No.1021117

誰かの始まりの一歩の話

カカオ99さん

ツイッターに投稿していた小話を加筆修正してまとめた掌編集です。そのキャラにとって始まりの一歩になるような戦時中の話。それぞれの話の主人公はブラウニー(M03チョピンブルグ戦)、トリガーとカウント1本目(M17タイラー島戦前)、タブロイド(M19アーセナルバード戦)、トリガーとカウント2本目(M20最終戦前)。ネタバレと捏造だらけなのでお気をつけて。戦後の墓参り→http://www.tinami.com/view/1010920  カウントの家族→http://www.tinami.com/view/1010218

2020-02-26 23:06:20 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:780   閲覧ユーザー数:780

   線を飛び越えよ

 

 ブラウニーが(かよ)った高校はノースオーシア州にある公立の進学校、通称マグネットスクールだった。

 そこでトリガーと出会ったのだが、彼はそれを知らない。

 オーシアは高校までが義務教育であり、公立学校を進学する場合、卒業資格を得るための単位取得や卒業試験はあるものの、入学試験はない。たいていの子供たちは、住んでいる学区内から学校に通う。

 上流階級の子供たちが通うエリート校は私立学校が多いが、公立学校にもエリート校があった。

 そういう公立学校は、学区外からも優秀な生徒を磁石のように集めるため、マグネットスクールと呼ばれた。生徒が学習するカリキュラムは多岐にあふれ、宿題も多い。学習環境を整えるために、家庭の援助と協力は必須だった。

 当然、学区内には教育にお金をかけられる裕福な家庭が集まり、入学試験をおこなった場合、貧富の格差が顕著となる。そのため、入学希望者を抽選で選ぶ学校、半分は試験で半分は抽選という形で選ぶ学校もあった。

 そんなマグネットスクールは行政府からの予算で運営されるため、公立学校という立場上、生徒の人種、家庭環境、いわば多様性が考慮される。

 裕福な家庭のブラウニーは、環境面で入学には困らなかった。一方、下町出身のトリガーがマグネットスクールに入れたのは、学業が優秀なのはもちろん、多様性のお陰だった。

 ノースオーシアは、ベルカ戦争前は南ベルカといわれたベルカ公国領であり、敗戦国となったベルカから領地が割譲された。

 国際平和などの安全維持を目的とする国際機関から信託を受け、統治をする国は施政権者と呼ばれる。南ベルカの施政権者となったのはオーシア。ベルカ戦争時の連合軍の主体であり、ベルカの隣国である巨大国家。

 南ベルカには兵器を製造する南ベルカ国営兵器産業廠(さんぎょうしょう)、現在のノースオーシア・グランダーI.G.があり、オーシアは戦争の勝者という立場と政治力で、この土地を手に入れた。

 ここをベルカに復帰させるのか。緩衝地域として独立国とするのか。

 ベルカ戦争から十五年後の二〇一〇年、ベルカが裏で暗躍したとされる環太平洋戦争、別名ベルカ事変によって答えは先延ばしにされたまま、今に到る。

 ブラウニーが高校に通ったのは、環太平洋戦争が起こったあとだった。

 世間ではベルカ人やベルカ系に対する風当たりが強くなったあとでも、ノースオーシアは歴史的にベルカ系と呼ばれるベルカ人が多い。そのため、よそと比べるとベルカ系が呼吸しやすい場所だった。

 少なくともベルカ系の血筋ではない、ノースオーシアではマイノリティとなるブラウニーが学校で浮いたことはない。ある意味で隔離された空間でもあった。

 さらに学校に独特の雰囲気を持たせていたのが、ベルカ戦争時、親族にエースパイロットがいた生徒の扱いだった。特別待遇を受けるわけではないが、王侯貴族のような存在とでもいうべきか。

 伝統のベルカ空軍はベルカ戦争で敗北したが、ベルカ事変を経ても、当時のベルカ空軍の強さは伝説となって語り継がれている。

 トリガーの親族にはそのエースパイロットがいて、一種尊敬の眼差しで見られた。そして当たり前のように、トリガーも自家用操縦士の免許に挑戦できる年齢になったら、すぐに取得した。

 すでに一人で飛行に出ても良い十六歳の時には、空を飛んでいた。経験は積んでいたので、やっぱりと校内であっというまに噂になった。

 高校時代のトリガーの風貌は可もなく不可もなく。学業も運動神経も優秀だが、トップを取ったことはないので、学年上位のグループに属しながら目立たない人間だった。

 それが免許の件で、女子生徒の間で人気が急上昇した。ブラウニーもほかの女子生徒同様、自家用パイロット免許を持つ男子高生という、まるで映画のような設定の上級生に興味を持ち、憧れた。

 では、一度でもまともに会った、話したかというと、そんなことはなく、ただ一度だけ。秋学期のホームカミングという一週間のお祭り行事。そこで話しかけられた。

 ホームカミングは卒業生もパーティに参加できる行事。在校生はいつもと違う格好で登校したり、大きなスポーツイベントが開かれる。

 メインイベントはダンスパーティ。ブラウニーが通った高校では体育館をパーティ会場にして、外部からDJを招いた。

 生徒たちはこの日のためにドレスを用意して、気になっている相手や恋人を誘う。あるいは友人たちと一緒にパーティに行って、夜中近くまで踊る。

 トリガーもブラウニーも、互いを誘ったり誘われた、というわけではない。別々の相手や仲間がいて、パーティを楽しんでいた。

 DJが選曲した音楽の流れに合わせ、ブラウニーが気分良く踊っていたら、隣に偶然トリガーが来た。それに気づいたブラウニーが驚き、思わずじっと見つめてしまった。

 遠くから見て友人たちと騒いでいた、画面の向こう側にいるような人が、今、自分の隣にいる。

 その人が、手を伸ばす。

「こっち」

 注意力が散漫になり、近くの人とぶつかりそうになったブラウニーを軽く引き寄せて守ると、トリガーはにっこり笑った。

「そのドレス、素敵だね」

 そう言って「じゃ」と素早く離れた。ブラウニーもその場から離れ、会場の(はし)に設けられた休憩用の席に座った。

 まるで恋愛小説のような展開。ブラウニーの顔は一瞬で赤くなった。彼が触れた部分は熱く、胸は高鳴った。

 パーティで着たドレスの色はブラウン。薄茶から焦げ茶に変わるグラデーションを気に入り、親に買ってもらった。

 その晩、ブラウニーは寝ずに考えた。おそらく、ぶしつけに自分を見ていた人間への、当たりさわりのない対処だった。そう思い到ると、それまでの浮かれた気分から一転、枕に顔をめり込ませて落ち込んだ。

 パーティで助けられたことをきっかけにして、話しかけるチャンスがあったといえばあったが、ブラウニーは行動しなかった。

 自分の行動が無作法だと気づいてしまったせいか。そんな強引な手段で行くのは気が引けたせいか。芸能人のようなフィクションに思えた存在が一気にリアルになり、その生々しさに怖気づいたせいか。

 原因はよく分からなかったが、ブラウニーがいつものように遠くから見ている間にトリガーは卒業し、空軍士官学校へ進学した。

 ただなんとなく、漠然とした思いでブラウニーも空軍士官学校に行った。それくらいの成績と評価はキープしていたし、人脈はあった。

 戦闘機パイロットの道を選び、IUN国際停戦監視軍のフォートグレイス基地に着任した。ユージア大陸南東部の島々にある、異国の基地。

 ブラウニーはゴーレム隊に、そのあとにトリガーが来てメイジ隊に配属され、ともに二番機となった。

 そして二〇一九年五月十五日、開戦。オーシア連邦はエルジア王国と戦うことになった。

 久しぶりに会ってみると、トリガーは高校時代よりも格好良く、大人の男性になっていた。

 ただし、ブラウニーの視点からすればの話。

 当たり前だったが、トリガーはブラウニーのことなど、なに一つ知らなかった。基地で初めて会った人間という認識。

 分かってはいたが、改めて事実を突きつけられると、ブラウニーの心はささやかながらも傷ついた。

 その後、ブラウニーが所属するゴーレム隊の隊長ノッカーが場をやわらげるため、いつものきつめな口調ながら出身校の話を振った。ブラウニーが同じ高校だと知ると、トリガーの態度は多少気安くなった。そんなふうにブラウニーは感じた。

