その瞳に映りし者
~第8話 葛藤~
ジュリアンがリリアに乗馬を教えていると、突然…
「いけないっ!だいぶ時間がたったわ…もうそろそろ帰らないと、皆が心配してる」
と、リリアが叫んだ。
あまりに楽しくて、つい時間がたつのを忘れていたのだ。
「そうだね、そろそろ帰るとするか…これからも、時々こうやって逢える?」
ジュリアンは、リリアに促した。
「ええ…たぶん大丈夫と思うわ!」
リリアは頷いた。
「じゃあ、3日に1回のペースで、今日と同じ時間にここで待ち合わせよう…約束だよ」
ジュリアンは、右手の小指を差出し、そう言った。
リリアも同じく差出し、二人は指切りをした…。
ジュリアンと別れたリリアは、急いでソユーズ家に戻ってきた。
玄関では、ナディアが心配そうな顔をして、リリアを待ちわび立っていた。
「おかえりなさいませ、リリアさま…」
「遅くなって御免なさいね…ジュリアンに乗馬を習ってたのよ…どうかしたの?」
深刻そうなナディアの顔を見て、リリアは尋ねた。
「ジュディさまが、大変怒ってらっしゃいます…帰りが遅いと…」
ナディアは、リリアの耳元で小さな声で囁いた。
「そう…すぐジュディのところに行くわ」
なんとなくナディアの顔を見て、そんな気はしていたのだが…。
リリアは、すぐにジュディの部屋に向かった。
ジュディは、いつものように本を読んでいた。
「あの…ただいま、ジュディ…遅くなって御免なさい!わたしね…」
「一体、何処に行っていたのかしら…こんな時間まで…」
「実は…ジュリアンが朝早く尋ねてきて…乗馬を教えてくれるっていうので、今まで習ってたのよ」
「ふ~ん…本当にそれだけかしら…」
「私たち、何もやましいことなんてしてないわ…ただ普通に遠乗りをして…」
「でもね…世間はそんなふうに見ないの…悪いけど、誤解されるような行動は謹んでほしいわ…あなた、ソユーズ家の長女なのよ…変な噂がたったらどうするのよ」
「……」
ジュディの嫌味には、慣れてるつもりだったが、
さすがに今回は本当に怒ってるようだったので、それ以上は弁解しなかった。
「これから気をつけます…」
リリアは、そう言うと部屋から静かに出ていった。
ジュディは、その後…
持っていた本を床に投げ捨て、沸々と湧き上がる怒りを抑えられずに、唇を噛んだ。
一方、ベアトリスの屋敷では…
あることで、夫妻共々悩んでいた。
それは、一人娘のクラウディアの結婚話だった…。
もうすっかり年頃のクラウディアは、美人だったがジュディ以上にプライドが高く、
どれだけベアトリスが縁談を持ちかけても、まったく応じずに、今日に至っていた。
ベアトリスの夫ヘラルドは、誰でもいいから嫁に行ってくれと常に願っていた…。
さすがに、堪忍袋の尾が切れたベアトリスは、クラウディアにこう問い詰めた。
「クラウディア…お願いだから、そろそろ決めてちょうだい!もう何人縁談を断っていると思ってるのよ…あなた、もしかして、誰か好きな人でもいるの?」
「お母様…それにはお答えできませんわ…お母様はすぐ人にしゃべるじゃありませんか」
娘にそう言われて、思わずたじろぐベアトリスであったが、
「そ…そんなことありませんよ…誰にも言わないから、本当のことを言ってちょうだい!」
と、クラウディアにつめ寄った。
するとクラウディアは、思いも寄らぬことを言い始めた。
「私ね…実は、シュテインヴァッハ家の次男、ジュリアンが好きなの…」
「え…!?」
ベアトリスは、思わず絶句した。
よりにもよってジュリアンとは……。
「あなた、それ本当なの?…」
「嘘じゃありません…以前から、ずっとあの方とだったらと思ってたの」
娘の突然の告白に、ベアトリスは放心状態になった…。
「クラウディア…他に誰かいないの?…もっといるでしょう…何もジュリアンじゃなくても…」
ベアトリスは、必死に説得したが、クラウディアは頑なに拒否した。
娘の幸せを願わない親はいない…。
ベアトリスだって、例外ではないのだ。
しばらく悩んだ結果…
意を決したのか、その後すぐにシュテインヴァッハ家に赴いた。
ベアトリスの突然の訪問に、驚いたのはジュリアンの方だった。
「一体どうしたんですか?婦人…」
ジュリアンを見て、ベアトリスは思いつめたようにこう言った。
「あなたに大事な話しがあるのよ、ジュリアン…」
その様子をみてジュリアンは、これはただ事ではないと思った。
「実はね…こんなことを突然言うのも何なんだけど…ソユーズ家の話し…一度白紙に戻して…その…うちの娘との縁談を考えてほしいの!」
「え…?それはどうゆう…」
ジュリアンは、ベアトリスの突然の要望に驚きを隠せなかった。
「つまり、娘のクラウディアと結婚してほしいのよ!」
ベアトリスは、ジュリアンに身を乗り出し、懇願した。
「……」
ジュリアンは、すぐにこう返答した。
「申し訳ありませんが、婦人…そのご要望には応じかねます…謹んで、お断りします」
「な…なんですって?!…」
「クラウディアほどの美しい令嬢なら、きっと他にいくらでも、候補は見つかると思います…何も僕でなくても…」
「あなたじゃないと、駄目なのよっ!」
ベアトリスは、必死にジュリアンに訴えた。
だがしかし、ジュリアンは首を縦に振ろうとはしなかった…。
