No.994367

Nereis(5/30完結)

前回は違う趣の聖域でしたが、久しぶりに本編の聖域に帰ってきました。今回のオリキャラはあの大物キャラの弟という設定です。後半であえてタグに入れなかった人物が出てきますが、ストーリーはロスサガです。完結日5/30はサガとカノンのお誕生日。双子座ちゃんおめでとう♪(*´ω`*)

2019-05-26 21:22:01 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:1178   閲覧ユーザー数:1157

雲一つない青空が広がるギリシャ聖域。聖戦を終えて平和な世界を取り戻した今も、残党や他の神兵による奇襲に備えて世界中から情報を集め、常に緊張感をもって教皇や聖闘士たちによる偵察が行われている。ただ、本日の教皇宮は少し様子が違っていた。庭園添いの長い廊下に若者たちの朗らかな笑い声が響いている。

 

「フランス滞在中に貴方にお会いするとは思いませんでした。偶然とはいえ本当に驚きましたわ。」

 

珍しく日本から聖域へ帰ってきている沙織は、親しげに横に並ぶ長身の美男子に話しかけている。彼はスカイブルーに煌めく見事な髪をかきあげ、熱い視線で沙織を見ていた。

 

「私もですよ。しかも弟を紹介することが出来て嬉しい。ミス・サオリと初めて会ったあのバースデーパーティーの時は、弟はギリシャにいませんでしたからね。」

 

そう言って、ジュリアン・ソロはちらりと後ろを振り返った。二人から少し離れた所を、彼の弟と案内役の現教皇アイオロスが並んで歩いてくる。ジュリアンより3つ年下の13歳という弟は、優れた容姿も高身長も兄譲りで、まさに大富豪の御曹司らしく非の打ち所がない美少年である。長く緩やかにウェーブする髪はジュリアンよりもやや明るめで、その瞳は彼らの母と同じだという澄んだイエロートパーズだった。

 

「弟ジュディスはとにかく乱暴で落ち着きのない子で、小さい頃は両親も本当に手を焼いてました。彼がギリシャを出るキッカケになったのは、学校で大乱闘を起こしたのが原因なんです。」

 

「まあ、どうしてそんなことに?」

 

「“ジュディス”っていうのはもともと女性につける名前でしょう?母が、二番目の子は女の子がいいっていう強い願望があったらしくて、彼が生まれたらそのまま名前をつけてしまったんです。それを学校でからかわれてクラス中を巻き込む大ゲンカ。ついに教師が父に泣きついて、翌日から弟は国外追放になったというわけです。」

 

「追放ですって?」

 

「怒った父が彼をイギリスのものすごく規律の厳しいカトリック系の学校に放り込んだんです。ワガママの許されない寮生活で、さすがの弟もついに改心したらしくて。聖戦後、ギリシャに帰国した時にはすっかり大人になっていて驚きました。今までソレントと二人で世界を慰問に周っていましたが、弟の帰国を機にもう一度ギリシャで一族を立て直すことにしました。ソレントにもそのまま秘書として残ってもらうつもりです。」

 

二人の話し声に目ざとく反応したジュディスは、彼らの後ろから割って入るように大きな声で言った。

 

「ちょっと兄さん!僕の話してるの? 女性を口説くのに僕の話題を使わないでよね。」

 

「とんでもない、“聖域のお庭は綺麗だね”って話をしてたのさ。」

 

四人は応接室に入った。この部屋は聖戦後に増築され、全面ガラス張りで遠方にエーゲ海の素晴らしいオーシャンビューを眺めることができる。突き抜けるように高い天井には、優れた画家による女神アテナとその眷属神たちのフレスコ画が描かれていた。十二宮の中でもアテナ神殿に次いで高い位置にある教皇宮の特徴を活かしたデザインは、ここを訪れる他の神域の要人たちもため息をつくほどの見事さだ。ソファに座るとすぐに侍女がティーカップに紅茶を注ぎ始めた。

 

「お二人はこの後どうするんですか? 良かったら僕は席を外しますけど。」

 

「こらジュディス。ミス・サオリに失礼だぞ。」

 

四人はそこでもしばらく話をしていたが、ジュリアンが早く沙織と二人きりになりたくてソワソワしていることを気づいたジュディスは、隣にいるアイオロスに声をかけた。

 

