No.92074

黒のオーバード:第3話「黒鳳の予覚」

tateさん

 ヒトと闇の眷属が対立する異世界ファンタジー小説「クロノーツ」の外伝です。
 本編に登場する、闇の眷属の束であるクールとその右腕であるルークが如何に出会ったかを、のんびりと綴っています。
 特に本編をご存じなくても読める内容になっていますので、よろしければご覧下さい。

2009-08-28 16:52:16 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:654   閲覧ユーザー数:624

 いつも通りファンへの店に顔を出すと、馴染みのオークに絡まれた。

「よぅルーク、お前んトコの居候、最近はどうなんだ?」

「どうって……別にどうもしねぇよ。お前らだって毎日会っているだろ」

「そりゃそうだけどさー。こことお前の根城を行ったりきたりしているだけの割には、よれよれだったり元気だったりと、差が激しいからよぉ」

 よれよれだったり元気だったりね、ははは……

 そりゃ、あんなやせっぽっちがほぼ一日中魔術の勉強をしているんだ。よれよれにもなるさ。しかし、元気だったりってのはよくわからん。

 

 ルークに日付を数える習慣はない。だから、彼の元に少年が一人、転がり込んできてからどれだけの時間が経ったのか、もうわからなくなってしまっているが、とりあえず少年は今もルークの家に居候をしている。

 

「元気だったりってのがよくわかんねぇ。アイツには結構キツイ魔術の勉強をやらせているんだがな」

 首を捻るルークを見て、オークと共にカードを捲るゴブリンが笑った。

「元気なのはお前に褒められたからだってよ、アイツが言ってたぜ」

「褒められた? 俺はアイツを褒めた覚えなんてねぇけど」

「感じ方は、人それぞれなんだろうよ」

 ファンヘが口を挟んできた。

「どういうことさ」

「だから、アンタにとっては何気ない一言でも、あの子にとってはとても嬉しい一言だったりしたんだろうよ。はいよ、ルーク。何時もの飯だよ、持ってお行き」

「お、サンキュー」

「御代はちゃんと貰うからね」

「わかってるって、でも今日のところはつけといて」

 受け取った包みを脇に抱え、ルークは立ち上がった。仁王立ちになってルークを見上げたファンヘが、思い出したかのように口を開いた。

「アンタさ、次はあの坊やに食事を取りに来させてよ」

「はぁ? 何でさ」

「アンタよりあの坊やの方が楽しいからねぇ、色々と」

 視界の隅に写るゴブリンが、そうだなぁと同意のポーズを取った。カードを手にしたオークもそうだそうだと頷いている。

「おい……あんまり弄ってやんなよ? アイツはお前らと違って線が細いんだから」

 

 食料を抱えて根城に戻ると、あばら家の前でクールが固まっていた。上半身が動いているのは分かったが、下半身は文字通り、凍りついたかのように動かない。

 おいおい、また自分自身を凍らせちまったのかよ。

 大袈裟に溜息を吐いて戻ったことを知らせると、ようやくクールが振り向いた。ばつの悪そうな笑顔が全てを物語っている。

「えっと……凍っちゃいました」

「見りゃ分かる。火傷したくなきゃ動くなよ」

 空いた左手を軽く振り、人の頭程の大きさの炎を作り出した。それを、凍りついた少年の足元に向けて弾く。炎の熱が大地を伝わり、少年の足元を這い上がる氷を溶かしていく。

 完全に解け切る前にクールは足を蹴り上げ、自力で氷の呪縛から這い出ていた。

「あうー……有難うございました、ルークさん」

「ま、たまに暴発はするみたいだけど、炎、氷に雷までが使えれば相手の弱点を突くことは出来るから、今のところは上出来なんじゃね? お前はよくやってるよ」

 別に飾ったわけでも何でもなく、思ったことをそのまま述べただけなのに、ぱっとクールの顔が明るくなった。

 ああ、こういうのがコイツは嬉しいのか。ってそんな事俺が分かるわけねーだろ!

