『そんな馬鹿な策があるわけないじゃない!』
声を荒げたのは琥珀色の瞳をした美しい少女だった。怒りに顔を赤く染めた彼女は殴りかからんばかりの勢いで自らの主に詰め寄り正面から睨めあげる。手を出さないのは王を守るという近衛兵としての職務からくる矜持だったのかもしれないが、やり場を失ったいらだちは彼女の身体を細かく震わせその度に揺れる金色の髪が篝火を受けてきらきらと輝く。
『貧すれば鈍ずとは良く言ったものね。策士として天才呼ばわりされてきたあなたも所詮、人の子に過ぎないってとこかしら。でも、自らの身に危機が迫っているとはいえ、その策はあまりに醜すぎるわ』
尚も罵倒の言葉を続けようと息を吸った彼女を止めたのは別の少女の静かな声だった。
『それくらいにしてくれないか』
銀髪紫眼の少女は二人から少し離れた木箱に腰掛けたまま、言葉を続ける。
『私のことを思ってくれているのだろうと思うが、そのような気遣いは必要ない』
『で、でも……あなたこそ、文句を言うべきよ。ううん、そんなんじゃ済まない。手を上げても良いと思う。そうでもしないとこいつはさっきの馬鹿な策を取り下げないと思う』
『必ずしも馬鹿げた策ではないと私は思う』
銀髪の少女は立ち上がり二人の方へ歩み寄る。美しい歩き方は彼女の腰に挿された刀が伊達ではないことを物語っている。一歩歩みを進める度に袴の裾が揺れ、同じように髪が揺れる。そこに結われた藤の花が辺りにかすかな香りを辺りに零す。その甘やかな香りはしかし、戦場において敗北へ誘うものとして敵方に恐れられているものだ。
『敵軍は強大で既に主力が我が領内に侵入している。一方で相手領内に我らが手勢は一人もいない。斥候からの報告で相手の大将の一隊はやや孤立気味と分かっているが、闇雲に一方から攻め立てても逃げ足の速い相手のこと捕まえることは出来ないだろう。むしろ敵方の味方が待つ方に逃げ込むのを誘発しかねない。これは下策中の下策だ。なれば、私に手勢を率い敵領内に侵入し楔として働けと命じた主の策は必ずしも愚策とは言えない』
機動性において我が隊は他の隊に比べて優れているからな。そう結んで彼女は相手の琥珀の瞳をまっすぐ見つめてみせる。そこには少しの感情もなく、故に既に彼女は死を受け入れているのだと感じられた。だが、それを許せないと感じる金の少女は尚も反駁を続ける。
『戦略的に間違っているとは言ってないわ。相手大将を捕まえるためには逃げ道封鎖は必須。だけど、あなたが侵入を命じられたところは敵軍の部隊――それもかなり強力と伝えられている二部隊のすぐ近くなのよ。死地と呼ぶのすら生ぬるいそんな場所にあなた一人が行ったところで楔なんかになれると思うの? そんなこと不可能よ』
『敵軍とて全能ではない。奇襲に接すれば動揺することもあるだろうし、そうなれば私にも勝機はある』
そんなものない。そんなことは誰もが分かっている。少女の部隊がもつ機動性は軽装かつ少人数であるが故に得られるもの。迎え撃つ敵軍の部隊は戦場を縦横に駆けめぐる騎馬部隊と重装備の守備兵だ。どちらか一方であればまだしもその両方を相手に勝ちを得ようというのは赤子ですら無理と分かることだ。
それに――と少女は言葉を繋ぐ。
『刀を手にしたときから死は覚悟している。今更騒ぐほどのことでもない』
『そんな、そんなことは私も一緒よ! こいつのためなら死をも辞さない覚悟で来たつもり。それでもその死が犬死にじゃ意味がない。あなたが戦略的に正しいといった作戦は、むしろ貴重な戦力を失い、相手に力を与えるだけになるその策は戦術的には最低と言って良いものだわ』
『だが、他に手段はないだろう? 一応の防御は固めてあるがこことてそうは長くもたない。貴公とて守りきれるとは思っていないのだろう?』
『――っ』
