「ふん、あの時は邪魔が入ったからな」
獲物の大剣を肩に担いでから右手だけを離し左目の上に被せられた眼帯を撫でる。
「せやな。一つ聞きたいんやけどええかな?」
霞は不敵な笑みを浮かべながら臨戦態勢の夏侯惇に声をかける。言うまでもなく霞も戦闘態勢のままだ。
「なんだ?」
「ウチも片目で闘こうた方がええか?ウチ不公平って嫌いやねん」
善意なんて全く感じさせない口振りだった。それはただの皮肉。
「まさか!!貴様の方こそ私を甘く見すぎなのではないか?」
「ならええねん。・・・やっぱ駄目やな。ウチにはこんな小手先だけの技は気に食わんわ」
頭(かぶり)を振りながら霞はやれやれといった様子で大きく一つ息を吐き出す。
「ん??」
「なんや気づいてなかったんかい!!はぁ・・・・」
「なにを勝手に落ち込んでいるのだ?それよりも闘うのだろう?」
「当然や。やっぱりウチらは武人なんやから最終的にあるんは武だけや。思う存分やろうやないかい」
霞の言葉を皮切りに二人の間に先ほど以上の殺気が迸る。
「なにやってんだよ・・・」
ここにきてやっと声を出すことができた。闘いに水を差すということをはわかっていたが声を出さずにはいられなかった。
俺も武人同士の闘いがどれ程のものかは多少なりと分かっているつもりだ。
「なんでこんなことになってんだよ!!霞!!!!」
その場にいた全員の瞳が俺の方に向いた。
「なんやの、一刀。邪魔せんといてぇな」
「わかってるのか、霞!?今お前がしようとしてることの意味が!!」
もはや罵声に近いような声で質問した。いや、もう詰問のレベルだったかもしれない。
「わかっとる。やから心配せんでもええよ」
さっきまでとはうって変わって聖母のような微笑を浮かべた霞が言った。
「霞・・・」
「やから見守っててぇな。ウチは一刀の足枷にはならへんってこと証明したるさかい。それに一刀に迷惑かけるつもりもないで」
いつもの表情で告げる霞に俺は何も言うことができなかった。だから俺は。
今できる精一杯の笑顔で頷いた。
「もう話はいいのか?」
「なんや待っててくれたんか?人のいいやっちゃな」
「気にするな。これがその男と話せる最期の機会になるのだからな」
ある意味でこれも夏侯惇の強みの一つなのかもしれない。他人の皮肉は気がつかない癖に自分は堂々と皮肉を言えるというのは。
「ウチを殺(と)るんはそないに簡単やないでぇ。覚悟しときや」
流石は歴戦の将・張遼。容易く挑発に乗ることはない。狡猾な肉食獣にも似た視線を夏侯惇以外に向けることはない。
「いい気迫だ!!では私から往くぞ!!!」
自信に満ちた笑みと共に夏侯惇が前に出た。
「でやぁぁあああああ!!!!」
夏侯惇は大上段から疾走した勢いのまま袈裟切りを放つ。
「遅すぎや!はぁっ!!」
正面からこの剣撃を受けるのは愚の骨頂とばかりに霞は身体を半身にずらし、交わしざまに突きを放つ。
「ふん!」
夏侯惇はそのまま回避行動はとろうともせずに大剣を振りぬいた。目標を失っていた刃は愚直に主の意のままに虚空に弧を描く。そしてそのまま地面に激突した。
激突する瞬間、夏侯惇は体を左に捻り地面に刃が入る角度を僅かに変えた。それにより刃に砕かれた石造りの回廊は霞を狙う細かい礫となり襲いかかった。
「ちぃっ!!」
霞は迫りくる凶弾を後方に飛ぶことで避けようとする。しかし、その隙を夏侯惇が見逃すはずもなく。追撃をかけようと霞の降りるであろう着地点に駆けた。
「はぁぁあああああ!!」
掛け声と共に夏侯惇は半ば引きずるように持っていた大剣で霞を真っ二つにせんと斬り上げる。
「食らうか!」
高速で己の身に襲いかかろうとする刃を霞はあろうことか偃月刀の石突の部分で受け止め、さらに夏侯惇の化け物じみた腕力を利用しもう一段後方に飛んだ。
「流石は張遼といったところか?しかし、逃げてばかりではつまらんぞ」
「はっ、言うてくれるやないの。に、してもすごい力やな。腕が痺れてもうたわ」
先ほどの攻撃を受け止めた時に一番力をかけたのだろう右腕をブラブラとさせながらニヤリと笑った。
「もう投降したらどうだ?悪いようにはしないぞ」