「僕、お茶はもういいや。ねえアイオロス、もう少し付き合ってくれる?兄さんの統制していた王国は海底だし今はもうないから、他の神域を見るのはすごく興味が湧くんだ。ねえ兄さん、夕方ここでまた落ち合う感じでもいいでしょ?」

 

「私はいいけど、アイオロス殿は教皇だ。お前に構っている暇はないんじゃないのか?」

 

「兄さんだって女神アテナを独占しようとしてるじゃないか。」

 

ジュリアンと沙織は顔を見合わせて赤くなった。神々の化身とはいえ、彼らは現在のアイオロスより遥かに年下の若者である。神話の時代もきっとこんな風に見目麗しい神々が恋に戯れていたことだろう。アイオロスにも“この人こそ”と心に決めている大切な存在がいる。ジュリアンの想いを応援したい気持ちが湧くのも当然だった。

 

「私は構いません。今日はそれほど急ぎの案件がありませんので、私の任務については黄金聖闘士たちに手分けして任せても大丈夫です。」

 

「でしょ? じゃあ、行ってくるから! 二人ともゆっくりお話ししててね。」

 

照れ臭そうなジュリアンと沙織を残して、ジュディスは元気よくアイオロスの手を引っ張って応接室を出て行った。

 

 

ジュディスは不思議な少年である。年の頃で言えば星矢と同じだし、アイオロスが一度この世から消えた年齢とは一つ違いである。しかし、ジュディスは13歳という年齢が持つ一般的な印象とは妙にかけ離れたところがあった。まず、彼の内側から発する得体の知れない何かが、彼自身に異様なほどの色香を与えており、アイオロスはそれを感じるたびに言葉では説明のできない眩しさを感じて目を細めた。その“何か”が小宇宙なのか、それとも海皇ポセイドンの化身であるジュリアンの実弟であることが影響しているのか定かではない。本人は“自分は何者の化身でもない”と言い切っているが、彼はまだ力が覚醒していないだけなのかもしれない。アイオロスの腕にしがみつき、屈託のない笑顔で楽しそうに喋る姿は愛らしささえ感じるほどだったが、ジュディスが発する“何か”のせいで完全に心を許す所まではいかない。

 

無垢なのか、それとも計画的なのか………

 

射手座の黄金聖闘士であり現教皇でもあるアイオロスは、この勘が果たして合っているのかどうなのか自身の頭の中で押し問答を繰り返していた。

 

「ねえアイオロスは何の料理が好き?」

 

「アイオロスは恋人いるの?」

 

「アイオロスって黄金聖闘士の中で一番強いって本当?」

 

自分を見つめるどこまでも純粋で透き通った瞳。まるでこのギリシャの空にも似て穢れがなく、その輝きは女神アテナの化身である沙織や彼の兄ジュリアンと同じものを思わせた。彼女らに似ているということは、やはりこの少年がいずれかの神の化身である可能性を秘めている証拠だろうか?アイオロスは彼に注意を向けながらも朗らかに相槌を打ち、答えられる質問には一つ一つ丁寧に答えていた。そのうち、鼓膜を突き破るような一際大きい声が耳元で上がったので、アイオロスは思わずのけぞった。

 

「あの人!!すっごく綺麗だなあ…… ねえアイオロス、あの人は誰? 侍女…… にしては背が高いね。まさか男性?」

 

彼の指差す方向にその人物がいた。ライラックカラーの法衣を身につけ、控えめな宝飾品が彼の容姿をより一層清楚に見せている。彫像のように整った顔、夢を見ているようにいつも潤んでいるエメラルドグリーンの瞳。青銀の髪も今日は一段と艶やかで、微風がすり抜けるたびに軽やかにウェーブが踊った。アイオロスにとって彼ほど輝かしい存在は他にない。その姿が見えた途端に周囲にパッと光が満ちた。

 

「双子座の黄金聖闘士サガです。彼は私の副官ですが、小さい時から一番の友人です。」

 

友人…… という言葉を言う時、アイオロスの声は少しだけ小さくなった。先程の恋人がいるかどうかの質問にもアイオロスは少し誤魔化すような形で答え、しつこく聞かれてもはっきり誰とは明言していない。サガは片手に書類の束を持ち、教皇宮の方へ渡り廊下を進んでくる。彼はアイオロスたちには気づいていなかった。

