-前回のあらすじ-
魏軍本陣に単騎で突入した桃香は一刀との一騎打ちに望む。
一方本陣の周りでは、魏軍と蜀軍の死闘が続いていたが、本陣よりの停戦の鉦の音を聞き、両軍は戦闘を停止する。
魏軍と蜀軍の名だたる将達は、最後の決着を見守る為自分達の王の元へと向う。
そして魏軍本陣の中で、一刀と桃香の一騎打ちを見て愕然とする。
そこでは満身創痍の桃香が、無傷の一刀の首筋に剣を向け勝利を叫んでいたのだった。
一刀は久々に頭痛のない、爽やかな目覚めを迎えた――。
今現在一刀が寝かされているのは、魏軍本陣に設営された幕舎の中の寝台だった。
眠い目をこすり、やたら重いと感じる身体をゆっくりと起こす。
自分以外誰もいない幕舎に違和感を覚える一刀、普段なら護衛なり医者が常についているのだが、今は誰の姿も見る事はできなかった。
誰かを呼ぼうとしたその時、幕舎の外から大きな喧騒が聞こえてくる。
よく聞くと、それは魏の兵士達が大声で何かを叫んでいる声だった。
一刀はその声を聞きながら、今の状況を起きたばかりの頭の中で一つ一つ整理していく。
今自分達は蜀軍と大陸の覇権をかけた最後の戦いをしている――
蜀軍の善戦もあり、苦戦していた味方を鼓舞する為、無茶な行動で突破口を切り開いた――
その後蜀軍は撤退、この本陣にて蜀軍追撃に関する軍儀の途中で頭痛で倒れた――
そこまで考え、一刀は蜀軍がこの本陣に対し攻勢をかけてきたのだろうと認識した。
そして、蜀の王劉備玄徳こと桃香が、この一刀のいる本陣に向ってきているのだろうと。
一刀は寝台から起きると、武器を取ってそれに備えようとする。
と、その時一刀は先の戦いで右腕に受けた矢傷の跡に痛みがない事に気付く。
薬が効いたのかと思った一刀だったが、ふとその傷に触れた時に、それが違うものだとわかった。
「痛み……、いや、感覚がないのか」
傷は確かにある、それも結構深い矢傷のはずだった。
一刀は少し考えた後、その傷口を少し強めに指で押し付けてみる。
血が滲み、包帯が赤く染まっていく、しかしやはり痛みも何も感じなかった。
ここにきて、一刀は自分の身体に異変が起こっている事に気付く。
頭痛も無くなったのではなく、一刀自身が痛みも何も感じなくなっているのだと。
一刀は想う。
おそらく、全てが今日で終わるのだろうと。
これはその兆候なのだろうと。
ずっと考えてはいた。
いつか自分はこの世界から消えてしまうのではないかと。
そんな事を考える度、悲しみや恐怖というものをいつも感じていた。
だが、いざその時になってみると、案外あっさりしたものなのだなとつい苦笑してしまう。
『胡蝶の夢』
ふと発した自分の言葉に口を噤むと、一刀は幕舎の中を静かに見回した。
元居た自分の世界と比べてみると、この空間はまるでドラマか映画の中の世界のようだと改めて思ってしまう。
もしかしたら自分は今夢の中にいるのかもしれない、どこかで見たような物語のように。
だから今の自分は怪我や病気をしても、痛みがないのかもしれないと。
そして、もしまだ夢の中にいるのだとしたら、きっともうそろそろ目が覚めても良い頃なのかもしれないと。
その夢を覚ましてくれる人物が、今まさにここにやって来る。
彼女はきっと、自分の目を覚ましてくれるだろうと一刀は信じていた。
それは一刀にとっては、不可思議な感情だったかもしれない。
一刀はこの心地良い夢を、まだまだ見続けたいと思っているはずだった。
本来ならそれを邪魔する者には、敵意を見せてもいいはずなのだから。
だが一刀はそんな感情よりも、桃香との戦いを楽しみたいという気持ちの方が大きかった。
それは重荷と罪悪感から、ようやく解放されるからという理由だったのかもしれない。
一刀はいつものフランチェスカ学園の制服を着、さらに寝台の横に置いてある剣を装備しようとする。