 心の中で悪態を吐きながらも、相対する相手が喜ぶ様を眺めるのも満更ではなかった。――満更ではない、か。

 そんな事を感じるようになった自分に、多少の戸惑いを覚えずにはいられない。

 自由になったクールを伴い、家の中に入る。持ち帰った包みをテーブルの上に広げ、直ぐ隣で手元を覗き込んでいた少年を肘で突いた。

「皿とカップ持ってこい。飯にしよう」

「ルークさん、お茶どうします?」

「今日は飲む。ザントのアホが暫くは酒は売れないとか抜かしやがってさ、暫くは禁酒だ」

「珍しいですねー、あのゴブリンさんのところからお酒がなくなっちゃうなんて。そんなに何か特別な事があるんですか?」

 カップに茶を注いでいた手を止め、少年は対面に座る金髪を見遣った。溜息を吐き、盛大に肩を落していたルークは、だるそうに頬杖を付いた。

「ああ、お偉いさんがくるんだよ。その接待にありとあらゆる嗜好品が徴収されたらしいぜ」

 お偉いさん? とクールが首を傾げる。

「まだ話してなかったか? 俺達の暮らす社会は力が全てだ。ま、力と言っても一概に戦闘能力が高ければ何でもいいってわけじゃなくて、腕力、魔術、知恵、智謀全てひっくるめての話だ。より強い力を持つものが、より都市の上層部に居を構えている。で、その都市の一番高いところに居るヤツが都市の支配者ってワケだ。ドミネーターと呼ばれている。

 都市は一つじゃない、いくつもある。今度は都市の支配者が集まって、その中でも一番力のあるヤツがさらにそいつらを束ねる。といった感じのを何回か繰り返していくと、俺達眷属の頂点に立つやつが居るってわけさ。

 さっき俺の言ったお偉いさんってのは、個々の都市の支配者の差配、アルコンと呼ばれているヤツだな。ま、そんなのが来るらしいぜ」

「ドミネーターとかアルコンって……」

「その立場に居る人間を指す総称さ。何つかね、役職名みたいな感じか」

「なるほどー。今一番上に居るのは誰なんですか?」

「知らん。ルーラーなんて、俺達のような下々が合間見えることなんてまず無いからな。一度もその姿を拝むことなく死んでいくヤツもザラだ」

 見も蓋もないルークの言葉に、返す言葉を見つけられなかったクールは、二、三度口をパクパクさせた。

 眷属全てを束ねる者なんて、雲の上の雲の上のまたその上ぐらいの存在だ。とはいえ、その気になって調べれば素性ぐらいは直ぐに分かるだろうが、ルークにしてみれば、正直なところ興味はない。

「知らんって……。嗜好品が集められているって事は、街の上の方ではお祭り騒ぎだったりするんですか?」

「祭りならいいが、どちらかと言うと、血で血を洗う血みどろの戦場にでもなってるんじゃないか?」

「何故ですか?」

「何故ってそりゃお前、自分のところに首を刎ねたい相手がのこのことやってくるんだぜ? 絶好のチャンスだろ」

「チャンス……ですか?」

 怪訝な顔をする少年を見て、はて、とルークは首を傾げた。何で怪訝な顔をするんだ、コイツは。何か変なことでも言っただろうか。

「そ。さっきも言っただろ? より力を持つ者が上に立つって。つまり、ドミネーターになりたいと思う眷族は、今のドミネーターを倒して己の力を顕示すればいい。もし倒した相手がアルコンなら自分がその身分に納まることが出来る」

「あ! そうか。間接的に自分の方がこの街のドミネーターよりも強いって示せますもんね」

「そういうことだ。だから上を見上げて暮らすものは、千載一遇の好機とばかりに、上層部を練り歩いている事だろうさ」

 なるほどー、と納得顔になったのもその時だけ。クール少年はまじまじとルークの顔を見つめ、でも、と呟いた。

「ルークさんもそうですけど、この辺の人達は皆いつもと変わらないですね」

「そりゃそうさ。ここは最下層だぜ? 向上心の欠片もなくなった負け犬の流れ着く先だからな、上を見る気概のあるヤツはこんなところには来ない」

「ルークさんも上は目指さない派ってことなんですか?」

 ううーんと唸って、クールがさらに首を傾げた。

「そんな事はないが……」

 そう言ったっきり、ルークは口を噤んだ。

 そうだ、俺も別に上を目指す気持ちがないわけじゃない。

 昔は無茶な事も結構やったし、そのおかげでどうしようもない腐れ縁も出来たりしたが……長く生きているうちに、だんだんどうでもよくなっちまったんだよなぁ。

 茶を舐めている少年をちらりと見て、ふぅと息を吐いた。

「上でも目指してみるか?」

「はい?」

「だから、ここから抜け出て上を目指してみるか? って聞いたんだよ」

「誰がですか?」

 対面の少年を指差した。

「…………僕? というか無理ですよ!」

「お前一人で何でもやれなんて言ってねーよ。お前が表に立つんなら俺はサポートしてやるぜ?」

「る、ルークさんが先頭に立つべきです!」

「バーカ。お前の契約相手の名前、覚えているか? ゼーレライセンってのはな、闇の眷属の中でも一、二を争う力を持っていたヤツなんだ。お前はそいつの力を行使できるんだから、お前が表に立つべきだ」

