そして舞台は移り、呉国北方の前線基地・濡須。
そこは、張遼との小競り合いに出張った俺たちや蓮華などを迎え入れる休息所と化していた。
「………やはり張遼は討てなかったか」
遅れて帰還してきた思春たちの報告を聞き、蓮華は嘆息した。どうやら張遼は、――思春、明命、亞莎――、呉が誇る三将の追撃を受けながらも、それを振り切って合肥へと逃げ帰ったらしい。
「しかたあるまい、あれでも三国に名を轟かす猛将だからな、その猛将を撃退しただけでも今回はよしとしよう」
「………申し訳ありません」
「ん?何故お前が謝るのだ、潘璋?」
蓮華の面前には、青葉(チンイェ)と紅花(ホンファ)が並んで ひざまずいていた。青葉は その腹部に包帯をグルグル巻き、張遼から受けた傷を ひた隠しにしている。そんな青葉を、隣の紅花は心配そうにチラチラ横見している。
それ以上に、青葉も紅花も、生まれて初めての主君への謁見だ。思っても見なかった展開に、二人とも手足がガチガチになっている。
「………当初、オレが賜った任務は、魏の偵察隊の殲滅でした。それを張遼に阻まれ果たすことができませんでした。任務失敗です」
「……たかだか小さな偵察隊に、万人が恐れる鬼神・張遼が加わっているなど誰が予想できよう。そんな予想外の偶然に対して責任を取れる者など、誰もいない。それにな…」
蓮華は優しげに微笑む。
「その予想外の事態を前にした お前の判断は、なかなかのものだったぞ。まず、何処で勉強したのか張遼の顔形を事前に知り、そのためにいち早く張遼の存在に気付き、隊が本格的に接触するより前に退却した」
「……………」
「さらに、退却の途中で隊をバラバラに散じ、山中に潜らせることで各兵の生き残れる確率を上げた。……お前のそれらの判断で、我らが兵は一人も損なうことなく、戦場から帰還することができた」
「………それでは」
「ああ、お前の部下たちは、全員生きて この濡須に辿り着いたぞ。鬼神・張遼を前にして兵を一人も損ずることなく撤退に成功した、それは立派な功績だ。この張遼を巡る国境攻防戦の第一の功は、潘璋にあると言っていいだろう」
「青葉……!」
紅花が声を明るくして青葉にしがみついた。
功名は、身一つで呉軍に飛び込んだ青葉が夢にまで見て欲しかったもの。名声も、コネもない彼女が、自身の存在意義を立証できる唯一のものだ。それを得るために青葉は色々と無茶なことまでしてきた。それらの悪戦苦闘が、今ここに報われた。
「……………」
しかし青葉は、君主・孫権 直々の賞賛にもかかわらず、表情を明るくする どころか逆に思いつめた表情をしていた。
その青葉の顔を覗きこむ紅花。
「……青葉、どうしたんですか?」
「孫権様に申し上げたいことがあります!」
青葉が いきなり声を張り上げる。
「…何か」
「この いくさの第一の功は、オレでなくホン…、朱然にお授けいただくよう存じます!」
「青葉ッ?」
隣に ひざまずく紅花は、それを聞いて目を剥く。
「何を言ってるんですか青葉、功名を得ることは、アナタが これまで切実に望んでいたことじゃないですかッ!孫権様 直々のお褒めの言葉を頂いているっていうのに、それを拒否するなんて どうかしてますよッ!」
「孫権様、先ほどアナタは『いち早く張遼の存在に気付いたがために全滅を免れた』と仰いましたが、オレが事前に張遼の顔を知っていたのは、この朱然が、日頃から地道に敵将の人相書きを集めていたからです。オレは それを同僚のよしみで盗み見たに過ぎません。功を得るべき努力を払ったのは、オレではなく朱然です」
青葉は続ける。
「さらに、オレが張遼の追撃を受けている最中、一番最初に救援に来てくれたのは朱然でした。コイツが間に合わなかったら、今頃オレは山野の奥深くに屍を晒していたでしょう。…こうして孫権様から お褒めの言葉をいただくことも できなかったに違いありません」
蓮華は主君然とした態度で、青葉(チンイェ)の言上を黙したまま聞いていた。
己が与えようという賞賛を拒むという、通常の主従のやりとりであれば無礼と言われても仕方のない青葉の行為。それに蓮華は俄かに騒がず、じっと相手のことを見詰める。
