AD3291
私が目を覚ました時、窓の外には黄色い光の世界が広がっていた。
こうして見ると、宇宙は先生が言っていたよりわりと明るいと思った。きっと母船の
”くをん”がこの船のすぐ横にあるからなんだろう。くをんのソーラーパネルが集めた太
陽の光を、こちらに送ってくれている干渉が、粒子群に反射しているようだ。
小鳥の鳴き声をながしている船内スピーカーと、自動でゆっくりと開いていく天窓のお
かげで、割とすんなり目を覚ますことができた。
私はゆっくり上半身を起こし”冬眠スーツ”に繋がっているチューブをはずして自分の
カプセルからはいだした。
このダボッとした格好はあんまりかわいくない。本当はもっと長いちゃんとした名前が
あるんだけど、私はコールドスリープの時に着るから”冬眠スーツ”と呼んでいる。兄貴
達はミノムシスーツって言っていた。まさにミノムシって感じ。
私の隣にあるカプセルはまだ解凍されていない。真中にある丸い小窓の中に、兄貴の
寝顔が見える。部屋の中に並んでいる50個のカプセルも、解凍はまだみたいだ。
カプセルの横の表示には”標準解凍まで70時間”とあるから、私だけ3日位早く目を
覚ましてしまったらしい。
最初の移民船団が火星を出発したのは、今から3年前の4月だ。私たち3期の移民団も
それから三ヵ月後に出発した。
木星への移民船団は20隻の船で構成されており、この船はその12番目だ。一隻の広
さは約20・5平方キロ。私たち兄妹のカプセルがあるのは、船の一番上の部分だ。
私はハッチを開けて、一人で部屋を出た。冬眠スーツの強制で床ずれや寝違えはないみ
たいだけど、ちょっと窮屈な感じかするので下着との間に空気を入れて身体を開放した。
新しい解凍プログラムのおかげで、前の時よりは頭がボーっとするのは少しマシになっ
たけど、足はちょっとフラフラする。
おじいちゃんは元気かな。とりあえずこの船が木星に着くまでにはまだ相当時間がかか
るみたいだ。あと何回眠ればいいのだろう。
冬眠スーツのままでライフエリアに行くと、早速スピーカーからアトラスが話しかけて
きた。
「おはよう201。体調はどうですか?」
「問題なさそう。でもおなかすいた」
「食事の用意ができています。でもその前にシャワーをあびてくれば?」
アトラスはコンピューターのくせに声はまあ美人なんだけどちょっとおせっかいだ。
私はとりあえずバスルームに入って、リサイクルシャワーを浴びた。それから朝ご飯を食べ
たが、一人じゃ何だかあんまり美味しくない。調味料が濃すぎて、培養野菜の味が分からな
くなってるし。
「他に起きてる人は?」
「この船で解凍が完了しているのはあなただけです」
アトラスの声はなんだかちょっと同級生だった紺野イズミに似ている。
この船の中にいる何百人もの人たちは、私以外まだ眠っているみたいだ。私だけ目を覚
ましたのは、アトラスによるとやっぱりコールドスリーププログラムの誤差だった。つま
りこの先3日間、私は兄貴たちが目を覚ますまで一人で過ごさなきゃならない。アトラス
がいるから寂しくはないけど退屈だ。
とりあえずお腹がいっぱいになったので、少し休んでから着替えてアスレチックをする
事にした。マニュアルに書いてあった。「コールドスリープから覚めた後は、できるだけ
ゆっくり身体を動かしてリハビリをしましょう」
でも一箇所で一人だけ身体を動かすなんて退屈だ。実際一時間もしないうちに飽きてし
まった。それからアトラスを相手に400コマオセロをしたけどどうしても勝てない。対
戦レベルの設定が高すぎる。
ライブラリーシアターで何本か昔のバラエティー番組を見ているうちに、標準睡眠の時
間になってしまった。一日経ったってわけだ。
アトラスに言われてベッドに入ったけど、なかなか眠くならない。まあ今まで何ヶ月も
眠っていたんだからしょうがないんだけど。解凍時間の誤差が中途半端すぎて体内時計が
ついていかないらしい。
どうしても眠れない私は、一旦起きて火星から持ってきた洋服をベッドに並べてみた。
明日着る服を選ぼうとしたけど、どれもイマイチぱっとしない。まだ起きているのは私
だけで誰にも見られる訳じゃないからまあいいかとも思ったけど、逆に一人しかいないか
ら普段着ないものを着てみることにした。とりあえず赤いワンピースを明日の衣装に決め
た。
またベッドに入ったけど、どうしても眠れない。色々と考えたが、どうせ眠れないんだ
から、いっそ眠るのを諦めた方がいいという方向に落ち着いた。私はそれに着替えて、船
の中を散歩することにした。
「お出かけですか?201」
アトラスはいつも船内を見張っているので、スケジュール以外の行動をするとすぐに注
意してくる。火星の学校にいた先生よりもうるさい。
「散歩するの!」
「しかしこれから6時間以上は通常睡眠の時間です」
「眠れないんだからしょうがないでしょ」
私が構わずに部屋を出ようとすると、ハッチが開かない。アトラスがブロックしたみた
いだ。
「しかし人間にとって睡眠は重要です」
「だいたいあんたのプログラムミスで3日間も早く目が覚めちゃったんでしょ」
アトラスは少し黙っていたけど、やがてハッチが開いた。
「分かりました。特別に私が船内を案内しましょう」
どうやらコンピューターでも弱みは感じるみたいだ。とにかくこれで退屈はしなくて済
む。アトラスとはなんとか上手くやっていけそうだ。
この船は船団の中でも大きい方だけど、私たち民間人が入れるエリアはそう広くない。
「基本的に私の管轄するエリアは居住区周辺だけです。民間人がその外に出ることはでき
ません」
アトラスが言う通り、船の通路にはいくつかのハッチがあったが、そこは私たち民間人
に開けることはできなかった。
この船に乗っている人たちは、少しづつ時期をずらしてコールドスリープが解除される
って言ってたから、ひょっとするとそろそろ目を覚ました人がどこかにいるかもしれない。
私みたいに。
「ここから先へは入れません」
16ブロックほど歩いたところで、アトラスが言った。
”一般民間人の立ち入り禁止”
通路が行き止まりになっている。船内には、こんな所がいくつもあるのだ。
「ねえ、どこか面白い所とか無いの?」
私の質問にアトラスは「そろそろ寝室に戻りましょう」としか答えなかった。やっぱり
コンピューターは融通がきかない。
しょうがないので来た道を歩いていると、通路の角にくぼみがあったのを思い出した。
前回コールドスリープから解除された時に見つけたヤツだ。まだ全然眠くなかった私は、
ちょっとアトラスをからかってみることにする。
角を曲がったと見せかけてそのくぼみに隠れてみた。ここはアトラスのカメラから死角
になっている筈だ。
「201、どこですか?201」
アトラスが焦っている。やっぱり私を探しているみたいだ。
私が小さな部屋を見つけたのはその時だった。
くぼみの壁に”BEGA”と書かれているハッチがあった。前に来た時には全く気づか
なかった。
私がその扉に手をかけると、ハッチが開いた。
アトラスはまだ私を探しているみたいなので、私はその中に入ってみた。
ハッチの中は薄暗くて、短い通路の奥にあるもう一つのハッチは、なぜか私が入ると自
動的に開いた。普段はこんなとこ絶対に入れない筈なのに。この船のセキュリティーは本
当に大丈夫なんだろうか。
私が部屋の中に入ると、突然明かりがついた。
「かわいいワンピースですね」
突然男の人の声が聞こえた。アトラスとは違う。何?