剣を持てるかと心配したが、触れた剣の重さや、金属の冷たさといった感覚はまだ少し残っていたようだった。
それでも今までのように、しっかりと剣を持って振るうというのが難しく感じられた。
これでまともに戦えというのは無理なのかもしれない。
もし相手が兵士レベルであったとしても、今の一刀が勝てるかは微妙な所だったろう。
それでも一刀は仕方ないといった溜息を吐き、気合を入れなおして幕舎の外へと向う。
「さて、じゃあ行くか」
一刀は意を決して桃香との戦いへ、そして、この世界での最後の闘いへと赴いていった。
――時は一刀が桃香との一騎打ちを受けた所まで遡る――
蜀の王劉備玄徳こと桃香は、この魏の本陣に来るまでに、単騎で敵陣を突破し傷だらけになっていた。
そんな満身創痍の桃香に対し、無傷の一刀は相対する。
そして、一刀と桃香の一騎打ちが始まる。
桃香の太腿に刺さった矢傷は痛々しく、落馬した時の衝撃で骨も折れまともに戦う事ができそうにはなかった。
実際何度か剣を振るっただけで倒れたり、剣を落としてしまう有様だ。
そんな剣を振るのがやっとの桃香に対し、一刀は今出せる全力で斬りかかっていった。
鋭い一撃を必死で受ける桃香、続けざまに繰り出される一刀の剣をなんとかといった感じで必死で受け続ける。
しかし、当然の如く耐え切れず、桃香の身体に刀傷が幾重にも刻まれていく。
その場にいた蜀の将達は、桃香が傷ついていく姿を歯を食いしばり、今すぐにでも助けたい衝動を押し殺し耐えていた。
桃香が必ず、その目的を達してくれると信じて――。
一方の魏の将達は安堵の空気に包まれていた。
戦前一刀が ”劉備を殺せないかもしれない”と言った言葉が頭をよぎってはいたからだ。
だが今二人の戦いを見る限り、そんな事は微塵も感じさせていなかった。
魏の面々は一刀がここに来て、手を抜くような事はしないとは思ってはいる。
だが、一刀は優しき覇王――
傷つきまともに戦えないような者を前にして、本気で剣を交える事ができるのだろうかという不安はあったのだ。
しかし、少なくとも一刀は桃香を本気で殺そうと剣を振るっていた。
それが杞憂だった事に安堵し、一刀が勝利する事を誰もが確信していた。
戦いは終始一刀の有利に進み、耐え切れなくなった桃香はついに防御を崩してしまう。
大きな隙が生じ、桃香が完全に無防備になったその瞬間、一刀は桃香の胸に向け必殺の突きを繰り出した。
魏の将兵達は勝利を確信し、蜀の将達は最悪の結末に悲鳴を上げそうになる中、一刀の鋭い剣が桃香に襲い掛かる。
そして、その剣尖が桃香の胸を貫こうとしたまさにその瞬間、一刀の身体に異変が起こる。
「!」
一刀がまるで時が止まったかのように動きを止めたのだ。
繰り出した剣は桃香には届かず、そのぎりぎりで止まっていた。
その場にいる誰もが何が起こったのかわからなかった。
一刀が手心を加えたのかと考えたが、どうもそういう感じでもないのは一刀の苦悩の表情からも見て取れた
一方剣を向けられていた桃香は、一刀の表情をじっと見つめ続けていた。
いつその剣が自分に突き立てられるかもしれない事よりも、桃香は一刀の表情の変化を心配していた。
「やっぱり……、こうなるのか」
苦悶の表情と共に小さく呟いた一刀の言葉に、桃香は一刀に何か異変が起こった事に気付く。
「一刀……さん?」
問うた桃香に一刀は何も答えなかった。
だが、持っていた剣が力なく一刀の手からするりと抜け落ちた。
甲高い金属の音が静寂の戦場に響き渡る。
誰もがその光景が信じられないと言った表情になった。
一刀が桃香に傷をつけられてるようには見えなかった。
それはかすり傷すらも。
だとすれば一刀が寸でで止まったのは、何か異変があったにほかならないと。
魏の将達がまず浮かべたのは一刀の頭痛だった。
だが今の一刀は少なくとも、頭痛によって苦しんでいる様には見えなかった。