 

教皇宮の庭園の奥にはシオンの邸宅が建っている。二回の聖戦を越えて今もなお健在のシオンは、新しく教皇となった若きアイオロスの一番の相談役である。邸宅では数名の使用人たちが彼のお世話をしているが、見た目が若いために老人扱いされることを嫌い、コロッセオまで降りて後進たちの拳闘試合を見学したり、時折激務に見舞われるアイオロスの代筆も務めるほど精力的に動いていた。退役したといっても彼は今も聖域の重鎮に変わりはなく、アイオロスもそれを日々励みにして教皇職を全うしている。今日はジュリアンたちの突然の来訪を受けて、シオンのところへ相談しにいこうとしていた案件をアイオロスの代わりにサガが持って行ったのだ。アイオロスは急に目に入った愛しいサガの姿に思わずニンマリしそうになったが、彼の夢のような気分はジュディスの声に打ち消された。

 

「ねえ、あの人に案内を頼めないかな?」

 

「サガにですか?」

 

「うん。兄さんも言ってたけど、貴方は教皇だからこれ以上付き合わせるのは悪いし。あの人に頼んでみてもらえないかな?」

 

アイオロスは口をつぐんだ。ジュディスの様子がおかしい。サガを見つめる目には先程まで感じられた少年ぽさなど微塵もなく、そこに宿るのはただただ艶かしい色香だけである。長い睫毛の奥でトパーズの眼光が暗く濡れて光っている。まるで水蛇が舌舐めずりをしているような幻影を見てアイオロスは思わず身震いした。正直、気乗りしなかったがポセイドンの実弟であるジュディスは彼らより遥かに上位の存在に当たる。無下にすることはできない。

 

「…………わかりました。彼に頼んでみましょう。」

 

「うん、お願い。ちょっと……… 気に入ってしまったから……… 」

 

ジュディスはそう小さく呟くと、うっとりと恍惚の笑みを浮かべた。

 

 

数分後、ジュディスの隣にはアイオロスに代わってサガが立っていた。アイオロスが言っていた通り、ジュディスはとても人懐っこい性格で、話題も豊富で会話に困らない。ポセイドンの地上代行者ジュリアン・ソロに直接会ったのは今日が初めてだったが、海皇一族がこれほど華麗な兄弟であったことにサガは新鮮な驚きを覚えていた。ただ、サガの心を少しだけ不安にしたことがあるとすれば、それは交代する時にアイオロスが見せた妙な眼差しだった。

 

あの視線は何だったのだろう? いつも余裕のある彼らしくない様子だったが………

 

「ねえ、サガは海で泳いだりするの?」

 

「えぇ?」

 

突然、思いがけない質問をされてサガは慌てた。

 

「さっき応接室からエーゲ海が見えたんだけど、僕、ずっとギリシャを出ていたからすごく懐かしいんだ。サガと一緒に海遊びに行きたいんだけどどうかな?」

 

「それはいいのですが、ジュリアン様たちに一言伝えておかなければ…… 」

 

「構わないよ。兄さんはミス・サオリと二人っきりになりたいから、会いに言ったら叱られそうだ。黙って行ってすぐ帰って来れば問題ないよ。それにサガがいてくれるからね。」

 

そう言って彼はサガの腕にしがみついた。その指に強い力が込められる。金色の瞳の奥に宿る何かがサガに訴えてくる。アイオロスが見せた不安気な様子は、ひょっとしてこの少年に対するものだったのだろうか?そう思い迷ううちに、ジュディスはサガの腕を半ば強引に引っ張って十二宮の階段を降り始めた。途中すれ違う雑兵や従者たちは、二人に会釈しながらもその容姿に見惚れている。地中海の煌めきを集めたような明るく華やかなジュディスの美貌と、磨かれた水晶玉のように繊細で触れ難いサガの美貌は、お互い相乗効果となって周囲の目を強く惹きつけた。二人が連れ立って歩く様は、この聖域という地が神々の御許にあるという事実を改めて周囲に示しているようだった。

 

双児宮まで来ると、サガはジュディスをリビングのソファに案内した。

 