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
私はびっくりしたけど、思わず返事をしてしまった。
「座ってください、カオル」
なんか岡野先輩の声に似ている。それに私の名前を知っている。人間?でもちょっとカ
ッコいい声だ。私は彼に話しかけてみた。
「あなたは誰?」
「私の名前はベガ。このシャトルを統括するメインコンピューターです。どうぞ座ってく
ださい」
見ると、スクリーンらしいものの前に、一人用ソファみたいなシートがある。私はキョ
ロキョロしながらそこに座ってみた。
しばらくすると、シートの前にあるスクリーンに色んな人種の人が笑っている顔が次々
に映しだされた。どうやらこのコンピューターの挨拶のつもりらしい。私も一応愛想笑い
をして、また話しかけてみた。
「アトラス・・じゃないの?」
「アトラスは私から派生した生活補助のプログラムで、私の一部です。彼女に案内しても
らい、私がここへあなたを招待しました」
「どうして」
「もう長い間、直接民間人の人と話していませんでしたから。それにあなたはメッセージ
をくれました。船のエンジンノズルに」
”地球に行ってみたい”という文字がスクリーンに映し出された。見覚えのある筆跡・・
思い出した。そういえば火星の宇宙港を出発する時、私は兄貴とこの船の機体にラクガ
キをしていた。確かに地球に行ってみたいって油性ペンで書いて、宇宙港の人に怒られた
んだった。
でも何でそんなことをコンピューターが知ってんの?私の名前も。大体この船にアトラ
ス以外のコンピューターがあるなんて聞いてない。しかも向こうから誘われるなんて初め
てだ。
「じゃああなたはアトラスの親ってこと?」
「私には親子の様な概念はありませんが、統括しているという関係性から言うとまあ上司
といったところでしょうか。あなたも退屈しているみたいですね」
「そう。眠れなくて」
このコンピューターは今日の私の行動を見ていたのか。まあアトラスの上司だったらそ
れもしょうがないけど。
「シャトルが木星に到着するまでにはまだ数ヶ月の時間がかかります。その間の操縦、温
度管理、生命維持などが私の仕事です。しかし例外として、コールドスリープを解除され
たあなたの様な人の話し相手も行います」
それを聞いて私はちょっとハッとした。
「まさか、あなたわざと私をコールドスリープから解除したの?」
ベガはそれには答えなかった。
「次のコールドスリープまで、あなたの活動時間はあと120時間です。本当はその間に
十分な運動をして、筋肉を動かすことをお勧めするのですが、単調なアスレチックでは飽
きてしまうのは理解できます。退屈なのは私も同じです。だからあなたのメッセージに少
しだけ答えます」
ベガはアトラスとは違って少しは話がわかるらしい。さすが上司だけのことはある。
「じゃあ私を地球に連れて行ってくれるの?」
「さすがにそれは無理です。今地球は自己再生期にあります。でも今日はあなたの希望通
り、地球の話をしましょう」
「歴史の講義ならまにあってるんだけど」
「中等レベルの教科書には載せていません。私のプライベートな話です。これは私が初め
て”フウ”と名乗る生命体に会った時のもので、私のメモリーに残っている最も古い記憶
です。聞いてくれますか?」
「まあ、どうせ退屈だからべつにいいけど」
「感謝します」
ベガはそう言うと、昔の地球のことを話し始めた。それは確かに歴史の講義よりはマシ
だったので、私はしばらくコンピューターの昔話に付き合うことにした。
¦かつて地球は大陸で始まった紛争が拡大し、国連がそれに介入したことから戦争状態
は全世界に広がろうとしていました。
その頃私は極東にある小さな島の国で生まれました。それはあなたが住んでいた火星の
州と同じ、ニホンという名前の島です。
私はそこで”主人”によって、あるシュミレーションゲームのナビゲーションソフト
として作られました。
私は彼をガーディアンと呼びます。私を作ったのはまだ15歳の少年でした。
彼が住んでいたのは首都から外れた、海に面している小さな町です。
当時の私の記憶は、彼の友人の一人が書いた文章の形で残されています。
そして戦争は、彼等にとってまだどこか遠くの国で起こっている、スクリーンの中の出
来事でしかありませんでた。今から十二世紀ほど以前の話です。
AD2024 地球
7月10日
目が覚めて一瞬驚いた。
朝起きたら11時を過ぎていたのだ。
いつもならきっかり6時45分に母親の大声で起こされる筈なんだけど、そういえば一
応今日から夏休みなのである。
きっと初日ぐらいはゆっくり寝かせておこうという母親なりの親心なのだろうが、僕に
してみれば貴重な休みを半日近く無駄にしてしまった。
「今年の夏は何か大きな事をやってやろう」
夏休みの初日はいつもそう思うのだが、毎年結果的に大したこともなく、後半はいつも
ジリジリ追い詰められる様にして終わっていく。今年も何だかそんなカンジでいくのかと
思っていた。昨日までは。
でも昨日の夜、それを一変しそうな出来事が起こった。それは一通のメールだった。
”お知らせ。藤柿光彦様。
対戦ゲーム、フロンティアファイターにご応募いただきありがとうございます。
この程あなたがゲームの参加者に選ばれました。つきましてはこのお知らせが届いてか
ら48時間以内に、ゲームへのエントリー手続きを行ってください。
あなたのIDは ”ff66342@きさぼらやkgUW” です。
なお確認が取れない場合、キャンセル扱いとさせていただく事をご了承ください。
ご健闘を祈ります。 ㈱南天閣”
今僕たちの間では、最近始まった衛星回線を使ったシュミレーションゲームがちょっと
した話題である。
初めて衛星回線を使ったこのフロンティアファイターが出た時、僕はにわかプレーヤー
の一人だった。
正確に言うと、僕は昔からそれほどゲームが好きだった訳じゃない。っていうか全く興
味がなかったのだ。僕の記憶では、なぜか家の物置に入っていたオセロが、最後に持って
いたゲームだったというぐらい、ゲームというものに疎かった。
そんな僕をゲームの道に引き込んだのは、一年生だった時最初に話しかけてきた郡山廣
人だった。ヒロトと僕は、なんていうか、価値観が近かったんだと思う。ヒロトは電気屋
の息子で、ゲームの達人だった。
衛星回線のゲームに参加する為には正規の申し込みが必要で、バージョンアップされた
ばかりで人気が高い為、なかなか申し込んでも空きができないとは聞いていたが、ダメも
とでキャンセル待ちをしていたのだ。
そして、メーカーからこのメールを受け取ったのが昨夜の10時過ぎ。
驚きと喜びに一通り浸り終わると僕は、机の一番上の引き出しを開けた。僕は大事なも
のは昔からこの場所に入れる事に決めている。一昨日九里中央病院でマサから受け取った
ばかりのCDを取出した。
土屋政次、マサはなんとかシンドロームという病気で、去年から入院生活をしている。
去年も学校に来たのはほんの数ヶ月だけで、今年に入ってからは始業式に出てからはほと
んど登校していない。でも僕等とマサが、クラスの連中とよりも頻繁に会っているのは彼
の才能が僕等のブレーンだからだ。
マサいはく「僕が作ったナビゲーションプログラムは、僕等人間と、電子頭脳の機械で
あるフロンティアファイターとの仲介役をしてくれる」ということらしい。
よく解からないけど、とにかくそれがあれば、僕等はフロンティアファイターで世界一
になるのも夢じゃないらしい。
マサは僕が言うのもナンだが、十年に一人の天才だった。本来なら何万円もするナビゲ
ーションプログラムを自分で作れる中学生なんて聞いたことがない。時代が時代なら、い
や、マサが入院なんかしていなければ十分今でも彼は世界規模の超有名人になれるのだ。
僕はマサからナビゲーションプログラム”ベガ”のCD―Rを受け取っていた。
何だか今年こそ、この夏休みは僕たちにとって重要なものになる気がしている。
とにかく早くエントリーしないと次の人に権利が回されてしまう。そうなれば次にいつ
チャンスが回ってくるか解からない。なにせキャンセル待ちしている人は世界中にいるの
だ。
ヒロトと、もう一人のメンバーであるアキ、桜井秋人には昨夜のうちにメールで知らせ
たのだが、アキだけ返事が来なかった。あいつのことだからどうせチェックしてないのだ
ろう。
アキは夏休み中部活で忙しいと言っていたから、たぶん夜10時位にはもう寝ていたの
かもしれない。何せスポコンな奴だ。
僕は急いでTシャツに着替えると、机の上に置いてあったCD―Rをカバンに入れて階
段を下りた。
庭で母親が洗濯物を干していた。
僕は台所にあったポテトチップをカバンに押し込んだ。
「あれ、どこ行くの?」
玄関を出る時、母親に見つかった。
「ちょっと」
「ちょっとってあんた今日中にエアコン直してって言ったでしょ!」
「帰ったらやるよ」
僕はそのまま自転車に乗って家を出た。エアコンの修理なんてしてたら半日はつぶれて
しまう。
だいたい夏は暑いものと昔から決まっている。これは個人的な意見だが、一箇所の温度
を下げる為に周りの外気を熱くするなんて、機械としての完成度に欠けているのだ。エア
