5
「すごいわ。近くに寄るだけで、はっきりとこれが霊泉だとわかるのね。すごく純粋な水の魔力を感じる……」
正直、霊泉があると言われても、あたし程度の魔法使いじゃ判別がつかないんじゃないか、と不安に思っていた。ところが、その泉は遠目からでも異常なほど青く輝いているのがわかって、近づいてみると、久しぶりにあの、魔力の嵐に巻き込まれるような、肌を打たれる感覚があった。……ステラ先生との初対面の時以来だ。
「俺には普通の泉に思えるけどな……」
ただ、魔法使いではない上に別世界の人間であるウィスには、そもそも魔力というものを知覚できないんだと思う。それとも、本当にただ鈍いだけなのか……一般人でも、なんとなく空気が違うとか、それぐらいはわかると思うのだけど。
「まさかここで泳ぐ訳にはいかないから、まずは沐浴を済ませるわね」
「ああ。俺は向こうの木陰にいるから」
彼が背を向けてくれたことを確認して、服を脱ぎ始める。一応、霊泉での沐浴はひとつの魔法使いにおける“儀式”だから、今はまだ水着を付けることなく、裸になってから泉へと入っていく。夏だということもあって、水の冷たさが心地いいが、その一方で魔力を多く含んだ水に触れることへの、恐怖にも近い感覚がある。
そもそも、火の魔法の専門家であるあたしが霊泉に触れるのは、実はそれなりに危険なことだ。しかも、封印を解くためとはいえ自分自身の魔力と触れ合わせなければならないなんて、自身の魔力を劣化させかねない行為な訳で、もしかするとあたしに向けられた“悪意”とは、ここまで含めてなのだろうか、と考えてしまう。
だけれど、あたしは自らの体の内に炎を灯す様をイメージして、封印は解除するが、自身の魔力は絶対に傷つけられないよう、水の魔力から自身を守ろうとしていた。
清水をすくい取り、胸元へとかける。……冷たい。それと同時に、魔力が体の芯をも貫く。氷柱を体に突き刺された……と言うのは大げさだけど、それに近い気がする鋭い痛みがある。まだ封印は解けないのか、と半分は祈るような気持ちで沐浴を続けるが、この試練に打ち勝ってこそ、あたしは前へ進めるんだ。そう鼓舞しながら、冷水にまみれる。
何度目かわからない。少なくとも二十以上は繰り返した後、胸に水をかけると、それまでとは明らかに違う、体の芯が揺さぶられる感覚があった。それからあたしは、体の中で水瓶が割れたのをはっきりと感じた。水を注ぎ続けた結果、瓶から水があふれるのではなく、瓶自身が割れてしまったような、あべこべで不思議な感覚。そして、体の内に燃えていた炎が、一気にその勢いを増したのを感じる。
――封印が解けた。熱い火炎の檻が、冷水によって冷え固められ、遂には砕かれる。その感覚を噛み締めて、あたしは泉から上がる。
あまりにも長く霊泉に触れていたせいで、自分自身の魔力がどうなったのかについては、いまひとつ実感が薄い。でも、落ち着けばわかると思う。あたしは強くなっている。いや、今ようやく、本来の力を取り戻した。
普通の水なら、魔法で乾かすこともできるけど、相手が霊泉なのでどんな反応が出るかわからない。あらかじめ用意していた布(さすがに旅立つ時にはこんなことを想定してなかった。水着と一緒に買ったものだ)でしっかりと水分を拭き取ってから、下着代わりに水着を身に付ける。……あまり露出はしたくなかったけど、サイズに合わせるとなると、どうしても派手なものになってしまった。
一般の基準からすれば違うのだろうけど、あたしの基準からすれば、ちょっとした露出狂だ……でも、どうせ見せる相手はウィスぐらいなのだから、と受け入れた。別にウィスだから見られてもいいという訳でもない。彼にでも見られるのは恥ずかしい。だけれど、我慢はできるという話だ。
「ウィス、もう着替えたわ」
「……どうだった?」
彼が隠れた場所へと向かい、声をかける。振り返った彼は、とりあえずあたしが具合を悪そうにしていないことから、安心して笑顔を見せてくれた。
「成功よ。……うん、体も乾いて、よく今の状態がわかってきたわ。今までの倍は強い力を操れる、そんな気がする。まあ、あたしの今までの魔力なんて大したことないから、ようやく人並み程度というところだけど。でも……今までよりずっと上手く魔法を使えそうなの」
「そうか、それはよかった。……結果論だけど、ちゃんと診察を受けてよかったな」
「……本当にね。メルカさんには後でもう一度、お礼を言いに行かないと」
結局、あの人はお礼もそこそこに帰ってしまった。ちなみに今では女性相手でも普通に診察料は取っているみたいだけど、これはあなたのお師匠さんにツケておくから、とタダにしてくれた。結局のところお金の出どころはステラ先生なのだから、あたしが払っていいと思ったんだけど、メルカさんにも何か思惑があるらしい。もしかすると、今回の件を理由にステラ先生に会いに行くのかもしれないし……それはそれで、いいことだな、と思った。
「さ、まだまだ時間はたっぷりあるし、泳ぎ、教えてくれるのでしょう?着替える時にもう水着は着たから、服さえ脱げばすぐに泳げるわよ」
