【戦闘美少女の精神分析、その後】
- 戦闘美少女=ペニスに同一化した少女
- オタク男性は、彼女たちの所有者たるべく、「少女」の周囲に多
様な幻想(同人誌、フィギュア、SS 、評論)を形成する。
- 戦闘美少女のリアリティは、彼女たちが完全に虚構内存在、す
なわち欠如態であるがゆえにはらまれるリアリティである。
- 男性は女性を欲望する際に、彼女をヒステリー化している。
- ヒステリー化とはすなわち、女性の可視的な表層から、不可視
な本質を読みとり、その本質において彼女を所有しようと試み
る身振りである。
- 「戦闘美少女」は、視覚的に媒介された空間において反転した
ヒステリーである。
- 「反転」の根拠は、彼女たちの多くに「トラウマ」が欠けてお
り、同時に享楽=戦闘が可能であるという点にある。
- 彼女たちの本質とみなしうるものは、単純にその虚構性のみで
あり、それゆえ形態的な多様性が可能になる(猫耳、メイド服、
眼鏡、ショタ etc..)。
- それゆえ、彼女たちの形態がたまたま幼女に類似していても、
それは現実の幼女とはほとんど関係がない(→オタクは「ロリ
コン」ではあっても「ペドファイル」ではない)。
【オタクとやおいとの対比】
オタクの基本的欲望=キャラ萌え:視覚的欲望=所有する欲望、「持ちたい」
- 男性オタクの場合、欲望を持つためには、まずみずからを
象徴的に定位する必要がある(「オタク」の呼称への独特
の執着)。
- 欲望の対象は、常に幻想の側にあり、それを獲得すべく隠
喩的連鎖をたどりながら、「知」を生産する(=網状言論?)。
- しかし主体定位への欲望が最終的には優位であり、このた
めついに欲望の真の対象を掴むことはできない(→オタク
男性はしばしば、日常においても異性のパートナーを必要
とする)。
やおいの基本的欲望=位相燃え:関係性への同一化=「なりた
い」
- (やおい)女性は、象徴界には欠如した存在という定位し
か獲得できない。これは、やおい作品においてほぼ完全に
女性が排除されている事実に対応する。
- 男性同士がホモセクシュアルな関係におかれるという設定
は、「男性」に力点がおかれているわけではない。均質な存
在であること、ペニスとアヌス(ではなく「やおい穴」説
あり)を備え、攻め-受けの関係性が形式化しやすいこと
に意味があるだろう。
- ファリックな関係性を所有しようとするのではなく、関係
性そのものに同一化を試みること=享楽の次元への接近
(やおい女性はしばしば、日常における異性パートナーを必
要としない場合がある)。
【なぜ少女なのか?】
- 「情報化幻想」への性的抵抗
セクシュアリティは象徴的次元で決定づけられるため、情報化
(=データベース化)できない。すなわち、表象のデータベース
を利用して、欲望の対象を恣意的に構成することは不可能であ
る。
- 語ること→物語化への欲望の根底には、セクシュアリティの問
題がある。
- ファリック・ガールの変形としての「ショタ」
- 宮崎アニメにおける少女の機能
ナルシシズムの投影としての美少女のイコンが、宮崎の創造性
の根底にある。
宮崎アニメが本来的にはらんでいる生命論(=全体化)志向を、
美少女のイコンが去勢する。
- 少女への投影がもたらす創造性
奈良美智、ヤン・シュヴァンクマイエルらにおける少女の機能
性交不可能な対象としての少女イメージがもたらす単為生殖
(パルテノジュネーズ:ドゥルーズ)に基づく創造性
- 「戦闘美少女」はオタク的欲望の最大の結節点であると同時に、
創作活動においては多産性をもたらす。
- その機能において明らかにされるのが、オタク論を可能にする
超越論的視座、すなわち精神分析の視座にほかならない。