「で、でも! 僕なんて自分の腕を燃やしたり足を凍らせたりしてるんですよ!」

「そんなの訓練次第でどうにでもなる。それにもう、お前さんは基本となる属性魔術は使えるようになっただろ?」

 う、と相手が言葉に詰まったのを見てさらに畳み掛ける。

「知識や知恵は正直どうしようもないが、その辺は俺がいくらでもフォローできるし、フォローする」

「うー、でも何で……今までどおりでいいじゃないですか」

「何だよ、今のままじゃ詰まんねー言ったのはお前じゃねーか」

「そんなこと言ってないですよ!」

「でもお前自身は、それでは詰まらないと思っているだろ?」

 クールが口をパクパクさせたが、反論を思いつかなかったのか、言葉は出てこなかった。

 ビンゴかよ。見た目よりも野心家で好戦的な性格してるな、コイツ。

「いいじゃないか、上を目指してみるのも。俺一人じゃまるでやる気は出てこないけど、お前のサポートなら幾らでもやってやるぜ? 幸い、時間なら幾らでもある。ま、そこそこのところまではいけると思うぜ、俺とお前なら」

 難しい顔で諦めずに反論の糸口を探していたクールだが、暫くルークを睨み付けた後、「降参です」と手を挙げた。

「分かりました。やればいいんでしょ、やれば」

「何だ、随分と投げ遣りだな」

「だって……」

「やりたくないのならやめた方がいい。脅すつもりはないが、支配者達と戦う以上、死ぬ可能性はゼロではない。上を目指すうちならそれでもいいが、いざ己が支配する側になったら常に命を狙われる事になるぞ」

 耳元で囁かれた言葉にクールが身震いをした。

「なーんてな。ま、そんときゃ俺が護ってやるから、どーんと泥舟……じゃなかった、大船にでも乗ったつもりでいろ」

「今、泥舟って言いませんでしたか!」

「いや、言ってねえ」

「うそだー!」

 翌日、ルークは乗り気ではないクール少年を強引に誘い、上層部に広がる繁華街にやってきていた。

 薄暗い最下層とは異なり、街道は行き交う人々で溢れ、屋台が人々をあの手この手で引き込もうと声を張り上げている。街並を作り出す建物も垢抜けたデザインのものが多く、意匠の凝らされたものも少なくない。

 雑然とした空気の中でポカーンと口を開け、辺りをきょろきょろと見回すクールの腕を引いた。

「バカ、何おのぼりさん全開のツラしてるんだよ」

「いや、だって……これからどうするんですか? 行き成り殴り込むワケじゃないですよね?」

「ああ、アルコンが帰るまでは様子を見るつもりだ。でもその前に連中の顔を一度拝みに行こうとは思っている。アルコンは明日帰還するはずだから、今日のところはこの街の中央を拝むだけだ。上層部の宿を取った、詳しい話は戻ってからだ」

 付いて来い、と一言言葉を投げ、ルークは歩き出した。

 一歩、二歩……

 ろくに前に進まないうちに、背後からクールの気配が消えた。振り返ると、彼は露天商の一人に捕まり、アレやらこれやらと胡散臭い品物を押し付けられているところだった。

 アホか! 鈍いにも程があるぞ。

 眉を吊り上げ、少年の元に歩み寄る。露天商のマシンガントークにあわあわしていたクールの腕を取ると、ぐいぐいと引っ張りながら歩き出した。

 痛いです! という少年の悲鳴と、客を奪われた露天商の金切り声を背中に受け止めながら、どんどんルークは雑踏を突き進む。

 数分歩き続け、繁華街の中心を抜け、人の姿がまばらになったあたりで不意に立ち止まった。腕をとられ、よれよれと歩いていた少年の体がルークにぶつかった。

「あうぅ……」

 へろへろと腰が抜けたかのようにへたり込んだ少年の肩を掴む。

「いいか、周りの人間の声にいちいち答えるな。ファンへの店の連中とは違うんだ。今ここに集まっているのは、このお祭り騒ぎに乗じてしこたま稼ごうってヤツばかりだ。お前なんてあっという間に丸裸だ。いや、裸にされるだけならまだマシか」

