有体に言ってしまえば甘興覇は彼を愛していた。
自身が認めなくても、確実に。
嫌おうと決めても、不可能なほど。
彼女は北郷一刀に惚れてしまっていた。
高い高い城壁の上、そこに思春は一人たたずむ。
眼下に広がる光景の中の小さく映る彼を視界にとらえながら。
彼女にとってこの感情は未知のものだった。
そして一刀自体も彼女にとっては未知のものだった。
生きるとは、戦うこと。
それが彼女の中の常識だった。
味方を守る、敵を斬る。
一介の江賊に過ぎなかったころも、雪蓮に見出され呉の臣になってからもそれだけは変わらなかった。
彼女のみに限らず、一般的にはそういうものだ。
しかし北郷一刀はそんな彼女の常識にとらわれるような人物ではなかった。
剣を向ければみっともなくも怯えて逃げていく。
それが原因で彼に嫌われようが、恐れられようが、彼女にとってはたいした問題ではなかった。
そしてそれが当然だとも思っていた。
しかしその後に顔を合わせれば平気な顔をして笑いかけてくる。
刃を向けた相手に向かって、まるで何事もなかったかのように自然に。
彼女はそんな一刀を理解できずにいた。
「む…」
ある光景が視界に入った時、彼女は無意識に顔をしかめた。
彼女と親しくない人間にはまるで分からないほど僅かにではあるが、不満そうな表情が確かに浮かんでいる。
視線の先に移る一刀は彼女の主の手を引き歩いていた。
この距離ではさすがに表情までは確認できないが、だらしなく笑っているのがあまりにも簡単に目に浮かび、彼女にはそれが少し面白くなかった。
これは蓮華さまを心配しているだけだ
彼女は自分に言い聞かせる。
なぜわざわざ言い聞かせなければいけないのかは見ないふりをしながら。
「くくく」
「なっ!」
突然横から聞こえてきた喉を鳴らすような笑い声に驚き、思春が視線を向けるとそこには銀色の髪をもつ美女が立っていた。
日の光を受けたその髪は美しく輝きながら、城壁を吹き抜ける風に揺れている。
宝石のような美しさを持つ女性は、しかしその表情には似つかわしくのない、面白いものを見つけたとでも言いたげな意地の悪そうな笑みを携えている。
「祭殿…」
名を呼ばれた祭は面白くてたまらない、というような様子を隠そうともせずに口を開いた。
「甘興覇ともあろうものがずいぶんと隙だらけだのう」
「……それは」
からかうようなその言葉に反論を試みようとしたが、思春は目の前の人物に反論しても無駄だと気付き口をつぐんだ。
そもそも決して多弁というわけでもない思春が祭のような人物に口で渡り合えるはずがない。
そのことを彼女は自覚していたが、祭はそんな思春の考えを構わずに言葉を続けた。
「くくく、ずいぶんと分かりやすい反応をしおって」
そう言いながら先ほどまで自身が見ていた方に視線を向ける祭には、色々と見透かされてしまっているように思え、ひどく居心地が悪く感じた。
「いつぞやの幼平とまったく変わらんではないか。本当にお前たちは難儀だのう」
このままここにいてもからかわれるだけだ。
そう思った思春は早々にその場を後にしようと祭に背を向けた。
「興覇」
名を呼ばれ足を止める。顔だけ振り返った時に見えた祭の表情は先ほどまでと同じで愉快げに笑ってはいたが、その瞳にはどこか子を見守る母のような気遣わしげな色が宿っているように見えた。
「お主は自分を殺しすぎる。もう少し正直になってみたらどうじゃ」
「…失礼します」
その言葉を受けた思春は反論も了解とも答えぬまま、そう言い残し城内へと歩き出した。
あとがき
まあ続かないんですけどねー。一応(前)とは書いておきましたけど。
完成してから投稿しようと思ってたけど多分続きは書かないと思うんで投稿。
これだけだとタイトルと内容かみあっていませんね。プロットはあるけど思ったより長くなりそうで気力がないので断念。
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いつだって蓮華のバーター扱いの彼女があまりにも不憫だったので書こうと思ったけど…