正確に射抜かなければ、異形を止める事はできない。

 最も死に至らしめやすいのは後頭部だ。人間でいうところの、脊髄にあたる場所に矢を打ち込んでしまえば、一瞬でカタがつく。が、そこは最も狙いづらい場所でもあった。

 

「ツヌミ、お願い!」

 

 あたしの叫びでツヌミが異形に襲いかかっていく。

 原形の崩れた彼らに視力があるのかどうか定かではないが、近寄って来た鴉を追い払うように、異形は手らしきものを振り回した。そこからどろどろとした真黒な液体が飛び散り、さらに周囲の建物を溶かしていく。

 飛んでくる粘液を避けながら、あたしは異形の背後へと回りこむ。

 ジャケットの一部が粘液で溶けた感触があったが、それも無視して狙いを定めた。

 

「これで終わりっ……!」

 

 渾身で射た矢が、異形に深く突き刺さる。

 その瞬間、この世を呪う断末魔をあげた異形は、ゆっくりと、地に倒れ伏した。

 異形の体は支えを失ってどろどろと崩れていく。しゅうしゅうと溶解の音を響かせ、周囲のものすべてを呑みこみながら、昇華するように溶けていくのだ。

 何かが落下した後のような半円形の穴の底には、異形の残骸が残る。

 最期の後に残るのは……人の形をした骨。

 

「はぁ、はあ……」

 

 息を整えながらクロスボウを収納した。

 目の前には、倒れ伏した状態で救いを求めるように手を伸ばす、動かぬ骨があった。

 あたしは知らない。異形というモノがいったい何なのか。後に残る骨、本当は異形が『人』ではないのかと――

 

「行こうか、ツヌミ。ウズメに報告しないと」

 

 すり寄ってきたツヌミの喉を撫で、あたしはもう一度立ち上がり、闇に沈む街を歩きだした。

 

 

 

 

 

 スコープ越しの視界の隅に、ひときわ目立つ漆黒の塔が映った。

 防御壁に包まれたこの街の中で、ひときわ目立つ建物、ドーム上に街を覆う防御壁の天井を貫かんばかりの高さに達する、街の中央の巨大な塔だ。

 あたしたち街の人間は、それをタカマハラと呼んでいる。

 この防御壁の中の、二階層。

 タカマハラの中に住む人たちと、真っ暗な街に住むあたしたち。

 あたしたちは、異形と戦いながら生きていかなくちゃいけない。生きる為には、戦って、倒していくしかない。

 でも、タカマハラは違う。

 タカマハラは豊富な食糧や水との交換を条件に、異形の始末を取り残された人々に押しつけた。太陽を失くした街で食料を手に入れるのは至難の業だったために、街の人々はその運命を受け入れるしかなかったのだ。

 いったい、天井に住む彼らがどうやって食料を調達しているのかは分からない。それこそタカマハラに行ってみるしかないだろう。最も、あの強固な障壁で囲まれたあの塔に入る術などない。

 いったいどうしてそんな隔たりが出来たのか、そしてこの街を防御壁で囲ったのは誰なのか、タカマハラは何時から存在しているのか。

 何も分からなかったけれど。

 あたしたちは、タカマハラに『生かされている』のだった。

 

 

 触っただけでぼろぼろと崩れ落ちてしまいそうな錆びついたドアを軋ませて開くと、予想通り、大きな声が飛んできた。

 

「いらっしゃい、テラスちゃん!」

 

 そう言ってウィンクをしたのは、あたしの雇い主。

 大きな紫黒の瞳はいつも異性を誘っているかのように濡れている。まるでツヌミの羽根のような色をした見事な黒髪は腰ほどまでもある美しいストレートロング。男なら誰もが夢中になる美女――それがウズメだった。

 あたしも含め、異形たちの『退治』を特に専門とする、異形狩りのボス。

 

「さっき、近くで戦闘してたでしょう! 大丈夫だった? 怪我はない?」

 

「大丈夫よ、ウズメ。問題なかったわ」

 

「本当に? 黙ってちゃ駄目よ、女の子なんだから、体を大事にしないと!」

 