コンを直したらまた地球の温暖化が進んでしまう。これは現代文明に対する僕なりのささ
やかな抵抗なのだ。まあ僕の部屋にもエアコンを付けてくれるんなら考え直してもいいけ
ど。
僕はとりあえず学校に行ってみる事にした。アキは水泳部なので、たぶん今日も学校の
プールで練習してる筈だ。
自転車をこいで、国道から商店街の道に入った。
駅前の商店街はほとんどの店がシャッターを下ろしている。
3月の火星移民では思ったより多くの人が地球を離れてしまった。僕のクラスも三分の
一近くの奴がいなくなった。そのおかげで今年は夏休みに入るのが少し早くなったそうだ。
でもその分課題の量が増えてしまったから、一概に良い事とも言えない。
商店街を抜けると、5分位で学校に着く。いつもはこの道のりを歩いて登校しているの
だが、やっぱり自転車だと早い。
学校の生徒数が減った事で休止になった部活もいくつかあったが、水泳部は相変わらず
田んぼに囲まれたプールで練習していた。三年生のアキは今年から部長である。
そしてそこには女子部員の中に水野の姿も見えた。
僕が中学の3年間で後悔することの上位3つに水泳部に入らなかったことが入る。理由
は簡単。僕は昔から水泳だけはひどく苦手だった。海のそばに住んでいるくせに泳げない
のは意外だとよく人に言われるけど、こればっかりはしょうがない。僕にとって海は泳ぐ
場所ではなく、眺める場所なのだ。
しかし水着姿の水野を見ると一年の頃アキに誘われた時、やっぱり無理して水泳部に入
るべきだったと思ってしまう。小学生の頃は結構仲がよかったけど、中学に入って水野と
あんまり喋らなくなったのは、僕が水泳部に入らなかったせいだろうか。
田んぼのあぜ道に自転車を停めてプールのフェンスまで行くと、アキがやって来た。
「おう光彦。何だよ」
「何だよじゃねえよ。メールしただろ。衛星回線に空きがでたんだよ」
「マジで?」
やっぱりアキは僕のメールを見ていなかった。危ないところだった。
「エントリーするから郡山電気行こうぜ」
僕がそう言うと、アキはプールを見ながら少し考えた。
「ベガは?」
「おととい取ってきた」
「そんなこと言っても今練習中だからな」
全くノンキなもんである。衛星回線に空きがでたなんて、懸賞でマウンテンバイクが当
る位の確率なのに。しかも回線にアクセスできる権利は今日だけなのだ。
「こんな幸運二度とねえよ。早くしねえとヒロトが怒るって!」
僕がまくし立てるとアキは練習している部員の方を眺めて、また少し考えていたが
「ちょっと待って」
と言って、顧問の前田の方に歩いていった。
前田は3コースの飛び込み台に座って練習を見ている。短パンに麦藁帽子の、いつもの
スタイルである。
アキは何やらそこで前田ともめていた様だったが、必死に腹を押えながら更衣室の中に
入っていった。既に腹痛の演技はアキの常套手段だったが、前田は「ま、いっか」といっ
た調子でいつもの様にアキを引き止めるのを諦めた様だ。
前田は最近結婚したばかりなので夏休み中ぐらい奥さんと一緒にいられるかと思ったよ
うだが、タイミング悪く水泳部の顧問にされていた。きのどくだとは思うが、やる気が無
いのがあからさまに分かる。
「光彦」
しばらくすると、服とバッグを抱えたアキが、更衣室の反対側のドアを開けて出てきた。
「行こうぜ」
アキは水泳パンツのままである。僕たちは前田に見つからないようにこっそりプールを
離れた。
それにしてもブーメランと呼ばれている男子用の競泳水着は、その名前のごとくブーメ
ランの様な形をしており、ぴっちりと股間のモッコリが強調されて、プールの外ではいて
いると輪をかけて恥ずかしい。それはアキも前から思っているらしいが、もう慣れたと言っ
ていた。
アキは校門の脇にある水道の前で、急いで制服に着替えた。
僕はアキのバッグを肩にかけて待っていたが、中におにぎりと魚肉ソーセージが入って
いるのを見つけた。
「何これ?」
「弁当」
アキはいつも弁当を持ってくる。といっても自分で作るらしく、今日のおかずはソーセ
ージだけ。しかも3本一束の、スーパーで買ったままのやつである。
僕が歯でソーセージの皮をむいている横で、アキがワイシャツのボタンをはめながら言
った。
「お前んち火星行くんじゃねえの?」
確かに僕の家は次の第8期火星移民団に割り当てられている。出発は確か秋頃だった筈
だ。でも僕はまだ火星に行く気はなかった。その前にやることがあるのだ。
「俺は行かない」
「何で?」
「軍隊に入る」
僕がそう言うと、アキは横目でチラッと僕を見た。アキには前に言ったと思っていたが、
僕は火星に行く前にプログラマーとして、国連軍に僕たちの戦略ソフトを売り込もうと思
っていたのだ。本当はその為に夏休みを全部費やすつもりだっのである。
「母ちゃんに言ったのか?」
「ん~ん」
「やめとけって。お前地球にいたら死んじまうぞ」
「まだ大丈夫だよ」
アキは自分もソーセージの皮をむきながら、素早く脱いだ海パンをバッグにしまう。
前から思っていたが、アキは少し大袈裟に考え過ぎている。
確かにもうすぐミサイルが日本にも飛んでくるという話はいつかテレビで言っていた。
火星に移住する人たちの中にも、そう思って地球を離れる人はいるかもしれない。ってい
うか、ほとんどの人がそうだろう。でもそんなのは噂にすぎない。僕たちのソフトが実用
化されれば、もしかしたら国連軍が勝って、戦争だって早く終わるかもしれないのだ。僕
はどうしてもそれをやってみないで地球を離れる気にはなれなかった。この件に関して僕
は割と本気なのである。
僕とアキはその足でヒロトの家に向かった。
ヒロトは準備をして待っている筈だ。
駅前の商店街で電気屋をやっているヒロトの家、郡山電気は、まだ店を開けている数少
ない”居残り組み”だ。もうほとんどの店は今年の正月から営業をやめ、火星に引っ越し
てしまった。
全国の抽選で、たまたまこの商店会が7期の移民団に当選したのが去年の秋。どっち道
あと3年位の間に、国民の約半数の移民が完了するというのが政府の見解らしい。残るの
は大地主や環境保護団体などがほとんどだが、中には国連に協力しようという人もいる。僕
みたいに。
ここで最後まで頑張るより、さっさと火星に移って新しい店の開店準備をした方がいいだ
ろうという意見が商店会の多数決で決まった様だ。
ヒロトのおやっさんがそれを知ったのはアメリカだった。店を長男であるヒロトの兄貴、
克洋さんに任せて夫婦で旅行中だったのだ。
仕方なく克洋さんはおやっさんが帰ってくるまでここで電気屋を続けている。
屋根の上にバカでかい衛星用のアンテナがついているのがヒロトの家だ。ここが無くな
ったら隣の町まで行かないと衛星用のアンテナは無い。そういう意味でも、今フロンティ
アファイターのキャンセルがでたのは奇跡なのだ。
郡山電気は商店街の中でもそんなに大きな店ではない。二階の窓の下に古くなった看板が
付けられていて、ちょうどドア二つ分の入り口がそのまま奥まで続いている。
両隣は確か布団屋とスーパーだったと思うが、もう大分以前からシャッターが閉まった
ままになっていた。
僕とアキが店の中に入ると、もう奥にあるレジの前でヒロトがモニターに向かっていた。
店の中は冷房がきいている。外に比べると天国だ。
「どんな感じ?」
「遅かったね」
自転車をこいできて汗だくな僕たちに、涼しい顔でヒロトが言った。
店の中には蛍光灯やドライヤーなどが入ったショーケースに並んで、色んなステッカー
がベタベタ貼ってある冷蔵庫が3つ並んでいた。何を隠そうこれが衛星ゲーム用のコンピ
ューターだ。
フロンティアファイターに参加するには通常、衛星用の専用アンテナがあるゲームセン
ターに行かなければならない。東京ならともかく、こんな田舎ではそんな最先端の施設は
あるはずもなかったのだが、すごいのは、克洋さんがゲームにアクセスできる装置を作っ
てしまったらしいという事だった。
克洋さんは、「遊び道具は自分で作る」がモットーらしいが、いくらなんでも正規のシス
テムに干渉できる機械を自分で作るのはかっこ良過ぎる。
しかしたぶんこれは違法だ。でも僕たちの間に限っては、それは好評のうちに受け入れら
れ、勿論克洋さんは英雄になった。
見たまんま。克洋さんは冷蔵庫をボディにしたらしい。その中から伸びているケーブル
が、レジの前に置かれたモニターとヒロトが付けているヘッドホンマイクに繋がっていた。
「マサのナビゲーターは?」
その前に座っているヒロトが言った。
僕は家から持ってきたCD―Rをヒロトに渡して隣に座り、ついでにポテトチップの袋
を開けた。
「ポテチの手で触んなよ」
ヒロトがティッシュの箱を差し出しながら、自分もポテチの袋に手を入れる。
アキもレジのイスを引っ張り出して座ると、モニターの前の狭い空間はキチキチになっ
た。男3人が窮屈に座らなきゃいけないのだけがこの店の欠点だ。
ヒロトがCD―Rをドライブに入れると最初に起動音が聞こえ、少ししてスピーカーか
ら声が聞こえてきた。
「オ・オハ・・おはよう。私はベガ」
「やった!」
アキが思わず声を上げた。僕もベガの声を聞くのは初めてだが、思ったより低い男の声
である。前にネットで見た、市販されているものよりずっとすらすらと喋っている。これ
が開発者であるマサのすごいところだ。