「……潘璋、お前のことは祭や一刀から聞いている。功名を求め、他者を出し抜くことばかりを考え、日頃から命令に従わぬこと夥し、とのことだな……」
「………う、…ハイ」
「そのお前が、ここに来て何故、一日千秋に夢見た功を 他者に譲る?」
蓮華の問いは、そこに居並ぶすべての者の問いだ。
濡須にあつらわれた謁見の場には、蓮華の他にも俺や冥琳や祭さんなども顔を並べている。それらの注目を受けながら、青葉は語りだした。
「孫権様、……オレッちは しがない悪党です。育ちが悪くて門地もねえオレが、呉軍に入って のし上がるためには、何かをもってる裕福なヤツらを蹴落としてでも功を取らなきゃいけねえ、ずっとそう考えていました」
でも、と青葉が言う。
「今日の戦いでは、そんなオレを沢山の人が助けてくれました。特に朱然は、日頃から いがみあってばかりなのに、オレの危機に真っ先に駆けつけてくれた。何故だか知んねえけど、オレはそれが、今までの人生で一番嬉しかった」
「青葉………」
声を漏らす紅花(ホンファ)。
「それでオレは、そんな紅花に何かを応えたいと思ったんです、応えなきゃいけねえと思ったんです。…それができなきゃ、オレは もう二度とお天道様に顔向けできねえ」
…………………。
…………………。
…………………。
「…………………うぅ~」
「え?」
突然、牛のような呻き声がするのへ、みんなの視線が集中する。
すると、青葉の隣にひざまずいている紅花が、急に泣き出したのだった。両目から大粒の涙をボロボロこぼして、人目もはばからずに泣いている。
隣の青葉は、もうオロオロしだして、
「うぅおぅ、ええッ?何泣いてるんだよ紅花?…オイやめろよ、孫権様の真ん前だぞ?ちゃんと大人しくしてろよ?」
「うぅ、……うぅ~、うぅぅ~~~~ッッ!!」
「いたッ?何故叩くッ?いたいた、痛い!なんでペチペチ叩くんだよッ?せめてなんか言え!無言で泣きながら叩くな!」
「うぅ~~~ッ!」
謁見の間は、駄々っ子になってしまった紅花に青葉が狼狽するという、その絵に支配されてしまった。
呆然とその成り行きを、横から見守る冥琳、祭さん、思春や他のみんな。
そして、上座から見下ろす蓮華だけは、なぜか楽しそうに笑っていた。
「…フフッ、ねえ、潘璋、朱然」
「はは、はい!なんですかッ?」
「うぇ?」
名前を呼ばれて二人は前を向く。
「アナタたちは、孫伯符を知ってる?」
二人の顔色が変わることが、その明確な答えだった。
「そう、江東の小覇王といわれた我が姉・孫策伯符。……本来私は、孫呉の王たる者ではなかった。その座には、我が姉 伯符が就いていた」
孫策――、雪蓮が非業のうちに倒れて時が経った。それでも、あの悲劇は俺たちの記憶に消えることなく残っている。
「雪蓮姉さまこそ、この乱世の覇者たるに相応しい人だった。この三国に並ぶ者のない武勇、古の覇王・項羽に比するといわれた覇気、いずれも凡俗の将とは次元を画するものだった。……あの人が逝き、孫呉の王の名だけを継いだ私だけれど、その実はいまだ雪蓮姉さまの足元にも及ばない」
「孫権様…」「孫権様…?」
「いいえ、雪蓮姉さまだけではない、私は、この乱世に覇を唱える英雄たちの中でも もっとも未熟で力が足りない。乱世の奸雄・曹操には理と智謀で、天下の大器・劉備には人望と徳で、私はあの二人に逆立ちしようと敵わない」
「孫権様、そんなことは ありません!」
青葉が大声で捲くし立てようとするのを、蓮華が微笑みで制した。彼女の話はまだ続く。
「そんな私が、孫策伯符に遠く及ばぬ私が、私より幾倍も秀でた曹操・劉備に対抗できるものが たった一つだけある。それは、―――血の熱さだ」
「血の、熱さ…?」
「そうだ、我が母・孫堅から娘である孫策へ、そしてその孫策から妹である私へ、孫呉三代に血統と共に受け継がれてきた血潮の熱さ。…国を興し、街を拓き、民の心を安んぜよという熱源から沸騰する血の熱さ。文台・伯符が夢見て、彼女らが倒れたために私が引き継いだ希望、それが常に、私の体内に流れる血を熱し、沸き立たせる」
