オタク第一世代の自己分析 〜あくまで個人的立場から〜竹熊健太郎(編集家) Kentaro,TAKEKUMA
1960 年生まれ。編集家。神奈川県立座間高校在学中にミニコミ誌「摩天樓」創刊。高校卒業後、桑沢デザイン研究所に通うが一年で中退し、自販機ポルノ誌の編集者に。以後編集・ライター・マンガ原作等に従事する。著書に『サルでも描けるまんが教室』(相原コージと共著/小学館)、『私とハルマゲドン』(ちくま文庫)。編著に『庵野秀明パラノ・エヴァンゲリオン』『篦棒な人々』(共に太田出版)等。現在、スピリッツ増刊IKKI (小学館)に『追跡者〜幻の漫画家・韮沢早を追え!』を連載中。
■70 年代〜80 年代「オタク」はなぜ成立したのか? 第一世代からの証言中森明夫、浅羽道明、宮台真司ら(彼らは皆オタク第一世代に属す る)の論説にもあるように、いわゆる「オタク」と後に名付けられ ることになる層は、70 年代後半に急激に増加した。これはなぜか? →戦後の高度経済成長の成功による中流家庭の増加(オタクは中
流以上の経済的基盤なくしては成立しえない)。 ■90 年代〜90 年代中盤オタク文化の爛熟90 年初頭にかけて隆盛を極めるオタク文化。しかし反面それらは 「密教」「顕教」も含めて消費の一形態に過ぎず、消費されるべき資 源(この場合は作品や作者のモチベーション)はどんどん枯渇して いった。 →マンガにおいては「少年ジャンプ」のトーナメント連載方式に みられるように、ここでも「物語」が喪失していく(動物化?)。 ここにおいて、手塚治虫以降追求されてきた「物語を表現する 媒体としてのマンガ」は決定的な変質を迫られ、行き詰まり感 を強めることになる。89 年に「サルまん」を描くにあたって、 私にはそうした意識がはっきりあった。 ■95 年オタク的「大きな物語」の終焉95 年に発生した「地下鉄サリン事件」、そして「新世紀エヴァンゲ リオン」は、オタク第一世代がそれでも抱いていた「オタク版大き な物語」の終焉であると言える。
→地下鉄サリンはともかく、「エヴァンゲリオン」は「物語」の喪
失した時代でいかに「創作」を行うかを身をもって示した壮大
な実験であり、同時に消費のニヒリズム(密教)に埋没するオ
タク達への(作者の自己批判を含めた)異議申し立てだった。 ■95 年以降〜「動物化」した時代の中で「物語」を 紡ぐことは可能か?すでに万人がコミットしうる「大きな物語」が壊滅したことはほぼ 明らかである。このような時代にあって、私たちはどのような態度 で生きればよいのか?
→ひとつの方向としては「動物化」を徹底させること。げんに多
くの人がそのような傾向にあるが、しかしこれは危険な要素も
内包している。 |