ただ、まるで人形のように微動だにしない一刀の姿は、頭痛以上の不安を将達に与えた。
そしてそれは桃香も一緒だった。
一刀の異変、それは桃香が尤も心配していた事が起こったかもしれなかったからだ。
「終わらせ……、ないと。 このままじゃ……一刀さんが……」
傷ついた身体で必死に自分の剣を持ちなおした桃香は、ゆっくりとその剣先を一刀の喉に向け、言い放つ。
「一刀さん! 私の……、勝ちです!」
時間切れ――
そんな言葉が一刀の脳裏に浮かんできた。
北郷一刀としてこの大陸を制覇すると宣言してから、ずっと激しい頭痛に襲われていた。
恐らくそれはこの世界の自分の役割を逸脱した行為に対する、天からの罰なのだろうと一刀は考えていた。
自分はこの世界で、曹操孟徳の役割を演じなければいけなかったのだろうと。
だが、一刀は曹操孟徳が大陸を制覇する前に逝く事を知っていた。
曹操の死後も長く戦乱が続き、多くの人々が死ぬ事も。
だから一刀は未来の知識を駆使し、それを変えようと思ったのだ。
覇王・北郷一刀として――。
天意に逆らってでもそれを成そうとした。
その目論見通り本来の流れに逆らい、一刀と魏国は勝ち続け、そしてまず呉を滅ぼした。
そんな一刀を、天意の力というものが邪魔をしたのを感じた出来事がその後にあった。
それは一騎打ちの後、呉の王孫策伯符こと雪蓮を殺そうとした時だった。
荊州で二人はお互いの必殺を誓っていた。
そして、その約束した通り一刀は雪蓮を自らの手で殺そうとした。
だがその直前、一刀は激しい激痛に襲われ気を失い、その願いを果たす事ができなかったのだ。
一刀はそれがどういう意味を持つのかを考え、そして、その行為が一刀に対する”天の悪意”だと考えたのだ。
即ち――。
『北郷一刀によるこれ以上の介入は許さない』
実際にそれが天の意思なのかはわからない。
だが、今後も大局の最も重要な時に、一刀の意思に反した事が起こるのではと考えた。
そう、蜀との最後の戦い、桃香との決着の時にもそれが起こる可能性を考えたのだ。
”皆に頼みがあるんだ”
できれば自分の手で全てを終わらせたかった。
しかし、それが出来ないのであれば仲間達に頼るしかなかった。
一刀は軍議の中で桃香を殺せないかもしれないと語った。
怒られるのを承知で、彼女は優しすぎるからという理由で。
予想通り呆れるやら怒られるやらの反応はあったものの、皆は納得し、上手くかわしたように思えた。
ただ一人、風だけは訝しがる様子をしたのは流石だと思いつつ。
そして一刀の予想した通り、今まさに桃香との戦いに決着が訪れようとした時、天意は一刀を絶望に追いやった。
大陸制覇があと数センチという所まで来ながら、それを決してさせまいとする力がそれを遮った。
「一刀さん……」
困惑する桃香は一刀に声をかける。
その時の一刀は身体を動かそうとするも、思う様に動かせない状態だった。
今自分はどこを動かしているのか、わずかに残った感覚をフルに動員し、意識を保つのが精一杯だった。
「どうした劉備、俺の首を落とさないのか?」
すでに覚悟を決めていた一刀は桃香に決着を促す。
しかし、問うた一刀に桃香は悲しげな表情で大きく首を横に振る。
「違います……、違います! 私は、一刀さんを助ける為にこの戦いに挑んだんです!
一刀さんが何かに苦しんでる、そんな風に思えたから!」
桃香の答えに一刀は呆れるように、しかし怒りを含んだ言葉で返した。
「馬鹿げている……、君は、そんなあやふやな理由だけで多くの人の命を奪う戦いをしたというのか?
君の守るべきものは俺ではなく、君の部下や民だろう」
「それは違うぞ北郷一刀!」
一刀と桃香の会話に入り込んできたのは、関羽雲長こと愛紗だった。
「桃香様は誰よりもこの国の事を考えておられるのだ! 桃香様が想うのはこの国全てに生きる人々の事!