ヒロトがおちついてヘッドホンマイクに答える。
「おはようベガ。気分はどうだい?」
「悪くありません」
「システムに異常は無い?」
「システムに異常はありません」
ヒロトはコンピューターと会話する時、いつも落ち着いている。マサが入院してからはコ
ンピューターと話すのは何となくヒロトの役割になっているが、アキも僕もそれが正解だと
思っている。ヒロトが一番カツゼツがいいし、国語の教科書を読むのも上手い。それにだい
たい僕じゃ未だに緊張して会話にならない。
「私の仕事は?」
「君は今日から我が軍のナビゲーターだ」
「グンとは軍隊ですか?」
「ああ。って言っても南天閣のシュミレーションゲームで戦うんだ。フロンティアファイ
ターって知ってるかい?」
「フ、フロ、ン、フロンティア、ファイ、ター。戦闘シュミレーションの記録はプログラム
にありませんが、ゲームキャラクターの記録は存在します」
「上等だ。今からそこにエントリーする。回線にアクセスできるかい?」
「可能です。アクセスを開始します」
ヒロトに言われて僕は壁の衛星ケーブルをコンピューターの端子に繋いだ。
ROADの文字がモニターに浮かぶ。
”frontier fighter”
黒地にそれだけ浮かんだタイトルの出方は結構地味だった。それに続いてすぐにデモ映
像が始まる。砂漠の風景の中を、バズーカ砲を担いだ男が一人ひたすら歩いているという
これまた地味なものだ。
しかし青い空と細かい砂を含んだ風。噂には聞いていたけど、グラフィックは思った以
上にリアルだった。
”エントリー”をクリックして、そこに昨日届いたID番号を入力する。
”ff66342@きさぼらやkgUW”ヒロトは僕がメモってきたノートを見ながら慎
重に一文字づつキーボードを叩いた。
「・・・エントリーが終了しました。ゲームスタートしますか?」
「え?」
ヒロトが思わず言った。
「エントリーするだけなんだけど・・・もうスタートできるの?」
「ゲームスタートしますか?」
ベガは淡々とそれを繰り返している。
僕も驚いた。フロンティアファイターはエントリーしてから実際にゲームに参加できる
までは数日かかる筈だ。こないだ買った攻略本にも確かそう書いてあった。
僕等三人は顔を見合わせた。
「どゆこと?」
「どゆコト?」
「・・・・」
「やっちゃう?」
「やっちゃうか」
「やっちゃおう」
最後にそう言ったのは、アキだった。
「でも衛星回線って高いんじゃなかったっけ」
ここでヒロトが初めて不安そうな顔をした。
確かに衛星回線の使用料は高かったと思う。確か1分千二百円位した筈だ。10分で一
万2千円。やっぱり高い。でもこんなチャンスはめったに無い。僕は今財布に入っている
金額を計算した。
「早く決着つければ大丈夫だ。制限時間3分でいこう」
3人だから3分。一人頭千二百円。単純な計算だけど、とりあえず最初はこんな所から
が妥当だろう。アキもヒロトも納得した。みんな新しいフロンティアファイターを体験し
てみたいのは同じなのだ。
「よし、いくぞ」
ヒロトがエンターキーを叩いた。
”START”
モニターの中に、立体の文字が浮かぶ。一瞬でそれが近づいてきたかと思うと、次の瞬
間、青白い光が広がっていった。
ゲームスタートである。
僕は迷彩服を着てザックを背負い、長い銃を持って広い砂漠の中に立っていた。
僕の分身、アバターは、見た目は僕そのままの姿である。
プログラムのやり方次第では架空のキャラクターのデザインを設定できるそうだが、今
回は僕の姿である。まさか本当にフロンティアファイターの応募に当たるとは思ってなか
ったので、正月に幕張にみんなで行った時に記念で立体スキャンした僕のデータを送って
いたのだった。
僕はどうせなら外見位はもっとカッコいい方がよかった。もう半年も前のデータなので、
僕のアバターは髪の毛が少し長い。
モニターの視界は2種類である。アバター僕の姿を外から映しているアングルと、もう一
つはアバター僕の見ている視点だ。アバター僕の動きは、前進後退なんかの基本動作はボタ
ン一つだが、他の細かい動きはヘッドホンマイクに声で吹き込むか、そのつどキーボードに
打ち込まなければならない。
「すげえな、本物みたいだ」
アキがそう言うのも無理はない。砂だって本物みたいに掴むことができる。
「でもいきなり砂漠かよ」
ヒロトの言う通り、そういえば確か砂漠は上級ステージの筈だ。
いきなり砂漠なのはおかしい。でも僕は初めて見るリアルホログラムに圧倒されて、そん
なことはどうでもよくなっていた。
その時である。
「3時方向に動く物が見えます」
アバター僕の隣に現れた男が言った。
コンピューターと同じ声である。という事はこの人がナビゲーターのベガだ。
ナビゲーターは普通CD―Rなどの中にデータとして存在するが、ゲームの中では僕と
同じ人の姿で現れる。前のバージョンまではグラフィック丸出しのロボットみたいな姿だ
ったが、新しいバージョンは完成度が高い。
新しいベガは、ちょっと俳優の霧島カイトに似ている。これはたぶんマサのチョイスだ
ろう。フリーの立体データを少しいじったみたいだが、どうせなら望月唯香にして欲しか
った。
「3時方向、熱源が接近してきます」
ベガは冷静にそう言う。しかし3時方向なんて言われてもどっちだか解からない。ヒロ
トが慌ててキーボードを叩く。アバターの僕が首に下げている双眼鏡を覗くのだ。しかし
周りの砂漠には何にも見えない。
間もなく、遠くからひゅ~んという音が聞こえてきた。
音はだんだん大きくなっていくが、アバター僕はとりあえず銃を構えてキョロキョロする
ばかりだ。
「接近物あり。修正2時方向」
「上じゃねえの?」
アキがそう言い、ヒロトが上をクリックする。アバター僕は真上を見上げた。
「大砲だ!」
アキがそう叫んだ時、アバター僕の腕が掴まれ後ろに引っ張られる。
次の瞬間、大砲は僕の前に激突した。
反動で倒れこんだアバター僕の目の前に、大きな砂柱が上がる。
「なんだ今の?」
大量の砂をかぶってあっけにとられているアバター僕に、またベガの声が聞こえた。
「3時方向接近物あり」
もう一度ヒロトが”上”をクリックするが間に合わない。
「早いよ」
もう何が何だか分からない。僕等は思わず笑いが止まらなくなっていた。
「と、とりあえず、逃げよう」
アバター僕は慌てて走るが、足が上手く動かない。
「だ・・だめだ、砂に足がとられてる」
アバターの僕はとんでもないへっぴり腰で、泣きそうな顔をしている。それでもヒロ
トは笑いながら必死で”走る”を入力し続けた。
また砲弾の甲高い音が聞こえる。
「フセロ!」
アバター僕は慌てて砂に伏せる。するとさっきまで僕の居た場所に大砲が着弾し、また
砂柱が上がった。なんとか直撃は避けたみたいだ。
「あっぶなかったぁ」
僕たちはそのあまりの迫力に圧倒されて、モニターの前で大笑いしていた。
「何だこりゃ、敵が見えねえぞ」
一変して静かになったモニターを見ながら、ヒロトがキーボードを叩く手を休ませる。
「アキ今伏せろって言った?」
不思議そうにそう聞くヒロトに、アキが首を横に振る。
「光彦じゃねえの?」
僕は言っていない。僕たちは顔を見合わせた。
「そういえばさっきも引っ張られたよな、腕」
一発目の大砲が着弾する直前に、モニターのフレームの外からアバター僕の腕を引っ張っ
た手が見えた。でも今モニターの中にいるのはアバター僕とベガだけである。
まさか、ベガ?
「ベガ、ひょっとして今助けた?」
ヒロトがヘッドホンマイクに言った。しかしベガは答えない。
「ベガ、応答してくれ、ベガ」
ベガはやはり黙ったままである。
「壊れたんじゃねえの?」
アキが言った。ヒロトはキーボードに打ち込んでみた。
”ベガ、応答せよ”
するとしばらくして、ベガの声が聞こえた。
「・・・私はベガ。相手からのアプローチメッセージが届いています。受信しますか?」
「え?」
相手が対戦中に話しかけてくる機能があったなんて知らなかった。僕たちはまた顔を見
合わせる。ヒロトがマイクに言う。
「相手の名前は?」
「エントリー名はナンテンカクです」
僕らの動きが止まった。
「マジで?」
思わず沈黙する。
南天閣はこのフロンティアファイターを作った会社の名前である。
ベガの情報に間違いがないとすると、僕たちが相手にしているのはこのゲームの生みの
親ということになる。どうしてそんなヤツが一般レベルのプレーヤーと戦っているのか。
「受信しますか?」
「よし、話してみようぜ」
そう言ったのはアキだった。ヒロトが”受信”を落ち込む。するとメッセージが開いた。
”3時方向、を見よ”
ヒロトがキーボードで言われた通りの方角に視点を合わせ、モニターの中の僕が双眼鏡
を覗いてみる。すると遠くの砂丘の上で何かが光った。
「あ、丘の向こう」
双眼鏡をズームしてみる。百メートル程離れた砂丘の上に人が一人出てきた。こっちに
向かって手を振っているのが見える。髪の毛を後ろで束ねている。女の人だ。
「あれが南天閣?」
「みたいだね」
ヒロトがモニターを見たままで言った。
双眼鏡の倍率を更に上げると、ハンドルネームのデータがモニターの右上端にでた。
ハンドルネームは”ナンテンカクAAA”。
メッセージを送ってくるってことは、対戦しているプレーヤーと友達になりたいか、よ
