「森さん、とりあえず刺されて」
放課後のハンガー一階。
ニッコリと笑いながら、原素子整備主任は森精華整備士との距離を縮める。
ちょうどその時、森は自分の担当である士魂号三番機の整備をしていた。
そんな時、不意に原が声をかけてきたのだ。
「……は?」
突然のことで森は素っ頓狂な声をあげる。
森は最初は耳を疑った。何かの聞き間違いだろうと思った。しかし、すぐにそれが現実のことだと理解することになる。原の手にはしっかりと包丁が握られていたのだから。
「なななな、なにをする気ですか!」
原との距離を取ろうとする森。だが、すぐに背中が壁に触れてしまう。
逃げるのにハンガーは十分な広さを持ち合わせていなかった。しかも士魂号の整備中ということもあり、いろんな部品が散らばっており、元からそれほど広くないハンガーが一層狭く感じられる。
「なにって……見てわからない? これで、あなたを、刺すの」
単語単語で言葉を区切りながら、原はゆっくりと説明する。そして微笑を浮かべたまま、自分の持っている包丁を指差す。
森は背筋に冷たいものを感じていた。
「わかりたくないけど、十分過ぎるほどわかります。……でも、とりあえずってなんですか! 包丁で刺すことに何の意味があるんですか!」
森は反論しながらも、今自分の居る場所から一番近い出口を探す。原に気付かれないようにこっそりと、目だけを動かして。
原に一体何があったというのだろうか、普段自分に指示を出す原からは今の状態は考えられない、森の思考回路は混乱していた。こんな事を言う人ではないと思ってはいるが、冗談の一言で済ませられるような事ではなかった。
誰か人を呼んでこよう、そうすればどうにかなる。正しいかどうかはわからないが、それがやっとの事で導き出した森の結論だった。
「とりあえず……そんな言葉言ったかしら。それはあなたの気のせいということで、サクッと刺されてちょうだい、サクッと。ねっ」
まるで、そこにある工具取ってちょうだい、そんな簡単な頼み事をするかのような口調で原はお願いしている。
サクッと、というところを強調しながら、にじり寄ってくる原。
原の移動に合わせて、森も一歩ずつ移動を始める。隙を見せないように、じっくりと。
一気に走って逃げるには出口まではまだ遠すぎた。森と原とは数歩の距離しか離れていない。一気に逃げようとしてもすぐに刺されるだけだ。それも無防備になった背中から。
結局、原の様子を見ながら一歩ずつしか動けないでいる。森は歯がゆい思いをしながらも、それでも出口に近づいていく。
「嫌です!」
少しずつ逃げながらも、きっぱりと拒絶する森。とりあえずで刺されてはたまったものではない。
「そこをなんとか」
それでも原は頼み込む。
微笑を浮かべている原だが、森は一つのことに気付いた。原の目が笑っていないことに。
逃げなければ本当に刺される、森はそんな恐怖感でいっぱいになっていた。
「なんともなりません!」
恐怖心を振り払うかのように、森の声は知らず知らずのうちに大きくなっていた。
原に気付かれないように、ゆっくりと、本当にゆっくりと出口方面へと移動する森。
「いざって時に間違えないように感触を覚えておいた方がいいでしょ」
原は、森の考えに気付いていない様子だ。歩み方を変えたりはしない。そのまま森を追ってきている。その移動距離は森と同調しているかのように一定だ。近付き過ぎもせず、離れ過ぎもせず、微妙な距離を保っている。
「いざって、どんな時なんですか!」
もう少し、もう少しで出口まで行ける。森の心の中に、助かったという安心が生まれた。いや、生まれてしまったと言った方がいいのかもしれない。出口が近くなり気が緩るんだのか、森は出口を見てしまったのだ。今まではこっそりとだったのが、今回はしっかりと。
原も森の視線を追うようにして目を動かす。そしてそこに出口があることに気付いた。
「人類の未来のためなのよ!」
森の考えに気付いた原は、森に向かってダッシュする。
