騎士になる。
そう彼は言った。
「そう簡単になれるものじゃない」
まだまだ子供の域を出ない金髪のセラフィストは同じ顔の子供に言った。
薔薇の庭園。
二人でよくカクレンボや剣の稽古をした場所。
「フィスがなるならボクも騎士になる!」
上質なショートパンツにベスト、柔らかなブラウスに身を包んだセラフィムは同じ出で立ちの双子の兄のセラフィストに拳を作って必死に訴えた。
「おまえは次男だ。ウォン・ダレン家の厳しいしきたりに縛られなくてもいいんだ」
同じ顔なのに優しすぎる性格の弟を案じて兄は言った。
「いやだ、父上も母上もいなくなってしまったのに…フィスまでいなくなったら…」
涙を大きな青い瞳に湛えたセラフィムの肩を兄はたたいた。
「そこが弱いというんだ。そんな感情でもし敵としてオレが立ちふさがったとき、切れるのか?」
びっくりしたような表情でセラフィムはセラフィストを見た。
「…騎士になるということは国を守ること。いくら身内でも敵ならためらいなく切ることができなければいけないんだぞ」
みるみるセラフィムの表情が曇った。
セラフィストは彼の肩に両手を置き顔を覗き込んだ。
「わかったな。おまえはこの家を守ってくれさえすればいい。あとはオレがみんなやるから」
「…やだ…」
今にも泣き出しそうな弟に、兄は小さく笑った。
騎士の寄宿舎に入ることになった。
父は殉職、愛しきものを亡くした母はその後を追うように先日亡くなった。
その葬儀も落ち着き二人でこれからどうするか…という矢先兄はそう弟に告げたのだ。
ライアール王家直属騎士家である、由緒あるウォン・ダレン家の当主は若干7歳となるセラフィスト・ウォン・ダレンとなった。
代々騎士となり王家を支えてきたウォン・ダレン家。
その気高き血、その大恩ある王家に仕える喜びをここで絶えさせるわけにはいかない。
立派な騎士となり王家に仕えよ。
父の残した言葉。
家庭では優しい父。
騎士としては厳しかった父。
そんな最愛の肉親の言葉は強くセラフィストの心に刻み込まれた。
いつか自分も立派な騎士になると。
そして白き鎧を纏い王家に仕えると。
「…ボク、泣かない。がんばる。お父様のような騎士になるんだ」
今にも零れ落ちそうな涙をこぼさないようにまっすぐセラフィムは兄を見た。
優しき彼もまたウォン・ダレン家の息子だった。
「…わかった」
兄は弟の強い意志を確認すると近くに控えていた先代より、良く尽くしてくれる年配の執事を呼んだ。
「レラス、聞いての通りだ。私とセラフィムは明日より王立騎士寄宿舎に入る。その間屋敷を頼んだぞ」
「はい。しかと畏まりました」
新しき少年主人の声に初老の執事は涙で声をつまらせながら礼を尽くすため深々と腰を折った。
厚い信頼を寄せていただいていた先代共々また新主人にも絶大な名誉な事柄を託され、従者は間違いなきよう全力を尽くすことを強く心に誓ったのだった。
見習い騎士として連日しきたりや戦闘訓練…覚えることは多かった。
我慢強いセラフィストでも音を上げそうになる。
だが、家名と誇りがそれを許さない。
なんといっても弟でさえ音を上げてはいないのだ。
負けられない。
家を出て何日もしないうちにセラフィムは音を上げるとセラフィストは思っていた。
しっかりしていないとは言わないが大人しすぎる彼には向いていないと思っていた。
それほど稽古と人の目は厳しかったのだ。
やめるならそれでいいと思っていた。
彼は次男、わざわざ辛い思いをすることはないのだ。
だが、セラフィムはめきめきと騎士として人としてダレン家の男として成長していった。
甘さの残るあのままで。
父母が亡くなり、住み慣れた屋敷を出てから何年もたった。
家族で住んだ家よりもこの寄宿舎での生活の方が長いくらいに。
まだ成人前だから粗相も許されるという甘い考えはすでにセラフィストにはなく、大人びた考えをするようになっていった。
礼儀をわきまえ、己にも人にも厳しい人間となった。
最年少で正式な騎士として拝命されるのではないかと囁かれるまでに。
それだけ同じ年の者より突出していたのだ。
だが、彼の性格は人と相容れることを好しとしなかった。
周りの空気さえ切ってしまいそうな雰囲気のせいもあるのかもしれなかったが。
