タニグチリウイチの出没!
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タニグチリウイチの出没!
タニグチリウイチ

「リアル」vs「バーチャル」

「リアル」と「バーチャル」という言葉を使う時、どこかこの2つを対立しているもののように考えてしまうことが多い。「バーチャル」という言葉を、最近だったら「ネット」という言葉に置き換えてても良いけれど、現実に暮らしている世界を「リアルワールド」とするならば、ネットに広がる世界は「バーチャルワールド」あるいは「ネットワールド」で、現実の世界では得られない解放感なりを得られる世界として憧れたり、逆に現実での密なコミュニケーションは超えられない世界として低く見たりと、とにかく比較して考えてしまう。

たぶんそれは、「リアル」だけが絶対という暮らしを、地球に生まれて以来ずっと続けて来た人間が、コンピューターとかデジタルとかインターネットの登場で、「リアル」に近いんだけど「リアル」とは違う「バーチャル」というものに出会って感じた、受け入れつつもどこかに釈然とせず戸惑った気持ちを、ふりはらうことができずにずっと引きずったままでいるから、なんだろう。

けれども本当にそうなんだろうか。「リアル」と「バーチャル」は対立した概念なんだろうか。もしかしたら全然対立なんてしていなくって、むしろ同じものが違う見え方をしているだけなんじゃないだろうか。そんな疑問が、世の中に「バーチャル」なるものが溢れてきた最近、むくむくとわき起こって来ている。レコードがCDに代わったところで入っているのは音楽だったのと同様に(生でしか聴けなかった音楽がお皿に入ったという変化の方がむしろ大きい)、あるいは鉛筆がワープロに代わっても書かれるものは同じなように(違う、という人もいるけれど)、デジタルによって生み出された「バーチャル」は決して、「リアル」と対立したものではないのかもしれない。そんなことを「リアル」と「バーチャル」が結びついた場所で考えてみた。

仮想が現実を食い荒らす!?

アマゾン・コム
バーチャルビジネスの旗手、アマゾン・コムのジェフ・ベゾスがリアルなお宅にお買いあげの品物を配達。やっぱりフェイス・トゥ・フェイスがビジネスのカギ? (本当はCD取り扱い開始のプロモーション)

もちろんビジネスのような分野で、「リアル」の店舗が「バーチャル」の、つまりは「ネット」の店舗に駆逐されてしまうのでは、という経済的な面からの対立は存在している。「アマゾン・コム」のようなオンラインショップが大きくなって来た時に、当然だけど売り上げを減らす「リアル」の書店がある。ネットで本が買いやすくなったから、今まで買わなかった人も本を読むようになったんだ、マーケットを広げたんだという意見もあるにはあるけれど、日本出版販売とか、トーハンといった大手の取次会社が決算を見ても、本の売り上げは減ってこそすれ増えてはいない。「バーチャル」は確実に「リアル」を侵食している。

だからと言って「バーチャル」を「リアル」の対立概念のようにとらえるのは、やっぱり早計のような気がする。これから生まれて来る人たちは、オンラインショッピングが広がり、ネットでものを買うことが当たり前の世界に育つことになる。店内に並んだ品物をながめて歩き、欲しい品物をカゴに入れてレジへと運び、店員相手にお金を払って購入するという、今だったら普通の行動を知らずに育った人たちの意識に、ネットの中にある店は決して「バーチャル」とは映らない。絶対とまでは言わないけれど、それに近い迫真性を持った「リアル」なショップとして捉え、利用することになるのだろう。

映画『ファイナルファンタジー』
リアルなフルCG映画、日本人監督の全米ロードショー、日本劇場での日本人作品封切り等々、初物尽くしの映画「ファイナルファンタジー」。続編があればなおいいんだけど……

11日から全米で公開された映画『ファイナルファンタジー』は、ゲームソフトの『ファイナルファンタジー』シリーズを作ったスクウェアと坂口博信プロデューサーが、全精力と全財産、は大げさにしても社運をかけるくらいの意気込みで100億円を越える資金を投入して作った、すべてがCG(コンピューターグラフィックス)という作品。フルCG映画ならスティーブ・ジョブスが作ったピクサーの『トイストーリー』から最新のものではスティーブン・スピルバーグらが参加するドリーム・ワークスの『シュレック』まで、数々の作品が作られヒットしているけれど、スクウェアの映画版『FF』がこれらと決定的に違うのは、登場するキャラクターが「リアル」だということだ。

ここでいう「リアル」とはつまり、生きている人間と見間違えそうになるほど精密に描写されているということ。全米公開に先がけ、秋の日本”逆輸入”も見据えて上映された17分のダイジェスト版を見た限りでも、スクリーンに登場している女性や男性といったキャラクターは、表情から顔のしわ、髪の動きにいたるまで本物の俳優たちと大差がない。それでいて登場する俳優たちのいずれにも「リアル」の、つまりは現実のモデルが存在していない。過去をもたず一切のプロフィールを持たず、ただ『FF』のためだけに生みだされた「バーチャル」の俳優たちということになる。

押井守が映画『アヴァロン』で試した手法に、実在する俳優を撮影した画像をパソコン上に取り込んで、表情から演技のタイミングからすべてを自分の思うように加工する、というものがあった。映画になってスクリーンに映し出された映像は、デジタルで作り出された戦車などとの合成ともあいまって、全体がCGで作り出されたような印象があって、映画版『ファイナルファンタジー』が作り出したフルCGながらも「リアルさ」を追求した映像と、紙一重の差くらいしかないように思えた。技術が進めば差はさらに薄くなることだろう。

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