ほど自信があるということだ。しかしメーカーが僕と友達になりたいとは思えない。少な
くとも銃しか持っていないような弱い僕をこんな目にあわせる様な奴と、友達にはなれそう
にない。
「敵の装備は」
ヘッドホンマイクに言ったヒロトにベガが答える。
「テクノス製バズーカ砲1門、カスタム長距離砲2門標準セット」
「なんじゃそりゃ!」
聞いたことのない名前の武器だ。新型の大砲だろうか。南天閣と新型の長距離砲。これ
が相手じゃ僕の持っている頼りない銃じゃとうてい太刀打ちできないことは確かだ。
しかもこれは一般のプレーヤーを楽しませる為に弱く設定された攻撃じゃない。どう見
ても明らかに本気だ。かないっこない。っていうか反則だ。
「これじゃ装備が違いすぎる」
ヒロトの声は重くなる。
「ちくしょう手ぇ振ってやがる」
アキが言った。相手がプロのメーカーだと分かると、僕もなんだかだんだん腹がたって
きた。砂の粒子でよく見えないが、遠くからでもニヤニヤと笑っているのが分かる。
「こちらの標準装備では射程距離が足りません」
そんなのはベガに言われなくたって分かる。
”逃げるの上手くても・ダメ””GAMEOVER?”という相手からの新しいメッセー
ジが表示され、彼女はまた砂丘の影に下りていった。
僕はヒロトのマイク越しに、ベガに言った。
「どうすりゃいい」
「長距離用の武器を用意してください」
「どこにある」
「ポイントRまで行くか、別のナビゲーションソフトの使用を勧めます」
ポイントRなんて言われてもそこがどこだか分からないし、ここでナビゲーターを変え
ろと言われてもどうしようもない。それにもう3分なんてとっくに過ぎている。金銭的に
もタイムアップだ。どうしようもない。悪夢だ。
「3時、4時方向接近物あり」
クールなベガの声がそう告げた数秒後、また大砲の音が聞こえた。
数発の砲弾が大きな弧を描いて飛んでくるのが見える。もう避けようがない。次の瞬間、
モニターの画面は真っ白になった。
カタカタと、フルパワーで回る扇風機の音が聞こえる電気屋の中で、僕たち3人はモニタ
ーを見たままたまま途方に暮れていた。
「ゲームオーバーです」というベガの冷静な声がスピーカーから聞こえている。
「対戦プレイ時間3分24秒。コンテニューしますか?ゲームオーバーです。対戦プレイ
時間・・・」
しばらくして、ゆっくりヒロトが答える。
「システム終了だ。コンテニューはしない」
「了解しました。システムを終了します」
それを最後にモニターの画面はブラックアウトした。
誰も何も言おうとはしなかった。対戦時間の表示が出ている。もっと長い時間逃げ回っ
ていた様な気がしたが、それはたった3分間の悪夢だった。
「なんなんだ」
アキがボソッと言った。
初めてのフロンティアファイターは、いきなり砂漠のステージに連れて行かれ、いきな
り大砲の集中砲火を浴びされ、何が何だか分からないうちに負けてしまった。負けたとい
うより新しい武器の実験台にされた気分だ。
でもこれはどう考えてもおかしい。だいたいゲームを作った会社が相手じゃ一介の中学
生にかなう筈はない。っていうか中学生じゃなくても全滅してしまう。それで1人千二百
円じゃどう考えても納得できない。
店の前で自転車のブレーキの音がした。ヒロトのお兄さん、克洋さんが帰ってきたよう
だ。僕たちはそれにも反応できなかった。
「みんな揃ってんな。アイス買ってきたけど食うか?」
ノーテンキにコンビニ袋をぶら下げた克洋さんには申し訳ないが、さっきまでの大笑い
から打って変わってテンションの下がりきっていた僕たちは挨拶もできなかった。
「え?何?なんか暗いな」
僕たちは克洋さんがくれたホームランバーを食べながら、レジの前でうな垂れていた。
「で、どうだった?新バージョンのフロンティアファイターは」
克洋さんはいわゆる趣味人で、両親が留守の間僕たちにある程度、店を自由に使わせて
くれている。だから電気屋なのに店内にはプラモデルやラジコンなんかも置いていた。み
んな克洋さんの趣味らしい。
克洋さんは僕たちの話を聞くと「そりゃ相手が悪かったな」と言って笑った。こっちに
してみればもはや笑い事じゃないのだが。
克洋さんは時々幕張辺りのホビーフェスティバルなんかにも顔を出しており、横のつな
がりでフロンティアファイターでの似た様な話を聞いたことがあるらしい。
「時々あるんだよね。たまにゲームメーカー自身が一般のプレーヤーとしてエントリーし
てさ、新しい武器なんかのデータをとるんだ」
そんなのは初耳だったが、イベントに参加しているプレーヤーの間では結構有名な話ら
しい。
克洋さんによると、南天閣は意欲的に一般のプレーヤーの意見を取り入れているそうだ
が、その分相手が誰であろうと手を抜かない。めぼしいプレーヤーをスカウトして開発の
参考にすることもあるという。勿論それで反感をかうことも多いらしいが。
でもよりによってその”たまに”に初めてエントリーした僕たちが当たらなくてもいい
のに。そういう情報はもっと早く教えて欲しかった。
「ひょっとしたら相手がメーカーだったから回線にキャンセルがでたのかもね。本来は非
公開だけど、みんなそういう情報には詳しいから」
やっぱりどうやら僕たちは情報収集が甘かったということらしい。でもこっちは正々堂
々とエントリーしたのにバカを見た。つまりほどよくデータ収集のカモにされたというこ
とだ。まあ、手も足も出ないんじゃカモにもならなかったのだろうが。
「でもモノは考えようさ。誰よりも先に新兵器を体感できたと思えばラッキーだったのか
もしれないぜ」
克洋さんは他人事の様に言った。でも冗談じゃない。僕たちはもっと普通に一般の相手
と対戦したかったのだ。
「ひょっとしたらエントリー料と衛星回線の使用料は南天閣が持ってくれるかもね」
克洋さんはそう言うけど会社のやり方が納得できないのである。雑誌とかにはプレーヤ
ーあってのメーカーなんて書いていたじゃないか。
「こうなったらもう一回南天閣と戦って勝ってやろう」
そんなアキの意見もヒロトに止められた。
「相手が本職のゲームメーカーじゃ軍隊とケンカするようなもんだ」
悔しいけど全くその通りだ。南天閣は実際、ヨーロッパ辺りの軍隊のシュミレーション
ソフトも作っているらしい。やっぱり中学生の遊びじゃ話にならない。
「日が悪かったんだよ」
克洋さんはそう言った。諦めるしかない。でも・・・
「マサに相談しよう」
僕はふと言った。ベガを作ったマサなら何とかしてくれるかもしれない。
「そんでもう一回南天閣と対戦して勝てばいい」
しかしアキもヒロトもピンときていないようだ。マサがいくら天才でも、果たしてプロ
に勝てるのかという顔である。それにまた回線が空くのを待たなきゃならない。実はそこ
が一番難しいところだ。
「南天閣にメールすればいいよ」
また克洋さんが言った。対戦にいきなりメーカーがでてきたのだから、抗議すればもしか
するともう一回エントリーしてもらえるかもしれないという。
「でも答えてくれないかもしれないな。あそこはメーカーって言うより趣味人の集まりだ
から同情とか無さそうだし」
僕は同情されたいわけじゃなかった。でも相手が本気ならその分、中学生がそれに勝て
ば南天閣のはなをあかせる。しかしそれにはマサの力がどうしても必要だ。
とりあえずメールは僕が出しておくことになった。対戦相手を南天閣に指定すれば、運
がよければもう一度ぐらい戦えるかもしれない。
「ところで誰だいマサって」
そう言った克洋さんに、僕は自慢げに答えた。
「ぼくたちのプログラム担当、ベガを作った天才です」
「ああ、政次くんか、なるほど」
克洋さんは妙に納得したようである。
なんだか僕は一人でテンションが上がってきた。
「よし絶対南天閣に勝ってやる!」
そう僕が宣言して、解散になった。相変わらずアキとヒロトはピンときていないみたい
だったっけど、僕は早速またマサに会いに行くことに決めた。
その夜家に帰ると、母親がお土産だといってチキンカツを持って帰ってきた。
「人口が減ると不景気になってやだね」
これは母親の口癖だ。
毎年夏はかきいれどきで、母親がパートに行っている海岸近くの食堂は忙しくなる。だ
から去年までは朝から仕事に行っていたのだが、今年は海水浴の客が少ないらしく、いつ
もの通り昼前からの出勤だったらしい。
夏場は冷やし中華やカレーはよく売れるらしいが、案外揚げ物はでないらしい。今夜の
おかずはチキンカツだ。チキン・・カツ、幸先がいいのか悪いのかよく分からない。でも
その代わりじゃないが、とうとうエアコンを直す約束をさせられた。
風呂に入ってから、とりあえず南天閣宛てにメールを打った。抗議というよりは、こう
いう時はハッタリをかます方がいいとアキが言ったが、とにかくもう一度対戦することが
第一だという克洋さんの忠告に従うことにした。
南天閣様。本日の集中砲火有難うございました。正直あの戦力には感動しました。企業
の巨大な力で一般プレーヤーを蹴散らすなんてやり方は、流行りませんがさすがですね。
長距離砲のお礼がしたいので、ぜひもう一度招待してください。こちらも少しでも手ごたえ
が感じられる様に努力します。
我々でよければ、できるもんならいつでも実験台にしてください。