そして、その中には北郷一刀、貴様も入っているのだ!」
「北郷殿、どうか桃香様の話を聞いてはいただけませぬか? それはきっと貴方の、いや、この国の為になるはずだ」
愛紗に続いて言葉を発した趙雲子龍こと星の言葉に、一刀は桃香を見つめる。
桃香はずっと一刀だけを見つめていた。
目は今にも溢れ出しそうな涙を溜め、傷ついた身体を必死で支え、一刀だけをただ見つめていた。
「一刀さん、私には一刀さんに何が起こっているのかはわかりません。 でも、一刀さんが苦しんでるのはわかりました。
だって、私には一刀さんがまるで、死に急いでいるように見えたから」
桃香の言葉に一刀ははたと考える。
桃香には自分は死に急いでいるように見えていたらしいと、一瞬的外れだとも思ったが、考えてみれば自分は常に戦場の前に立っていたような気がしたと。
さらに勝ち目などまるでない雪蓮との一騎打ちや、蜀軍陣地前の単騎駆けなど、言われて見れば死に急いでるように見えたのかもしれないと。
他人から見れば武勇のない一刀の行動は、自殺願望のある者に見えるかもしれないと。
はたしてそれは自身の行動によるものだったのか、それとも天の悪意のなせる業だったのかはわからなかったが。
「何故死に急いでるのかはわかりません、でも、今の一刀さんの姿を見て確信しました。
一刀さんは何か大きな力によって苦しめられているんじゃないかって」
桃香は今にも泣き出しそうな顔で言葉を続けた。
「そして、それは天の御遣いでいる事のせいなんじゃないかって!
私はこの戦いの前に許子将という人に出会い、一刀さんの事を占ってもらいました。 その人によれば……」
『大局の示すまま、流れに従い、逆らわぬべし。 さもなくば、待ち受けるは身の破滅』
「この意味が最初私にはわかりませんでした。 でも、ある考えが浮かんだ時、その意味がわかった気がしたんです!」
桃香は深く息を吸って自分を落ち着かせ、言葉を続けた。
「ずっと、何かがひっかかっていたんです。 ずっと……、そんな事があるんだろうかと。
でも、そうだったとしたらって……」
桃香は苦しそうに顔を歪めると、一刀に向け自分の辿り着いた答えを述べた。
「一刀さんは、本当に天の御遣いなんですか?」
桃香の発した言葉は、その場にいる魏の将兵達の動きを止めた。
誰もが桃香の発した言葉を考え、そしてその意味に困惑した。
桃香は一刀が天の御遣いになのかと問うた。
何を今更と、そもそもその問いに何の意味があるのだと。
北郷一刀が天の御遣いであるのは、誰もが当然として認識している事なのだと――。
魏の将兵達にとっては、いや、それ以外の国の者達にとっても一刀が天の御遣いである事を疑う者はもういないだろう。
なのに桃香はこの最終局面ににおいて、それを否定するかのような発言をしたのだ。
初めは呆然としていた魏の将兵達も、段々自分達の王が汚されたように思え、怒りがこみ上げてくる。
「劉備玄徳! 貴様、そこまで落ちぶれたか! ここここに至ってそのような妄言を吐くとは!
恥を知れ!」
兵から浴びせかけられた罵声にも桃香は動じず、じっと一刀を見つめ続けていた。
一刀からの答えはまだない、しかし、その答えを聞くのが怖かった。
いっそこのまま自分を切り伏せてくれたら、どんなに楽だろうと。
永遠に続くかと思われた喧騒、しかし、それは一刀の言葉によって止められた。
「劉備、天の御遣いって何なんだろうな」
ようやく聞こえた一刀の声音は、とても弱弱しいものだった。
しかし、桃香は続く言葉を聞き逃すまいと、必死で一刀に神経を集中する。
「生まれた時から天の御遣いなのか、誰かに任命されるものなのか、それとも自然になるものなのか、どうなんだろうな」
問いかけるような言葉に、桃香は何も答えられなかった。