 当のブラウニーはといえば、思春期にしでかしたことを次々と思い出し、正直トリガーの顔をまともに見られなかった。

 今で言うところのストーカーまがいのことをして、謎の自作ポエム、盗み撮り等々、それらを友人たちとはしゃぎながらやった。校内やカフェの片隅で喋り、披露した。俗に言う黒歴史満載だった。

 そのうえ、数少ない情報で妄想をたくましくして、恋に恋をしていた時期。今思い出しても、顔から火を噴くかと思えるほど。

 とはいえ、この基地で初めてブラウニーはトリガーの顔をまともに見て、声を聞いて、会話をした。

 空でのトリガーは無口で任務に忠実。必要最低限しか喋らないが、地上では思いのほか砕けた会話をする人だった。彼との距離はこんなにも近く、壁はこんなにも低い。

 なんだ。話しやすい人じゃない。

 そういう印象を強くしたブラウニーは、飛び越えようと思えばいつだって超えられた呆気なさに、内心驚いた。

 周囲からは自分がトリガーをライバル視して、食ってかかっているように見えただろうが、気恥ずかしさから来る喧嘩腰のような会話も、なんだかんだでトリガーは付き合ってくれた。

 同じ高校に通った下級生が身近にいることに、なにかしら安堵感があったのだろうとブラウニーは推察する。

 高校時代、視線が合ったと思ったのは九十九パーセントの確率で思い込みであり、一度も合ったことはないのが現実だが、この基地では時折、本当に目が合う。

 トリガーの目の色はダークブルー。深淵の青。遥か上空のさらに上を飛んだ時の、空の色そのもの。

「ブラウニー」

 彼にTAC(タック)ネームを呼ばれるたびに、心臓が不用意にどきりと脈打つ。

 いろいろと理由をつけていたが、TACネームの本当の由来は、高校時代に憧れていた人の何気ない一言というのは、誰にも喋っていない。

 いつぞやの会話では、いつのまにかお菓子のブラウニーをトリガーに作ってあげる流れになってしまったが、そんなことをできるわけがない。お菓子は作れるが、相手はあのトリガーである。失敗は許されない。

 返す言葉でトリガーから「じゃあ俺も作るよ。アーモンド入りのブラウニー」と言われたが、それがいつ来るのか、むしろブラウニーはそちらのほうに困っていた。

 恋をしているという空気にひたっていたかったから、高校時代は一歩を踏み出せなかった。踏み出す必要がなかった。

 なのに、あと一歩の距離まで来ても、ブラウニーは躊躇する。

 高校時代は恋に恋をしていた。今は相手に恋をしている。

 ぼんやりとした概念ではなく、個人という生身を相手にする恐ろしさを自覚するのがまさかの戦場で、今この瞬間は死を身近に感じている。

 五月三十日、チョピンブルグでの任務は、エルジアに奪われた国際軌道エレベーターの奪還。空母ヴァルチャーと合流して航空優勢を奪取し、後続部隊の進路確保をする、はずだった。

 軌道エレベーターを守る巨大無人航空機アーセナルバードはエルジア軍に接収、運用されているという情報だったが、実際にアーセナルバードが現れ、巨鳥に搭載されている小型無人機が敵として襲いかかってきたことで、薄い絶望が漂った。

 本部からのアーセナルバードを撃墜せよという命令は達成されることなく、自由自在に動く無人機に翻弄され、味方のスケルトン隊は全滅。ガーゴイル隊も損傷した機体多数で、結局撤退戦となった。

 無人機との戦闘で被弾したブラウニーは、「お前は撤退しろ」とノッカーから命じられた。空中管制指揮官スカイキーパーの指示により、ガーゴイル(ワン)にエスコートされる形で生き残るための旅路をしている、はずだった。

 あと少しで作戦空域から離脱するというところで、ブラウニーたちは不明機と遭遇。ガーゴイル1は反撃の機会すらなく撃墜。

 スカイキーパーに「ゴーレム(ツー)、状況を知らせろ!」と指示されたが、回避するための操縦に集中しているので余裕がない。

 様子を察したスカイキーパーから、「単に喋るだけでいい!」と言われたので、ブラウニーは今の状況を必死に説明する。相手はSu-30。翼端がオレンジ。引き離せない。ついてくる。それらを言うだけで精一杯。

 ノッカーから「格闘戦をやめて逃げるんだ」と言われても、逃げられない。なぜか攻撃されず、執拗に追われる。

 食われる。まだ撃ってこない。なぜ。怖い。ブラウニーの脳内が恐怖で満たされ、思考が唇からもれる。

 そんな中、ノッカーに状況報告をうながされた。それで兵士としての正気を保とうとするが、駄目だった。

 不明機は、医者のもとへ急ぐ父親の腕の中で、高熱にうなされる息子をつけ狙う魔王のよう。命を取るまでけして離れないと直感した。

 いつのまにか、死への旅路をしている。

≪捕食者だ≫

 普通の敵ではない。明らかに異質。ブラウニーにはどうしようもない。

≪弱い者が食われる≫

 「落ち着け! 敵から離れるんだゴーレム2!」とノッカーに命令されるが、離れようとしても追いかけられ、追いついてくる。狙われたが最後。向こうが飽きるまで遊び相手にさせられる。

 ノッカーとメイジ隊は味方の撤退を助けるため、無人機の相手で手一杯。近くにはいない。

 それでもブラウニーは自然とトリガーの位置を追う。実際には見えない。レーダーでは見える。高校時代と同じ。自分は遠くから彼を見る。いつのまにか彼は先にいる。

≪メイジ2! 掩護を!≫

 手を伸ばすように声を出す。極限の状況でようやく、ブラウニーは一線を飛び越える。己の感情の引き金を引く。死への恐怖が、生身のトリガーに声をかけさせる。

≪誰か≫

 それなのに、あと一歩の距離が、またあの時と同じように遠くなる。

 やっと声を出したはずなのに、それなのに。

 今あるのは。

 恋と。

 恐怖と。

 遥か彼方のダークブルー。

≪掩護を!≫

 やっとの決断に遅いという裁きをくだすように、Su-30の空対空ミサイルがブラウニーの機体に直撃した。

 トリガーの耳に、ズザッというノイズが響く。トリガーが最後の無人機を撃墜したのと同時。

≪…ブラウニー?≫

 それがなにかを悟ったトリガーは、とっさにTACネームのほうでつぶやくように呼びかけたが、オフラインとなった回線の向こうに届くことはない。

≪……ゴーレム2、ロスト≫

 スカイキーパーによる状況報告に、ノッカーが「くそっ!」と悪態をついた。すかさず「ブラウニーをやった奴は?」と聞くが、「離れていく。追える者はいない」とスカイキーパーが答え、一秒ほど()を置いてから「残念だ」と続いた。

 すべての無人機を撃墜して任務が終わり、フォートグレイス基地へ帰投する中、ノッカーは「……あの時、ああでも言わなければな」と真情を吐露した。「あいつの性格からして、撤退などしなかっただろう」と。

 メイジ隊の隊長クラウンが「妥当な判断でしたよ。あの時点では」とフォローしたが、「いや、ひよっこを手元から離すべきでなかった」とノッカーは後悔の言葉を追加した。

 隊長たちの会話を聞きながら、トリガーは酸素マスクを(はず)す。

 小さな街のルールが広い空にも通用するという、元ベルカ空軍エースの親族のアドバイスが、こういう形で身に染みると思わなかった。気のいい人間が路地裏の争いに巻き込まれ、翌日には命を落とすことがある。ブラウニーも同じ。

 お菓子のブラウニーを作って相手にあげる約束も、掩護要請を出された時にすぐ駆けつけていればという思いも、宙に浮く。

 トリガーは彼女が最期にいたであろう方角を見て、目を細める。戦闘が起こる前も、戦闘中も、終わったあとも、なにも変わらない。

 ただ、美しく青のグラデーションをえがく空が広がるだけだった。

 

END

 

   光の先を見よ

 

 二〇一九年十月一日、封緘(ふうかん)命令書で予定されていたエルジア軍将校の護衛作戦は終わり、次はどうするのか。

 命令で動くことを厳しく叩き込まれている軍隊が、どう動くべきか。食糧や燃料の問題もある。生き延びるためにはどうするべきか。

 九月十九日のファーバンティ攻略戦のさなか、一緒にやろうと言ったわけではない。

 それなのに、オーシアはエルジアがハッキングした通信衛星を、エルジアはオーシアの通信衛星を、ほぼ同時に破壊した。砕けた衛星は宇宙ごみ(スペースデブリ)となり、ほかの衛星を巻き込んで壊した。

