青黒い肌をした鬼が連れて来た人物の姿を見て、男が珍しく皮肉っぽい笑い声を上げた。

 今までの、この青年とは違う、そこに夜摩天が感じたのは刺々しい怒りの感情。

「冥府の法廷で再開とは、中々愉快な状況じゃねぇかよ、領主殿」

 それまでうつむいて、鬼に小突かれておどおどしていた領主の顔が、その声にビクリと跳ね上がる。

「お……お前」

「俺を殺したのは人情として判らんでも無いが、自分の子供や忠臣を巻き添えにした揚句に、自分がここに来る羽目になったとは、これも因果かね、間抜けなこった」

「黙れ!」

 鬼の手を振り切って、領主が男に駆け寄り、素手ながら鋭い突きを放つ。

 戦場を往来して数十年、下級武士から、乱に乗じて一郡の領主にまで成り上がった男である。

 生きる為に身につけた臆病さはあれど、徒手の技を含め、その武術の心得、生半の物では無い。

「……やれやれ」

 だが、その鋭い突きを、さりげない動きで男が払う。

 動きはさりげなかったが、竹の鞭で叩いたかのような鋭い音が、静かな廷内で響く。

「いっ……!」

 痛い、という暇も無かった、領主の襟に空いた方の男の手が伸び、相手が駆け寄って来た力を生かしながら引き寄せると同時に、領主の足首に斜め上から踏み折るように蹴りを入れ、へし折りつつその足が払われた。

 倒れる体に受け身を取らせぬように、襟を引き、その背中と後頭部を、石の敷き詰められた廷内の床に存分に叩き付けた上、止めをを刺すべく、その倒れた腹部を踏みつぶすように、踵を落とした。

 悲鳴の代わりに、ゴボリと堅い空気を押し出すような音が口から洩れ、領主は体をくの字に曲げた。

「ほう」

 一瞬の遅滞も無い動きに、夜摩天が軽く目を細める。

 最少の動きに最大限の破壊力を込める動作は、達人のそれと言っても良いだろう……夜摩天が最初に見つもったより、この青年は強いようだ。

 温厚で部下に恵まれただけでは、戦場往来は出来ない……この青年が式姫の助力があるにせよ、妖怪を向こうに回して戦い抜いてきたその片鱗を、確かに見た。

 

 ここが現世なら、領主殿はもう一度三途の川を渡る羽目になっていただろうが、ここ、冥府では死ぬことはない。

 とはいえ、寧ろ辛い事に、その痛みはまだ感じられる、激痛に悶絶して床を転がる領主を男は冷やかに見下した。

「……まだ仕返しし足りねぇが、ちっとは腹いせになったぜ」

 そう呟いてから、男は夜摩天に向かって頭を下げた。

「お騒がせした」

「いえ、中々お強いですね」

「お褒め頂いてなんですが、全然足りませんよ。 この程度は、妖怪相手じゃ蜥蜴丸の力を借りなきゃ、護身術にもなりゃしません」

「足りない……ですか」

 普段一緒にいるのが式姫だと、こういう辺りの意識は人とずれてくるのか。

 今の動きなら、無双の剣豪とは呼べなくても、剣だけで身を立て、世渡りも叶うだろうに。

「うぐ……お前は」

 床に倒れたままの領主の呻きに、夜摩天と男の視線がそちらに向く。

「……お前は……なぜ」

「あん?」

 領主が苦しい息の下から、男を睨んで口を開く。

「何故だ……」

「何がだよ」

「わしを赤子の手を捻るように倒す武術を持ち、あれだけの領土を数年で得ながら……お前は何故、それを誇らぬか」

「俺の目的は妖の鎮めであって、領土拡張じゃねぇからだよ……アンタと同盟交渉してる時に、何度も言っただろうが」

 何で判ってくれねぇんだ。

 ため息交じりの男の言葉に、領主は殺意と呼ぶのも生易しい、憎悪の視線を男に向けた。

「判ってたまるか!わしの半生……いや、生その物を、お前は軽んじたのだぞ!」

 

(俺にとって領土経営は、時間を取られるだけで邪魔なんですよ……どなたか適当な人が居たら、結界の要になる場所の管理以外はお願いしようかと思ってる位ですが)

 

 他に集められた、周辺領のぼんくらどもは、この言葉を、青年の領土への野心を糊塗する偽りだと思って警戒したようだが、彼には判った。

 

 この青年は、本当に彼らの領土になど、何らの価値も見出していない。

 

 それが、判ってしまった。

 だが、その実感は、安堵では無く、寧ろ彼にとっては屈辱だった。

 わしが何度も死ぬような思いをして得た領土を、塵芥の如く扱う……。

「わしが貴様を憎む、それ以上の理由が必要か、小僧!」

 

「尤もではありますね」

 夜摩天は、無言で睨み合う二人を見ながら、低く呟いた。

 領主の怒りは、ある意味自然な物。

 自分の宝物を取られたくない。

 だけど、奪う価値も無いと言われるのは、それ以上に許せない。

 