そのため彼はいつも一人であった。
そんな中、今日も一日の訓練が終わる。
「セラフィスト!」
剣を交え本気で打ちかかるハードな訓練を終え、寄宿舎に帰ろうとするセラフィストの後ろから元気な声がかかる。
寄宿舎はいくつもに分かれている。
いくら双子とは言え、その寄宿舎は互いに違っていた。
久しぶりの声にセラフィストは振り返った。
「フィム」
練習用の剣を手にした汗と埃にまみれた双子の弟。
ほっそりとしながらも綺麗に筋肉と敏捷性を備えたセラフィム。
今やフィスと同等とまで並び称される程に。
「がんばっているみたいだな」
「うんフィスもね。ボクの“寮”でもいつもフィスの噂は耐えないんだ。ボク、すごく嬉しいよ!」
兄に会えたのが嬉しかったのかフィムはくったくなく笑った。
張り詰めたフィスと話をできるのは今やこの双子の弟ぐらいなものだ。
セラフィストは変わらない弟に和み小さく笑むとしかし、こう言った。
「…もう、子供じゃないんだ。“ボク”というのはやめろ」
「…フィス…?」
「フィム。いずれお前もオレも正式なる騎士となるだろう。そうなれば何百人もの命を預かる立場となる。いままでの心積もりのままでは…彼らを守ることができないだろう」
「…絶対に守るよ」
「そうじゃない。いいか、彼らの全てを守ることなど絶対にできない。…お前の場合、きっと誰かが死ねばショックを受ける。戦えなくなる。わかるか?もう一人の客観的に見られる自分を創らないといけないんだ。ある意味非情にある意味優しいお前を作らないといけないだ」
「…フィス…」
「気持ちの入れ替えというやつだ。オレは…もう非情になれる。いつか言ったな?“お前の前にオレが現れた時切れるのか”と」
セラフィムは決心をしたあの時のことを思い出し小さく頷いた。
「オレはお前が立ちふさがろうと…もし父母が現れようと切れる」
セラフィストの言葉にセラフィムの瞳が揺らいだ。
動揺を隠し切れないセラフィムの肩をセラフィストは軽く叩いた。
「そういうことだ…お前にできるのか?」
試すように兄は弟を見た。
できることなら、戦いなどに連れて行きたくはない。
戦ってほしくない。
非情になったとはいえたった一人の肉親、死んでほしくはなかった。
それが矛盾しているとわかっていても、大事な弟なのだ。
これが感情を表に出せなくなった兄としての精一杯の愛情だった。
自分が犠牲や中傷の対象になることなど構わない。
だが、弟が犠牲になることは耐えられなかった。
「それができないようなら、辞めろ」
言葉もなく、蒼白な顔をした弟へセラフィストは言葉を投げつけると寄宿舎へ戻った。
ウォン・ダレン家の双璧。
セラフィスト・ウォン・ダレン。
セラフィム・ウォン・ダレン。
時を同じくして二人は正規の騎士となった。
白き鎧。
名門ダレン家から二人も騎士が同時に現れるなどとは。
ライアール王家も安泰だと口々に囁かれた。
平穏な日々は守られる。
誰もがそう思っていた。
しかし騎士として軌道にのってきたある時期、事件は起こった。
「セラフィスト、ボクが先に進もう」
不穏な魔物が郊外に住み着いたとの連絡を受け、若き騎士二人と少数精鋭の部隊は鬱蒼と茂る森の奥までやってきた。
言わずとも知れたウォン・ダレン家の双子の騎士。
時刻は夕刻。
じき日が落ちる。
赤い残光の太陽が不気味な色をかもし出す。
血の中にいるような嫌な気分だ。
「いや、先に誰かに偵察させたほうがいい」
セラフィストはセラフィムを制した。
「だけど、ボクがみてきたほうが犠牲も少ないと思う」
そんな弟の言葉にセラフィストは舌打ちした。
そこが甘いというのだ。
小部隊にも匹敵する力を持つ騎士が先に動いてどうする。
大将が先に討ち取られればその後の部隊は烏合の衆と化す。
そのことがわかっているのだろうか。
「…お前は一体…」
事の重大さがわかっているのかと言いかけたそのとき、ざわりとセラフィムの背筋が凍った。
只者ならぬ気配。
敵の正体が分からぬため、森に入ってからずっと気配を探っていたのにもかかわらず会話に気をとられ後ろをとられてしまったのだ。
まずいと思った。
あまりにも敵の情報は少なかった。
魔族系の敵の可能性が高いとのことだけ言われていた。