『あまり遅くなっては策自体が無駄になる。時間切れになっては元も子もない。夜闇に紛れて陣を抜け出す。――そう、心配するな。先に言ったように勝機がないわけではない。いや、必ず勝ちをものにしてみせる』
そう言って彼女は初めて微笑んでみせる。
『それでは準備もあるのでこれで失礼する』
そう言って背を向け歩き出す。
――だったらと、金の少女は思う。だったら今の言葉は何なのかと。歩み出すその瞬間、衣擦れに紛れて聞こえたかすかな声。世話になったのその一言は何なのかと。勝つつもりなら、生きて返ってくるつもりならばそんな言葉は不要なはずなのに。
『ぎ――』
呼び止めようとした少女を止めたのは柔らかな瞳をした紫の髪の少女。長い髪を赤い細紐でくくった彼女は。少女を後からぎゅっと抱き止めたまま、大丈夫よと言う。
『大丈夫なわけない! だって――』
振り向いて声を荒げる少女にしかし、返ってくる声はあくまで柔らか。
『王くんにもきっと考えがあってのことよ。それに私だっている』
醸し出す緩やかな空気故か、頭が弱いと揶揄されることもある彼女は全軍一の弓の名手でもある。守備部隊として戦うにはいささか心許ないが、戦況を一変させる力があるのも確かだ。主を『くん』付けで呼べるのもその実力を認められてこそ。
『だから、もう少し王くんの策を、彼女の力を信じてあげて』
そう言っていっそう強く抱きしめられた少女は相手の胸元に顔を押し当て、やがて身体を細かく震えさせはじめた。かすかに聞こえた嗚咽はしかし、遠く聞こえた銀の少女が率いる隊の号令でかき消された。
そして、少女は死地に辿りつく。過酷な道程により傷ついたものも少なくない。この手勢で敵の守備隊、あるいは騎兵隊を殲滅させることが出来るのか。無理と思うのは容易い。絶望するのもまた同じ。だが、彼女は愛刀を手にただ無心を心がける。八面玲瓏。そう思い浮かべた彼女はいや、それは王の極地だと思い、また愛しい男のことを想い薄く笑んだ。
『八面とはいかずとも五面くらいなら私にも可能だ』
そして、部下に抜刀を命じる。目指すは敵の守備隊ただひとつ。鞘を払い、ひとつ息を吸う。彼女の最後の戦いが始まろうとしていた。
戦はその僅か六日後に終わったという。戦勝軍で一番の殊勲として称えられた銀の少女――ジェネラル・シルバー――は、王の横に凜と立っていた。だが、少女の顔がかすかに赤くなっていたこと、そして袴の下、彼女の手が王の手としっかり結ばれていたことを知るものはそう多くない。
それから二十年が経とうとした世界。その頂点を目指す戦いにおいて再び、彼女は彼女の愛する男を、彼女を愛する男を勝利に導く活躍を見せた。だけど、それはまた別のお話。
「おーおーおーおーっ。やった」
「これは何ですか?」
「先手(羽生)5二銀」
あとがき
好きなゲーム(将棋)の好きなキャラ(駒)をモチーフにした作品です。天の邪鬼ですいません。でも、本当に好きな駒は角です。テーマにも沿えてません。すいません。
この作品はいわゆる「伝説の▲5二銀」を描いたものです。Google先生に聞いてみると、どういったものか教えてくれるんじゃないかと思います。最後の振りは永世名人がかかった名人戦での森内名人(当時)相手の連続銀不成ですが……ってマニアックすぎますね。すいません。
こんな作品ですが、最後まで読んでくださりありがとうございます。次はもうちょいまともなのを載せれたらな……と思います。
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敵の手が領内に及び、陣が落ちるのは目前。そのとき王が命じたのは少女を死地に送り込む残酷ともいえる策だった。
「好きなゲームのキャラ」をテーマに友人と競作したときのもの。タイトルは海堂尊さんの『ジェネラル・ルージュ〜』をもじったものです。