「なんか勘違いしとるんとちゃうか?ウチはまだ無傷でまだ闘えるんやで。しかもウチの得物にこんな・・・」
霞の示した偃月刀の石突の一部が破損していた。
「ははっ、それでは満足に闘えまい」
「何言うてんの?自分のも見てみい」
霞は夏侯惇の持つ大剣を目で示した。
「ん?まさか・・・」
夏侯惇の目に映った自らの得物に思わず声を出してしまった。それもそのはず、愛用の大剣の刃が立った一合打ちあっただけで欠けてしまっていた。
「分かったやろ。ウチ相手に手ぇ抜いて闘うなんてちとふざけすぎちゃうん?」
霞の言葉に棘が混じる。
「ならば仕方ない。立ち上がれないほどに痛めつけてから連れて帰ろう。先の戦の功をもってすれば華琳様もご寛大な心でお許しくださるだろう。・・・その男はわからんがな」
蔑むような視線を夏侯惇は俺に向ける。すべてお前が悪いのだろうと言外に言っているのがありありと分かる。
「・・・もうええわ。今のあんたとは話したくないわ」
「は?」
まただ。
霞の表情から色が消えている。
「やから、もうええねん。話すことなんてなんもない。かかってこい言うてるんや。こぉへんのやったらこっちからいくでぇ!!」
夏侯惇にしてみれば不意打ちに近いような形で霞は疾走し、一般人では目で追うことさえ困難なほどの連続突きを放つ。
「ほらほらほら!遅いでぇ!!」
面喰いながらも夏侯惇は大剣の腹を使いかろうじて霞の攻撃を避ける。
「くっ!」
「避けてばっかりじゃつまらんやないんか?」
霞の攻勢は止まることを知らず、連続突きに間髪いれず夏侯惇の足を狙い薙ぐ。
「当たるか!!」
夏侯惇は足を刃が切り裂く直前に高く跳躍した。霞の偃月刀は夏侯惇の服の一部を掠めただけで空を切った。
宙に飛びあがった夏侯惇は自らの腕力と重力に引かれる力を加え、霞に斬りかかった。
一方の霞も返す刀を上方に向け、膝のバネを最大限に利用し跳躍した。
「「はぁあああああ!!!!」」
二人の叫び声が重なる。
二人の刃と刃が重なる。
激しい金属のぶつかり合う音が周囲に響き渡る。
同時に眩いほどの火花が散った。
「ぁぁああああああああ!!!」
力の均衡が崩れる。夏侯惇の刃が霞のそれを押しのけるように前進する。
「ん?」
不意に夏侯惇の顔が怪訝そうな表情に変わる。一方の霞の表情はというと押されているにも関わらず楽しげに見える。
変化は一瞬だった。
霞は偃月刀に込めていた力をフッと“抜いた”。
要領は綱引きと同じだ。同程度の力を持つ相手同士が引き合うことで力と力に均衡が生まれる。しかし、一方が力を抜いたらどうなるかは想像に難くない。
夏侯惇は勢い余って空中でバランスを崩してしまった。霞は身体をいなし夏侯惇との激突を避ける。結果、夏侯惇の目には地面しか見えなくなってしまった。
視界から外れた霞は力を逸らした分だけ夏侯惇よりも長く留まり、二人の上下の位置関係は逆転していた。
「終いやっ!!!!!」
霞は落下する力と自重を利用し、偃月刀で夏侯惇の背中を突く。
「ちぃ!!」
夏侯惇は四つん這いという屈辱的な姿勢から横に転がり、霞の一撃を避けた。
「よぉ避けたやん」
「・・・・・・」
夏侯惇は素早く間合いをとり、再び大剣を構える。
「なぜだ霞!?」
「なんやねん、いきなり?」
「なぜそれほどの力を持ちながら我々を裏切るのだ?投降した将としては破格の将軍として迎えるという待遇もしている。それに義に厚いお前程のものが、なぜなのだ?その男の所為か?それほどに価値があるというのか。お前が命を懸けるに値するというのか!?」
「別にウチは裏切ってなんてない言うたやろ。ただ一刀には命懸ける価値はあると思てんのは確かやけどな」
「訳がわからん」
夏侯惇は憤りをそのまま言葉に口にする。
「せやなぁ。ウチも質問してええか?元ちゃんだけやない、妙ちゃんにもや」
「私にもか?」
夏侯淵は怪訝そうに聞き返す。
「せや」
「聞こう」
夏侯淵は首を上下に動かし承諾した。
「じゃあ聞くで。二人が闘う理由てなんなん?」
「「無論、華琳様だ」」
二人は口を揃えて言う。
「じゃあなんで大将が闘う理由になるん?」
「華琳様だからだ」
夏侯惇は自信満々に答える。
