空が茜色に染まり始めた。
トモキは内心ため息の嵐だった。目を離したすきにリウヒが逃げたのである。
今日の政務は終わっているから、いいんだけど。
もしかして、これからは本殿でぼくたちは追いかけっこをするんだろうか。
足はまっすぐ東宮に向かう。
普通、王は政務も居住も本殿で行うものだ。しかしリウヒは毎日東宮から本殿に通って政務をこなした。本殿の奥が未だ建築中だった事と、やはり先代の寝殿を使うのは嫌なのだろう。
臣下たちも何も言わなかった。
東宮の部屋に戻ると、夕餉の支度をしていた女官たちが声を上げた。あの三人娘である。
再会した時、女官たちとリウヒ、トモキは手と手を取り合って喜んだ。
この部屋の空気は、昔と同じままだ。
リウヒはいなかった。探してくる、と告げてトモキは外に出た。
その後ろ姿を見ながら三人娘はほほ笑んだ。
「昔と変わらないのね」
「本当に仲のよろしいこと」
「早く準備してしまいましょうよ」
もうすぐ、腹を空かせた王と口うるさいお付きが帰ってくる。
探していた少女は、東宮の小さな庭に立っていた。ティエンランの城下を見下ろしている。
その後ろ姿は妙に静かで、結った藍色の髪や裾が風に揺れていた。簪の飾りが小さな音を立てている。トモキは文句を言おうと開いた口を閉じた。声をかけられない。
「トモキか」
リウヒが口を開いた。
「タイキとジュズは、まだ見つからないそうだ」
そうですか、とトモキは答えた。
帰ってきてほしいな、カガミも。とリウヒが呟いて小さく笑った。
心が絞られるような悲しい声だった。
王女を愛してくれた教師たち。だからこそ彼女を王にしようとしたのか、それとも唯の駒だったのか。カガミはこのことに関して、何も語ってくれない。
前者であってくれればいいと思う。
「なあ、トモキ」
目線は城下に注いだままだ。
「わたしは王と言うものは、何でも命令できるものだと思っていたよ」
もちろん国務はそんなに甘いものではなかった。リウヒは日々臣下たちと喧嘩をしている。
王は臣下たちの言っていることが分からない。臣下たちは王が言っていることが分からない。
シラギとカグラが中間地点に立って通訳と調整をしている。この二人がいなければ、政務は機能しないという情けない状態なのだ。
「もしかしたら先王は国務に疲れ果てて、ショウギに逃げたのかもしれないな」
そうかもしれない。国を動かすのは生易しいことではない。それでも王は責任がある。
逃げることは許されない。
「もし陛下が逃げたりしたら」
トモキはにっこりとほほ笑んだ。
「必ずぼくが追いかけて捕まえますから。お覚悟しておいてくださいね」
ぼくだけじゃない。シラギやカグラ、マイム、キャラもいる。カガミさんも早く治してもらって一緒に。
リウヒは声を上げて笑った。
「ならば、海を渡って逃げてやろう。兄さまもいることだし」
憮然としたトモキを振り返る。
「みんなが追いかけてくれるのだろう。楽しそうじゃないか」
「陛下」
冗談だよ。とリウヒはクスクス笑う。
「ここがわたしの居場所だ」
そしてトモキに近づき、その手を取って歩き始めた。
「にいちゃん」
驚き足を止める。気が付いていたのか。分かっていたのか。知っていたのか。いつから。
リウヒは相変わらずクスクス笑ったままだ。再び手を引いた。
トモキもつられて笑ってしまった。
「早く帰ろう。腹が減った」
「そうですね」
今日の夕餉はなんだろう。菜飯じゃないといいけれど。
笑いあう二人は手を繋いで東宮へと向かう。
陽は遠く西へ傾き、歩く二人の影を間延びして落としていた。
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ティエンランシリーズ第一巻。
過酷な運命を背負った王女リウヒが王座に上るまでの物語。
「もし陛下が逃げたりしたら、必ずぼくが追いかけて捕まえますから」
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