No.1085670

唐柿に付いた虫 48

野良さん

式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。

2022-02-24 21:10:13 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:559   閲覧ユーザー数:550

 ボクにも、それは出来ない。

 彼女にしては小さな、囁くような声。

 それは自身の不甲斐なさを嘆いてか、それとも、死力を振り絞って封印を護っている式姫達の士気をくじく事を怖れてのそれかは知れぬが。

「でき……ない?」

 だが、その言葉は、それを耳にしたこうめにとっては、雷霆が近くに落ちたかのような衝撃をもたらす物であった。

 茫然と呟いたこうめの顔を痛ましそうに見やってから、建御雷は僅かに顔を背け、同じ言葉を呟いた。

「そうだ、ボクには出来ない」

「何故じゃ!」

 お主は絶大な力持つ天界最強の軍神……それが何故。

「こうめ、落ち着け……良いか、君らのやっている事は、武士を連れて来て、陰陽の術を使って死者を甦らせてみろ、と要求しているような物だ」

 ボクの力は確かに強大だ、この世界に居る敵ならばいかなる存在であれ葬ってやろう、だが、今回のこれは、要求されている力が、その位異なり……さらに言えば高度過ぎる。

 やるなら、ボクと同等の力持つ、その道に長けた存在を連れて来るしかない。

 それを聞いたこうめの顔が青ざめ小柄な体がよろける、それをさりげなく仙狸が支えた。

「神と呼ばれる程の存在とて得手不得手がある……まぁ、当然の話じゃの」

 だからこそ、この願いならこの神様、などという役割が分化し、田を稲荷の小祠が見守り、集落には祖神が鎮座し、道には疫神避けの塞の神が祀られる。

「君は確か、仙狸と言ったか。その通りだよ」

「お初にお目にかかる、向後も良しなにお付き合いの程を」

 こんな状況下に似つかわしくない挨拶を受けて、建御雷が皮肉っぽい笑みを仙狸に向けた。

「向後も良しなにね……そうだな、ボクもそう願ってるよ」

「この庭の屋台骨にそう言って貰えれば、居着いた化け猫としてはありがたいの」

 しかし、困った事じゃな。

 肩から伝わる手の温み、そして、この状況下にも関わらず落ち着きを失わない仙狸の声音に、こうめの心も多少の落ち着きを取り戻した。

 冷静に考えてみれば尤もな話ではあるのだ……だが、だとしたら、わしらに出来る事は、本当にもう……何も。

「そういう訳で、ボクがここに居ても無駄だ、それに、これ以上黄龍の封を式姫達に肩代わりさせるのは負担が大きすぎる、ボクは戻……」

「まぁ、そう性急に無駄だと結論を出す物では無い、貴重な機会じゃ、ちとわっちの話につきおうてくれぬかな?」

 仙狸が、この緊迫した最中だというのに、茶飲み話にでも付き合えと言わんばかりの声で、今にも大樹の封に戻ろうとする建御雷を呼び止めた。

「君は……何を呑気な!」

 元々、建御雷は気の長い性質では無い、怒気を発して睨み返す、その軍神の視線を仙狸は涼しい顔で受け止めた。

「少なくともお主は、この状況の打破は自分の力では無理だと判断できる程度には、現状を把握して居る」

 その仙狸の言葉に、こうめははっと顔を上げ、仙狸を、そして建御雷に視線を移した。

「……何が言いたい?」

「自身で言うたじゃろ、自分は全知全能では無いと。ならばわっちらが知恵を貸せることもあるやもしれぬではないか」

 神であれ仏であれ、余裕のない時に、自分の中だけで性急に判断しても碌な事にはならんもんじゃ。

「君らに話す事で、何か益があると?」

「さて、それは何とも保証しかねるの、だが、人に話す事で自分の中で考えが纏まり、新しい方途を思いつく事もある、無益ではないさ」

 いずれにせよ、駄目だ帰ると言ってしまえば、それで終いじゃ、第一な。

 そこで仙狸は言葉を切って、にまりと化け猫よろしく笑って見せた。

「お主、軍神の癖に、ちと諦めが良すぎやせぬかな?」

 見極めが早いのは一つの美徳じゃろうが、踏みとどまって潮目が変わるのをぎりぎりまで待つ戦も出来んようでは、軍神の名が泣きやせんかの?