 ウズメはあたしの顔を両手で優しく挟み、顔に傷がないか確認してから手を取り、足をとり、怪我がない事を確認してからようやくあたしを解放した。

 同じように異形狩りだった育て親を亡くしたあたしを拾い、この職と武器を与えてくれた張本人なのだが、この大きな声とオーバーアクションにはいつまで経っても慣れる事が出来ない。

 

「タっちゃんたちもさっき来てたのよ。入れ替わりで出て行っちゃったけど」

 

「……出来れば、二人には会いたくないわよ」

 

「もう、テラスちゃんはいつもそう言うのね」

 

 が、ウズメはそれに何の返答もせずどさり、と資料の束をあたしに寄越した。紙の資料なのは彼女のこだわりだ。

 

「じゃあ、早速今日の仕事! お願いね」

 

「……はいはい」

 

 相変わらず、この人は人の話聞かないな。

 

「それじゃあ、行ってきます」

 

「本当に気を付けてね、テラス」

 

 ウズメの声に一筋の違和感を覚えて振り向くと、彼女は少し悲しげに微笑んでいた。

 

「どうしたの?」

 

「いいえ、ただ、今日は――あなたにとってとても大切な日だから」

 

「変なウズメ」

 

 余計な詮索はせず、あたしはツヌミを連れて事務所を後にした。

 

 

 

 

 

 

 渡された資料によると、タカマハラの周辺に出現するようになった異形が最近ではタワーへの侵入を試みるようになったらしい。それを退治してほしいという依頼だった。

 これまでタワー周辺に近付いたことはほとんどないのは不安要素だった。一度だけタカマハラからの依頼を受けた事があるが、あの時は同業のタツとカラと共同戦線を張り、3人で挑んだのだ。1人で行う今回の依頼とは全く違う。

 ポイントへと近づくにつれ、タカマハラタワーの存在感が増してきた。

 のっぺりとした塔で、素材もよく分からない。暗視スコープで拡大してみても、人が住んでいる明かりなどの気配は全くなかった。幅だけでも街の大きさの10分の1は占めているだろう、周囲に落ちている街の残骸は本当にゴミクズのようだった。

 ああ、この光景を見ると心の中が空虚になっていく。

 

――生きなさい

 

 いつも全身を貫くこの声は、いったいどこから聞こえるの?

 

 

 

 ぼんやりと思いを馳せたあたしの耳を、鋭いツヌミの声が貫いた。

 はっとしたあたしの目の前には、巨大な異形。これは、珍しい獣型の異形だ。口元がぱっくりと割れて真っ赤な色が覗いている。大きな牙が見え隠れし、そこからだらだらと垂れる液体が音を立てながらあたしの足元に滴っていた。

 四足歩行の獣型をした異形は、これまで会った中で最大のサイズ。

 しまった、油断して接近に気付かなかった……!

 慌てて左手のリストバンドに手を伸ばす。

 が、間に合わない。

 すさまじい衝撃が全身を貫いて、あたしの体は横向きに吹っ飛んだ。

 とっさに受け身をとるが、コンクリートブロックに叩きつけられ、意識が朦朧とする。

 

「……くっ……」

 

 体の左側半分が異形の体液に触れて悲鳴を上げている。

 殴打と、自分の皮膚が溶けていく感覚――激痛が全身を貫き、思わず悲鳴が漏れる。

 

「ぁあっ……!」

 

 頭上でツヌミがけたたましい声を上げながら旋回している。

 だめだ。動けない。

 諦めかけたその時、視界の隅を漆黒の人影が横切った。

 

「テラスに手を出すな!」

 

 聞いたことのない声が鼓膜を揺らす。

 誰?

 ノイズの混ざったスコープ越しの視界に、人影が映っていた。

 

「獣型タイプE、進行度はMAX-3……即刻殺るぞ、トツカ!」

 

「へぃへぃ」

 

 いったい……誰? いま、何が起きているの?

