No.1051680

唐柿に付いた虫 19

野良さん

式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。

龕灯が江戸時代の産物なのは承知してますのでツッコミはご無用、ここは眼鏡も存在する超時空戦国時代なんです。

2021-01-15 21:14:28 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:743   閲覧ユーザー数:730

 本来は、余り荷役には向かない駿馬二頭に荷車を結わえる。

 その荷車に濃い灰色の衣装を纏った五人の男が、龕灯(がんどう、風雨の中でも明かりが消えないように工夫され、正面だけを照らす手持ちの照明)を手に、手際よく乗り込んだ。

 夜中にも関わらず、全く危なげない動作は、彼らがどちらかというとこの時間に生きる者たちである事をまざまざと示す。

 鞭を手にした一人が、それを見守っていた榎の旦那に近付き、覆面を少しずらした。

 昼間の、柔和だが出来る番頭、といった顔をしていた儀助とは打って変わった鋭い眼光が、夜の中で一瞬光る。

「頭、では出立致します」

「儀助、ここではまだ旦那ですよ」

「左様でございましたな、『旦那様』」

 その言葉の後に、後ろ暗い秘密を共有する同士の、密やかな愉悦を秘めた忍び笑いが起きる。

「では儀助、これを預ける」

 銀製だろうか、若干曇りの見える小さな円盤に細い鎖を通した物を受け取ると、儀助は慣れた様子でそれを首に掛け、懐に納めた。

「畏まりました、これより先はあのお方からの命令で動きまする」

「お前の事だから心配ないとは思うが、相手が相手だ、くれぐれも油断無きよう」

「は、吉報をお待ちください」

 ここからは、あの山までそれ程の距離は無い、この家でも選りすぐりの駿馬を二頭仕立てた特別な馬車ならば、夜道ではあるが勝手知った道である。半刻経たず辿りつけよう。

 それにしても、このような馬車は、吸血姫や戦乙女には馴染み深い物だが、道が良いとも平坦とも言えない日の本の国では余り見ない乗り物ではある。 だというのに、彼らはこの馬車の使用に習熟している様子が見える。

「式姫以外にも、麓には領主の軍が展開している、『あのお方』が追い払ってくれるそうだが、退却中の連中と遭遇する怖れは多分にある」

「心得ました、では少々道が悪いですが、間道を抜けるように致します」

 多人数の軍が移動するには向かない、ごく少数だけが知る山の抜け道。

 僅かな言葉であらましを察してくれる、長年の腹心の部下はやはり頼もしい、

「お前たちも、くれぐれも頼むぞ、夜の山道をあの荷を担いで降りるは難事ではあるが……」

「大丈夫でございますよ、お任せください、お頭」

 覆面の下からくぐもった声がする。

 もし童子切がこの場に居たら、その声が、あの門番の老爺のそれだと気が付いたろう。

 その声に、他の四人も頷く。

「では、手前どもは出立します」

 覆面を直しながら儀助が御者の位置に立ち、他の四人は龕灯で馬車の正面を照らした。

「うむ……行け」

 その言葉と同時に鞭の鋭い音がピシリと鳴り、馬の蹄が地を蹴った。

 木の車輪が、車軸を軋ませながら、土を蹴立ててガラガラと回り出す。

 それらの音が遠ざかっていく、龕灯の光が時々踊るのは道の窪みにでも乗った為か、それを暫し見送ってから、榎の旦那は一つ息を吐いた。

 最前の真祖の言葉では無いが、事が起きるのが急すぎる。

 平穏とは口が裂けても言えない半生ではあったが、それに引き比べても、ここ数日の動きは急激で予測が付かない。

 今までは、こういう状況の激変時に、自分は適切な選択をして利を得る方に回って来た。

 今回もそうだと……自信を持って言うには、余りにも自分は現況を知らなすぎる。

 久しく感じなかった恐怖と不安が、潮が満ちるかのように足元を浸していく。

 僅かな光に縋るように、彼は月を見上げた。

「……おお」

 あの日、商都を飛び出したあの日も、こんな月が出ていたか……満月では無いが、不思議に明るいそんな夜だった。

(澄んだ絶望の闇をその目に宿しているわね)

 人や世界に絶望はしたけど、淀んではいない、綺麗な目をしているわ、貴方。

(曇りなき幸せが、一瞬で崩れ去った時、人はごく稀にそういう綺麗な闇を目に宿す)

(……なぜ、それを)

 血まみれの脇差片手に逃げ込んだ、廃墟となっていた南蛮人の商館の中で、あの方に初めてお目にかかった、あの日。

(どう、全てを喪った貴方、私が今からお前の導となってあげようか?)