 しばし仙狸の顔を睨んでいた建御雷が、ややあってから大きく深呼吸をして、小さな社の階に腰を下ろした。

「大きな口を叩く」

「わっち、生まれも育ちも猫じゃでな、相手を見て恐れ入る類の行動の持ち合わせは無いんじゃよ」

 王侯や神が誘おうが気が乗らねば知らぬ顔、気が向けば、その日の糧に困る弱者の膝にも寄り添うのが彼女たちの性。

 その言葉を聞いた建御雷の顔が、僅かに楽しそうな笑みを浮かべる。

「あの主にして、この式姫ありか」

 突き付けられた絶対の死を前にして、なお彼女に向かって吼えて見せた彼もそうだが、自分を相手にすら自然体を貫き、意地を立てるような連中は嫌いでは無い。

「良いだろう、聞きたいのはあの男の状況だな?」

 無言で頷く二人を見て、建御雷は言葉を継いだ。

「手短に言えば、あいつは今、この世界のどこにも居ない、世界の始まりから終わりまで時間と場所を隈なく捜しても、その存在を見つけ出す事はできない」

 彼女の言葉の意味というか概念が、いまいち理解できなかったこうめの眉間の皺が深くなる。

 その傍らで、仙狸が、こちらはその建御雷の一言で、粗方の事が腑に落ちたという顔で頷いた。

「ふむ……やはりのう、帳の裏でも、かくりよの門の向こうでも、仙境異界の類でも、冥府天界でも無い……か」

 あるのか、そんな場所が……。

 仙狸の呟きに、建御雷は僅かだが、感心した顔を彼女に向けた。

「そこまでは察していたようだね」

「わっちらが抱いていた疑惑にお主が裏書きしてくれた、という感じじゃな」

 異界と言っても、結局はこの世界の一部、層を隔て、時の流れ歪み、理の狂った場や、宇宙の果てであっても、訪ねる方を知っていれば、ここから延長された先に有る世界ではあるのだ。

 彼と縁を結んだ式姫は、主の痕跡なら、それがいかに微かな物であれ察知する程度は適う筈……だがそれすら誰も出来なかった。

 その位異質な、自分達の知らない場所に、今彼は居る。

「あの男が居るのは時の生まれる前の場所か、もしくは完全に時滅びたその先の地のどちらかだ」

(あんな場所への道を付けるなんて、異界の神様は余計な事をするわね、敵たる神々でも幽閉するのかしら)