 地面が振動するたびに、全身に激痛が走る。

 やばい、骨が何本かいったかもしれない。左側面の腐食も激しい。

 

「音声認識、オン。開放系2段階、雷(いかづち)……建御雷神(たけみかづちのかみ)!」

 

 その瞬間、暗視スコープを通した視界が真っ白になり、耳を凄まじい轟音が貫いた。

 

 

 

 

 

 先ほどの白い視界は、閃光だったらしい。

 辺りの轟音が消えても、あたしの視界は回復しなかった。暗視スコープで閃光を見た報いだ、見えるようになるまではもう少しかかるだろう。

 そして、どうやら異形(オズ)は倒されてしまったようだ。

 あたしは警戒を強めた。

 先ほど聞こえた声からすると、異形を倒したのはきっと同業者の男だ。

 そしてあたしは女で、今、全く動けない状態にある――これがこの街においてどういう事を意味するか、考えるまでもない。相手が同業者だろうと関係ない。それは時に同じウズメの下で働くタツやカラにだって当てはまることなのだ――あたしがヤツらに遭いたくない理由は、そこにもあるのだが。

 しかもこの類の身の危険に遭ったのは、それこそ一度や二度じゃない。

 触れられる前に威嚇射撃……?

 

「近寄らないで。それ以上近付けば、同業者だろうと撃つわよ」

 

 が、構えようとした時、ふいに声がした。

 

「ちょっと落ち着けよ、テラス。お前怪我が……」

 

 知らない声が、あたしの名を呼ぶ。

 

「誰? あたしを知ってるの?」

 

 真っ白になってしまった視界が回復する気配はない。でも、すぐ近くに人の動く気配があるのは分かっている。危険だ。この上ないくらいに。

 ツヌミ、どこ?

 耳をそばだてるけれど、ツヌミの羽音は聞こえなかった。もしかして、さっきの異形にやられてしまったの? それとも……

 

「どうしてこんな場所にいる? 本当ならナギの処に」

 

「あなたは誰? あたしを知ってるようだけど、異形狩りじゃないの?」

 

「誰って、俺は」

 

 声の主は一瞬驚いたようだったが、すぐに冷静な声に戻った。

 

「……もしかして、岩戸プログラムが発動しているのか。それじゃ、ナギは」

 

「イワトプロ……?」

 

「やっと見つけたっていうのに……」

 

 だめだ、話が通じない。

 でも、体が動かない今、身を守る手段は言葉しかない。目の前にいるこの人から情報を引き出さないと。

 

「とりあえず、あなたは異形狩りよね。どこの区域担当? ここはウズメの担当区域って知ってるわよね」

 

 声を出す度、全身に痛みが走る。虚勢を張って強気な声を出すが、視界を奪われ痛覚が鋭敏になっているせいで、どうしようもなく痛い。

 

「領域の侵略として裁かれる前に去りなさい」

 

 ところが、返事の代わりに、鋭敏になった頬に何かが触れた。二度、三度と何かを拭うように撫でていく。

 体温を感じる……これは、手?

 相手に触れられる事は絶対に避けるべきだったのに、何故だろう、あたしはこの手を知っている気がした。

 

「テラス」

 

 どこか優しい声。温かい手。

 ああ、駄目だ。意識が落ちていく。

 

――生きなさい

 

 頭の片隅で、またあの声がする……

 

 

 

 

 

 

 

――生きなさい。人間の未来のため、お前たちは生きなくてはいけない

 

 誰? いつもあたしに呼びかける声の主は誰?

 

――アマテラス、お前が最後の希望だ

 

 心の隅々まで澄み渡るような優しい声。

 

――タカマハラにだけは気をつけるんだよ。決して近づいてはいけない。彼らは、お前達を

 

 何? タカマハラがどうしたの? あたしたちを使う?

 分からない……

 

――16歳になるまでは隠れて暮らすんだ。絶対に、捕まってはいけないよ。そして、その日まで……生きなさい。そうすれば、お前の兄弟が迎えに来るから……

 

 

 

 

 

 

 

 

 はっと目が覚めた。

 同時に痛みが全身を襲う。

 思わず顔を顰めたあたしの視界を、見慣れた漆黒の羽根が横切った。

 

「ツヌミ」

 

 特に乱暴された様子はなく、むしろ自分が万全の治療を受けていることに驚いた。こんな設備がこの街にあったとは、知らなかった。

 右腕は完全に固められているようで動かなかったが、左腕は何とか動く。包帯に包まれた左腕をゆっくりとあげてツヌミに手を差し伸べると、ふいにベッドの脇で声が上がった。

 

「あっ、起きた!」

 

 誰?

