TINAMIX REVIEW
TINAMIX
青少年のための少女マンガ入門(13)松苗あけみ
■後悔したくなければ、飲み過ぎには注意
松苗 例えば少女マンガに出てくるカッコイイ男の人ってだめなんですよ、私。『嗚呼!、花の応援団』(どおくまん)の青田赤道とかが好きなんです。なぜかというと男が描いているから。

上記引用したのは、今回紹介する『純情クレイジーフルーツ』の作者、松苗あけみのインタビュー、文芸誌「鳩よ!」(角川書店)1998年4月号より。『嗚呼!、花の応援団』の青田赤道といえば、日本のマンガ史の中でも一ニを争うお下劣主人公だ。なにしろ、セリフの30%ぐらいは「おめこ」と叫んでいる、粗暴乱雑品性下劣を絵に描いたような男。ついでに書いとくが、『嗚呼!、花の応援団』読んだことない人って、人生少~し損してると思う。

純情クレイジーフルーツ
『純情クレイジーフルーツ』前編(前後編)
(C)松苗あけみ
集英社/ぶ~けコミックス
(現在は集英社文庫版が発売中)

上記発言を踏まえるまでもなく、松苗あけみのマンガにはどこか少女マンガ離れしたところがある。なにしろどの作品にも、カッコイイ男なんて出てきやしない。外見はカッコイイのだが、話が進むにつれ、マザコンだったり、甲斐性なしだったり、臆病だったり、やることしか考えてなかったり、純真な少年もつい年上のお姉さまの誘惑に負けてしまったり、えとせとら、えとせとら。

もちろん『純情クレイジーフルーツ』も例外ではない。『純情クレイジーフルーツ』(以下、『純クレ』と略す)は、今は亡き少女漫画雑誌『ぶ~け』誌にて1982年7月号から12月号まで連載。その後好評に応え復活し、1985年2月号から1988年3月号まで連載された。単行本(ぶ~けコミックス版)で、計11冊とかなり長い作品である。今年で活動歴24年目になるベテラン松苗あけみにとっての代表作といえよう。

この作品の主軸は、丸の内女学園の生徒、主人公吉原実子と、政経の教師である小田島先生の恋愛話である。ということで、メインとなる男性キャラは小田島先生ということになるのだが、こいつもやっぱりカッコイイ男ではない。絵的にはダンディでカッコイイといえるだが、「世間ではこういう男を甲斐性なしという」と自嘲してみたりと、どこか少女マンガ的理想の男性像とかけ離れている。

極めつけはこのエピソード。実子と小田島先生、一緒に一夜をベッドで過ごした。でも二人とも覚えていない。結局何もなかったことが判明。こういう少女マンガのお約束的エピソードでも、その何もなかった理由がとんでもない。その夜のことを思い出した小田島先生のモノローグ、

「途中までいったのに酒の飲みすぎで失敗したなんて男としていえるか。思い出したくない思い出してしまった男の気持ちが」

…とてもカッコイイとはいえない。いや、男としてはとても笑えず身に詰まされるセリフだ。

■ 女によって描かれる男

松苗あけみの場合、他のマンガも同様、でてくるのはダメ男ばっかりである。でも、内田春菊や南Q太の一部の作品のように、「ダメ男糾弾!!」という肩に力が入ったところは見うけられない。かといって、「男ってダメなところが可愛いのよ、よしよし」といった、あつかましい母性も感じられない。「青田赤道が好き」というインタビューそのまま、「そういうダメなところこそ、男のおもしろいところじゃないの?」という描きっぷりである。

冒頭で引用した雑誌「鳩よ!」のインタビューは、こう続く。

松苗 『BANANA FISH』(吉田秋生)のアッシュにしてもよく描けてるなと思うんですけど、少年マンガのガサツな男のほうが魅力を感じると。少女マンガに出てくるいい男なんて、所詮は宝塚の男役じゃん、ていうのからどうしても抜けられなくて。少女マンガ家としては失格かな。

一見謙虚なようだが、かなり過激な内容だ。松苗あけみのほぼ全作品を読んだ身としては、作家としての自信の表れと読み取りたくなる。

「宝塚の男役っぽい女に都合のいい男なんて、そこらの少女マンガ家に任せとこ。私は、もっと普通に男を描く。そうすることで少女マンガ家失格と言われても、全然気にしない」

いささか曲解した向きもあるが、これくらいは心の中で考えているのではないだろうか?

こうして考えていくと、ここ数年流行ってた「ダメ男糾弾!!」型のマンガって、男に「宝塚の男役」的男性像を求めて裏切られた結果を描いているだけ、という気もしてくる。「少女マンガの男と違って、気が利かないし、『やらせろ』しかいわないし、最低!!」ということを描いているも同然なことがままある。一見、伝統的少女マンガから離れているようだが、根っ子では間違いなく繋がっている。ようは「宝塚の男役」的少女マンガと表裏一体の関係にあるといえよう。まぁ、内田春菊や南Q太の作品にはこういった部分以外にも、もっと積極的に語られるべき優れた点があるのだが。

松苗あけみの作品からは、「宝塚の男役みたいな男なんていない」という諦念にも似たものが感じられる。たとえどんなお金持ちでも美形でも、必ずどこかダメなところがある、ということを、どの作品でも描いている。かといって、「良いところだけじゃなく、ダメなところも認めてこそ、本当の愛なのです」といった大仰なご託宣らしきものもない。「まぁ、どんな男にもいいところ悪いところあるもんだ」とばかりに描写しつつ、「でもまぁ、そういう良い悪いと恋愛ってあまり関係ないのかもね」という感じだ。伝統的な少女マンガの恋愛ストーリーと一線を画した作風である。こういうところが、松苗あけみのマンガを読んで、どこか少女マンガ離れした印象を受ける原因だ。>>次頁

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