 時なき世界の事をそう語った人の顔をちらと思い出す。

 三貴子が一柱、夜空に輝く、時を司る銀光の女神。

「ここからはある方からの受け売りだ、ボクにも何となく以上はよく判って無い世界の話、それは心して聞いてくれ」

 言葉も無く彼女の言葉の続きを待つ、仙狸とこうめの顔をちらと見やってから建御雷は言葉を続けた。

「そこには、時間が存在しない……そしてそれは、この世界からそこに至る道が無い事を意味している」

 ボクの神霊ならば、光の速さすらその身に宿す事も叶う……それでも、時なくば一寸の移動も叶わないんだよ。

 建御雷の語る内容や概念は、こうめにはまだ殆ど理解出来ない、それでも、神々の手にすら余る難事である事は何となく理解できた……だが。

「……それでも、彼は、実際にそこに連れ去られた」

 難事ではあるが、方法は皆無では無いはず。

 こうめの言葉に、建御雷は苦々し気に頷いた。

「そうだ、だから『ボクには無理だ』と言ったはずだ、方法は確かにある……雑に言ってしまえば、時なきあの世界に至るには、そこに無理やり時を持ち込んでやればいい」

 だが、それをなしうるのは、あの時と生死を司る月の女神の如き力か……それに類する時を操る神器の存在が必要。

「成程、あの異国の妖の手の中にあった、小さき円盤が、その時を操る神器とやらか」

 あれが手の中でくるりと一回転したと見るや、主達の気配がかき消すように消えたあの瞬間。

 あの異質極まる感覚は、そういう事だったか。

「どうじゃろな、建御雷殿よ、知り合いの神様にその辺が出来る方は居らんかの?」

「そりゃ居るけどね、それだけの方の居る場所に今のボクが行こうとすれば、かなりの力を使ってしまい、結局この庭の封印が持たなくなるぞ」

 神々のいます地に至るには、それ相応の労苦が必要、神霊としての彼女なら問題ないが、式姫として現世に実体化してしまっている彼女には、不可能ではないが中々の難行。

 そして、神霊としての彼女が、そこまで人に肩入れする事はできない、あくまで建御雷は彼の式姫としての力の範囲内での助力しか許されないのだ。

「主殿が戻らねばこの庭も先は無いが、建御雷殿の力が尽きてしまっては元も子もないのう……」

 やれ、困ったもんじゃな。

「では、奉納品を捧げるというのはどうじゃ、そしてその神にお越し願うのは?」

 こうめが、ある意味まっとうな神々への呼びかけ方を口にする、それに建御雷は何とも言えない顔で頷いた。

「確かにそれが正攻法なんだがね……」

 しかも彼女は、その絶大な力にも関わらず、天津神の中で一番人界にある物で釣りやすいお方ではある……あるが。

「わっちらで用意できる物なら何とかするが」

 仙狸の言葉に、どこか胸やけをこらえるような顔を建御雷は返した。

「この社いっぱいになる程の甘味が奉納できれば、あの方を呼んで助力を乞う事も叶うだろう」

 いや、あの方の事だ、下手をしたら呼ばれなくても勝手に来かねないが。

「今から僅かの時の間に、それだけの物が用意できるか?」

 暫しぽかんとしていたこうめが、今言われた言葉を信じかねた様子で、建御雷に問い返す。

「あの社一杯の甘味じゃと?甘味とは、饅頭や砂糖菓子や飴や干し柿の事……じゃよな?」

「その通り」

 度の過ぎた甘党なんだよ、あの方は。

 だが、砂糖や石蜜(氷砂糖)は南方や唐からもたらされる交易品、少量が高額で取引される超が付く貴重品。

 米から作る甘酒や飴も、干し柿も手間暇かけて作られる貴重な品だ……とてもの事、それだけの量を用意するなど。

「戦と妖魅の跳梁で荒れ果て、復興途上なこの近在では、金に糸目を付けずに駆けまわっても、甘味など箱一つ一杯にするのも大変じゃろうに……社一杯か」

 仙狸が、法外な要求に呆れた顔で社を眺める。

 小なりとはいえ、普段は建御雷を祀る祭壇を備えた十畳はある空間である。この真夜中に、しかも短時間でそれを甘味で満たすなど不可能。

「ううむ、それだけの力持つ神をお呼びし助力を乞う対価なれば安いというか妥当じゃと思わんでもないが……現実問題として、今すぐに用意できる物では無いな」

「だろう?」

 ふむ、と考え込んだ仙狸の眉間にも、微かに皺が寄る。

「まぁ、そういう訳さ、どうだい、ボクが駄目だと判断した理由は納得……」

 そこで建御雷は急に言葉を切り、訝し気に空を見上げた。

「何じゃ?」

 一拍置いて、仙狸もまた異様な気配を中天に感じ、空に視線を向けた。

 それまで、何の異常も無かった筈の空が裂ける。

 この唐突で、異質な感覚は、主が連れ去られたあの時と……同じ?

