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「さ、ユリルさんは診察室へ。ウィスくんは、待合室で待っていてもらえない?ユリルさんが男の子なら付き添ってもらったのだけど、ほら、診察の時は服を脱いでもらうから」
「あっ、はい。わかりました」
彼女の診療所は、それほど大きなものではなかったものの、新造の建物だからなのか、美しく機能的だった。
今まで、医者にはほとんどかかったことがないし、幼い頃に病気をした時は、医者の方が家に来てくれていた。だから、こういう診察室や処置室というのは閉塞感があって苦手なのだけれど、むしろ安心感があった。
「……ふぅ。まあ、ステラの言っていたであろうことも、あながち間違いではないのよ。私、男性というものが苦手で。ウィスくんが悪い人じゃないことはわかっているのだけど、それでも、同じ空間にいるのは気が滅入っちゃうの。だから、この診療所の職員もみんな女性なの。……もちろん、男性の患者さんも診るわよ?それは仕事だから割り切るわ。でも、そうじゃない時は女の子に囲まれていたいのよ」
診察室で二人きりになると、メルカさんは表情を崩してそう言った。
「そうだったんですか。……実は、あたしも」
メルカさんとあたしは、たぶん男性を苦手としている理由は違う。きっとメルカさんは、過去に何かイヤな経験があるから、というよりは、単純に男性というものが苦手なんだろう。でも、男性が苦手だということは共通していた。だから、あたしもその気持ちに共感したい。
「軽い男の人って嫌いなんです。でも、ウィスはそういうところはなくって、安心できて」
だけれど、なぜかあたしはまるで、彼のことを弁護するようなことを言ってしまっていた。
「そうなの。確かに彼はそうね。いまひとつぱっとしない感じだけど、優しくて誠実そうだわ。今時、珍しいタイプね」
「えぇ、まったく。逆に頼りない気もするんですけど、意外と力仕事なんかは任せられるんで」
「本当、希少なサンプルだわ。分析したいほどに」
「あははっ…………」
あたしたちは、思っていた以上に相性がよかったのか、自然と話は弾んでいった。しかもその中心にいるのはウィスだったのだから、男嫌いの二人だというのにおかしなものだと思う。
「――さっ、ほどよく和んだところで、始めましょう。上を脱いでくれる?下着はそのままでいいわ」
「はい――」
南方はかなり暑い気候だ。それにここで魔法の修行をする訳ではないのだから、と思い切って薄手の服を着ている。……肌を露出するのは苦手だから、それはしないけど、脱ぎやすい服なので診察を受ける上で都合がいい。
「少し、胸に触れるわよ。――別に、単純にユリルさんの胸を触りたいんじゃないわよ?」
「わかってますよ」
人間の魔力は、体の芯。心臓にほど近い場所にあるという。だから、それを感じるには胸の奥深くに触れるのが一番いい。
ぎゅっ、と下着越しに胸を抑えつけられるように触診を受ける。メルカさんは、痛くならないように気を使ってくれているのがよくわかる手つきで、そこにいやらしいものは少しも感じられないし、素早く的確にあたしの体の中心に触れていた。
「……ああ、なるほど。そういうことね。――ね、少し関係ない話をするけれど、ユリルさん、すごく奇麗な白い肌ね。これは私の経験則なのだけど、あなたってどこかの貴族の家の子?」
「えっ……?」
「わかってる。苗字を名乗らなかった時点で、それを明かしたくはない事情があるのでしょう。だから詳しくは聞かないけど、少なくとも中流以下の家庭の出身ではないわ。庶民でも名門か、貴族。どちらかでしょう」
「そうです、けど……」
今まで、初対面の人と会う機会はほぼなかったけど、あたしは名乗る時にはアーデントの名を封印して、でも、バルトロトの名前も使わないことを決めていた。
あたしが完全にアーデントを捨て、バルトロトを名乗るのは、ステラ先生の元を卒業した時だ。それまであたしは、ただのユリルとして、ステラ先生の元で修行をする。それがあたしの、生き方だった。
「そして、あなたは二人目以降の子ども。間違いないわね?」
「はい……。なんでわかったんですか?あたしのことを、もう知っていたとか?」