 その結果が通信断絶による大混乱。ユージア大陸各地に展開する軍隊は、それぞれの地域で孤立。

 長距離戦略打撃群ことロングレンジ部隊は攻略戦が終了したあと、予定されていたIUN国際停戦監視軍のガルドス航空基地に降り立った。そこはエルジア領に程近い大陸西部のアンカーヘッド湾の東に位置する基地で、もちろんここも情報が断絶していた。

 誰が敵で味方か分からないため、ロングレンジ部隊はガルドスから動けなかった。燃料節約のために哨戒任務もままならず、日々体力作りにいそしむしかない。

 基地の上層部は会議に次ぐ会議をしていたが、答えは出ない。ガルドスの基地司令は極限状態に耐え切れず、心が病んでしまった。部屋にほとんど閉じこもっているので、話にならない。

 そこでカウントの脳裏に、一つの案が思い浮かんだ。

 タイラー島。

 かつての部隊の仲間たちが投入された場所。その仲間たちと合流する。

 次の作戦はどうするか聞かれたら、タイラー島に行くことを進言したい。そんなふうにストライダー隊の隊長であるトリガーに相談したら、「いいんじゃないか」と即答された。

「お前隊長だろ? もう少し考えろ」

「だから、いいんじゃないかって答えたんだけど。それじゃ駄目か」

「考える振りをするのも仕事だろ」

「ええー」

「お前、周囲のことを観察して、トラブルになりそうな奴や苦手な奴とは一切関わらないって態度してるけど、実は素でわりとどうでもいいだろ?」

「かかってきた火の粉は、全力で払うことにしている」

「そういうことじゃねえっつーの」

 ダミ声のごときため息をつかれ、それを見たトリガーは喉の奥で笑った。

「いやさ、俺も同じこと思ったし。だから同意したんだけど。今はそれくらいしか思いつかない」

「……なんでタイラー島に行こうって思った」

「なんでだろうな」

 答えがボカされ、カウントは「決まってねえのかよ!」と突っ込む。

「そう言うお前こそ、なんでタイラー島に行こうって思ったんだよ」

「あれでも仲間だったからな」

 「俺もかな」と、これは即答だった。

「冤罪だったのに?」

 言外に、無実のお前は有罪の自分たちとは違うだろう、という意味を含ませると、「一緒に釜の飯食ったじゃん」と笑われた。

「その前の部隊は?」

 トリガーは困ったように「うーん」と長く伸ばす。

「なんていうか……それは複雑だな。気が向かない」

 正直な答えがしぼり出された。

「まあ、行っても空気が微妙になるだろうしな」

 カウントの返しに、トリガーは笑って流す。

「なんだかさ。懲罰部隊の任務って、子供の時から聞いてたベルカ戦争の空はこんな感じかーって想像できるものばかりで、楽しいっちゃ楽しかった。懲罰部隊もロングレンジ部隊も、日程はハードだけどな」

 カウントは「どっちもこき使い過ぎだ」と突っ込み、二人は笑い合う。

「敵の声が聞こえても、そりゃ敵だしって思ったし、敵として出会ったなら、戦うだけだ。勝たなきゃこっちがやられて、テリトリーが奪われる」

 おそらくそれは、エルジアの巨大な原子力潜水艦アリコーンに関する任務で出会った敵のことだろうとカウントは察した。

 アリコーンの鹵獲(ろかく)作戦を指揮したハワード・クレメンス准将がトリガー暗殺のために雇ったと思われる、強烈な印象を残した二機編隊(エレメント)

 片方を先に墜とすと、残った片方が豹変して感情的に飛び、狂ったように攻撃してきた。かなり挑発的で技量もあり、加えて電子妨害を駆使した厄介な敵とはいえ、彼らの最期は後味が悪いものだった。

「エースの心得みたいなものは、ベルカ戦争の元トップエースに聞いてたからさ。伯父さんとか、自家用の免許取った時の教官とか。エースは誰かに焦がれるほど憧れられるか、激しく憎まれるかのどっちかだって。その時はへぇーって聞き流してた」

 トリガーはその時のことを思い出す。空への一歩を踏み出した雛鳥をまぶしそうに見ながら、元トップエースたちは少しだけ、どこか悲しみを混ぜていた。

「憧れや期待が重圧になる時があるけど、それ以上に、お前は殺すとどれだけ憎まれても、それでも空を飛びたい、空戦が楽しいと思ったのなら、それが心理的なエースの初めの一歩だから、その時が来たら覚悟しろってさ」

「それもへぇーって聞き流したわけか」

 トリガーは「よく分かるな」と微笑む。

「覚悟しろってのは、それ以外進む道はないって意味だったんだな。自覚しただろ、みたいなさ。ミスターXには仲間を墜とされても、見つけたって思ったんだよな。神話みたいなベルカ戦争のエースはこれかってさ」

 かのベルカ空軍のエースたちは、まるで神話の化け物のようで。そのエースたちを次々と破った円卓の鬼神は、神のようで。

 当時のエースたちはほぼ引退し、名残といっていい人たちは、軍や民間に教官としているくらい。

 元トップエースのトリガーの伯父は、地上での戦い方を()かした空での戦い方を教えてくれた。自身と同じように下町で生まれ育ち、路上のストリートファイトのやり方を経験して分かっている甥に。

 これほど身近な存在がいても、ベルカ戦争を経験していないトリガーにとって、元ベルカ空軍のパイロットたちは歴史の出来事のような、遠い昔話のような部分があった。

 それが現実として、血肉をともなって目の前に現れる。ベルカ戦争ではこのクラスのエースがどれほどいたのかと。

 神話がリアルに感じ、その強さを改めて意識する。オーシア空軍が気持ちのうえで、今でもあの時代のベルカ空軍に後塵を拝しているのは、こういうことかと思い知る。

 現代の機体に、ベルカ戦争当時のトップエース並みの技量を持つ人間が乗っていたら、()すすべはない。あっというまに負けるしかないのだと。

「仲間を墜とされたのが悔しくない、憎くないって言ったら嘘だし、ミスターXと戦いたいっていうのも嘘じゃない」

「複雑だな」

「でもあれは墜とさないといけない」

 低くつむがれる意志の言葉は強く、硬い。

「ワイズマンで分かった。ミスターX本人はどう思っているか知らないけど、あれは遊んでる。そういうふうにしか見えない」

「だから墜とすって?」

「懲罰部隊の時、うしろに乗った人に言われたんだよ。あれは命を賭けて遊んでる面倒な手合いだって。だからあれは、また次も遊びで墜としてくる。その前に墜とす」

「チャンプやワイズマンを墜とした奴だから、仇討ちか」

「それもある、かな?」

 突然足踏みするような答え方に、「なんだよ、その歯切れの悪さは」とカウントは文句を言う。

「一瞬でもミスターXにベルカのトップエースの面影を見たあの日の少年の俺の幻想を守りたいってやつかな」

 トリガーは一息で言ってのける。

「そういう人が、ワイズマンたちを墜としたと思いたくないんだよ。多分ね」

「遊びじゃなくて、誇り高く決闘で戦って負けたって思いたいのか」

「ストレートだなー。まあそういうことだと思うよ。あとは、なにかをこれ以上失うのは嫌だってことか」

 カウントが記憶する限り、望みらしい望みを今まではっきり言わなかった人間が、初めて口にする言葉。どんな命令にも文句一つ言わず、むしろ楽しんでいる部分もあった。

 あえて挙げるなら、どの機体を選ぶか、整備にどんなふうに仕上げてほしいかの望みを言うが、それは任務遂行に必要なもの。通らないならすぐに引っ込める。過ぎたものではない。

「話はズレるけど、ノースオーシアって、授業でベルカの核のことを時間さいてやるから、爆心地の写真や映像をよく見るわけ」

「ああ」

「あのアリコーンの艦長がやろうとしたことはそれだって、パッと思ったんだよな。だから撃たせちゃいけないと思ってさ」

「そりゃ前に聞いたな」

 なぜアリコーン撃沈作戦で命令違反をしたのか。ロングレンジ部隊の面々も気になったので、代表でカウントがトリガーに聞いた。「俺、ノースオーシア出身だから、核は嫌なんだよ」と返ってきて、それで皆は納得した。