 太陽の下の世界に縁を切って、その瞳と同じ色をした夜の闇の中に。

(そして、もし私の気が向いたら、貴方に永遠を上げる)

 そうだった、何を迷う事がある。

「私の導は、もう貴女様しかいませんでしたな」

 ならば、迷いなく進もう……無明の世界を、あの時見た銀の光に従って。

「鞍馬と吸血姫、戦乙女は大丈夫かな」

 湯呑を手に、男が月を見上げる。

「あの三人が居るなら、化け狐だの、堅城落として来いとか言わなければ、戦力としては過剰な位よ」

 ほんと、心配性なんだから。

 縁側に拡げた懐紙の上で、白まんじゅうが食べ残した唐柿の実を丁寧に切って、中を検めていたかやのひめが、不機嫌そうな声を返す。

 声音はきつめだが、無視しても良い言葉に、律儀に反応してやる辺りが、実に彼女らしくはある。

 実際、かやのひめの言う通り、あの三人はいずれ劣らぬ戦の達者であり、判断力も卓越している、凡そその辺の妖怪変化などでは、余程の束にでもせねば相手にもなるまい。

「まぁな、そうは思ってるし、そもそも、俺なんぞが心配するなんておこがましい連中なのは、解ってるんだけどな」

 解っちゃいるんだが……どうしてもな。

 静かに食後の茶をすすってから、男はかやのひめの方に目を向けた。

「どうだい、種は取れそうか?」

「ええ、幸い残ってたわ、大丈夫そうね」

 採取できた種を幾つか掌の上に乗せる。

 植えてみなければ判らない所はあるが、殻の内に命の存在を感じる。

「何かの時の為に、半分は保存しておくけど、残り半分は、条件を変えてあちこちに植えてみるつもり、流石に全部五行の畑に蒔くわけにもいかないし」

 かやのひめの言葉に男が頷く。

「ああ、どっか良い所が見つかりゃ良いんだがな」

「色々試してみるわ、私も知らない子の相手は久しぶりだから、ちょっと楽しいし……あ、そうそう、夕方渡した唐柿も、あの子が食べ終わったら持って来て、種を確保しておくわ」

 かやのひめが張り切ってくれてるのはありがたいが、しかしあれだな……一鉢試しに育てる許可を貰っただけだってのに、こっちはすっかり大規模栽培の構えに入ってるって、榎の旦那に見られたら大変だな、こりゃ。

 内心若干後ろめたい思いを抱えながら、男はそんな内心を表に出す事無く、彼女に頷いた。

「判った、気にしておくよ」

「よろしくね」

 明日もやる事が出来ちゃったし、私はこれで寝るわ、そう言いながらすっと立ち上がったかやのひめに、男は軽く頭を下げた。

「そう言って貰えると、面倒を押し付けてる身からすると助かるよ」

「気にしなくて良いわよ、これは私本来の務めでもあるんだから」

 草花の生育を見守り、時に促進する、野の神たる自分の本来の務め。

 その言葉に頷きつつ、うんと、一つ伸びをしてから、男も立ち上がった。

「さて、俺も寝るとするか……それじゃお寝み、かやのひめ」

「ええ、というか、貴方こそさっさと寝なさいよ、昨夜だって大して寝てないんでしょ」

 睡眠不足の惚けた頭で戦闘指揮や方針決定されたんじゃ、部下はたまらないわ。

「良い? 夜更かしせずにさっさと寝るのよ」

「ご尤も、それじゃまぁ、そうさせて貰うわ」

 かやのひめの言葉は内容も口調もきついが、言っている内容は至極正論かつ、彼の体を気遣う物で、男としてはぐうの音も出ない。

 下手な軽口を返す事はせず、彼女に手を振って自室に向かうべく、彼は、縁側から雪駄を突っ掛けて外に出た。

 母屋から出て、少し遠回りして庭をぶらぶらと歩く。

 道の導に置いた石灯籠に、天狗が術で灯した炎が淡く揺れる。

 日中の暑さが和らぎ、池から吹いて来る微風が運ぶ涼気が、ほろ酔いの体を優しく撫でる。

 そのそよ風の中、ふわりと舞う蛍の光が、月光の陰になる木立の輪郭を朧に光らせては、また闇の中に沈める。

 鹿威しの音に驚いたか、黒々と沈む藪をかさりと鳴らしたのは、迷い込んで来た狐狸の仕業か。

 池の魚や蛙が、月に浮かれて跳ねでもするのだろうか、池の方から、ぱしゃりという微かな水音が時折響く。

「良い庭になったな……本当」

 こうして、庭の中に立つと、様々な命の気が、この夜を楽しんでいる様子を感じられる。

 夏の夜は長く暖かい、多少浮かれ騒いでも、風邪を引くような事も無い。

 昼の暑熱はご勘弁だが、半面夜は過ごしやすい。

 何事もそう、良い事も悪い事も、全ては表裏一体。

 ふわふわと漂う蛍の光を目で追いながら、男は何かに思い当たったように、僅かに顔をしかめた。

「……しまった、酒を持ってくるんだった」

 蛍雪の功には興味なき身なれど、蛍雪を肴に酒をやるのは堪えられぬ。

 こうして、平穏の時を楽しめるのは何時までの事か知れぬ身でもある。

 とはいえ、今から厨房にノコノコ行って、鈴鹿や狗賓に酒をねだるというのも、少々情けない。

「……仕方ねぇ、秘蔵の奴を一つ開けるか」

 何かの時にと、取って置いた奴だが、この夜に開けるなら悪く無かろう。

(夜更かしせずにさっさと寝るのよ)