「いいえ。あなたの魔力に触れてわかったの。あなたの魔力はすごく強い、荒々しいほどに元気なものだわ。でも、それをこれもまた強い魔力の殻が覆っている。今までのあなたの魔力は、そうね……ずっと閉じられていた炉のようなものだわ。その内で強い炎が燃えているのに、空気を取り込めないから、不完全燃焼を続けている。それでも温度は上がっていっていて、今になって己の熱で、炉自身が溶け出してしまっているのよ」
「え、えっと、それはつまりどういう……?」
あまりたとえ話や、文学的な表現の類は得意じゃなかった。
「あなたの魔力は、誰かによって封印されている。でも、あなたは自分自身でその封印を壊そうとしていて、そのせいで魔力が不安定になっていたのよ。このままでも、勝手に封印は解除されるでしょうけど……内側から封印を破壊するなんていう荒っぽい方法だから、重大な後遺症が残る危険性があるわ。だから、外側から封印を解くべきね。でも、いくら弱まっているとはいえ、この手の封印を第三者が解除する方法は――――」
メルカさんは、必死に書物をめくって、解呪の方法を探してくれている。
でも、あたしは彼女の言葉も、その様子も、満足に見ることができていなかった。
初め、大きな絶望があった。その後、怒りが。たぶん、今までの人生で一度も感じたことのない、殺意にも似た怒りがこみ上げてきて。でも、それは正に空気が不足したために消えてしまい、最後にまた悲しみが落っこちてきた。
メルカさんが言わんとしていることは、こうだ。
あたしは名家(アーデント家)の二人目の子として生まれた。
あたしが生まれた時にはもう、あたしのお兄様が優秀な跡取りと目されていた。
あたしもまた、優秀な魔法の素質を持っていた。
あたしの家の人間は。お父様やお母様は、あたしのその才能を邪魔に思った。可愛いお兄様よりもあたしに素質があるのなら、あたしが家督を継ぐべきだからだ。
だから、幼いあたしの魔力を封印した。
そしてあたしは、そのことも知らずに魔法学校に通い始めて、そこで失敗続きの毎日を送った。
卒業後。幸運にもステラ先生に師事することができた。でも、そこでもあたしは得意な魔法以外を使えなかった。
今。ステラ先生に成長を認めてもらって、熾天の書の封印を一段階解いてもらった今、遂にあたしにかけられた封印はほころび始めた。あたしの魔力が、もう抑えきれるものではなくなったのだという。
「っ…………!(あたしは、他ならないあたしの家族に落ちこぼれであることを望まれ、そしてその通りに生きてきた)」
言葉は出なかった。もしも出してしまっていたら、涙まで流していたと思う。
だけど、あたしは泣いちゃいけないと思った。メルカさんに涙を見られるのが恥ずかしかった訳じゃない。ここで泣いたら、家族にいつまでも負けっぱなしで終わってしまう、そんな気がしたからだった。
「やれやれ……ステラなら、これぐらい勘付いていてもおかしくはないのだけど。不確かなことを言うべきじゃないと考えたのか、私にその役目を押し付けたがったのか……。まあいい。私は余命いくばくもない患者にも、その寿命を告げなければならない医者だ。その覚悟はある。
ユリルさん。あなたの事情は知らないし聞かない。でも、あなたの魔力が封印されていたのは事実よ。これを解除するには、霊泉を利用するのが一番だわ。封印は火の魔法由来のものだから、強い水の魔力に触れれば、自然と消滅する。でも、魔法使いの操る水の魔法を受けると、強い反発を起こして、あなたの魔力が傷つけられる危険がある。だから、自然の霊泉を使うの。そうすれば、安全に封印は解除されるから」
「……そう、ですか」
「ユリルさん。心中は察するわ。でも、私は医者だから、あえて言うわね。――今、あなたの心にあるのが失望なのか悲しみなのか恨みなのかはわからない。でも、いつまでもそんな封印を残していては、あなたの体にも心にも毒だわ。ちょうどこの街からほど近いところに、霊泉の沸く山地があるの。明日の朝、すぐにでもそこに向かって、封印を解きなさい」
「メルカさん」
「……ええ」
「あたし、負けません」
それが、ただひとつの言葉。ただひとつの決意だった。
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