どこかの世界。
日本。
とある地方都市。
一人の青年が大学生という身分で大学近くのアパートの一室を借りて暮らしていた。
その狭いワンルームだけが彼が心からくつろげる空間だった。
青年は名をにっかり青江といった。
授業を受け、友人と談笑し、バイトへ向かう。
その繰り返し。
凡庸とした生活。
流れるように過ぎていく日々。
にっかり青江にとって人生とはそういうものであった。
年の瀬の迫る頃、街は綺羅びやかなイルミネーションと優しい音楽に溢れている。
そういったものも、幸せそうな人々すらも背景として通り過ぎ、にっかり青江は自宅へ戻った。
今夜はバイトが早く済んだのでゆっくりと夕飯を作ることができる。
がさがさとスーパーの袋から食材を取り出しているときだった。
めったに鳴らない玄関のベルの音が狭い部屋中に響いた。
何だろう。
そう思って扉を開けると、そこに居たのは年の頃十四、五といった黒髪の美しい少年だった。
「君は……。」
少年には見覚えがあった。
確か数カ月前に別れた男の連れ子だった少年だ。
意外な人物の突然の訪問に呆気に取られていると、少年がその薄い唇を開いた。
「俺っち、薬研藤四郎だ。兄さんが覚えているかわからんが、二、三度会ったことがある。」
「……薬研くん。久しぶりだね、覚えているよ。だけどすまないけれどね、君のお父上と僕とはもう別れていて、久しく連絡もとっていないんだ。」
「それを承知の上でお願いにきた。俺をしばらく面倒見てくれないか。迷惑はできるだけ掛けないようにする。少しばかり寝床を貸してくれるだけでいいんだ。」
少年は以前会ったときと変わらない、強い意志を宿した目でそう言った。
「構わないよ。」
一も二も無くにっかり青江は返事をした。
「ただ君も知っての通り、本当に狭い部屋だからそこは勘弁してほしいな。」
どうぞ、と青江は薬研を部屋に招き入れた。
お邪魔します、と少年は律儀に挨拶をして部屋に入った。
「荷物は適当に開いている所へ置いていいよ。炬燵に入って待っていてほしいな。」
少年は言われて通りに荷物を置いて、部屋の中央を陣取っている炬燵に脚を入れた。
「外は寒かったろう。エアコンもつけるといい。ちょうど今から鍋を作ろうと思っていたんだ。」ひとり鍋なんて虚しいよねえ。自嘲気味に言いながら青江は小さなキッチンスペースの前に立つ。
そんな青江の様子を探るようにじっと見ながら少年は言った。
「何も聞かないのか。」
「聞いてほしいのかい。」
青江はそう聞かれるのがわかっていたような気軽さで返事をする。
「……いや。」
少年は少しうつむいた。
「君はどうして僕の所を選んだんだい。」
青江は薬研の方を向いて問うた。
薬研はためらいがちにゆっくりと答えた。
「……以前、会ったときに……、こんなことを言っちゃあ失礼かもしれないが、似ている、と思った。俺に。」
「君に、僕が?」
頷く薬研に青江はそっと笑って言った。
「僕も、そう思った。だから居ていいよ。好きなだけここに。」
こうして青年と少年の奇妙な共同生活は始まった。
初めて会ったときの、その眼差しを良く覚えている。
強い意志を秘めた、力強い眼差し。
全てを受け流して生きてきた青江に対して、その子、薬研は全てを跳ね除けて生きているように見えた。
さぞや生き辛かろうと青江は思った。
そして、自分に似ている、とも。
居場所がないのだ。薬研にも、青江にも。
二人の生活はつつがなく過ぎた。
青江の大学も薬研の中学校も既に冬休みで、青江がバイトに行く以外は狭いワンルームでお互いに好きな様に過ごした。
テレビを見る。
ゲームをする。
本を読む。
ときには薬研の宿題を青江が見てやったりもした。
青江が教えるのが上手いので、薬研は感心した。
青江は学習塾のアルバイトをしているからだよと笑った。
二人での何回目の食事になるだろう。
今夜もまた二人で小さな鍋をつついている。
「また鍋か。」
薬研が言うと、
「前のは水炊きだったけれど今日のはミルフィーユ鍋だよ。」
それに締めのうどんもある。
と、青江はなぜか得意げだ。
「ミルフィーユ鍋ってのは何だ。甘いのか。」
「えーと、非常に簡単に言うと、豚肉と白菜の鍋だねえ。甘くはないよ。つけだれはポン酢と胡麻だれどちらが良いかい。」
「ポン酢。」
「では僕は胡麻だれにしようかな。」
はい、とつけだれの小皿を薬研に渡す。
「いただきます。」
薬研は手を合わせて行儀良く食べ始めた。
「何だこれ、美味いな。」
