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「ところで、もうご飯は食べたの?」
「え、ええ。朝起きるのが遅かったから、朝昼兼用で」
商店街へ向かう中、彼――ウィスがそんな質問をしてきた。……色々とイヤな経験があるから、どうしても食事に誘うようなことを言われると過剰に反応してしまうあたしがいる。大人から同じ学校の生徒まで、色々な男の人に声をかけられ、いちいちイヤな思いをしてきた。
どうしてよりによって、人付き合いの苦手なあたしに声をかけてくるんだろう。いや、どうしてよりによってあたしが、男に興味を持たれる容姿で生まれてきてしまったのだろう。もっと社交的な人がそうなら、もっと上手くやって楽しくやれていただろうに。
「そっか……いや、そろそろ腹が減ってきたな、と思って。でも、あんまり使い込んだら帰りがしんどいからな……エルケットには一日で帰れないから、途中で宿泊する必要もあるし」
「あなた、本当に最低限のお金しか持たされてないの?」
「あ、ああ。五千ルースだけ。魔道書は三千ルースはするっていうし」
「……あなた、旅を舐めてるでしょう。あたしだってまだ三万ルースは自由に使えるお金があるわよ?」
「いやまあ……うん、舐めてますなぁ」
なんというか、想像以上に彼は非常識らしい。まるでいきなりこの姿のまま、生まれてきた赤ちゃんのような……いや、さすがにそれは言い過ぎか。最低限の礼節はわきまえているみたいだし、いきなりあたしの体に触れてくるようなことがない以上、今まであたしを苛立たせてきた男とは違う。――まあ、それは男の中でも最低の部類だと思うので、恐ろしく低い基準なんだろうけど。
「お腹が減ったなら、この商店街で何か食べれば?この町は学生が多いから、それ向けの安いパンなんかを売ってるわ」
「おっ、そうか。確かに美味そうなサンド屋があるな……じゃあ、そこで――」
「はい、五百ルースもあれば二個は買えるわ。それだけ食べれば満足でしょう?」
「ご、ごめん。家に帰ったら絶対に返すから!」
「はいはい。……まさかあたしが男からおごられるんじゃなく、おごる方に回るなんてね」
魔法使いでもないのに他人の家に住まわせてもらっている時点で、彼にも事情があるんだということはわかる。でも、ここまで頼りない人を信用していいんだろうか。……やっぱり、彼の評価は不安定かつ低調子なままだ。あたしとしては、もう少しこう、男としての頼りがいというか、度量というか……体格も、背丈はそれなりにあるのに筋肉は全然ない感じだし、今まで何をして生きてきたのかが本当にわからない。
学者っていう雰囲気じゃないし、それにしては物を知らな過ぎる。傭兵や農民といった力仕事は体格的になし。体型は魔法使いに多いようなそれだけど、それは違う。なら、王侯貴族……いや、それはもっとない。少なくとも貧乏くさい感じじゃないけど、高貴な血筋とも思えない。
「うん、結構いけるな。というか普通に美味い。いやぁ……久しぶりにしっかり美味いもんを食ったよ。エルラさんは料理できないから、俺が適当に作ったものしか食えなかったし。そういや、ユリルは料理できるの?」
「……女として人にバカにされない程度には。というか、料理もできないって、あなた本当に何者?本当に貴族か何かなの?」
「い、いや、そうじゃないけど、なんていうかな……少なくともみんなとは違う、みたいな?」
「自分を特別だと思い込んでるの?」
昨日までのあたしみたいに。
「そうじゃなくってな……まあ、家に着いてから詳しくは話すよ。しいて言えば、旅人ってことで」
「他人の家に居候しておいて旅人を名乗るってどうなのよ。流浪の民を気取るなら、もう少し旅慣れてからにしなさい」
「うっ……実にもっともな意見だ。とにかく、一口じゃ説明しづらいし、他人にあんまり聞かれたくない事情があるんだ」
「まあ、それならここで詮索はしないけど。少なくともあなたからイヤな感じはしないし」
全幅の信頼を置けるほどの頼りがいもないけど。
「いやぁ……それほどでも」
「なんで照れるのよ。ごろつきみたいな男よりはマシって言ってるだけよ?……あたしはそういう男によく言い寄られて迷惑してるの」
「……そうか。まあ、ユリルは何かと目立つだろうからな…………」
