僕が生きた時代は、愛とは何か、命とは何かを誰もが自分なりに考えなくてはならない時代だった。それが戦争と革命の時代だった。その中には僕にはまるで理解できない道を選ぶ人々も多くいた。彼らによれば正義と愛国心は表裏一体の疑うべからずものであり、そのために命を投げ出すことは最高の名誉であり家族への孝行にもなるのだった。だが、ほとんどの人はそのように言いくるめられ、社会からの重圧から逃れられずそのように生きるしかなかったのだ。おそらく世界中の大半の人々はそうであった。戦争とは戦争の勝敗に関わらず、皆が皆同じ主義主張をする全体主義へと国家を変貌させるのだ。僕は彼らに比べれば恐ろしく幸運な男だった。
「神に恵まれた命を粗末にしてはなりません」
幼い頃僕の周りにいた信心深い大人たちは僕にそう言い聞かせたものだ。僕はそれほど熱心なキリスト教徒ではないけれど、命が神の恵みである、という言葉だけは幼心に強く訴えるものがあった。僕の体内には何カ国かの異なったルーツを持つ血が流れているが、そのことに何か与えられた使命のようなものを感じたのだ。僕の人生の原点はここにある。神の恵みである命をありのままに享受し、そのありのままの恵みを愛する人たちに還元したい。僕は今日までその思いに沿って生きてきたつもりだ。しかし僕が自分の意思通りに生きてこられたのは、僕が人生の旅路で出会った人いう人にことごとく恵まれたからだと今は思う。それもまた「神の恵み」なのだろう。聖書の中の神が本当にいるかどうかは別にして、僕は僕を僕として生かしてくれた運命の配剤にただ感謝するしかない。自分らしく生きるということがどんなに困難な時代だったか、僕は目を瞑るだけで幾多の人々の顔が浮かぶ。不幸な戦争の道具にされた我が娘もその娘婿も、革命後の内戦で音信が取れなくなった家族も、テロリストに虐殺された妻の家族も、世が世ならあのような苦しみを受けることはなかっただろう。
「私たちはなんて幸せだったのかしら。好きな人と結婚して好きなように夢を叶えて…本当になんて恵まれていたのかしら。あなたと結ばれるのは天命だと幼い頃から思っていたけどその通りに生きられた私、なんて幸せ者のだったのかしら。神様に本当に愛されていたのね」
今は亡き娘の遺した孫を見ながら涙ぐむ妻は言う。妻のいう通り僕らはまるで天の神に愛でられているように幸せだった。だがだからこそ周囲の人々が不幸になっていく姿を見送るのが辛かった。「ありがとう…忘れないよ」今は空高く天球を飾る星となった彼らに毎晩僕は祈っている。
なれや知る都は野辺の夕雲雀あがるを見ても落つる涙は
これは僕が子供の頃から諳んじている日本の古歌だ。戦争で焼け野原になった都はいまや世界そのもののような気がするが、戦火の傷跡を見て涙が流れると詠った古人の心は今も昔も変わらない。預言で脅かす聖書の言葉より僕はこの歌の持つ哀しみの方が好きだ。何も知らずに空をさえずる雲雀は何も分からぬ子供たちの象徴だろうか。でも、子供たちには僕らが体験した哀しみを知ってほしい。そして二度と同じ時代が来ないように伝えてほしい。
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「戦争と革命の世紀」と言われる人類史上最も過酷な流血と破壊の嵐が吹き荒れ、旧き文明の社会と価値観を粉砕した時代、時代の荒波に翻弄されながらも真摯で純粋な人間性で社会と対峙したある家族の自我の確立と運命の愛の物語。ロシア革命とそれによって齎せれたロシア内戦の混乱と慟哭、二度にわたる世界大戦の激動と惨禍の中で自分が自分であるために貫こうとした人々の生を描く。