■乙女ちっく作家
太刀掛秀子…“たちかけひでこ”と読みます。ご結婚前のご本名ということで、ごついイメージのあるお名前です。あだ名は、“でこタン”、“てりいたん”。
太刀掛秀子先生は、陸奥A子・田渕由美子先生と並ぶ70年代りぼん系乙女ちっくの中心作家1人です。
1973年第6回りぼん新人漫画賞で入選し、1973年『りぼん10月増刊号』において「雪の朝」でデビューされました。今まで47回を数える「りぼん新人漫画賞」において、ただ1度の最高賞である入選でのデビューです。
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「花ぶらんこゆれて…」1巻
(c)太刀掛秀子
集英社 りぼんマスコットコミックス 全4巻
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そして、陸奥A子、田渕由美子先生に続いて、『りぼん』で乙女ちっく作家の旋風を巻き起こし、1976年の初連載作品「なっちゃんの初恋」(「P.M.3:15ラブ%ポエム」からという話もあります。)では、後に『りぼん』の漫画家となる水沢めぐみ先生に「『りぼん』で漫画家になる。」と思わせたほどのカリスマ作家となりました。大学を卒業され、専業漫画家となられた太刀掛先生の人気はさらに加速します。1978年〜1980年に連載された「花ぶらんこゆれて…」は少女マンガ界に名を残す代表作となりました。きっと、太刀掛先生の作品をこれから読もうかなという方の多くは、70年代に『りぼん』で活躍した乙女ちっく作家の1人であるという認識と共に、「花ぶらんこゆれて…」を手に取ることでしょう。
昔も今も乙女ちっくマンガというのは、少女マンガ史の中で、多少揶揄される対象になっています。例えば、横森理香「恋愛は少女マンガで教わった」(クレスト社、1996年、P82〜83)の中では、陸奥A子・岩館真理子先生方の作品を挙げ「なんにもなくて、よっくあそこまで思っていられるねー」「片思いにかけるパワーや感情の濃さがスゴスギー!」「こういうロマンチックな女の子たちが、ほんとうに女らしい、優しい、フェミンな、素直な女性として育った女たちなのだろう」「奥ゆかしくて傷つきやすく、超一本気で、悪く言えば、頑固で執念深い女たち…」という具合にです。私はこのような感想は正しくもあり、間違っていると思います。
私は、“乙女ちっく”とは「恋する自分に酔っている恋」を描いた作品ではなく、「好きなものを大切に思い続ける勇気」を描いている作品だと思っています。そういう想いは、少女の時にしか持ち得ないものであり、さらには少女が女に成長する過程も描く事ができるのではないかと感じます。つまり、“女”としてキレイな部分だけではなく、卑しい部分をも合わせて描く事が可能なのです。少し間違えると、横森理香さんの指摘される通りの作品が出来上がってしまうのは確かだと思います。乙女ちっく作品には、紙一重に傑作にする手腕が必要なのです。
70年代の『りぼん』乙女ちっく作家としての太刀掛先生の評価は、すでに数多くされています(注1)。そして、代表作「花ぶらんこゆれて…」の紹介も数多くされています(注2)。ここでは、少女マンガ史においてあまり触れられていない太刀掛秀子先生をご紹介したいと思います。>>次頁
(注1)
太刀掛秀子先生は、陸奥A子・田渕由美子先生と共に、りぼん乙女チックマンガの担い手の1人として、少女マンガ界で評価されています。1970年代の『りぼん』の乙女ちっくについての記述は、数多く文章となっています。
1、2は、一般的に言われている乙女ちっくの流れを知るには最適なもの。4は乙女ちっくについての詳しい1冊。詳しく知りたい人向け。4、5は、女性による文章で、リアルタイム読者からの乙女ちっく像が書かれてあります。
- 村上知彦・高取英・米沢嘉博「マンガ伝」平凡社、1987年。P109。
- 別冊太陽「少女漫画の世界 II」平凡社、1991年。P114、115。
- 大塚英志「たそがれ時に見つけたもの」太田出版、1991年。
- 荷宮和子「少女マンガの愛のゆくえ」光栄カルト倶楽部、1994年。P99〜114。
- 別冊宝島「70年代のマンガ」宝島社、P145〜157。
(注2)
「花ぶらんこゆれて…」は少女マンガ史に名を残す名作です。
- 別冊宝島316「日本一のマンガを探せ!」宝島社、1997年。「恋に一生懸命!」
- 別冊太陽「少女漫画の世界 II」平凡社、1991年。「平成に読める昭和の少女マンガベスト百」。
- 少女漫画発掘研究所「だって読みたいんだもん 少女マンガベスト100」ソニー%マガジンズ、2000年。
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