「望んでそうなった訳じゃないのに、男って本当に勝手よね。普通、名前も知らない人の見た目がよかったからって、いきなり声をかけるもの?それも、ただちょっと話したかっただけとか、ご飯を一緒に食べたかっただけとか。本当に信じられない。そういった行動って、自分が下半身の欲望を垂れ流しているみっともない人間っていうアピールにしかなってないって、どうして気づけないのかしら。それとも、それを恥と考えられないほどに羞恥心に欠けているのか……いずれにせよ、同じ人類とは思えない程度に最悪の人間だわ」
気がつくと早口になっていて、歩みも速くなっているのを感じている。……本当に。本当にどうしてあたしが、こんなことになっているのか。今のあたしなんて、見た目がいいだけの何もできない小娘なのに。
「ユリル、ごめん。デリカシーのないことを言った」
「……別にいいわよ。自分の容姿に自覚はあるから」
そして、こうして彼に謝らせておいて、自己嫌悪に陥る。いっつも、こうだ。あたしを心配してくれる人にも、ついつい突き放すようなことを言って、友達ができないというよりは自分から友達を作らないように持っていっている。
それでいて、夜眠る時や、親しげに話す同世代の女の子同士を見て、友達がいない自分のことをものすごく不幸に感じている。自分から独りを選んだのに、孤独に押し潰されそうになって、自己嫌悪に陥って。あたしを相手してくれるのは、忌み嫌う頭の悪い男たちだけで……。
――これが、あたしの生き方だった。きっと初めからそう決まっていた、ユリル・アーデントの生き方。それを辛いとか不幸とか感じるのがたぶん、お門違いなんだ。そうして生きていくことになっている以上、それを受け入れるしかない。……辛くはない。あたしはこうして生きることに意味があるんだから、きっと。
「この辺り一帯が魔法触媒を扱っているわ。魔道書の専門店はあっち。とりあえず専門店から見た方がいいわね。定番のものから珍品まで揃っているし、品揃えは大きな街にも劣らないわ」
先輩魔法使いたちがイヤでも目に入ってくる区画に辿り着く。――気持ちの整理はついた。いつまでも暗い顔をしているつもりはない。あたしは、幸せに生きる。そのためにウィスを手伝って、そのエルラという人に紹介してもらうんだ。
「ああ、そうだな。……でも、一応そこは当たったんだけどな。素人が見たから見つからなかったのかもしれないけど」
「流転の書という名前を伝えた店がそうなのね?……でも、冷静に考えてそうよね……エルケットの街の方がこの町よりも栄えているし、物の出入りも多い。この町にわざわざ買いに来させる理由があるのかしら」
落ち着くと、かなり冷静な思考をすることができてきた。思えば、このお使いはかなり妙だ。エルラ氏がエルケットの街にいるのも、そこが魔法使いとして生活するのに都合がいいからのはずであり、普通は街の中で必要なものは全て揃う。
だから、彼女が求めているものはこの町にしかないもの、ということに絞られてくるけど、大きな街に比べてこの町の商店が優れているところがあるとは思えない。都にない珍品が偶然入荷していることがあるかもしれないけど、三千ルースで買えるはずがないだろう。それなら、一体何を求めているのか。鍵となる言葉は、流転……移り変わるということ。移り変わる魔道書で、三千ルースで買える……。
「…………はぁ。まさか、本当にそうなの?」
「えっ、心当たりが?」
「限りなく当たって欲しくない推理だけど、たぶんそうよ。なんで、よりによってあたしがあなたに協力することになったのかしらね。……これも運命?だったら、相当にふざけた運命を用意してくれているわね、運命神サマなんてのがいるとしたら!」
彼の腕を引っ張って、商店街の最奥へと向かう。
「ちょっと!?」
「“流転の書”は一般的な商店にはないわ。ここの一番奥。魔法学校に一番近い商店よ」
魔法学校と契約して、学生向けの道具や書物を専売している商店。店名はマガリー商店で、由来は最初の店長の名前らしい。魔法学校自体が二百年という歴史を持っているので、当然、商店も二百年前からあったんだろうけど、独占契約の権利を勝ち取ったのだから、かなりのやり手だったんだと思う。
まあ、学生からすれば否が応でもこのお店で買い物をしないといけないんだし、価格もそこまで高い訳じゃないから、よくお世話になったんだけども。
「あら、ユリルちゃん!男の人を連れて……まさか、彼氏ができた報告をしに来てくれたの?」
「どうしてそう解釈できるんですか。この人が欲しいものがここにしかないんで来ただけです」
現在の店主、マリオンさん。かなり若々しい見た目だけど、実年齢は四十いくつかで、年相応に構いたがりの……おばさま。誰にでも実子のように接してくれるこの人のことが好きな生徒もたくさんいたけど、あたしはもちろん苦手だ。そもそも、本当のお母様にもそこまで親っぽく接してもらったことはないのだから、全くの他人にそうされるのはきつい。
