リウヒがトモキに抱きついてトモキが抱きしめた。
キャラはぼんやりと波止場に腰をおろした。
リウヒがトモキに抱きついてトモキが抱きしめた。
膝を抱えてその間に顎をのせる。
リウヒがトモキに抱きついてトモキが抱きしめた。
涙が出てきた。
リウヒがトモキに抱きついてトモキが…。
もういい、もうやめて。
思い出す度、心がよじれて苦しいのに、頭の中は繰り返しあの場面を再現する。
シシの村で久し振りにトモキに会った時、自分も同じ事をした。嬉しさの余り、思わず抱きついた。
トモキは笑って頭をなでてくれた。ただそれだけだった。
鼻をすする。
みんなは変な男たちと一緒に、どこかへ行った。知り合いらしかった。キャラは先に宿へ帰ると告げて一人離れた。
もう限界だったのだ。心の中に大きな穴があいて、無理やり元気を出さなければ、そこに吸い込まれそうだった。でもはしゃげばはしゃぐほど苦しくなった。一人になりたかった。
あんなに会いたかったトモキを見るのがつらかった。だって、トモキの目線の先にはリウヒがいる。
嗚咽をあげる。
物心がついた時から、トモキが好きだった。一番古い記憶は四歳の時だ。転んで膝をすりむいたキャラを、トモキはおぶって家に送り届けてくれた。その背中の上で、キャラははっきりと思った。
「あたし、この人が好きだ」
兄の遊び友達だったから、始終兄について回った。兄は嫌がったが一緒にいればトモキに会えたのである。トモキは他の子らのように邪険にせず、優しかった。ますます好きになった。兄たちが小学に行くようになっても無理やりついて行った。年齢制限はなかったから、大人しくしていればいくらでもトモキを見ていられたのである。
ところがある日突然、トモキはおかしくなってしまった。ぼうっとしていて、心がここにない感じ。話しかけても反応してくれない。
トモキの家で預かっていた女の子が消えたという大人たちの噂を聞いた。母親いわく、赤子の頃キャラと一緒に乳をやった女の子だそうだ。そんなの知らない、早くトモキがこちらに帰ってくれればそれでいい。それだけを願った。
そうこうしている内に、今度はトモキ自身が消えてしまった。
あの時の絶望感。宮廷が憎かった。
何かに頼りたくて星に祈った。想い人を待ち続ける一番星に。
自分の周りで繰り広げられる幼い恋を鼻で笑った。あたしの思いは誰にも負けない。強く思えば思うほど、願いは叶うと信じていた。信じていたのに。
また涙が出てきた。
星降る夜空の下、キャラは小さく声をあげて泣いていた。
どれほどの時がたっただろう。横に人の気配を感じた。顔を上げると、マイムが立っていた。キャラに声をかけるでもなく、慰めるわけでもなく、ただ立っている。
その横顔は相変らず美しく、この人はこんな思いをしたことはないんだろうな、と思った。
「失恋しちゃった」
失恋。あたしの恋は死んだ。
マイムはしばらく無言で海を見ていたが、
「よかったじゃない」
ぽつりと言った。
あたしはこの人に嫌われているのだろうか。失恋して良かっただなんて。また涙がでそうになる。
「本気の恋なんてあたし、したことないもの。うらやましいわ」
そう言ってさびしそうに笑った。
「じゃあ、夜も遅いし危ないから、早く宿に戻りましょうか」
心配してくれたんだ。
心が少し軽くなった。トモキの顔を見るのは辛いけど、リウヒも前ほど嫌いにはなれない。あの告白を聞いてから守らなきゃという気持ちになった。同い年だけど、自分がお姉さんになったような気がした。
宿に帰ろう。キャラは腰をあげて埃を払った。顔も拭う。
宿に帰って、湯を浴びて、さっぱりしてから思う存分寝てやろう。
あたしの恋は死んだけれど、あたしは生きていかなきゃいけないもの。
****
「生きておられたのですね」
シラギの低い声が部屋に響く。
「よくご無事で」
「ありがとう。この通りピンピンしているよ」
対象的なアナンの朗らかな声が答えた。
