東浩紀氏(本誌編集協力)のウェブサイトで現在、興味深いコンテンツが進行している。メーリング・リスト形式の「網状書評」、「『戦闘美少女の精神分析』をめぐって」がそれだ。
確かに「MLで行われている討議を公開する」という提示形式は、ウェブ発信のコンテンツとしてはおもしろい試みだろう。メンバーは司会役に東氏、討議参加者に伊藤剛、斎藤環、竹熊健太郎、永山薫の各氏。(うち本誌関係者が三名!)ラカン派の精神科医でもある斎藤環氏の著作『戦闘美少女の精神分析』(太田出版、2000年)を議論の足掛かりとした、熱っぽいオタク文化討議がこの夏から始まっている。
とはいえ「戦闘美少女」というキーワードは、いささか耳慣れないかもしれない。簡単に説明すると、これは斎藤氏の造語で、要するに「戦う少女」のことを意味している。斎藤氏は「戦う少女」というアイコンにオタク文化の普遍性を指摘する。なるほど現状を顧みるなら、アニメやゲームで描かれる様々な「戦い」の主導権は、いつのまにか少女たちがガッチリ握っていることに気づくだろう。もはや「戦いは男の役割だ」なんて常識は、すっかり過去の遺物と化している。
とりあえず具体例をあげるなら『ナウシカ』とか『セーラームーン』、最近だと『カードキャプターさくら』や『少女革命ウテナ』なんかが思い出されるところ。「封印解除ーー!」の木之本さくらちゃん、「ぼくと決闘しろっ!」がメチャ痺れる天上ウテナ様は、もろに「戦闘美少女」していたわけなんだ。
それと同時に斎藤氏は、「戦闘美少女」に「ファリック・ガール」という専門的概念も与え、造語している。これは「ファリック・マザー」の対概念と考えてもらいたい。「ファリック・マザー」は精神分析の概念で、「ファルス=ペニスを持った母親」つまり「権威的に振る舞う女性」のこと。トラウマ(この場合、戦うべき理由)が回帰した、錯乱する女性のイメージがわかりやすいと思う。セックス&ヴァイオレンスに位置づけられた父である母、カサヴェテス監督の映画『グロリア』に登場するヒロインなんかは典型だろう。
では、それと「ファリック・ガール」の差異は何か。同じ戦う女性でも、たんに強くなった現代女性という文脈の置き換えではなくて、後者には外傷(トラウマ)が決定的に欠如している、というのが斎藤氏の考えだ。つまり戦うことの無根拠性。著書のなかで斎藤氏は、そのことを『風の谷のナウシカ』におけるクシャナとナウシカの対比から説明している。文字通りの外傷経験でおぞましき身体を負うクシャナ、一方でナウシカは反復する外傷と無縁の存在として描かれていた。ナウシカが戦う理由は、外傷にはない。同様の対比を『エヴァンゲリオン』のアスカと綾波で行ってもなかなか興味深いのではないだろうか。
さて、以上はずいぶん乱暴な整理かもしれないが『戦闘美少女の精神分析』は概ねこれらを軸に展開された、注目すべき「オタク・メディア・セクシュアリティ」論である。そこで編集部は、8月1日にロフトプラスワン(東京・新宿)で開催された同著書の出版記念イベント兼トークライヴをのぞいてみることにした。冒頭で紹介した「網状書評」ともリンクするし、タイミング的にもバッチリだ。以下、その模様をレポートしようと思う。>>次頁