「ここで少し待っていてください。海へ行く支度をしてきます。」

 

ジュディスは言われた通りにちょこんとソファに座った。サガは笑顔で会釈すると、急いでドレスルームに入った。薄暗がりの中で法衣を脱ぎ、クローゼットを開けて中にかけてあった普段着用のチュニックに着替える。

 

「海か…… 子供の時はよく入ったが、さすがに今は泳がないな……… というか、そもそも水着がない。仲間で遠泳訓練の時も全裸だったし、聖闘士はそれが当たり前だったからな…… 海に入っても良さそうな丈の短いキトンでも代用するか…… 」

 

麻のトートバッグに二人分のタオルやキトンを詰めているうちに、ふとサガは思った。

 

「そういえばジュディスはどんな格好で泳ぐつもりなんだろう?」

 

彼に聞こうと振り返った瞬間、人影が近づいてきてサガの腕をグッと掴んだ。

 

「さあ、行きましょうジュディス様。」

 

「いいよジュディスって呼び捨てで。」

 

ドレスルームから出てきたサガの手をジュディスはすぐに掴み、彼らはそのまま仲良く手を繋いで浜辺へ向かった。海岸線添いはギリシャ有数の観光地だが、彼らの着いた場所は聖闘士たちの間で“穴場”と呼ばれている秘密の浜である。浜辺の両側を険しい岩場に塞がれているため、その間に僅かに存在する砂浜に一般人は容易に入って来れない。サガはジュディスを連れて一飛びでこの岩場を越え、真っさらな白い砂に新しい足跡をつけた。サガの視線など全く気にすることなく、ジュディスはぱっぱと服を脱ぎ捨てていく。彼は波打ち際で遊ぶのではなく完全に泳ぐつもりだ。13歳と聞いていたがその肉体は意外にもよく鍛えられていて、聖闘士(彼の場合は海闘士というべきか)候補生といってもおかしくないほどの逞しさだ。下着だけを身につけた姿になり、日に透ける淡いベイビーブルーの髪をかきあげながらサガに色っぽくウインクしてみせた。

 

「こう見えても泳ぎは得意なんだ。なんせポセイドン・ジュリアンの弟だからね。」

 

「その格好で海に入るんですか?」

 

「うん。僕は平気。これだけ天気が良ければすぐに乾くよ。」

 

サガも白いキトンに着替えると、はしゃいでいるジュディスに手を引かれて海へ入った。水温も泳ぐのにはちょうど良い。二人の長い髪が海水を多く含み、膨らんで生き物のように波間にたゆたう。潜ったり仰向けになって浮かんだり、地中海の日の光を浴びて水と戯れる彼らは、まるで波に変じた海皇の大きな手のひらに抱かれているニンフのようだ。ジュディスはサガを連れたまま、いきなり深みへと向かって潜水を始めた。

 

「あ、おい……… 」

 

珍しくサガは狼狽えた。正直、サガはそれほど泳ぎが得意ではない。肺活量があるといっても聖闘士の中で決して一番ではなく、カミュのように水を得意とする聖闘士に比べればその差は歴然である。しかも修行時代以来の潜水だ。ジュディスはよほど慣れているのか平然と暗い海の底へと向かっている。二人は潜り続け、やがてわずかな太陽の光だけが二人を照らし出す深さまで来ると、彼は急にサガの方へ振り返りその両肩を掴んだ。

 

「僕にも小宇宙があるんだよ…… 兄さんはまだ気づいてないんだ。」

 

溟い水のゆらめきの中で彼は笑っている。小宇宙を使って話しかけてくるイエロートパーズの瞳が冷たく煌めいている。彼が瞬きをするたびに周囲の水温が下がっていくようで、サガは咄嗟に小宇宙を発して浮上しようとした。

 

「………………!!」

 

ジュディスの両手がいきなりサガの顎下を捉えた。そのまま一気に締め上げるように指に力が込められる。爪が皮膚に食い込むほど強く掴まれ、サガは苦しさに呻いた。目を見開いてその手を引き剥がそうともがいたが、ジュディスは手を絶対に離さない。その力は少年のものでなかった。

 

