呂北伝~真紅の旗に集う者~ 第046話「断金の交わり」
宴会を終えた呂北邸にて、一刀も就寝の床に付こうかと思ったが、引き返してとある者の部屋の前にいた。そこは客室であり、廊下には静寂が流れていたが、一刀の佇む前の部屋からは、僅かに水を啜るような小さな音が聞こえて来る。ノックを鳴らすと一つの啜れる呼吸音を残し部屋の中から少し待つように応答が返って来て、やがて姿を現したのは目元を腫らした
「おう。入るぞ」
一刀は二つの徳利と二つの盃、軽い手料理を持って現れそのまま真直の滞在する客室へとお邪魔する。
「今日は働き通しだっただろう。先ずは喉を潤せ」
一刀が真直に注いだのは井戸水にて良く冷やされた茶であった。
一日動き回っていた真直。口に含み喉を通って食堂を通過して胃に染み渡り、体に染み行く茶を感じていた。
また一杯所望して、もう一杯所望した際に一刀が一度断る。
立て続けに冷水を胃に取り込めば胃を壊しかねないので、自身を虐めていると思って膨れる真直を十分堪能した後、間の置き方を考えつつ優し気な微笑の中一つ息を漏らして彼女に茶を注ぐ。
軽食であったが、真直は料理を全て平らげ、おかわりの所望を一刀が尋ねるが彼女は断りを入れる。
夜中に多くの飯を喰らえば翌日の仕事に響きかねないからだ。
後は夕食後の晩酌時間。
一刀が酒を注ぐと、真直は
兄妹弟子として、一刀の酒の弱さは熟ししているが、「嗜む程度であれば問題ない」と答える兄弟子の要求に、彼女は渋々と了承して乾杯を交わして二次会が始まるのであった。
「っで、どうだ?」
彼は真直に対してそう尋ねる。そんな言葉足らずの問いかけにも、妹弟子として学び合った一刀の問いかけを瞬時に察し答える。
「......やることは多いよ。師父が亡くなられてからは私が軍師筆頭として色々手回しはしているけれども、それでも人材の流出は止まらない。ついこの間も優秀な眼鏡な子がいたから軍師の一人に加えようとしたのだけれども、翌日には辞職していてね」
酒を一口煽りながら答え、注ぎ、また一口飲みながら自身の身の内の丈を吐露する。
「政策は間に合わないし、麗羽様は仕事をしないし、逸材だと思った隠密の草は何処かの勢力に吸収されるし――」
優秀な草に関しては劉何のことであろう。他勢力に草を送り込んだ時点で自業自得だとも思うが、目の前の真直を見ると一刀は横目で視線を逸らす。
「あー、まぁ、そのー......返そうか?」
彼がそう尋ねると真直は盃を叩きつけながら机を殴打する。
しかし慣れないことをしたせいか、彼女は拳を痛めながら机にうつ伏せる。
「あ、だ、大丈夫k「煩い‼」――」
一刀の言葉を遮る様にして、彼女は胸ぐらを掴みタガが外れた様に不満をぶつける。
「いいよねぇ刀兄ぃは色んなことが出来て‼さっき紹介したあの子を人材育成が出来るぐらいには余裕があって‼人材も豊富そうで‼私は刀兄ぃみたいに効率も良くないし、師父の様に世渡りも口も上手くない。拾ってくれた師父の恩を返したくて尽力しても、私は師父ではない。誰かに悩みを吐露出来る程器用でもない。師父や刀兄ぃに近づきたくて頑張t...ッ――」
「真直‼」
突然、彼女はお腹を押さえて蹲り、一刀はすぐに駆け寄って支える。
「だ、大丈夫。ただの胃痛よ。然程重いわけではないわ。薬飲めば落ち着くから」
懐より真直は粉末状の胃薬を取り出すと水で流し込む。
突如自らの前から居なくなった師父の重みと、袁家筆頭軍師としての重圧。あらゆるものが重なり、彼女の心にのしかかったのだ。ストレス性胃炎の何よりの対処法はストレスを溜めないことであり、一刀も妹弟子をそっと抱きしめ、頭や背中を撫でてやるなど、最大限の配慮を心がける。
「......うぅ、誰か、助けてよ。こんなに大変だなんて思ってもみなかったわよ。師父ぅ、なんで居なくなっちゃったのよ。なんで私一人にこんな重みを背負わせるの?......無理だよぉ。私には無理だよぉ」
一刀は未だに真直をそっと抱きしめながら彼女をあやし続ける。
きっと彼女はいきなり振られた自らの責任に対し、他者が感じる以上に重みを感じているのであろう。
一刀が話してみた袁紹やその周りの反応を見ると、良く『真直がいれば大丈夫』という言葉を溢していた。それだけ妹弟子への信頼が十分な証拠であるが、しかしその信頼が、先程彼女が述べた重みだと思われる。
しばらく泣き続ける真直を一刀はあやし続け、やがて落ち着いた時に一刀は自分の思考を述べる。
