No.1011558

恋姫†夢想 李傕伝 11

北宮伯玉回。
不幸な馬岱さん政務の鬼編は次。
華雄さんが大変お強いけど今回はあまり関係ない。
くっそ短けぇですのよ!

2019-11-30 06:26:33 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1173   閲覧ユーザー数:1157

『北宮伯玉』

 

 

 

 

 

 

 

 初日の被害状況は、西涼軍がやや優勢であった。

 主に閻行率いる二千の騎馬隊の全滅というのが大きく響いたが、軍全体の総数と被害を考えれば、西涼軍に軍配が上がる。

 しかし、馬超の負傷という情報はどちらの陣営にも流れ、特に袁紹軍には追い風となった。袁紹軍は今だ退くことなく平原に陣を構えたまま待機しており、主に袁紹の士気が大変高かった。

 

「おーっほっほっほ! 素晴らしい戦果ですわよ艶羽さん」

 

 高幹率いる一軍は、騎兵を迎撃するのに特化しており、その強さは閻行率いる二千の騎馬隊の壊滅と敵将馬超の負傷という大変な戦果をあげていた。

 袁紹は自身の姪という存在が西涼軍に打撃を与えたという結果に大層ご満悦で、天幕の中で高笑いをあげていた。

 しかしながら、袁紹軍の被害もかなりのもの。顔良は高幹軍の背後へ素早く撤退したため被害は少なかったが、文醜の率いていた軍はそれなりに死者が出ていた。全体的に見れば西涼が優勢という状況。しかし袁紹にとってはそれよりも西涼軍の将を負傷させたという出来事の方が大きかった。

 

「ですが麗羽お姉さま。私の迎撃は相手が騎兵だからこそ真価が発揮され、その最も輝く瞬間は相手が初めて対峙する相手であることに限定されます。このままでは今回のように戦果をあげる事は出来ないと思います」

 

 高幹は暗に退却を促していた。彼女が匈奴や鮮卑と戦うために鍛えた長槍兵は、騎兵の突撃を完全に無力化するだけの力を有していた。しかし西涼軍は歩兵も有しており、騎兵も五胡のように突撃のみを行う者達ではない事を理解していた。

 次は無い。

 そのため彼女は太原まで陣を退き、籠城へと移りたいと思っていた。このまま次の戦いに縺れ込めば、高幹軍は無視され、袁紹軍がひたすら狙われ数を減らしていく事は明白だった。

 高幹軍がいかに騎兵に強いといっても、今回のように草原の中に槍を隠しての迎撃は一回きり。それも武器を地に置いている為動くことは出来ないので、敵が迂回してしまえば何もすることは出来ない。

 なので次からは長槍を持った状態で、一般的な槍兵と同じように運用することになるが、その長い槍は重く、従来の槍兵よりも進軍速度は目に見えて落ちている。結局のところ、無視されて袁紹軍が狙われるというのがおちである。

 また西涼軍にはかなり優秀な軍師が居るという報告が入っていた。

 それも未来を見通す程の軍師が。そんな者達を抱えていて、匈奴や鮮卑のように再び突撃してくるとは思えないのだ。

 数が多いという利点を生かすには、籠城が最も効果的だった。

 

「いけませんわ艶羽さん! 私達はあの憎き李傕を討ち取るまで下がるわけにはいきませんのよ!」

 

「ですが―――」

 

「華麗に! 雄々しく攻め立てるのです! 私達が負けるなんてありえませんことよ!」

 

 袁紹は既に西涼軍を打ち破る未来を幻視していた。何せ馬超と言えば涼州を治める馬騰の娘にして猛将と名高い。その馬超を負傷させたとなれば勝ちも同然。そう考えていた。

 高幹は決して愚かでは無かったが、袁紹の意見を最優先してしまう所にのみ問題があった。このままでは敗北するという先見を持っていても、袁紹がそうするならばと従ってしまう。

 かくして袁紹軍は退くことなく布陣し続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めた時、天幕の天井が目に入った。

 思わず起き上がろうとしたが、激しい痛みに耐えかね、動くことは叶わなかった。

 

「やめておけ。しばらく安静にしておけと言われているぞ」

 

 声のした方へ顔を向けると、椅子に座って酒を飲んでいる華雄の姿と、鍼を持った張衛の姿があった。

 馬超は自分が死んだと思っていた。

 槍を使う者として、人の急所は良く知っている。自分が貫かれた脇腹は、いずれ死に至る傷であり、治療は不可能であるという事も。

 

