No.861419

魔法使いと弟子 番外 夏の修練(前)

ぽんたろさん

魔法使いと弟子
庵と邦子
後編→
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2016-08-02 02:25:00 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:391   閲覧ユーザー数:391

夏の修練

庵と邦子

 

ぽんたろ

 

 

 空気が両断される。

夏の蒸し暑い陽気。屋内とはいえ空調の効いていない道場は生ぬるく気持ちが悪い。

少女はそんな中、真剣の刀で素振りをしていた。

細い腕は無駄な筋肉はつけず固く、しなやかに重い金属の塊を振る。

表情にはぶれも疲れもなく、ただ淡々と作業をこなすように素振りを続ける。

しかしやはり陽気のせいか、Tシャツは汗で透けるほど濡れている。

「フゥ」

小さく息をつくと同時にガラガラと入り口の引き戸が開けられる。

外気がほんの少し風を生み。邦子は少しだけ目を細めた。

「なに、庵」

二人暮らし、道場の戸を開ける人間は一人しかない。

 神楽坂庵

彼は魔法使いであり、殺人者であり、少女長谷川邦子の師匠である。

「水分補給なさい。ひどい汗ですよ」

彼の手に持たれた木製のおぼんには麦茶のグラスが二つ乗っていた。

 

+++

 

「腕はどうですか」

 タオルで汗をぬぐう邦子に庵はいつも通りにこにこと尋ねる。

「あなたに折られたところは概ねつながったわ。来月はまたいけそうよ」

「それはなにより。早く治るといいですね」

 長谷川邦子は月に一度この師匠の殺害に挑み、失敗するたび自身の肉体を一部破砕されている。

破壊するのは庵だが、治療も庵が行う。

18歳の誕生日までに庵を殺せなければ、邦子は彼の妻になる約束をしている。

「麦茶。飲まないんですか?」

「…いい」

少しだけグラスを見て、邦子は手足にウエイトをつけ始めた。

カリキュラムは予定通りだが、庵は邦子を呼び止める。

「脱水になりますよ」

「いいの。加減はわかってる」

邦子はベンチプレスの台に向かう。

 その間にも新たな汗がにじんでいるのだ。トレーニングをそのまま続けるのは危ない。

「邦子、聞き分けなさい」

腕をとって組み伏せる。

少しふらついていた邦子はあっさり床にたたきつけられ薄い苦痛を訴える。

「っ…」

「口移しで飲ませますよ?」

庵をにらみ、邦子は視線を横に逃がした。

「…の」

ぼそりとなにかつぶやく。

「邪魔なの」

「は」

庵はキョトンと目を丸くする。

邦子は珍しく感情の起伏の少ない表情を崩し、悲しそうに言った。

「胸、邪魔なの。小さくしたいの。だから、水分を取りたくないの」

「え、おまえ、痩せたいの…ですか…?」

ダイエット

邦子はモデル体型+巨乳。

人によっては贅沢な悩みだとか言うのだろう。

しかし、長谷川邦子にとっては切実だった。

「走るのにも剣を振るにも、邪魔なのよ。これ」

乙女心、ではなかったが、邦子がダイエットをしたいなどというのは初めてだ。

小さいころから庵が食事の管理をして育ててきて、今も献立は彼が確認してから邦子が作るようになっている。無論材料の量も。

肥満体形になるような食生活ではないが、身長190代の庵の基準で一緒に食事をしてきたのだ。彼女から見れば育ちすぎていると感じてもおかしくはない。

食事を残せば庵が怒ると思って摂取水分を削っていたのだろう。

庵は少し反省した。

だが

「胸以外別に出てないんですから、いいじゃないですか」

彼にはデリカシーなどなかった。

「なにがいいのよ!!どれだけ邪魔だかあなたにはわからないのでしょうね!それとも、あなたも胸にお肉を貼り付けて勝負をする!?」

邦子が怒っている。

 少し嬉しそうな庵を見て、邦子はその股座を蹴り上げた。

「おお、痛い」

庵はのっそりと邦子の上からどいた。

痛覚を切ったままにしていたので動きが鈍くなっていたようだ。たぶん折れてはいない。

庵は暑さが酷いときやケガの治療中、体のメンテナンス中などの際は痛覚を遮断していた。

痛みだけを取り除けるわけではなく、味覚や温度感知がほぼできなくなり平衡感覚が曖昧になる。

火狐に監視をさせているので刺客や襲撃に気づかないことはないが邦子と二人きりだったのでいささか気が緩んでいたのは確かだった。

「すまないね。邦子。どうもワタシは乙女心には疎いようです」

レシピをダイエット用のものに変える。筋力をつけるトレーニングのほかに無駄な肉を減らすメニューを追加する。

一瞬庵の脳内を対策がよぎったが…

庵は、邦子の豊満な胸も好きだった。

 

+++

 

「要は、敏捷性を上げられればいいのでしょう」

「いえ、寝るときにも 服を選ぶときにも邪魔なのでできれば切除したいです」

 庵は徹底的に機嫌を損ねてしまったと悟った。加えてなんだか言動が過激な方向に進んでいる。

「切開はだめです。後々身体にひずみが出ますし」

「だったら食事を」

「だめです、栄養バランスも考えてるんですから」

庵は夏の着物の前を浴衣を着崩すように開けると、火狐を呼び出し筆と黒いケースを運んでこさせた。

庵は自らの胸の心臓の上あたりにくるりと丸を描く。

「ワタシは邦子には真摯であると誓約しました。誓いは守りましょう」

「なに、これ」

「これから1週間。メニューを変えます。当たった場所に応じてご褒美を設定しますから。本気でやりなさい」

邦子は箱を開く、中には

昔懐かしいボルトアクションのライフル銃

そして弾薬が20

「本物?」

邦子は銃を手に取ってパーツを覗いている。

「すべて本物ですよ。手入れは火狐に説明させなさい」

 邦子は努力家だ。

新たな課題や魅力的な難題を提示すると没頭して解決に尽力する。

これで時間は稼げるだろう。

問題はどうやって彼女の胸への敵愾心を削ぐかだ。

「隠れ、気配を悟らせずに標的を狙撃なさい。今回は命の有無は不問にしてあげます」

「なんでこんなこと」

「ご褒美は」

庵は少しだけ口の中の肉を噛みながら言い切った。

「ワタシの心臓を撃てたら来週の盆踊りにたまちゃんとお出かけさせてあげます」

邦子の手からサイト(照準器)が落ちた。

「たまと…遊びに行っていいの…?」

無論庵は環と約束などしていない。

あのちびの予定など知らない。

飽くまで『機会を与える』に過ぎないわけだが、人ごみに用もなく行くことを禁じていたために邦子にはそれは魅力的な餌だろう。

前述したとおり、これは邦子にあまり激しくないトレーニング課題を与え、時間稼ぎするのが目的である。

「食事、入浴中はNGですがその他はいつでも狙ってきなさい」

「季節感は感じるわ、庵。わたし、頑張る」

殺る気満々な許嫁を見ながら、庵は急いで作戦を考えていた。

 

(後編へ続く)


 
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