 ベルカ戦争における七発の核を使用した戦線封鎖。今でも語り継がれる負の記憶。

「あの悲劇は、あの時が最初で最後にしとかなきゃって思ったんだよな。刷り込みは怖いね」

 含みのある言い方だったので、カウントは「それが正義だろ」と言うと、「結果的にはな」と微妙な答えが返ってくる。一体なにを渋っているのか。

「素直じゃねえなぁ」

「いやあ……意外にそういうことで動くんだって、自分で意外でさ。空を飛ぶのと空戦が好きでパイロットになったから…なんだかちょっと恥ずかしいってやつ?」

 ああなるほどと、カウントはようやく腑に落ちた。自分らしくない行動をした。それがうまく消化できなかった。折り合いがつかなかった。

「そうか? 俺は正義のヒーローになりたかったぜ? 昔の古いドラマで、ガンマンが悪人を倒すやつが面白くてさ」

 すかさずトリガーから「詐欺師になってんじゃん」と突っ込みが入る。

「いろいろあったんだよ、いろいろ。でも、主人公の助っ人みたいな詐欺師のガンマンが、時々おいしいところを持っていくのも好きだったな。ああいう、影があるけどかっこいい男になりたいって——」

「もしかしてその詐欺師のガンマン、『僕』って気取った感じで言ってなかった?」

「……!」

 懲罰部隊時代、カウントはそんなふうに演じていたことを思い出し、頭に血の気が上がったり下がったり、いそがしくなる。

「分かるよー。ヒーローの真似するの」

 したり顔でトリガーに言われ、カウントは「話ズレてんぞ!」とどついた。

「だからさ、いろいろと失うのが嫌だなって。そういう理由」

 あの日の少年の憧れ。仲間の命。外から見ればそういうことかと突っ込まれそうな、あるいは自分らしくないと恥ずかしくなるような、でこぼこの理由。

「……奇遇だな。俺もだ。誰かが犠牲になるために動いたり、動かされたり、弱い人たちが犠牲になるのは嫌なんでね」

「懲罰部隊の時の経験談?」

「それもあるが、お前と似たようなもんさ。子供の時に見た、俺の中のヒーローたちが許さないんだよ。そういう単純なやつさ。俺は英雄なんて大それたものにはなれねえが、俺は俺のヒーローにはなりたいんだよ」

「……意外にかっこいいこと言うからビビるんですけど」

「お前だってそうだろうが。あの光景を新しく見たくないから飛び出したんだろ? それでいいじゃねえかよ。土壇場にならないと、人は自分のことなんて分からねえもんだ」

「世界を守る正義のヒーローなんてガラじゃないから、挙動不審になるんだよな」

 トリガーはなにやらバツが悪そうな顔で言う。

「そんじゃ普通に空飛んでろ。誰もお前に正義のヒーローなんて求めてねえよ」

「はっきり言うなよ」

 言葉に反し、トリガーは楽しそうに笑った。

 物心つく前から、トリガーはベルカ空軍のトップエースたちの話を聞き、カウントはテレビドラマのヒーローたちを見た。心に刻み込まれ、憧れ、それを規範として動く部分があった。遠いあの日の光景が、道を指し示す。

「そういやロングキャスターがさ。こういう混乱した状態の時は、自分の声に従うのがいいんだって言ってた」

「なんかの教典の言葉か?」

 ロングキャスターは世界的宗教の敬虔な信徒だった。もし軍人にならなかったら牧師になっていたかもという話を聞いて、ただの食いしん坊ではなかったのかと驚くのは、ロングレンジ部隊の通過儀礼だった。

 だが牧師らしいありがたい話は一切ないので、疑わしく思うのも、また通過儀礼らしかった。

「とかなんとか言ってた気がするけど、悪いことはしない範囲で、自分の望みをいくつか把握しておくと、つらい時に便利だとかなんとか」

「なんだ。ちゃんとありがたいお言葉じゃないか」

「だから今から、感謝祭の七面鳥の丸焼き(ローストターキー)やグレイズド・ハムをどうしようか考えているんだってさ」

 カウントは思わずトリガーをじっと見つめてしまう。

「どっちも作るのか?」

「らしいよ」

 どちらもパーティ料理のため、ボリュームがあり、作るのに手間がかかる。食べ切るのにも時間がかかるので、作るならどちらか一品。

 ローストターキーはスタッフィングと呼ばれる具材をいため、ターキーのお腹の中に詰めてオーブンで焼く。

 スタッフィングは野菜、ナッツ、ドライフルーツ、米、小さく切ったパン、ハーブなど、家庭によって多種多様。ターキーの内臓は細かく刻み、スタッフィングやソースの材料となったり、スープストックにもなる。

 手間をかけるなら、塩をベースにハーブや香味野菜を煮込んで()したピックル液に一晩漬ける。中までちゃんと味を染み込ませると、焼いた時に肉がパサつくのを防ぐことができ、(やわ)らかくなる。

 グレイズド・ハムは骨付きの大きなハムの塊に好みのスパイスやハーブ、マスタードなどにフルーツを使ったソースや蜂蜜などを混ぜて甘めのタレを作って塗り、オーブンで焼く。

 ハムのソースは二種類。クランベリーという果実に砂糖を加え、煮詰めたクランベリーソース。ハムが焼き上がったあとで、底に()まった肉汁を活かしたグレイビーソース。両方かどちらか一つを用意する。

 メインの肉料理の付け合わせはマッシュポテト、根菜のロースト、季節の温野菜。食後のデザートは林檎、カボチャを使ったパイやタルトが主流。

 だがロングキャスターなら手間暇かけてすべて作り、もちろんおいしそうなのが出来上がり、あっというまに完食しそうなのが容易に想像できた。

「悪い。撤回するわ。ありがたみが欠ける」

 トリガーは「分かる。同じこと思った」とうなずいた。

「いやでも、俺もシュトレンどうしようかって考える時期だと思ってさ」

「結局その話乗るのかよ!」

 突っ込まれてトリガーは笑う。

「シュトレンを家で食べたいから、その前に戦争が終わればいいなって思ったりする。ロングキャスターのもそうだろ。お前はないの」

「俺は普通にクリスマスプレゼントだな。高級品をねだってかっぱらう」

「軽く言ってるけど、それひどいぞ」

 ひと通り笑い終えてから、トリガーは「遠くに来たな」とつぶやいた。

「去年のシュトレンが十年前みたいだし、今年のシュトレンは遠い」

 一気にのしかかる現実に、混乱の真っただ中であることを二人は痛感する。戦争そのものの行方が分からない。これから世界はどうなるのか。自分たちはどうなるのか。

 生き残る、家に帰ることが目的だとしても、漂流を続けている。

 なにか目標が欲しい。道を進むための目印になるもの。

 星一つない夜を進んでいくような状態で、自身の小さな望みを思い出す。見つける。光にする。その光が道の先を射すのなら、そこに浮かび上がったものを目指す。

 今はタイラー島。

「島に行った奴ら、生きてるといいな」

 当然、最悪の事態を予想していた。

 それでも行きたいと思うのは、苦楽をともにした人たちがいるから。ただそれだけの理由。それが進路。あやふやな理由が、今は道標になる。

「確かめにいこう。次は、またそれからだ」

 トリガーが拳を突き出すとカウントも拳を突き出し、「おうよ」とゴツッと当てる。

「そんでシュトレンってなに」

 カウントが聞くと、トリガーは「ベルカの伝統的な菓子パンで」と説明を始め、二人は今の日常へと戻っていった。

 

END

 

   その足で駆けよ

 

 オーシア国防空軍第四四四航空基地飛行隊の部隊名はスペア。その名の通り、正規軍の予備であるスペア隊は、軍規違反をした囚人たちで構成される懲罰部隊であり、員数外の使い捨てだった。

 それが灯台戦争で欺瞞遊撃(ぎまんゆうげき)、正規軍の弾除け、露払い、威力偵察を次々とこなして一定以上の戦果を挙げるうち、活躍が評価され、正規軍部隊として編入されることになった。

 そのことを懲罰部隊の隊員たちが知ったのは二〇一九年八月五日、異動日当日。任務が発生するのはいつも突然。計画性はない。あったとしても、隊員たちにはなにも知らされない。最後まで懲罰部隊らしいやり方だった。