「張衛の治療はすごいな。語彙力が少なくてすまないが、すごい」

 

「褒めすぎですよ華雄様。これも我が師の教えの賜物です」

 

「ごとべいどーだっけか。ありがとな。死んだと思ってたよ」

 

「あ?」

 

 馬超は素直に感謝の言葉を述べた、のだが、突如として張衛の様子が変貌した。手に持っていた鍼をまるで武器でも持つかのように握り、表情は無表情。先ほどまで華雄に褒められて、はにかんでいたのがまるで嘘のようだった。

 大きく見開かれた瞳からは感じられるものは空虚。

 

「五斗米道(ゴット・ヴェイドー)だ二度と間違えるな」

 

 普段丁寧な口調の張衛であるが、今発せられたのは命令。有無を言わさぬ様子に馬超は素直に首を縦に三度振った。

 もしもここでもう一度間違えれば殺される。そう思った。

 

「では、私は次の治療に向かいます」

 

 馬超がその言葉に頷いたのを見届けた張衛は、再びいつもの笑顔に戻っていた。

 その名を安易に呼び、あまつさえ間違えてはいけない。それをしっかりと理解した馬超であった。天幕から彼女が去った瞬間、自分が息を止めていたことに気づく。

 

「次は言い間違えるなよ。実を言うと李傕が言い間違えて張衛に殺されかけたことがある。笑える光景だったなあれは」

 

 華雄は何でも無い事のように言って笑ったが、それはかなり問題発言であった。

 笑っていいものかと迷っていると、ふと腰元に違和感を覚えた。視線を向けると、そこには閻行が馬超の体を枕にして、身を丸めて眠っていた。

 

「閻行は随分必死な様子でな、治療中も傍を離れなかった」

 

「燈が? そっか……」

 

 馬超は起さないようにそっと閻行の頭を撫でた。

 閻行が目を覚ました時、彼女は今までの彼女とは変わっているかもしれない。馬超が閻行を助けた時、随分と素直に返事をしていた。

 失敗は誰にでもある。かなりの犠牲は出てしまったが、失敗が大きければ大きい程得る物は大きく、立ち上がれなくなる可能性も高い。もしも閻行が立ち上がれなくなってしまうのならば、自分が支えれば良い。

 

「まるで母親と子供だな」

 

「子供……か。なぁ華雄」

 

「ん?」

 

「あたしに教えてくれないか? その、北宮伯玉の事を……大人になったという話を」

 

 華雄は酒を飲んでいた手を止めた。

 じっと見つめてくる華雄の瞳を、馬超は僅かも反らさず見つめ返した。

 

「……良いだろう。お前もしばらく動けなくて暇だろうしな。昔話をしてやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 涼州の馬騰が羌族との交易を行うようになってから、交易を行う部族と今まで通り襲撃を行う部族の二つに分かれた。

 北宮伯玉はたびたび涼州へ襲撃を行っていた羌族の一つの部族である。

 従える兵は精強であり、部族としての大きさはそれほどでもないが、強さは羌族一とさえ言われている程だった。

 敵軍約五千。

 三万の軍を率いて治無戴ら一行は彼女と雌雄を決する為に布陣した。

 李傕、治無戴、華雄がそれぞれ一万を率い、戦いが始まるのを待っていた。

 特にその戦いを楽しみにしていたのは華雄であった。李傕と出会い、何の気なしに訪れた羌の地で、彼女はすさまじい早さで武名をあげていった。

 羌の勇と名高い北宮伯玉。その人物と戦い、勝利すれば華雄の名はさらに上がる。

 治無戴が剣を掲げたのを合図に角笛が吹かれた。その音に合わせて治無戴ら一行も、北宮伯玉の兵も突撃を開始した。

 そして一人、華雄の元へと向かってくる者が居た。

 

「華雄! 待ってたぜ。俺様と一騎打ちしろや!」

 

 華雄の目の前に現れたのはかなり歳を重ねた女性だった。ほうれい線はくっきりと浮かび上がり、額や頬にも皺が見て取れた。しかしその体はまさに屈強。服の下からちらちらと見える腕や足などは筋肉が膨れ上がっており、彼女の胸はもはや大胸筋といっても過言ではないかもしれない。

 彼女はたった一人で華雄の目の前に現れた。一騎打ちの申し出に華雄は喜び勇み、承諾の返事をした。

 

「望むところだ!」

 