「いいっ?」

「気が付いたらばらされて、いいトコの貴族のペットの餌になっているかもな」

「餌!」

 ガクガクと震える少年。

「だから、俺の背中だけ見てついてくりゃいいんだよ。何なら手でも繋いでいくか?」

「むー……それでお願いします」

 クールが小難しい顔で右手を差し出す。

 マジかよ。やべぇ、コイツアホの子だ。薄々気が付いてはいたけど解りたくなかった……

 冗談で言ったことに大真面目に返され、引っ込みが付かなくなったルークはしぶしぶ少年の手を取った。

 相変わらずの華奢な手は、以前より少し冷たかった。

 

 それから一言も言葉を交わすことなく、ルークは眉間に皺を寄せたまま、クールは引っ張られるがままに雑踏を掻き分け、繁華街の中心にやってきた。

 中央には白い建物が居を構えている。内部は一体何階立てになっているのか解らないが、とにかく高い。白を基調とした荘厳な建造物なのに、取ってつけたかのようにバランスを考えない増改築と、醜悪な彫刻が全てを台無しにしている。誰かのせいとは思わないが、ま、およそセンスの悪いやつらばかりがこの街を支配してきたのだろう。

「あのぉ……アレって何ですか?」

 恐る恐るクールが声を掛けてきた。ん? と視線をやると少年は、スミマセン、と小さくなった。

 あのアホの子が俺の顔色を窺うなんて、相当険しい表情をしていたのか。いかんいかん、俺が周りの雰囲気に飲まれてどうする。

「別に怒ってねぇよ。アレはバグベアだ、知能は低いが力だけはある。魔術の類は使えないが、リーチのある腕による力任せの攻撃は、かなりの破壊力がある。その辺のオークやゴブリンが食らったら、一撃で木っ端微塵だ」

 クールが指差していた眷属の説明をする。

 ずんぐりむっくりの……と言っても上背はルークより頭二つ分ほどある肉体に、前方に突き出した顔とアンバランスに長い腕。一対の足だけでなく、掌でも地面を蹴る事が出来るバグベアは、見た目に反して機動力にも優れている。

「ズィルバーが護衛に使っているのだろうな。ま、なかなか悪くない配置だ。あんな連中を館の中に置いたら、逆に館を破壊されかねないし」

「ズィルバーって?」

「この街のドミネーターだ、あいつらの親分さ。ま、何だ。聞いたところによるとえらい色男らしい。雌の眷属をごそっと掻っ攫って侍らせているとか何とか」

「……てことは、いきなり分が悪いですね」

「顔で勝てないとか言うな」

 ごち、と一発少年の頭に拳を降らせる。

 それと同時にバグベアが地面を蹴った。

 ガラスのような双眸に真紅を湛え、四足で地面を蹴り、まっすぐルークの方へ走る。そして二人の直前でそれは大きく跳躍をし、頭上を飛んだ。

 間もなく、バグベアの腕が空気を切る音、その直後、骨がひしゃげ肉が粉砕される音がルークの背後に伸びる路地で上がった。

 頭を抱え、痛みを堪えていたクールが悲鳴を上げて飛び退さった。

「う、ううう、腕?」

 二人の足元には青白い腕が一本、転がっていた。

 ちらりと背後を窺うと、左腕を血で染めたバグベアがのしのしと戻ってくるところだった。クールの肩を抱き、路肩に下がり道を開ける。巨大な獣はルークを一瞥したが、それ以上のことは何も起こらなかった。

「ふぅん、躾は行き届いているってわけか」

「な、なな、何が起こったんですか……うう、吐きそう」

 背後から鉄錆の臭いがじわじわと染み出してくる。

「後で説明する、宿に行こう。ズィルバーの顔も拝んでおきたかったが、そう奴さんが出てくるわけもねぇし、何となく雰囲気は掴めたよな?」

「はい、何となく……」

 もともと少なかった覇気がすっかり殺がれ、搾り出すように声を発する少年を抱えると、ルークは宿に向かった。

 ルークは水の入ったカップを差し出した。

「ほれ、これでも飲んどけ」

「有難うございます……」

 青白い顔が弱々しい動作で向けられる。緩慢な動きでカップを受け取り、唇に当てた。

 繁華街の片隅に構える宿からは、先に偵察に出向いたドミネーターの館を窺う事が出来る。

 相変わらず値段の割にいい部屋だな、ここは。

 ドミネーターが今の代になってからこの部屋の世話になるのは今回が初めてだが、それより前はちょくちょくと使っていた宿だ。まだこの宿が出来たばかりの頃、当時の相方と一緒にこの窓から外を窺った事もあったっけ、とベッドに腰を下ろしたルークはぼんやりと外に目をやった。