 投入先はユージア大陸南西部、国際軌道エレベーターの目と鼻の先にあるタイラー島。その島にある基地の奪還をせよという作戦。

 一般作戦とはいえ激戦区。使い捨ての部隊が裏か表か。それだけの違いだが、正規として扱われるだけマシなのだろうとタブロイドは思った。

 はみ出し者が集まる懲罰部隊といえど、カラーが同じ人間が自然と群れるのは本能的なもの。喧嘩、酒、煙草、博打を率先してやらない群れは、一般社会であればまともな部類。

 しかし欲望が優先される懲罰部隊ともなれば、下のランクになる。そこに弁が立ち、腕も立つ政治犯のタブロイドが入ったことで、風向きが変わった。

 さらにパイロットの腕はチャンプやカウント以上というのに加え、喧嘩もできるトリガーが入ったことで、独特の位置を占めるようになった。急上昇したといってもいい。

 トリガーとは同じベルカ系ということもあり、そこそこ仲は良いほうだったとタブロイドは思っている。学校の図書館に置いてあった本の話では、大いに盛り上がった。

 七月十二日のインシー渓谷戦では退却する味方を守り、敵の追撃を防ぐ殿(しんがり)を一緒に務めた。突然戦場に現れた謎の敵エースとその部隊相手に時間を稼ぎ、生き残った。まさに戦友となった。

 トリガーの強さは本物。話を聞いたり映像でしか見たことのない、ハイクラスの戦いを目の前で見て、タブロイドはこれはと思った。

 この強さなら最後まで勝って、生き残って、戦史に名を刻んだエースパイロットたちのような、戦争を止められる英雄になれるかもしれないと。

 タブロイドがタイラー島、トリガーが基地司令官のマッキンゼイ大佐の護衛任務で道が分かれる時、タブロイドは「この戦争を止めてくれ」といつもの口調で言った。

「俺は任務を果たして、生き残るだけだ。それで、今の戦争が終わることに繋がればいいとは思っている」

 タブロイドはこの戦争、止めてという単語を使い、トリガーは今の戦争、終わるという単語を使う。微妙な違い。

 ベルカ人を両親に持つ者同士なので、政治的な意味合いで気が合うかと思ったら、そうでもなかった。トリガーはタブロイドの話を真正面から否定はしなかったが肯定もせず、話は聞いてくれるが同意は示さず、受け付けなかった。

「とにかく目の前のことをやるよ。あなたも向こうで頑張ってくれ」

 トリガーは微かな笑みを浮かべ、手を差し出す。別れの握手。その手をタブロイドは握る。

「あなたと出会えたことは、ここでのいい出来事だと思ってる」

「意外なところで褒めてくるね」

「あなたはよく見てる」

「そうかな」

「情報にとらわれず、人を真っすぐ見るというのは、一つの才能だと思うし」

 タブロイドが息をのんでいる間に、トリガーは手を離す。

「ちゃんとその人を見るから、あなたは誰かを助けたいんだと思う」

 トリガーがタブロイドに見せる表情は、どこか寂しそうなものが多かった。今もそう。やっと距離が一歩縮まった。そう思ったら、すでに別れは来ている。

「じゃ」

 目の前の人間が立ち去ろうとする前に、タブロイドは「トリガー」と呼びかけた。

「今の戦争を終わらせるために、おたがい、次の異動先で頑張ろう」

 明確な言葉。明確な意志。トリガーは初めてタブロイドに対して、嬉しそうに微笑んだ。その日を境に、タブロイドはトリガーとは会っていない。

 十月十日、噂の長距離戦略打撃群、通称ロングレンジ部隊がタイラー島を支援しにきた時に、無線で言葉はかわした。

 と言っても、主に喋ったのは、トリガーと一緒にロングレンジ部隊に異動したカウント。懲罰部隊でのコールサインはスペア(ツー)。詐欺罪で囚人となった男。

 トリガーがスペア15(フィフティーン)と呼ばれていたのも、今や昔。違うコールサインを得たであろう彼は、いつも通り空の上では必要最低限しか喋らなかった。

 トップエースになれるであろう、すでになったであろうトリガーには、通信衛星が破壊されたことで情報が寸断され、国際法で定められた戦い方のルールも国境の意味も消え、疑心暗鬼になった集団同士による争いになった戦争が、どう映っているのか。

 一九九五年のベルカ戦争に参加したウスティオ共和国の傭兵パイロット。その人間を追うドキュメンタリー番組が二〇〇六年に放送されて以降、いまだに謎が多いクーデター組織『国境無き世界』を追う番組ができたり、ノンフィクション本が出版された。

 タブロイドが彼らの思想に感化されなかったといえば、両親がベルカ人であることの影響がなかったといえば、嘘になる。

 トリガーはノースオーシア州の出身だという。彼が生まれ育った地域は、本来はベルカ領だった。

 が、ベルカ戦争後に割譲され、オーシア領となった。本人たちはその場から一歩も動いていないのに、ベルカ人からオーシア人になる。

 もし時代が時代ならタブロイドもベルカ人だったが、オーシア人となった。

 広大なオーシアに住む、両親がともにオーシア人という人間にとって、国境線に翻弄される意味は通じにくかった。ある日突然分断され、あるいは国名が変わる。その感覚が通じない。共有できない。

 友人や同僚には、今の世界の無関心さを必死に説いた。自分の周囲から、小さな世界から変えたかった。

 だが、友人や同僚からは距離を置かれるようになり、そのうち迷惑行為として上官に伝わり、何度か注意された。現実を見ろと何度も説教する上官に手近な物を投げ、当たらなかったものの、烈火のごとく怒られた。

 なぜ通じないのか。正しいことを言っているはずなのに。良いことのはずなのに。弱くても助けられない理由があるなら、それは正当化されるのか。

 寄る辺のない弱い存在を助けたい。そこからすべては始まった。

 タブロイドは小さい頃から、野良になった動物をよく拾っては家族を困らせた。弱い存在を見捨てられなかった。そのうち、しかるべき組織に頼ったり、自身で里親を探す方法を身につけたが、そんな息子を親は心配した。

 ——お前の誰かに共感する力は神様からのギフトだけど、それを使い過ぎると、いつかお前を壊す。だから……強くなりなさい。

 本当はやめろと言いたかったのだろうが、親は息子の長所を伸ばすことを選んだ。タブロイドはそう思っている。

 親からの助言を()かし、弱い人を助けたくて軍に入った。困っている人たちのところへ誰よりも早く駆けつけられるから、戦闘機パイロットになった。戦い方を学び、操縦の腕を鍛えた。

 ——そんなに言うなら、寄付やボランティアをやればいいじゃないか。

 今までタブロイドを否定し、あるいは疑問を投げかけた人たちの言葉が、脳裏に一瞬で甦る。

 ああやってみたさと反論する。それでもなにかがすぐに変わるわけではなかった。個人の微々たる援助や行動など、焼け石に水。

 ——お前の話って全部大きくて遠いよな。

 遠回しにさとされることもあった。結局お前はなにもやっていないじゃないか。口だけじゃないか。大衆紙(タブロイド)みたいに口であおって、その手で、その足で、本当に救ったことはあるのかと。

「ユリシーズ……」

 タブロイドの近くにいた、地下トンネルに逃げてきた男性難民のつぶやき。墜ちてくる無人機を見るその眼差しは、うつろだった。

 なぜそうなったかは、自分たちに原因の一端がある。タブロイドは直感的にそう思った。

 始まりは懲罰部隊の整備兵エイブリル・ミードの発案。

 情報と指揮系統が混乱し、兵士たちは戦争を続ける目的が分からなくなっている中、エルジア急進派は戦闘行為そのものを続けようとしている。開戦の発端であり、エネルギー源である軌道エレベーターを彼らより先に奪うことで戦争を止めたい、というもの。

 タイラー島に専用機が不時着して一人生き残り、孤立していたところをエイブリルたちに保護され、一緒に島から脱出したエルジア王国王女ローザ・コゼット・ド・エルーゼが、その案に乗った。

 部分的に復旧した一般のネット回線に、軌道エレベーターを守る巨大無人航空機アーセナルバードの残り一機を墜として、軌道エレベーターを奪うことを記した通信文を拡散させた。

 それに賛同した有志たちが今、十月三十一日、軌道エレベーター周辺に集まっている。

 まずは一時的にでも軌道エレベーターからのアーセナルバードへのエネルギー供給を絶たせ、味方に攻撃する隙を作らせるために、軌道エレベーターの位置マーカーを破壊することにした。

 軌道エレベーターのゆがみを監視するため、風防の最も高い部分に六基の位置マーカーが設置されている。それを破壊するとセンサーが狂う。すると、エレベーターが倒れたと勘違いする。

 当初はエイブリルがやる予定だったが、エルジア王女として国全体の士気高揚を担っていたコゼットが自らの足で走って行動し、破壊に成功した。

 アーセナルバードを攻撃する隙はできたものの、その代償として、安全が確認されるまでマイクロ波がストップされた。そのため電力供給を絶たれたと判断し、制御を失った多くの無人機が次々落下する事態となった。