 二人は相対し、華雄率いる兵は一騎打ちの為に輪を作った。

 それは誰が考えたのか、一騎打ちの作法ともいえるものだ。

 本来ならお互いが率いてきた兵達が、敵であろうと味方であろうと構わず入り乱れて輪を作る。それは一騎打ちの最中に逃げ出さないようにという意味合いであったり、汚い手を使わず、どちらが勝利したかをお互いの兵が見届けるという意味合いがあった。しかし今回北宮伯玉が一人で出向いたという事もあり、その輪は華雄の兵が作っていた。

 しばらく二人は向かい合い、輪が広がり完成するのを待っていた。

 

「なぁ華雄。俺様はよぉ、お前と戦うのを楽しみにしてたんだぜ?」

 

「私もだ。羌の勇と呼ばれる北宮伯玉。こうして相対できることに感謝すらしている」

 

「ちげぇよ、この馬鹿! 俺様が言ってんのはなぁ! 俺様が! てめぇの下で共に戦える日を楽しみにしてたんだってことだよ!」

 

 輪が完成したと同時に北宮伯玉はその矛を手に華雄へと躍りかかった。

 すれ違いざまの一撃。彼女の矛は華雄の頭を上から狙い、華雄はそれをしたから振り上げて防いだ。

 ギンというけたたましい音は、それがどれほどの威力であったかを物語っていた。華雄は腕が痺れ、思わずすくんでしまったほどだ。

 

「部族全員ひっ揃えて、てめぇの下につくつもりでいたんだよ!」

 

「ならば何故戦う!」

 

 次は華雄が仕掛けた。

 戦斧を横薙ぎに胴を狙う。馬の加速も相まって、その威力は一撃必殺。しかし北宮伯玉はいとも簡単にそれを跳ね返した。華雄は体がのけぞるも、足で馬に意思を伝え常態を保った。

 

「てめぇは大人にならなきゃいけねぇ。じゃねぇといずれ全てを失う。だから俺様は決めたんだよ! そうなる前に俺様がてめぇを大人にしてやるってな!」

 

 一度のすれ違いざまに、北宮伯玉は二度打ち込んだ。横、縦。

 華雄はその攻撃を受けるので精いっぱいだった。矛を受けるたびに腕が感覚を失っていく。今までにない程死が近いという恐怖。だが、そんな状況だからこそ華雄は自然と口元が吊り上がっていく。

 これ程強い相手と戦う事が、楽しくないわけがない。

 

「楽しいよなぁ武と武のぶつかり合いってのはよぉ! 一騎打ちってのは楽しい。そう思うだろ! えぇ!?」

 

「ああ。楽しいな。今までにない程高揚している!」

 

 華雄は楽しかった。一騎打ちという武と武のぶつかり合いが好きだったし、北宮伯玉という恐ろしい強さを持った相手を戦えることが楽しかった。

 お互い馬を走らせ、回る。

 

「だがな、大人になったら楽しい事、好きな事だけをやってはいられねぇんだ。だからてめぇは今だにお嬢ちゃんなんだよ華雄。治無戴も、李傕ももう立派な大人になってんのによ」

 

 治無戴は族長という責任の重い役職柄、精神的な成長はとても早かった。李傕以外知り得ないのだが、李傕はそもそもにおいて人生二度目という事もあり、始めからして違っているのであるが、それを知る者は居ない。

 

「実はな、俺様はもう誰から一騎打ちを申し込まれても受けねぇ! それを聞いてどう思うお嬢ちゃん」

 

「相手の武に臆し逃げた。己の武に対する誇りは無いのかと言うだろう!」

 

「だろうな! 一騎打ちってのは戦場の花形よ! 勝てばその武が示され名声が飛び込んでくる。これ以上ないってわけよ。武人として誇りをもって、相手の申し出を受ける!」

 

 北宮伯玉は笑った。皺がより一層深くなり、にやりと笑った。

 

「だが、そんな誇りは羊に食わせて丸焼きにして食っちまったよ!」

 

 刺突。

 華雄は素早く戦斧の柄でその切っ先を防いだが、頬を掠め、痛みが走る。

 

「そろそろ大人になりなよお嬢ちゃん! この戦はてめぇの為に俺様が用意してやったんだからよ!」

 

 続けざまに北宮伯玉は言う。

 

「俺様はよ。てめぇに勝てねぇって知ってんだ。勝てねぇけど戦には勝つ。そこまでわかってるんだ」

 

「……何の話だ!」

 

「てめぇがお嬢ちゃんだから見えねぇ世界の話だよ。なぁお嬢ちゃん。羌族の兵士達はお前にとってどんな存在だ?」

 