 あの時、異形(オズ)にやられて動けなくて、それから知らない人がいて、閃光で目が見えなくなって、それからどうしたんだっけ。

 

「よかった、もう起きないかと思ったよ」

 

 ところが、ツヌミの代わりにひょい、とあたしを覗き込んできたのは、見た事のない少年だった。

 あたしと同じか、それより幼いかくらい。大きな灰白色の瞳が好奇心で輝いている。淡い茶髪が頬にかかり、さらさらと揺れた……問答無用の美少年だが、残念ながら見覚えがない。

 警戒を解かず、あたしは眉を寄せる。

 

「……誰?」

 

「あっ、そうだった。僕、ヨミだよ! 久しぶり、テラス」

 

 ヨミ? 久しぶり?

 目の前の少年に見覚えはないのだが。

 

「テラスもすっごく美人になったね。想像してた通りだ!」

 

 そう言うと、ヨミと名乗った少年はにこりと笑った。

 

「嬉しいな。きっとカノも喜ぶよ!」

 

「カノ……?」

 

 どうしよう。この少年の言う事が全然分からない――もしかするとあたしは呪われているんだろうか?

 でも、さっきからとりあえず顔が近い。ほとんど額が触れそうな距離に、本当に綺麗な少年の顔。

 

「やっと会えたんだもんね」

 

 こつり、と額を合わせて眼を閉じた少年の長い睫を呆然と見つめていると、またも別の声がした。

 

「やめなさい、ヨミ。岩戸プログラムが作動しているんですよ……テラスが困っているでしょう?」

 

 

 

 

 

 

「カノ」

 

 少年の声が少し遠ざかり、ぱっと視界が開けた。

 一面コンクリートの天井。でも、あたしの部屋とは比べ物にならないくらいに明るい。見渡せる限り灯りや家具は他に見当たらなかったが、扉から年若い男性が覗いていた。

 

「すみません、テラス。突然……」

 

 寝癖をそのままにしたのか元々なのか、あちこちに跳ねた茶髪。眼鏡の奥に細まった目は温和な性格を示している。白衣を纏った、柔らかな雰囲気を持つ20歳過ぎの青年だった。

 

「申し遅れました。私、カノと言います。この子はヨミ。貴方が異形に襲われて動けなくなっていたので、僭越ながら手当てさせていただきました」

 

「カノ、さん」

 

「大丈夫ですか?」

 

「あ……ありがとう」

 

 落ち着いて。この状況を分析するの。

 どうやらこの人たちはあたしの事を知っているらしい。同業者ならそれほどおかしくはない事だ。が、まるで以前会っているかのような物言いは、いったいどういう事だろう?

 第一、この街で見ず知らずの人間を、それもあたしみたいにちっぽけな女の子を助け、手当てをしてくれるなんて不自然すぎる。

 だめだ。何も分からない。

 自分の身は自分で守らなくてはいけないのに――一瞬あたしは迷った。

 この人たちを完全に信頼できる?

 

「ああ、そんな目をしないでください、怪しいものじゃありませんから」

 

 いや、どう考えても怪しいけれど。

 警戒しても体が動かない以上どうしようもないのだが、気を許すわけにはいかない。

 

「あの、カノ……さん」

 

「何でしょうか?」

 

「カノさんも、ヨミ……くんも、あたしの事を知ってるみたいなんだけど、あたしは全然知らない。さっき言ってたイワトプロ……なんとかっていうのも。それから、異形にやられた時助けてくれたのは別の人だった気もするし」

 

 自分の頭の中も整理するように、一つずつ疑問を口に出していく。

 

「あなたたちは、何者なの? 異形狩りである事は確かなようだけど……」

 

 あたしにとっての至上命題は一つだけ。

 

――生きなさい

 

 そう、全身が叫んでいるという事実だけ。

 

「教えて。あたしは、あなた方に会ったことがあるの?」

 

「ええ、そうです。そうですね……どこから話しましょうか。ああ、それと、私の事はカノ、でいいですよ」

 