 申し訳ねぇな、華の姫様。

 こんな夜に一杯酌まぬは、呑み助の恥。

 雪駄の音も軽やかに、男は自室への道を歩き出した。

 

 部屋の行灯を灯し、先に蚊帳を吊って、中に布団を敷く。

 布団の上に白まんじゅうは居なかったが、まぁどこかその辺に居るだろう。

 障子を開き、蚊遣りに火を付けて縁側に置く。 

 除虫菊をくすべた煙の、妙に癖になる香を一嗅ぎしてから、男は小さく切った畳を上げた。

 常に日陰となる縁の下に小さく穴が掘られ、そこに幾つか瓶や徳利が並べられている。

 縁の下に寝かせているのが、金では無く酒だというのが、実に何ともこの男らしい。

「さぁて、どれを開けようか」

 瓶や徳利にはマメな事に、酒の出所が記された書付が、封印でもあるかのように糊で貼ってある、それを眺めながらの品定めに、声が若干弾むのは、これはもう如何ともしがたい呑兵衛の性である。

「こいつがいいかな」

 宿場町の解放時に、一番の老舗の亭主がお礼にとくれた上等の一樽から移した物。

 骨太な味わいながら、どこか洗練された涼やかさを感じるあれは、こんな夜にのんびり呑むにはちょうどよかろう。

 紅葉御前の知り合いの職人から貰った、檜に生漆を塗り重ね、木目と木肌の美しさを際立たせた片口に清き酒を移す時、こっこっという小気味よい音と共に、ふわりと辺りに華やかな香が漂う。

「堪えられんなぁ」

 既に一杯やったかのような幸せそうな顔で、男は片口と気に入りの猪口を盆に載せて、縁側に足を向ける。

「さて、白まんじゅうは何処行った……」

 さほど広からぬ自室を眺め回すと、男の文机によりかかるようにしておおぶりの唐柿にかぶりつく白まんじゅうと目が合った。

「そこに居たのか、今晩飯か?」

「んー」

 唐柿に歯を立てたまま、何かを言いながら首を縦に振る。

 昨日よりは、どこか動きに切れがあるように見えるのは、気のせいか。

 ……いや、そもそもあの唐柿抱えて文机の所まで移動したという事が、かなり動けるようになって来た証左。

 その事実に、様々な思考が首をもたげようとするが、男はそれらを酒気の中に放り投げた。

 寝不足から気疲れする相手とのやり取りをこなして来て、流石の彼も今日は疲れた、何か考えるなら明日に回したい。

「ああ、邪魔して悪かった、ゆっくり晩飯にしててくれ」

 障子を開いて縁側に出る。

 夜風が心地よく部屋に流れ込むのを感じ、男は部屋の空気を入れ替えるように障子をあけ放ったまま、縁側に出た。

 常時隅に置いてある藁座を引っ張り出して、その上に胡坐をかくと、ああこれで一日終わり、という気分になる。

 式姫と過ごす時間は彼にとって何より大事な宝ではあるが、その大切さを思う意味でも、こうして一人になる時間も、また大事な物だと思っている。

 手に馴染み出して来た片口から、するすると酒が零れだすのを、薄手の猪口が受ける。

 どちらも派手さは無いが、良い道具特有の、使う快楽とでもいうべきものが手から伝わってくる。

 猪口を顔に近付けると、甘さを感じる香りが鼻先をくすぐる。

 その香りを覚えている内に、酒を口に含む。

 舌先で少し転がしてやってから喉に送ると、酒の香りが、今度は鼻腔の奥を立ち上り、頭の中にふわりと拡がっていく。

 その余韻の中、酒をこくりと喉の奥に転がす。

 ほんの僅か、水より滑らかで甘い味を残し、それは胃の腑に下って行く。

「旨い」

 威儀を正し肩ひじ張って、空言をかわしながら呑む銘酒より、この一杯の何と旨き事か。

 木々を透かして降りて来る柔らかい月光の中、淡く明滅する緑の光を眺めながら、さて、二杯目と傍らの片口に手を伸ばそうとした男の視界に、文机から、唐柿を転がすようにして、こちらによちよちと歩いて来る白まんじゅうの姿が入って来た。

 ……こいつ、二本足で歩くのか。

 動く事は判っていたが、人よろしくこちらに歩いてくる姿を見ると、可愛らしくはあるが驚きが先に立つ。

 男の見守る中、白まんじゅうは彼の隣に来ると、何やら偉業を成し遂げたと言わんばかりに、むふーと満足げな声を上げてから、ぽてんとその場に座り込んでから、再び唐柿に歯を立てた。

「……ああ、そっか」

 俺は酒で、お前さんは唐柿だけど。

「一緒に、飯にするか」

「んー」

 唐柿に齧りついたままの小さな白い頭が、同意を示すように、縦に振られた。


 
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