「つまりあれか、俺が覇者でございと、式姫並べて服従要求でもすりゃ、満足だったのかよ、アンタは」

「そうじゃ、その方がまだ良かったと言っておるのじゃ!」

「……そうかよ」

 男は眼を伏せた。

「判らねぇ」

「判るまいな」

「俺にはアンタが判らねぇ……そいつはお互い様さ。 でもよ、人が理解しあえないのは当たり前の事じゃねぇのか? なんで、それが殺すほどに人を憎む理由になるんだよ」

「……お前の存在を許すのは、すなわちわしの生を自分で否定する事になるからじゃ」

 自分の価値を殺すか、殺されるか。

 故に自分を生かすために、お前を殺す。

「それは自分の子供や、忠臣を犠牲にしてまでする事だったのか?その怒りは飲み込め無かったのかよ!」

「貴様は燃え盛る熾火を飲めるのか?……嫉妬や怒りの炎を飲むというのはそういう事じゃ」

「……何だよ、そりゃ」

「野心の炎に身を焼かれた事のない者には判らぬのだ」

 その言葉に、どこか打ちひしがれたように、男は俯いた。

 こいつもそうなのか。

 俺の祖父と同じ。

 良くも悪くも、人らしい人……か。

「好き好んで、自分で自分を焼いただけじゃねぇか……子供や部下を殺してまで得た物を、誰に残すんだよ、アンタは」

 人の情念が理不尽な物だなんて事は知っている……自分の中にだって、いくらでもある事も自覚してる。

 人を愛して狂う奴も、欲の為に自分自身を魂さら売りとばす奴だって知ってる。

 守るために得た力が、いつしか欲の為に他者を攻める力に変化するのも見た。

 自分の後を託す者を売ってまで、何かを得ようとする奴だって……そんなの、腐るほど見て来たよ。

 それでも、俺は野心の代償に、大事な人に涙しか残さない生き方なんぞ。

「判りたくもねぇよ……そんなもん」

「珍しく酷い恰好ね、天羽々斬」

 抜け駆けするからよ、そう口にした鈴鹿御前に、天羽々斬は苦笑を向けた。

「抜け駆けと言うなら、そっちの方でしょう」

「まぁ、それは否定しないわ、それにしても貴女が苦戦するとはね……式?」

「ええ、と言ってもただの式では無かったけど」

 言葉少なに頷いて、天羽々斬は傍らで蠢く領主の死体に視線を落とした。

「これよ」

 ひゅっと無造作に刀を握った右手を振るうと、領主の死体の胸の所が、肋さらぱくりと綺麗に断ち割られた。

 その割られた胸の中で、いまだに動き、禍々しい力を全身に送り続ける心臓。

 そこに張り付く、血色の輝石。

「……殺生石?」

 鈴鹿御前の滑らかな美しい顔に、嫌悪の色が浮かぶ。

「ええ」

 そう言いながら身をかがめた天羽々斬がその石を指で摘み、心臓から引きはがそうと力を込める。

 びくり。

 死体が大きく跳ねる。

 だが、石はまるで、最初から心臓と一体になって居たかのように、はがれない。

「ご覧の通り、術で融合してるわ」

 この力を乗せた血が、全身を巡っていたとすれば。

「成程、あの人を殺した毒を一緒に飲んでも、この男には効かなかった理由が判ったわ」

「そういう事でしょうね」

「相変わらず、あの化け狐は、私たちに祟るわねぇ」

 あまり斬った張ったの修羅場は好まないおゆきが嫌そうに視線を逸らし、いまだ雪が降りしきる空を見上げて言葉を次ぐ。

「一つは貴方が砕いて、一つはどうやらあの城の守護結界に使われていた、そして領主の保護に一つ……残り一つは」

 皆、気にすることは一緒か。

 おゆきの言葉に天羽々斬も頷く。

「恐らく、この式を操っていた陰陽師」

「その見立てが妥当でしょうね……紅葉と童子切が追ってる奴が、それだと良いんだけど」

「紅葉御前と童子切が……ですか」

「同じ道か知らないけど、仙狸も、こことは別の抜け道を追ってるわよ……彼女の事だから逃がさないとは思うけど」

「人手はあった方が良いわね、ここはもう問題ないでしょうし、私たちも追いましょう」

「ええ、ですが」

 天羽々斬が刃を掲げ、切っ先を領主の心臓に向ける。

「先ずは、この殺生石を始末してから……」

 目にも留まらない刺突、だが、その狙い過たない刃が、空しく地を抉った。

「何!?」

 ぶちぶちと、全身に連なる血管を引きちぎり、血を振りまきながら、その輝石を融合させた心臓だけが空に飛んだ。

 慌てて振るった鈴鹿の斧と、おゆきの氷雪を伴う風も、それを捉えきれない。

 手を出せない上空に飛び去ったそれを見上げて、おゆきが歯噛みする。

「何よあれ、どういう事!」

 天羽々斬が、鞘を失った刀を肩に担いで、心臓の飛び去った方角に目を凝らした。

「判りませんが……碌な事ではないのは確かでしょうね」

「とにかく追うわよ!」

「言われなくても」

 駆け出した鈴鹿御前と天羽々斬の背中をちらりと見て、おゆきは今は動かなくなった、破壊されつくした領主の亡骸に、複雑な目を向けた。

「こいつもあの人の敵ではあるけど……ここまで酷い扱いを受ける謂れは無いわよね」

 ふっと、その亡骸に白い吐息を吹きかけ、血と穢れを白い雪の下に隠す。

「ケチな野心であの人を邪魔した憎い奴だけど、化け狐の呪縛を離れ、今は静かに大地に還りなさいな」

 最後に一瞥だけくれて、おゆきもまた、殺生石を追って、空に舞い上がった。

 


 
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