酒場での再会の後、アナンの提案で港はずれにある海賊の隠れ家に案内された。その一室に入ると、頭領は部下たちに人払いを命じシラギたちと向き合った。戸のを外では男たちが張り付いて耳を澄ませているだろうが、どうでもよかった。
「なぜ、兄さまは海賊をされているんだ?」
リウヒが首をかしげながら問う。わたしも乗ってみたい、と言うリウヒにトモキが小声で窘めた。
「ここがわたしの居場所だからだよ」
「それでは困る。即効宮廷に戻っていただく」
険を含んだシラギに
「それは断る」
アナンは即答した。
「断る?断ることなどできると思っていらっしゃるのか。あなたは王位継承者なのですよ。王の血を引いておられるのです。国を治める義務があります」
「それはここにいる妹もそうであろう」
頭領は、目の前にいる少女に笑いかけた。少女は目を見開いて兄を見返す。
「待ってくださいよ、自分が嫌だからってそれをリウヒさまに押し付けるなんて」
トモキが憤慨した声を出す。
「わたしでも王女でも構わないんだ、宮廷のものは」
腰かけながら椅子に座り、足を組んだ。両手を頭の後ろに回し、陽気に話す。
「王の血を引いていれば、誰だってかまわない。三百年続く王家に仕えている矜持、そんな犬根性が染みついちゃっているんだよ。上官も下官もね」
でもね、と続ける。
「上に立つのは誰でもいいんじゃないか。別に血を引いていなくても。民にしたら、王が変わったところで生活に大きな変化があるわけでもない。ただ毎日を必死に生きていくだけだ。そりゃ王が名君であれば国はもっと発展するだろう。豊かになるだろう。だけど」
父のように遊び暮らしていてもそれなりに国は動いていたじゃないか、と元王子は笑った。
シラギは拳を握った。こめかみが脈打つのを感じる。
一理ある。一理あるが、なんて無責任な。
この拳を、目の前で笑っている男に振り回したい。衝動が湧き上がる。いっそ殴りかかってしまおうか、と思った時、ひんやりとした手がその拳に触れた。
カグラだった。その目が落ち着くようにと諭している。
「なぜ宮廷を抜け出されたのですか。そして海賊などに」
カグラが聞く。
「王子の頃のわたしは、人形だった。陽気で快達な王子。それが与えられた役割だった。朝から晩まで演じ続け、誰にも本心を打ち明けることもなかった。ある日、一人の男から外を見てみないか、と持ちかけられた」
アナンはこちらをみて笑った。誰を見て話しているのだ。
「普段なら一笑で片付けるところだったが、信用はしていた人物だったからね。息抜きにと思いその者の手引きで外に出た」
そして感じた圧倒的な開放感。息抜きのつもりが、そのまま出奔した。ただ、箱入りの王子は外の知識が全くなかった。気が付けば船に乗っていた。
「そこのトモキくんと一緒だよ。港で行き倒れて海賊に拾われたんだ」
拾ってくれた先代は、アナンを大層気に入り色々な事を教えてくれた。アナンも初めて自分の居場所というものを感じた。幾度か死にそうな目にあってその度に生きている実感を味わった。
「始めは戻るつもりでいた。しかし」
先代が死んだ。死ぬ間際、この船をよろしく頼むと震える手でアナンの手を握った。
「宮廷での謀反のうわさも聞いた。母や弟たちが死んだとも」
声が沈んだ。
「でも、もうあそこに戻る気はない。今でもない」
「では、力ずくで連れ戻すだけです」
シラギが怒りを含んだ声で言いながらも剣を抜こうとした。
「あまりの我儘に反吐がでそうだ」
その殺気に周りのものが身を引いた。
「黒将軍はなんだか表情が豊かになったね」
アナンは体制を崩さず、相変わらず呑気に言う。
「わたしを脅そうが、連行しようが無駄だよ。可愛い部下たちが黙っちゃいないからね」
そうだ、この殺気はシラギのものだけではない。戸の後ろから漂う異様な熱気。