 彼女の問いに華雄は迷わず答える。

 迷うことなど一つもない。

 

「仲間であり、友であり、家族だ」

 

「良いねぇ。だが仲間も、友も、家族も、失うのは辛ぇよなぁ!?」

 

 横薙ぎ。縦。横。

 反撃の機会を狙うも、一度でも判断を誤れば即座に死を迎える。自然と守りを固めてしまう。いや、その一撃の重さに反撃に出ることなど出来ない。

 

「俺様との戦いが終わって、てめぇは理解しなきゃなんねぇんだ。この戦にてめぇが敗北したって事実をよぉ!」

 

 お互いに走り出す。

 華雄の力を込めた一撃は、北宮伯玉の矛を弾き返した。

 

「気づくんだお嬢ちゃん。自分の目で見て、気づけ。そして自分が子供だったことを受け入れ、大人になれ!」

 

 北宮伯玉は息が切れ始めていた。

 心なしか矛の威力も衰え始めている。

 どれ程の肉体を持っていたとしても、歳には敵わない。それを如実に表しているかのようだった。

 

「お前の言っていることが何一つわからん!」

 

「わからねぇからお前はお嬢ちゃんなんだよ!」

 

 北宮伯玉に一気に迫り、華雄は戦斧を振り上げた。その一撃は北宮伯玉の体を袈裟斬りにし、鮮血が舞った。

 彼女は戦斧を防ごうとしたが、目に見えて速度が落ちており、間に合わなかった。

 

「良いねぇ……良い一撃だ。だが俺様はもう一度言うぜ……お嬢ちゃん……。大人になりな」

 

「だから何の話だ!」

 

「大人になったら見える世界があんだよ! 羌族の未来の為に統一を目指してんだろ! 大人の中に子供が紛れ込んでたらよ、そんなんは実現しねぇぞ!」

 

 重傷。そういうにはあまりにも深すぎる傷だった。わき腹から肩まで斜めに大きく切り開かれた傷。それでも尚彼女は倒れない。

 最後だ。

 華雄はそう意を決し、斧を構え馬を走らせた。

 狙うは彼女の首。

 横薙ぎの一撃で決まる。その瞬間の事だった。

 

「大人になったらよ! 駆け続けろ華雄! てめぇが馬を駆り続ける限り、止められる奴はこの世にいやしねぇんだからよ!」

 

 北宮伯玉は構えることも無く、馬の上でそう叫び、華雄の斧をまるで受け入れるかのように抵抗の一つもしなかった。

 瞬間。

 その首は刎ねあがり、華雄は血で染まった。

 

「北宮伯玉! この華雄が討ち取った!」

 

 輪を作っていた華雄の騎兵達が雄叫びを上げる。

 北宮伯玉を華雄が討ち取った。その報告が戦場に流れ、自然と戦いは終わっていく。

 

「お疲れ様。華雄」

 

「傷は無い? 見たところ大丈夫そうだけど」

 

 完全に相手の抵抗がなくなると、傷だらけの二人が華雄の元へとやってきて、ねぎらったり心配をしたりする。

 その時だった。

 華雄は気づいてしまった。

 

『俺様との戦いが終わって、てめぇは理解しなきゃなんねぇ。この戦にてめぇが敗北したって事実をよぉ!』

 

 北宮伯玉の言葉が華雄の頭の中で反芻する。

 李傕と治無戴。彼女達の率いていた兵の数が余りにも少なかったのだ。

 何故少ないか。

 そもそもにおいて当初は六倍近い兵力差があり、圧倒的優位に立っていたはずだった。

 華雄が一騎打ちの為に一万もの兵を止めなければ。

 二人は戦っていたのだ。華雄が一騎打ちの為に足を止め、兵を止めた。その間も二人は北宮伯玉の兵と戦っていた。

 もしも華雄が一万の兵を率いて戦っていたのなら、もっと被害は少ないだろう。華雄はそう考えた。

 

『なぁお嬢ちゃん。羌族の兵士達はお前にとってどんな存在だ?』

 

 仲間であり、友であり、家族だ。

 

『良いねぇ。だが仲間も、友も、家族も、失うのは辛ぇよなぁ!?』

 

 辛い。これほど辛いことは無い。

 華雄が、自分が一騎打ちという行いをしなければ彼等はもっと多く生きていたはずだった。

 共に笑い、怒り、悲しんだ彼等。

 自分が、彼等を殺してしまったのだ。

 自分の武名の為に。

 