「サガ…… 見れば見るほど貴方は綺麗だ…… 神の如くとは、貴方みたいな人のことを言うんだろうね。ああ、苦しいかい? アイオロスと並ぶ黄金聖闘士だって聞いてたけど、こんな腕も振りほどけないなんて大したことない…… こんな所で死んだらカッコつかないね。 」

 

「ジュディス……… いったいこれは………… 」

 

「すごく綺麗な身体をしてるんだね。きっと子供の時から大勢の人に言い寄られてきたんだろうね…… 今までどれだけの男を受け入れてきたの? “あの人”だけじゃないんでしょ?」

 

苦しさにサガの瞼がゆっくりと閉じられていく。呼吸を封じられて小宇宙も発動できず、手足は力を失って完全にジュディスに身を任せる状態になった。長い髪が水草のように緩やかに動き、彼の白い肌の上をかすめていく。薄く開かれた唇から小さな泡がこぼれ、水晶の粒になってサガの青白い顔を撫でていった。

 

「…………は、僕が貰うよ。だから安心して…… 」

 

貰う? 貰うって?…………

 

ジュディスは満足気に口元を歪めると、気を失いかけているサガの唇を奪った。

 

 

 

執務室の椅子にふんぞり返るように座り、アイオロスは背もたれを揺らしてカタカタと音を立てていた。十二宮の階段でサガたちとすれ違った従者から、二人が聖域を出て遊びに行ったことを知らされたアイオロスは、大量の書類を前にしても一向にサインが進まずただただサガのことが気になって仕方なかった。サガと案内を交代してからアイオロスはずっと後悔していた。ジュディスに対して不安を抱えていたにもかかわらず、客人への礼儀から断ることが出来なかった自身の立場が腹立たしかった。

 

こんなに心配ならやっぱり頼むんじゃなかった。

しかし、女神と懇意にしている男の弟となれば失礼なことはできないし。

ああ…… なんで私は教皇なんかになったんだろう………

 

次第に自分の職務そのものへの不満が爆発しそうになってきたところへ、二人の姿がヒョンと現れたので、アイオロスは椅子から飛び上がって二人にかけ寄った。

 

「お帰りなさい!女神とジュリアン様はアテネ市街に出かけられました。まだ戻っておりません。」

 

「やっぱりね。僕の言った通りでしょ?」

 

ジュディスはそう言ってサガへ振り返った。アイオロスも同じように待ち焦がれたサガの方へ視線を向けたが、彼は目が合った途端に横を向いてしまった。

 

「おや?」

 

不思議に思ったアイオロスは何度も彼の顔を見ようとしたが、サガは頑としてアイオロスを見ようとしない。しかも二人に軽く会釈すると、踵を返して扉の方へスタスタ歩き出した。

 

「あれ?サガ??」

 

アイオロスも強く呼び止めたわけではなかったので、サガは一度もアイオロスの方を振り返ることなく部屋を出て行ってしまった。ジュディスの肩越しにその後ろ姿を見送り、後には二人が残った。ジュディスは感情のない冷たい目をしている。しかしそれは一瞬で、アイオロスの視線が自分の方へ向いた途端に何事もなかったかのように愛らしい笑みを作った。

 

「兄さんたちまだまだ帰りそうにないね。もう少し二人で話していていい?」

 

「ええ、良いですよ。この部屋でも?」

 

「もちろん。聖域って本当に居心地がいいなあ。静かだし空気もすっごく綺麗だし。許されるなら自分の屋敷よりこっちへ住みたいよ。」

 

ソファに寄りかかってジュディスは楽しそうに笑った。アイオロスは先程のサガの様子が気になって仕方なく、本当なら廊下まで追いかけて声をかけたいくらいだったが、この若く強引なお客さんはそうすることを許してくれないようだ。そんなアイオロスの落ち着かない様子にジュディスはまた口をつぐんだが、それも一瞬で笑顔に変わる。

 

「ねえ、さっきも聞いたけどアイオロスの好きな人って誰?」

 

随分食い下がってくるんだな…… そういう話題に敏感な年頃なのは分かるが、二度も聞くくらいだから余程気になるのだろう。

 

「名前まで言わないとダメですか?」

 

「その人が他の人とキスしてたらどう思う?」

 

