準備はあっという間に進み、慌ただしく三国合同軍事演習の当日となった。
お互いに手の内を隠しながら編成し、調練をする様子はからは程よい緊張感が見て取れた。
もちろん、諜報も盛んに行われたのだが、最後の最後まで、北郷が如何なる部隊を揃えたのかわからなかった。
「やつは何らの準備もしていないのか?」
と言われるほどに。
それは、言葉だけの意味で言えば、正解であった。
前準備一切なし。
まるで準備などするのは弱者のみだと言わんばかりの態度で、他の三勢力があくせく働くのを見ていたし、彼の上司である華琳もその態度に何も言わないところを見ると本当に彼は何もせずに演習に臨むものだと感じ取れた。
しかし、そのほんとうの意味はと、問われると、それは、当日に。
つまり今日、わかった。
「通りで準備しないわけだわ…」
運良く、というべきであろう。
彼との戦いを望み、この場をお膳立てした雪蓮は苦虫を噛み潰したような顔で呟く。
「あぁ、まったくだ。これでは準備した策のほとんどが役に立ちそうにない。」
そんな雪蓮に同調するように冥琳はこめかみを押さえる。
孫呉の目の前に広がる光景は、かつて戦乱の幕開けを演じた舞台のそれだった。
「相手はなんだ、甘寧、周泰、孫策、周瑜、孫権…あとあの呂の旗は呂蒙か?
まぁ恋はこっちにいるからそんなもんだろうな。」
望遠鏡を覗き込み楽しそうに北郷は言う。
「なっはっは!あののんべぇの驚く顔が浮かんでくるわ!」
それの同調するかのように霞は言う。
「いいこと、あんた達、今度という今度は絶対に負けないんだからね!
二度もあんな連中に、月を差し出したりしないんだから!」
嗜めるように詠が言えば、
「相変わらずだな。だが、あの頃の私だと思ってもらっては困る。
二度と負けるものか。二度とな!」
それに華雄が突っかかる。
「…大丈夫。恋もいる。隊長もいる。負けない。」
そんな皆を見ながら恋が言えば、
「当たり前なのです!恋殿とねねがいればあんな連中指先一つでちょちょいのちょいなのです!」
音々音がそれに追従する。
これから模擬とはいえ戦いに赴く姿には思えない一団を、ただただ嬉しそうに見ている一人の少女。
その少女が、口をひらく。
「皆さんとこうして、肩を並べることができるなんて、私はあの時夢にも思いませんでした。
あの時は私のせいで皆さんの力を存分にふるうことは出来ませんでしたが、今日はそれが許されます。
今日という日に、生き延びた幸せに、そして何より、こうして私達を救ってくださった方のために、私達の誇りに恥じぬ戦いをいたしましょう。」
優しいけれど、芯のある力強い声で、月が言う。
「こう見えて私も、少し負けず嫌いなところがあるんです。
かつて我が部下、華雄さんが彼女たちにお世話になりましたから…」
輝きを湛えた瞳は真っ直ぐに前を向き…。
「雪蓮さんたちに、お返しして差し上げましょう。」
その、号令は鬨の声とともに、大地に響き渡った。
異様な士気の高さと、勢いとは裏腹に重厚に構えられた陣をみて、蓮華は冷や汗をかく。
「姉様は落ち着いて対応すればいいと言っていたけれど…これにどう対応しろと…。」
神速と謳われた将もいる。
天下無双と称された者もいる。
だというのに、それを頼みに突き進んでくるでもなく、ただただジリジリと距離を詰めてくる。
牽制に放った矢もどこ吹く風だと言わんばかりにただ両者の隔たりをじわり、またじわりとなくしていくその進軍に、蓮華は圧倒されていた。
そんな彼女を、本来ならば鼓舞し、叱咤するべきはずの冥琳ですら、彼の圧力に気圧されている。
先々代の孫堅より学び、先代の孫策と供に立ち、今代の孫権を支える軍師筆頭周公瑾は、重苦しい怒気を纏った敵兵たちに、かつての戦を幻視する。
「これでは、まるで人で築かれた汜水関ではないか…」
「へぇ、月と詠が揃うとこういう采配になるんだな。」
対してこちら、十字の牙門旗を掲げる陣営の総大将は呑気なものだった。
「俺はあの戦いの時は後ろで見てただけだったけど。
はじめて見るけど、大したもんだ。」
数多くの戦を経て、覇王と言われし才のもとで培われた経験。
その積み重ねが築き上げた割にはそこそこどまりの目を持つ北郷ですら、この軍が発する重圧は感じ取れた。
「恋もだいぶやる気みたいだし華雄も気力十分て感じだったもの。
そうじゃなくても念願だった月の元で、月のために力を振るうのよ?これが力が入らずに要られるもんですか。
ただ、こっち側にいるからってそんなに余裕で入られるあんたも大概どうかしてるけどね。」
口では悪態をつく詠も、その眼の輝きは人一倍だ。
そんな様子を満足気に見ているだけの男。
彼は本来ならば兵を率いる立場であるのにそれをせずにいる。
それもそのはず。
今回の彼の仕事は「働かないこと」。
先日の璃々誘拐未遂事件の影響で責任を取らされるはずだった魏。
その責任のとらせ方を「魏の隠し玉、天の使い北郷一刀を表舞台にひきづりだすこと」に定めて一手講じた蜀と呉。
彼のあまりにも印象深い帰還の場面に立ち会い、かつ翌日の焔耶との大立ち回りを聞き、敵軍であったはずの祭でさえ惚気る場面を見せつけられれば興味を持つことは当たり前だった。
そして、その興味の方向の半分に、男としての魅力という意味合いが混ざっている。
そうなればもちろん華琳としては黙っていられない。
とられてたまるもんですか。名目上はあくまで「武術大会の埋め合わせ」。
だったら、ということで華琳は形としては北郷を一勢力として配置はしたが、その中身はまるまま吸収した『董』の軍をあてがい、彼を隠すことにした。
表立って名前は出せない月をこのような形で使えば、北郷にとっても月にとってもいい隠れ蓑になる。
調練を行わなかったのは全員の練度を把握している事以上に、この「作戦」を隠すためであり、そしてそれは大成功であった。
賽をふってからではもう遅い。
北郷にとっても、物言いもつけられないこの状況が楽しくて仕方なかった。
「今回の言いつけ通りは楽でいいな。」
月の隣に立ち、そんなことをいう男。
「まったく、この期に及んでまだサボりたがるの?」
だが、こうして思えばずっと待ち望んでいた軽口のやりとり。
懐かしさと嬉しさを押し隠すように強い口調で詠は返す。
「だってさ、俺は月も詠も、みんなのかっこいいところが見たいからね。」
そんな気障な言葉が、たまらなくこそばゆく、でも嬉しい。
顔を真赤にして抗議しようとする詠を静止して、いつもの変わらぬ笑顔の月は応える。
「そういっていただけると、頑張っちゃおうかな、なんて思ってしまいます。
詠ちゃん、そろそろじゃない?勝って、ご褒美ももらっちゃおうよ。」
表情とは裏腹に、声に確固たる力を感じる。
男はもうずっと笑顔のまま。
どうしていいかわからない詠の感情は、恥ずかし紛れに、遂に爆発した。
「えぇい!わかったわよ!
そろそろ頃合い、ボク達の力、見せつけてやるわ!」
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