「それじゃ理由になってへん。ウチが聞きたいんはそんなんやない。妙ちゃんはどうなん?」
「私も姉者と同じだ。華琳様は我らを寵愛して下さる。それに応えるため闘う、それが我らが闘う理由だ」
「そやそや、それが聞きたかってん」
「こんなことを聞いてどうするつもりだというのだ?」
「まぁ待ちぃや。つまりや大将が二人にとって大切な人やっていうことでええんやな?」
コクリと二人は首肯した。
「それじゃあその大将が貶されたり悪口言われたらどうする?」
「当然斬る」「!?」
夏侯惇、夏侯淵。二人の反応は全くもって異なるものだった。
「妙ちゃんは気づいたみたいやな。分かったやろ、ウチは裏切ったわけやあらへん」
「??」
夏侯惇はどういうことかわかっていないようで首を傾げるばかりだ。
「霞にとって北郷一刀が我々の華琳様と同じような存在だと、そう言いたいのか?」
「せや。好いた人を馬鹿にされて黙っとくなんてウチにはでけへん。色恋沙汰に関してウチは初心者や。せやけど、大事なモンを傷つけるのは許されへん、そんだけはわかるわ」
霞は頬を僅かに紅潮させ、それでいて凛とした表情で笑った。
「・・・・・・」
夏侯淵は言葉を発するとこができなかった。彼女は驚いていた。当然霞に対してもだが、それ以上に視界の端の方で黙って成り行きを見守っている北郷一刀という男に対しては驚愕といっても差し支えないほどに。
確かに北郷一刀に関しての報告書は何度となく目を通していた。警邏中に凪を一喝し、真桜の工房にも出入りしているようだし、沙和とは気軽に会話するなど周囲に溶け込んでいるとのこと。これらは華琳様にとってなんら影響はないはずだった。
しかし、今回の戦での一件で魏国内の北郷一刀の株は急上昇し、世間的にも認められるようになった。これの真の脅威は華琳様といえども迂闊に北郷一刀に手を出せなくなったということだ。これが偶然でなく作為的なものであるなら・・・この男は危険だ。
そして現在進行形の霞の事。
我々は手を出してはいけないものに手を出してしまったのではないだろうか?
夏侯淵が思考に沈んでいる間に事態は急変していた。無論、原因は彼女の姉の夏侯惇である。
「華琳様と同じ存在だと!?ふざけるのもいい加減にしろ!!そんなモノを華琳様と一緒にするな!!高貴で崇高な存在である華琳様と下賤な輩を一緒にするなど言語道断だ!!その男がしたことはなんだ!?我が身欲しさに味方を売った“裏切り者”ではないか!!!!!」
激昂した夏侯惇は有らん限りの怒声を飛ばす。
「なっ・・!」
これには霞も怒りを隠そうともしないで夏侯惇に掴みかかろうとした。しかし、その足は前に進むことはなかった。代わりにゆらゆらと揺れながら俯きがちにゆっくりと歩を進めるのは、
「一刀?」
夏侯惇の言った一つの単語が俺の耳に入ってきた瞬間、目の前が真っ白になった。霞がソイツに掴みかかろうとしているのが見えた。
手を伸ばしてそれを制する。霞はこれ以上手を出すべきじゃない。
手を出すのは。
「いい加減にするのはテメェらだろうが!!!!!!!!!!!!!」
俺だ。
ビクリ、その場にいる俺を除く全員が身を竦める。それほどの大音声だった。
その隙を見計らうように俺は夏侯惇の胸ぐらを掴み上げる。それを止めようと手を伸ばしかけた夏侯淵を目で制する。
普通ならばこんなことはありえない。できるはずがなかったが今の俺にはできた。
なぜなら。
この時の俺は普通じゃなかったから。
もしかしたら狂人のような表情をしていたのかもしれない。
「裏切り者だ!?ふざけんじゃねぇよ!!誰の、何の所為で俺がこんな目にあってんのか分かってんのか!?テメェらだろうが!!!!」
俺の身長の殆ど変わらない夏侯惇の身体をギリギリと持ち上げる。その為、僅かに俺が見上げるような形になる。
「俺の気持ちがわかるなんて思っちゃいねぇ。思ってほしくもねぇよ!!それでも言って良いことと悪いことがあるだろうが!曹操が高貴だ?崇高だ?勘違いしてんじゃねぇ!俺たちに対してやったことはそこらの賊と同じことだろうが!!命が欲しけりゃ女出せだ?下賤なのはどっちだよ?あぁ?答えろよ、おい」
やすいチンピラのように問いただす。