それならば魔を打ち消す魔法を使える騎士が出向くのがいいということになり、やってきたというのに。
なのに。
背中が緊張でぴりぴりする。
事態に気づいたセラフィムが冷静に剣を抜いた。
部下たちが敵の姿に驚き、浮き足立った。
“人間か、たまには食ってみるか”
人の声ともつかない思念のような“声”が背後からする。
一触即発。
セラフィストは一呼吸すると相手との間合いを気配で計った。
怖くはなかった。
それぐらいの心構えはできている。
どう敵を殲滅するか、恐怖よりも先にそのことがセラフィストの脳裏を駆け巡る。
じり…と弟が剣を構えにじりよる。
背後の魔物が面白そうにそちらを見たのが分かった。
セラフィストは素早かった。
一瞬の判断と的確な動き。
魔物との間合いを十分開けたところまで走り去ると片手剣を抜き牽制した。
魔物は異様な風体をしていた。
書物でもあまり馴染みのないものだった。
全体に暗い岩のような肌色をしており人とは似通っていない。
顔は獣を彷彿とさせ体つきは人のようだが、大きくがっしりとしている。
そして何より足に当たる部分が煙のようにかすみ、異次元と繋がっているかのように空間がひずんでいた。
魔族、それは間違いがないようだった。
「…フィム、みんなを下がらせろ」
セラフィストはそう指示した。
聖水や護符の準備は万端であったが、ヤツの力量が分からない。
魔族であるなら彼らの世界へ強制返還する術があるのだが、ランクが分からない以上有効かわからない。
下手に術を行使し相手の力が上ならばそのまま破滅へと向かうのは己なのだ。
大将が二人いるこの場合、どちらかが力量を見極めなければならないだろう。
幸いなことにセラフィストの周りには今己以外に人はいない。
ならば、自分がやればいい。
「食うというなら、こい」
皆が下がったのを確認すると、セラフィストは剣の切っ先を無造作に地に向けた。
敵意がないようにみせかけた挑発。
“ふん、くだらん。いたぶってやる”
魔物が動く。
それとともに空気も動いた。
相手が動くと同時にセラフィストは踏み込み切り付けた。
急所への的確な切り込み、致死に十分な差し込み深さ。
白い騎士のマントが異様な赤い残光の元、激しくたなびく。
剣が空を切り煌いた。
確実に捕らえたはずの肉体をすりぬけて。
物理ではダメージを与えられないのだ。
セラフィムは兄の動きを目で追いながら敵の様子を探る。
セラフィストは全くの手ごたえを感じられず、剣の勢いを殺すため軽く体をひねった。
そこへ重い一撃。
「…っ!」
乾いた埃が舞った。
何が起こったのかわからず地に伏すセラフィスト。
魔物が振り下ろした腕にいともあっさりと打ち倒されたとは信じがたかった。
相手からの攻撃は不思議なことにこちら側にはダイレクトに伝わるようだった。
堅い金属製の鎧のおかげでダメージはそれほどでもなかったが、押さえつけられていては戦うどころか立ち上がることもままならない。
胸を押さえつけられたまま憎憎しげにセラフィストは魔物を見上げた。
魔物の腕は掴むことができない。
強い圧迫感に逃げ出すこともままならない。
「…っこのっ…」
情けないというよりも、戦えずに死ぬことのほうがセラフィストには屈辱だった。
立派な騎士に…。
父のような立派に殉職するのならまだしも、このような形で終わりたくない!
“どうした、そんなものか”
頭上から嘲る声。
それと同時に、魔物の気をそらすために皆がけん制の声を上げる。
助けてくれようとしてくれるのが分かる。
こんな皆のためにもこいつをどうにかしないと。
だが掴めぬ重い腕から逃れようともがく度、グローブが虚しく地を抉る。
“もがくがいい、その方がうまくもなろう”
獣のような顔が近づく。
「セラフィスト!!」
セラフィムの悲痛な声。
折角の皆のけん制の声が悲鳴に変わる。
白き鎧は朱に染まり、血抹が顔に飛ぶ。
喉に咬みつかれ、それでもセラフィストは不敵に笑った。
物理に支配されていないのなら己に取り込めばいい。
そうすればいいだけの話だ。
動けなくなった己にとりこめば切ることも可能だろう。
セラフィストは聖なる束縛の呪を心の中で念じた。
それならば、無駄にはなるまい。
己の死も。
それでいい!
