マリナがパンを買ったお客さんの会計を済ませるとアシュレーは申し訳なさそうに言った。
「マリナ、これから出かけたいところがあるんだけど、暇が欲しいんだけど?」
「暇……?」
アシュレーの言葉にマリナは不思議そうに手に持っていたお金をキャッシャーに仕舞った。
「どうしたの、いきなり?」
「あ、いや……」
アシュレーは困ったように頬を掻き、項垂れた。
「実は剣の大聖堂に行きたいんだ?」
「剣の大聖堂……」
マリナの顔が険しい顔で曇り始めた。
剣の大聖堂はマリナにとってもいい思い出のある場所ではなかった。
全てを打ち明けてくれた今も、マリナはあの場所を快く思っていない。
もし、またアシュレーに危険なことが起きたらどうしよう……
今度こそ、アシュレーが帰ってこなかったらどうしよう……
そんな不安な気持ちを今でもマリナは引きずっているのである。
しかし、マリナはそんな気持ちを悟られることを嫌い、気丈に笑みを浮かべた。
「すぐに帰ってきてね?」
「うん……」
アシュレーも儚く笑い、首を縦に振った。
剣の大聖堂に着くとアシュレーは回りの壁の傷を見つめた。
剣の大聖堂はアシュレーにとって全ての始まりの場所であった。
降魔儀式の実験場にされ、そして、それを裏で手引きしたのが自分がもっとも信頼を寄せていた親友の仕業でもあった。
カイバーベルトの事件から半月が経ち、アシュレーはパン屋の仕事にも慣れ、マリナとの結婚も近づいてきた。
それだからこそ、伝えたいことがあった。
かつて、剣の聖女と呼ばれ、英雄という生贄にされた非業の乙女、アナスタシアに全てが終えたことを……
剣の大聖堂の奥まで来るとアシュレーは方膝をつき、両手を組みながら頭を下げた。
「アナスタシア……ヴァレリアの悲しみは終わったよ……大きな犠牲を払って」
そっと黙祷すると、アシュレーはスッと立ち上がった。
「さて……マリナが心配するし、帰るか?」
「あら、もぅ帰っちゃうの?」
「え?」
突如、聞こえた艶かしい女性の声にアシュレーは驚愕したように目を見開き、振り返った。
そこには色っぽく目を細めた青髪の女性がアシュレーを見つめ微笑んでいた。
「アナスタシア……?」
いるはずのない女性にアシュレーは驚きを隠せず顔を青ざめさせた。
「あら、なにその青い顔? おばけを見てるようで失礼しちゃうわね?」
子供のように両腕をばたばたさせるアナスタシアにアシュレーは口をパクパクさせながら必死に呟いた。
「なんで、ここに?」
「あ……それ?」
ピンッと人差し指を立て、アナスタシアはアハハと屈託ない笑みを浮かべた。
「思いの力は宇宙を超えるのよ♪」
「意味がわからなん……」
アナスタシアは宿題を嫌がる子供のように不貞腐れた顔でしゃがみこんだ。
「だって、あそこつまらないんだもん……もぅ一度、ここに来たいと思ったら来れたの」
「そんな、旅行感覚で戻れるものなのか?」
「戻れるのよ!」
「……」
いい加減、どうしようもないことに巻き込まれたことに気付き始めたのか、アシュレーは慌ててアナスタシアから回れ右した。
「よかったな、戻れて……僕はようがあるから、帰るな?」
「ちょっと待ちなさい!」
ガシッと肩を掴まれ、アシュレーは慌てふためいたように騒ぎ出した。
「ぼ、僕とあなたは無関係です……離してください!」
「無関係なわけないじゃない、あたし達、他人じゃないでしょう?」
「誤解されるこというなよ!」
一向に手を離さないアナスタシアにアシュレーは諦めたようにため息を吐いた。
「なにがしたいの?」
「まずはヤキソバパンが食べたい♪」
ニコッと微笑むアナスタシアにアシュレーはガクッと肩を落とした。
パン屋のドアの前まで戻るとアシュレーは念を押すようにアナスタシアに言った。
「念のため、不用意な発言は控えてくれよ?」
「任せなさい!」
ポヨンッとたわわに実った大きな胸を揺らし、アナスタシアはニッコリ微笑んだ。
「ヤキソバパン以外のパンも買えばいいんでしょう?」
「……」
まったく意味がわかっていないアナスタシアにアシュレーは頭を押さえた。
とにかく、自分がなんとかフォローするか。
アシュレーはそう思い、パン屋のドアを開けた。
「ただいま、マリナ……?」
「あ、おかえり、アシュレー?」
新しく焼きあがったパンをショーケースに入れるとマリナは嬉しそうにアシュレーに微笑んだ。
「あら……その人は?」
「……」
