No.1068491

HAPPY LOVERS

薄荷芋さん

性懲りもなく外伝勾依さん&真吾くんの現代トリップ話。ラブラブなのは勾依さんと奥さんです。

2021-08-05 18:25:21 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:526   閲覧ユーザー数:526

湯浴みを終えて出てきたところで、彼は従者のように待っていた。渡された布地で水気を取り未だに落ち着かぬこの時代特有の下帯を押し付けられるままに履いたなら、鏡の前に籐の椅子を設えた彼が手招きをしているから素直に応じてやる。祭事でなければ目にしないような……それこそ八咫鏡もかくやの大きな鏡の前に座らされると、背後に陣取った彼は『どらいやー』なる熱風を吐き出す道具を用いて此方の髪を乾かし始めた。

ぎこちない手つきでもって此方の頭を撫でて、顔に風が当たると「すみません」と云うから鏡越しに「構わん」とだけ告げる。粗方の水気が飛ぶと今度は大振りの櫛を使い毛の流れを整えるように乾かす。嵐の夜に似た轟音と共に熱風を吐き出す其れには随分と驚いたが、慣れてしまえば心地の良いものだ。自分は刈り込んだ柴犬に似た短髪の癖に扱いを何処でどう覚えたのかと聞けば、母と姉に聞いたのだとはにかんだ。

「べたべたでごわっごわだったのに、いつの間にかサラサラになりましたね!トリートメントしてみるもんだなあ」

「アレは毎日せねばならんものなのか?面倒で仕方が無い」

「よくわかんないですけど、姉ちゃんが言うにはしたほうがいいらしいッス」

この時代、髪の手入れには強い香を練りこんだ液体を使うらしく、郷に入っては郷に従えと此方も其れを使っている。余程良いものなのか、使い続けるうちに自分の髪が絹糸のようになっていくのは少しだけ心が躍った。

熱風が止み、『どらいやー』を片付けた彼は黒い組紐を手に取り髪を結う。組紐は此方がずっと付けている物だ、時代にそぐわぬからと着替えさせられた時も其れだけは身に着けることを譲らなかった。彼にとってはあの草薙の小手と同じ、いや、それ以上の思い入れが此れにはある。

「しかし……貴様、どうにも不器用だな。結うならもう少し丁寧に結わないか」

「これでも上手くなったほうだと思うんスけど……んしょっ」

「おい、そう強く引っ張って切れたらどうする、その組紐はな」

「奥さんからのプレゼントなんでしょう?大丈夫ッス、メチャクチャ気を付けてますんで!」

もう何度目か、それこそ着替えさせられた日から都度彼には話しているが、髪を結わう紐は妻が編んでくれた物だ。髪には霊力が宿る、オロチという強大な敵に戦う為の力になりたいのだと言って祈りと共に編んだ護りの紐。ぞんざいに扱われては堪らんと思っていたが、彼は彼なりに此方の想いを理解してくれているようだった。手付きは全くもって不器用極まりないが。

ふと、鏡越しの彼の顔が意地悪くにやけているのに気付く。訝って睨めば、彼は含み笑いをして揶揄うしぐさで結った髪の毛先を整えている。

「マガイさんって、よく奥さんの話しますよね。へへっ、ラブラブっすねぇ~」

「らぶらぶ……?」

「仲が良いってことです」

良く解らない言葉を使われるとつい悪意を探してしまうものだが、彼の場合はそうでないことが多い。今の喃語のような言葉は、仲の良い恋仲や夫婦仲を最大限に褒め称える言葉なのだと彼は言った。

「マガイさんの奥さんは幸せですね」

「……そう思うか」

「遠く離れていてもこんなに想ってもらえるんです、そりゃあ幸せですよ」

無邪気に幸せを説く彼にもまた、悪意などないのだろう。幸せとは何だろうか、〝封じる者〟の使命に身を窶す日々の中で、淡い月光の如く安らかな時間と穏やかな微笑みをくれた女。その優しさに寄り掛かるばかりで何もしてやれず、それは幸せとは程遠いものではないかと自問する。

「どうしたんですか」

「いや」

八尺瓊の一族や三種の神器の現在の姿、オロチの封印は今どうなっているのかを彼は語らない。饒舌過ぎる程の少年が何も言わないということは、此方にとって不都合な未来であるということだろう。それを知っている彼が幸せなどと宣うのは意地が悪いのではないかと少々苛立った。しかしこの苛立ちも、結局は身勝手な独り相撲でしかないのだ。

「俺の傍に居て、幸せな訳があるまい」

言葉の半分は自嘲と自戒だった。独り善がりな安らぎを求め両の腕に捕らえた女が幸せである筈がないのだ、それでもいいと、彼女が言ったとしても。

肩に彼の掌が触れる。そっと撫でるように肩から滑り落ちた掌を思わず捕まえていた。彼は少し驚いたように丸い瞳をますます丸くして、それからお得意の照れくさそうな顔で笑って見せた。

「そんなことないと思いますけど」

「知ったようなことを言う」

「まあ、マガイさんの家や奥さんのことを何も知らないのはそうですけど、だけど俺はそうだって思いますよ」

此方の手からゆっくりと離れ、籠に入れた衣類なんかの片付けをわざとらしく始めながら背中越しに言ってみせる。

「帰ったら奥さんに聞いてみてください」

「何を」

「今、幸せかどうかって」

「そんなことを聞いて何になる、それに貴様に答えを知らせる術など無いのだぞ」

「俺のことはいいんですよ、ただ、奥さんに聞いてみて欲しいだけです」

振り向いた少年の顔は陽だまりのような温もりを湛えていたから、何故だか妻の月光めいた嫋やかな光が恋しくなって視線を逸らす。彼は「晩御飯出来てますよ、今日は〝はんばぁぐ〟ッス!」と言って笑う。彼の思う幸せとは何だろうか、こうして家族と共に夕餉を囲むこともまた彼の幸せであるのだろうと、屈託の無い笑顔を見て暫しの間感じ入った。

「らぶらぶ、か」

「そう、ラブラブっす」

彼から教わった言葉を繰り返すと、何だか可笑しくなってきて口角が上がる。彼は隠せぬ此方の笑みを見つけて嬉しそうにまた笑った。


 
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