「先生、あきつ丸先生。いますか?」
「なんですか。自分は先生などと呼ばれる身分ではないでありますよ。……おや?」
「どーも、どーも。青葉です。どーも恐縮です、あきつ丸先生。ちょっとお時間、よろしいですか?」
「ですから、自分は先生などではないと申しているのであります」
「おっと失礼。これは口癖……というよりも、この業界の決まり事で。気にしないで下さい」
「は?」
「原稿を書いていただく人はみんな「先生」なんですよ。関西の人が商売している人をみんな「社長」って呼ぶのと一緒で。「社長、こちら社長です」なんちゃって」
「よくわからないでありますが……。原稿でありますか?」
「ええ。お約束した、怪談話の原稿ですよ」
「いや、初めてうかがったのでありますが」
「え?」
「は?」
「……みなさんそう仰るのです。締め切り破りをした人は。聞いていないぞ、とか。本当の締め切りはいつだ、とか。陸軍の方なら、そーゆーことは言わないと信じていたのにー」
「信じられても、そもそもそんな約束はしていないので、困るのであります」
「ああ、いやいや。失礼、失礼。さすがあきつ丸先生、取り乱しませんねぇ。いえね、これもこの業界の挨拶ってやつなんですよ。初めて原稿を依頼する時に、どうも初めまして、と挨拶をしてもお忙しい先生方は聞いちゃくれない。そこで初対面なのに開口一番「あのお約束していた原稿、締め切り過ぎてますがどうされましたか」って切り出すんです」
「まるでたかりであります」
「その通り。たかりです。そこでご相談ですが、ちょっと原稿の手助けをしていただけないかなと」
「怪談話の、でありますか」
「話が早い。助かります。実は、私の新聞は夏に怪談話を載せることにしているのですが、ネタ枯れしてしまいまして。ちょっと探しても、狭い鎮守府です。みんな知っている話ばかりで、すっかり困ってしまって」
「なるほど、そこで陸軍の怪談を教えてほしいと、こういうわけでありますね?」
「その通りです。いやぁ、話が早くて助かります、先生」
「その「先生」はやめてもらいたいのであります」
「やめれば書いていただけるので?」
「書かなければそもそも「先生」ではないのではありませんか?」
「いや、あははは。冗談がお上手だ、あきつ丸先生」
「どこが冗談かわからないのであります」
「なにか、お知恵だけでもひとつ」
「しかたがないでありますね……。では、話ますから、記事にまとめるのは青葉殿ということで」
「そうこなくちゃ」
「……大戦中のことであります。情報士官に青山だか赤山だか、とにかくナニガシという者がいたのであります。
このナニガシの副官に、キクと呼ばれている男がいたのであります。
これがなかなかの美男子で、ご多分にもれずナニガシと色恋沙汰に……ならなかったのであります。
職場の上官、しかも上下関係が厳しい軍人社会ですから、普通なら、いろいろと腐女子殿をわくわくさせるようなことが一つや二つあるものなのでありますが、このキクというのはなかなかに仕事熱心だったらしく、上官の色目もお構いなし、勤務時間中は仕事ばかりして、退勤時間になるとさっさと帰宅してしまうという真面目な男だったそうでありまして。
ナニガシは、最初はそれとなく、だんだんと大胆に色目を使ったのでありますが、袖にされ続けたのですな。
……この手の好意に気がつかないほど朴念仁ではなかったようでありますから、単純に気味悪がったのでありましょう。
当然、メンツも潰されたナニガシは面白くなく、やがてかわいさ余って、憎さ百倍。愛憎の、憎が勝るようになったのであります。
……男の嫉妬。嫌なものでありますな。
ついにナニガシは、いじめにいじめていじめ抜いて、キクを自殺に追い込んだ。
……もうおわかりでありますね。
これが、化けて出たのであります。
おキクさん。はい。数えます。仕事の途中で隠された書類を数えるのでありますよ。一枚二枚。赤レンガの、右隅のあそこの部屋で」
「……ちょっと待って下さい先生。それじゃ皿屋敷ですよ」
「その通り。皿屋敷であります」
「数えますか」
「はい、数えるであります」
「九枚まで数えて、一枚足りない?」
「どこに隠したと、声を聞いていた者を呪い殺すのであります」
「いやそれは、まんま皿屋敷じゃないですか」
「数えて十枚あったら、面白いでありますね」
「ちゃんと十枚ありました。ええー!? って、それじゃ落語ですよ、先生」
「ところがこのはなしには続きがあるのであります」
「おお」
「みんな「皿屋敷」だと知っているわけでありますから、「十枚まで聞くと呪われる。じゃぁ、七枚あたりで逃げてしまえば大丈夫」と高をくくって、肝試しをはじめたのであります」
「怖い物知らずですねぇ」
「播州まで行く旅費が浮くと、好評だったようでありますよ」
「それはそれは……。それで?」
「娯楽のない世の中でしたから、面白い催しがあるぞと、噂が広がるのはあっという間でありました。兵だけでなく、下士官、士官、ついには閣下や殿下と呼ばれている方々まで見学に訪れるようになり、赤レンガの一室はわいのわいのの大騒ぎ」
「めちゃくちゃですよ、それ」
「その夜も、……一隻、二隻……三隻四隻五隻六隻七隻、と七まで聞いて、すわ!逃げろ! と声をかけたはいいが、大混雑のてんやわんや。何人か逃げ遅れ、聞いてしまったのでありますよ」
「九まで数えて……ですか」
「はい」
……八隻九隻十隻十一十二十三十四十五十六十七……十八隻。
「聞いた者、みんなずっこけたそうであります」
「でしょうね」
――おおい、逃げた人、みんな戻っておいで、戻っておいで。……いえ閣下、ここは不肖わたくしめが、はい。……おい、キク、貴様は、皿屋敷を知っているか。お皿の数が九枚しかない、それがうらめしいと、化けて出ている。わかるか。九枚から後を聞いたら呪われると思って、こっちは七枚目ぐらいで逃げ切れるかというヒヤヒヤを味わいに来ているのだ。お前は本当に何を考えている。一隻、二隻とは、皿ですらない。おまけに、十を通り越して十八とはなにごとだこらっ。仕事を疎かにしてはだめだ。ものを数えるのは貴様の仕事なのだから、もっと仕事に精出せ、歯を食いしばれ、この大馬鹿者!
……ぽんぽん言わないでくださいよ。私も、皿屋敷なら九枚までというのは、重々承知しております。
――だったら、どうしてあんなにたくさん数を読んだのだ。
……戦果報告によりますと、あんなにたくさん沈めているはずなのに、沈めても沈めても、いくら沈めても、浮いているんですよ。いくら数えても終わらないのです。
「台湾沖ですか? 台湾沖ですね! 海軍の噺じゃないですか。先生、あきつ丸先生、さてはあんた海軍嫌いだな?」
「そんな。自分は提督殿にも、皆さんにも、親愛の情を抱いているのでありますよ」
「にやけた顔で言われても信じられませんよ先生。親愛の情があるというのなら、本当に、いいですか、あきつ丸先生が本当に、一番怖いと思っている陸軍の怪談話、教えて下さいよ」
「…………」
「…………」
「ま。こんな馬鹿な噺で決戦予定地変更した、うちの上司が一番怖いでありますよ」
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上方落語「皿屋敷」をモチーフにした落語(みたいななにか)です。「皿屋敷」だけではアレなので「饅頭こわい」をとってつけました。