その血の熱さこそが、
「劉備や曹操ごときに けっして負けぬ、私 独自の力。…そして その血の熱さは、私以外の者にも宿っている」
「ええっ?」
「当たり前でしょう、雪蓮姉さまの魂を受け継いだのは私だけではない。雪蓮姉さまの断金の友といわれた冥琳、孫呉三代に仕えてきた祭、他のみんなの心にも、姉さまや母さまの魂はたしかに宿り、その血を熱し続けている。その血の熱さが結ぶ絆こそ、我が孫呉 最大の力。その力をもってすれば、魏や蜀を打ち砕くことなど容易い。……そして、潘璋、朱然」
「――ははッ!」
「――はいッ!」
「今日、お前たち二人の中にも、孫呉の勇者に宿る血の熱さを見た。雪蓮姉さまを直接知らないアナタたちの血の中にも、姉さまの熱さが息づいている。……それを知ることができて、私はとても嬉しい」
蓮華の吐き出す言葉の一つ一つが満座を支配している。そんな中で、俺は俺の隣で、グズグズいわす雑音を聞いた。何の音かと視線をずらすと、そこに祭さんがいた。
「…祭さん、もしかして泣いてる?」
「う、うるさいッ!…グズ、泣いてなどおらんわ!」
しかしその後 小声で、よくぞ成長なされたー、とか そんな言葉の端々が聞こえた。
そして蓮華。
「―――よかろう、今日のいくさ、第一の功は二人に与えるものとする。潘璋、朱然!」
「「ははッ!!」」
「お前たちの真名を晒しなさい!」
「はいっ!オレの真名は、青葉(チンイェ)です!」
「私の真名は、紅花(ホンファ)と申します、孫権様!」
「私のことは蓮華と呼びなさい」
「「は、はいッ!」」
主君に真名を献上し、主君から真名で呼ぶことを許される。それは、この世界に生きる武将にとってどれほどの誉れになるのだろう。
俺は、北郷一刀は、諸将の居並ぶ左右の列から出て、二人の肩に手を置かずには いられなかった。
「ダンナ……ッ!」
「一刀様…、かじゅとさまァッ!」
再び涙をこらえきれなくなった紅花は、感極まったように跳ね上がり青葉目掛けて抱きついた。え?
「ちょい待ち、今の流れだと抱きつく相手 俺じゃないの?なんで青葉に抱きつくの?」
「だって、だってぇ、……青葉ぇ、ぢんえ゛ぇ~~~ッ!!」
「あ~、はいはい、お前さんが こんなに泣き虫だとは知らなかったよ。こりゃオチオチ死んでられねえなあ……」
そして青葉、君って けっこう男前だよね。
そんな俺たちの様子を、微笑ましく見詰めている者がいる。冥琳だ。
「…蓮華様、それでは、功一等の者への褒美の説明をさせていただいでも、よろしいですか?」
「ええ、頼むわ冥琳」
主の許しを受けて、冥琳が本格的に喋りだす。
「それでは……、青葉(チンイェ)、紅花(ホンファ)!お前たちを こたびの戦闘の功によって、将軍に列する!」
「はっ?」
「えっ?」
今の一言に、青葉も紅花もさすがに耳を疑った。
「周瑜大都督、……それって?」
「青葉、私のことは冥琳と呼びなさい。蓮華様が『真名を晒せ』と仰ったのは、ここにいる全員と真名を許しあえということだ。呉の将軍ともなれば当然の仕様だがな」
「だから!その将軍て!マジなんですかッ?」
「マジだとも。紅花は元々その予定はあったのだし、青葉、お前の才覚は、今日の張遼を巡る判断で 充分に見させてもらった。これから魏・蜀と本格的な戦争に入っていく昨今、有能な人材を部隊長に遊ばせておく余裕はないのだよ」
「いや……、でも……」
「立場的には、お前たちは亞莎、明命、思春などと同格の扱いになる。軍は、…そうだな、最初に二千ほど預けよう、その後の働きによって さらに多くの兵を任せることになるから、これからも励むように」
「は、はあ……」
「青葉!やりましたね!これでもう誰もあなたをバカにしませんよ!」
いまだ夢のような心地の青葉と、その青葉の昇格を自分のことより喜ぶ紅花。
「では、次なる褒美の言い渡しもさせてもらおうか」
「まだ あるんですかッ、褒美ッ?」
「ああ あるとも。しかも この褒美は、将軍の座より ずっと甘美なものだぞ。よく聞け、お前たちに与えられる褒美とはな……」
冥琳が、厳かに発表する。
北郷の 子種をその身に受ける権利だッ!!