術が完成する。
聖なる印が現れ魔物とセラフィストを束縛した。
“!?”
大量出血で意識が遠退く。
だがまだだ。
最期の仕事が残っている。
折角とらえた魔物、今意識を失い開放させるわけにはいかない。
このとき、殉職した父の思いがわかったような気がした。
大事な民。
大事な部下。
大事な王家。
もっと大事なもの、家族。
彼らのために散るならこの命惜しくはない。
顔を向ければ、今にも泣きそうな弟の顔が見える。
昔から弱い弱いと思っていたセラフィム。
だが強くなったと思う。
だから最期の仕事を頼みたい。
そんな血にまみれ安らかな顔をした兄に見つめられセラフィムは嫌だとばかりに首を振った。
魔物は逆にセラフィストに動きを封じられ、今度は自分がもがいた。
異世界との断絶。
この世界の干渉を受けた証に両脚でしっかりと地に立っていた。
だが動けない。
セラフィストという死にかけの術者に支配されていたからだ。
今なら誰であろうと致命傷を与えるのは簡単だった。
無駄にするのか、とセラフィストはセラフィムを見つめた。
目の前の敵は誰であろうと無情に倒せと教えた。
それが今なのだ、と。
「…ボクは…っ」
セラフィムの手から剣がすべり落ちた。
彼の膝が地へついたと同時にセラフィストの意識がなくなった。
そこは神と父がいるはずの喜びの楽園ではないと思った。
暗い天井。
狭い部屋。
喉が焼けるように痛い。
「フィス…?」
小さな声。
疲れたような顔。
同じ顔の弟、セラフィム。
魔物はどうなったんだと、自分の体を差し置いて気になった。
それを聞こうと思ったが声がでなかった。
「…ごめん…」
察したのか先にセラフィムが謝った。
暗い部屋、おそらく城内の神域の小部屋の一つだろう。
「どうしても、死なせたくなかったんだ…たった一人の兄なんだ…だから、わかってほしいんだ」
どういう意味かはまだよくわからなかったが、問題は解決していないことだけは確かだった。
「…敵となった身内でも切れとフィスはいうけど、切らなくていい方法があるならボクは…いや、私は…それを探していくことにした…フィスのようには生きられないから」
セラフィムは私といった。
それは本来の自分と戦う自分を区別し確立したことになるのだろう。
「今回のフィスの件は私が悪かったと思う。もっとしっかり状況を把握できていたら違う結果になっていたと思う。これからは戦いには私情を挟まないように、でももっといい状況にできるようにするから…していくから…だから、お願いだから私のために生きてほしいんだ…」
決意を新たにしたセラフィムはセラフィストの手を強く握った。
暖かな手。
お互いに温もりを感じあえる手。
こんな風に手をつないだのは一体いつのころだったろう。
無我夢中で走ってきた。
期待に答えるため、父の名を継ぐため越えるため。
だからもう、自分のために生きても、家族のために生きてもいいのだろうか。
セラフィストは軽く目を閉じ開いた。
兄の目から承諾の色を見て取りセラフィムは小さく笑った。
「よかった…私もがんばるから…フィスもがんばってほしいんだ」
そう言って話しはじめたセラフィムの話は驚くようなものだった。
結局、セラフィムはセラフィスト=魔物にとどめをさすことができなかった。
セラフィストが気を失った瞬間、魔物が呪縛から逃れようともがきだした。
一時は放心してしまったセラフィムだったが、命がけで兄が束縛した魔物をみすみす逃すなど絶対にしたくなかった。
それに完全にセラフィストは死んではいない。
なぜなら呪縛は弱くなりつつあるがまだ魔物は動けずにいるからだ。
それなら。
セラフィムは強力な回復の呪を唱えた。
みるみるうちに血が止まり傷がふさがった。
しかし、それと同時に魔物の姿が消えた。
「!」
魔物が聖なる呪文の影響を受けることはあることだがしかし、消えることなどありえない。
日が落ち、薄暗くなった不気味な森。
不気味な静寂。
考えられることはセラフィストを依り代にしてしまったのではないかということ。
そのまま乗っ取られてしまわないのはセラフィストの精神力の強さと聖なる魔力に守られているからだろう。