正面に座るジュディスを凝視したままアイオロスは沈黙した。彼の質問の目的がよくわからない。今日会ったばかりの人物に、それも聖域の教皇たるアイオロスに言い放つ言葉とは思えない。彼は何かを目論んでいることは間違いないが、その標的に何故自分が選ばれているのかアイオロスには納得がいかなかった。

 

「それはどういう意味ですか?」

 

「貴方の恋人は他の男とキスしたんだ。僕は知っている。」

 

「……………………… 」

 

「サガなんでしょ?貴方の恋人。あの人、見かけによらず気が多いんだ。あれだけ美人なんだから仕方ないけど貴方も大変だよね。」

 

「サガ……… が、ですか?本当に??」

 

「うん。だって僕の目の前で他の男と」

 

「その男っていうのは、お前のことだろ?」

 

突然割って入ってきた声にジュディスはギョッとして身体を震わせた。振り返ってみると、声の主は腕組みをしてドアの前に立っている。高身長の男の視線はソファに座ったまま硬直しているジュディスを上から押さえつけるようにキツく射抜いていた。

 

「カノン。部屋に入る時はノックするように言っただろう?」

 

「えっ…………… ええ、 ま、まさか…………!」

 

ジュディスを見据えたままカノンはアイオロスに近づいた。

 

「お前、さっきなぜ逃げたりしたんだ? サガの服まで着て。」

 

「さすがだなアイオロス。やっぱり分かっていたか。」

 

「カノン!??カノンって、違う………違う!この人は……!! 」

 

ジュディスは狼狽した。カノンは威圧的な視線をフッと緩め、代わりに口元を歪めた。

 

「こいつが付いているからみっともなくてな。」

 

そう言って顎下にくっきりと残る爪痕を見せた。削るように深くえぐられた赤い筋と内出血の青アザが点々と散っている箇所をさすってみせる。等間隔で付けられたそれは、明らかに指が食い込んだ跡であることを示していた。

 

「随分痛そうだな。大丈夫なのかソレ。」

 

「なんだよこれ!!……… お前は…… サガは双子だったってこと??」

 

三人の会話が入り乱れる。ただし、ついていけないのはジュディスだけだ。

 

「ジュディス。ジュリアン・ソロの実弟。お前のことは過去の情報網でよく知っている。かつてポセイドンに仕えていた頃、イギリスの学生寮に入っていたお前を海闘士たちに偵察させていた。ソロ家のことはすべて調べ上げていたつもりだ。最近になってお前がギリシャに帰国したことも知っている。」

 

苦悶の表情を見せるジュディスにカノンは鼻で笑ってみせた。

 

「アイオロス、こいつは見かけによらずかなりの悪童だ。俺も人のことは言えないが、こいつの欲望の深さは半端じゃない。俺は今日非番だったから双児宮で昼寝してたんだよ。そうしたら、いきなりサガが帰ってきたから驚いて起きたんだ。寝室とドレスルームは繋がっているからすぐに声をかけてさ。あいつに何処へ行くんだって聞いたら、ジュディスと海に行くって聞いて。名前を聞いた途端にどうも嫌な予感がしたんだ。」

 

アイオロスはふむふむと聞いていたが、カノンの言葉が一区切りつくと重要な質問をした。ジュディスに感じていた不安の元凶を知ることが出来るかもしれないと彼は確信していた。

 

「お前の言う嫌な予感って何だ?」

 

「こいつの正体さ。こいつはネレイスの化身なんだ。」

 

「ネレイス……とういうことは、魔女か?」

 

カノンは頷いてジュディスを睨んだ。ネレイスは50人とも100人とも言われるほど存在する海のニンフである。ポセイドンの妻となったアンフィトリテもその一人で、容姿は極めて美しい。彼女たちはポセイドンの厚い庇護の下にあり、神話でも有名なアンドロメダ姫がポセイドンの怒りを買って生贄にさせられたのも、彼女の母がネレイスより自分の娘の方が美しいと自慢したためである。ジュディスの不可思議なオーラも、正体がこのニンフの化身であるとわかれば納得できる話だ。

 

「ただ、幸いにもこいつはそれほど強くない。完全に覚醒していないせいだ。それでも普通の少年では出来ないことを平然とやってのける。見た目の割に力が強く、行動が大胆なのも小宇宙がある証拠だ。純粋である故にやることも残虐なんだよ。ガキのくせに大乱闘を巻き起こしたり、故意に人を海に引きずり込むとかさ。そうだろ?ジュディス。」