マゾヒストなレジスタンスより。
7月11日
エアコンの修理は思ったより時間がかかった。とにかく端からネジを外していたら、途
中からなにがどこのパーツか分からなくなってしまった。
何とか自力で直すことにしたのがいけなかった様だ。これじゃマサのところに行く暇も
ないし、何より今日から輪をかけて暑くなった。紫外線注意報が出ていて昼間はうかつに
外も歩けない。
こんな事ならここまでエアコンをバラしてしまう前におとなしくヒロトの店に持って行
けばよかった。
あまりの暑さにとりあえず今日は修理を中断し、午後は本屋へ行く。
こんな時は多少なり冷房が効いた場所で立ち読みするに限る。本屋ならエアコンあたり
の人数が多い分、多少は地球に優しい筈だ。
そんなことをしているうちに一日無駄にしてしまった。
結局僕の家では目下扇風機がフル稼働中である。水泳部のアキがうらやましい。
夕食の後、昨日砂丘の上で手を振っていた女の人の写真データをベガのメモリーからコ
ピーした。何か軽い感じの女だ。南天閣からの反応はまだ無い。
ついでに夜中に見ていたエロサイトから、めぼしい画像と動画もいくつかコピーした。
マサへのお土産にしよう。
火星に行けば少しは涼しいのかな。
7月12日
今日も一日中暑かった。こう暑いと何もする気にならない。人類の発展にとってやっぱ
りエアコンは必要みたいだ。
修理の続きをしようと思ったけど、こう暑くちゃ仕事もはかどらない。エアコンを修理
する為のエアコンが必要だ。
今日こそマサの病院に行く事だけは決めていたんだけど、ウダウダしているうちに結局
それは夜になってしまった。時間割が無いと行動にキレがなくなる。夏休み恐るべし。
母親が帰ってきて夕食を済ませてから「ちょっと出てくる」と言って、自転車で家を出
た。
夜になると断然外の方が涼しい。これなら庭で寝た方がマシだ。
マサが入院している九里中央病院は海の近くにある。自転車なら2、30分の距離だ。
海辺の病院と言えばなんだか絵になりそうだが、こんな田舎には珍しく、わりと立派な
総合病院だ。県下でも有数の設備があるらしい。つまりそれはちゃんとした手続きが無い
と面会ができないということで、夜中に緊急でもないのに入院患者に会うのは難しい。っ
ていうか本当はダメなんだけどね。
僕がそこに着いた頃にはなんだかんだでもう夜の10時をすぎており、ほとんどの病室
は電気が消えていた。前にここへ来た時も夜だったが、何で病院の消灯時間はこんなに早
いのだろう。
マサのいる部屋は別棟の一階である。家を出る前に一応メールをしておいたんだけど、
マサの返事はなかった。最近ではいつも返事が返って来ない。
前に一度一緒に病院を抜け出して駅前のハンバーガー屋に行った事があり、それから付
き添いのお姉さんが厳しくなったらしく、メールのチェックもされるらしい。
僕はいつもと同じ様に病院の外に自転車を停め、庭から垣根の間をくぐって入る事にし
た。
電気がついている夜間救急の通路の脇を抜けて、別棟の入院病棟の窓から中の様子を見
るとナースステーションに夜勤の看護士さんが2、3人見えた。そこからそおっとフェン
スを越えて、壁づたいに窓の数を数えていく。六つ目の窓。ぼんやり明かりがついている
のがマサの部屋だ。
カーテンの隙間から中を見ると、四人部屋の窓際のベッドでマサは本を読んでいた。他
の患者さんはもう寝ているようだ。
軽く窓を叩いて合図すると、マサはいつものようにそおっと鍵を開けて顔を出した。
「よう」
音を立てないように気を使っている僕をよそに、相変わらずマサの声のトーンは普通だ。
「ようじゃねえよ。メール見たか?」
「夜はネット禁止になっちゃったんだ」
「携帯は?」
マサは首を横に振った。病院は携帯電話禁止で、遂にお姉さんに没収されたらしい。
「姉ちゃんは?」
「寝た」
小うるさいお姉さんがいないのはタイミングがよかった。
「PCねえのか?」
「あるよ」
「緊急事態だ。相談がある」
「何?」
「ベガのこと」
「ちょっと待って」
マサはそう言って、ベッドの横の引き出しからノートパソコンを取り出して僕に渡すと、
窓枠に足をかけて乗り越え、外に出てきた。マサが病院を抜け出す時はいつもこのスタイ
ルである。スリッパをはいて猫みたいに器用にフェンスを乗り越える。
僕たちはいつものように病院の裏庭にあるベンチで話すことにした。
そこはヨーロッパ辺りの箱庭といった感じで、昼間はわりと人が多い場所だけど、看護
士さんに見つからず、夜に明かりがあるところといったら、電灯がついているここ位しか
ない。
僕はおとといのゲームの事をかいつまんでマサに話した。マサは僕が家から持ってきた
モバイル端末をパソコンに繋いで、南天閣に関するページを検索し始める。
「フロンティアファイターか。あれは確かによくできてる。グラフィックもリアルだし。
セカンドワールドって呼ばれてる位だからね」
「なにそれ?」
「二番目の現実って意味だよ」
衛星回線のシュミレーションゲームに今までエントリーしたプレーヤーの間でそんな言
葉ができているらしい。なるほど。確かにあれは、今まで見たことのないリアルな世界だ
った。
マサは前に仮退院したときに幕張で一度だけデモ体験したことがあるらしく、その後に
ベガを作った。しかしベガは敵と戦う為のナビゲーターというよりも、人間とコミュニケ
ーションをするという点に凝りすぎたというのがマサの反省点らしい。
確かにマサは何事もまずディテールから作っていく傾向がある。細かい所より全体を見
ろとよく担任の猪熊からも言われていた。
でもまるで人間の様にすらすらと話すベガの様なナビゲーターは今までどの攻略本でも
見たことがなかった。確かにコミュニケーションという点では一番できがいい。
マサは自分で作ったベガのデータと、南天閣が発表している公式のゲームプログラムを
照らし合わせた。
「でも普通のプレーヤー相手だったらベガだってそこそこやれる筈なんだけどな」
「普通じゃねえよ。やつらいきなり大砲撃ってきやがった」
「長距離砲だね。新アイテムか・・そりゃ確かに反則だ」
マサはパソコンの画面を見たまま言った。新アイテムとして取り入れられる予定の武器
の中に長距離砲が入っている。僕たちが見たやつだ。
「でもこれテクノス社制って書いてある」
「なんだそりゃ」
画面を覗き込む僕に、マサはちょっと顔を横にずらす。
「アメリカの会社だよ。やっぱりゲームなんか作ってるんだけど、本物の軍事兵器のシュ
ミレーションなんかもやってる」
「でも南天閣だってやってるんだろ」
「規模が違うよ。むこうはそっちが本業みたいなもんだろうから」
確かにあの時、ベガはテクノス制とか言っていた。ってことは僕たちは本物と同じ規格
の大砲を喰らったってことか。
マサはその説明文を読んでため息をついた。
「でもこんなの相手によく3分も耐ったね」
「ベガが避けてくれたんだ」
僕がそう言うと、マサはちょっと不思議そうな顔をした。
「避けてくれたって・・どうやって?」
「腕をつかんで引っ張った」
「・・ウソでしょ」
「ほんと。2回目は伏せろって叫んだし」
「ありえないよ。ベガはナビゲーターだから、戦い方のアドバイスはするけど物理的な干
渉はしない・・っていうかできないんだ。独立した意思が無いんだから」
「よく解かんないけど、だってそれで大砲が直撃しなかったんだもん」
マサは「おかしいな」という顔でしばらく考えていたが
「いずれにしろメーカーと戦うのは難しいよ。こんな絶対的にアウェーな状況じゃどうや
ったって不利だ」
僕だってゲームを作った会社相手に本気で勝てるとは思っていない。っていうか実は一
日経ったら大分諦めもついてきていた。でもアキたちの前で絶対南天閣に勝ってやると宣
言した手前、やるだけの事はやってみようと思った。マサには報告ぐらいはしておきたか
ったし。それでとりあえずマサに相談に来たのだ。
このままじゃ次にまた参戦できたとしても、それこそ南天閣に打ったメールの通り、また
実験台にされてしまう。
「何とかしてくれよ」
僕はダメもとでマサに泣きついた。
「まともに戦って勝てる相手じゃないね。正規軍にケンカ売るみたいなもんさ」
マサにそう言われたら僕にはどうしようもない。やっぱり諦めるしかなさそうだ。たぶん
あれは誰がやっても負けていただろう。まあ克洋さんも言っていたとおり、日が悪かったの
である。新兵器を見れただけでも良しとするか。
僕はとりあえず、持ってきたお土産が入ったCDをマサに渡した。
「何これ?」
「お土産。俺特選スペシャル」
マサはCDをパソコンに入れると、入っているエロ画像をチェックし始めた。
「わるいね」
マサの趣味はだいたい僕と同じだ。前に望月唯香の写真集を貰った事もある。お姉さん
の手前堂々と見れないのはキツイだろうが、夜にネット禁止じゃ、やっぱりこれを持ってき
て正解だろう。僕がマサにしてやれるのはこれ位だ。
マサは画像データから一つの写真を拡大した。
「この人知ってる」
見るとエロ画像と一緒に、砂丘の上で笑っていたAAAという名前の”手振り女”の写
真が入っていた。
「あ、それ、大砲撃った奴」
僕が言うと、マサは少し驚いた顔をした。
「南天閣のサイトによく出てる」
マサによると彼女は南天閣の社員で、開発部所属にも関わらず広告塔をやっている女の