やっぱり、気付いたかとアシュレーは紹介したくないがアナスタシアを紹介しようとした。
「彼女は……」
「アシュちゃんの恋人のアナスタシアで~~~す♪」
胸を押し付けるように抱きつくアナスタシアにアシュレーの顔が真っ青に染まった。
「……」
優しく微笑んでいたマリナの顔が段々と変化していき、数秒もしないうちに鬼のような恐ろしい顔へと変化していった。
「さようなら、アシュレー! いい思い出をありがとう!」
「ちょ、マリナ……誤解!」
バタンッとパン屋から追い出され、アシュレーは必死にドアを叩いた。
「マリナー開けてくれ~~! 誤解なんだ~~~!」
「冗談の通じない娘ね?」
「あんたな~~!?」
拳をふるふると震わせ、アシュレーは涙目でアナスタシアを睨んだ。
「僕に何の恨みがあるんだ~~?」
「あら、これで破局したら、お姉さんがアシュレーを貰ってあげるわよ?」
アシュレーは今、自分にARMが無いことをこの上なくのろった。
あれば、間違いなくフォース技を使って、この悪魔をもといたところに戻してたことだろう。
アシュレーは深いため息を吐き、ほとぼりが冷めるまでどこかで暇をつぶすことにした。
そこで目をつけたのがここであった。
「トニー……ちょっと、いいかな?」
ガチャッと家のドアを開けるとアシュレーは目がギョッとなった。
「よいか! 世界は誰のものだ!」
「オッス! マリアベルのものだ!」
「私なりの結論から言いましても、トニーはマリアベルさんの言葉には従順ですね?」
ポカッとスコットの頭を叩き、トニーはまた敬礼した。
「……」
アシュレーは何も言わず、ドアを閉めると慌ててアナスタシアの手を引っ張った。
「今、マリアベルの名前が聞こえたけど?」
「気のせいだ!」
全力疾走でトニーの家から離れるとアシュレーは疲れたように道端に座りこんだ。
「まったく……今日は厄日だ?」
「本当ね……」
ふと笑みを浮かべるアナスタシアにアシュレーは不思議そうに彼女の顔を見た。
「どうしたんだ?」
「……」
そっと右手を差し出すアナスタシアにアシュレーは驚いたように目を見開いた。
「その手……」
「もぅ時間みたい……もともと、この時間の人間じゃないし」
アナスタシアは消えかかった自分の手を見て、呆れたように笑い出した。
「……本当にほんの少しの時間だったんだな?」
どこか悲しそうな顔をするアシュレーにアナスタシアは彼の両頬をパンッと叩いた。
「こら! 男の子がそんな顔するんじゃないの! そんなんじゃ、お姉さん安心して帰れないでしょ?」
アシュレーは一瞬、キョトンとし、ふと笑みを漏らした。
「……そうだな?」
アシュレーは首をゆっくり振り、アナスタシアに手を差し向けた。
「ほんの少しだけど、一緒に入れてよかったよ?」
「あら、それはありがとう?」
そっと手を握り返されると思ったアシュレーだが……
チュッ……
「っ!?」
右頬にいきなりキスをされ、アシュレーは顔を真っ赤にして後ずさってしまった。
「じゃあね♪」
バイバイと手を振るアナスタシアにアシュレーはなにも言えずキスされた頬を撫でた。
「まったく、とんだ英雄だよ」
一人、感傷に浸るアシュレーの背後に恐ろしい黒い気を感じた。
「ふ~~ん……よかってね、キスされて?」
「……」
アシュレーは顔を真っ青に染め、恐る恐る後ろを振り向いた。
「ふぎゃ!?」
鬼……
いや、あれは鬼神である。
まさに鬼の神の如く怒り轟くマリナの姿にアシュレーは思わず腰を抜かし立てなくなった。
「マ、マリナ……落ち着いて……」
「アシュレーなんか、もぅ知らない!」
ぷいっと背を向けるくマリナにアシュレーは必死に叫んだ。
「マリナ、話を聞いてくれ!?」
アシュレーの叫びも虚しく、マリナはスタスタとパン屋へと去っていった。
そんな背中を見て、アシュレーは涙目で大空に叫んだ。
「アナスタシア~~~~……もぅ、戻ってくるな~~!」
アシュレーの悲痛な叫びも彼方と此方の世界にいるアナスタシアには届かなかった。
その日、アシュレーはマリナに許してもらうまでパン屋の前で泣き続けたらしい……
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ちょっとエッチなお姉さんこと、アナスタシアさんがマイペースにアシュレーを引っ掻き回す話です。
マリナさんもヤキモチで鬼のように怖くなります。