『そんな誇りは羊に食わせて丸焼きにして食っちまったよ!』

 

 彼女は一騎打ちをしないと言っていた。己の武名を捨て、それ以上に大切なものを知っていた。

 

『てめぇは大人にならなきゃいけねぇ。じゃねぇといずれ全てを失う』

 

 もしも、華雄の一騎打ちが長引き、兵達が全滅したら。もしも、その中に李傕や治無戴が居たのなら。

 華雄は体が震えるのを感じた。

 

『楽しいよなぁ武と武のぶつかり合いってのはよぉ! 一騎打ちっては楽しい。そう思うだろ!? えぇ!?』

 

 楽しかった。今までにない程高揚した。

 

『だがな、大人になったら楽しい事、好きな事だけをやってはいられねぇんだ』

 

 そうだ。彼女の言う通りだった。

 自分はやるべきでは無かった。仲間を、友を、家族を一人でも多く生き残らせる為に兵を率いて戦うべきだった。

 

「あっ……ああっ……」

 

 涙が頬を伝った。

 自分の所為で失ってしまった者達。そして、自らの命さえ捨てて華雄にそれを気づかせようとした北宮伯玉。

 

『そろそろ大人になりなよお嬢ちゃん!』

 

 子供だった。自分がどうしようもない程子供であったことを理解した。

 

『大人になったらよ! 駆け続けろ華雄! てめぇが馬を駆り続ける限り、止められる奴はこの世にいやしねぇんだからよ!』

 

 それは彼女の、最初で最後の華雄への激励だった。

 

「あああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 華雄は泣いた。叫び、号哭した。

 突然何事か。華雄が泣くなど何事か。

 李傕や治無戴が彼女を心配して声を掛けたが、華雄は叫び、泣き続けた。

 子供のように。

 それは子供の特権だ。そして子供である華雄の、最後の号哭。

 己の楽しみの為に死なせてしまった者達への嘆き。己を成長させるために命すら投げ打った彼女への申し訳なさ。

 そしてなにより、愚かで幼かった自分への嫌悪。

 

『部下を全員ひっ揃えて、てめぇの下につくつもりでいたんだよ!』

 

 もしも自分がすでに大人だったのなら、彼女はこれから先自分と共に戦ってくれる存在であるはずだった。それがどれ程心強いか。あの北宮伯玉と自分が馬を並べて共に戦う未来。それを失ってしまったのは華雄自身だった。

 華雄は誓った。

 大人になると。

 華雄は誓った。

 彼女の遺志を、無駄にしないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いが終わり、治無戴と李傕は北宮伯玉の兵や部族の取り込みに関する様々な作業に従事していた。華雄は一人、天幕の中に居た。

 そこへ一人の女性が声を掛けて入って来た。

 華雄は一人になりたいと天幕に誰も近寄らせておらず、その場には華雄とその女性しか居ない。

 彼女は誰の目から見ても腹が大きく出ており、妊娠していることが分かった。

 妊娠している女性や小さな子供は非戦闘員である。羌の地において、これら非戦闘員はよほどのことが無い限り手を出してはならない存在である。羌族の未来を担う大切な宝であるからだ。

 

「私は今非戦闘員ですが、元々は兵士です。そしてこの距離ならば、私は貴方を確実に殺すことが出来ます」

 

 なんてことの無いように彼女はそう言い、短剣をちらりとその手から覗かせた。

 それでも華雄は表情の一つも動かなかった。

 暗い表情で、打ちひしがれたままの表情で動かない。

 

「私がここへ来たのは北宮伯玉様の伝言を、華雄様へ預かっているからです」

 

 北宮伯玉。その名前に華雄は反応を示した。

 目を見開き、次の言葉を待つ。

 

「『大人になったかいお嬢ちゃん?』とお伝えする様にと」

 

 華雄は目元が熱くなり、鼻がつんと痛くなった。だが、涙を流すわけにはいかず、ぐっとこらえた。

 彼女は最期の最期まで華雄の事を思っていたのだ。

 戦いの中でしか語り合えない不器用な者達が居る。

 北宮伯玉も、華雄も、そうだった。

 根本が同じだからこそ先が見えていた。

 諭しても受け入れないだろうと知っていたのだ。だから打ちのめし、現実を突きつけ、そして打ちひしがれたその心の後押しを、用意していた。

 北宮伯玉はきっと、誰よりも華雄の事を良く知っていた。

 己と同じ武にこだわる者。己が辿って来た道筋を辿っていく者。

 子供のままではいずれ全てを失うと彼女は言っていた。彼女はきっと過去に取り返しのつかない失敗をしたのだ。そして全てを失った。

 若き日の自分を、北宮伯玉は見ていたのかもしれない。

 彼女の言葉一つ一つが、若き日の自分へ向けた言葉。

 そして華雄が、若き日の自分がそうならないために、彼女は一騎打ちを行った。

 自分が勝てないと知っていると彼女は言った。

 本当は一騎打ちなんてしないと彼女は言った。

 それでもあの場に現れたのだ。自分が辿りたかった未来を、華雄に託すために。

 