 今の相方はコイツか……潜在能力だけなら以前の相方と肩を張れると思うんだが、如何せんこの性格はダメだな。バグベアに叩き潰されて飛び散ったヴァンパイアの肉片一つでここまで覇気が殺がれていては、この先やっていけないのではないだろうか。ま、場馴れすればちったあマシにもなるかねぇ。

「落ち着いたか?」

 水の入ったカップを両手で支えたまま、椅子に腰掛け俯く少年に声を掛ける。のろのろと顔を上げた少年は、いかにも作りました然の笑顔を向けてきた。

「はい、何とか……ルークさん、僕達これからどうするんですか?」

「ズィルバーをぶっ倒す」

「……は?」

「上を狙ってみるって言ったよな。だからズィルバーをぶっ倒す」

「た、倒す?」

 目を白黒させる少年を見遣り、ルークは口の端を吊り上げた。

「イエス。俺達の世界は力が全てだ。力を誇示するためには今のドミネーターを殺る必要があるって話したろ? いや、まぁ別に必ず殺らないといけないわけじゃないが、大衆を納得させるのに一番手っ取り早い方法だからな。だから、ズィルバーをぶっ倒す」

「は、はぁ……でも何でこのタイミングで?」

「視察の時期は、次期アルコンの座を狙う有象無象が頻繁に襲撃を掛ける。今のアルコンはシュランゲっつー蛇みたいなおっさんなんだが、ズィルバーはおっさんを護衛するために警備を強化するんだ。そのアルコンが明日街を去る。護衛の対象がいなくなれば自然と緊張が緩む。その隙を突いて、ズィルバーを今の地位から引き摺り下ろしてやるのさ」

「なるほどー……でもズィルバーさんはどうしてシュランゲさんを護衛するんですか? シュランゲさんを倒すという選択肢も当然ありますよね?」

 まあな、と頷いた。

「ドミネーターの最大にして唯一の仕事は、領地を守ることだ。ズィルバーからすりゃ、この街全てが領地だな。無論、視察に合わせてアルコンを倒す選択肢もありだし、実際にそうやってのし上がるヤツも少なくない。ただ、ドミネーター以上の器を持たないヤツがアルコンの座を狙うのは自殺行為だし、実力があってもこけたら一巻の終わりだ。アルコンが制裁と称してその場でドミネーターを処刑する。だから現役のドミネーター達は、アルコンを殺害し且つ他のドミネーターに付け入る余地を与えない自信や策がなければ、大人しく視察を受け入れるんだ」

 言葉を切ると、ルークは物言いたげな顔の少年をじとと見つめた。言いたい事があるのなら言えよ、と表情を和らげる。

「何だよ」

「ルークさんって実はいい人?」

「なっ、何だって?」

「ズィルバーさんを『殺す』とは言わなかったから……。殺すって言ったら僕が反対するから、そういう言い方はしなかった――んですよね? だからルークさんって実はいい人なのかなーって」

「今頃気づくな」

 ルークは少年にぱちんとデコピンを一発食らわせてから、飯でも食いに行くか、と開けっ放しになっていた窓の錠を下ろした。

 物陰から、悪趣味な彫刻がびっしりと施された白磁の建物を窺う人物が約二名。

 昨日までのピリピリとした緊張感に満ちた空気は無い。ドミネーターの頭痛の種だったアルコンは既に帰路に着いたことを語っている。

 ルークはそっと物陰から顔を出し、館の周囲の警備状況を一瞥する。バグベアが直立しているのは昨日と変わらないが、その数は随分と減った。正面玄関を二体のバグベアが守るのみ。他には、搦め手……が表立ってあるかは知らないが、あればそこ。後は哨戒する警護のモンスターが配備されているだろう。

 地方のドミネーターが支配しているようなモンスターなど、たかが知れている。バグベアなんざ、ルークにしてみれば警戒するほどの相手ではない。が、今回はどんなに控えめに見ても足手まといにしかならないヤツがいる。まぁ、警戒するに越したことは無い。

「差配はもう帰った後のようだな。随分と警戒も緩くなっているし、まぁこの調子なら難なくズィルバーのヤツを蹴落とすこともできるだろ」

「そ、そうですね……」

 ルークの肩越しに、恐々とした様でクールもこれから攻め入る相手に目をやった。

「中の状況まではわからないし、色々策を巡らせる程の相手でもない。だから正面から堂々と乗り込むぜ。とりあえずの敵は、バグベア二体か――うん? どした。臆したのか?」

