夏のころ、20時、花火師がやってきて、お宅の庭から花火を打ち上げさせてもらえませんか、ときた。庭ったって、ベランダの上に鉢植えを五つも置いただけの、猫の額もの。というか、ベランダを庭とは言うまい。よそとお間違えではありませんか、と聞くが、確かに、お宅の庭、と、どこか訛ったような声で言う。東京の人じゃないのかしら。
鉢植えの一つにはネズミの死骸が埋まっている。昨年の夏頃、道ばたで見つけて、カラカラに乾いていて、平らになっていた。あんまり哀れなので埋葬してやろうと思い、探したけれども、近頃はどこにも街路樹なんかないので、土なし。この町では死骸も埋めることはできない。そりゃ、アスファルトを剥がせば、土や砂は出てくるんだろうけれども、そうしたら今度は、たくさんの切ってはいけないケーブルの類に混乱させられるばかり。一度見たことがある。道路工事、昨年ので、アスファルトを剥がしていた。こんな路地裏の道にまで、おびただしいケーブルのチューブ。太いのも細いのも、太いのは、その中にさらに細いケーブルが無数に入っている。間違って切って、一帯を停電やら電波障害やらにはしたくないので、工事業者は一々、役所に確認して、どこに何が埋まっているかをチェックしなくちゃならない、らしい。
なので死骸は、枯れた多肉植物の鉢植え。今頃はもう土になっているだろうか。
「花火をです。打ち上げさせてください」
そのまますたすたと部屋にあがってくる。どこに何があるか、分かっているような塩梅で、そりゃ、広い部屋と言うわけではないけれども、あれっと思う。この人、どこかで会ったことあるのかしら。昔、付き合っていた、とか。それなら、そうと言うだろうし、まさか、そんな人間の顔を忘れる訳はないのだけれども、自信はない。人の顔は覚えられないし、覚えても、忘れてしまうし、写真付きのアドレス帳は机の中で、それを見にわざわざ戻るのも失礼な気がする。あなたは誰ですか、って、聞ければよいのだけれども。
花火師は、ベランダに出て、持参した大きな筒を何かの台に据え付け、ここならよし、という。
「困ります」
というが、実際は大して困らない。発破の多い地区なので、爆発音には、慣れている。現に夜中に起こされることが、両の手では利かないほど、ある。隣近所で響くのは困るが、一ブロックも離れた場所の発破は、怪獣の寝言みたいで、嫌いではない。そう言うとき、枕を引っ剥がして、ビニールクロスに耳を直につけて、中途半端な冷たさのクロスから、怪獣の寝言が、二度三度と響いてくるのを、魔法のように聞いている。ぐおっ、ぐおっ。だんだん小さくなる。ぐおっ、ぐおっ……そしてどこかで、朝顔の萎れるようにビルが倒壊する。
「なんでまたうちで」
「仕方ないんですよ。花火って知ってました? 元は魔除けなんですよ。魔を追っ払う為に音と火花で威嚇する……そういう呪術的なもんなんです」
「うちに悪魔はいませんけど」
「いや」
花火師は花火に火を点ける。花火があがる。耳栓、使います、と言って、花火師が開けてない耳栓をくれる。もうちょっと早く言って欲しい。今ので、耳がつーんとなったけれども、花火師は二発目、三発目の筒に火を点ける。そして夜空に、季節はずれの花火の輪。花火は隣の廃マンションの外壁に描かれた巨大なひまわりのタイル絵を、描かれた当時のような生き生きとした(つまり、狂気に満ちた)黄色に照らし出した。
「すごおい」
つぶやくと、花火師はもう居ない。おや、とあたりを見回すけれども、誰も居ない。
すぐ、隣に住む30くらいのお兄さんが訪ねてきて、お宅の部屋から花火が上がるのを見ましたけど、何か嫌なことでもありました? と聞く。いいえ。なんにも。なんにもないので困ってる。
お兄さんは腑に落ちないふうの顔をして帰る。ベランダには、花火師の持ってきた筒だけが残った。
空にはまだ、とびきり持続時間の長い火花のひとかけが残っているので、私たちのマンションと隣の廃マンションのひまわりはいつまでも明るい。明るさの中、私は多肉植物の鉢植えに埋めた干からびたネズミ君をふと思い立って探す。どういうわけか、ネズミ君は影も形もない。
土に還ったのかしら。そんなら、それでよいもんだが。
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オリジナル小説です