「俺はこの世界に来てから天の御遣いと呼ばれるようになった。 最初は戸惑いもしたし、その事について深く考えもしなかった。 あくまで呼称の一つ程度にしか考えていなかったからな。 戦乱に喘ぐこの世界を救う者とか言われたって、ただの高校生の俺にそんなものは無理なんだって思ってた」
一刀の言葉に春蘭、秋蘭はその時の事を思い出す。
思えばあの時は天の御遣いなど眉唾モノと思っていた。
だが今となっては、一刀と出会ったのは運命だったと二人は思っている。
「でも、天の御遣いとして生きるのが当然になってくると、その言葉の意味が重く感じるようになってきた。
民や将兵の期待、そして天の御遣いというものに何を望んでいるのか……」
「一刀さん……」
「だから俺は天の御遣いとして進む事を決めた。 未来の知識を持っている俺だから出来る事があると思って。 でも、そんな簡単にはいかなかったな」
静かに話す一刀の言葉を、桃香と魏蜀の将兵達は聞いていた。
「もし俺じゃない誰かが天の御遣いだったなら、もっと上手くやれていたのかもしれない。
武勇なり知略なりが優れた……、いや、俺以上の人間なんてごまんといる。
俺以上の優れている人物が天の御遣いだったなら、もっと犠牲を出さずに大陸を平和にできたのかもしれない……」
一刀は一言一言を噛み締めるように語っていた。
それこそが一刀を今まで苦しめていたものだったからだ。
自分のせいでどれだけの人が無駄に死んでしまったのか、どれだけの悲しみを生んでしまったのかと。
自分の成している事はこの世界にとって、ひいてはこの国の未来にとって、どんな影響を及ぼしてしまうのだろうかと不安になった事もあった。
自分は本当に天の御遣いなのか? 天の御遣いとして進んでいいのだろうかと――。
「そんな事はありません!」
顔を曇らせる一刀に、桃香はそれを完全に否定するかのように大声を上げる。
「一刀さんだからここまでこれたんです! 他の人だったらきっと、もっと多くの人が悲しんでいます!」
必死で訴える桃香に一刀は改めて想う。
この少女は何故他人の為に、もっと言えば倒すべき敵にまでここまで想えるのだろうかと。
「一刀さん、私は一刀さんを助けたいんです! その為に、ここまで来たんです!」
一際声色を上げた桃香に、一刀はつい笑みを浮かべてしまう。
実は一刀は今言った桃香の言葉を、事前に恋から一度聞いていたのだ。
それは呉侵攻時、刑州方面を守っていた呂布こと恋が桃香と対峙した時、恋が何故一刀と戦うのかと問うたのだ。
それに対し、桃香は今言った事を恋に伝えたのだという。
”苦しんでいる一刀さんを助ける為に、私は一刀さんと戦うんです!”
それが桃香が一刀と戦う理由なのだと。
味方としてだと、それはきっと成せないと言ったらしい。
本気で戦って勝たねば、一刀は絶対にその言葉を聞く事はないだろうと。
その時はどうやって助けるまでは恋には伝えなかったようだが、一刀はそれに期待してしまっていた。
もしかしたら、自分はまだこの場所にいる事ができるかもしれないと。
それをようやく聞く機会がやってきたのだと。
「どうやって、俺を助けると?」
一刀は最初、この助けるという意味は自分を殺し、この苦痛と天意の意思から解き放ってくれるものと思っていた。
しかし、桃香はずっと思い描いていた一刀を救う方法というものを、静かに告げた。
「私が、天の御遣いになります」
その言葉に愕然とする魏の将兵達。
一刀ですらその言葉は予想外だったようで、唖然としてしまっていた。
一方蜀の将達はすでに聞かされえいたであろう答えに、ようやくこの戦いの目的が果たされたと笑みを浮かべていた。
桃香もまた、蜀軍の将達を見回すと優しい笑みを見せる。
”みんな、ありがとう。 やっと、ここまで来れたよ”
言葉は無くとも、桃香の心からの感謝は蜀軍の将達には聞こえた。
桃香は再度一刀に向き合うと、最後の目的を果たすべく言葉を続けた。
「私が天の御遣いになります。 そして、一刀さんの苦しみも悲しみも全部受け継ぎます!