「…………」
「………………………………………は?」
紅花も、青葉も、目を丸くして、返答に困っている。
何?どういうこと?その意味することはなんですか?俺も ちょっと冥琳の意図するところを小一時間ほど問い詰めたい。
「うむ、これには たしかに説明が必要だな。北郷が、世において天の御遣いと呼ばれていることは、二人も知っているだろう?」
「ええ、まあ…」
紅花が、おっかなびっくりに答える。
「でだ、その北郷を呉に迎えた当初の目的とは、北郷の天人の血を孫呉に取り入れ、その霊威を我が物として利用することだったのだ。…まあ、雪蓮の発案だったんだが」
「さっき蓮華様のお言葉で高騰した孫策様の株が大暴落したんですが」
「まあ、よいではないか。先ほど蓮華様も仰ったろう、我らに流れる血の熱さこそが孫呉の強さ、と。それに北郷の血の尊さが混じれば、天下無敵ではないか」
「……私、そういう意味で言ったんじゃないんだけど」
と蓮華。
「つまり、いったいどういうことなんスか、周…、じゃねえ、冥琳様?」
「うむ、北郷の子を孕め、ということだ。これは呉の国内でも将軍以上の者にしか知らされていない、とても栄誉なことなのだと覚えおけ!」
…あの、冥琳さん、ちょっといいですか?
「なんだ北郷?」
「やめてくださいよ、そういうの、それだとなんか俺が、最初から下心アリアリで二人に近づいたみたいじゃないか。俺のイメージをアサヒらないでください!」
「いめー…?イヤまあそれはいい、だが二人ともなかなかの器量よしだ、胸も大きい、不満か北郷?」
「たしかに二人は美人だけど!今はそういうことではなく!……つまり俺のこれまでの無償の好意を救出してくれってこった!俺のイメージを下半身魔神のまま固定させないでくれ!」
俺が冥琳とギャーギャー騒いでるのを、新将軍となった青葉は、凄い酸っぱい顔で眺めて、
「ん~、なんだかなあ……」
と釈然としないでいるのを、紅花(ホンファ)が袖を引っ張った。
「青葉(チンイェ)、青葉」
「ん?なんだよ紅花?」
「あの…、さっきから一刀様のこだねを…、とか、はらめ……、とか、どういうことなんですか?」
「なにっ、お前わかんねえのか?」
「(コクコク)」
「マジか…、これだからガリ勉お嬢様は、じゃあちょっと耳貸せ」
「こうですか?」
「えっとだな、つまり、……………を、……って、…………な………に、………………を出して、………………るってわけだ、わかったか?」
「?」
「あーもーッ!ぶっちゃけるとだなッ!オメーの右足と左足の間にガーンつって、ニャーいって、………うっ、てなことになってヒトマルヒトマルに おぎゃー!っつースンポーよ!わかったか!」
「ええっ?ムリムリムリ!私にはムリです!」
「通じたッ!今のでッ?」
こうして、呉の将の列に、新たな二人の名が加わることになった。
さし当たって俺が これからなすべきことは、呉の将の陣営を俺のハーレムと混同させないようにすることだ。
新しく加わった二人に軽蔑されないためにも、これは死活問題だった。
後一話だけ、続く、かも
…………………。
~おまけ~
同じ時刻の合肥城
霞「あ~ん、凪~、呉のヤツらに いぢめられた~!アイツら多人数で よってたかってウチのこと追い回すねん!」
凪「はいはい、どうせ深入りしすぎて呉軍の逆襲にあったんでしょう?魏の方面軍指令ともあろうお方が軽率に出すぎるからです。反省してください」
霞「うわ~、凪が冷たい~!癒してくれ凪!呉のヤツらに すさまされた心を、お前の胸で癒して~!」
凪「って、霞さま!なんでイキナリ私の胸を揉んでくるんですかッ!やめてください、ちょッ!」
真桜「霞姐さんは、呉の連中にいじめられた分、凪の乳揉めて どっこいどっこいやけど、凪は ただ揉まれ損やなぁ。今回一番被害をこうむったのは、誰あろう凪か…」
以来、魏国では『潘璋が戦えば楽進が胸揉まれる』という諺が…、できねぇよ。
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前回から一日置いての投稿です。
本来 前回と一つにまとめるはずだったエピローグをお楽しみください。
緊迫した前回と変わって、今回は少し和やかな話になるはずです。
青葉、紅花の大団円を見届けてください!