「私は北宮伯玉様から戦の後の貴方を見て、その死に見合わぬようなら殺せとも言われています」

 

 涙をぼろぼろと流す彼女。どれ程北宮伯玉が慕われていたかが良く分かった。

 本当ならば敵討ちとしてすぐにでも華雄を殺したいはずだ。

 

「それで、どう思った?」

 

 華雄の問いかけに、彼女は伏した。

 膝を崩し、勢いよく頭が地に付き、がっと音が鳴った。

 

「北宮伯玉様のご遺志を、無駄になさいませんよう! 伏して、重ねて申し上げます!」

 

「……決して、無駄にはしない。彼女の死が、どれ程私を変えたか、どれ程私を強くしたか、いずれ天下にこの名が轟くことで知らしめよう。そう、約束する」

 

 華雄は声が震えていた。唇がわなわなと戦慄き、声は涙声だった。それでも涙は決して流さない。

 声を上げて泣きたい。しかし泣きたくても、もう泣くことは出来ない。

 

「大人になるって辛いな、北宮伯玉……」

 

 震える声で華雄は呟いた。

 頭の中にはあの豪快な声が、姿が、鮮明に思い出された。

 

 

 羌の勇、北宮伯玉。その死は、一人の子供を大人に変えた。

 手痛い犠牲と己の命を以って。

 かくして華雄は大人になった。

 突然人が変わってしまった華雄。その活躍は目覚ましく、その武、その指揮により圧倒的な強さを示した。

 人々は彼女を蚩尤と呼ぶに至った。

 人々は後世に伝える。

 北宮伯玉の存在が、蚩尤をこの世に甦らせたのだと。

 

 

 

 

 

 華雄は語り終えると手に持っていた酒に口を付けた。

 馬超は何も言わず聞き、そして華雄をじっと見つめていた。

 

「さて、長話が過ぎたな。良い子はお休みの時間だ」

 

 馬超を子ども扱いし、華雄は酒を手にたまま立ち上がった。

 天幕を出ていこうとする華雄の後姿を見て、思わず馬超は口を開いた。

 

「華雄、泣いているのか?」

 

「んん?」

 

 華雄は驚いたように振り返った。

 視線の先にはいつもと変わらない華雄の顔があった。別段目元に涙を浮かべているわけでもなく、悲しんでいる表情でもない。

 

「……怪我の後遺症か? 頭の治療を張衛に頼んでおくか」

 

 ずいぶんと酷いことを言われたが、馬超は否定できなかった。

 馬超にはそう見えてしまったのだ。彼女の後姿に、泣きじゃくる小さな子供を幻視していた。

 

「大人はもう泣けない。涙を流したのは子供だったあの日が最後だ」

 

 そう言って華雄は天幕を後にした。

 馬超は眠る閻行の頭を撫でながら思った。

 大人になんてなりたくないな、と。

 

 

 

 馬超が居る天幕を出た華雄は、空を見上げた。

 満月が一つぽっかりと浮かび上がっており、優しく吹く風は草原の青臭い匂いを運んでくる。

 

「北宮伯玉。お前も一杯どうだ?」

 

 月に向けて華雄は盃に酒を注ぎ突き出した。

 彼女がもしもここに居たのなら、きっと盃ではなく酒の入っている小壺をひったくって飲み干すだろう。

 あり得たはずの未来。それを失ったのは華雄自身。

 だが、華雄は彼女から別の未来を託された。

 彼女が歩みたかった未来を。

 華雄は盃の酒を煽り月を再び見上げる。

 

「戦神華蚩尤ここにあり。その活躍、その目で見届けよ。そして誇れ、お前が居なければ私は、ここには居なかった」

 

 酒の味は不味い。

 今も昔も華雄はそう思っていた。

 

『酒の味がわからねぇとかお嬢ちゃんだなぁ! えぇ!?』

 

 そんな声が、聞こえたような気がした。

 


 
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