 その光景は軌道エレベーターの真下、難民たちが集まる場所でも展開される。

 まるで隕石のような災害。一九九九年、世界情勢を一変させた、あの小惑星ユリシーズのように。世界中に破片が散らばって降りそそぎ、多くの国と人々の運命を狂わせたように。

「ママーッ!」

 その混乱の中で大勢の人にもみくちゃにされ、母親とはぐれ、一人になった恐怖に足がすくみ、泣き叫ぶ子供の声がタブロイドの耳に突き刺さる。

 かつてタブロイドが投げた石は、助けたかった対象に大きな石として地上に降りそそぐようで——。

「ママどこーッ!」

 トリガーから、「あなたはよく見てる」と言われた。

 見えているから、助けたかった。泣いて不安でおびえる弱い存在が視界に入って、見えないものとして扱えないから。自分はもともとそういう人間だから。

 タブロイドは両の拳を握る。今すべきことを明確に意識する。他人の本質を見続けていた人間は、ようやく己の本質を見る。

 空にはエイブリルの呼びかけに応じた戦闘機が大勢いる。あの中には、おそらくトリガーやカウントもいるはず。今の戦争を終わらせるために戦っているはず。

 弱い人たちを助けるために戦う。今の戦争を終わらせる。この戦争で困っている人がいるなら助ける。それはタブロイドの中ではなんら矛盾しないし、その明確な意志こそが、自身が求めた未来を切り開く引き金になる。

 ともにタイラー島から抜け出したエルジア軍の傭兵、ベルカ人のジョルジュと視線が合うと、二人でうなずいた。

「難民たちが……みんな慌てるな! 将棋倒しになっちまう! あ!」

 エイブリルが難民たちに指示を出そうとする中、押し寄せる難民をかき分け、先にタブロイドが迷うことなく飛び出す。そのあとをジョルジュが続く。

 自然と足が走り出す。

 言葉より先に。

 怒りよりも先に。

 石ではない。

 戦闘機でもない。

 道具ではない自分の足で、初めの一歩を踏み出す。

「ママ…ッ!」

 助けを求める子供の声が、あの日の初心を思い出させる。

 ベルカの血が流れているのなら、負けた国がルーツなら、ベルカという国が犯した罪のつぐないは子孫がするべき。そんな世間の空気に反発していた。ずっと。小さい頃から。無意識で。

 負けた側につぐなえと言うほうにも、変わらなければいけない部分があるのではないか。だからこそ人々は争うのではないのか。それなのに、なぜ頑固なまでに変わろうとしないのか。そういう怒り。

 変われないのに、助ける素振りは見せるのに、結局助けられないオーシアという祖国。

 弱者に寄りそう心、反発、怒り。それらが混ざり合い、ここまで来た。

 押し付けられ、押し付け、あがいて、変わらなかったのはどちらなのか。誰なのか。変われるのはいつなのか。

 なあ、とタブロイドは誰かに語りかける。家族に、友人に、上官に、正規部隊の同僚に、懲罰部隊の同僚に。

 俺はみんなが見ようとしない人たちを助けたいんだ。

 ——そうやって口ばっかりで、いつ助けるんだ。

 今。

「ジョルジュ! タブロイド!」

 うしろからエイブリルの「外に出るんじゃない!」という叫び声が追いかけるが、ジョルジュは一瞬立ち止まると、振り向きざまに「あの子をほってはおけん!」と叫んだ。

 その間にタブロイドが子供に近づいて「もう大丈夫だ」と抱きかかえると、今度は地下トンネルに向かって走り出す。

 無人機は空から落下するだけでなく、墜落の衝撃でバラバラになった機体が飛び散ることもあった。視界は燃える機体から出る黒い煙でさえぎられる。運任せで地雷原を走り抜けるようなもの。

「分かった。分かったからその子を早く! 急げ!」

 エイブリルは悲痛な面持ちで、必死に叫び続ける。

 ジョルジュは近くでつまずいた難民の中年女性の手を取って立たせた。その手をつかんだまま、引っ張るように走る。

 エイブリルの「走れ! 走れ!」という叫びは、もはや祈りそのものだった。一人でも多く、一人でも無事に。声が届けばなんとかなると信じて。

 女性の誘導を近くの難民に託したジョルジュは、今度はタブロイドのほうに走って近づこうとするが、煙の向こうを見て「破片が来るぞ!」と大声を張り上げた。

 空を見上げたタブロイドは、とっさに足を止めようとする。止まりきれずにバランスを崩す。子供を抱きかかえたまま転がる。間一髪、タブロイドと子供のすぐ近くに、無人機の羽の部分が地面をえぐるようにして突き刺さった。

 タブロイドは立ち上がったが、足をひねったのが分かった。痛みで顔をゆがめる。横にいる子供が不安そうな顔をしたので、タブロイドは(つと)めて笑顔を作った。

「大丈夫、次はこのおじさんと行くんだ」

 ジョルジュに子供を引き渡すと、強い眼差しで「頼む」と一言()える。子供を託されたジョルジュは、口元を真一文字に引き結んでうなずいた。子供をかかえ上げると振り返ることなく、地下トンネルに向かって走っていく。

 タブロイドも痛む足で走り出すが、次の瞬間、墜落してくる無人機の黒い影が地面を(おお)う。それに気づいたエイブリルが「危ない!」と叫んだ。

(あっ——)

 地対空ミサイルをかわそうとGに体をめり込ませた時の、でもぎりぎり生き残れるという感覚と、これは死という短い感覚。今回は後者で、避けるのは無理だと直感で分かる。

 結局、最後まで自分の手で助けることを完遂できなかった。また投げっぱなしにした。小さい時は、野良の動物を家族に。戦争中は、戦争そのものを懲罰部隊では一番強かったトリガーに。今は、難民の子供をジョルジュに。

(怒られるな)

 誰に。それが誰かは分からない。

 だけど誰かに。

「タブロイドッ!」

 名を呼ばれた人間は、次に起こる自分の運命を察して。

(でも上出来だろ?)

 いつも通り笑った。

 

END

 

   名乗りを上げよ

 

 カウントが空軍士官学校に入学が決まった時、家族は喜んだ。めったに褒めない父方の祖父も喜んだ。

 勉学とトレーニングにはげみ、情報収集にいそしみ、親の人脈をフル活用して議員からの推薦状をもぎ取り、健康診断を済ませ、身体能力テストを通過し、面接士官に連絡した。

 すべては努力による賜物。

 そう思っていたのに、優秀なベルカ系オーシア人はハンデをつけられるという噂を聞いてしまった。一九九五年のベルカ戦争では敵国であり、特に二〇一〇年の環太平洋戦争でオーシア空軍を混乱におとしいれた民族の血が流れている、という理由で。

 本当はもっと前から、そういう空気を感じ取っていたのかもしれない。ただ、実感がなかった。さらに嘘か(まこと)か分からない噂は、オーシア空軍内におけるベルカ空軍の神話を強固なものにしていた。

 員数外の第四四四航空基地飛行隊、通称懲罰部隊でトリガーの戦闘軌道を初めて見た時、カウントは本物が来たと思った。

 話を聞けば、親族にベルカ戦争を経験した元ベルカ空軍のトップエースがいるという。だからといってトリガーも同じ才能を持っているわけではないが、カウントは本物だと思った。

 懲罰部隊で一緒だったタブロイドもベルカ系で、彼の腕の良さは追いつける、追い越せると思えるものだったが、トリガーは違う。環境が激変しても慌てることなく対処し、懲罰部隊ではすぐさま撃墜王になった。

 トリガーとカウントは同じ年に生まれたが、就学年齢が違うため、カウントのほうが学年は一つ上。

 優秀な新入生が入ってくれば少しは話題になるが、トリガーのことは大きく話題にならなかった。彼より席次が上で、華やかな人間たちがいたからだ。むしろ隠れていた。

 思いきってトリガー本人に聞けば、「いやいや」と笑って否定された。

 ——勉強は頑張ったけどトップとまではいかないし……。でも、親戚が有名人だから、目立たないようにしてたのはあるかな。だけど評価がいじられるというのはないと思うよ。

 本人はそう言ったが、どうにもぬぐえないものがある。カウントは自分が優秀だと思っていた。席次もそれなりにいいほうだが、本当に優秀なベルカ系は、点数や評価が意図的にマイナスにされていたら。