「・・・・・・」
夏侯惇も夏侯淵も霞も、誰も答えることはなかった。
「力は正義、乱世じゃそうかもしんねぇ。だからって力の弱い者たちが何にも思わずに従うなんて思わないことだ!そんなもんで取った天下なんて直ぐに歪んで足元から崩れちまうよ!!」
自分の中に溜まりに溜まっていたすべてをぶちまけた。まるでガキみたいな、いや俺はまだまだガキなんだろうな。感情の制御もできないんだから。それに言っていることも支離滅裂、意味がわからない。
なにがしたかったんだろうな、俺は・・・。
我に返ったとたん今まで夏侯惇を持ち上げていた腕が悲鳴を上げていることに気付いた。つま先立ちになっている夏侯惇をゆっくりと下ろした時には腕が上がらないほど痛んだ。
少しだけ顔を歪めた後、なんだか居心地が悪いことに気がついた。その場にいた俺以外の三人が気まずそうに俺を見ていた。
なにか言わないと。
不意にそう思ってしまった。
「俺は・・・・・曹操に危害を加えようなんて思ってない。それは約束する」
言ったのはいいもののなんだか気恥ずかしくなってしまい、そのまま踵を返しその場を離れることにした。
その場に残された三人の間には未だ気まずい雰囲気が流れていた。
それもそのはず、夏侯惇に罵声浴びせる最中一刀をずっと涙を流していた。泣く理由は一つではないだろう。一刀の心中を知るのは一刀だけなのだから。
でも、それでも、一刀の感情は、激情は、声で、表情で、涙で、その想いの強さを表していた。
「ふん!軟弱な」
夏侯惇は吐き捨てるようにそれだけを言って一刀が歩いて行った方向とは逆の方向に歩いて行った。
「私は・・・華琳様を信じている。これからもずっと、この身が果ててもずっとだ」
「ええんやない?ウチは妙ちゃんたちが大将を想うように一刀を想う、ずっとや。それでええねん」
「そうなのだろうか?」
「ウチかてこの国は好きや。裏切りとうもない。せやけどそれ以上に一刀が好きやねん。そんだけはわかって欲しい」
「北郷一刀が言っていた。華琳様に危害を加える気がないとは本当なのだな?」
「一刀がそう言ったんならホンマやと思うで。一刀は嘘つかへんからな」
「本当に惚れているのだな」
「わかるぅ?ホンマにめっちゃ好きやねん」
霞は嬉しさとテレを足して二でかけたような表情で答えた。
「そうか」
夏侯淵は溜息を吐きながら答える。
「取ったらあかんで。ウチが先に唾つけたんや」
「ありえないな」
二人の間にやわらかな空気が流れる。
「あ、一つ聞きたいんやけど」
「なんだ?」
「なんで二人はここに来たん?」
「あぁそれはだな。北郷に華琳様の命を救った功績に対して労いぐらいは、と姉者が言いだしてな」
夜風の吹く、暗い城壁の上を何とも言えない雰囲気が包み込んだ。
あとがき・・・・というか補足
わかりづらい点があるかもしれない、ということで補足として書かせていただきます。
まず、霞が夏侯惇に喧嘩を売ったのは一刀に対する夏侯惇の態度にキレたからというのが理由の一つ。
二つ目の理由は自分の愛の深さを一刀に示すということ。こちらの方はあまり明文化していません。
夏侯姉妹と霞、この両者の大きな違いは愛する対象と仕えるべき主が同じかそうでないかということです。
夏侯姉妹場合は愛する対象も仕えるべき対象も華琳という同一の人物であるということ。一方の霞の場合は仕えるべきは華琳だが愛する対象は一刀である。
この差異が今回の騒動の遠因だといえる。
実質的原因は霞を除く魏家臣団の一刀に対して持っている不信感や猜疑心、これにより霞が一刀を庇うような行為をしただけで裏切ったと誤認した。
つまり今回の事件は一刀が扇動した霞の謀反というわけではなく、本文にも書いたようにただ霞は一刀を貶されたのが許せなかった為に起こした“喧嘩”である。
他にも分かりづらい点がありましたらコメントなどでご質問ください。
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12話が完成しましたので投稿いたします。
なんだか一刀が変な感じになってます・・・。
また誤字やおかしな表現がありましたらご報告お願いします。