 ひょろんと伸びたクールの髪がふるふると震えている。だが髪を震わせるような風は吹いていない。

「いえ、そういうわけではないのですが……」

 こめかみの辺りに右手を当て、眉を集める相棒の顔を一瞥する。

 少し顔色が悪いような気もするが、そもそも真っ当な生命活動をしていない者の具合を顔色で判断するのもおかしな話だ。

「ま、お前は戦力としてカウントしてないから、その辺で適当に見てりゃいいさ。飛んできた火の粉だけは払ってくれよ」

「ええと……鋭意努力します」

 相棒が小さく頷いたのを確認し、ルークは館の正面玄関に向かって歩き出した。

 少し……いや、かなり距離を置いてクールが付いて来る気配に嘆息しているうちに、バグベアの間合いまでやってきた。赤い硝子のような目にルークの姿が映っている。

 肩越しに背後を伺う。随分と離れた物陰からこちらを伺う一対の瞳が見えた。

 ……ま、あれだけ離れていれば巻き込む事もないか。

 ルークが一歩左足を下げると、かすかに発生した戦いの臭いを感知した右のバグベアが動いた。硬質の肉が隆起する腕が強く引かれる。それが放たれる前に、ルークの腕が素早く水平に弧を描き、縄標を打ち放った。ワイヤーで結ばれた短剣……一切の装飾がそぎ落とされ、鈍色に輝くばかりの金属の刃が一直線に空を切り、音もなく右に展開するバグベアの眉間に吸い込まれる。

 反応が僅かに遅れた左翼のバグベアが動く。ルークは間髪入れずワイヤーを引き、バグベアと体を入れ替えた。左のバグベアの拳が右のバグベアの額を砕き、腰を落したルークの金髪を掠めていく。

 敵の腕が伸び切った刹那、ルークが大きく踏み込んだ。伸び切った腕の外側に体を滑りこませ、上半身の捻りの反動を乗せて右の拳を頭部に叩き込む。

 骨の砕ける鈍い感触を伝え終えたバグベアが、地面に沈んだ。

「ま、こんなもんか。もう少し簡単に終わると思ったんだけど、最近実戦からは離れてたからなぁ」

 バグベアの拳になぶられた前髪の形を整えると、ルークは正面の扉を蹴り飛ばす。乱暴に開かれた分厚い木製の扉は、それを硬く閉ざしていた金属製の錠を簡単に吹き飛ばした。

「行くぞ、ちゃんと付いて来いよ?」

 物陰から覗くアホ毛に声を掛けた。

 

「ヤバイ、ルークさんって結構……肉体派かも」

 恐る恐る物陰から出てきたクールは、目の前の惨状に身震いした。

 血溜まりに足を取られないように気をつけつつ、おどおどした足取りで扉の向こうに消えたルークの背を追う。

 ふと、頭部を潰され血の海で四肢を痙攣させる二体のバグベアを振り返り、クールは再びこめかみに手を当てた。

「何かまた、声が……」

 暗い緑色の絨毯を、ルークの靴底が無遠慮に踏み付けていく。追い縋るゴブリンを縄標で打ち抜き、角の暗がりから飛び掛ってくるオークは拳で粉砕しながら、どんどん前進する。

「おい、ちゃんと付いて来ているか?」

 数体目のオークを軽くいなしたところで、不意に足を止めた。

 後塵を拝しているクールが距離を詰めるのを暫し待つ間に、周囲を観察する。絨毯の色が悪趣味なのは言うまでもないが、元々は白色で塗られていたであろう壁面も、絨毯ほどではないが淡い緑を呈している。

 ルークは己の拳を見つめた。赤と緑の液体が混じりあい、形容し難い色を作り出している。

 この壁の緑色って、もしかして下級眷属の体液の色か?

 ズィルバーの代になってからこの色になったわけではなさそうだけど、壁の色が変わっちまうぐらい返り血を浴びているのなら、トラップを警戒した方が良さそうだな。もっとも、俺みたいなヤツのおかげで昇天した連中の体液を浴び続けた結果かもしれないが。

「おい、クール!」

「だ、大丈夫ですっ」

 ルークが薙ぎ倒したオークの亡骸をよたよたと乗り越え、クールが歩み寄ってきた。時折足を止めては、後方に向かって火球を投げつけている。一応彼も彼なりに戦っているみた――