「良かった。簡単で安上がりだし、鍋は良いよねえ。」
「ちょっと胡麻だれも試させてくれ。」
「はい、どうぞ。」
「……んー、俺っちはやっぱりポン酢の方が良いな。」
「ははは、そう言うと思った。」
二人で黙々と食べて、鍋の具半分程になってきたころ、薬研がポツリポツリと話をし始めた。
「父親が再婚した。あの家は俺がいない方がこれから上手くいくと思う。何より俺があそこに居たくない。」
「だから出てきた?」
「そういうことだ。」
嘘だな、と青江は思った。
薬研が父親のことを大切に思っていることを青江は知っていた。
しかし一度出て行くと決めたからには死ぬまでその意志を貫き通すだろうことも。
「君のことはずっと覚えていたんだ。だけど、君のお父上に振られて、連絡も取れなくなって、仕方ないと諦めていた。」
「別れて正解だ、あんな甲斐性無し。むしろ良く付き合っていたもんだ。まあおかげで俺はお前さんに会えたんだが。」
「おやおや、嬉しいことを言ってくれるねえ。だけど本当、僕もそう思うよ。僕を頼って来てくれてありがとう、薬研。」
薬研は大きな目を見開いてぱちくりと瞬いた。
「変な兄さんだな。礼を言うのは俺の方だろう。」
そう言う薬研にふふと笑って青江は鍋の具を足しながら言った。
「少し身の上話を聞いてもらおうかな。」
初めて会ったときの、その眼差しを良く覚えている。
全てを見透かすような、それでいて何も写していないかのようなその目。
鏡の様だ、と薬研は思った。
薬研にとって人生とは、もがき苦しむものだった。
理不尽な父親、憐れみや嘲笑を向ける他人、その全てに立ち向かっては無力感に打ちのめされてきた。
青江を一目見たときに自分と似ていると思ったのは、直感だった。
やっと同朋を見つけた、と思った。
青江の語った内容はこうだ。
僕の父親は僕が小さいころ一家無理心中を計画し、実行した。
父親と母親とまだ幼かった妹は死んで、僕だけが「運良く」生き残った。
父親がどうしてそんなことをしたのか僕は聞かされていない。
それからは病院と施設での生活。施設を出てからはずっとこのワンルームで一人暮らし。
ずっと一人で戦っている気分だった。
「その気持ちが、君なら分かるだろう。」
青江が言うと、薬研は神妙に頷いた。
それから何日も経った。
「僕達、家族になるかい。」
世間話の延長線上で、唐突に青江が言った。
「もう家族みたいなもんだろう。」
薬研が怪訝そうに言う。
「そうだけどさ、正式に、誰にも胸張って言えるように、だよ。君が良ければだけど。」
「良く分からんが、任せる。俺はここに居たい。」
「ふふ、ありがとう。僕も、君が一緒なら、人生も悪くないと思える気がするんだ。」
「俺っちはまだ子供で役に立てんが、将来は期待してくれて良い。有望株だぞ。」
「頼もしいねえ。それじゃ、共同戦線と行こう。戦おうじゃないか、共に。」
「おう。」
二人はこぶしを打ち合わせて笑った。
それから青江は何をどうしたのか、あっという間に薬研の父親と話をつけ、青江の元で暮らす許可を取り付けた。
そのあまりの手際の良さに、こいつはやろうと思えば何だって器用にこなすのだろうな、と薬研は思った。
敵にしたくない相手だ。
青江は就職が決まったら薬研を養子にすると言った。
しかし、青江の負担になるのは絶対に御免だという薬研の言い分により、薬研の就職が決まったら、まで延ばされた。
二人はその日が楽しみだった。
二人にとって、生きることとは孤独な戦いだった。
だけどこれからは一人じゃない。
背中を預けられる相手がいる。
何と心強いことだろう。
もう逃げなくて良い。
もう諦めなくて良い。
戦っていくのだ、二人で。
「なあ青江。」
二人で毛布を分け合って横になりながら薬研が言った。
「ん?」
「俺たちが家族になって、生活が落ち着いたら」
「うん。」
「そのうち子供をもらおうな。」
「え。」
青江は瞳孔を大きく広げて驚いている。
青江の滅多に見れない表情に薬研は喉をくくと鳴らせて悪戯の成功した子供の様に笑った。
〈了〉
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現パロにか薬。
テーマ曲はSteppenwolfのBorn To Be Wildです。
良かったら聴いてみてください。
ワイルドに行こうぜ!
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