「そんな閉ざされた未来は嫌です」
森は大声で叫ぶ。
こっそりと逃げる必要が無くなったので、森は原に背を向け、出口に向かって走って逃げる。
ダダダダダッ
森の走る足音。すぐに原の走る足音も聞こえてくる。
あと少しで外だ、そう思った瞬間、足にケーブルが引っかかり転んでしまう。しかもそのまま足に絡まってしまった。絡まったケーブルを解こうとするが、焦って余計に解けないでいる。
「あらあら、足元には気をつけないと駄目よ・・・」
クスクスと笑いながら原が近寄ってくる。
「そんなに刺したければ陳情してどうにかしてくださいっ!!」
もう駄目だ、森は観念したのだろうか、目を閉じる。そして、その瞬間を待った。自分が包丁で刺される瞬間を。
「……」
しかし、いつまで経っても痛みを感じることは無かった。
恐る恐る目を開けてみる森。
そこには包丁を持ったまま何かを思案している原の姿があった。
「陳情か……それもそうね」
あっさりと手を降ろし、ハンガーから去っていく原。どうやら本当に陳情するつもりらしい。
「助かった……の?」
残された森は呆然とすることしかできなかった。
「ですから、包丁で刺される対象となる人間を派遣してください」
通信が繋がるなり、原はいきなり言い放った。
「……そういう陳情は受け付けていない。小隊の司令レベルで処理してくれ」
いきなりそんな内容の陳情を受けたというのに、まったく動じた様子を見せない芝村準竜師。そして相変わらずの静止画なのか動画なのかわからない映像がモニターに映し出されていた。
「……」
何かを考え込む原。
芝村準竜師は何も言うことなく、じっと佇んでいる。
「そうですね。小隊指令をサクッと刺してきますね。サクッと」
そう言うと、原はスッと通信機の前から移動を始める。
通信機の前から離れたため、芝村準竜師からはすぐに原の姿は見えなくなった。
「そういう意味で言ったのではないのだがな……小隊司令は善行忠孝か。見舞いの品の準備だけはしておいてやろう」
相変わらず、芝村準竜師の表情には動揺の二文字は浮かんでいなかった。副官であるウイチタ・更紗に軽く指示を出すと、まるで何事も無かったかのように自分の仕事へと戻る。
善行が刺されて重症を負ったという報告が芝村準竜師の元に届いたのは、それから三時間後の事であった。
「人間、手を汚しちゃダメね」
相変わらずの放課後のハンガー一階。
森はビクビクしながらも、原の行動に注意しつつ士魂号の修理をしている。そのため、修理にはいつもの倍以上の時間がかかってしまっていた。
「今日は作業が遅いわねぇ」
原がちょっと手を動かすだけで、森はビクンと反応する。まるで電気信号で動くカエルの実験のようにその動きは俊敏だ。
善行が刺されたというニュースは森も知っていた。しかも恐ろしいことに、犯人はわからないままという事になっている。
そして、善行が回復するまでの間、原が仮の小隊指令となっていた。それが一番士気が下がらない方法だと上層部が判断したのだ。
犯人を知っているのは刺された善行と犯人である原、それに芝村準竜師と森の四人だけだろう。だからこそ森は原の一挙一動にビクビクと反応していた。次は自分の番ではないかと心配しながら。
「刺す感触も嫌いじゃなかったんだけど、手が汚れるのはちょっとね」
ギュッギュッ シュッシュッ
手を握ったり開いたり、さらには軽く振ってみたりと、しきりに手を動かす原。
感触を思い出しているのだろうか、森は思う。それが何を刺す感触なのかは考えたくなかったが。
「ということで、陳情していた物が届いたのよ。これがその対人用地雷! これを相手の行動予測範囲に仕掛けておくだけで準備OK!」
原はプレート状の物を何枚か取り出す。何かリュックのような物を背負っていると思ったらこれが入っていたのだ。
どうやって用意したのであろうか。幻獣相手には効果の無さそうな物がここには支給される事は無いはずなのだが、森は考えるが、答えは出てこない。