 次の瞬間、それまで何も無かった筈の空に、夜の貴族が月を背にして浮かんでいた。

 彼女の視界に飛び込む松の巨樹に、見慣れた屋根。

「ここは……まさか庭か?」

 何故、ここに。

 その時、吸血姫の周囲に浮かび、彼女を護っていた産土が動きを止め、さらさらと地に落ち始めた。

「おっと」

 一緒に落ちそうになったメダルを慌てて掴み、暫しその銀色の表面を睨む。

 真祖よ……ここに妾を送ったのはお主の意思じゃろうが、妾にどうしろと言うんじゃ。

 恐らくあの盗賊団の居た山にあった館は、あの術の失敗の折に、煽りを喰らって崩壊しているだろう。

 真祖の持っているだろう対のメダルを感知し、それを引っ張るような高度な術を支えるだけの儀式の場は、もう無い。

 もしくは、そうか、ここから連れ去られただろう主殿の気配を、この庭からの縁を頼りに辿れというのか。

 不可能では無かろうが……出来るのか、今の疲弊しきった妾に。

「吸血姫殿!どうしてここに?」

「説明しとる余裕は無いんじゃが、色々あっての」

 ちょうどお主には知恵を拝借したいと思っておった、今そちらに行く。

 そう言いながら下から呼びかける声に顔を向ける。

 呼びかけて来た仙狸、そしてこうめと……誰じゃ、あの青い衣を纏った式姫は。

 確かに気配は式姫のそれだが、纏う気配が尋常な代物では無い。

 そして、呆然とこちらを見上げていた彼女が、何とも言えない笑みを浮かべたかと思うと、高らかに笑い出した。

「た、建御雷殿?」

 こうめと仙狸が驚いて向けた顔に、建御雷は笑顔を返した。

「仙狸、君の言う通りだった、ボクは軍神失格だ」

「何じゃと?」

「言っただろ、お前は戦の潮目が変わるまで待つ事も出来ない軍神なのかと……全く仰せご尤もさ、あの時よくぞ引き留めてくれたよ」

 あの男の天運、未だ尽きていない。

(運の良い……いや、運だけでは無いんだろうな、きっと)

 建御雷が空から下りて来た吸血姫の手元をーメダルを握ったそれをー指さす。

「それがあれば、ボクでもあの男をこの庭に呼び戻せるかもしれない」

「……時間がねぇ」

 不本意だろうが、許せ。

 そう小さく呟いた男が、この地、庭の欠片に意識を凝らす。

 力の源たる大樹との繋がりを断たれ、普段の絶大な力を知る身からすれば、残り香のようなあえかな力の残滓。

 だが……今の俺が自由にできる力。

 そのありったけをこいつに、俺の大事な友人に。

「真祖」

「ぷん」

 そっぽを向いたままの彼女を地面に降ろす。

「俺なんぞの式姫になるのが不本意なのは判る、だが、それも一時の事だ……」

 俺が死ねば、君は自由になる。

 永遠に等しい命を持つ君や式姫にとってみれば、俺と過ごす生など、ほんの一時の事。

「だから、少し我慢して、俺の力を受け入れ、生き延びて……」

 そう言いながら下ろした目が、美しい緑の煌めきに絡めとられる。

「本気で言ってる?」

「え?」

 静かで、威厳に満ちた声。

「それとも、自分を騙すために、そう信じたいの?」

「……それは」

 あの凄まじい体術や魔術の知識を示し、あの強敵をあしらう力に満ちた姿よりも、俺には、今はっきりと判った。

 ここにいるのは、夜闇に君臨する吸血姫達の王。

 上っ面だけの口説は助けにならない、その魂に問う言葉が、俺に突き付けられる。

「式姫が……式姫と主の間に結ばれる絆が、そんな安い物だと思っているの?」

「……」

 俺には、何も言えなかった。

(この小烏丸、地獄の底まで、ご主人様にお供致します)

 古刀の式姫が、莞爾とした笑みを浮かべながら、俺を主と認めてくれた時の言葉を思い出す。

 判っている。

 彼女たちが、その絶大な力を人に貸し与えると、そう決める事が、それ程軽い話では無いと。

 でも……そんな重荷を負わせるのは。

「そうね、貴方は良く判っている……当然よ、そういう人でなければ、あれだけの式姫が力を貸すはずがない」

 答えに窮していた俺の目をじっと見ていた彼女が、小さく笑った後に、視線を鋭い物にした。

「その貴方が、生存の為だけに、私に式姫になれと言うの?」

 その言葉の重みを知っている貴方が。

 私たちの長き生に、忘れがたき鮮やかな彩りを加え、永遠に痛み続ける爪痕を残す、その約束を。

 虚弱なこの体は、口を開く力を失い、今にも瞼が落ちそうになる。

 それを必死で抑え、言葉を張る。

「この私、原初の夜闇と魔術を統べる女神の末裔、全ての吸血姫の始祖たる私を、己が式姫にせんと望む男よ、その魂を以て答えよ」

 

 我を、汝が式姫と望むか?

 

 答えよ、式姫の庭の主よ。

 答えて、私の大事な呑み友達。

 それが無ければ……私は貴方の命を貰えない。


 
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