 懲罰部隊から正規の長距離戦略打撃群ことロングレンジ部隊に異動すると、イェーガーというベテランパイロットがいた。彼は名字からしてベルカ系だった。中隊長になってもいい年齢や軍歴のはずなのに、そうではない。

 カウントはすぐに察した。彼は出世できないのだ。安泰を保つなら、なに一つ文句を言わず、今の地位にいるしかない。

 ——才能はそれなりにあるのに使い潰すとはな。もったいない。

 懲罰部隊時代の空中管制指揮官のバンドッグに言われた言葉は、褒めているのか皮肉なのか。おそらく彼は、才能を自らすり潰す人間に対して思うところがある。カウントはそう推察した。

 焦燥感なのか罪悪感なのか。恐れ、あせり、不安。なにかがペタリと常に張りついて、時折カウントの心をざわつかせる。

 嗚呼、自分は本当は優秀ではないのか。本来入学するはずだった、入隊するはずだった、ここに座るはずだった人間が別にいる。

 どれほど才能があってもベルカ系という理由で、優秀かもしれない人材は本来の場所へたどり着けず、どこかへ流されていく。

 そして流されたかもしれない人間は、今や灯台戦争の英雄一歩手前にいた。

 トリガーは空では任務一直線で、必要なこと以外は無口のようでいて、地上では無口ではない。他人とコミュニケーションを取れる程度に喋るが、肝心なところは喋らない。

 一緒に任務をこなすうち、彼は空を飛ぶことが好きで、命のやり取りに対して抵抗がなく、強い相手と戦うのが大好きな大馬鹿野郎なのはカウントにも分かった。

 巨大原子力潜水艦アリコーンでは正義の味方のような、本人からすれば気恥ずかしい動機で命令違反をして防いだ。タイラー島で起きたベルカ人研究者の家族の虐殺をあとから聞いて、「どこに行っても血からは逃げられないんだな」とつぶやいた。

 そういう体験をして本音を、と言っても全部喋る人間はいない。ある程度砕けたことを喋り始めて、カウントはトリガーが自分と同じ人間だと気づいた。

 翻弄しているようで翻弄され続け、周囲の勝手な噂と情報で形作られた世界で生きていく、ごく普通の人間。

 十月三十一日、カウントが空母アドミラル・アンダーセンの通路を歩いていると、向こうからイェーガーがやって来たので、トリガーが今どこにいるか知らないかと聞いたら、甲板にいることを教えてくれた。

 カウントは礼を言い、甲板で一人たたずんでいるトリガーを見つけると、「スクラップ・クィーンが捜してたぞ」と声をかけた。

「機体の調整具合を一度チェックしてほしいんだと」

「もう少ししたら行くよ」

 トリガーはただぼうっと夜景を見ている。ここから飛び降りそうというわけではないが、魂をどこか遠くに漂わせているような雰囲気。

 エルジアが接収した国際軌道エレベーターの巨大な守護者、無人航空機アーセナルバードの残り一機を沈め、戦争そのものを終わらせることを求める有志連合が軌道エレベーターを勝ち取った。そこまでは良かった。

 突如として新型無人機二機が現れ、有志連合の航空戦力はあっというまに削られた。

 この無人機について知っている凄腕の整備士、スクラップ・クィーンことエイブリル・ミードによれば、あのエルジアのエース、ミスターXと呼ばれるミハイ・ア・シラージの最新データを学習した機体だという。

 自律型で、軌道エレベーターの通信機能を使って自分たちのデータを大陸各地の無人機生産工場に送り、自らを増産しようとしているらしかった。

 つい先程まで人間同士の戦いだったのに、いきなり人間対機械の種を賭けた戦いにシフトする。予想外の展開。

「中隊長として明日の編成決めて、ほかの部隊の隊長と挨拶して、大変だな」

 カウントが隣に並んで日常の会話を始めると、「それな」とトリガーの表情が生きたものになる。

「中隊長って社交が多いからほんともう、ああーってなる」

 その答えにカウントは笑い、トリガーの背中を「ご苦労さん。中隊長様」とバンバン叩いた。

 おたがい、落下してきた無人機から子供をかばって亡くなったタブロイドのことは、(つと)めて触れないようにする。それは雰囲気で分かっていた。

「俺、本当は隊長向いてないんだよな。ワイズマンが俺をストライダー隊の隊長にしたの、強そうに見える奴が群れのリーダーなら、少しくらい生意気な奴があとから来てもねじ伏せられる…って理論だと思うんだよ」

「分かる」

「まあ、ロングレンジ部隊(うち)が本国勤務の超エリート部隊じゃないから、通じる技だと思うけど」

「それも分かる」

「イェーガーがその理論で中隊長まで任せると思わなかった」

「だったら断れば良かっただろ」

 トリガーが中隊長を継承した流れはスムーズだった。ストライダー隊の一番機でエースだから異論は出ない。

 なので、今のトリガーの言葉はカウントにとって意外だった。

「俺を無実の罪で懲罰部隊送りにした上層部のうしろめたい部分を利用できるって、こっそり耳打ちされるとな」

「策士だな」

「それに俺、小隊の隊長やってるし、回ってくる順番としては妥当だし」

 カウントは「ああー」と間延びした返事をして、「だな」と言う。

 ロングレンジ部隊は、サイクロプス隊とストライダー隊の二個小隊で編成される。部隊の中隊長でありサイクロプス隊一番機だったワイズマンは、九月十九日のファーバンティ攻略戦でミハイに撃墜され、戦死した。

 攻略戦と同時進行でおこなわれたのは、エルジア軍がハッキングした通信衛星群の破壊作戦。情報通信系統を破壊すれば、相手は大きく混乱して孤立するはず。オーシアがそう考えているということは、相手も同じ。

 結果、オーシアとエルジアは互いの軍事衛星を破壊。宇宙ごみ(スペースデブリ)を大量に生み、ほかの衛星も巻き込んで壊し、起こったのは大陸規模の情報の分断と混乱。

 エルジアは多くの小国を併呑した過去があるので、これを機に独立をもくろむ地域もあり、即座に群雄割拠が出来上がる。

 内も外も見通しが難しい状況だったが、部隊に空中分解のきざしが発生する前に、イェーガーはすみやかに部隊内の指揮系統を復旧させた。すなわち、ストライダー隊一番機であるトリガーを中隊長に昇格させたのである。

「だからこう、正規部隊の隅っこで、うまく生き残れる方法を模索しないといけないわけですよ」

「ここぞという決戦の前に、いきなり今後の人生設計を語ってフラグ立てるのはやめろ」

 二番機は隊長を軽くどついた。

「いやいや。だって戦争が終わりました、じゃあ除隊しますってわけにはいかんのですよ。できればギリギリまでいたいし。ベルカ系が安定した職業に就いて稼ぐというと、軍隊がいいんだよな。割引や特典も多いしさ」

「もう少し世界平和とか、そういう夢があることを語らないか」

「ではミスター・カウントにお聞きします。なにか壮大に語ることはありますか? はいどうぞ」

 トリガーは手をマイクのような形にして、カウントに向ける。

「あの無人機を倒さないと人類がやばそう」

「俺もそれくらいなんだけど。夢や理想は偉い人に任せるよ」

「実際のところどうよ」

「人が楽しく飛んでる場所を奪われるのは嫌」

 カウントは心底楽しそうな笑い声を出す。

「それでいいだろ。アリコーンは新しいクレーターができるのが嫌。あの無人機は空を奪うから嫌。シンプルに小さく分かりやすく、それでいいじゃねえか」

 トリガーは隣に立つ人間をまじまじと見ると、ゆっくりと笑みを広げていく。逆にカウントは「その笑い方、あやしいからやめろ」と嫌そうな顔をする。

「いやあ、いいこと言うなーと思ってさ。口がうまいってこういうこと言うんだな」

「褒めてるのかけなしてるのか、どっちなんだ」

 「褒めてんだよ」とトリガーはカウントを軽くどついた。

「いやさ。さっきまでイェーガーと話していて、あのエルジアの潜水艦で命令違反した件でおとがめなしだったカラクリ、聞かされたんだよな」

「カラクリ? そんなのあったのか」

 エルジアを離反した潜水艦アリコーンは、百万人規模の反戦デモと戦勝デモが繰り広げられるオーシアの首都オーレッドを狙い、戦術核砲弾(ミニ・ニューク)を撃ち込もうとしていた。