私が全てを持って行きます! だから一刀さんはこれからはずっと太陽のような笑顔でいてください! そうすればこの国の人達は皆、ずっと笑顔でいられるはずです!」
自信を持って伝える桃香に、一刀は失望混じりに答えた。
「そんな事が、できる訳がないだろ。 御遣いを名乗って君が大陸を統べようとしても、天意がそれを許すとは思えない」
一刀は知っている。
自分の知る世界での劉備もまた、大陸を支配する事はなかったのだと。
心配する一刀に、だが桃香はきっぱりと言い放つ。
「大丈夫です。 だって、私が奪うのは天の御遣いという名前だけ。
大陸を統べるのは天の御遣いから解放された一刀さんなんですから」
「じゃあ君は天の御遣いになった後、どうすると言うんだ?」
「自決します」
一刀は一瞬自分の耳を疑った。
桃香の放った言葉の意味があまりにも衝撃的だったからだ。
そんな一刀に、しかし桃香は笑みを浮かべて言葉を続けた。
「誰にも、迷惑をかける事無く一人で逝きます。 だって私は多くの民と兵を犠牲にし、そして天の御遣いを騙ろうとする極悪人なんですから」
優しく微笑む桃香に、一刀は改めて桃香という人間の底知れなさにただただ呆れ果てる。
だがそれは桃香を馬鹿にするのではなく、尊敬の意味を込めてだった。
桃香の目的が、何をしようとしているのかわかった一刀。
おそらく自分を犠牲にし、一刀とこの国を救おうとしているのだと。
後世にまで暗愚の王として語られる事すらも、許容するつもりで――。
「ほんとに、君は何も変わっていないんだな。 出会った頃からずっと、目指すべきものも……」
「はい、私はずっとそれだけを信じて目指しています。 この大陸を誰しもが笑顔で過ごせる平和な国を作る。
そして、そこには一刀さんがいなくちゃいけないんです。 笑顔でいる一刀さんが統べる国が」
「それが、私の夢、私が望むこの国の姿です!」
誰もが甘い考えと馬鹿にし、時には卑下されるような桃香の願い――。
だが桃香はずっと己が信念の元にそれを信じて戦ってきた。
それがたとえ儚く脆い願いだとしても、その為に全てを賭けて戦う事が出来る者だった。
だからこそ一刀は、そんな桃香を最大の敵として見ていたのだった。
誰よりも困難な道を進み、そして誰よりも強い意志を持った英雄だからこそ――。
(こんなものを見せられたら、やっぱり逃げるわけにはいかないよな)
この少女に全てを背負わせる訳にはいかない――。
それも今まで自分が背負ってきたものを――。
だからこそ一刀は今ここで桃香と、そして天意に絶対に勝つ決意を固めた。
「劉備」
「はい」
「俺は」
もう、迷いはなかった――。
「天の御遣いだ」
「ぐっ!……」
動かない身体を必死に動かす一刀、体中が軋み、細胞が破壊されていくような感覚が一刀を襲う。
もし感覚が残っていたのなら、激痛で気を失っていたかもしれない。
拳を握り締め、少しずつ桃香に歩みだす一刀。
一方の桃香は苦悶の表情を浮かべ、近づいてくる一刀を心配する。
と、その時バランスを崩したかのように一刀が倒れそうになり、桃香は支えようと一刀に手を伸ばしたその時――。
「ごめんな……」
瞬間、一刀は残った最後の力で桃香の腹部に拳を叩き込んだ。
唐突な事にうめき声を上げる桃香、今までの激闘、負った傷に必死で耐えてきた桃香にとって、
この一撃は効果的なものだった。
桃香の身体が力なく一刀にもたれかかる。
意識を失いかけるその瞬間、桃香は一刀の口からその言葉を確かに聞いた。
「桃香」
一刀から聞こえたのは自分の真名だった。
徐州脱出時、多くの民を強行軍の果てに犠牲にした事を糾弾され、一刀は劉備玄徳の真名を二度と言わないと言い切った。
この魏蜀の最終決戦の名乗り、そしてこの一騎打ちの時でさえ一刀は真名を使うことはなかった。
それは桃香という存在を否定するのに等しかった。
だがこの瞬間、一刀はそれを破り桃香と言った。
それが意味するものは、桃香という人物を再び心から認めたという事に他ならなかった。
「ダメ……です、かず……と、さん……」
失われる意識の中、必死で叫ぶ桃香だったが、全てが暗闇に包まれていき、気を失った――。
ずるりと一刀に預けていた桃香の身体が地面に崩れ落ちる。
(殺そうとさえしなければそこまで邪魔はしないか、まあそれも織り込み済みかもしれないが)
そう考え桃香を殺すのではなく、戦闘不能にする事を考えた一刀。
結果としてそれは上手くいったものの、その代償として一刀の身体は限界を迎える事となる。
元々脆くなっていたのだろう放った拳の骨は砕け、その原型を留めないほどに変形していた。
身体中の筋肉が動かない、立っているのももう限界だった。
さらに、世界から音が消え、視界からは光と風景がどんどん失われていった――。
その様子を呆然と眺めていた魏軍と蜀軍の将兵達。
立ちつくす一刀の様子がおかしい事に気付き始めた春蘭が、一刀に声をかけようとしたその時。
一刀の言葉が戦場に響き渡った。
「聞け! ここにいる全ての将兵達よ! 天の御使いである北郷一刀が今、蜀の王劉備玄徳を倒した!