 

 

 

 ヨミを部屋から追い出したカノは、ベッドの端に腰かけ、あたしを見下ろした。

 

「すみません、最近、足が悪いもので。ここに座らせてください」

 

「どうぞ」

 

 しかしながら、見下ろされているのに不思議と不快ではなかった。それはきっと、この人が持つ独特の柔らかい空気にあると思う。

 

「さて、最初に。私たちも、異形狩りの一団です。テラス、貴方はウズメが統率する一団に属するハンターですよね。私たちは、タカマハラを挟んでウズメの担当区域の反対側で活動する者です」

 

「ウズメの事知ってるの? ……って、反対側?!」

 

「はい。怪我をした貴方を拾ったのはタカマハラ付近でした。任務でずいぶん遠出されていたようですね」

 

 確かにあたしが異形にやられたのはタカマハラ付近だった。

 

「でも、どうしてあたしを助けたの? こんな街では他人を気にかけている余裕なんて誰にもないはずなのに」

 

 するとカノは微笑んだ。

 

「それはですね、テラスがヨミと兄弟関係にあるからですよ」

 

「あたしとヨミが……兄弟?」

 

「ええ」

 

 えーと、さっきの美少年のあたしが兄弟?

 ソンナバカナ

 そんな話、記憶にある限りで聞いたことない。

 

「えっ? でもあたし、ヨミなんて知りませんよ?」

 

「……それを本人に言ったら、ヨミは寝込むほど落ち込みますよ」

 

 カノは困ったように笑った。

 

「兄弟と言っても同じ親から生まれた、という意味ではありません。同じ遺伝情報を共有しているという意味です」

 

「イデン情報……?」

 

「遺伝情報というのは、生命体各個人が持つ、自己を創造し調節するための情報の事です。核酸の塩基配列によってコードされ、相補的な塩基が補う事で増殖を行う、自己複製型の有機的高機能プログラム。それによって、私たちはここに存在し、生命体としての活動を行っているのです」

 

 突然、カノの口から訳の分からない言葉が飛び出した。

 

「……ごめん、カノ、難しくて分かんない」

 

「ああ、すみません。専門分野なもので、少々先走ってしまいました……要するに、テラス、貴方の髪の色、瞳の色、性別に至るまで、身体的な要素を決定しているプログラムが、貴方の中に存在するという事です」

 

「あたしの中に、プログラム? それじゃ、あたしは人間じゃないっていうの?」

 

「いいえ、そのプログラムは生き物ならば誰しもが持っているものです。この細胞一つ一つがその情報に従って分裂、増殖、分化を繰り返して生命体を構成しています」

 

 あたしは生きている。食料を摂取しなくちゃ死んでしまうし、逆に食べたら食べた分だけ成長する。呼吸をして、その分運動する。怪我をすれば治るし、悩んだり喜んだりだってする。

 そんな生命活動すべてがあたしの中に刻まれた『イデンジョウホウ』とやらで制御されているらしい。

 でも、もしもそれが本当だとすると、なんだか気持ち悪い。あたしの体が急に自分のものじゃなくなってしまったみたい。

 

「でも、それがあたしを作るプログラムだとしたら、あたしとヨミが同じってどういう事? ヨミとあたしは一緒じゃないよね?」

 

「すべての情報が一致する人間はいませんよ。例えば、私と貴方では性別が違う。髪の色も顔も、身長だって違います。それらは、すべて遺伝情報の違いによるものです。しかし、同じである情報もあります――それは、『人間である事』」

 

 カノの言葉をゆっくりと噛み砕きながら、ツヌミの黒い翼に目をやる。

 

「貴方とその鴉(カラス)では見た目が違うでしょう? 姿かたち、違う分だけその情報が違うのです。貴方と鴉の違いは私と貴方の違いよりも段違いに大きい。そして、その違いは血縁関係が近いほどに小さくなる傾向にあるのです」

 

「じゃあ、あたしとヨミはその『同じ部分』が大きいの?」

 

「ええ、そうです。貴方は賢い子ですね」

 

 カノはにこりと笑った。

 