「あなた…もしかして、ソユーズ家の娘のどちらかを…」
「そのことには、お答えできません」
静かに答えるジュリアンを見て、ベアトリスは絶句した…。
やはり、無理だったか……。
一分の望みにかけてみたが、ジュリアンにはどうやら思い人がいるようだった。
シュテインヴァッハ家から帰る途中、ベアトリスはずっと考えていた。
(このまま、引き下がるわけにいかないわ…なんとかして、わが娘の思いを成就させなくては…)
そう思ったベアトリスは、そのままの足で、今度はソユーズ家へと向かった。
ソユーズ家では、すぐにリリアとジュディがリビングに呼ばれた…。
いつもとは違うベアトリスの様子に、リリアもジュディも困惑した。
「叔母さま…一体どうしたんですか?そんな深刻そうな顔をして…いつもの叔母さまらしくないですわ」
ジュディが、沈黙を破って、ベアトリスに尋ねた。
「今日、訪問したのはね…自分から話しを振っていながら、身勝手だと思うでしょうけど…実は、シュテインヴァッハ家の兄弟たちの事で話しがあるのよ」
「シュテインヴァッハ家の?!…何かまずいことでもあったんですの」
ジュディは、不安そうな顔で聞いた。
「今後、次男のジュリアンは、お婿候補から外してほしいの…」
突然の話しに、リリアもジュディも驚いた。
「何故ですの?ジュリアンさまとの間になにか…」
「私には、年頃の一人娘がいるんだけど…その子がね…ジュリアンでなきゃ、嫁に行かないと言うのよ…」
「あのクラウディアが…ジュリアンさまを…?そうだったの…それは意外だったわ」
ジュディは、従兄弟のクラウディアとは仲が良く、子供の頃はよく一緒に遊んだ。
美しく聡明なクラウディアの望みなら仕方ないと、ある程度納得したようだった。
しかし、リリアの方は違っていた…。
「リリア…先ほどから、何も話してないけど…あなたの意見が聞きたいわ…今の話しを聞いて、納得してくれたかしら」
ベアトリスの問いに、リリアは暫く答えようとしなかった。
「リリア…あなた…」
ベアトリスは、まさか…と思った。
すると、急にジュディが冷ややかにこう言った。
「叔母さま…ジュディだって、きっと理解してくれるでしょう…だって、自分より年上の従兄弟が切望しているんですもの…ねぇ、そうでしょ…リリア」
そう言って、リリアをみつめた。
「…ええ…ジュディの言う通りだわ…叔母さま…私がその話しに反対する理由はありません…クラウディアには幸せになってもらいたいし…」
リリアは、うつむいたままそう答えた。
「ありがとう、リリア…本当に御免なさいね…もっといい縁談をもってくるから」
ベアトリスは、そう言うと、安心したように帰っていった。
それを見送ったあと…
ジュディはリリアにこう言った。
「リリアって、本当にいい子ちゃんよね…自分に嘘がつけるんだもの…私にはとても真似できないわ」
「……」
「ジュリアンは、素敵な人だったけど…クラウディアのために諦めるわ…」
ジュディはそう言うと、自分の部屋へと戻っていった。
一人になったリリアは、暫くうつむいたまま動こうとしなかった。
それを見たナディアは、心配になりこう話しかけた。
「リリアさま…大丈夫ですか?…あの…」
「ナディア…私だったら、大丈夫よ…心配しないで…」
リリアは立ち上がり、部屋へ戻ろうとして、こう呟いた。
「これからは、もう…乗馬もできないかもね…」
リリアの寂しそうな後ろ姿を見て、ナディアはリリアの悲しみの深さを知るのだった。
あれから3日がたち、本来なら2人が遠乗りする日を迎えた。
しかしその日は、朝からどんよりと雲が垂れ込め、今にも雨が降りそうだった。
リリアは、ずっと窓の外を眺めていた…。
「まさか、こんな日に待ってたりしないわよね…」
リリアの部屋に入ってきたナディアも、同じく窓の外を眺めながら聞いた。
「生憎のお天気ですね…今日は、どうされるのですか?ジュリアンさまと…」
「行ける訳ないでしょ…叔母さまを裏切るわけにいかないわ…それに、やっぱり誤解を招くような行動は出来ないし…」
「ジュディさまに言われたからですか…」
ナディアは、問い詰めるように尋ねた。
「いいえ、違うわ…ジュディに言われたからじゃない…私の意志よ…」
リリアは、自分に言い聞かせるように答えた。
しばらくして、雨が降り出した…。
屋敷から遠く離れた湖のほとりで、一人待つ者がいた。
それはジュリアンだった…。
「とうとう降ってきたか……」
降りしきる雨の中で、ジュリアンはリリアを待ち続けた。
こんな天候の日に来るはずのない者を、ひたすら待つ…
それは、自分の出した答えでもあった。
ベアトリスの話しを聞いて、ひとつ確信したことがあったのだ。
自分が誰を好きなのか、誰を大切に思っているのか……
ジュリアンは、ただひたすらリリアの笑顔が見たいと思った。
だがそれは、叶わぬ夢と消えた……。
結局、リリアはその場に現われなかったのだ。
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小説「その瞳に映りし者」の第8話です。
人は誰しも心に葛藤を持つ…相反する心は、やがて…
主人公たちの苦悩を描いています。