いずれにしても命の危険は去ったが、また問題が発生してしまったのだ。
話を聞き終わり、自分の体に魔物が取り付いているということにセラフィストは短くため息をついた。
「…体は大丈夫?」
そんな兄を心配そうにセラフィムが覗き込む。
そんな弟に大丈夫だと答えるかのようにセラフィストは手を握り返した。
数日かかって体が完治したある午後。
セラフィストはセラフィムと数人の高神官と高魔道師とともに人気のない城内の一角にやってきた。
「…頼んだぞ」
セラフィストはセラフィムを振り返った。
「はい、そのときは…私情は捨てます」
真摯な表情でセラフィムは頷いた。
魔道師たちが魔に対する結界を張り巡らせる。
神官たちは最悪の事態にならぬ様祈った。
セラフィストの中にいる魔物。
毎日のように囁き続けた。
破壊の喜びを、破滅への幸福を。
だがその誘いにのれば自らが魔となるだろう。
セラフィストは精神を鋭く保ち受け入れないようにした。
強い意志と崇高なる気高き心で抑えつける。
だが、それも限界だった。
人というものには疲れというものがあるのだ。
ざわりと心の中が揺れる。
破壊しろと。
結界の中央でセラフィストは陽光の中立ち尽くしていた。
内なる魔との攻防。
何がしたいのか。
破壊こそ存在理由。
破壊とは。
人間が生きることと同じ理由。
相容れない双方の考え。
一緒にいることはできない。
ならばどちらかが取り込まれるしかないのか。
強制排除。
それも考えた。
しかし深く体に巣食った魔を取り除くことは現状難しいという。
高魔道師も高神官達も口々にそういった。
根を張った雑草を一掃するのが難しいように。
取り除くことができないのなら、逆に取り込み己の力とする。
そうセラフィストは何事もなかったかのように言い放った。
誰も反対はできなかった。
いやしなかった。
いままで数日間抑え込んできた彼の強い精神力ならあるいは可能かもしれないと感じたこともあったし、それ以上の案は誰も浮かばなかったからだ。
セラフィムはその言葉を聞いたとき、目の前が真っ暗になった。
そして、最悪の事態を考えた。
もう迷えない。
これ以上民を危険にさらすことができないからだ。
騎士という立場は、民を守る立場。
己だけの感情で何千人も危険にさらすわけにはいかないのだ。
静かな戦いがセラフィストの中で行われている。
セラフィムは心を無にしてその様子を見つめた。
せめて…もしだめだった時自分が愛する兄弟に止めを刺すのだと。
誰にも討たせない。
それが決意、愛情。
「っ…くっ!」
白い鋼の騎士の鎧に身を包んだセラフィスト。
突然頭を抱え膝を折った。
術に集中する魔道師達は恐怖に額に汗を浮かべるも微動だにせず、見守る神官達は動揺した。
やはり無理だったのか?
人間が魔を抑えることなどできないのだろうか。
セラフィストという強い尋常ならざる精神の持ち主でも無理だったのだろうか。
その間にもセラフィストに変化が訪れる。
瞳が猫のように縦長になり、充血したかのように真っ赤に変わる。
犬歯は犬のそれよりも長くのび鋭くなった。
額からは角、背からはこうもりのような羽。
魔族と融合したものの特徴。
体は膨れ上がり聖なる鎧をつなぎとめているバンドが千切れ、重い金属が地へと落ちた。
セラフィムの心臓がどくんと強く打った。
いやなことが現実になろうとしている。
こめかみがひどく痛んだ。
だが、手は剣を抜いた。
兄の苦しむ姿をこれ以上見るくらいなら…この手で。
その想いが剣を抜かせた。
このまま異形の者となり果てるのならもう終わらせてしまったほうがいいのだろう。
「結界を、解いてくれ…私が中に入る」
身を切られる想いで結界を解くように申し付ける。
汗だくになった魔道師達が一瞬結界を緩めた。
ぐぉああっ!
獣の低い咆哮。
一瞬のことだった。
セラフィムが結界に入った瞬間、魔獣と化したセラフィストが襲い掛かってきた。
ぎぃぃんっ!
獣の牙をセラフィムの片手剣がかろうじて防ぐ。
即座に魔道師たちは強力な結界を今一度張り巡らせた。
鍛え磨かれた刃がぎしぎしと軋む。
剣が折れるか腕が折れるか、どちらにせよものすごい力で圧倒されていく。
もう、人としての心はないのだろうか。
がんっ!