しばらく部屋の中を極度の緊張感が支配した。誰かが咳をしようものならシラギはアナンに飛びかかり、そのシラギを殺そうと海賊たちは雪崩打って部屋に転げてくるだろう。
誰もが微動だにしなかったその時、少女の声が響いた。
「わたしが王に立ちます」
緊張は一気に解けた。視線が少女に集まる。
リウヒは踏ん張り息を吸い込んだ。
「わたしが王族の義務を果たします。だから兄さまは今までどおり、ここにいてください」
****
誰も助けてはくれない。
ショウギはため息をつきながら、扇を開いた。そのまま仰いで彼方に目をやる。
王座は意外に座り心地が悪かった。見てくれだけは豪奢で精巧な彫りが施されており、それが痛いのだ。
わたしなりに努力はしているのに、なぜ臣下の者はただ追従の笑みを浮かべるだけでそれを認めてはくれないのだろう。だからこそ、後ろ盾である王は生かせておかなければならない。
国王は未だ病に伏せっている。死臭なのか老人臭なのか嫌な臭いがするようになってきた。死期はもう目の前だ。もし死んだとしても、しばらくは隠そうと思った。
政務をとる人間がいないから自分が朝議にまで出席しているのに、見える顔は冷たい目をした馬鹿しかいない。苦言を呈してくるものは怒りのあまり、罪をでっちあげて幽閉したり殺害したりした。臣下の姿は更に少なくなった。
味方は誰もいない。誰もが離れていく。最初は自分をおだてて群がっていた者さえも。頭でっかちの大卒者ばかり。閉鎖された空間で、与えられた知識だけで育ってきた貴族の子供たち。政を動かせるのが不思議だ。そして彼らは血で繋がっている。何かしらの血縁者がいるため身内意識が大層強い。
ショウギは孤立していた。
扇を閉じて再びため息をつく。
昔、色町にいた頃老人に声をかけられた。贅沢な暮しをしたくはないかと。たった一人の男を垂らしこむだけで、この国のすべてが手に入ると。勿論飛びついた。たった一人の男とは国王だった。
国王はあっけないほど簡単にショウギに夢中になった。時には処女のように恥じらい、時には娼婦のようにふるまう女に尻尾をふって。
側室の一人が怒り何か国王に吹き込んでいたが、色町で生きる為に付けたショウギの術に、名門のお嬢さまがかなうはずがない。その側室は気がふれてしまったと聞いたが、なんの感傷も湧かなかった。
女と女の間には勝ち負けしかない。
男と女の間にも勝ち負けしかない。
そしてわたしは今ここにいる。見事な細工を施された扇をしげしげと眺める。
ただ一人の味方だった愛する男が消えてから、すべてが前ほどは美しく思えなくなってしまった。それでもこの場所を動きたくない。
「母さま、どうしたの」
息子がほほ笑みながら、近寄って来た。
ふっくらと丸いわが子を胸に抱きながら思う。この子を必ず王座につける、と。今の自分にはその力があるはずだ。邪魔な王族は死んだ。消した。
わたしが必ずこの子を王座に座らせてやる。
その時、竜を掘った扉の外から声がした。宰相だった。
最近、嫌に協力的になってきた。心を入れ替えたのだろう。将軍の方は体を崩したとかで、表に全く出てこない。軟弱な男だこと。
「恐れながら、本殿の建築に想像以上の金がかかってしまいまして。これ以上国の予算で賄うのは無理がございます」
金の話は苦手だ。
「どうすればよいのじゃ」
税を上げてはどうか、と宰相はいう。今年も豊作なのだから多少上げても民に負担はかからないだろうと。
「あい分かった、ではそのように」
御意と、宰相は頭を下げた。その目が光ったように思えたのは気のせいか。
そういえば、と言葉を続ける。
「王の崩御が近いですな」
ショウギは黙って老人の顔を見る。
「上意の礼をご存知ですか」
この国の国王は一生に一度だけ民に頭を下げる。即位時に本殿前の正門にて、民に向い跪礼をするのだ。最高位の礼を。民は声をあげて新しい王を祝福する。いつの頃からか、こんな慣習が生まれた。もちろんショウギも知っている。
「その準備をしておきます。あなたもお覚悟なされ」