 ボンッという破裂音が直ぐ近くで起こった。

 目の前では立ち尽くすクールの上半身が黒い煙で覆い尽くされ、その中から情けない悲鳴が漏れてきた。

「はぅぅ~……」

「こんなタイミングで暴発させるとは、お前もなかなか度胸があるっつーか」

 纏わり付いていた煙から、ほうほうの体で這い出して来たクールの頭を一回だけ叩いた。もわんと煤が舞い上がる。

「わざとじゃないです! 事故です、事故!」

「んなもんわかってるさ。顔が煤で真っ黒だぜ」

 うわぁ! と奇声を上げて顔を拭う少年の姿に小さく笑みを漏らし、ルークは廊下の先を見遣った。

 相棒がどう感じているかはわからないが、光の届かない向こうからじんわりとプレッシャーを感じるようになっていた。警備の親玉なのか、ズィルバー当人なのか――どちらにせよ、ルークに敵う程の力がないのは確かだ。ここは相棒に戦わせてみるか。

「クール、どうやらこの先にボスがいるみたいだ」

「ボス……ですか」

 心なしか、クールの声のトーンが下がった。一瞬気にはなったが、取り立てることもなくルークは言葉を続ける。

「とりあえずお前が戦ってみな。そんなに強そうな相手じゃなさそうだし、いざとなったら俺がヘルプするから」

 言葉を切った。が、横にいる少年から答えはない。

 もしかしてびびらせちまったか?

「どんな相手か分からないが、ここまでに配置されていたヤツらの傾向からして、きっと力で押してくるヤツだと思う。きちんと往なせば大した相手じゃないはずだ、ぜ? ……タブンな」

「……ああ、やってみる」

 あまりの反応のなさに、徐々にへどもどしてきたルークの耳に届いた返答は、少々意外なものだった。

 やってみるって言ったのか? 絶対逃げの言葉を吐くと思っていたのに……

 刮目して黒い頭を見下ろした。冷えた言葉を吐いた唇は普段と変わらず、俯き加減の彼の表情は、長めの前髪が作る影の向こうに沈み、はっきりと窺うことは叶わない。

 だが一瞬、その瞳に剣呑な光が宿ったように、ルークには見えた。

 奥へと向けて歩き続けていたルークの足が、はたと止まった。左腕を伸ばし、彼を追いかけるように歩いている相棒の歩みも止める。

「待て、もう一つ大きな力を持ったヤツが現れた」

「ふ……ふふふ、その通りですよ。ただの賊かと思っていましたが、思ったより知恵も力も持っているようですね」

 陰に霞んだ廊下から、男にしては高めのハスキーボイスと共に、二つの影がゆらりと現れた。

 一つはルークやクールと同じ人型をしたもの、彼らが標的としているズィルバー当人だ。

 そしてもう一つは、先程屠ったバグベアよりも二回り程の巨躯を持つもの。その巨躯からは、バグベアのような命ある物の気配もなければ、ルークのような不死者のような澱みも感じない。

 人工的に作り出されたもの兵器、ゴーレムか何かだな。気配で相手の力量が探れないぞ、少々厄介なのが出てきたな。俺が戦うか?

「いや、僕が戦う」

 ルークの内心を読んだかのごとく、クールがついと一歩前に出た。その視界に、クールの華奢な肩が写る。今度の言葉も、温度を感じさせない冷えた言葉だった。言葉だけではない、彼の周囲の空気が冷たくなっていく。

 ルークは小さく頭を振った。

 単に、これまで抑えていた好戦的な性格が顔を出してきたわけではなさそうだ。これまでのクールが纏う雰囲気との落差がありすぎる。器はそのままに、精神が別人になってしまったような錯覚を覚えずにはいられない。ゼーレライセンの魂が血の臭いに触発されて表に出てきているのかもしれないが、力の契約は、そんなに人格に影響を与えるものだったか?

 いや、ルークの知る限りではこんなに急激なシフトは起こらないはずだ、はずだった。

 ズィルバーが目を細めた。

「おやおや、これはまた可愛らしい挑戦者ですね。大人しく私の下僕になる気はないですか?」

「おおお、おい。テメ何言ってやがる! コイツがテメェみたいな気持ちの悪いヤツに下るわけねぇだろ」

 口を閉ざしたままのクールに代わり、とりあえずルークが反論する。

 じとっとズィルバーがルークを睨め付けた。青白い顔の上に、真っ黒な隈で縁取られた双眸がギラギラと輝いている。不死者であれば標準的な色の面は、前評判どおりそこそこ整った形……といっても、ルークは一般的な美醜の感覚を持ち合わせていない。顔のパーツの配置が所謂美形と称される者と類似しているから、多分美しいのだろうと判断する。

 これまた隈と同じ黒色で染め上げられた唇が、ぐにゃりと歪んだ。

「吠えますね……私はね、美しいものや可愛らしいものは大切に愛でてやることにしているんですよ。が、キャンキャン吠えるばかりの男は要りませんねぇ。ゴーレムさん、摘み出しちゃってください」