「真直、同じ師の下で学んだ仲として、二人の時は素で話すと決めていたが、一度だけお前を恥ずかしさせてもらう」
耳元で囁く様に、甘美な声色で答える。
「田豊よ、俺の下に来ないか?」
呂北は田豊にそう諭し出す。
「お前が来てくれるのであれば副軍師の地位と扶風の全権全てくれてやる。それだけではない。将来的に、領地の拡大と共に、長安の領地も加味してやる」
その様な魅力的提案に、田豊の心は大きく揺れ動く。袁家は北方に位置する大陸に名を馳せた名門中の名門貴族。財力も勢力も朝廷への権力も十分だ。通常の家からの誘いであればこの様な誘いであっても揺れ動くはずも無い。
呂北の領地はというと、都近くとはいえ、つい最近まで郡扶風郡周辺の幾つか。長安を加味されたとはいえ、所詮一都市が増えただけだ。まだまだ袁家の財力や勢力には遠く及ばない。しかし田豊は欠かさず扶風の動向を観察し続けた。いや、呂北の動向というべきか。
彼に代替わりしてから、隠居した丁原は洛陽にて外に集中でき、呂北は外を気にせずに内を固めることが出来た。
その固めた勢力で黄巾にて名を馳せ、未だ躍進中の勢力だ。
共に学んだからこそ田豊には呂北の恐さも理解している。非情になるべき時にはとことん非情になれる指導者の強さを備えている。決して甘さを見せない彼の頼もしさも知っている。
長安だけで終わらない可能性も感じている。また大前提として敬愛している兄弟子だ。袁紹には袁紹への恩義もある。比べる事柄ではないからこそ、そんな袁紹を除けば最も敬愛している兄弟子からの誘いは実に甘美な物であった。
いつものおちゃらけ、ふざけている彼とは違い、本気で呂北は自分を口説いている。抱き留められているので彼の表情を見ることは出来なかったが、逆に田豊は呂北の背を抱く力を強める。
勧誘に屈したわけではない。今呂北のその全てを見透かす目を覗き込んでしまうと、そのまま流されてしまうと思ったからだ。
「......一つお聞きしたい。何故私をそこまで過大評価されるのですか?かつて学び合った仲だとは言え、他勢力の者に弱みを見せてしまうこの弱き者に対して、何故......そこまで?」
その問いかけに見えはしなかったが、呂北の表情は少し笑ったように見え、彼女を撫でていたその手を力強く抱える。
「田豊、そういうお前は自身の事を過小評価し過ぎている」
背を抱きしめる力を強くし、酒が入っていたことを忘れるほど呂北の眼光が光る。
「お前の器は北方の河北などに収まらん。幽州、冀州や青州......いや、この大陸の半分を治める宰相でもツリが来ると俺は確信している。だからこそ俺はお前が欲しい。俺の下に来い。俺がお前を導いてやる」
呂北は止めとばかりに、単純な口説き文句にて彼女を篭絡にかかる。
人間というものは最終的に一番心に刺さる物は、飾り気のない台詞だ。十分に篭絡できたと感じた呂北は最後の一撃を加え、そんな彼から起き、体を離す田豊は完全に堕ちたものと確信下呂北であったが、そんな思いとは裏腹に彼女の表情は晴れやかな物であった。
「......もしかして、逆効果だった?」
「刀兄ぃ、策士策に溺れるだよ」
その言葉に一刀は腕から力を無くして宙に落し、そのまま背を椅子に預けて頭を掻きむしる。もはや何も語らず、あとの言葉は不要だった。
真直は一刀の言葉で全ての迷いは消えた。自身が見て来た人物の中で、誰よりも見聞きの才能に特化して、現在大躍進中で、これからも領土と権威を高めていくであろう英雄から、「大陸の半数を管理できる宰相の器でもツリが出る」とお墨付きをもらったのだ。
そんな評価をもらったのだから、現在の袁家の管理如きで弱音を吐いていた自身が馬鹿らしく感じた。そんな彼女なのだ。呂北の野心に燃える眼孔など物ともする筈も無い。
実際呂北も彼女の表情を見た瞬間諦めて背を崩したのだ。
「ごめんなさいね。でも刀兄ぃ、嬉しかったよ」
「......はぁ~~~」
精魂込めた説得が失敗した一刀は、体の力を全て抜く様に長いため息を吐くのであった。
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どうも皆さまこんにち"は"。
宣言通り投稿です。
さて、前回の宣言通り...はい。相手決定です。
当初私が考えていた構想に全くなかった要素でしたが、書いていくうちに楽しくなってしまって。
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