■ 衝撃の結末 (ネタばれ注意)
※ 注意
検索エンジンで「岡崎京子 ヘルター・スケルター」というキーワード等でここに来てしまった皆様へ。
以下の文章には、『ヘルター・スケルター』のラストに関する記述が含まれています。知りたくない方は、この先を読まないことを強く推奨いたします。
しつこいようだが、一応念押ししておいた。さて『ヘルター・スケルター』のラストである。
付き人の内部リークにより、ついにマスコミに整形がばれてしまったりりこ。そのとき既に、彼女の体も心もボロボロな状態であった。
せいいっぱいメイクして釈明の記者会見に望もうとするりりこ。しかし彼女は、そのとき記者の目の前で自殺を図るつもりだった。
だが、彼女は記者会見直前に謎の失踪をする。えぐり抜いた自らの左目を楽屋に残して。
数年後、メキシコにてロケ中の吉川こずえ。スタッフに連れられてフリーク・ショーを見学する。そこで出会ったのは、自らを見世物として出演しているりりこの誇らしげな姿だった。
物語は、
タイガー・リリィの奇妙な冒険の旅は始まっていた。
しかし、それはまた別の機会に
という言葉で締めくくられている。
『pink』のラスト、主人公ユミちゃんは、東京を離れ彼氏のハルヲくんと一緒に南の島へと旅立とうとする。しかし、ハルヲくんは突然の交通事故にあい死亡。彼女が決して東京を脱出できないであろうことを暗示して終わる。
『リバーズ・エッジ』、様々な事件に見舞われた主人公ハルナは転校することになる。最後に好意をもっていたイジメられっ子、山田君と橋の上で会う。しかし愁嘆にくれるという感じではなく、一つの日常が終わる時間が淡々と描かれているだけだ。二人とも明日からは、新しい日常が始まるだけだということを知っているように見える。
そして『ヘルター・スケルター』、岡崎京子の漫画は、ついに東京を脱出した姿を描いた。日常に区切りをつけ冒険へと旅立った主人公を描いた。最初にこれを読んだときの驚きは忘れられない。
りりこは無傷で東京という日常を脱したのではない。上記したように、自らの左目、数少ない整形を施していない部分である眼球を、その代償としてえぐり出している。楽屋に残された眼球は、グロテスクであるがどこか爽快感すら感じられる。そして整形の副作用でボロボロになった体であるが、彼女はその体を受け入れ共に生きることを選んだのだ。
破滅への道を描いていた作品が最後の最後で、旅立ちの物語であったことに気づく。この巧みな構成にも驚かされる。岡崎京子は、予言者ではない。彼女こそ、ストーリテラーという名にふさわしい作家であり、それに何より「漫画家」であるのだ。
実は筆者はこの作品をリアルタイムに掲載誌上で読んだわけではない。初めて読んだのは、国立国会図書館でだ。そのとき、余計なことを考えず一心不乱に読み進めていった。りりこがどうなってしまうのか? それしか考えていなかった。
これは知りあいの漫画家からの受け売りだけど、もし漫画に効用があるとすれば、「時が経つのを忘れさせてくれるくらい夢中にさせてくれる」ということだけだろう。これは少年漫画も少女漫画も変わらない。『Slum Dunk』も『ガラスの仮面』もこの点では同じだ。
『ヘルター・スケルター』を読んでいる間、「時が経つのを忘れさせてくれるくらい夢中」になっていた。冒頭に書いたように生き方マニュアルや心理学のテキストとして漫画を読んでいたら、こういう楽しみは決して味わえない。
■おわりに
繰り返すが、『ヘルター・スケルター』は現在気軽に読むことのできない作品だ。しかし近い将来必ず単行本化されることだろう。そのときには、きっと岡崎京子本人による加筆修正が施されているだろう。TINAMIX読者には、その日までこの作品のことを忘れないでいてほしい。
最後に、岡崎京子、ことに『ヘルター・スケルター』に関する文章ということでわざと音楽の話は避けていたのだが、最後に一つだけ。
作品名の由来となったザ・ビートルズの『ヘルター・スケルター』という曲。この曲の最後には、ドラムのリンゴ・スターの叫び声が入っている。
"I've got blisters on my fingers"
訳は、「(ドラム叩きすぎて)指にマメできちまったぜ」。
これを聴くと、「きっと岡崎京子の指には、ペンダコができているだろうな」なんて思ってしまう。彼女くらいの生まれついての漫画家なら、当然のことなのだが。◆
本文:もとむらひとし
本稿を書くにあたって、仙台メディアテーク学芸員 清水有氏より多大なご示唆をいただきました。
ありがとうございます。
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