 

「だからサガと入れ替わったのか…… 」

 

「そうさ。兄さんを守るために。小宇宙の力をもってしても、髪や肌の艶をサガと同じように見せることには少々手間がかかったが結果は大成功だ。まんまと俺の作戦に引っかかったな。」

 

もっとも、ここにいる色男にはそれも通じなかったけど、とカノンは笑った。その言葉にアイオロスもすぐに乗ってくる。

 

「当たり前だろう? どれだけ私がサガを愛していると思っているんだ?」

 

二人のやり取りにジュディスはますます口ごもった。あれは絶対サガだと思っていた。今でも信じられない。この男が見せる自信たっぷりの表情はサガの印象と全く違う。一緒に海へ行った人物が同一の人間だなんてとても信じられない。

でも、正体がこの男ということは……

と、いうことは……!

ジュディスの背中に冷たいものが流れた。

 

「残念だったなジュディス。お前が奪った唇は俺のだ。俺はそういう趣味は毛頭ないが、兄さんを守るためなら何だってやってやるさ。あいつのように優しい表情だって無理して作るし、本当は深海まで行けるくらい潜れるのに、ものすごく海が苦手そうな演技だってしてみせる。」

 

カノンは手のひらに小宇宙を灯し、ゆっくりと顎下を撫でる。その手が取り払われた時には傷は跡形もなく消えていた。ジュディスは悔しさに握った拳を震わせ、大声で怒鳴った。

 

「カノン!!!お前…… !!よくも僕を騙したな!!」

 

「他人のことが言える立場か? お前はアイオロスの心を我が物とするために、邪魔な恋敵を辱めようとしたんだ。」

 

「ええっ!!?」

 

次に大声を出したのはアイオロスだった。あまりにも意外な理由に、今更ながらアイオロスは動揺して目の前の二人に視線を泳がせる。その様子に呆れたカノンは盛大なため息をついてソファでオロオロしている色男をたしなめた。

 

「何だよお前…… 知らなかったのかよ…… そういうとこはすごく鈍感なんだよな…… アイオロス、こいつの目を見てみろ。お前を見る時の目つきを。好きな人を見る時の目なんて、誰だってこんな風に潤んでいるものだろ?」

 

カノンに説き伏せられてアイオロスは再びジュディスの方へ目を向けた。すっかり勢いを失ったジュディスは、ようやく普通の少年らしさを取り戻して項垂れている。思春期を迎えたばかりの少年が持つ憂に満ちた眼差し。頰を赤く染めその目に涙さえ浮かべて、叶わないと知りつつも僅かな望みをかけて足掻いている初々しい姿。人生で誰もが通る淡く切ない恋の瞬間を、彼は今、必死で乗り越えようとしている。

 

「………… 話の流れはよくわかった。でもジュディス、なぜ私が愛している相手がサガだとわかった?」

 

「貴方の腕にしがみついて歩いてた時。あの時、いきなりサガが目の前に現れた。その瞬間、貴方の中に宿る小宇宙がパッと明るく輝いたのをはっきり感じたんだ。それまで誰とすれ違っても貴方の小宇宙は全く反応してなかったのに、サガだけは違ってた。それで…… 」

 

「そうか、あの時にね…… 」

 

ひとしずくの涙がジュディスの瞳からこぼれ落ちた。アイオロスに一目惚れしたまでは良かったが、その後すぐに恋敵に会ってしまい、それが引き金となって欲望のままに行動してしまったのだろう。サガほどの強敵ゆえにジュディスもこの恋に夢中だったに違いない。しかし今回の件については、カノンの機転がなかったら重大な結果を招いていたことだろう。場合によっては、サガの反撃を受けてジュディスが大怪我をしていたかもしれないのだ。そうなると、サガ自身も被害者でありながら罰を受けることになる。それも教皇であるアイオロスがその罰を下さなければならない。限度を越えたジュディスの行動に対して、相手の身分や年齢を考慮してあげる必要はない。そう判断したアイオロスは厳しい口調でジュディスに言った。

 