もしかしたら芝村準竜師にも脅迫めいた陳情をしたのではないか、そう邪推してしまう森。
「手を汚すの意味が違いませんか?」
考え事に意識を取られていたためか、ふとそんな言葉を森は口にしてしまった。
言っってしまった後に後悔の念に襲われる森。どういして口に出してしまったんだろう、心の中で思うだけにしておけば良かったのに。そう思っても時すでに遅し、である。
スタスタスタッと原は森に近づいてくる。
「そんなこと言うのはこの口かなぁ」
原は、森の口に両手をかけると横に開く様に引っ張る。さも楽しそうな表情をしたまま。
「いふぁい、いふぁい、やふぇてくだふぁい」
口を無理矢理開かれているため上手く話せないでいる。それでも何か言いたいかは原にも通じた様子で、引っ張る力が弱まる。
「もう言わないかしら?」
微笑を浮かべたまま言う原。
その原の言葉に何度も頷く森。
原はようやく森の口にかけている手を外した。
「痛た……」
森は両手で頬をさする。涙目になっているのが自分でもわかる。口がヒリヒリするが、包丁で刺されるよりはマシと自分に言い聞かせた。
「あっ、ちなみにそこから動くと危ないわよ」
サラッと告げる原。
「えっ!?」
森は、原のその言葉に一歩後ずさってしまう。その無意識な動作が次なる悲運を呼ぶと知らずに。
カチッ
森は、何かを踏んだ感触と、何かのスイッチが動作した音を感じた。タラーッと頬を汗が伝う。
「……今、カチッて音しませんでしたか?」
足元にゆっくりと視線を向ける森。ギギッと、まるで錆びた機械のように動作がぎこちないものになっている。
「アタリね」
冷静は口調で原は言う。
「もしかして……」
よく見ると、森の足元には見なれない板が敷かれていた。この板の下に対人地雷が設置されている事は明白である。
「試しに設置してみたのよね。この対人地雷」
楽しそうに告げる原。
森の顔には滝のような汗が流れている。
「そういうことだから、威力の確認をさせてもらうわね」
そう言うと、原は森に背を向けバンガローから出て行こうとする。自分で設置した対人地雷の巻き添えを食らわないために。
「逃がしません……」
ムギュッ!
その原の背中を慌てて掴む森。すぐ近くにいたため、足を動かすことなく原の制服を掴むことが出来た。
「ちょ、ちょっと放しなさい」
命令口調で言うが、森は放そうとしない。初めて原に動揺の表情が浮かぶ。
「うふふ、あはははははは、うふぅっふっふっふっ・・・」
壊れたように笑い始める森。
背中を掴まれている事と、森が俯き加減でいる事もあって、原は森の表情を確認することが出来ないでいる。
「ちょっと、何考えてるのよ!」
今までに自分がした事ことは棚に上げて、森のことを非難し始める原。
もちろん、そんなことでは森は掴んでいる手を放しはしない。
「死なばもろともぉ!!」
パッと顔を上げる森。その目は完全に血走っていた。自我を失っているのかもしれない。
躊躇することなく、地雷を踏んでいた足を上げる。もちろん地雷はその目的を果たすべく動作する。
チュドーーーン!!
ハンガーからは耳をふさぎたくなるような轟音と共に、凄まじい爆炎が舞い上がっていた。
「げほっ、げほっ」
しばらくして煙が収まってくると先ほどまで原たちが居た場所に一つの人影が浮かび上がってくる。
「火薬の量を減らしていて良かったわ……」
原である。どうやら殺傷能力を持つほど火薬は入っていなかったようだ。
煙が晴れたハンガーには、真っ黒になった原と、その足元で気絶している森の姿が確認できた。
「フニャァァアン」
ブータのあくび。人間たちの喧騒を気にすることなく、ブータは日向ぼっこに興じていた。
Tweet |
|
|
1
|
0
|
追加するフォルダを選択
アルファ・システム「高機動幻想ガンパレード・マーチ」の二次創作。
2001年に書いた物です。この時期勢いだけはありました。勢いだけは……。