 ズズズ……

 細い管を空気が擦れる音を発しながら、ゴーレムが動き出した。深い緑色の絨毯にゴーレムの足が、ずむりずむりと沈み込む。

 窓から差し込む光に照らし出された姿を見て、ルークは顔を顰めた。

 どんな生物を繋ぎ合わせたのかはわからないが、体中に縫い目が走り、その多くは黒く変色した糸がピンク色の肉に食い込んでいる。体表面の半分は有機質で、残り半分は鉄の鎧が被せられていた。

 おいおい、何だよこりゃ。ゴーレムかと思ったけど、そんな代物じゃねぇじゃねえか。

 一般に、ゴーレムとは全身が無機物から成り立つ戦術兵器の総称だ。体組成は物によるが、土くれだったり鉄塊だったりするのが汎用型になる。

 だから今ルークらの目の前にいるのは、ゴーレムではない。

 強いて表現するならば、廃棄されたゴーレムとその辺の下級眷属のキメラとでも言ったところだろうか。

 武器は持っていない。

 そりゃあ、こんな狭いところで武器を振り回されたら館が破壊されるばかりだから、素手であることに不自然なところはないが、武器の代替となる攻撃手段は別途持っているだろう。

 やはり魔術か?

 不意に、クールが振り返った。

「ルークさん、あれの弱点って何属性かわかります?」

「属性? 金属からなるゴーレムは一般に雷撃に弱いが、それを防ぐ手段は持っていることが……」

 ルークが言い終える前に、クールの両腕が印を結ぶ。

「我が声に答えよ、霹靂(ヘキレキ)のアニマ――」

 印を結んだクールの右腕がぼんやりと燐光に包まれる。その指が作る印が、二、三度形を形を変えた。

 少年の周囲に空気の対流が生まれ、閃光が爆ぜる。彼の黒髪を細い電光が舐め、大気に四散していく。

「中空に混迷せる雷火を我が手に絡げ――ライトニングボルト」

 対流が一気に上昇気流に変わり、雷鳴が轟く余地すら与えられないまま、館の屋根をぶち破って天雷が下った。

 

 辺り一面にきな臭い煙が立ち昇る。むせ返るような臭いに我に返ったルークは、眼前の敵と相方に目を遣った。

 相方の華奢な背中はすぐに見つかった。怪我をした様子はなく、安堵の息を漏らす。

 脳天を雷で打ち据えられたゴーレムもどきは有機体部分が黒焦げになり、金属との接合部分が蕩けてしまっている。まだ二本の足で立ってはいるが、その瞳に光はもはやない。

 その背後に控えていたズィルバーの姿を探す。咄嗟に回避行動が取れるような状況ではなかったが、姿がない。雷撃で木っ端微塵になったのか、炭化して灰と化したのか……だがゴーレムの伝導性を考えると、側撃を起こす状況ではない。

 ルークは、煙が晴れてようやくズィルバーの行方に気が付いた。

 数刻前までズィルバーが立っていた右後方の壁に、闇をぶちまけたような放射状の染みとズィルバーの上半身の一部が張り付いていた。なめすのに失敗した皮みたいだな、などとどうでもよいことを考えていると、厚みのなくなった青黒い顔が動いた。

「くっ……何ということをしてくれた! ここまで破壊されては、いくら私でも再生に時間が掛かる!」

 パクパクと口が動くと、その向こうに真っ黒に染まった壁面が見える。

 ルークは伏せったゴーレムの残骸を踏み越え、ぺらぺらになったズィルバーを見上げた。

「へー、まだ活動できるのか、しぶといねぇ。流石は不死者ってところだな」

「き、貴様……私に代わってドミネーターに伸し上がろうというのか。身の程を知った方がいい」

「伸し上がるのは俺じゃなくて、アイツだがね」

 親指で後方を指差した。ズィルバーの赤い瞳が緩慢に持ち上が――ボッと鈍い音を立て、ズィルバーの頭部が破裂した。鼻腔から上が圧力でひしゃげ、下顎骨が歪んだ笑みを浮かべたまま取り残された。

 肩越しに背後を窺うと、クールの右人差し指がこちらを指差していた。

 寸陰、クールの淡い琥珀色の瞳が仄暗い靄にかすみ、きょとんとした面持ちで瞬きをした。

「あれ、終わった……んですか?」

 小首を傾げたクールは、ルークの背後に目を遣ると「うわぁ!」と間の抜けた悲鳴を上げた。


 
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