これをもって、この大陸の戦いは終わりとする! 魏が蜀を倒し、この大陸を制したのだ!」
わずかな静寂の後、一刀の言葉の意味を理解した魏の将兵達は大声で鬨の声を上げる。
ようやく戦いが終わった。
ようやく平和な世がやってくる。
この日の為に戦い続け、そしてようやく報われた日を心の底から喜んだ。
春蘭達魏の将達も、一刀の様子に心配はしていたものの、この言葉を聞いて安堵し、喜びを爆発させようとした。
だが、一刀の言葉はそれで終わりではなかった。
「これより後は! 夏侯元譲を王とし、この大陸を平和と安寧に導いて欲しい!」
さらに――。
「天の御遣い北郷一刀の役目は、これで、終わりだ」
誰もがその言葉の意味がわからなかった。
一刀が何を言ったのかを理解するには短すぎる時間、だがその意味を知った時、すべては遅すぎた。
「北郷!」
春蘭が走り出す。
一刀に向け必死に、その春蘭に続くように、秋蘭、恋と続き、他の将達も走り出した。
「だめだ、だめだそれは! 北郷!」
悲痛なまでの春蘭の声、皆この後何が起こるのかがわかってしまっていた。
このままでは、一刀が遠い所に行ってしまうと。
離してはいけない、それだけは絶対に離してはいけないものだと、誰もが理解した。
「北郷!」
あと一歩踏み出せばその手に触れるまでに近づいた春蘭、だがその手が一刀に触れる事はなかった。
一刀の身体が淡い光に包まれ、身体が透けていく。
そんな中一刀は走ってくる春蘭達へと顔を向ける。
すでに音も光も、匂いですらわからない一刀だったが、それでも皆がどこにいるのかがわかった。
それこそが今まで共に過ごした時間、共に互いを愛し合った時間の成せるものだった。
そして、一刀は薄れゆく意識の中、言葉すらも発することを出来なくしようとする意思に抗い、最後の言葉を口にした。
「じゃあな、皆」
魏の将達が最後に見た一刀の顔は、太陽のような笑顔だった。
「北郷ーーーーーーーー!!」
春蘭の叫びが響く。
その場に残されたのは倒れた桃香と、二振りの剣だけだった。
魏と蜀との決戦が魏の勝利で終結し、大陸が制覇されたその日――
魏の覇王、天の御遣い北郷一刀は――
この世界から消えた。
あとがきのようなもの
すでに恋姫がどんなゲームだったのかも忘れてるような状態ですが、なんとかここまで来ました。
今まで散りばめてた伏線の回収も出来たと思います。
書いた以上は完結させる。
あと一話頑張ろう!
とか思ってはいますが、どうなる事やらです・・・。
まあ最終回はエピローグみたいな感じにはなるので、早めに投稿はできるかなと思っています。
いいわけのようなもの
ほんと年単位になってしまって申し訳ありません
本来ならもっと早くに終わせなきゃいけないはずだったのですが……。
リアルが酷い有様で大変だったのと、やはり書く事から遠のいたせいでまったく進みませんでした。
離れすぎたせいで恋姫を書くという事にモチベーションが上がらなかったのが一番の要因かもしれませんが。
なのでちょっと十√から離れて某小説家になろうでオリジナルなどをやったものの、中々上手く書けないもので、こっちも現在停止中です(汗
やはりずっと書き続ける事、そして最後まで終わらせるいうのは難しい事だなと改めて感じる次第。
それでも、やった事に後悔しないようにはしたいものです。
それでは次回、十√最終回でまたお会いできるよう頑張ります。
kaz
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魏蜀激突編その6
お久しぶりです、まだ生きてます。
年単位更新ですみません。
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