「ユリル、ここに“流転の書”が?」
「ええ。流転、常に移り変わっていく魔道書とは、これ。“星海の書”よ。これは魔法学生が魔法の初歩として、魔法の原型のひとつとされる“星読み術”を使うために必要なものなの。中にはその年の星の動きや、流れ星がどれぐらい降るかも予測されていて、それを元に“星空を読む”という魔法を使うの。星の配列というのは、大昔のこの世界の記録ともされていて、その魔法を使うことでのみ、星に隠された物語がわかるのよ。まあ、本当にそれだけで暇つぶしにしかならない魔法だから、学校でちょっと触れるだけだし、わざわざそのための魔道書を一般のお店が扱うことはない、だからここにしかないの」
「そうか、流転っていうのは、星空は微妙に毎年違ってくるから……」
「そういうこと。後、微妙じゃなくて結構大きな変化よ。去年はなかった流星群が今年は降ることもあるし、星がいきなりその輝きを変えることもある。だから星読みって、単純なようで奥が深いのよ。あたしも嫌いじゃないから、よく覚えてた。その記憶が役立つとはね……」
値段は二千と六百ルース。おおよそ三千ルースだから、きっとこれで間違いない。
「謎解きでもしてたの?彼氏さんと楽しんでるようでいいわねー」
「……彼氏じゃないって二度言わせないでください」
「ふふっ、とにかく、今年の星海の書を買っていってくれるのね?」
「はい、この人が」
これ以上マリオンさんと接していると、気力や体力ががりがり削り取られていく気がしたので、とっととウィスと交代する。
「それで、本当にユリルちゃんとはそういうのじゃないの?」
「え、ええ。たまたま俺の買い物に協力してくれてるだけなんです」
「なーんだ、てっきりユリルちゃんが遂に恋を知ったのかと思ったわ。お兄さん、中々にかっこいいし、お似合いよ?」
「ははっ……俺には分不相応ですよ、彼女みたいな子は」
「あら、それなら私が彼女に立候補しちゃおうかしら!」
「……え、ええっと、ご家族がもういらっしゃるのでは?」
「それがねぇ、ダンナは事故で逝っちゃったのよ、子どもも作る前にね。だからこそ、学生の子たちが可愛くって可愛くって……」
「そうだったんですか……」
黙って聞いていると、どんどん話が展開していっていた。……というか。
「ウィス、マリオンさんの旦那さんは健在だし、息子さんもきちんといるわよ」
「えっ」
「こら、ユリルちゃん!せっかく、このまま押し切れそうだと思ってたのに……」
「若い男を騙して何をするっていうんですか。学生ならまだしも、無関係の人にちょっと悪質過ぎますよ」
ずっとお世話になっていた人だけど、どうにもこの人は慣れない。そして、とうとう最後まで慣れることなくこの町を去っていくことになる。でも、その旅立ちの日にこの人に会うことになってしまう辺り、妙な縁はつながっているのかもしれない。
「さ、買い物が終わったなら行きましょう。あんまりのんびりしていると、この町にもう一泊する破目になるわよ。できるだけ前に進んでおかないと」
「あ、ああ。ありがとうございました」
「はい、ありがとう。ユリルちゃんも、がんばりなさいね」
「……できるだけのことはやります」
「そうね。人間、自分の能力以上のことは逆立ちしてもできないんだから、ほどほどにやるのが一番よ」
今のマリオンさんは、自分にできることをやった結果、商店を継いでいるんだろうか。他にやりたいことのひとつやふたつ、若い頃はあっただろうに。言ってしまえば地味な、裏方の仕事を選んだ。手堅いんだろうけど、日々学生を相手に商売し続ける仕事というのは、あたしにはひどく退屈に映る。学生たちに必要以上に構いたがるのも、その退屈をしのぐためなんじゃないか、と今も思っている。だけれど、本人がそれに納得できているというのなら、それは楽しい仕事で、楽しい生き方なのかもしれない。
あたしに今見えている、自分が納得できる生き方は……魔法使いになることだ。
魔法でしかできないことをして、人の役に立ちたい。できるなら、人の生活を少しでも進歩させたい。そうして、あたしの顔も知らない誰かに褒めてもらい、認めてもらいたい。
そう、思った。
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魔法世界の日常を描くのがすごく好きです
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