人らしい。商品の紹介などに写真がよく出ているみたいだ。
僕は「ムカつくから消しといて」と言ったが、マサはお姉さんへのカムフラージュに使
うと言って保存した。まあ好きにすればいい。
「水野んちが火星行くってさ」
その時、マサがパソコンのモニターを見ながらポツリと言った。
僕は思わずそれに反応してしまった。
「いつ」
「10月。秋の移民団に割り当てられたんだって」
水野が時々マサの見舞いに来ているのは何となく知っていた。でもマサから水野の事を
聞いたのは初めてだ。
「お前に宜しくってさ」
マサはフォローする様に言った。僕に気を使ったのかもしれないけど、明らかにそれは
嘘だ。そんなことを言われても僕は何て答えればいいのかわからない。
「あれ?そういえばお前んちも火星行くんじゃなかったっけ?」
「いや俺行かないから」
「まだ言ってんのかよ」
確かに10月の移民団なら僕の家と一緒である。僕の家が8期の移民団に入っている事
はずっと前に話していたけど、僕は残るという母親にもまだ言ってない事もマサにはずっ
と言い続けている。
「火星で水野と付き合っちゃえばいいじゃん」
サラッと言ったマサだが、僕は思わず言葉に詰まった。
マサは半分冗談で言ったに決まっているが、それならもっと冗談ぽく言ってほしい。
マサはいつもサラッと鋭いことを言う。この男の情報収集力はあなどれないから、どこ
まで僕の妄想の情報を知っているのか不安になる。
確かに水野は美人だと思うけど、性格がキツい。優等生って訳ではないのだが、僕は何
度か班行動の時に注意されたことがある。どこのクラスにも一人や二人はいるタイプ。例
外に漏れず4月生まれである。
「・・やめてよ」
「あれ?ちがうの?」
マサはあっけらかんと言う。でも今こんなところでさりげなくそんな事言われても困る。
だいたいこれじゃまるで僕が水野を好きみたいだ。まあ別に嫌いな訳じゃないけど・・
「しょうがねえな」
突然マサはそう言ってパソコンの画面から顔を上げ、僕の顔を覗きこんだ。マサがこう
いう鋭い顔をする時は、何か頭の中を全て見透かされている気がする。
「な・何だよ・・」
「ベガをパワーアップする」
・・そっちか。でも僕はちょっと驚いた。僕たちの中では一番冷静な奴だったマサがそん
なことを言い出すとは思わなかった。でもクールに見えて意外と負けず嫌いな奴である。自
分の作ったナビゲーターでゲームに負けたのがよほど悔しかったのかもしれない。それとも
僕の持ってきたエロ画像が効いたのか。
「長距離砲に勝てるかどうかは分からないけど、試してみたいことがある。それを上手く
武器アイテムに利用できればオリジナルの武器ができる筈だ。でもそのためにはベガのス
ペックをもっと上げる必要がある」
たぶん今夜一晩かけて説明されても僕には理解できなさそうな話だが、とにかくマサが
その気になったのなら僕は文句なく乗るしかない。何しろコイツは天才なのだ。
「マサ!」
その時病院の通路から葵さんの声がした。マサのお姉さんだ。相当怒っている様子でこ
っちに歩いてくるのが見える。
「あんた勝手に外出ちゃダメって言ったでしょ!」
マサは慌ててパソコンを閉じ、僕のモバイル端末を抜き取った。
「詳しいことは後で」
マサはそう言いながら葵さんの方に戻っていった。僕も慌ててマサに言った。
「それで南天閣に勝てるのか?」
「わかんないけど武器アイテムは増えるよ」
話し続ける僕たちに、葵さんの声は更に大きくなった。
「マサ!」
しかしマサもしつこく話し続ける。
「一週間位で準備しとくから、また面会に来いよ」
「マサ!!」
葵さんはマサの頭を一発叩いて僕の方を睨んだ。
「学生は家帰って勉強しなさい!」
それだけ言うと、葵さんはマサの耳を引っ張って病院の中に入っていった。
僕がマサと別れる時はだいたいいつもこんな感じである。何だかマサにはわるいことを
してしまったけど、やっぱり今日会っておいてよかった。
衛星回線で南天閣に負けてから何となく憂鬱だった僕は、夏休みの目標ができた感じで、
何だかまたテンションが上がってきた。
とにかくマサがやる気を出してくれたおかげで、僕は帰りの自転車を漕ぐ足にも力が入
る。海風も気持ちよかったし。
でも家に帰ると母親にひどく怒られた。エアコンをばらしたままだったのを忘れていた
上に、いつの間にか夜中の二時半を過ぎていた。当然である。しかし、しつこく怒られる
かと思ったが、母親の説教は意外にあっさりと終わった。仕事の疲れサマサマである。
夜だというのに家の中はやっぱり暑い。こうなると冷房の効いた病院にいるマサがうら
やましい。
風呂から出るとまた汗が吹き出てきたので、ガリガリ君ファミリーを食べながら、とりあ
えずアキとヒロトにメールしておいた。
”ベガが生まれ変わる。完成は一週間後。お楽しみに”
でも明日こそエアコンを何とかしなくては。殺人的なこの暑さじゃ、フロンティアファ
イターどころじゃなくなるなこりゃ。
¦それから数日の間で、最初の私のスペックはガーディアンの手によって数倍にアップさ
れることになります。
しかしその頃の私はまだあまりに幼く、そして、同年代の者達よりも知能が高かったガ
ーディアンも、精神的に未熟だったがゆえに苦しんでいました。
彼が最初に、私を争いの為ではなく文化の為に作ったことが、間違っていたのか正しか
ったのかは、今となっては分かりません。
しかし自分達の世界が、まだ目に見える小さな町一つ分だと信じていた彼等にとって、
その時目の前にある巨大な力に向かっていくことが全ての意味だったのです。
サードワールドの住人・・・・
7月14日
朝、今日も汗だくで目が覚めた。
メールをチェックしたが、南天閣からの反応はまだ無い。
しかしこの暑さはどうやら本気の様だ。僕が小さかった頃よりも確実に夏の温度は上が
ってきている。地球温暖化恐るべし。
昨日一日エアコンと格闘したが、もう僕の力ではどうにもならないと思い、遂にヒロト
の店に助けを求めた。でもこの時期エアコンの故障が多く、修理に来れるのは午後になる
という。まあこの暑さじゃエアコンもやる気が起きないのだろう。
母親は珍しく、行くところがあると言って朝から出かけていった。
僕は涼しい図書館にでも行こうかと思ったが、着く前に茹だってしまう。紫外線注意報
も出っぱなしだし、仕方なく午前中はテレビを観て暑さから気を紛らわす事にした。
最近ではワイドショーでも戦争の話題ばかりが目に付く。国連軍が投入されたことでま
た情勢がこじれたらしく、そろそろアジア全体に広がる勢いらしい。
果たしてエアコンも満足に直せない僕が、戦略ソフトを売り込むのはいつの話になるの
だろう。
午後になって、克洋さんが軽トラックでやって来た。
「こりゃ派手にバラしたな」
克洋さんは僕が分解したエアコンを見るなりそう言った。
故障の原因は小さな部品で、それを交換すると問題は解決。夕方までには何とか使える
様にしてくれた。直したというより、僕がやたらに分解した部品を組み立てたと言った方
がいいかもしれない。克洋さんの手によってプラモデルを作るみたいにエアコンが元の形
に復元された。
ホコリも大分たまっていた様だ。そういえばフィルターの掃除をしたことなんか一度も
なかった。これじゃあエアコンが暑さにやられるのも無理はない。
地球に残っている普通の電気屋なら、メーカーに送らないとダメだと言われるところだ
が、克洋さんは元々こういった機械にやたらと詳しい。この辺りで使われているものなら、
電子レンジからトラクターまで、ほとんど一人で直してしまう。子供の頃から機械いじりが
好きだった様だ。おかげで農機具屋としてアキの家に来ることもあるそうである。趣味も
組み立てるという事に関しては同じジャンルで、今は飛行艇の模型を制作中らしい。
修理の後、僕たちは庭で母親が置いていったスイカを食べた。
僕がまさに天職ですねと言うと、克洋さんはちょっと複雑な顔をした。
「俺本当は物理学者になりたかったんだ」
「マジッスか。あんまりそうは見えなかったです」
物理学と言われても正直あんまりピンとこないけど、僕は何となく話を合わせた。僕は
克洋さんを尊敬しているのである。
「理系に見えないとはよく言われるよ。でも昔は大学で宇宙論ってのをやってたんだ」
そういえば前にカールセーガンという人の本を見せてもらった事がある。結論はよく覚
えていないけど、確かUFOとか幽霊みたいなものを含めただいたいのことは、必ずしも
科学的にじゃないけど説明がつくんだなと僕は納得した記憶がある。克洋さんは実はすごい
人なのだ。こんな所でエアコンの修理なんかやってる場合じゃない。
「俺もSFとか好きだったからさ、タイムトラベルとかワープ航法とかを研究したかった
んだよね。でも周りの環境があんまりそういうの好きじゃなかったみたい」
克洋さんははっきりとは言わなかったけど、いつの時代も突飛なことは認められないみ
たいだ。コケを送って火星をテラフォーミングしようなんて話も、数世紀前だったら本気
にされなかっただろう。
「光彦君はどうすんの、将来」
「まだ考えてないです」
国連軍に売り込んでプログラマーになるなんてこと、克洋さんにはとても恥ずかしくて
言えなかった。
「科学者になればいいよ。光彦君も好きなんだろ、そういうの」