左手に装着されている盾を辛うじて動かすと獣の頭をセラフィムはそれで強打した。
両者間合いを取り対峙する。
結界を張る魔道師たちの円陣の中で、まるでコロッセオでの戦いのように。
だが、それは観客を沸かせる見世物ではなく、兄弟の血を血で洗う悲しい戦い。
セラフィムは剣と盾を構えなおした。
獣が翼を広げた。
同時に地を蹴った。
上からの奇襲攻撃にセラフィムはひるむことなく地を転がった。
二度三度と鋭い鉤爪がセラフィムの肌を裂く。
ある程度間合いをとり体勢を立て直す。
赤き血が白き鎧に滴り落ちた。
消耗戦にもちこまれれば不利であった。
セラフィムは血を拭うと聖なる印を掲げ呪を声高に唱えた。
縛。
魔を捕らえる呪。
増強された魔力と大いなる印に囚われ魔獣はあっさりと動けなくなった。
「…フィス…」
セラフィムは小さく兄の名を呼ぶと剣でチャージ体勢を取る。
力をため、瞬時に繰り出す必殺の技。
回避できない相手には有効だった。
弾丸のように飛び込んでいく体と刃。
細身の片手剣が光の奇跡を残して魔の体に重く突き刺さる音が響いた。
しかし、切っ先は心臓を反れた。
剣身から柄に流れる血が赤かった。
「…あまい、んだよ、おまえは…っ」
くぐもったセラフィストの声。
「だが、いしきが、もどった…」
剣に貫かれたままセラフィストは魔を取り込もうと吼えた。
確固たる意思。
揺ぎ無い信念。
人として生きる。
これからも守り続けるものがある限り。
「…おぉぉっ…っ!」
セラフィムの剣を自らの肉体からセラフィストは抜いた。
「…ふぃす…」
傷つきながらもまだ戦う兄の姿に、緊張していたセラフィムの腰から力が抜けた。
セラフィストは今度こそ負けるものかと歯を食いしばった。
辛くても兄を制しようとした弟のためにも。
再び魔との戦い。
激しい抵抗と葛藤。
抑えてやる。
君臨してやる。
わが力となれ!
セラフィストの姿が変化する。
今度は人としてのサイズに。
元の姿に。
抑え込んだのだ。
セラフィストが正面から倒れた。
突然の静寂。
大量の血が水溜りのように広がっていく。
「セラフィスト!!」
セラフィムが這うようにして兄の体を抱きしめた。
白い鎧が朱に染まる。
命の赤が地に吸われていく。
「あぁぁぁぁっ…っ」
悲しみからか、セラフィムの瞳からいままで抑えていた涙が溢れて零れた。
「いい、一人で食べられる」
煩そうにセラフィストはセラフィムの手を払った。
ウォン・ダレン家の二人の屋敷。
父と母の思い出の屋敷は執事レラスによっていつも快適に過ごせるように手入れがされていた。
見習い騎士時代からも休日はよく戻っては二人で過ごしていた屋敷であった。
正式に騎士となってからはもっぱら王宮とも目と鼻の先に位置しているそこで生活をしている。
重傷を負ったセラフィスト。
だが、魔を取り込んだおかげか回復は異常なほど早かった。
普通の人間ならきっと死んでいた。
それほどの傷だった。
それが回復魔法の手助けもありみるみる治っていった。
だから自宅養生してもいいということになったのだ。
「ちゃんと食べないと…早く治らないだろう?」
そして今、セラフィストは自宅の寝台の上で食事中と言うわけだった。
「十分早く治っている」
おせっかいなセラフィムにセラフィストは苦笑しながら粥と匙をもぎ取った。
「それに大の男が食べさせてもらうなど、恥だ」
そういいながら自分で食べるセラフィスト。
「兄弟のボクが食べさせるならいいだろう」
前にもまして心配性になったセラフィムが不満気に言う。
セラフィストが笑いながら首を振った。
自然に自分を曝け出し笑い合える二人。
これからの問題は山積みだったが、兄弟二人一緒にやっていけばきっと乗り越えられるとセラフィストは思い、セラフィムもその心が分かったのかにっこりと笑ったのだった。
その後、セラフィストは白い鎧を着なくなった。
自分の中の魔の影響で着られないわけではなかったが、一つのけじめなのかもしれない。
彼はこれから自ら望んで黒い鎧を着ることになる。
いつか、自分の中の魔を駆逐できることを信じて。
ウォン・ダレン家の双璧の騎士。
黒と白の騎士。
彼らは今もライアール王家を守っている。
END
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