「サガは私のすべてなんだ。それも神話の時代からずっと。他の誰かが割り込める余地なんてどこにもない。それに恋敵を脅して想いを叶えようなんて、名門ソロ家の紳士がすることじゃないだろう?そのことは君が一番よく分かっているはずだ。」

 

アイオロスに言われた後カノンに頭を軽くぽんぽんと叩かれ、ジュディスは素直に頷いた。その時、話し声とともに執務室のドアがノックされ、何も知らないジュリアンと沙織が楽しそうに入ってきた。部屋の中には何とも説明しがたい重い空気が漂っていたので、二人はキョトンとした顔で全員の顔を代わる代わる見渡した。

 

「あら。皆さん、何か大切な打ち合わせでも?」

 

 

 

窓の外に夕焼けが見える。サガは双児宮の中でひたすらカノンの帰りを待っていた。

 

「兄さん、俺が帰るまで絶対に外へ出るなよ。誰かに見られたらややこしくなるからな。」

 

そう強く念押しされ、サガは言われた通りにじっとしていた。普段着のチュニックとズボンはカノンが着て行ってしまったので、とりあえず法衣に着替え直し、事態の変化に備えている。待っている間はテレビを見たり本を読んだりしていたが、来客たちのことや仕事のことも気になるし、出来ればすぐにでも教皇宮に駆けつけたい。そう思ってそわそわしていると、ようやく双児宮のプライベートルームの入り口が開く音が聞こえてカノンが入ってきた。

 

「やあ遅くなってごめん。もう大丈夫だぜ。」

 

「お帰り。詳しい理由を言わないで出て行ってしまったから、どうしようかと思ってた。ジュリアン様やジュディス様たちは?」

 

「さっき帰ったよ。女神が専用ジェットで二人を送って行かれた。彼女はそのまましばらく日本に帰国されるそうだ。グラード財団からの呼び出しがあったそうで。」

 

「そうか。お見送りできず失礼なことをしてしまったな…… 」

 

「大丈夫だって。その辺も俺とアイオロスがうまくやっておいたから。それより俺、兄さんにお願いがあるんだよなぁ。」

 

カノンは珍しく甘えた声でソファに座るサガの後ろへ回り込み、肩に両腕を巻きつけた。

 

「何だ?お願いって。」

 

「新しい服買って欲しいな。身体のラインにビシッとキマるスーツと、あと靴も。」

 

「それなら十分な給料があるだろ?」

 

「大好きなお兄様に買ってもらうからイイんじゃないか。」

 

あの後のことを何も知らないサガに対して、カノンは一方的なお礼を要求しているのだ。実を言うと、アイオロスには今回の件のお礼としてパテックフィリップのアンティーク時計を買ってもらうことになっている。そんな高価な物を要求して果たしてアイオロスが何と答えるか試してみたのだが、サガの貞操を守ったという事実は彼には命にも代え難いものだったらしく2つ返事でOKが出た。もし時計を買ってもらったことがサガにバレたら、意味を取り違えてアイオロスとのあらぬ関係を疑われそうなので、このことは永遠の秘密にするつもりだ。

 

「いいよ。スーツと靴の両方。お前には何度か面倒な案件を一緒に手がけてもらったことがある。そのお礼ということでどうだ?」

 

二度も簡単に願いが叶うとは思わず、カノンは喜びのあまりサガの頰に勢いよくキスをした。

 

「ああそうだ、アイオロスが今夜夕食を一緒に取りたいって言ってたぞ。兄さん明日休みだし、ゆっくりアイツと会ってこいよ。」

 

「え、そうか。ありがとうカノン。じゃあまた着替えなくちゃ…… 」

 

そう言って、サガは少し恥ずかしそうにドレスルームへと入っていった。愛する人を想う時、人はいつまでも初々しく純粋な心のままだ。じゃじゃ馬少年ジュディスも、それと正反対の超真面目人間サガをもそこまでにさせるアイオロスは相当な色男ということだろう。

 

「俺は…… そういう奴らを側から見てるのが一番楽しいかな。アイオロスめ、あの様子じゃ今夜は相当兄さんのこと可愛がるだろうな。」

 

カノンは大きく伸びをするとソファに横になり、先程中断してしまった安眠を取り戻そうと瞼を閉じた。

 

 

 

 

 


 
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