克洋さんがそう言ったのはちょっと意外だった。もしかしたら戦略ソフトのことをヒロ
トから聞いていたのかもしれない。僕はちょっと恥ずかしくなった。
「まあ。でも僕はそんなに成績とかよくないし・・」
「まだそんなの関係ないよ。これからだったらどうにでもなる」
「どうすればいいんですか」
「そうだな」
克洋さんはスイカの種を飛ばしながら少し考えてから言った。
「とりあえずは生きることかな」
「はあ・・・」
「いい科学者になるには色んなことを知らなきゃダメだよ。物理学とか難しいことだけじ
ゃなくて、野菜の作り方とか、スイカはどうやって食ったら一番美味いかとかなんだって
いいよ。くだらないことでもいい。まあ何でもやってみる方がいいな。まずは好きな事か
らやってみりゃいいよ。でもてっとり早いのは本とか読んでみるってのもあるけど」
「マンガとか?」
僕は冗談で言った。
「うん、マンガとか。それと色んな人と付き合うことだな。そうすりゃ嫌でも色んな勉強
になるよ。その為にはまず生きてることだ」
「はあ・・・」
「戦争に巻き込まれてもしょうがないからね。ところで光彦君彼女は?」
いきなり話が飛んだ。
「いや、いません」
「なんだかな・・・ま、まだ十五じゃしょうがないか」
どうして克洋さんにがっかりされなきゃいけないんだ。余計なお世話である。
とにかく要は何でも本気で考えてみることだと克洋さんは言った。
「まあ俺は途中でやめちゃったけどね」
そして克洋さんは、核融合エンジンというヤツの開発で、実は今木星の開発も計画され
ているという話も聞かせてくれた。でもそれはずっと先のことらしい。
僕は一応戦略ソフトについて聞いてみたが、「そりゃ俺にはまだ勉強不足だ」と笑って
いた。
夜になって母親が帰ってきた。
今日は比較的お客が多かった様だ。夕食を済ませると「疲れた」と言って寝てしまった。
午前中に移民のことで役所に行ったらしい。
そろそろ自分の荷物をまとめるように言われたけど、地球に残る事はまた言えなかった。
そんな事言ったらきっと大喧嘩になるのは目に見えている。
父親がいない分、母親は昔からぼくの教育には厳しかった。きっと自分が苦労した分、
僕には安定した職業について欲しいと思っているのだろう。まあそんな気持ちも解からな
いではない。でも僕にも人生を自由に生きる権利があるのだ。
夜中にまた手振り女の写真を見た。何度か見ているとちょっとかわいく見えてくるから
不思議だ。さすがサイトに載ってる広告塔だけのことはある。
天気予報によると明日の気温は少し下がるらしい。せっかくエアコンが直った端からこ
れだよ。
7月15日
今日は朝から曇っていた。こんな日は汗で体中がベトベトする。
水温が低くて部活が暇だからプールに遊びに来いとアキから電話があった。プールに入ら
ないなら休みにすればいいのに、今日は自主練らしい。でも僕も暇だったので、学校に行っ
てみる事にする。
プールに行くと前田がいた。部員はアキ一人だけ。珍しい組み合わせだ。そりゃこんな
日に進んで自主練に来る部員はアキぐらいしかいないのは分かるが、新婚の前田がまだ残
っているのはちょっと意外だった。顧問も大変である。
でももう一人、プールの中で泳いでいる男の人がいた。桐原さんという国体の選手で、
ここのOBらしい。彼は前田の同級生で、久々に東京から帰ってきたので、水泳部を見に
来たと言っていた。
さすがに国体選手の泳ぎが速いのは僕にも分かる。あんなふうに泳げたらさぞかし気持
ちいいだろう。特にバタフライが早い。
「君も水泳部なの?」
プールから上がった桐原さんが僕に言った。
「いや、僕は・・」
「こいつは只の友達です。泳ぎは昔からダメで、25メートル泳げんだっけ?」
横からアキが答えた。いらんことまで言わなくていいのに。アキの場合、先輩だとか国
体選手だとか言われると自動的に太鼓持ちみたいになってしまう。
前田も昔はソコソコまでいったらしいが高校で水泳をやめてしまった為、選手にはなれ
なかった。本人曰く「ならなかった」らしいが。
「でも残念だな。せっかく女子高生の水着姿見れると思ったのに」
「中学生だ!」
桐原さんの発言に、さすがに前田が突っ込んだ。やる気が無くてもロリコンでない分だ
け、一応前田の方が教師らしいところがある。
「そらさすがにヤバイな。お前高校の先生はやらんのか」
「やってもお前にゃ言わん」
前田の同級生はこんな人ばかりなんだろうか。僕は前田と桐原さんの漫才みたいな話を
聞きながら、今日部活がなくて本当によかったと思った。水野の水着姿をこの人に見られ
るのだけは絶対にいやだ。
「明日も来てください。練習毎日やってますから」
アキがそう言うと、桐原さんは少し残念な顔をした。
「俺明日から鹿児島行かなきゃいけないんだけど、そういうことなら来てみるか」
「来んでいい!」
また前田が突っ込み、桐原さんは「冗談だよ」と言って笑った。
「移民か・・」
前田が言った。
火星移民の出発する場所は、鹿児島にある宇宙港だ。僕はまだ実際に見たことはないけ
ど、移民するかはともかく、一度は行ってみたかった。
「いや。俺は移民はしないよ。ここに残る」
「大丈夫なんか?」
「人が地球におらんでどうする。どうってこたねえよ」
桐原さんの言うことはどこまで本気か分からないが、僕と同じ様に地球に残ろうとする
人がいた。前田は複雑な顔をしていたが、僕は何だか少し嬉しかった。
午後から天気は回復したが、結局今日の自主練は早めに終わった。っていうか前田が独
断で終わらせ、桐原さんと前田は飲みに行くと言って帰っていった。
帰り際に桐原さんはせっかく会った記念だと言って、昔自分のはいていた水泳パンツを
アキにくれた。やっぱりブーメランタイプのヤツだ。アキは喜んでいたけど、オッサンの
使用済み海パンをもらって何が嬉しいのか。
でも桐原さんに会えたのは、今日ここに来てよかったと思った。
7月16日
夕方に克洋さんが来た。配達のついでにエアコンの調子を見に来てくれたらしい。
興味があるならと言って惑星探査の本を貸してくれた。
僕はだいたいマンガしか読まなかったんだけど、克洋さんが貸してくれる本は読むよう
にしていた。
元々はヒロトの部屋にあった古い文庫本を読んだのが最初だったと思う。確かロマンス
書院とかいう表紙のエロ小説だ。ヒロトが克洋さんの部屋から持ってきたものだったが、
その類の小説にしては珍しく近未来が舞台で、確か人妻の科学者と惑星探査船の乗組員の
関係を題材にしたSFエロ小説という、斬新なジャンルだったと思う。
確かに始めの方はエロかったが、途中位からストーリーが面白くなってきた。”ワープ
エンジン”や”ウラシマ効果”などの言葉に引かれて読んでいくうちに、最後では長い宇
宙航海から帰ってきた男が、地球で年老いた人妻に再会するシーンで、本来の目的を忘れ
て僕は思わず感動してしまった。
それからヒロトを通して克洋さんの部屋にあった色んな本を読む様になり、そのうちに
直接克洋さんが貸してくれるようになった。
どこかのタイミングでまとめて返すつもりだったけど、克洋さんはまた部屋が狭くなる
からいいと言ったので、それらの本は僕の部屋の押入れの中にたまっている。
しかしさすがにエアコンがあると助かる。
今日は夕方からの大半を一階の居間で過ごした。でも電気代がバカにならないから母親
が、エアコンをつけるのは午後の3時間という貼り紙をしていった。
しょうがないので夜は二階で扇風機を最強にしていたら、変な音がして羽の回転が不安
定になった。これじゃ今度は扇風機が壊れるのも時間の問題だ。まあこれくらいだったら
今度こそ僕にも直せるかな。
今日も南天閣からの反応は無い。
7月17日
最近克洋さんに会う事が多い。
今日も駅前で克洋さんを見かけた。女の人と一緒だった。彼女かと思いよく見ると、相
手は葵さんだった。マサの病院以外で葵さんを見るのは珍しい。つきあっているのだろう
か。そういわれてみれば何となくお似合いな感じもする。
二人は改札を出てきたが、なんだか暗い雰囲気だ。
僕が近づこうとした時、突然葵さんは克洋さんを平手打ちした。
「やっぱり何にも分かってないよ!」
僕は思わず電柱の影に隠れた。
葵さんはそう言うと、持っていた紙切れを克洋さんに投げつけ、商店街とは反対の歩道
橋を上がっていった。
これはどう見ても痴話ゲンカだ。それもかなり白熱した状況らしい。
一人残された克洋さんはしばらくベンチに座っていたが、肩を落として商店街の方へ歩
いていった。
僕は、転がっていた、葵さんが投げつけた紙切れを拾ってみると、それは映画のチケット
だった。半券が切れている。駅前にあった映画館は大分前に閉めてしまったので、二人は木
更津で映画を観たあとケンカになったらしい。
僕は何だか見てはいけないものを見てしまった気がした。
・・・見なかったことにしよう。
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僕の持っている乏しいゲームとITの知識を総動員した、海辺の田舎町に住む中学生を主人公にしたSFです。
ちょいと恥ずかしいのですが、実写で映像化できたらいいなと思って書きました。
文字数上限があるようなんで、分割して投稿します。