「本来、遺伝情報というは、実の両親から半分ずつ受け継ぐものです。だから血のつながりのある者同士は先天的に似通った遺伝情報を持つ場合が多い。しかし、貴方とヨミは後天的に埋め込まれた同じプログラムを持ちます。だから、私は貴方たちを兄弟、と呼びました」

 

「うん、とりあえず、何となくわかった」

 

「ありがとうございます。分かっていただけて嬉しいです」

 

「でも聞きたい事はまだまだたくさんあるよ。何であたしがヨミと同じプログラムを持ってるのか、どうしてカノはそれを知ってるのか、それから、そんなプログラム、誰が作ってあたしとヨミに与えたのか」

 

 全部当たり前の質問だと思ったのだが、カノは目を丸くして肩をすくめた。

 そんなに変な質問だったかな?

 

「テラスは本当に賢い子ですね。自分に何が分かっていて、何が分からないかをきちんと把握できている」

 

 カノはにこりと笑ってあたしの頭を撫でた。

 男性に触れられるなんて恐ろしく危険なことなのに、まるで育て親に撫でられた時のような安堵を感じてしまい、自分に驚く。

 

「それは少しずつ話していきましょう。物事には順序があります」

 

「それじゃ、別の質問していい?」

 

「ええ、どうぞ」

 

「あたしもカノもツヌミも、みんなプログラムに沿って形作られるって言ったよね。じゃあ、その最初のプログラムって、いったい誰が作ったの?」

 

 そう聞くと、カノは目を丸くした。

 

「……誰でしょうね。今のところ、自然に発生したというのが定説ですが、本当のところは誰にもわからないのです」

 

 カノは寝癖のぼさぼさ頭をかきながら笑った。

 あたしの勘を信じていいのなら、このヒトは大丈夫だ。手当てしてあるのは本当だし、言葉遣いもこの壊れた街には珍しいくらいに丁寧だ。

 何より、この眼鏡の奥に優しい光をともす藍色の瞳はウソをついていない――と、思う。

 とてつもなく突飛な話だったけれど、とにかく一度、信じてみてもいいかもしれない。

 

「ねぇ、遅いよ? まだ?」

 

 その時、痺れを切らした少年の声が入ってきた。

 

「ヨミ、大事な話があるから出ていなさいと言ったでしょう?」

 

「えー。でも僕だってテラスと話したいんだよ!」

 

「もう……仕方ありませんね」

 

 カノはふぅ、とため息をつくと、もう一度あたしに向かって微笑んだ。

 

「詳しい話の続きはまた今度にしましょう。今は、とりあえずこれだけを覚えておいてください――私たちは、テラス、貴方の味方です。安心してください」

 

 そう言ってベッドの端から立ち上がったカノは、駆け寄ってきたヨミの頭にポン、と手を置いて優しく諭した。

 

「テラスは怪我をしているのだから、あんまり邪魔をしてはいけませんよ、ヨミ」

 

「はぁい!」

 

 味方。そんな一言に、あたしの心が震えた。ツヌミ以外は味方なんて呼べる人、いなかったから。

 あたしはこの二人を信頼していいのかな。

 カノが部屋を出ていくと、テラスはベッドの脇にしゃがみ込んであたしの右手をとった。

 

「ね、テラス。いろいろ教えて! テラスはこれまで何処にいたの? どんな風に暮らしてたの?

 

 どんな人と一緒だったの?」

 

「あ、あたしは」

 

 温かい。久しく忘れていた人の温もりが、ヨミの触れたところから流れ込んでくる。

 ヨミの鼓動まで伝わってくる気がする。あたしが、ヨミが生きている証だ――同じプログラムを持って生まれてきた兄弟っていうのはウソじゃないのかもしれない。

 

「あたしは、異形と闘っていた。ツヌミと一緒に」

 

「ツヌミって、このカラス?」

 

「うん、そう」

 

 養い親が死んでから、安堵する事などなかった。

 異形と対峙する時はもちろん、ウズメを前にしても、タツやカラと共闘していても、もちろん、自分の家と呼べる場所で体を休めている時でさえ。

 でも、あたしは今、確かに安堵を感じている。

 まるで、ここがあたしの帰る場所であったように。

 

 

 


 
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