宰相は一礼をすると出て行った。
「母さま、税を上げても菓子や果物があるから、民は食いっぱぐれる事はないよね」
「まあ、お前は本当に頭のいいこと」
でも、そんな心配はしなくていいのですよ。とショウギはほほ笑む。国を動かしているのは外の民ではなく、宮廷の中心にいる自分なのだ。
多少税があがろうとも文句を言われようとも知ったことではない。
****
「最近、税が上がったので節約体制で行きたいと思います」
「その一、宿の質を下げる」
「その二、請け負う仕事を増やす」
港町の宿にて。少女二人が大人組に向かって声を上げた。
「その三、酒場出入り禁止、酒は一日一本まで。ただしみんなで一本」
そんな、と大人組から抗議の声があがる。少なすぎるとか、酒ぐらい自由にのませろとか、せめて一人一本とか。
「だまらっしゃい!」
リウヒが一喝した。
「飲めるだけ有難いと思え」
「そうよ、お酒代も馬鹿にならないのよ」
大人たちは不承不承納得した。
税は上がっている。以前は一割だったのが二割に増え、今では半分だ。おかげで仕事も賃金も少なくなってしまった。
「そうだ、リウヒくんの宝玉を売った金があるじゃないか」
「あれはわたしの金だ。勝手に使うな」
がめつく育ったな。トモキ以外の全員がそう思った。
「マイムも大金持っているじゃないですか」
「あれはあたしの命よ。使ったら殺す」
本当に殺されそうだな。部屋にいる全員がそう思った。
マイムはリウヒに目をやる。本当に大きくなっちゃって。今朝の出来事を思い出し口元が緩んだ。
朝起きて、下に降りるとリウヒとトモキが抱き合っていた。えらく真面目な顔をして。
「あんたら何やっているの」
呆れた声が出た。
案の定、トモキはあわててリウヒから体を離した。リウヒは目を丸くしてマイムを見ている。この子、少しずれているのかもしれない、とマイムは思った。
「そんな事は夜、人気のないところでやりなさい」
「違うんです違うんです」
トモキが大慌てで否定したがマイムは聞く耳持たなかった。
「朝っぱらから見せつけてくれるわね~。ま、あたしには関係ないけど。若いっていいわね~。ま、あたしには関係ないけど。じゃ、関係ないあたしは失礼します」
「だから違うんですマイムさん、聞いて」
トモキが裾をつかんだ。
「再会した時、リウヒから飛びついて来たじゃないですか。でもこの子、触られるのも大嫌いだったんです。だからさっき、もう治ったのかなって試しにリウヒの頭に手をのせてみたら、しばらく止まった後気持ち悪くないって言ったんです。その言い方もどうかと思うんですけど、それじゃあって試しに抱きついてみたら、やっぱり気持ち悪くないって言うんです。やめてその言い方って思って…」
まくし立てるトモキを無視して、マイムはリウヒの頭に手をのせてみた。
「うん、大丈夫」
リウヒはマイムの目をみて頷いた。
昔、その体を触ろうとして振り払われた手はしっかりと少女の頭上に乗っている。すこしジンとして涙が出てきた。
「おめでとう!良かったわね!」
思わずリウヒの体を引き寄せて抱きしめた。
「マイム苦しい、胸が、胸が、ちょっと、死ぬ!」
腕の中で少女がもがいたが、マイムは感動に浸ってその腕を緩めなかった。
後ろではトモキが呆然とした顔で立っていた。
その様子を二階の廊下から見ていたのは。
「あの女、王女を殺す気か」
「どちらが止めに行きます?あのままだと、王女は窒息死してしまいますよ」
かつて黒将軍、白将軍と呼ばれた男たちだった。
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ティエンランシリーズ第一巻。
過酷な運命を背負った王女リウヒが王座に上るまでの物語。
「わたしが王に立ちます」
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