「準備万端だな。じゃあ、さっきここまで登ってくる途中にいい感じの湖があったから、そこにしようか。あそこは水も奇麗だし、足がつく深さだろうからちょうどいい」
「水の奇麗さなら、この辺りはどこも同じじゃない?たぶん、地下で霊泉とつながっていると思うから、その魔力で自然と浄化されているはずよ」
「いや、反射の具合なのかな、あそこが特別奇麗に見えたんだ」
「そうなの?あたしは別に何の変哲もないように感じたけれど……」
ウィスが住んでいた国では、人が安心してその水を飲めるような水場はすごく少なくなっていたのだという。まあ、それはこの世界とは衛生の基準が違うからというのも大きいだろうし、魔法による浄化もないから、仕方がないのかもしれない。でも、彼の世界の環境汚染は深刻な問題のようだった。――この世界でのそれに相当する問題は、例の魔力の枯渇問題だろうか。
その湖に辿り着いて。あたしは早速、服を脱いで水着姿になった。……霊泉での沐浴の時は一人だったこともあって何も感じなかったけど、今は屋外で裸同然の姿になることへの抵抗が大きい。いや、室内でもこんな姿になることはないけれど。
「……月並みなことを聞いている自覚はあるけど、どうかしら」
あたしはたぶん、「女の子らしいやりとり」が嫌いなんだと思う。
“女の子”が人に何か質問する時、もう既に欲しい回答は決まっている訳で、それ以外の答え方をされると、大抵は怒る。そしてそれは、ほぼ確実に肯定しろということだ。……あたしも今、ウィスに水着を褒めてもらいたい。いや、水着を着たあたしを、褒めて欲しい。
かつて嫌っていた、そんな女の子らしいセリフを吐いているあたし自身がイヤになって。でも、ウィスの答えをドキドキしながら待っているあたしがいたことは事実であって、自己嫌悪と期待とで体が上半身と下半身に切り離されるような、妙な感覚の中で沈黙を生きていた。……生き地獄。そんな言葉が頭に浮かぶ。しかも、その状況に持ってきたのはあたし自身だ。
「可愛い……いや、奇麗、かな。やっぱり、衣装は着てみないとわからないな。正直、お店で見た時はユリルが着ている姿が想像できなくて、あんまり似合わないんじゃないか、って思ってたんだ。ユリルはもっと清楚な方が似合うと思ってたから。でも、……うん。今なら断言できるよ。きっとそれ以上ユリルに合う水着はない。すごく似合ってると思う」
「そっ、そう!ね、ねぇ、どこがいい?」
「ええっと…………」
言いながら、また自己嫌悪に陥る。……“女の子”だ。今のあたしは、紛れもなく。一片の弁護の余地もなく、“女の子”をしている。あたしは嫌いなはずなのに。きゃぴきゃぴしながら、異性、あるいは友達に自分を肯定してもらうことを望んでいる女の子らしい“女の子”が大嫌いなのに。あたしは、女の子を全開にしている。
「ユリルはすごく肌が白くて奇麗だし、髪の毛も奇麗な金髪だから……白の水着がすごくマッチしているんだと思う。セパレートで布地が少なめなのも、スタイルのよさを際立たせていて、衣装が本人を食ってないというか。両方が両方を引き立てあってるんじゃないかな。後、下のパレオもすごくユリルらしくていいな。そういうオシャレで、でも安易に肌を見せようとしない辺りがすごくユリルって感じがする」
「そう、そう……そう!!」
あたしは身を乗り出して、うんうん頷いている。しかも目を輝かせながら。
“女の子”そのものに堕ちてしまっているあたしを、あたし自身が客観的に見つめ続けている。……辛い。もう辛いなんていう言葉では表現しきれないほどに辛く苦しい。
でも、それでもなお、あたしは“女の子”のときめきを感じていた。それを抑えきれずに、ウィスを見つめ続けている。
「ま、まだ何か言わないといけないの?」
さすがにウィスも困ってしまって、頬をかきながら聞いてくる。
「……ううん、もういいわ。あたし、おかしくないのよね?本当にあたし、ウィスにとって魅力的に映ってるのよね?」
そして未だに“女の子”は継続するのである。
「もちろん。ユリルは前から可愛いと思ってたけど、でも、改めてそれを強く感じた。魅力的な女性だな、って」
「そう!!!」
バカだ。もうなんというか、あたしも大概バカだし、ここまで真面目に答えてくれるウィスもバカだ。あたしがそれを要求してしまったんだけど。
気がつくと、あたしは顔を真っ赤にしていて、そのまま逃げるように顔を背けた。……最後に女の子らしいバカバカしさを全開にした言葉を口にして、それきり素面に戻った感覚だ。……今あったことを全て忘れたい。そしてウィスからも忘れさせたい。
「ごめんなさい。色々と。……本当に。色々と」
とりあえず、自分自身に憤る前に、振り回してしまったウィスへの謝罪をするべきだと、平静に戻りつつある頭は考えた。
「い、いや、初めて泳ぐから、テンション上がっちゃったんだよな。それはわかったよ」
「…………ごめんなさい」
とにかく、それしか言えなかった。
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