 アリコーンに関する作戦に協力したオーシア中央情報局の分析官デイビッド・ノースによれば、作戦決行日は九月十九日と予測された。

 その日はユージアの大陸戦争の終戦記念日。アリコーン艦長マティアス・トーレスが損傷した艦船から味方を助けて生き残らせ、勲章を授与され、英雄としてたたえられた戦争。

 その前にアリコーンを沈めなければならない。九月十四日、撃沈作戦がおこなわれ、激しい戦闘によってアリコーンは潜航ができなくなると、トーレス艦長は降伏すると申し出た。

 ロングレンジ部隊の隊員たちは嘘だとあやしんだが、空中管制指揮官のロングキャスターは、あくまで国際法に従って攻撃することを禁じる。

 トーレス艦長はその隙に虎の子であるレールキャノンを展開させ、オーレッドを狙った。そこをトリガーが命令を無視して砲身を攻撃したことで、発射された砲弾はオーレッドには直撃しなかった。

 その後は、作戦の現場指揮官でもあったワイズマンが撃沈命令を出し、レールキャノンの根元のコアを破壊した影響でアリコーンは真っ二つに折れ、海の藻屑と化した。

 任務は達成されたが、軍人である以上、命令違反の件は終わり良ければすべて良しとはいかなかった。

 が、ワイズマンとロングキャスターは、デブリーフィングで表立ってトリガーを問い詰めることはなかった。イェーガーもフォローするような形で、あとからさとすようにしかることもなかった。

 二日後、九月十六日の二時という深夜帯には、きたるべきエルジアの首都ファーバンティの攻略作戦の前線基地とするため、エルジア北部のレイニー岬にある空軍基地への奇襲作戦があった。

 さらに三日後の九月十九日、くしくも二〇〇五年の大陸戦争でのファーバンティ包囲戦と同じ日に、さらにアリコーンが核砲弾をオーレッドに撃ち込もうとした日に、今度は攻略戦がおこなわれた。休む間もない連戦。

 その攻略戦の前に、トリガーはワイズマンに呼び出されていた。命令違反の件は、結果的に百万人の命を救うことに繋がったので、上はそれを熟慮した結果、今後はハーリング元大統領の件で追及されることはないと伝えられた。

 なにか裏がありそうな言い方にトリガーは引っかかりを覚え、違和感の正体を聞こうとしても、ワイズマンから「今言えるのはそれだけだ」と先制して言われたら、引かざるをえない。その時は礼を言うだけに(とど)まった。

 それからはワイズマンの死、通信衛星破壊による混沌という怒涛の展開が続いたため、トリガーの命令違反の件はあっというまに忘れられた。

 と思ったら、この日になってネタバレをされる。

 おとがめなしになった発端は、撃沈作戦より前におこなわれた鹵獲(ろかく)作戦での現場指揮官ハワード・クレメンス准将が画策した、トリガー暗殺未遂の件。

 雲の上、あるいは派閥が別のところで、なにかがうごめいている。

 現場を指揮するワイズマンと情報を管理するロングキャスターはそれを察すると、自分たちの身を守るため、あるいは予想外のなにかに対処するため、策を講じた。「全部は教えてもらっていないだろうが」とはイェーガーの談。

 一つ、懲罰部隊時代の記録を見て、熱血漢な行動をするトリガーの可能性に賭けたこと。

 二つ、こちらはきちんと国際法に従っていることをアピールするため、ロングキャスターが攻撃禁止命令を出し続けてアリバイ作りをしたこと。

 三つ、結果的にトリガーの行動は、人道的見地から正しかったこと。

 四つ、それらを伏せるべきところは伏せ、暗殺未遂の件も絡め、これ以上元大統領の件にトリガーを巻き込まないように、上と直接取引したのはワイズマンであること。

 ——命令違反をした瞬間、止め続けたロングキャスターも指揮官のワイズマンも、君を怒らなかったし慌てなかっただろう?

 イェーガーにそう言われ、トリガーは思わず息をのんだ。彼らにとっては予測通り。

 あなたは最初から知らなかったのかとイェーガーに聞けば、「ワイズマンから含む言い方をされていたが、任務終了後に説明された」と答えられた。

 いざという時に頼りになるベテランを巻き込まず、部隊の責任者である自分だけを切り捨てられるようにという配慮。そこまで考えていた。

 そんな種明かしを、なぜ、今、言うのか。

 もっともな疑問に、イェーガーは「今だからだ」と答えた。

 ——国を超えたオーシアとエルジアの有志連合の団結は素晴らしいが、政治的にとても危うい。さらにロングレンジ部隊は、シラージで押し込み強盗の真似をした。これを切り抜けないといけない。

 つまり、この戦いを終えたあとのトリガーには、ワイズマンのような立ち回りが待っていることをイェーガーは説明した。

 渋い顔をするトリガーに、イェーガーは「冤罪の件は、お前が政治的なことに巻き込まれた時、一番威力を発揮する切り札だ。ここぞという時に使え」とアドバイスした。

「一人の有名人を殺した容疑を晴らすのに、百万人の一般市民の命がバーターに使われるって、分かっちゃいるけど露骨だよな」

 カウントは「政治ってやつだな」と鼻で笑う。

「お前がハーリング殺しの犯人だって決めつけられた時、ノースオーシア出身のベルカ系オーシア人で親族に元ベルカ空軍のエースがいるから俺になった、っていうのが露骨過ぎて逆に笑ったけど、今回も笑える」

 はあーとトリガーは盛大にため息をついた。

「まあ、有志連合は急ごしらえの寄せ集め部隊だからな。どさくさにまぎれて独立を宣言してるところもあるし」

「だったらこっちもどさくさにまぎれて、勝手に部隊名決めていいかな。最終決戦仕様ってやつ」

 「フラグを立てるな」とカウントがあきれたように言う。

「というか、イェーガー経由でロングキャスターからそう言われまして」

「なんで」

「オーシア軍の部隊名だと政治的に微妙だから、あとから適当に取りつくろえるようにボカしたいんだってさ。飛行部隊の総称は独立飛行隊(インディペンデント・スコードロン)というのにするらしいから、あとは部隊名をどうするか」

 それでさっきはどこか遠くを見るような表情をしていたのかと、カウントは得心した。

「だったら、時間的にさっさと決めないといけないんじゃないか? 候補ないのか」

 作戦開始時間は明日、十一月一日の朝七時。タイムリミットが迫っている。トリガーは長く悩んだあと、「……三本線(スリーストライクス)?」とつぶやいた。

「自分のあだ名つけるのか」

「身近なネタで悪くないだろ?」

「マジか」

「死ぬまで政治的にちょっかいかけられるなら、ここではっきりアピールしとかないとな。懲罰部隊ではしぶとく生き残ったし、ロングレンジ部隊では罪線を残したし、今回はシンプルに小さく分かりやすくってことで、スリーストライクス」

「なんだよそれ。決定打は俺か?」

 トリガーは「ほんと、いいタイミングで来てくれたよ」とすがすがしい笑みを浮かべる。

 こいつは投げ込まれた先で、飛び込んだ先で、今度は政治に満ちた世界でも生き残る気満々だと、カウントもハッと笑みを返す。

 これがトリガーの政治的な宣戦布告。第一歩。

「うちの一番機は怖いもの知らずの大馬鹿野郎で、たくましいねえ」

「こういう時はフラグ立てるなって言わないんだ」

「言ってほしいか?」

「我が隊の二番機さんに、この戦いが終わったらどうするのか聞こうかと思ってたんだけど」

 すかさずカウントは「だからそういうフラグを立てるな!」とトリガーをどつく。

「じゃ、シュトレン食べよう。シュトレン」

「ベルカの伝統的な菓子パンってやつ?」

「そうそう。クリスマスに向けて一切れずつ切って食べて…」

 二人は食べ物の話をしながら、夜の格納庫(ハンガー)へと一緒に移動する。たどり着いた先で、エイブリルから「遅い。いつまで待たせるんだ」と静かに怒られた。

「罰としてコーヒーとなにか食べる物、食堂から持ってきてくれ」

 確かに甲板で軽く語り合っていたしと、ちょっとした後ろめたさを持つ二人は、しおしおとした雰囲気で食堂に行くことになる。

 のちにオーシアの二つ頭がエイブリルに説教をされたと、周囲からまことしやかにささやかれる噂の遠因を作ったのであった。

 

END

 

   後書き

 

オーシアの教育制度や進学方法、飛行免許は、オーシアのモデルであろうアメリカを参考にしています。トリガーは罪線をパーソナルマークとして残したり、異名を部隊名にするあたり、歴代主人公の中でもトップクラスの我の強さだと思います。


 
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